ブラジル年表 その4

1990年から今日まで

ブラジル年表 その1    ブラジル年表 その2     ブラジル年表 その3

 

1990年

90年1月

1.08 連邦警察,ロライマ連邦直轄領から4万5千のgarimpeiros を追放.90ヶ所に上る滑走路を破壊.

1.17 バイアの市民警察隊員がストライキ.放送局に乗り込み,彼らの主張を放送させる.

90年3月 コロールのショック政策

3.11 リオのジャカレパグアで,ファヴェイラの住民が空き家となったマンションに侵入し占拠.

3.15 コーロル,大統領に就任.就任演説で「コロール・プラン」を発表.官庁の一部を廃止し公務員のレイオフを断行.軍事費をGDP比0.9%(87年)から0.3%にまで削減.5年間で土地なし農民50万戸に土地を与えると公約。

3.16 コロール,通貨発行量を3分の1に減らす超緊縮政策をうちだす.2000ドル以上の銀行預金を18ヶ月間凍結,物価の凍結,変動相場制の廃止。

3.31 インフレが最悪の状態に.毎月84%,1年で4854%という史上初めての悪性インフレ.

90年4月

4.22 Rio Maria, PAで,Pistoleirosが組合活動家José, Pauloと Orlando Canutoを誘拐.オルランドは85年に殺されたJoão Canutoの息子.

90年5月 リオの製鉄スト

5.09 コロール,60日以内に公共労働者35万人を解雇すると宣言.

5.23 リオの製鉄工場で,RFFSAの6千人解雇案に反対するストライキが始まる.翌日にはSP, RS, ミナス,ペルナンブコ州に拡大.

90年6月 日本出稼ぎの急増

6.01 農業労働者運動の指導者João Feliz de Aquino,リオ州Nova Iguaçuで射殺される.

6.05 コーロル,先進国に対し,熱帯林の保護と債務削減を取引する提案.

6.26 議会,消費者保護法を可決.

6 日本,日系二,三世の滞在条件を緩和.多くのブラジル人が出稼ぎに訪れる.

90年7月

7.10  Pontal do Paranapanema, SPで,800家族が農場占拠.

8.16 コロール,国有企業10社を民営化すると発表.

9.21 アイルトン・セナがF1チャンピオンとなる.

10.12 サッカーの神様ペレ,1994年のブラジル大統領選に出馬すると表明.

90年12月

12.03 ブッシュ大統領,ブラジル訪問.対外債務問題をめぐりコロル大統領と会談.

12.11 軍警察500人が,Diadema, SPの占拠者を追放.この集落では700人が「Vila Socialista」を宣言していた.排除作戦により2人が死亡,46人が逮捕される.

12.20 ならず者が,ペルナンブコ州パルマレスで組合活動家を殺害.彼らは犯罪の調査に来た委員会の担当者も殺害.

90年 PTの呼びかけによってラテンアメリカの左翼48組織が参加しサンパウロ・フォーラムを開催.ソ連・東欧圏の危機的状況の中で,ラテンアメリカ左翼の共通の討論と国際的連帯の基盤をつくりだそうとするもの.新自由主義経済政策に反対するとともに,その政策が生みだす矛盾へ対応していくことを決議し,左翼にとって情勢は有利であるとの認識を示す.

90年 80年代の「失われた10年」で、GDP成長は0.4%、貧富の差はさらに進行し、上位5%の所得は33%から39%へ。これに対し下位30%の所得は2割減少し4.3%となる。

90年 マリア・ダス・グラサス・マルカル、ベロ・オリゾンテで「街の屑拾い協会」を設立。町のごみの15%を集めるようになり、貧困対策のモデルケースとなる。

 

1991年

91年1月

1 インフレ率,ふたたび20%に上昇.GDP伸び率は1.1%にとどまる.緊縮政策により深刻な経済停滞。しかしインフレは収まらず。資産凍結を嫌う国内資金が大量に海外流出。

1.31 サントスの港がゼネストに入る.

91年2月

2.02 パラ州の農民運動指導者エスペジート・リベイロ・デ・ソウザ、地元の牧場主Jeronimo Alves Amorimの雇った殺し屋Jose Serafim Salesにより殺害される。殺し屋の相場は25ドル前後といわれる。

2.15 アウトラティーナ(フォルクスワーゲンとフォードの合併した会社),5110人の解雇を発表.労働者はただちにストに入る.

2.17 マトグロッソ州で給料の遅配に怒った州職員がストライキ.州政府ビルを襲撃.知事は逃亡する.

2.27 議会,政府の提出した緊急措置「コロール・プラン2」を承認.物価凍結のほか、日銭稼ぎを狙う短期金融業務を禁止し、投機の押さえ込みを図る。インデグゼーション(指数化)の廃止については認められず。

ヘテロドックス・プランの失敗: クルザード計画以来のIMF路線によらない物価安定計画はすべて失敗した。この経過を通じて以下の点がエコノミストの共通認識となった。
@物価・賃金の凍結策や預金凍結など金融業務への介入は有害無益であることが明白になった。A海外、特にドルとの関係を無視しては経済マクロの調整は不可能であることが明らかになった。その調整は変動相場+金利調整か、変動金利+ドル・ペグしかない。B対外債務が膨らみ続ける構造は、財政赤字に起因する。財政赤字は政府・国営企業の人件費にある。特に年金制度、非能率な国営企業について早急に改善しなければならない。
また、勝手にでっち上げた「
インフレ指数」に合わせ価格・賃金を調整するインデグゼーション(指数化)の習慣も改めなければならない。

91年3月 PTの現実政策への転換

3.08 第一回Força Sindical会議,サンパウロで開催.民営化と規制撤廃を,「現代資本主義の象徴」として非難.

3.13 Rio Maria, PAで,「暴力に抗議し地主達の処罰をもとめる日」行動が展開される.パラ州南部では,民主化以降の5年間で300人以上がテロの犠牲となった.

3.18 ルイス・具志堅PT委員長、「PTはマルクス主義政党ではない。マルクス主義は革命をクーデターと一緒にしてしまった。武力による権力の獲得は、公正な社会の建設を保障しない」と述べる。PT内最左派(トロツキスト系)のジョゼ・フォルトゥナーティ下院議員、「ドグマとしての共産主義は終わった。私企業も企業活動がきちんと限定されるなら存在を許されるべきだ」と語る。

3.19 ルラとサンパウロ産業連盟会長マリオ・アマトと会談。「国民的相互理解のための対話」と銘打つ。会談後ルラは、「ブラジルをこの窒息状態から引き出すこと、富の再分配、文盲の一掃、最低賃金の引き上げなどで意見が一致した。違いはいつそれを具体化するかだ」と語る。

3.25 サンパウロ墓地内に,軍政時代に殺された政治犯たちの秘密墓地が発見される.

91年4月 CUTとCGTの統一ゼネスト

4.08 南リオ州バゲで土地占拠闘争.1人が死亡18人が負傷.

5.22 CUTとCGTの共闘で全国ゼネスト.

91年6月

6.05 軍警察,サンパウロ州オサスコの占拠農民827家族を排除.8人が逮捕,2人が負傷.

6.25 コロル大統領,アマゾン環境保護プロジェクトと対外債務を交換する環境・債務スワップを検討するようモレイラ・ブラジル経済相に指示.

91年7月

7.03 パラ州Ourilândiaの二つの農場で,奴隷として使われていた農民64人が解放される.

7.05 ペルス墓地に埋められた三つの遺体,ALN活動家のものと鑑定される.

91年9月 SNI廃止

9.05 ブラジルとアルゼンチン,共同で核物質の管理・統制にあたることで合意.国際原子力機構の両国への査察を認める.

9.09 CNBB,地方における大地主達の暴力を非難.

9.26 コロール,国家情報局(SNI)の戦略問題事務局(SAE)への改組と,文民長官への変更を行う.さらにSAEの情報収集活動に議会の承認を求める法案を提出.軍は6ヶ月ごとに議会に秘密報告を送ることを義務付けられる.

9月 コロル政権、銀行預金凍結を解除。コロルはクルザードの廃止などでインフレ封じ込めにいったん成功するが、その後短期間でサルネイ政権時代の水準に戻る。

91年10月

10.18 「Grupo Tortura Nunca Mais」,ペルスの秘密墓地の遺体の中から,さらに三人を同定.

10.24 国策企業の象徴とされたウジミナス製鉄所が売却される。民営化に抗議する行動で70人が負傷,13人が逮捕される.

91年11月

11.15 アマゾナス州ジャバリ渓谷の先住民,侵入してきた木材業者を攻撃.

11.20 シングー地方の農業労働者,サンフェリスの市役所を占拠.

11 ブラジル,アルゼンチン,ウルグアイ,パラグアイの南部4カ国によるアスンシオン条約調印.メルコスールの創設が合意される.

91年12月 

12.13 サンタカタリナ州クリシウマの鉱山で,解雇された労働者が会社を占拠.

12 コロール,経済改革のために憲法上の障害を取り除く必要があると宣言.16項目に及ぶ憲法修正案を発表.経済相に女性のセリア・カルドーソ・デ・メロを指名.

 

1992年

1月 PCB,第10回臨時党大会を開催.共産党としての活動を停止する決議。代議員の多数が参加した続開会議で、前委員長のロベルト・フレイレ,綱領からマルクス・レーニン主義を削除.党旗から槌と鎌を削除.党名を社会主義人民党(PPS)にあらためる提案.

1月 Zuleide Faria de Melo党内少数派は新党に加わらず、「ブラジル共産党再建会議」を組織する。翌年、「第10回党大会」を開き、マルクス・レーニン主義を標榜するブラジル共産党(PCB)を再結成。

2月 PCdoB、第8回大会を開催。「社会主義は生きている」(O Socialismo Vive! )をスローガンに掲げる。解党したPCBに代わり、ブラジル左翼の主軸となり、とくに学生層内に影響力を広げる。

92年3月 政府高官の汚職疑惑浮上

3.21 コロル,ルツェンベルガー大統領補佐官(環境問題担当)とマルティンス環境・天然資源総裁を解任.この二人は熱帯林開発をめぐり大統領と意見の対立が続いていた.

3.27 ブラジリアで軍兵士家族が低賃金に抗議するデモ.

3.31 コロール政府の高官の汚職疑惑をめぐる報道が連日展開される.コロールは軍事相,教育相,保険相を除く内閣の全員を更迭.

92年4月 

4.09 コロル,新閣僚6人を任命,組閣を完了.

4.21 ペルナンブコに「Centro Brasileiro de Memória Política」が作られる.六つの州のDops文書が集められる.

92年5月 ファリアスへの内部告発

5.04 共和国司法長官,アラグアイアのゲリラ時代に行方不明となったものの再調査を指示.

5.05 イタマール・フランコ副大統領,与党RPNを離党.

5.15 国営企業Copesulが民営化される.

5.15 アラグアイアのゲリラ幹部Maria Lúcia Petitの遺体が,Xambioá, TOの墓地で発見される.頭蓋骨には銃弾を打ち込まれたあとが残される.

5.25 ブラジルで,先住民族世界会議.先住民の権利回復や地球環境の保護をテーマとして討論.

5.26 議会,国民の声に押され,コロール・プランへの批判を始める.

5 コロールの弟ペドロ,コロール派の有力者パウロ・セサル・ファリアスを汚職と不整蓄財の疑いで告発.証言によれば,コロール一派はすべての政府契約に対し4割のキックバックを要求していた.

92年6月 地球サミット

6.01 議会調査委員会によるファリアス疑獄の調査開始.コロルゲート事件と呼ばれる.

6.03 リオ郊外のリオ・セントロ会議場で,国連主催の「環境と開発に関する国際会議」(地球サミット)開催.183ヵ国が参加,114カ国首脳が出席する.先進国の欠席は,首相空席のイタリアと国会都合の日本だけ.

6.09 「92グローバル・フォーラム」に参加している21ヵ国42の非政府組織,約4万人が,世界ネットワーク「アークアクション」を結成.日本がすすめるカラジャス鉱山地域開発計画が厳しい批判を受ける.

6.14 地球サミットで,「リオ宣言」と「アジェンダ21」が採択される.世界のCO2の24%を排出している米国は,決議に最後まで抵抗.文書に署名せず.

6 レオナルド・ボフ神父,「自由を確保し,妨げられている活動を開始するため」司祭職を辞任.

92年7月

7.07 ブラジリアでコロールの処罰を求める5千人のデモ.

7.13 「政治倫理運動」(Movimento pela Ética na Política)が発足.コロール糾弾を強める.

7.14 テレビ・ドキュメント・シリーズで「反乱者の時代」( Anos Rebeldes)が放映される.軍政時代に抵抗した青年たちをフィーチュア。若者を反コロールの闘いに立ち上げる.

7.15 ベロオリゾンテとベレンでコロール糾弾のデモ.

92年8月 各地で数十万の糾弾集会

8.08 サンパウロでコロール糾弾集会.1万人を動員.

8.11 コロール派,サンパウロに1万5千人を集め支持集会.メンバーに黄色と緑のT-シャツを着せる.

8.11 南リオ州で土地なし農民3千人が行進を開始.

8.14 南リオ州で,先住民カインガンガ族とグアラニ族あわせて200人がイライ空港を占拠.伝来の土地の返還を求める.

8.14 リオでコロール糾弾集会(Ato Fora Collor),8万人を動員.コロール派の黄色と緑に対抗して,黒色の着衣を呼びかける.

8.16 コロール糾弾を呼びかける全国共同声明が発表される.

8.19 サルバドルでコロールを拒否する集会.2万人を動員.

8.21 各地でコロール糾弾集会.サンルイスでは3万人,クイアバでは10万人,ポルトアレグレでは1万5千人を結集.

8.24 議会調査委員会の調査結果,ファリアスの不正行為があきらかとなる.さらにファリアスからコロール家に約655万ドルが振込まれ,ブラジリアの私邸の改築費用に用いられていたことも明るみに.

8.24 リオでコロール糾弾のデモ.15万人が参加.

8.25 コロール反対全国大行動.サンパウロ州各地で合計50万人,アラゴアス州で3万人,その他ペルナンブコ,バイア,パラ,ミナス,パラナ,パライバ州でも記録的な動員.

92年9月 下院で弾劾決議が採択

9.02 アマゾンのマナウスでも2万人のコロール糾弾集会.

9.08 議会,コロールの弾劾決議案に対する審議を開始.

9.16 リオで「コロール拒否行動」に16万人が参加.ほかクリティバ,マセイオ,ブラジリアでもデモ.

9.18 サンパウロのコロール糾弾行動に,史上最大の120万人が参加.

9.29 コロール弾劾の動議,下院で441対38の圧倒的差により成立.下院はコロールの職務を180日間停止,この間に上院が弾劾審議を続けることとなる.職務代行にイタマル・フランコ副大統領.

92年10月 フランコ副大統領の執務開始

10.02 上院でのコロール弾劾審議が開始される.

10.02 サンパウロのカランディル刑務所で約2,200人の囚人が暴動.鎮圧にあたったウビラタン・ギマラエス軍警察大佐は,120名の武装警官を動員.第9獄舎で機銃掃射により囚人を虐殺.犠牲者は,公式発表で11人,人権グループの調査では300人近くに達する.警察は加害者を罰することなく捜査を終了.指揮にあたったギマラエスは,議員となり,上院議長にのぼりつめる.

10.22 フランコ大統領代行,6党の25閣僚から成る新内閣を組閣.SAE長官に海軍大臣のマリオ・セサル・フローレス提督を指名.軍人のSAEトップ返り咲きに不満が高まる.

92年11月

11.22 最高検察庁,コロル大統領を収賄罪などで連邦最高裁に起訴.

92年12月 上院弾劾決議を採択

12.01 先住民ガビアン族の指導者ドミンゴス,マラニョン州アルマランテの政府保留地で密林を伐採しようとした木材業者と対決.銃弾を受け死亡.

12.04 国会議員43名が記者会見.連邦警察長官アマウリ・ガルディノを追放するようフランコ大統領にもとめたと発表.声明によればガルディノは独裁時代に拷問担当官を務めていた.

12.11 アマゾニア州軍司令官 Thaumaturgo Sotero Vaz将軍,アラグイアのゲリラの遺体はXambioá, TOの秘密墓地に埋められたことを明らかにする.Andorinhas, PAの山中では,ゲリラの死体を焼き捨てたことも明らかになる.

12.29 上院,コロールの弾劾裁判を開始.コロールは開廷の冒頭に「裁判を停止させるため大統領を辞任する」と声明.後任にフランコ副大統領が昇格.上院は弾劾審議を継続することを決議.

12.30 上院,76対3の大差により有罪を決定.8年間の公職追放が確定.コロールは最高裁に持ち込み争う意向表明.

 

1993年

93年2月

2.09 アマウリ・ゴルディノ連邦警察長官,アラグアイアのゲリラの遺体捜索を指示.

93年3月

3.03 パラナ州と南リオ州であいついで,土地なし農民の大規模な占拠行動.

3.22 グアハハラとグアハ族先住民100名が,カラジャス=サンルイス間の鉄道建設を阻止.30万ヘクタールの保留地譲渡を要求.

93年4月

4.21 大統領責任内閣制存続か議院内閣制移行かを問う国民投票実施.大統領制支持が57%となる.

4.24 ルーラ,Garanhuns (PE)から São Pauloまでの「市民権キャラバン」を開始.25日間で300の自治体を訪問.

4.28 最高裁判所,コロル元大統領の裁判を開始することを,9判事の全員一致で決定.

4 民主社会党(PDS)とキリスト教民主党が合併し進歩改革党(PPR)を結成.マルーフが総裁に就任.経済界と地方の地主の利益を代表する.急進的な民営化,経済改革,国家の干渉の抑制を打ち出す.

93年5月 カルドゾの蔵相就任

5.26 サンタカタリナで先住民カインガング族が国道を封鎖.

5 フランコ政権4人目の蔵相として,カルドゾ外相が蔵相に指名される.

フェルナンド・エンリケ・カルドゾ: サンパウロ選出のPSDB上院議員.元社会主義者で現在はネオリベラリズムを信奉する.アルゼンチンの成功に倣い,Persio Arida、 Andre Lara、Gustavo Franco(後に中銀総裁)らとともにレアル計画の検討を開始する.

93年6月

6.11 ブラジル労働党(PT)第八回全国大会。左翼色を強めた基本路線「左翼の選択」を決定。党内には社会民主主義者から労働運動指導者、元ゲリラ、トロツキストまで雑多の寄り合い所帯。

左翼の選択: 89年大統領選挙の際の選挙綱領を発展させ、@現在の権力構造と決別し、まったく異なった新しい社会をつくりあげる。A反独占、反帝国主義、反大地主の同盟の形成、を掲げる。

6.15 Belém Maria (PE)の農業労働者組合議長 Amâncio Dias,自宅の玄関で顔に二発の銃弾を受け死亡.

6.21 ファリアス,コロル元大統領に800万ドルを渡したと証言.

6.30 裁判所,ファリアスに対し逮捕命令.ファリアスは直前に海外亡命.

93年7月 カンデラリアの虐殺

7.14 連邦警察の職員が全国25の州でストライキ.

7.23 リオの警官マルクス・ビニシウス・エマヌエルら4人の警官,極右グループとともにストリート・チルドレンを襲撃.リオのカンデラリア聖堂の前で寝ていた少年6人を射殺.さらに現代美術館前で2人を射殺。

7.28 カルドーゾ,ドルを基軸通貨として承認。市場原理(変動相場制)を受け入れることを前提に、ドルに連動した新通貨レアルの導入を決定。

8.30 リオのファヴェイラの一つヴィガリオ・ゲラール(Vigário Geral)に軍警察が突入.女性,子供を含め21人が虐殺される.

93年9月

9.10 上院,国営企業譲渡法(Leilão da Açominas)を可決.外資100%の企業も譲渡対象として認められる.ミナス州で抗議行動.20人が負傷,50人が逮捕される.

9.13 ジョルジ環境長官が辞任,ゴルドマン運輸相,ブリト社会保障相もフランコ大統領に辞表を提出.

9.21 ブラジル民主運動党,全国評議会を開催.任期終了までフランコ大統領を支持する決議.

9.29 ヴィガリオ・ゲラール虐殺事件で警官33人が起訴されるが,多くはそのまま職務を続行.

93年10月 ドスサントス予算局長をめぐる疑獄

10.5 連邦政府予算局長ドスサントス,妻の失踪に関与したうたがいで逮捕される.家宅捜索で現金2百万ドルと偽札3万ドル,百キロの金塊と麻薬を発見.

10.10 雑誌「Veja」 ,「アラグアイアでの対ゲリラ作戦で,ゲリラの遺体を焼却した」とのCorreia Cabralの談話を掲載.

10.15 ドスサントス,「ベジャ」誌とのインタビューで証言.疑惑に関与したとして,32人の政治家の名をあげる.この中には上院議長,MDBの下院指導者らをふくむ国会議員22名,フランコ大統領の補佐官ら7人の現・前閣僚,三人の州知事をふくむ.

10.20 疑惑解明のため,上下両院の22人の議員からなる特別調査委員会発足.疑惑議員の銀行口座調査や関係者の喚問を開始.

10.25 ドスサントスにより名をあげられたハーグリーブス大統領府文官長,容疑を否定したまま辞任.

10.30 疑惑の中心で前下院予算委員長のアルベス議員,自分の収入は宝クジに当たったためと証言.宝クジがマネー・ローンダリングに使われたことがあきらかとなる.

10.30 ベロオリゾンテで,950人の代表が集まり,人民運動センター(CMP)が結成される.

93年11月

11.19 軍警察,Getulina, SPで二つの農場を占拠中の農民6千人を排除.50人が負傷.

11.25 警察,ドスサントスの自白にもとづき,サンパウロ近郊に埋められた妻の遺体を発見.ドスサントスは汚職を知った妻の口を封じるため殺したことを自白,翌日自殺をはかる.

11.25 ゼネコン企業ノベルト・オデプレト社に立ち入り調査.文書40キロを押収.汚職の構造があきらかとなる.

11.29 コロル汚職の中心人物ファリアス,バンコクのホテルで逮捕される.

93年12月 レアル・プラン

12.6 フランコ大統領,大統領官房に特別委員会を設置し,議会調査委員会と協力して政府内部の調査をおこなうことを決める.

12.16 最高裁,公職禁止措置に対するコロル元大統領の不服申し立てを却下.

12.16 サンパウロのヘリオポリスで,スラム住民と軍警察が衝突.25人が負傷.

12月 消費者物価上昇率は2500%、名目金利は7,000%、財政収支赤字の対GDP 比は60%、という経済崩壊状況に陥る。

12 カルドゾ新蔵相,インフレ抑制と財政のプライマリー黒字を目標にかかげ、経済再建「レアル計画」を発表.従来の安定化政策と異なり、財政・金融の引き締めを基本とし、所得政策(賃金・価格の統制)をは行わず.

@財政支出の大幅削減による財政収支の均衡化: 社会支出などにかかる紐付け歳出を時限的に切り詰め。このため憲法に定められた義務的歳出の一部を解除する。
A
州財政への規制強化: 州営銀行による州政府債保有の上限設定、州政府の新規公債発行の一時的な禁止など州の放漫財政に対する規制を強化。
B
URV (Unidade Real de Valor)の導入: ドルとの整合性を確保し、インフレ調整指数を一本化する。URVの定着後、ドルに1:1でリンクする新通貨レアルの発行を目指す。

 93 キューバのハバナで第4回サンパウロフォーラムが開催.ラテンアメリカとカリブ地域の112の参加組織と25のオブザーバー組織(中国共産党,ベトナム共産党を含む)が参加.会議ではキューバ防衛という強い立場を打ち出すとともに,自由開放経済政策の破綻と民衆の反発,及び闘争の高揚という情勢認識を示す.

93年 ベロオリゾンデで「民衆運動本部」(CMP)の結成大会。CMPは、80年に結成された全国民衆・労組運動連合(ANANPOS)から、83年に労働者統一運動(CUT)が分離独立した後もANANPOSとして活動してきたが、今回、市民運動団体の連合組織としての性格をはっきりさせた。

93年 リオ・ギャングのボスCastor de Andradeと13人の幹部が逮捕される。警察の調べでは数百万ドルが議員、警察幹部、判事、経営者、前大統領に流れていたとされる。

93年 パライバ州都ジョアン・ペソアで、ロナルド・クーニャ上院議員が、レストランで食事中の政敵を射殺。

 

1994年

94年1月

1.06 ABC地区の組合幹部Oswaldo Cruzが暗殺される.背景に闇の世界との黒い関係があったといわれる.

1 国会議員の汚職に関する捜査進行.議会特別調査委員会は少なくとも1億ドルが横領されたと発表.ピニェイロ前下院議長ら18議員に対し資格剥奪.リオで政治倫理をもとめる運動が1万人のデモを組織.

2 財政安定化基金(FEE)が設置される.連邦財政収入の20%が繰り入れられることとなる.

94年3月

3.02 フランコ大統領,マルガリーダス・コインブラ運輸相を解任.後任にルベンス・バイマ・デニス国軍東部方面司令官を起用.

3.09 国会、大統領の任期を4年に短縮する憲法修正を可決。

3.11 連邦警察,国内亡命中のルイス・ガルシア・メサ元ボリビア大統領を,公文書偽造容疑で逮捕.

3.23 南リオ,サンパウロ,サルバドルで,CUT=CGTの呼びかけに呼応してレアル・プラン反対のストライキ.

3.30 カルドゾ,大統領選出馬のため蔵相を辞任.後継蔵相にRubens Ricupero.PSDBは右派のPFL,PTBとの連携を選択.この時点でインフレは25から45%に悪化.

3月 4ヶ月の期限付きでドルに概ね1対1で連動する仮想通貨URVを導入。

URV(Unit of Real Value): 当時の通貨であるクルゼイロ・レアル(CR $)建で、為替相場に合わせて毎日変動する。価格・賃金凍結などの非市場的な手段に頼らない、市場による価格調整を目的とする。給与・賃金を始め多くの財・サービスの価格がURV に連動することとなる。アルゼンチンのカバリョ計画の成功に倣ったもの.

94年4月

4.28 元軍警察将校Ubiratan Ubirajara,懲役50年の判決を受ける.パラ州Rio Mariaで,ジョゼとパウロのカヌート兄弟(農業労働者組合活動家)を殺害したことが罪に問われる.

5.17 フランコ大統領,Praia do FlamengoのUNE本部を30年ぶりに返還.

7.17 ブラジル、イタリアを破りワールドカップ優勝。

7.01 カルドーゾ・プランの第三段階として,URVと等価の新通貨レアルを発行。1レアル当りCR $2,750の交換レートに設定される。1ドル=1レアルを下限としてフロートが可能とされる(管理フロート制)。

レアル・プランの骨子
@通貨供給量を外貨準備高に連動させ,インフレを抑える一方,Aドル・ペグ制度によりレアルを米ドルにほぼ連動させ,レアル高を維持しながら,B輸入自由化や関税引き下げにより貿易財の供給量を増やす.C高金利政策をとって海外からの資金を呼び込み,D他方でハイパーインフレ時代の高金利を維持し,信用販売や投資の拡大をスローダウンさせ,もって需要を抑制する.
これは一種の緊急避難政策であり,これによりインフレを押さえ込んでいる間に,根幹原因となっている公共財政の抜本改革を実現するのが本来のねらい.レアル高と高金利を続ければどうなるかは、火を見るより明らかである。

94年8月

8 警官17人をふくむ30人のギャング,リオの貧民街ビガリオ・ジェラルで住民21人を殺害.2日前の警官殺害事件の復讐という.リオではおよそ2千人のストリート・チルドレン。94年度だけで、18歳以下の少年936人が殺されている。(93年8月の記載との異同は不明。多分どちらかが間違っているのでしょう)

8 ストリート・チルドレン殺しの4人の警官が逮捕される.サンパウロ州警によれば,今年上半期で7500人の子どもが行方不明となっており,多くが養子縁組により海外に連れ出された後、臓器を摘出されていると言われる.取り引き価格は一人8千ドル,腎臓はひとつ4万ドルと言う.

8月 大統領選挙前の世論調査.インフレを止めたカルドーゾが43%の支持を集め,ルーラを逆転.

94年10月 カルドゾの当選と左翼の躍進

10.3 大統領選.第一回目投票で民主社会党のカルドゾが54%を獲得し当選.ルーラは予想外の大敗.

10.03 ブラジル議会選挙.労働党は89年選挙に比し500万票伸ばし1700万票を獲得.与党PMDBは各地で苦戦するが107議席を維持,議会内最大政党にとどまる.右派のPPRは三つの州の知事を獲得,国会議員は53名に達する.逆にPDTは33議席に減少.ゴム採取労働者のマリーノ・シルバ(女性)も環境保護を訴え上院議員に当選。

旧共産党系の躍進
PCdoBはルーラを支持.下院議員を5人から10人に倍増.人民社会党(旧ブラジル共産党)もルーラを支持してたたかい,上院議員一人(フレイレ議長),下院議員二人を当選させる.

10.19 最高裁,ルイス・ガルシア・メサ元ボリビア大統領の国外追放処分を決定.

10.31 フランコ大統領,麻薬密売組織を摘発するため連邦軍の出動を命令.

94年11月 軍によるファベーラ摘発作戦

11.19 陸軍と海軍,リオにおける「犯罪とのたたかい」を開始.ファヴェーラを占領し,住民128人を逮捕.拷問を含む強制捜査で,武器や麻薬を押収.

11.26 軍警察,Vale do Anhangabaúで演奏していたラップ・グループのRacionais MC's とRMNを逮捕.PMによればこれらのグループは,演奏とともに犯罪と暴力をあおっていたという.

94年12月 メキシコ経済危機の発生

12.08 アントニオ・カルロス・ジョビン(67)が死亡。

12.12 連邦最高裁,受託収賄罪に問われていたコロル元大統領に無罪判決.

12.17 ブラジル,アルゼンチン,ウルグアイ,パラグアイの4カ国が,メルコスール条約に調印.

12月 レアルプランの効果が出て、プライマリー収支は対GDP 比5.2%の黒字を記録。財政赤字はGDPの4.5%を切る水準に縮小する.経済マクロの安定化は、海外資金流入のブームをもたらす。いっぽうレアル高から貿易収支が逆転し,経常収支赤字が一気に拡大する.さらに高金利政策のもとで翌年にはふたたび赤字に転落。

12月 メキシコで通貨危機“テキーラ・ショック”発生.やがてブラジルにも波及。

消費者物価上昇率: 1993年には2489%、94年には929%。95年には22%に押さえ込まれる。いっぽう貿易収支は、94年の100億ドル以上の黒字から、95年には33億ドル、96年は55億ドルの赤字となり、97年には100億ドルに達した。また経常収支も、94年に17億ドルの赤字だったのが、95年には180億ドル、96年には231億ドル、97年には330億ドルと急激に拡大。
しかし資本収支では、95年に330億5千万ドル、96年は336億4千万ドルの黒字となり、経常収支の赤字を、高金利政策による海外資金の流入で埋め合わす構造。海外資金の流入によるインフレを避けるため、国債を発行し、流動性を吸収した結果、国債発行残高の対GNP比は、94年8・7%、95年11・9%、96年18・1%と増加した。これは当然、高金利とあいまって強い財政圧力となる。

12 軍用機の開発にあたっていた航空機製造会社「ブラジル航空」が民営化される.国営石油会社の下にあった肥料5社が民営化される。

94年 労働党大会,執行部を左派と最左派の連合が握る.新執行部の方針をめぐり六つの派に分かれ争う.

労働党内の系列
最右派 は急進民主派を名乗り社会民主主義を主張する.
中間派 は「団結と闘い」派,カトリック系活動家,ルーラ支持主流の「明解」派右派である.
左派 を構成するのは「左翼の選択」派.これは二つのグループに分かれる.ひとつは「真実の時」派で旧「明解」派内の左派グループ,旧モスクワ派,カストロ派からなる. もうひとつは「民主社会主義」派で,旧トロツキストの一分派を中心とする.
最左派 は「闘う労働党」で,これも二つのグループに分かれる.ひとつは「社会主義の力」で,「人民選挙運動」や「人民行動」など60年代からゲリラ活動を続けてきた生き残り部隊. もうひとつは「労働」派で,70年代の二つのトロツキスト系学生組織「自由」と「闘争」を中心とする.

94 PDT総裁選.五度目の総裁を目指したブリゾーラがエネアス・カルネイロに敗北.この年の議会選挙でPDTが大敗北した責任を問われたもの.

94年 リオの路上に暮らす少年は約2,000人。この年18歳以下の少年936人が殺された。

 

1995年

95年1月 メルコスールの発足

1.01 カルドゾ,大統領に就任.民営化と構造改革を推進すると公約.SAEトップにはソ連,国連大使などを歴任したベテラン外交官ロナルド・モタ・サルデンベルグをあてる.議会腐敗調査委員会を解散し,国内統制局へ移管.

1.01 南部共同市場メルコスル(Mercado Comun del Sur=MERCOSUR)が発足.人口2億人,GDP1兆ドルと,米州における地域統合としてはNAFTAに次ぐ規模を有する.域内最大国ブラジルでは,域内輸出が増加,国営企業の民営化促進と経済安定化を受けて、海外からの資金流入も数百億ドルに達する.企業は空前の成長を達成するが,所得格差が拡大し中間層は没落.

1.03 CPT,91年に4500人が奴隷状態で働かされていたと報告.これは前年度の三倍に当たる.

95年2月

2.06 南リオ州のMST,州内60の自治体から3千人を集め,クルス・アルタまで二日間にわたる行進.農業改革を訴える.

2.16 カルドーゾ,国内産業保護をうたった5項目の憲法条項の修正を提案.世界有数の鉱山会社リオ・ドセを売却,通信システム,電力開発を民有化すると発表.

3 為替バンド制の実施。メキシコ通貨危機後の資金流出と貿易収支の赤字拡大に対応するため,レアルの対ドルでの緩やかな切り下げ政策を実施.為替レートの固定化による弊害を避けるため、ドル・ペグを一定の許容幅(バンド)で維持しながら,輸入規制などの緊急策を実施.

95年5月 ペトロブラスのスト

5.3 国営石油公社ペトロブラスで労働者のスト.1カ月にわたり続く.

5.24 カルドーゾ,パウリニアとカプアバの精油施設を奪取するため,軍に出動を命じる.

95年6月

6.02 1か月にわたった石油労働者のスト,軍の出動により敗北に終わる.

6.29 パラ州サンフェリスで農業労働者と軍警察が衝突.7人の死者を出す.

6.30 政府,賃金と家賃などをインフレ指数にスライドさせる制度を廃止.

95年7月 クルゼイロからレアルへ

7.01 クルゼイロからレアルへの切り替え実施.以後物価上昇率は1カ月1〜2%に低下.失業率もかつてなく低下.インフレが収束したにも拘わらず金利水準は年70〜80%で推移.

7.11 エスピリト・サント電力公社が身売り.リオの証券市場で競売にかけられる.

7.25 政府,独裁政権時代に失踪した136人の名簿を発表.

7 議会,経済関連の5項目の憲法修正案を可決.国内産業の民営化に拍車がかかる.2111%に達したインフレは終息し経済は安定に向かう.物価上昇率は95年66.0%,96年15.5%と劇的に低下し,97年にはついに6.0%と一桁台におさまる.計画を立案したカルドーゾの支持が高まる.

95年8月 コルンビアーラの虐殺

8.09 「コルンビアーラの虐殺」事件.ロンドニア州(アマゾン西南部)コルンビアーラのサンタ・エリナ農場を占拠していた,600家族の土地なし農民を軍警察が襲撃.無差別射撃によって10人が虐殺される.負傷者は125人に上る.農民側の反撃で警官も2名死亡.

8.27 PCdoB,社会主義を目指す綱領を採択.

8月 カルドーゾ大統領、法令9140号を提出。軍政時代以来の136人の死亡について軍の責任を認める。

95年9月

9.05 カルドゾ大統領,生活改善のための公共事業に投資する計画を発表.今後4年間で総額5,000億ドルを見込む.

9 PPR,進歩党と合併.ブラジル進歩党(PPB)を結成.

10  ブラジル小児・青年センター(CBIA)によれば,売春に携わる少女は約50万人.中には9歳以下の児童も含まれる.

95年11月

11.08 上院,ペトロブラスによる石油専売制度の廃止を了解.

11.20 人種差別の一掃を求め,1万人が集会.

12月 輸入の拡大から貿易収支は赤字に転化。

95 労働党大会.左派=最左派連合に代わり、ふたたび中間派「明解」が主導権を握る.

95 ハイメ・レルナー,パラナ州知事に就任.土地なし農民運動に弾圧策で臨む.教会の土地問題委員会によれば,00年までの間に農民16人が暗殺され,31人が生命を狙われ,470人が不当逮捕された.

95年 サンパウロ州知事マリオ・コバス、州財政が破綻状態に入ったとし、公務員20万人を解雇。

 

1996年

96年4月 エルドラドの虐殺

4.12 カルドーゾ、大赦令に署名。受刑者18,000人が釈放される。

4.17 「エルドラドの虐殺」事件.アマゾン東端部に位置するパラ州カラジャス地域のエルドラード町で,農地を占拠している土地なし農民たちの家族が約1200人が集会.その後農地改革をもとめ,州都に通じる国道(PA-150)を占拠.

4.17  マリオ・パントーハ大佐の率いる現地警察150人が、道路封鎖中の農民を包囲し,無差別発砲を開始.19人の農民が虐殺され,40人以上の重軽傷者が出る.地元の土地所有者が土地なし農民の指導者10人を殺害するようパントーハに依頼し、85,000ドルを支払ったとされる。

4.18 カルドーゾ大統領、エルドラド虐殺事件を「まったく許しがたい行為」と糾弾。軍関係者など今回の事件に関わったものを厳罰に処する旨を表明.アルミール・ガブリエル州知事は,パントーハを裁判終了まで停職処分。のちにガブリエル州知事とファビアノ・ロペス州警察総司令官が、軍警察に発砲を指示したことが明らかになる.

4.21 パラ州クリオノポリスで,ガリンペーロ6千人が金鉱山を占拠.3日後,派遣された千人の軍隊が占拠者を排除.ファビアノ・ロペス州警察総司令官は軍警察に発砲を指示.22人を逮捕する.

96年5月

5.03 マスコミの報道により,エルドラド事件の真相が明らかになる.事件は,農民家族を排除するだけでなく,農民グループのリーダー10人の殺害を含む作戦だった.軍警察を指揮したマリオ・パントージャ長官は, 10万レアル(ほぼ1050万円)をその見返りに要求した.一農場あたり50万円が農場主から集められた.虐殺者の中には,中心的役割を果たした農園主ピリニオ・ピニェイロ・ネートの部下も加わっていた.

5.06 ブラジル農業労働者総同盟(CONTAG),政府にビデオテープを提出.パラ州知事と30人の地主との会合で,地主側が土地なし農民に対する強硬な弾圧を取るよう要求する場面が記録されている.パントージャ長官は,軍警察の調べに対し,一部の部下が偶然に発砲したもので州知事からは命令を受けていないと証言.

5.22 国営電力会社、17億ドルで民間会社に払い下げられる。つづいて国有鉄道の民営化も開始される。

5 エルドラド事件で,パラ州の警官155人が殺人罪で起訴される.

96年6月

6.03 土地なし農民三千人がサルバドルのINCRA事務所を占拠.職員3人を人質に取り立てこもる.3日後に降伏.

6.21 CUTとCGT,失業反対のゼネストを提起.

6.23 Paulo Cesar Farias、海辺の別荘で心臓を射抜かれ死亡。愛人がファリアスを殺した後自殺したとされる。

6.30 アクレの活動家Itamar Pascoalが暗殺される。遺体はチェーンソーでばらばらにされ、目玉はくりぬかれていた。15歳の息子も焼死体で発見。犯人はJose Hugo Alves。アルベスは半年後に、何者かにより誘拐・殺害され、硫酸液の中に漬けられているところを発見された。

7.28 ブラジルの若者の死因の1位は殺人であると発表(25.3%)

6月 MIT経済学者のRudiger Dornbusch、レアルは30-40%の過大評価となっており、1,2年内に崩壊する可能性があると指摘。

8月 リオで孤児救援活動を続けるYvonne de Melloに国際市民賞が贈られる。

96年9月

9.11 「死亡者・行方不明者に関する特別調査委員会」,軍政時代の犠牲者マリゲーラ,ラマルカ,ジョゼ・カンポス・バレートについて国の責任を明らかにする.

9.21 黒人を対象とする雑誌Raca Brazilが発刊され、5日間で20万部を販売。

9 カンジール法(Lei de Kandir)が制定される.輸出品を商品流通税の課税対象品目リストからはずす.これによって州の商品流通税収は打撃を受ける.

96年10月

10 政府,13項目にわたる財政改革案を策定.増税と歳出削減による約65億レアル分の赤字縮減を目標とする.

12 進歩派のフランシスコ・グラズィアノ入植・農地改革院(INCRA)総裁,大統領官邸の電話盗聴を命じたとされ,事実上の解任.保守派の陰謀とされる.

96年 エルサルバドルで第6回サンパウロ・フォーラムが開催される.EZLNの提起した「大陸間会議」への連帯を表明.社会主義的未来へむけての討論,移民の権利等での具体的行動のための討論が中心となる.

96年 政府統計によれば、既婚女性で妊娠可能な年代の40%が不妊手術を受けているとされる。

96年 「再建会議」、PPSとの名称問題をめぐる争いの後、ブラジル共産党(PCB)の名称で政党登録。

 

1997年

97年2月

1.07 政府、カラジャスの鉄鉱山の株51%を売却すると発表。サルネイとフランコ元大統領、ルーラ大統領候補がいずれも絶対反対の態度を表明。カラジャス鉱山は世界の鉄鉱石の25%を生産し、さらに400年採掘可能とされる。

2.17 MSTによる「農地改革,雇用,正義のための行進」.活動家1.300人が, S. Paulo, Rondonópolis (MT) , Governador Valadares (MG)を出発. Brasíliaを目指して行進を開始.農業改革の推進を訴える.

3.03 サンパウロで隠しカメラが、三夜にわたり警官の暴行を記録。15人が警官から暴行され、うち一人は射殺される。

3.07 著名法律家13人が,ブラジリアで,カルドーゾ政権を批判する声明.

3月 カルドーゾ、世銀から1億5千万ドルの借款に成功したと発表。この資金は東北地方で土地なし農民の入植地を購入・整備するために当てられる。

3月 ミナス州アブレ・カンポでPTの地方議員・地区責任者のイヴァン・チャベス・テセーラが射殺される.

97年4月 農民の5万人集会

4.14 PT, PDT, PSB and PCdoBが議会内で野党連合を結成.勢力は100人に達する.

4.17 ブラジリアで「エルドラドの虐殺」一周年記念集会.4月17日を「国際農業改革デー」とすると宣言.「農地改革,雇用,正義のための行進」,1500人が1200キロを歩き通した末ブラジリアに到着.延べ参加者は3万人に達する.ほかにCUT,JOINなどのキャラバンも結集,集会参加者は5万人となる.

4.29 裁判所、国営鉱山会社Companhia Vale do Rio Doceの民営化を差し止める決定。

4月 政府、MST活動家2人が暗殺されたのをきっかけに、ジャコメッティ木材会社に38,000エーカーを6,000家族に引き渡すよう命令。ジャコメッティ社は44万エーカーを所有する。

5.02 識字運動に取り組んだ世界的教育学者パウロ・フレイレが死亡(76歳)

5月 国営企業の中心として資源開発事業を担ってきた鉱山会社リオドセ社の民営化が始まる。

97年6月 警官ストが全国に波及

6.04 大統領再選を可能とする憲法修正案が,上院で可決される.任期は5年から4年に短縮.

6.08 武装集団が Nazaré da Mata, PEで土地占拠農民を襲撃.2人が死亡,6人が負傷.

6.12 ミナス州で低賃金に抗議する軍警察のストライキが始まる.4万2千人が闘争に参加.

6.18 政府委員会,軍政時代に死亡した59人について賠償請求権を認める.

6.18 議会,通信事業の民営化を承認.

6.24 スト中のミナス軍警察官4千人が,州政府ビルに押しかけ,反スト派の警察官と対峙する.これを抑えるために軍隊が乗り出し,48%の賃上げで合意.このあと警官ストは27州中15の州に拡大。

6月 東南アジア諸国でバブル経済の破綻に端を発した通貨危機.株式市場は暴落.

97年7月 インフレ鎮静化と景気低迷

7.09 カルドーゾ,議会において公務員の賃金凍結を解除すると表明.警官ストへの対応が狙い。

7.12 北東部アラゴアス州で警官のストライキ.原因は9カ月におよぶ賃金未払.鎮圧のため派遣された軍と市街戦となる.

7.16 ペルナンブコで軍警察のスト,23日間にわたる.争議はレシフェ市民警察にも波及.18,000人がストライキに参加。犯罪・殺人発生率はただちに上昇。このため軍兵士3千人が秩序維持活動に動員される。

7.16 上院,石油産業の民営化を承認.

7.25 マトグロッソで軍警察のスト,2週間にわたる.

7.31 「サンパウロ・フォーラム」.ラテンアメリカの左翼政党・組織がポルト・アレグレで会議.

7月 カルドーゾ大統領,レアル・プラン実施以来の3年間で,インフレ率が 5.8%にまで低下したと発表.インフレ率はプラン直前に 5,000%を超えていた.一方,経済成長率は △0.2%から +4.2%に改善.一方で,高金利により連邦や州・市の債務が増大し,内債累積問題が深刻化.国内産業の衰退が失業率と貧富の差拡大に拍車をかける.行き所を失った資金は不動産に流れる.

7月 アジア諸国で金融危機。金利よりも安全を求めて、国際資金が米国債に向け大量に移動。「質への逃避」とよばれる。高金利を根拠とするレアルの過大評価傾向が一層問題視されるようになる.ブラジル政府は基準金利を20・7%から43・4%へ引き上げることでレアルの防衛に成功。しかしその結果、債務利払いの対GNP比は、97年の2.7%から98年上半期の5.17%に急増。

97年8月

8.04 米国資本の運送会社「ユナイテッド・パーセル」で,19万人が参加するストライキ.二週間にわたる.

8.08 連邦区内のファヴェーラのひとつEstruturaで,住民と軍警察が4時間にわたり対決.20人が負傷.

97年9月

9.19  Itaquiraí, MSで,7千人が参加する土地占拠闘争.

9.21 PT指導部,ルーラを大統領選候補に指名PDT, PSB, PCdoBとの連合を視野に置く.

9.27 Quixeramobimに35万ドルをかけてカヌードス記念公園が建てられる。Conselheiroの銅像20体が建てられる。10月には映画「カヌードス戦争」も公開される。

97年10月 アジア金融危機の波及

10.03 先住民Guarani-Kaiowa族で結核が流行。過去15ヶ月で少なくとも27人が結核により死亡。

10.06 カルドーゾ,サンパウロ州を遊説.労働者・学生が抗議行動を展開.10人が負傷.

10.14 ブラジル訪問中のクリントン大統領の車列を学生など50人が取り囲み,専用車に汚物を投げる.

10月 PTのペルナンブコ州委員長マノラ・ダ・シルバ,暗殺される.後継者のセシロ・ルカス・デ・ラ・ペーナも98年6月に暗殺される.

10月 東南アジアの金融危機がブラジルに波及.経常収支赤字が大幅拡大.対GDP比 4.4%に達する.これを短期資金で補うため、対外債務比率は対GDP比 23%に.レアルへの不安を理由に,投下資本の海外還流が強まる.

97年11月

11.03 コンタグとMSTの主催で,ラテンアメリカ農民組織連絡会議が開かれる.ブラジリアに24カ国420組織の代表が集まる.

11.05 パウロ・マルーフ,カルドーゾとの会談後与党支持を明らかにする.

11.07 ユネスコ、ブラジル人口の7割が黒人と発表。政府統計では44%。一方国会議員594名中黒人は12人にとどまる。

11.10 カルドーゾ政権,51項目の「財政調整政策」を発表.公務員3万3千の解雇などにより総額197億レアルの赤字縮減を見込む.高金利政策により,実質金利は年率40%を超える.自動車販売台数は15%の減少.歳出削減策はほとんど実施されずに終わる.

11.13 裁判所、153人の現職警官および9人の退職警官に出頭を命じる。66年の土地なし農民19人の殺害にかかわったという容疑。

11.22 社会緊急基金の期限延長を柱とする憲法修正が議会で成立。これにより政府は財政改革のための資金を獲得。

11月 政府、疫病で絶滅の危機に瀕したヤノマニ族保護のため、金掘りを保留地内より強制排除することを決定。

97年12月

12.08 米州人権委員会、リオの浮浪者狩りについて報告。過去1年間、毎月20人が軍警察により殺害されていると非難。

12.28 Sorocaba刑務所の受刑者が600人以上の人質をとり篭城。待遇改善をもとめる。3日後に交渉が妥結、反乱は流血なく終結する。

97 国会選挙施行.PFLが第1党となる.PDTは復活を狙うブリゾーラに反対し二人の州知事が離党.瓦解の危機を迎える.

97年 連邦政府は州政府の債務引受けに踏み切る。州政府は州政府企業や州営銀行の民営化など「財政再建・調整プログラム」の提出を求められる。

 

1998年

98年1月

1.09 PCdoB,大統領選でルーラを支持すると表明.

2.22 映画「セントラル・ステーション」(Walter Salles監督)がベルリン映画祭で金賞を受賞。

98年3月 「神の街」事件

3.06 パラ州のゴイアス農場を占拠した520家族に対する排除作戦.反対闘争を指導したMST活動家パラウペバスが,殺し屋に射殺される.農民は29日にふたたび占拠.

3.23 「神の街」事件発生.11人の市民が壁に向かって並び,6人の警官が殴った.警官は彼らをからかい,脅し,金を奪った.吐き気を催すこの光景はビデオに収められテレビで放映された.カルドーゾ大統領は拷問を禁止する法案に署名した.さらに全国人権局の設立を発表した.局長には前司法長官のホセ・グレゴリが指名された.

3.31 国立大学教員の全国スト.41日後に部分的勝利を得て終結.

4.30 ノルジスチへの緊急援助が始まる.4月から5月,エルニーニョ現象の影響で,1983年以来の大干ばつに見舞われる.

98年5月 ノルヂスチの食糧暴動

5.01 CUT,失業者救済をもとめる行進を開始.活動家1500人が参加.

5.08 飢えに苦しむノルジスチの1千万人に、食料の緊急空輸作戦が開始される。

5.12 左翼4政党,ルーラを大統領候補に,ブリゾーラを副大統領候補に指名.左翼の団結を呼びかける.

5.19 大統領官邸(Planalto)に入ろうとした2500人の市長を,警護隊が阻止.

5.20 CUTの組織した15千の行進団がブラジリアに入る.軍警察2500が入市を阻止し乱闘となり,21人が負傷.

5.20 Xucuru族の指導者Cariri Chicão Assis Araújo,Pesqueira, PEで暗殺される.

5.27 北東部で,農民たちがスーパーマーケットや食糧倉庫を襲撃し略奪.ペルナンブコ州アラリピーナ市では,三千人の農民が大型倉庫に押し入りすべてを持ち去る.カトリック教会は,人が飢え死にしてはならないこと,生き延びるための食糧を得る権利があると認め,政府の対応の遅れに暴動の責任をもとめる.

98年6月

6.12 旱魃の犠牲者,ペルナンブコ州Sta Maria da Boa Vistaで,食料を積んだ車を略奪.

6.22 ペルナンブコ州セセウで,農村活動家Cícero La Penaが射殺される.

6.21 日本人移民90周年式典.

6 政府,ノルデステへの食料支援を開始.同時に「土地無し農民運動」(MST)が組織的略奪を扇動していると非難.

7.08 リオ国立大学で,学生・教官・職員が学長室を占拠.カルドーゾの重税政策に抗議.

7.29 ブラジル政府、Telebras電話会社を190億ドルで販売。

7 メキシコ通貨危機に続き,ロシア危機が発生.IMFはロシアに対し総額220億ドルにのぼる国際資金援助を行うが、資金のほとんどはルーブル買い支えで消費される。

98年8月 ロシア危機

8.03 MST,75の部隊からなる「ブラジルのための行進」を立ち上げる.

8.17 ロシア,ルーブル切り下げと90日間の外債償還の一方的停止を宣言.ロシアでの金融危機は,すぐ中南米へも飛び火.ほとんどの中南米諸国の通貨が軒並み売られ,うちコロンビア等は通貨の切り下げに追い込まれる.

ロシア危機がブラジルに飛び火した理由
ロシア国内短期国債や株式を大量に購入していたヘッジ・ファンドなど欧米系金融機関は,多額の損失を蒙る.キャッシュ不足に陥ったこれらの金融機関は,損失の穴埋めのため中南米の株式、債券や米国ジャンク債などの高リスク資産を一斉に圧縮し現金化.質への逃避(flight to quality)と呼ばれる.
なかでも流動性が高いブラジルのブレイディ債が大量に売られたことから,ブレイディ債の利率が大幅アップし,ブラジル国債を所有する投資家がブレイディ債に乗りかえる.この結果巨額の資金が流出する事態を迎える.

8.20 ロシアの債務危機に始まる金融混乱がブラジルに波及.国際金融資本がロシアでの損を回収するためレアル売り、ドル買いに出る.9月初めの3日間だけで23億5000万ドル,9月の一ヶ月間に215億ドルの外貨が国外流出.7月末には694億ドルあった外貨準備が,ドル売り介入による流出で、8月末には 665億ドル,9月末には 450億ドル程度と急減.

8.24 ブラジル政府,外資流出を抑えるため,外資の国内での運用の弾力化や短期資金導入規制の緩和などの措置.27日には短期外資ファンドへも税軽減等の措置.さらに国際金利の大幅引き上げも検討(要は財政のサラ金化)

8.25 「カンデラリア虐殺」事件で元軍警官に204年の実刑判決

8.30 政府,今年GDPの成長率2%達成は厳しいと発表.

98年9月 ブラジル金融危機の開始

9.03 カルドーゾ大統領,10月4日の大統領選を控えて780万人分の新規雇用などの第2期政権の政府計画案を発表.統計局調査では,レアル計画発効から4年間で雇用が24.3%減少.

9.03 為替に続き証券でもパニックが発生。サンパウロ証券取引所の株価は、9月最初の10日間に41%下落する.格付け会社Moody'sは,ブラジル外債のカントリーリスクをB-2に格下げ.

9.04 ブラジル中銀,市中銀行への貸出金利を一気に10%引き上げ.11日にはさらに20%引き上げ.事実上貸し出し停止に近い金利49.75%に達する.末端金利は年間150-250% に達する。

9.06 カストロ,ブラジルを訪問.カルドーゾおよびルーラと会見.

9.08 土地なし農民運動(MST)が,農地改革の遅れに抗議しサンパウロの政府事務所を占拠.政府はサンパウロ州での農地改革手続きを中断.

9.10 政府,財政赤字(GDPの約7%)の拡大を中長期的に抑える方針を発表.しかし高金利の下で生み出されている財政赤字については言及なし.

9.11 10月の大統領を控えた各種の世論調査,カルドーゾ大統領がルーラ候補を圧倒.IBOPE調査ではカルドーソ支持は47%でルーラ候補の23%を大きく上回る.

9.12 ブラジル金融危機は、大量の投資を行っていた米国大手金融機関の危機をもたらす。米財務省は,ブラジル救済(という名の米国金融機関救済)のための緊急プログラムを検討.

9.15 米財務省,IMFに新たに融資枠を設け,ブラジルに400億ドル以上の資金をつぎ込む計画.財務省の意向を受けたIMFはレアル支援へ乗り出す.欧州の各中央銀行は,160億をブラジルに注ぎ込んだウォール・ストリート救済のための財務省案に反発.交換条件としてレアルの切り下げを要求.

この時点で米金融機関の中南米向け融資残高は,シティコープ155億ドル,バンカーストラスト24億ドル,JPモルガン40億ドル,チェースマンハッタン136億ドル,バンカメリカ113億ドル,バンクボストン54億ドルなど.また,独・仏・英・スペイン4カ国の合計も1200億ドルを越える.

9.15 ブラジル政府、米財務省プログラムに対応して利率を19%から29.75%に引き上げるなど外資流出を回避するための緊急対策を検討.当面、最大手の電力会社「GERASUL」売却により10億ドルを期待.

 9.16 リオ警察による違法逮捕や過剰取り締り事件が頻発.捜査に伴なうトラブルで,今年に入って51人が死亡.市民の犠牲者は1日平均2人,これに対し警察官の死者数も13人にのぼる.

9.18 カルドーゾ大統領,これ以上の緊縮財政は困難であり、必要なのはあらたな基金創設と緊急融資であることを強調.IMFの伝統的な支援スキームを拒否.

9.25 米連邦銀行,米国の14の主要銀行の代表を召集.36億ドルにのぼるLTCMの救済計画で合意.この後焦点は米民間銀行の主要貸付先ブラジルの救済に移る.

9.30 連邦準備制度理事会(FRB),IMF・世界銀行の年次総会を控え,公定歩合の0.25%引き下げ.貸し出し規制を緩和することで、ロシア・ブラジル危機にゆれる米金融界に支援.

9.30 危機発生以来1ヶ月で、300億ドルがブラジルから逃避する。

9 カルドーゾらの秘密資産を暴く怪文書が出回る.事件を公表しないとの条件で金銭を要求する恐喝が行われる.文書の内容は,カルドーゾ大統領らが役員をするケイマンのペーパーカンパニーに3億6800万ドルの資産があるというもの.

9月 連邦捜査官、アラゴアスの警察中佐マノエル・カバルカンテを拘留。カバルカンテは警察官50人からなるグループを率い、暗殺・銀行強盗・車窃盗・武器取引など数々の犯罪行為に手を染めていた。彼らの殺人の定価は農村労組指導者なら440ドル、有名政治家なら4万4千ドルとなっていた。

98年10月 IMFのブラジル「支援」決定

10.01 IMFと世銀、約300億ドルの緊急融資パッケージについて原案をまとめる。

10.03 G−7諸国が相次いで,ブラジルへの支援をすすめる声明.

10.04 総選挙(大統領選および連邦上下両院議員)実施.PSDB=ブラジル民主社会党のカルドーゾ大統領が53%の得票率を上げ,第1回投票で再選を決める.野党連合のルーラは32%にとどまる.第三位はシロ・ゴメス.また24日に行われた州知事(26州と首都ブラジリア市長)選では,連立与党(5党)が21州で勝利.反政府派はRS, RIO, AL, MS, ACで勝利.ミナス州では反カルドーゾ姿勢を打ち出すイタマル・フランコ前大統領が当選.

10.04 22カ国蔵相・蔵相代理会議が開かれる.米財務省=IMFの作成した400億ドルのブラジル救済計画に議論が集中。欧州の各中央銀行は、露骨な米金融機関救済策に強く反対.@20%〜30%過大評価されているブラジルの通貨を即時切り下げること,A当事者である米民間金融機関が適正な救済コストを負担するようもとめる.通貨切下げによる資産損失を恐れる米国側は,レアル切り下げを拒否.

10.08 ブラジル政府、IMFに支援を要請.IMFは,@通貨価値の維持,A資本移動規制はしない,B経済構造改革を進めるという三点でブラジルと合意したと発表.経済構造改革とは、マクロだけでなく産業政策もふくめた財政への全面介入を意味する。

10.09 ワシントンでIMF・世界銀行の総会.中南米に広がった危機を抑えるためブラジルに融資を行う方針を発表.世銀・IDB,社会保障,行政,雇用,金融部門等の構造改革を支援していくことで合意.

10.15 米議会,IMF総会決定を受け,IMFに対する180億ドルの拠出を承認.米政府はこれを基礎に各国と交渉をすすめる.

10.28 マラン蔵相,三ヵ年にわたる財政安定化計画を発表.総額235億ドルの財源を捻出する計画.同時に管理変動相場制を堅持する姿勢を明らかにする.IMFはブラジルの財政赤字削減計画の実施決意を歓迎.さらに迅速な対応を求める.

財政安定プログラム: 2001年までに財政収支を黒字にすることを目標とする。黒字幅はGDP比2.3%に設定される。このために、年金改革、行政改革による支出の削減。地方交付金の削減。財政責任法の法制化で財政均衡に対する責任の徹底。人件費を歳入の60%以下と定めたカマタ法の実施。さらに増収策として社会保険費用、暫定金融取引税の税率アップなどが盛り込まれる。

10月 アラゴアス州コルリペで,PT地区委員長ホセ・リバマル・アルベス・ゴディムが,何者かにより射殺される.

98年11月

11.8 週刊誌「エポッカ」,カルドーゾ政権への恐喝電話盗聴事件を暴露.政府は,徹底調査を捜査当局に命じる.

11.13 IMFのカムドシュ専務理事,今後3年間で総額415億ドルを融資する国際支援策を発表. 内訳はIMFが180億ドル,世界銀行と米州開発銀行(IDB)がそれぞれ45億ドルを拠出し,そして残り145億ドルを先進20か国が融資するもの.米国は50億ドル,日本は12億5000万ドル程度.

11月末 管理フロート制によるレアル高をついて、投機資本が売り浴びせをかける。海外資金流出は3ヶ月間で約300億ドルにのぼる。いっぽうで、高金利を受けて国債残高は2千億ドル(GDP比8%)に達する.この国債償還がそのまま財政赤字として跳ね返る.

98年12月 年金改革の挫折

12.03 財政健全化の柱である公務員年金改悪法案が,議会下院で否決される.与党連合(PSDB, PMDB, PFL, PPB)の議員101名が他の95名の野党勢力とともに反対票を投じる.1ヶ月後に再提出され可決される.

12.08 ブラジル政府,IMF支援の見返りとして,今後1年間で通貨レアルの7.5%切り下げを行うと発表.実質的な切り下げ否定を受け、レアル高政策に対する不信感が募る。

12.17 ブラジル中銀,IMF融資を受け,市中貸出金利を42%から36%に引き下げ.しかし禁止的高金利であることに変わりなく、レアル高による輸出不振も手伝い、産業界はほぼ窒息。

12.21 MST活動家Jurandir dos Santosと Roberto de Oliveiraの射殺死体,サンパウロ州サンジョゼ・ドス・カンポスで発見される.

12.27 「パルマレス農民運動」の活動家José de Souza,パラ州パラウペバスで殺し屋の待ち伏せにあい,殺害される.

12月 政府,外貨流出が続くなかで,追加財政改善(増税)措置を発表.外貨準備は、7月の702億ドルから年末には362億ドルまで低下。世界金融市場にブラジルの財政再建への不安感が広まる。

 

1999年

99年1月 為替制度の破綻

1.01 カルドーゾ,二期目の大統領に就任.

1.01 IMFとの合意にもとづく「財政安定化計画」に、議会、企業、地方自治体はいっせいに反発.

1.05 解雇された金属労働者2800人,工場に入り仕事を始める.工場は生産ラインを止めて労働者を排除.

1.06 ミナス・ジェライス州知事イタマル・フランコ(前大統領),財源不足を理由に債務モラトリアムを宣言.連邦政府に対する州債務150億ドルの償還を90日間凍結し、2億ドルのユーロ債,1億ドルの対米債務の償還も遅らせる.ただちに6州の知事が支持を表明.

1.06 財務長官,ミナス州発行のユーロ債の2月分償還が不能となる可能性を示唆する.ブラジルの経済先行きへの不安により株価が大幅下落.IMFとのコンディショナリティを遵守できないとの懸念から、ふたたび大量の資本流出が始まる.

1.07 世銀から10億1千万ドル融資 カルドーゾは社会的弱者救済などへふりむけると発表.

1.08 グスタボ・フランコ中銀総裁が辞任の意向との情報。翌日までに約30億ドルが国外流出.レアルの割高感,財政赤字の深刻化などを背景に市場の切り下げ圧力は強まる.

1.13 フランコ中銀総裁,「高金利政策が国内不況を招いたことの責任」をとるかたちで辞任.真相はカルドーゾ大統領が,通貨レアルの切り下げに抵抗するフランコ中銀総裁を更迭したもの.次期総裁にはフランシスコ・ロペス経済・通貨政策局長が就任.

1.13 ブラジル中銀,為替バンドの対ドル変動幅を9%に拡大(実質的には9%切り下げ).政府は高金利政策を緩和することが目的と強調.これをきっかけにふたたび金融危機に襲われる.この日の国外資本流出額は11億ドル.翌日はさらに18億ドル.

1.14 ニューヨーク市場、ブラジル金融危機をきっかけに前日比261・58ドル安と暴落。欧州株式市場も全面安となる。

1.15 この日レアル引け値は1.43。新変動相場圏の下限を越えて下落するが,ブラジル中銀はこれを放置すると発表.為替介入を放棄.レアルの事実上の変動相場制への移行.これによりレアル・プランのシステムは、軟着陸の機会をもてないまま崩壊.

1.18 中銀は通貨政策委員会を緊急招集.レアルの自由変動相場制への移行を発表.新制度は為替バンドや相場の誘導水準等は示さない完全な変動相場制であるが,「中銀は,相場が急激に変動した時は為替市場への介入を実施する」こととなる.(今がまさにそのときなのだが)

1.18 変動相場制への移行によるレアル暴落と悪性インフレに備え,基準貸出の停止,緊急貸出金利の35.5%への引き上げを決める.累積対外債務は2千億ドルを超え,単年度支払い義務は900億ドルに達する.経済界は株価高騰の思惑がらみで歓迎.

1.18 七つの州(MG, RJ, AC, MS, RS, AP e AL)の知事が共同宣言「ベロオリゾンテ文書」を発表.連邦政府への 1年間の利払停止,債務返還遅延への制裁を行わないこと,州と連邦政府の債務交渉の即時開始をもとめる.

1.20 ブラジル下院、昨年の12月国会で否決した公務員の社会保障負担金増額法案を可決。

1.26 世界銀行,ミナスジェライス州の債務返済能力が不透明な限り,同州への新規融資は承認しないと声明.

1.26 再議に付された公務員年金改革法案が上院で採択される.他に小切手税法など財政健全化策関連法案の約7割が議会の承認を得た.

年金給付に際し保険料として11%を天引きし,現役及び退職公務員の月1,200レアルを越える所得部分に対し,9%の追加保険料を課す.
ブラジルでは民間よりも公務員の方が年金支給額が高い。多くの公務員は50歳で退職し、現役最後の給与額をそのまま年金として受け取っている。国家財政に対する比率は教育、医療、警察などよりも大きく、年金赤字はGDPの5%にもなる。

1.26 フィッチ社の格付けではレアル建て国債はジャンク債並みの「シングルB」に落ちる.

1.27 99年度予算案が成立.11月のIMF支援決定時の財政改善目標値が織り込まれる.

1.29 ブラジルの主要銀行で,相次いで取り付け騒ぎ.銀行閉鎖,国内債務モラトリアム,預金封鎖,マラン蔵相辞任などの噂が飛び交う.

1.29 為替相場は1ドル=2レアルを超えて下降.カルドーゾ大統領はあらためて為替管理・口座凍結を否定.中銀の外貨準備は1年で200億ドル減少し344億ドルとなる、1月度だけで外貨の流出は82億ドルにのぼる。

1.31 IMF代表団,ブラジルを訪れ,政府代表との実務協議を開始.

99年2月 ソロスの番頭が中銀総裁に

2.02 カルドソ大統領,ロペス中銀総裁を更迭.ソロス基金の会長アルミニオ・フラガ・ネトを中銀総裁に任命.フラガは元中銀国際局担当理事で,退任後ジョージ・ソロスの会社に迎え入れられた.マスコミは「きつねに鶏小屋を守らせるようなもの」と酷評.市場は新人事を好感し,為替は 1.7台まで戻す.

2.04 政府とIMF,レアル安を容認した緊急再建計画で合意.財政再建計画を2年前倒しし,2001年に公共債務の対 GDP比を 46.5%以下に持っていく方向を確認.財政黒字目標を当初のGDP比 2.6%から 3〜3.5%に上方修正.他に中銀の独立性確保などの政策目標で合意.

2.04 ブラジル政府とIMFの合意を受けたルービン米財務長官、「今のところ、金融危機の中南米への波及はみられない」と発言。

2.10 ミナス・ジェライス州ユーロ・ドル債の償還期日到来.政府,ミナス州の外債の半額を,肩代わり返済すると発表.連邦政府が差し押さえた同州の預金を原資に一部補填.同時に,ミナス州への交付金を凍結するなど法的な対抗措置を発動.

2.12 メネム=カルドーゾ会談.ブラジルの対アルゼンチン輸出急増対策を協議.メルコスールの結束を再確認する.カルドーゾは,輸出が急増する場合は対応措置を採ること,消費財輸出補助制度を廃止することを約束.

2.13 98年度のアマゾン川流域の森林破壊面積は前年比27%増だったことが明らかになる.

2.14 ブラジル政府、新たに30億レアル(約15億8千万ドル)の歳出削減計画を発表。

2.21 カルドーゾ,EUに南米南部共同市場(メルコスル)への市場開放を要請.

2.25 サンベルナルドのフォード社で労使が和解.首切り反対闘争が終結.

2.26 外貨準備高は,264億ドルで最低を示す.これは危機開始直前の三分の一.1レアルは0.83ドルから0.48ドルに減価。中銀短期金利,45%まで上昇,最高を示す.

2.28 ソロス、「ブラジル危機は重症」と述べる。

99年3月 IMFとの新合意

3.01 変動相場制への移行以来の最安値を記録。1ドル=2.15レアルまで下降.レアル安を背景に輸出が一気に拡大。アルゼンチンが標的となる。

3.04 中央銀行のフラガ総裁,金利を最大の45%まで引き上げ。「外国為替市場の変動相場制を維持し,インフレ目標を設定して再建を図る」と述べる.

3.04 MST,ポルトアレグレ(南リオグランデ州)の州財務省事務所を新たに占拠.政府は,MSTが公的施設を占拠しているペルナンブコ州,ゴイアス州,南リオグランデ州およびマトグロッソ州での農地改革交渉を中止すると発表.

3.08 ブラジル政府とIMFとの経済計画修正案合意.「GDP実質3.5%〜4%のマイナスから,2000年以降は持続的な成長を維持する」との想定に基づいて計画が策定される.IMFはブラジルの経済改革支援のため,49億ドルの第二次融資を実行すると発表.

3.16 IMF、米州開発銀行などは危機が長期化するだろうと予測。ルービン発言を事実上訂正。

3.21 土地無し農民運動(MST)のメンバー5165家族,ペルナンブコ州28市町村で41か所の農場(5万800ヘクタール)や精糖施設を占拠.国家農地改革植民化院に対して,休耕地の収用と農民への配分を行うよう圧力.

3.24 連邦裁判事、25%の賃上げをもとめ山猫ストライキ(wildcat walkout)。

3月 失業率は過去最悪の10%を越える。ブラジル工業生産の40%を占めるサンパウロ州では、19・9%という記録的な水準に達する。為替レートの引き下げに伴い、1月からの物価上昇率は2.7%を越える。

99年4月

4.14 British Gas と Shell 石油,元国営企業 Comgás 社を16億レアルで購入.

4.23 政府,空軍による欧州への麻薬密輸容疑について捜査結果を発表.先に逮捕されたアマゾン領空管制責任者のパウロ・セルジオ・ペレイラ空軍中佐の他にも,麻薬密輸に関与している軍人がいると認める.ブラジル航空省は昨年10月から空軍の麻薬密輸疑惑の調査をつづけ,レシーフェ空軍基地でマジョルカ(スペイン)およびパリ(フランス)向けの空軍輸送機の中から純度の高いコカイン32.9キロが発見された.

4.26 パラ州のMST,1600家族とともにIncra de Marabaの農場を占拠.最近4ヶ月でMSTの指導する土地占拠が244件を数える.地主側は,占拠された土地の1/3は耕作地であると主張.

4.29 フォード社,南リオグランデ州(Olívio Dutra知事)の厳しい規制を嫌い,Guaíbaへの新工場建設を断念.規制の緩いバイアでの展開を目指す.

4 「財政責任法」が議会に提出される.金融取引税の引上げ,社会保険負担金の増加,連邦政府職員年金制度の改革,財政安定化基金の拡充を柱とする.

4月 ブラジル議会,麻薬取引の実態を把握するため麻薬調査委員会を設置.その後1年余りの調査機関に調査員・協力者30人が殺害される。

ブラジルと麻薬
ブラジルは世界第2位のコカイン消費国.麻薬取引きは100億ドルに達する.14州に麻薬取引組織が存在し,サンパウロだけで160万人の麻薬常習者、10万人の密売人.97年に発生した殺人事件5000件の半分が麻薬がらみとされる.警察、司法、政治家が関与する疑惑で60人あまりがリスト・アップされ,アクレ州出身の連邦下院議員が罷免されている.

99年5月

5月 政府,経済は回復し,危機は去ったと発表.為替市場は1ドル=1.88レアルまで戻し,中銀貸し出し金利は45%から19.5%にまで低下.直接投資は107億ドルに上る.

5月 リオ州、警官、兵士、警備会社員以外への銃器の販売を全面禁止。裁判所はこの条例を違憲と判断。

6.06 刑務所から史上最大の345人が脱走.

6.23 アムネスティ、ブラジルの刑務所システムを非難する報告を発表。

7.26 劣悪な道路、高い料金、高いガソリンに抗議するトラック運転手のストライキ.全国で70万人が参加.各地でハイウエイを封鎖。大統領は封鎖解除のため軍の出動を命令。

7月 為替政策がフローティング・バンドからインフレ・ターゲット制に移行。

99年8月 IMF介入反対の大集会

8.18 ベレンの裁判所,エルドラドの虐殺を指揮した将校を事実上免罪する判決.

8.24 日本の不況を反映し,上半期の日本への出稼ぎが前年比3割減.

8.26 IMF主導の緊縮財政に反対する行進団,ブラジリアに到着.打ち上げ集会には左翼政党,CUT,MST,UNEなどの共催で10万人が参加.

8.27 社会的不平等と人権虐待に反対する運動を支持してきたレシフェ大司教 Dom Helder Camara(90)が死亡。

9.22 下院、「品性の欠除」を理由にHildebrando Pascoal議員の除名を決議。ヒルデブランドは拷問、大量殺人、国際麻薬取引で訴えられていたが、議員特権を利用して逮捕を免れていた。

10 マトグロッソ・ド・スル州ムンド・ノボのドルセリナ・フォラドル市長(労働党員),政敵の放った殺し屋により射殺される.地方の麻薬組織の捜査を指令したことが暗殺の理由と見られる.

11月 コーエン米国防長官がブラジルを訪問.ブラジル軍がコロンビア国境地帯での麻薬取り締まりに参加するよう提起.ブラジル軍は,プラン・コロンビアにあわせコロンビアとの国境の治安活動を強化.2,500名が国境地帯に常駐.さらにコブラ作戦と名づけ連邦警察200名を配備.

12.02 ブラジリアのバンデイランテ・テレビ局で労働者の抗議行動。鎮圧に当たった機動隊は一人を殺し9人を負傷させる。

99年 農産物輸出の増加を背景に、州政府のプライマリー収支が黒字化する。

 

2000年

3.11 マトグロソ州の刑務所で囚人の暴動.服役囚13人が死亡.

4.23 ポルト・セグーロ(バイア州)で,ポルトガルのサンパイオ大統領を招いてブラジル発見500年記念行事.これに抗議した先住民,土地無し農民運動(MST),労働党(PT)など140人以上が逮捕される.

4月 地方政府財政のファイナンスを厳しく制限する「財政責任法」が制定される。各政府機関の予算、歳出・歳入、債務管理、新規借入、各種財政指標のターゲット設定と執行状況の公表等にかかる財政のルールが設定された。

5月 日産自動車,ブラジルへの工場進出計画を発表.ルノー社のブラジル法人の協力を得て、5年間で総額3億ドル(約330億円)を投資し、2002年から小型トラックなどの生産を開始する計画.

00年6月

6.11 クーデターに失敗した後ブラジルに潜伏していたパラグアイのオビエド将軍が,ブラジル当局により逮捕される.

6.20 ブラジル政府、銃器の販売の即時禁止を宣言。

6 アントニオ・カルロス・マガリャンエス(ACM)上院議長,ルイス・エステバン前上院議員の議員権剥奪の投票での不正操作が暴露される.マガリャンエスはPFL党の大御所であり,カルドソを支持していた.

8.30 マトグロッソの土地なし農民活動家二人が射殺される.犯人は地主御用達の警備会社「特殊保安活動部隊」(COES)に雇われたと自白.

8.31 ブラジリアで南米諸国首脳会議。コロンビアでの内戦に対する懸念を表明、南米通商ブロックの創出を議論。

00年9月 対外債務に関する「国民投票」

9.06 「対外債務に関する国民投票」運動が終わる.有権者の5.7%にあたる600万人が投票し,95%がIMFの支配を拒否.

9.07 サンパウロでIMFの干渉と政府の対応に抗議する8万5千人の集会.主催者は全国聖職者会議(CNBB),土地なき地方労働者運動(MST),労組,草の根組織などからなる「排除されたものの叫び」委員会.

00年10月 PTが地方選で躍進

10.01 ブラジル地方選挙.労働党が前回比5倍の得票を獲得し躍進.26の州都のうち6つの市の市長ポストを獲得.

10.29 サンパウロ市長選の決選投票。マルタ・テレサ・スミス・デ・バスコンセロス・スプリシ(Suplicy)が6割近い得票で当選.これまで市長職を握っていたブラジル進歩党(PPB)は,汚職事件のため敗北を喫する.スプリシは心理学者で,テレビのトークショーの司会者を務めていた.また98年までPT選出の連邦議会議員.

10月 サンパウロ州スサーノで選挙作戦を指揮していたマノエル・デソウサ・ネトPT選挙本部長,射殺され,首を切断される.

10月 ブラジル情報局副長官ヘクトル・ブレッカー海軍大将,プラン・コロンビアに関し議会で証言.「ブラジルのアマゾン地域で多国籍の軍事活動を行うことは受け入れられない」と述べる.

11.30 1年半にわたる調査を経て「麻薬白書」が発表される。 250億ドルのドラッグが流通し、200人の公的機関幹部、国会地方議会議員10人が関与。

11 北東部セルジペ州で厳しい旱魃.土地なし農民2千家族がハイウエイ沿いにバラックを建て,避難生活.通りがかりのトラックを襲撃するなど混乱.連邦政府は百万ドル相当の緊急援助を決定.

12月 ブラジルの経済回復が順調.2000年度のGDP成長率は4%に達する.

 

2001年

01年1月 第1回世界社会フォーラム

1月 ポルト・アレグレで第1回世界社会フォーラムが開催される.世界各地から一万六千人が参加.ダボスの世界経済フォーラムに対抗して,「もうひとつの世界は可能だ」を合言葉に,「グローバルな市民社会」の形成を訴える.

2.14 マガリャンエス派の鉱山・エネルギー大臣が、汚職容疑で解任される。

3月 PSDB党の重鎮で次期大統領の有力候補だったサンパウロ州知事マリオ・コーバス,病気のため死去.

4.21 フェルナンジーニョ・ベイラマル(本名はLuiz Fernando da Costa)、コロンビアに潜入しビチャーダ州上空を軽飛行機で飛行中、コロンビア空軍により強制着陸させられ逮捕される。コカインと引きかえに武器をFARCに売る予定だったといわれる。

フェルナンジーニョ(33): 「ブラジルの麻薬王」といわれる。リオの三大麻薬マフィアのうちのひとつ「赤いコマンド」の最高幹部。リオ北部のスラム街シダージ・ジ・デウスを地盤とする。現在も刑務所内からマフィア組織を仕切っているとされる。

5.02 アマゾン開発庁をめぐる横領事件が発覚。約1億エーカーの土地代金約20億ドルが使途不明であった。

5.18 降雨量減少のため、各地で電力供給不足が深刻化.政府は半年間,各企業・家庭に電力消費の2割カットを強制する新配電計画を発表.

新配電計画: 制限を上回るものに,最高200%の罰金を課す.それに従わなければ,最高6日の電気中断を行うというもの.実際には,各界の反対に押され,自発的な協力要請に止める.

5 マガリャンエス前上院議長,議員辞職に追い込まれる.このあと新議長のバルバーリョ(PMDB)と、互いの「汚職」について暴露合戦。

01年6月 世論調査でルーラがトップに

6.03 マトグロッソ・ド・スルのパラニョスで,土地なし農民200名のキャンプを,武装集団が襲撃.数人が撃たれ,入院.

6.12 リオ・デ・ジャネイロで政府腐敗に抗議し,新エネルギー法に反対する1万人集会.

6.14 パラ州の土地なし農民1,500人が,ジャデル・バルバリョ上院議長の土地を再占拠.バルバリョは,汚職の告発を受けている.

6.16 マトグロッソの「土地なし農民運動」(MST)の指導者バルデシル・パディア,射殺死体となって発見される.パディアは,以前の土地占拠闘争で逮捕された後,病院でコミュニティ・サービスの刑期をつとめていた.

6.20 中銀、プライムレートを18.25%に引き上げ。

6.27 ブラジリアで,新配電計画に反対し政府の腐敗に抗議する5万人集会.警察の弾圧により8人が負傷.

6.27 調査会社「IBOPE」の世論調査.カルドゾの支持は19%に低下(3月は26%).反対は31%から45%まで増大.2002年の選挙ではルーラを選ぶというものが上回る.

6.30 陪審,4-3で,92年の囚人虐殺事件についてウビラタン・ギマラエス前警察大佐に有罪判決を下す.カルドソ検察官,「犠牲者の多くは降伏したあとに殺されており,大部分が3発以上の銃弾をあびている.それは大虐殺であった」

01年8月 相次ぐPT活動家へのテロ

8.06 ブラジル最大の現代作家ホルヘ・アマド、88歳で死亡。

8.23 Xukuru族指導者Francisco de Assis Santana(別名Chico Quele)、ペルナンブコ州Pe de Serraの近郊で待ち伏せにあい殺害される。

8 ルーラ当選阻止に向け連合の動き.ミナスのイタマル知事,リオのブリゾラ元知事,セアラのシロ・ゴメス元知事が選挙協力で合意.シロ・ゴメスを統一候補とする.

9.10 カンピナス市長で労働者党員のアントニオ・ダ・コスタ・サントス(トニーニョ)が,テロリストにより射殺される.サンパウロ州でその後の4ヶ月に5件の労働者党活動家の襲撃事件.「ブラジル革命行動戦線」が犯行声明を出す.

9月 対麻薬活動において米国と二国間合意書簡を交わす.コブラ作戦をはじめとする対麻薬貿易作戦において相互協力と米国援助を求めるもの.

01年10月

10.23 調査機関「センサス」の世論調査が発表される.1位が相変わらずPT党のルーラで31.8%.サルネイ前大統領の娘でマラニョン州知事ロゼアーナ・サルネイ(PFL)が,ルーラに次ぐ2位となり,人気が高まる.3位がPPS党のシーロ・ゴメス(セアラ州知事)で12.8%.その後,ロゼアーナは身内の不正疑惑を機に立候補を辞退.

10.24 カルドーゾ大統領,大統領選との関わりを避け,欧州諸国を歴訪.

カルドーゾ発言録(さすがに腐っても鯛です)
我々は世界決定を管理する機構に関して未だ規則を決めていない.しかしそこでは,恐怖に頼らず,非対称でなく、平等かつ貧困の少ない,世界の誰もが望むグローバルな秩序を実現しなければならない.
いっぽうでは,文化、経済、技術、軍事に関して傑出した国が存在し、何かと注意を促し、従わない場合は更に強力なG7に持ち出し、自説を全世界の世論のように強要する。一国のみが世界に命令するのは避けるべきである.野蛮なのは卑怯なテロリストばかりでなく、地球規模で一方的な不寛容を課す側にもある。
一方的に言い分を押し付け、是非を強制するのは交渉ではない。富裕国の利害を先に決定した後で、我々に必要な事項を伝えるのではなく、同時に双方の言い分を聞き交渉することが必要である.

10月 ブラジルの貿易収支は黒字転換を果たす。変動為替相場制への移行に伴って、ブラジルの輸出競争力が回復し、世界的な一次産品需要の増加が加味された。

10月 バイア公安局,ペチニンガ裁判所に誘拐事件容疑者86人の捜査のため盗聴の許可を求める.盗聴リストの中には,バイアの実力者ACマガリャンエスの以前の愛人アドリアナ、マガリャンエスの政敵であるガマ議員(PMDB)が含まれる.

バイア州警のリストはさらに膨らみ,リーマ下院議員(PT)を始め126本の電話を対象とするようになる.盗聴テープには,カルドーゾ前大統領とセーラ大統領候補、ジョアン・エンリケ運輸相、エベルアルド・マシエル国税庁長官との会話も含まれる.

01年11月 左派の分裂

11.11 リベイロン・コレンテ市長アイルトン・ルイス・モンタネルに対する誘拐未遂事件.

11.28 サンパウロ州エムブの市長ヘラルド・クルスの自宅に,手製のパイプ爆弾が投げ込まれる.

11月 電力産業従業員組合委員長アルダニル・カルロス・ドスサントス(PT党員),リオで暗殺される.

11月 レシフェで労働党第十二回全国大会が開催される.新自由主義との決別を目指した綱領を採択.一方で,政権を目指す立場から,対外債務・農地改革・米州自由貿易地域(FTAA)・外資の参加などについて,より柔軟な新方針を採択.

11月 非PT系の左翼,「左派ブロック」を結成し大統領選挙に臨むこととなる.参加政党はPDT(民主労働党),PPS(社会人民党:旧ブラジル共産党),PTB(ブラジル労働党).PTBのシーロ・ゴメスを統一候補に選出.

12.09 リオでPCdoBの第10回大会.ジョアン・アマゾナス(89歳)が引退し,レナート・ラベロが新委員長に就任.大統領選挙でルーラを支持することを決議.

 

2002年

02年1月

1.18 サント・アンドレ市長で労働者党員のセレソ・ダニエルが,何者かに誘拐される。サント・アンドレは,サンパウロの郊外のブルーカラーの町で、ルーラのお膝元.

1.20 銃弾を打ち込まれたセレソ・ダニエルの死体が発見される。「ブラジル革命軍」が犯行声明。アムネスティは,労働者党活動家に対し97年以降,70件の死の脅迫,16の不審死があったと報告.カルドゾ大統領はルーラと会談.「社会は犯罪に対し宣戦布告すべきである」と述べる.

1.31 ブラジル南部のポルト・アレグレで,第二回「世界社会フォーラム」が開催される.世界の反グロバリゼーションの市民運動を結集.131カ国5万人をこえる参加者.

02年2月

2月 ジョゼ・セラ保健相,与党ブラジル社会民主党(PSDB)候補として大統領選に出馬すると表明.保守派の自由戦線党(PFL)からは,サルネイ元大統領の娘でマラニョン州知事ロセアナ・サルネイが立候補を表明.

ジョゼ・セーラ 1963年に全国学生連合(UNE)委員長をつとめる。軍事政権樹立後、ボリビア・ウルグアイ・チリで亡命生活を送る。チリ大学で修士を取得、ECLACに勤務するが、チリ・クーデターを逃れ米国に亡命。コーネル大学で博士号を取得。78年にブラジルに戻り、86年に大学教授から連邦下院議員に当選。98年にはカルドーゾ政権の厚生大臣となりジェネリック医薬品の解禁を実施したほか、エイズ撲滅に力を入れる。

2月 世論調査,与党のジョゼ・セラは,PTのルーラ30%,PFLサルネイの20%に遠く及ばず.

02年3月 ロセアナ・サルネイ疑惑

3.01 連邦警察,マラニョン州都サンルイスのルヌス・サービス出資会社の事務所を強制捜査.この会社はムラド州企画長官が経営するもの.ムラドは現マラニョン州知事ロゼアナ・サルネイの夫.ロゼアナはサルネイ元大統領の娘で,ブラジル版田中真紀子.大統領候補の最有力者とされる.

ルヌス・サービス社疑惑
99年,ルヌス・サービス社が中心となり,ウジマル自動車部品製造社の建設プロジェクトに13.8億レアルが出資される.当時ロゼアナが議長だったアマゾン開発庁の諮問会議は,このプロジェクトに6.9億レアルを融資した.しかし約五千万レアルの融資を実行した後、担保不確実によりその後の融資を停止した.さらに,アグリマ社を通じてアマゾン開発庁から農業開発会社ノバオランダへ融資された3,200万レアルについても,使途不明となっている.

3.01 ロゼアナ州知事は「他人の事務所へ武装して侵入するとは、恥知らずの政治行為である」と非難.所属するPFLに書信を送り,「直ちに連邦警察の行為を止めさせることを政府へ要求し、応じない場合は閣僚を引きあげよ」と要求.これに対しフェレイラ法務相は,「連邦警察は判事の命令を受けて実行したもので、私が決定したのではない」と語る.

3.07 自由戦線党(PFL),ロゼアナへの家宅捜索に抗議し,カルドゾ政権からの離脱を決定.フィーリョ環境相、ブラント社会福祉相、メレス観光スポーツ相、ジョルジ鉱業動力相が辞表を提出.

3.12 連邦警察,ルヌス・サービス社の捜索に際して現金134万レアルが押収されたと発表.ムラド氏は「ロゼアナの大統領選挙のための資金であり,不正な資金ではないが,疑惑の重大性にかんがみ州企画長官を辞職する」と声明.このあとロゼアナは大統領選レースから脱落.

3.13 ブリンデイロ検事総長,ロゼアナの起訴を否定.なお、ブリンデイロはマルコ・マシエル副大統領(PFL)の親戚にあたる.

4月 リオ州のガロチーニョ知事,大統領選挙に立候補するために辞職.これに代わりPTのベネジッタ副知事が知事に昇格.ベネジッタは治安維持がリオ州の最大問題と強調.

4月 大統領選前の世論調査でルーラが優勢となる。IMF批判や債務の支払猶予等の発言が過去にあったことから、金融界に不安が広がる。

02年5月 リオで麻薬カルテルとの「戦争」

5.10 リオ州当局,アレモン地区のスラム街を包囲し一斉捜索.多数の銃器と麻薬を押収.麻薬業者との銃撃戦で11才の男の子が射殺される.

アレモン地区 リオ市の北部に位置する人口6.5万の巨大複合スラム.コマンド・ベルメーリョ(CV)と呼ばれる暴力団により支配される無法地帯.現在の親分は『気狂いエリアス』、麻薬取引に従事する子分は約400人といわれる.

5.14 小銃と手榴弾で武装した4人が,リオ市ボッタフォーゴにある人権局を破壊.「警察の作戦はもう結構だが、監獄にいる我々の兄弟に何かあれば、鉛弾をぶっ放す」とのメモを残す.

5月 カルドーゾ大統領,コロンビアでアレヴァロ・ウリベが大統領に選出されたことに関し,「南米における民主的思考の活力を明確に示した例」と賞賛.

5月 各機関の世論調査ではルーラが他候補を圧倒する勢い.ルーラ当選の可能性が高まるにつれ、経済政策の転換を恐れる「ルーラ効果」で、証券投資を中心に外資が逃避.市場は,ドルレートやカントリー・リスクの上昇などで動揺.

02年6月 PTが経済政策継承を宣言

6.02 リオの麻薬犯罪を取材していた、TVグローボのチン・ロペス記者(50)が失踪.リオ北部のVila Cruzeiroでダンスパーティに参加したあと連絡を絶つ。

6.03 ブラジル国債相場が暴落.長期国債の売りが殺到.IMFからの流出は,4日間で11.38億レアルに達する.

6.10 リオ警察、ロペスは麻薬組織のボスElias Pereira da Silva(気狂いエリアス)に拷問されたあと刺し殺されたと発表.

6.19 カルドソ大統領,国内に推定170万人のコカイン中毒者が存在すると発表.麻薬に対する戦いを国の最重要事項であるとする演説.リオデジャネイロでは,1万人が麻薬配布と路上販売に関与.多くが子どもであり,その平均寿命は1年といわれる.

6.22 労働党,選挙政策「国民への公開状」を発表.このなかで対外債務の返済義務履行を明言する.さらに,国内債務のリスケは提案しないこと,民営化には反対だが既に民営化された案件は見直さないこと,インフレ目標を維持すること,金利の急激な引き下げはおこなわないこと,などを明らかにする.

6.24 リオ市役所ビルにギャングの襲撃.275発の弾丸と手榴弾2発が市長室などに撃ち込まれる.マイア市長は連邦に緊急事態宣言を要請.カルドーゾ大統領,「犯罪対策に党派は不要、我が国の一番の敵は暴力であり容赦の余地はない」と宣言.

6.25 連邦政府,治安10方針を発表.1.6億レアルを緊急支出し,要員養成と装備充実にあてる.

治安10方針 法務省が事務局となり,連邦・州・市の組織を含む強力対策本部を設置.軍部も全面的に支援.3,000人の警官を増員、海上、港湾、空港、国境の巡回警備を強化する.

6.30 ワールドカップ・サッカーでドイツを破り優勝。

6月 オットー・ライヒ西半球担当国務次官補,ブラジルを訪問.「コロンビアの内戦は,西半球全体にとって脅威であり,米国政府はコロンビア内戦への介入を国際化する希望を持っている」と表明.ブラジリアにおけるFARC国際委員会代表オリヴェリオ・メドナはただちに反論.「エクアドルのジャングルで木が倒れたら,それがFARCのせいであるというのだ.ペルーで牛が一頭朝死んでいたら,FARCだという.我々の計画には,地域のいかなる国への介入も含まれていない」と述べる.

6月 大統領選挙に関する世論調査。PTのルーラ候補が圧倒的人気.シーロ・ゴメス(PTB)ジョゼ・セーラ(PSDB)がほぼ同率で二位に並ぶ.二人の合計はルーラをわずかに上回る.ガロチーニョ元リオ州知事(PSB)はレースから脱落.

ジョゼ・セーラはカルドーゾ後継者とみなされており、これまでに企画予算相・保健相を歴任.シーロはイタマル政権下で蔵相を務め,98年には大統領選でカルドーゾに敗れた.このあとシーロは,女優でもある夫人について「彼女の一番大切な仕事は,俺と寝ることだ」と言って女性層の支持を大幅に減らした.

02年7月 「ルーラ効果」

7.22 アマゾンで土地なし農民を指導していたBartolemeu Morais da Silva (44)、暗殺者に拷問の上虐殺される。

7。30 資金の国外流出が急加速。レアルが1カ月で2割近い急落.為替相場は1ドル=3レアルの壁を越える。政府・民間あわせ約2千億ドルに達する対外債務は,三分の一がドル建てであることから,ブラジル政府の借り入れ金利は30%に達する.

7月 フォルサ労連Forca、社会民主労連SDS、労働総連CGTの3大労連が賃上げ闘争において共闘すると発表.もうひとつの労働センター単一労連CUTも三大労連の抗議大会に参加すると表明.

02年8月 総額400億ドルの緊急融資

8.07 米財務省の指示を受けたIMFなどの国際機関,ブラジルへの総額400億ドルの緊急融資(IMFの300億ドルをはじめ,世銀45億ドル,IDB25億ドルなど)を発表.IMFにとって単一国への融資枠としては過去最大となる.また外貨準備の下限を150億ドルから50億ドルに引き下げることでも合意.

8.08 G7、追加支援を歓迎する旨の財務大臣声明を発表。

8.19 IMFは,融資の大半が新大統領就任以降に実施されることから,各候補に対しても従来の経済政策の維持を要求.カルドーゾ大統領が主要候補4名と会合.レアル危機の深刻化を前に,現行経済政策の維持について要請.ルーラを含む各候補が基本的に要請を受諾.

8.31 大統領選直前の世論調査.ルーラ候補の支持率が下降。中道左派のシロ・ゴメス候補(労働者戦線党)とほぼ同率で並ぶ。(一連の経過がすべてアメリカのやらせのようにも見えます)

02年9月 FTAA反対の国民投票

9.06 IMF理事会、300億ドルの追加支援プログラム(うち30億ドルの即時引出し)を承認。財政のプライマリー・黒字を対GDP比で3.75%とすることを条件とする。

9.07 FTAAへの反対を訴えた非公式の国民投票,司教団によれば1500万人が参加.サン・パウロ近くの町アパレシーダに15万人の人々が集結し,打ち上げ集会.

9.09 リオ・デ・ジャネイロの宗教研究所ISER,87年から2001年の間に同市だけで18歳以下の若者約4000人が銃で撃たれ死んだと発表.

9月 為替レート、半年で2.3から3.9レアルまで低下する。これによりドル建て債務は10.4%から17%まで増加する。(国内建て債務も金利上昇により膨張することになるが、この国にはレアル建ての信用市場がそもそも存在しない)

02年10月 ルーラの大統領当選

10.06 大統領選の第1回目の投票.ルーラが46%(3900万票),セーラが23%(2000万票),PSBのガロチーニョ17%,シーロ・ゴメスが11%.選挙法規定により,ルーラとセーラが決選投票で争うこことなる.

10.06 国会議員選挙.革新政党が議席の47%を獲得。PT党は下院で91席を確保し最大政党になる.保守政党(PSDB、PFL、PMDB、PTB)は63議席減となる。マルーフ,ブリゾラ,コロルなど大物政治家が次々に落選.上院でも議席を14席に伸ばし,PMDB党(19席)とPFL党(同じく19席)に次ぐ3番目の政党となり,与党のPSDB党(11席)を凌駕.州知事選挙では4つの州を革新勢力が確保。9つの州で決選投票に持ち込まれる。

10.06 PCdoBは下院で2.3%の得票率。連邦区で13%、バイアで17%、サンパウロではワグネル・ゴメスが350万票を獲得するなど健闘。

10.26 国家保安当局、今年上半期に6,159件の殺人事件があったと発表。

10.27 大統領選決選投票.ルーラが5千万票(60%)を獲得しセーラ(3千万票・40%)を破る.サンパウロのパウリスタ通りでは,5万人の祝勝デモ.

10.28 ルーラ,最初の施政演説.雇用の促進と農地改革,社会福祉部門の統合と拡張,所得格差の改善などを公約。現政権の経済政策を引き継ぐとし4つの基本政策を明らかにする。

四つの基本政策 @調印した契約は守り,インフレをコントロールし,財政の緊縮は継続する(これはIMFとの協定は守るとの意味).
A飢餓を撲滅するための社会緊急局を創設する. B雇用創出のため土木建築と上下水道設備の建設を奨励する. C輸出製品の付加価値の引上げを通して貿易黒字を拡大する(輸出の振興をする).

10.29 ルーラ、「飢餓対策が新政権の取り組む最初の課題である」と発表.自分の政権が終了する時点では,全国民が3度の食事が取れるようにすることを約束。当面する緊急対策として、食料品クーポン配布計画(PCA)と学校給食の完全実施,サンパウロ等で実施されている官営低価格食堂の他地域への拡大などをあげる。一方で,最低給与は公約の240レアルへの引き上げを事実上否定.所得税の税率維持を発表.

11.11 フォルサ労連の金属部門,グループ10(電球・板金工業)を指名して無期限ストへ突入.CUTの金属部門もスト権確立に向け動く.

02年12月 ルーラ政権の組閣

12.05 ブラジルで南米6カ国首脳会談。南米自由貿易構想のタイムテーブル化を目指す。

12.12 ルーラ,メイレレス下院議員(PSDB)を中銀総裁に指名.フラガ現中銀総裁もこの指名に賛意.メイレレス(Henrique Meirelles)は元ブラジル・ボストン銀行会長で,PSDB所属.

12月 ルーラ次期大統領が訪米.ブッシュ大統領との会談.

12.23 ルーラ,閣僚クラス人事を発表.PT幹部からは元ゲリラのジョゼ・ディルセウ党総裁が大統領府長官(首相職)、パロッチが蔵相、具志堅が政府広報官、ミランダが人権局長、ディルマ・ロウセフが動力鉱業、コスタが保健相に就任.重要ポストの外相にはアモリン駐英大使,国防相にはベイガス駐露大使,農務相にはアグロビジネス協会のロベルト・ロドリゲス.産業相には保守派財界人のLuis Fernando Furlan。

その他,決選投票でルーラを支持した自由党(PL)、民主労働党(PDT)、緑の党(PV)、ブラジル社会党(PSB)、ブラジル共産党(PCdoB)、人民社会党(PPS)、ブラジル労働党(PTB)から各1名が入閣.PT党員閣僚のうち6割が多数派,2割が中間派,残る2割が「左翼潮流リスト」メンバー.

新内閣の目玉人事
@環境相に就任するマリナ・シルバ上院議員は,ゴム採集人の家庭に生まれ、15才で初めて文字を習い、44才でアクレ州連邦大を卒業した経歴の持ち主.故シーコ・メンデスの教えを受け政治活動を開始した.A大統領選挙で対決したシーロ・ゴメス(PPS)が地域統合相に就任.B歌手ジルベルト・ジルの文化相就任.C南リオグランデの正副知事が揃って閣僚入り。都市問題担当相にはOlivio Dutra前知事、農地改革を担当する農業開発相にはMiguel Rossette前副知事、

02年 リオデジャネイロの年間殺人事件が7000件を超える.

 

2003年

03年1月

1.01 ルーラ・ダシルバ(57才)が第39代大統領に就任.就任演説では、対外債務の支払いの履行を約束し、メルコスルの強化・建て直しを外交の最重要課題とすると述べる一方、国内的には緊縮財政の実施やインフレ抑制などを挙げる.

ルーラの就任式
「勇気を持って、混乱と軽率を避けて変革を進めよう。すべての国民が三度の食事ができるようにするのが,私に与えられた使命である.この全国的な助け合い運動へ国民を動員する」と語る.ブラジリアでは約15万人が集合、「オレーオレーオラー、ルーラルーラ」と声援を送る.

1.02 ルーラ新大統領,超音速戦闘機購入を断念し、その資金7億ドルを『飢え追放』に使用すると発表.74億ドルの軍事予算は、2億8200万ドル削減される予定。

1.02 ルーラとチャベスが朝食会談.チャベスはブラジルのガソリン送付について感謝の意を示し、ペトロブラスから技術要員派遣などの援助を依頼。

会談の内容: チャベスは「経済・社会の変革を目指し革命を開始したが、平和主義を貫くか実力を行使するかの岐路に立って悩んでいる」と語る.なお,チャベスは当日の早暁4時までカストロと話し込み、起床できなかったため,朝食会の予定が55分遅れたという.

1.06 メイレレスの中銀総裁就任が議会で承認される.就任演説では,アルミニオ・フラガ前総裁の政策を全面的に支持すると述べる.PT左派のエロイサ・エレナ上院議員は、彼の指名に反対票を投じる.

1.30 『飢え追放』プロジェクトの詳細が発表される。東北部を中心に150万の家族に月14ドルを提供するもの。

1月 フランスを訪問中のルーラ大統領,ジョスパン元首相からの「何故ベネズエラ危機解決に力をいれるか」との質問に,「チャベス大統領が倒されれば、明日は私の番であり、続いてアルゼンチン、チリに及ぶだろう」と回答.

1月 ルラ大統領は、マクロ経済政策の柱を継承し、IMF プログラムにそってプライマリー収支目標を0.5%引上げ。公務員の退職年令を引き上げ、年金に課税するなどの改革概要を発表、全国的議論がはじまる。

03年2月 マガリャンエス疑惑

2.03 『飢え追放』プロジェクトが開始される.ルーラは「我々の戦争は誰も殺さず、人間を救うための戦いである」と宣言.グラジアノ『飢え追放』特設相らはモデル地区に指定されたピアウイ州のガリーバス村とアカウアン村で発足式.「民衆に待つ暇はない」と強調.

ガリーバス 州都テレジーナから南へ653キロ、ペルナンブコとの州境に近い所.人口は4,814人.フェイジョン、とうもろこし、マンジョカを主要作物とする.人間開発指数HDIが低い方から3番目、バングラデッシュと同水準である.水源地は一ヶ所、町から2キロの丘の上にある泉.水道・下水はなく、浴室・便所を有するのは1%のみ.乳児の死亡率は60パーミリ.最も近い病院までは54キロ、悪路なので小型トラックで3時間を要する。

2.16 PMDBのリーマ議員(バイア州),バイア州裁に出頭。「2002年5月19日から8月21日の間に,州公安局の要請により電話を466回にわたり盗聴した」と届出.バイアゲート事件が発覚.黒幕と疑われたACマガリャンエス前上院議長(PFL)は,無記名投票の投票者名を違法な手段で入手したことが暴露されて議席を辞退し,今回の選挙でふたたび上院議員となった人物.

2.27 ブリンデイロ検事総長,上院電子投票盤事件を最高裁に提訴.マガリャンエスは憲法改正委員会の委員長職を辞退.フォンセカ(PMDB)が後任委員長となる.

2.27 労働党,マガリャンエスに関する倫理委員会を設けるよう提案.サルネイ上院議長は「具体的証拠なし」として,これを拒否.

2月 ブラジル中銀、基本金利を最高限度の26.5%へ引上げ.第一次収支のGDP比4.25%達成のため,さらに引き締め政策をとる。すでに採択された予算についても投資関連予算をいったん全面凍結.その後28%分についてのみ解除.

03年3月 IMFがルーラ政権に41億ドル貸付

3.01 MST、ルーラ政権との合意を破棄。サンパウロ西方80マイルの牧場を占拠。

3.05 労働党,フォンセカあてに倫理委員会設置をもとめる提案書を提出.

3.10 上院倫理委員会が発足.フォンセカが委員会議長に就任.

3.18 上院倫理委員会,バイア電話盗聴事件に関してACマガリャンエス上院議員(PFL)に対する調査を決議.マガリャンエス上院議員は「フォンセカは不穏人物」と罵倒.

3.14 IMF,ブラジルに対し41億ドルを貸し付け.貸し付けの条件とされたインフレ抑制目標・公共部門債務限度額が大幅に緩められる.先進国の年金ファンドは途上国の高利回り、低リスクの証券を求めており、この条件を満たすブラジル国債が買い付けの対象となる.

3.24 組織犯罪を担当するカストロ・フィリオ判事、何者かにより銃撃され死亡。

3月 ペルナンブコ州で土地なし農民による農場侵入,街道封鎖事件が多発.家屋への放火や停車したトラックの積荷略奪が相次ぐ.州軍がトラクニャエンに出動.ブルドーザーで1,500人が居住するキャンプを破壊.サンパウロ州ポンタル・デ・パラナパネマでは,土地なし農民8,497家族が生活するキャンプに,地主が雇ったガードマンが襲撃.

03年4月 年金・税制改革案の提出

4.02 中央銀行の自主性を高める憲法修正案が可決される。

4.16 ルーラ大統領と27州知事、関係各省の代表者が,社会保障制度の改革について協約を締結.

4.16 リオのジャハンギル(Jahangir)で若者4人が警官に射殺される。住民の証言により、彼らが暴力団構成員でないことが明らかになる。リオでは03年1月以来800人以上の一般人が警察の銃弾により死亡。

4.24 ルーラ政権,公務員の年金制度改革案と、税制改革案を議会に送付.税収確保のためとする.いずれも前政権からの繰越し課題.これに加え、いくつかの実質的な租税負担増加措置を実施.OECDはこれらの措置を歓迎し,「ブラジルへの信頼感が戻り、今年の経済成長は2%に達する」と予測.

4.25 チャベスがブラジルのレシフェを訪問しルーラと会談.ブラジル東北部精油所(ペトロブラスとベネズエラ石油公社の合弁)建設計画について協議.またBNDES(国家社会経済開発銀行)がベネズエラ向け輸出に対し10億ドルの融資枠を設定、その返済および担保に石油を当てることで合意.

4月 サンパウロでは失業率20.6%、失業者数は194万人を超える。信号待ちで一時停止している車を狙う強盗が多発。リオデジャネイロでは殺人事件が7000件を超える。

03年5月 マガリャンエス訴追の挫折

5.06 上院運営委員会,「電話盗聴事件」に関連して倫理審議会がもとめた,マガリャンエス議員の追放手続きを否決.PSDBとPMDBのかなりの部分が,マガリャンエスの工作を受けて訴追反対に回ったとされる.労働党のエロイザ・エレナは「ACMは公器を自己の利益のために使用した」と抗議.

5.21 通貨政策委員会Copom,基本金利年26.5%を維持する決定.アレンカル副大統領は「今が基本金利を引下げて経済回復を目指す好機」と主張するが,ディルセウ官房長官はパロッシ蔵相の「患者の治療を中断できない」の説を支持.

5 大統領選挙時に2400となったカントリーリスク指標(JPモルガンのEMBI指数),マクロ指標の改善により700台にまで低下.しかし高金利政策の継続により,政府債務残高は約2500億ドル,GDPの56%に達する.

5月 カルドーゾの与党だったPMDB,ルーラ政権への参加を決定.

03年6月 ルーラの外交攻勢

6.01 ルーラ大統領,エビアンで開催された主要国首脳会議にゲスト参加.“貧困対策のための世界基金”(飢餓ゼロ基金)創設を訴える.財源確保のため兵器取引に課税することを提案.シラク仏大統領はこれを高く評価。

6.04 BNDESのカルロス・レッサ総裁,アルゼンチンに対する10億ドルの融資枠を認可したと発表.5億ドルはアルゼンチンからの輸出により,残りの5億ドルはブラジルからアルゼンチン向けの輸出で決済される.

6.06 ブラジル、インド,南アの三国外相がブラジリアで会談.グループ間の貿易の拡大と、科学技術、防衛と輸送の面での協力を促進する協定を締結.それぞれが地域の途上国の要求をまとめ、先進諸国のお膳立てがなくとも発言できるようにすることを目標とする.また中国とロシアにも参加を呼びかけ、将来的には「非先進国G-5」にすることを検討.

6.18 パラグアイのアスンシオンでメルコスルの首脳会議.ベネズエラのチャベス大統領も招待されて参加.市場統合を進めると共同宣言.FTAAについては,メルコスルが全体として対処することとなる.

6.20 ルラ大統領はアメリカを訪問しブッシュ大統領と会談.イラク問題や貿易問題をめぐる意見の違いにもかかわらず、両国関係は良好であるとの声明。ルーラはFTAAの交渉を真剣に推進する決意を表明.

6月 ルーラ当選後初のCUT大会。ルラ政権との関係、ほかの労動センターとの関係が論争の焦点となる。

6月 経常収支が黒字転換。資本収支の変動に対して、経常収支黒字がバッファーとなる構造が定着する。

6月 労働党系の経済学者が連名で,現政府の経済政策を批判する声明.「現在の不況は,経済に不必要なものであり,@非現実的なインフレ抑制、A過剰な金利上昇、B割高のレアル放置などによって,政府が人為的に作り出したもの」とする.

03年7月 公務員の年金改悪反対闘争

7.30 MST全国委員長ホセ・ライニャ,武器の不法所持の容疑で逮捕される.

7月 ルーラ政権の公務員年金改正案に反対するゼネスト。公務員90万人の4、5割が参加。CUT以外の労動センターが改正反対に回る。

7月 キャンプ生活する『土地なし』は全国で1,297ヶ所、14.8万家族・62万人に達する.新政権になってさらに147%増となる.多いのはバイア州の180ヶ所、2万家族、次いでペルナンブコの73ヶ所、1.3万家族.

03年8月 緊縮政策への不満が表面化

8.19 連邦警察、バイア州の2つの農場で、およそ800人の奴隷労働者を解放。一週後さらに別の農場で200人が解放される。当局によれば、およそ25,000人の人々が奴隷制度状況において働いているとされる。そのほとんどがアマゾン流域の遠隔地。

8.20 ルーラ,業界紙と会見.アントニオ・パロッチ蔵相(マネタリスト)の解任を否定.同時にミーロ・テイシェイラ通信相(規制派)を支持する態度も明確にする.農地問題に関しては「土地(確保)だけでは社会的な役割を果たしたことにはならない」として,MSTへの全面的支持を留保.

MST批判の高まり: MSTの土地占拠戦術には民主陣営からも批判。@対決至上主義であり、土地占拠が農業生産に結びついていない。A農地改革の早期実施を求める政治闘争の軽視。B都市ルンプロが紛れ込み、さまざまな裏取引が行なわれるなど、乗っ取り屋的堕落の傾向。PCdoBと教会グループは、98年初めから「土地闘争運動」(Movimento de Luta pela Terra:MLT)を組織。バイア、セルヒペ、パラ州を基盤とする。いっぽうPT左派を形成する旧PCBR系活動家は「土地なし農民解放運動」(Movimento de Liberacao dos Sem-Terra: MLST)を組織。これに対してはMSTも、自派拡大に農民運動を利用しようとしていると反批判。

8.22 ロケット発射準備中のアルカンタラ基地で爆発事故.技術者ら21人が死亡.

8.26 ルーラ大統領がカラカスを訪問.1億ドル融資協定に調印.ブラジル開発銀行がオリノコ大橋やカラカス地下鉄など大規模プロジェクトに支援を与える.

8月 ルーラ大統領,軍政時代の行方不明者の再調査をする委員会を設置すると発表.

8月 各紙のまとめによれば,ブラジルの今年度貿易黒字は205億ドルで,昨年比64%増が予想される.農牧産物が、国内の増産と国際価格の高騰により、予想を上回る増加.いっぽう輸入は,国内経済の低迷により部品などの輸入が減少.石油の輸入は年々減少し,小麦も増産によってアルゼンチンからの輸入を削減.
いっぽう経済不況は深刻.産業界は在庫を抱えて生産調整に苦しむ.失業率は6月末時点で過去最高の13%に達する.海外からの直接投資は35億ドルで,昨年同期の3分の1.ルーラ政権が誕生して以来7ヵ月,公約はほとんど実行されず.

03年9月 

9.07 アラゴアス州のMST活動家ルシアノ・アルベス・ダ・シルバ,帰宅途中をバイクの二人組に射殺される.MSTの犠牲者は03年に入って21人目.

9.15 労働党左派三議員が労働社会党(PTS)の発足を宣言.

9.15 人権団体報告によれば、死の部隊による即決裁判と殺人はブラジルにおいて日常の出来事である。部隊は警官により編成され、当局はしばしばこれを大目に見ている。

9.16 コロンビアのウリベ大統領とルーラ大統領,カルタヘナにおいて会談.ルーラは「FARCと政府,国連による和平会談のため、中立地のブラジル領土を提供する」と提案.ウリベ大統領はこれを受諾.ライナック駐伯米大使も「ブラジル国内での和平交渉会議に干渉せず」と発言.

9.16 FTAAに反対する全国共同委員会の「国民投票を要求する署名」が200万を越える.

9月 ルーラ大統領,第58回国連総会に出席.“世界貧困撲滅委員会”の設立を訴える.

9.26 ルーラ大統領,国連総会の帰路キューバを訪問.総額2億ドルに上る観光産業などへの投資計画をはじめ教育、医療や経済分野での二国間協力協定に調印.キューバはブラジルに対し4千万ドルの債務を抱えている。

03年10月 ブエノスアイレス・コンセンサス

10.09 バイア州のSanto Antonio de Jesusで、Gerson de Jesus Bispoが殺される。彼は警察暗殺団の存在について国連調査団に証言した。

10月 ビエイラ国防相,米国のイラク派兵要請に対し,「国民の意見に鑑み派兵は絶対に不可」と回答したと発表.アモリン外相も,「国連安全保障理事会の承認が絶対必要条件である」と語る.

10月 議会での拡大与党は下院・上院共に65%前後に達し,ルーラ政権のガバナビリティーが安定する.

10月 キルチネル大統領とルーラ大統領が共同宣言を発表.「ブエノスアイレス・コンセンサス」と呼ばれる.

03年11月 IMFとの合意を継続

11.05 ルーラ大統領,「IMFの財政調整策は大部分の国で破綻した.我々はふたたび経済を成長させなければならない.それがいかなる協定においても基礎となる」と述べる.

11.21 ルーラ大統領、2006年までに400,000の貧困農家家族のための財政支援を実現すると発表(Bolsa Familia計画)。

11月 BNDES(国家社会経済開発銀行)の融資能力を増強.ルーラ大統領が宣言する「目を見張るような成長」にむけ,産業政策のガイドラインが発表される.

11.30 ルーラ政権,IMFとの合意を継続すると発表.ブラジル中銀は,この1年で420億ドル(GDPの約10%)が債務利払いに充てられたと発表.このあとカントリー・リスクが6ポイント下がる.

11月 ノーベル経済学賞受賞者スティグリッツ・コロンビア大学教授,ブラジルの財政・金融政策を批判.

スティグリッツ論文の要旨
伝統的な財政金融政策は,市場の信用を得て金利を低下させ,その結果生まれる資金を有効な投資へ向け、経済を成長させることにある.
ブラジルの公共債務の残高は7千億レアルに達している.したがって金利を1%下げれば40億レアルの資金が生じる.これによって債務支払に向けられる資金を経済面と社会面へ向けることが可能となり、経済は迅速に復活し、企業家達からの支持も回復する.
しかしブラジルの経済政策は高金利を維持することが前提となっている.それは経済回復を阻害する.したがって社会政策は履行できない.

03年12月 マクロって何なのさ

12.04 4名のPT左派議員が党規違反を繰り返したとして除名される.ルーラ自らの要請によるもの。

12.11 社会保障制度改革のための憲法修正案。現役公務員の年金受給額のベースを引き下げ、受給条件などを厳しくする。

12.15 ブラジル地理統計院(IBGE)で国民生活調査.

労働:03年度のブラジルの工業生産はわずか0.3%の上昇,労働者収入は4.3%,雇用人員は0.5%低下する.6大都市における半失業者は一年前に比べ42.5%の増加.地方都市では更に高率.年少労働も低下したが,いまも17歳以下の850万人が働いている.
収入:貧富の差はさらに拡大し,上位10%が全収入の46.1%、下位10%の収入はわずか1%.
文化:電化率は96.7%、テレビは90%.水道は82.0%,下水の方は68.1%.電話は民営化により10年間で20%から60%へ急速に普及.文盲率は10年間に12.4%から3.8%までに低下.しかしノルヂスチでは依然8.6%と高率.

12.15 IMF、ブラジルとの340億ドルのローン協定を15ヶ月間延長。

12.17 財政赤字問題を早期に解決するための税制改革案(憲法修正案)が、上院で可決される。

12.22 ルーラ、全面的な銃器統制法に署名。「銃による殺人という疫病」根絶に乗り出す。

12.24 政府、マクロ諸指標を達成し、さらに大きな挑戦に立ち向かう条件を揃えることができたと強調。1年間の成果を誇る報告。これに対し野党は、飢餓ゼロ政策のゼロ、雇用創出ゼロと非難。

金融マクロ: 為替レートは2.9レアル前後で高値安定(去年は3.64レアル)。カントリー・リスクの指標であるソブリン債のスプレッド(米国債金利への上乗せ金利)は,2400bpから400bp台にまで下げる.主要外債であるCボンドの相場は額面価格の98%に接近.基準市場金利も、30%を超えたピーク時から16.5%まで引き下げられる.
経済マクロ: 貿易黒字は昨年の113.24億ドルから220.78億ドルに増大。国際収支は前年同期の8.74億ドルの赤字から、148.27億ドルの黒字に転換.月当たり物価上昇率は連続して0.5%以下に落着く。

12月 ルーラ政権の提案した公務員年金改正法案が上院で可決、成立する。

 

2004年

1.23 ルーラ大統領、初の内閣改造を実施。労働者党のポストを削り、連立相手のPMDBに配慮。左派から中道よりになったことを印象付けるねらい。

04年3月 コパカバーナ協定とIMF追随路線からの離脱

3.03 メルコスル(南米南部共同市場)の4か国とインド,7月の自由貿易協定調印を目指して200以上の減税品目のリストを交換.

3.10 ブラジル政府、1970年代反乱の弾圧に関するすべての軍文書がすでに焼却されていると発表。

3.15 国連のアナン事務局長,ハイチへの平和維持活動軍の指揮をブラジルに任せる意向表明.ブラジル政府は南リオグランデのサンレオポルドの第19機動歩兵大隊1,100人を派遣する方向で検討開始.

3.18 ブラジル労働省、借金に縛られて働いていた4,995人を解放。彼らのほとんどはアマゾン川以北の人里離れた牧場で働いていた。カトリック系人権団体「土地の司牧」は、15,000ないし25,000人の労働者が奴隷のような状況において生活していると報告。

3.22 ルーラ大統領,1)インフラ機構整備は公共財政収支の項目外とする,2)為替危機に陥った国に対し、議会の対応を待つことなく,積極的かつ迅速に行動する,ことを柱とするIMFの融資条件改正を,G8の主要メンバーに提示する.

3.24 ルーラ大統領とキルチネル大統領,リオのホテル・コパカバナパレスで会談.IMFとの共同交渉に関するコパカバナ協定を締結.「国際金融機関の融資システムは持続的発展に逆行する性格を有しており、危機を避けるのに相応しい他のシステムを開発する必要がある」との見解を明らかにする.アルゼンチンのフェルナンデス官房長官は,「ラテンアメリカのGDPの70%は国際金融機関との合意の下に置かれている」と語る.

3.29 労連統計局による大サンパウロ市圏の失業者は200万人,失業率は20%となる.これは85年2月の民政復帰以来の最悪.青少年の失業率の高さが顕著.平均給料は前年同期に対して5%下落.

4.07 アマゾン北部の先住民、ダイアモンドを求めて居留区に入り込んだヤマ師を襲撃。35人を殺害。

4.12 麻薬密売人同士の銃撃戦を鎮圧するため、千人以上の警官隊が2つのリオ貧民街を襲撃。少なくとも10人が死亡。

4.16 レシフェで農地改革の速やかな実施を求める農民集会。数千人が結集。

4.19 サンパウロで数百人が空き家を占拠。土地の再分配の速度を上げるよう政府に求める。機動隊は、催涙ガス・ゴム弾を使い占拠者を追い払う。

4.29 暫定措置令182号。最低賃金が従来の月額240レアルから260レアルに引き上げられる。

4月 ボリビアのメサ大統領、ブラジリアを訪問。対ブラジル債務5,400万ドルの95%債権放棄を約束。さらに6億ドルのBNDESからの融資を受けることにもなっている。

5.11 アメリカのラリー・ローター記者、「ルーラはアル中だ」との中傷記事を発表。政府はローターを国外追放処分に。

5.22 ルーラ大統領が中国を公式訪問。420人にのぼる大規模な訪問団。政府ベースでは10件、民間部門で14件の契約が締結される。

5.26 アムネスティ・インターナショナル、何百人もの容疑者を過去数年間に殺害したとしてブラジル警察を告発。

04年6月 失業率がワースト記録

6.01 ハイチの平和維持活動がアメリカからブラジルに引き継がれる。国連軍指令官にアウグスト・ペレイラ将軍が就任。

6.02 BNDESのカルロス・レッサ総裁、アルゼンチンに対する10億ドルの融資枠を認可したと発表。うち5億ドルはアルゼンチンからの輸出、残り5億ドルはブラジルからアルゼンチン向けの輸出のためとされる。

6.09 ブラジル、インドと南ア外相、ブラジリアで会談。グループ間の貿易の拡大と、科学技術、防衛と輸送の面での協力を促進する協定を結ぶ。将来はこのG-3に中国とロシアも加え、G-5にすることを検討。

6.13 サンパウロで国連貿易開発会議(UNCTAD)開催。途上国を代表する「77か国グループ」は、実際には132の加盟国を抱える。

6.17 上院、最低賃金を月88ドルに上げる法案を否決。破産法改正案を可決。

6.21 Leonel Brizolaが心臓発作で死亡。82歳。

6.22 世論調査でルーラ政権支持率が29.4%と過去最低を記録。評価しないと答えた人は24.1%に上昇する。

6月 失業率は全国平均13%に達し、過去最高。1月からの、海外からの直接投資は、昨年同期の3分の1程度に落ち込む。土地なし農民や(MST)、屋根なし民衆の、建物や土地の占拠に対して社会的な不安が増大。アントニオ・パロッチ蔵相の緊縮路線に批判が高まる。

04年8月 農産物輸出の好調

8.18 ブラジルの今年度貿易黒字は205億ドルに達し、昨年の131.1億ドル比64%増が予想される。主として農牧産物が、国内の増産と国際価格の高騰により、予想を上回る増加を遂げる。いっぽうで輸入は国内経済の低迷により前年比0.3%の減少。

8.28 マルティン・アルマダ、アスンシオンの裁判所に対し,ブラジル亡命中の元独裁者アルフレッド・ストロエスネルの引き渡しを求めるよう要求.裁判所はこの訴えを認め,ストロエスネルの逮捕と召還を命じる.

マルティン・アルマダ パラグアイの人権活動家.1992年ストロエスネルの秘密警察の書類を発見し、2002年にはスエーデン国会からラブリーフッド・ノーベル賞を受賞している。アルマダの妻、セレスティナ・ペレスは、1976年の独裁制時に暗殺された。

04年9月

9.12 ルーラ大統領、第2四半期GDPが5.7%成長したとことを強調.同時に財政削減策の継続も強調.

9.14 政府,「マスメディア機関の支援調整のための」新聞審議会の創設を提案.ルーラ・大統領は野党批判に対し言論の自由を公約.

9.14 小泉首相がブラジルを訪問。

9.15 ルーラ大統領、マナウスでベネズエラのチャベス大統領と会談.ベネズエラの水力発電所建設や地下鉄拡張工事など4プロジェクトに総額10億ドルの融資支援.さらにブラジルの企業家にベネズエラへの積極的な投資を呼びかける.

9.16 ブラジル訪問中の小泉首相がルーラ大統領と首脳会談.国連の安保理常任理事国入り問題で相互に支持することで一致。また、ブラジル産マンゴの検疫制限の解除や今後5年間に1000人以上のブラジル人青年を日本に招くことなどを約束した。

9.18 ルーラの支持率、55%に上昇。

9.20 国連総会を前に、貧困と飢餓に関する特別国際会議。2000年のサミットで定めた、2015年までに世界の貧困者を半分にするという目標に対して、各国政府が果たすべき行動を議論する。ホスト役のルーラ大統領は、「毎年、100万人の子供が薬品、水、住居、食料の不足で死んでいる。毎日、2万人の人々が飢餓のために死んでいる。死をもたらす大量破壊兵器は、極貧である」と演説。アメリカのベネマン農務長官は、「飢餓と貧困への構想宣言」を実行するのは「不可能」と発言。

9.22 ルーラ・ダシルバ大統領,国連総会のトップを切って演説。グローバル化が世界の貧困削減のための武器となるよう世界のリーダーに訴える.

9 景気の加熱を懸念する政府当局、連続的にSELIC基礎金利を引上げ。これにより内需伸び率は鈍化。

04年10月 エルソグ事件に対する軍部の開き直り

10.02 全国5,562市で一斉市長選挙。ブラジル民主運動党(PMDB)が1位で1,060市、ブラジル社会民主党(PSDB)が2位で871市、自由戦線党(PFL)が3位で797市、進歩党(PP)が4位で556市、ブラジル労働党(PTB)が5位で426市。与党のPTは総合獲得票数ではトップを占める。獲得市長数では6位の404市だが、前回の187市を大幅に上回り、州都所在地など地方主要都市のほとんどを確保。

ブラジルの主要政党: ほとんど分かりません!
@PSDB(ブラジル社会民主主義党):カルドーゾ前大統領の与党。ネオリベラリズムを奉じ、大資本の利益を代表する。
APMDB(ブラジル民主運動党):軍政時代の合法(御用)政党MDBから始まり、民主化後の政界で主流を形成。カルドーゾらが離党しPSDBを創設した後、相次ぐスキャンダルで弱体化。現在は保守政党とみなされる。
BPP(進歩党):元サンパウロ市長パウロ・マルーフの率いる右翼政党。CPDT(民主労働党):故ブリゾーラの組織した中道左翼政党。社会主義インターナショナルに加盟。DPDT(民主労働党):名前とは裏腹に純粋な右翼政党。EPL(自由党):古いリベラリスト政党。大統領選挙ではPTと同盟を結び、ルーラを推した。ジョゼ・アレンカール委員長はルーラ政権で副大統領に就任。FPPS(人民社会党):旧ブラジル共産党の改称したもの。社会民主主義を奉じる。GPSB(ブラジル社会党):小規模な社会民主主義政党。HPV(緑の党):エコロジストの党。IPCdoB(ブラジル共産党):軍政時代に毛沢東思想を奉じ、共産党から分裂した。ルーラ政権を支え、閣僚を送り込んでいる。JPFL(自由戦線党):軍事独裁時代の与党ARENAの流れを汲む。

10.03 大都市での開票が進む。サンパウロではPSDBのジョゼ・セラ(前大統領候補)が投票の43%を獲得、PT現職のマルタ・スプリシ(Suplicy)の35%を引き離す。リオ・デ・ジャネイロではPTが6%の得票で第五位と惨敗。WSF会場で知られるポルトアレグレでも他党と統一戦線を組んだ人民社会党(旧共産党)のジョゼ・フォガーザが労働党候補に勝利。

10.06 コリン・パウエル国務長官がブラジル訪問。「ブラジルは、平和のため世界中に軍隊を派遣しており、安保理常任理事国としてふさわしい」と発言。ただし米国が常任理事国拡大に賛成するかどうかは未定。

10.17 「コレィヨ・ブラジリェンゼ」紙、ウラジミル・エルソグの死亡直前の3枚の写真を公表。エルソグは独房内に裸で屈辱的な姿で写っている。ブラジル議会の付属組織に保管されていた。エルソグの妻クラリスは三枚の写真を実物だと確認。

10.17 軍の参謀本部長は、「クーデターは国民の叫びであり、これによって平和と安全のうちに新たなブラジルの建設の条件が整った。(拷問と虐殺は)対話を拒否し暴力に訴える者、過激で不法な手段に走り、犯罪的行動を引き起こすために武器をとったものに対する正当なものであった」と声明。

10.18 ルーラ大統領、ジョゼ・ビエガス国防相に対し、軍の声明について怒りを表わす。

10.19 下院人権委員会のマリオ・エリンへル委員長、軍政時代の死者と行方不明者の新たな調査を議会に提案すると述べる。

10.31 サンパウロ市長選の決選投票で、PSDBのセラがPTのスプリシ現知事に、ほぼ60万票(約10%)の大差で勝利。スプリシーは歳入の3倍を優に上回る債務を残し、市政を明け渡す。サンパウロ州知事も同じPDSBのジェラルド・アルキミン。

10.31 WSF会場で知られるポルト・アレグレの市長選挙。社会人民党(旧共産党)のジョゼ・フォガーザが他党と統一戦線を組み、54%を得て当選。PTは16年ぶりに市長の座を明け渡す。PPSはPTの左翼に立ち、政府を批判してきた。

10.31 フォルタレサ市長選挙では、PTが分裂。PT社会民主主義派のLuizianne Linsと、PT協同(Articulacao)派が推薦するPCdoBのイナシオ・アルーダとの対決となる。リンスが勝利。

10月 統一地方選挙でルーラ大統領のPTは議席を伸ばした一方、PMDBは大きく議席を減らす。地方のPMDB幹部に連立への不満が高まる。

10月 EUとメルコスルの貿易交渉、農業問題の取り扱いをめぐって対立。

04年11月 左派ビエガス国防相が辞任

11.05 ジョゼ・ビエガス国防相が辞任。当初、政策調整大臣のアルド・レベーロ(PCdoB)が後継に予定されたが、右派勢力自由党出身のジョゼ・アレンカル副大統領が国防相を兼務。ブラジル軍隊の勢力が依然として強大であり、ビエガスとの対決に勝利したことの証明と受け止められる。マルシオ・トマス・バストス司法大臣は、引き続き軍政時代の文書を開陳していく方針を確認。

11.08 ルーラ大統領、ハイチに国連平和維持軍として派遣する姿勢を強調。「ハイチが自力で来年の選挙を行い,法に基づいて公正な投票で選ばれた大統領を選出することができるまで、平和を維持しようとするのが我々の意図だ。もし我々が駐留しなければ,ブラジルが決して行わないようなことをするために、アメリカ軍が出てくるだろう」と述べる。

11.21 ロシアのプーチン大統領がブラジルを訪問。「ブラジルはラテンアメリカの中で戦略的に重要な国だ」と述べ常任理事国入りを支持。

04年12月 それでもルーラ

12.11 社会人民党(PPS)、ルーラ大統領の経済政策をネオリベラリズムと批判。与党連合からの撤退を決定。ただし閣僚の引き揚げは行わないという中途半端なもの。PPSは元共産党活動家が設立したもので、下院20議席、上院80議席を占める。

12.12 市長選での敗北を受け、ブラジル民主行動(PMDB)の全国大会が開かれる。与党連合からの離脱と、06年の大統領選での独自候補擁立を決議。

PMDBは与党連合内でPTを上回る最大政党だが、今回の選挙では支持基盤をPTに掘り崩されたことから、地方ボスの強い反発を受けた。PMDB所属の連邦議員(上院23人、下院76人)の多くは連立維持を主張。ひきつづき議長に就任したジョゼ・サルネイ元大統領も、連立からの離脱に反対していた。

12.15 ルーラ大統領の支持率が65.4%に達する。(9月は58.8%)

12.16 ルーラ大統領は、64〜85年の軍政に関する機密資料を公開すると発表。国に先だって、ミナス・ジェライス州ではアラグアイア・ゲリラの根絶事件などに関する機密資料23万点の公開が始まる。

12月 公共事業の実施と管理運営に民間活力を導入する官民共同事業法(PPP)を施行し、コンセッション方式によるインフラ整備をはかる。

12月 ブラジルのGDP実質成長率は、過去10年間で最高の4.9%に達する。輸出は905億ドルで、前年比32%増加。経常収支が黒字化。

04年の経済マクロ: 
@GDPは年度前半まで5%台の水準であったが、後半に入って、期待インフレ率が上昇し、中銀が金融引締めを進めた結果、総投資は減少し失速傾向を示す。
A貿易動向は中南米向けが52%増、EU向けが30%増、米国向けが20%増。いっぽう、03年に8割近く増加した中国向け輸出は減速。内需の回復と原油価格の高騰を反映して、輸入が593億ドルと大幅に増加(28%)したため、貿易黒字は312億ドルにとどまる。
B依然として高水準の公的債務残高が実質金利を高止まりさせ、持続的な成長を妨げている。

12月 ルーラ大統領、IMFからの新規融資は必要ないとし、期限切れを迎えたIMFの融資協定を更新しないことを決定。

対外債務の動向: プライマリー収支黒字の拡大と債務構成の改善がすすむ。ドル連動債務を23.82%から10.35%に削減し、固定金利ものを11.27%から18.71%に増やしたことが貢献。為替変動債は02年半ばの45%弱から5%弱まで低下。
対外債務残高は1年で100億ドル以上減少。2,000億ドルを割り込む。GDP増加に伴い対GDP比も57%から51%に低下。この結果海外市場でレアル建て国債による資金調達が可能になる。

 

2005年

1.18 ブラジルで、ルーラ大統領、チャベス大統領、キルチネル大統領の3か国首脳会談。

1.29 ポルトアレグレのWSF会場で、ルーラの人形とアメリカ国旗が焼かれる。

1月 PPP法にもとづき多年度投資計画(PPA = Plano Plurianual)の発表。社会・経済・地域・環境・民主主義の5分野で374のプログラムという大風呂敷。

PPA: ブラジルが持続的成長を目指す上で重要な役割を担うのは輸出だが、現状では物流コストが高く、輸出産業が潜在能力を十分に発揮できないでいる。輸出関連の道路、鉄道、倉庫、港湾設備などのインフラ整備をPPAで遂行するのが狙いとされる。

05年2月 修道女ドロシー殺害事件

2.10 労働党が創立25周年を迎える。党員数は82万人を超え、下院最多の90議席、3知事、411の市長、3679地方議員を抱える。記念集会でジョゼ・へノイノ委員長が講演。「PTは依然として左派である。議会で多数派となって大統領を支援するための連合が必要だ」と述べる。ヘノイノは70年代のゲリラ・メンバー。

2.12 修道女ドロシー・スタング (73)、パラ州アナプー郡内で、武装した2人組に銃弾6発を打ち込まれ殺害される。

ドロシー・スタング 米国生まれでブラジルに帰化。アナプーで「持続的発展プロジェクト」(PSD)と称する集団農場を運営。アマゾン地帯の環境や先住民の保護活動を20年以上続けてきた。このため森林開発業者からたびたび死の脅迫を受けていたという。農場に隣り合わせているビーダ(本名ビタルミーロ・デ・モウラ)の農地沿いにPSD参加家族の小屋を建てようとして、ビーダの怒りを買っていたといわれる。

2.14 ルーラ・ダシルバ大統領、ベネズエラを訪問。エネルギー・鉱山、農業、貿易や観光などさまざな分野に及ぶ協定に調印。

2.14 下院議長選挙。PTの擁立候補が進歩党(PP)のセベリーノ・カバルカンチに敗れる。

2.20 ドロシー殺しの犯人フォゴイオーが潜伏先の知人宅でつかまる。翌日、共犯のエドアルトも逮捕される。二人は、ビーダの手下タットからドロシー殺しを頼まれ、謝礼として5万レアルと牛数頭をもらうことになっていたと供述。タットは無関係と主張。殺害を指図したというタットの主人のビーダは行方不明のまま。

2.22 カルドーゾ前大統領、アメリカのカーラ・ヒルズ元通商代表が代表となり、ワシントンとラテンアメリカの「国際対話」。「米州のための計画2005」を発表し、米州自由貿易協定(ALCA)の実現と関係の再活性化を呼びかけ。またキューバの孤立化政策をやめ、キューバとの接触と対話をすべきだと求める。

2.23 世論調査。ルーラ大統領の支持率は66.1%に達し、次期大統領選での再選は確実となる。

2.28 上院調査団がアルタミラ市警察を訪れ、犯人フォゴイオーとエドアルドから事情聴取。二人は農場主のビーダのほか、アナプー郡長ルイス・ドス・レイス・カルバーリョ(PTB)を関係者としてあげる。

2月 大サンパウロ都市圏の失業率が最近九か月間連続してダウン。16%台にまで低下。反面、雇用事情の好転は労働者の所得向上につながっていない。大サンパウロ圏勤労者の平均給料は1年前に比べ4.4%減となっている。

05年3月 WTOでの綿花紛争でアメリカに勝利

3.01 IBGE(ブラジル地理統計院)の発表で、2004年GDP成長率が5.2%を記録。これは94年以来の成長率。3年間好調を維持している輸出に加え、国内消費(内需)が増加したため。しかし人口増加が続くことから、一人当たりの国民所得は3.7%にとどまる。

3.01 国家安全保障室長官のJ・A・フェリックス将軍、パラー州都ベレーンを訪れ、シモン・ジャテーネ知事と会談。連邦と州の共同対策行動について協議。ある種の会社や製材工場の閉鎖措置もあり得ると発言。

3.02 2004年のGDP成長率は輸出と国内需要の増大により、94年以来最高の5.2%に達する。

3.04 中銀、99年以来の二本立て為替市場を廃止し一本化する。

3.04 WTO、綿花栽培の保護政策問題でブラジルが米国に勝訴。米国が国内法で綿花栽培を保護していることに対し、ブラジルが提訴していたもの。アメリカはこの裁定を無視。

3.04 WTO(世界貿易機関)、ブラジルが米国を訴えていた綿花栽培の保護政策問題で、ブラジルに有利な裁定。

3.22 Ibopeによる世論調査。ルーラ政権の支持率は58%となる。

3.27 米国人ドロシー・スタング修道女の殺人を命じた大農園主ビタルミロ・バストス・デ・モウラが逮捕される。すでに逮捕された3人の男が、スタング殺害を命じられたと自供している。

3.28 政府、1998年以来のIMF融資支援からの脱却を宣言。IMFとの融資協定の延長を打ち切る。

3.31 リオ郊外の二つの町で無差別発砲事件。30人の死者を出す。当局は事件に関与した容疑で警察官11人を逮捕。うち8人を殺人罪で告発。

05年4月 ライス国務長官、ブラジルを民主化の同盟国と評価

4.09 エンリケ・メイレレス中銀総裁に脱税と不正外国送金の疑惑が浮上。野党PSDBなどから辞任要求の声高まる。

4.14 アフリカ歴訪中のルーラ大統領、セネガルを訪問。3世紀にわたって存在したブラジルの奴隷制度に関して涙とともに謝罪した。アブドライエ・ワデ大統領は、ルーラも自分も過去の行為について責任はないが,「傷を癒す」ことはできると語った。

4.19 パロッチ財政相、ニューヨークでのセミナーで講演。ブラジルの経済成長は今後10〜20年間にわたる。そのための基礎ができていると強調。

4.27 ライス米国務長官、ブラジル入り。ブラジルを南米の民主化のための同盟国と評価。安保理常任理国入り問題については言及せず。

4月28日 地理統計院によれば、3月の失業率は前月比で0.2ポイント上昇し、10.8%に達する。これは半年前の10.9%以来の高水準。

4.30 ブラジル政府、 エクアドルのグティエレス前大統領と家族に4年間(更新可)の政治亡命を正式許可。

05年5月 

5.02 4月の貿易収支が記録的な黒字となる。発表を受けてレアルは5%高となる。公的債務残高、GDP比が50.3%まで低下。プライマリー収支黒字の拡大と債務構成の改善がすすむ。為替変動債は02年半ばの45%弱から5%弱まで低下。

5.11 サンパウロで南米アラブ諸国サミットが開催される。南米とアラブ地域の経済関係強化を目的とする。34ヵ国の首脳が集結。ルラ大統領は、「発展と社会正義を勝ち取るため、具体的な手段をとりたい」と語る。パレスチナ問題やイラクの独立支援などを内容とするブラジリア宣言を採択。チャベス大統領は、「帝国に挑戦するアラブ・南米前線」の創設を提唱。

5.14 12,000人以上の土地なし農民が、農地改革の遅れに抗議して200キロを行進。ブラジリア郊外に到着。

5.26 ルーラ大統領が初の訪日。小泉首相との会談で、「日伯間経済関係再活性化のための共同プログラム」で合意。また両国が国連安保理常任理事国入りに向け協力していくことも合意。

5月中旬 週刊誌「ヴェージャ」が連邦郵便公社の汚職疑惑を暴露。公社の役員を介して賄賂を受け取ったPTB党委員長でRio de Janeiro選出の下院議員ジェフェルソン(Roberto Jefferson)が、批判の矢面に立つ。

5月末 PSDBなど野党は、政府・与党の反対を押し切って「郵便公社汚職疑惑に関する議会調査委員会」(CPI)を設置。真相究明に乗り出す。

05年6月 郵政汚職から「大月給疑獄」へ

6.06 ジェフェルソン、“Folha de Sao Paulo”紙と会見。連邦下院選挙において組織的な票の買収工作があったと暴露。彼によれば、政府とPTは毎月US$ 13,490を支払い、他党議員買収のため裏金を支給していたという。

6.10 ジェファーソンの告白に基づき、PT幹部による政府機関からの不正資金の調達、他党議員の買収、過去の選挙での裏金作りなどの疑惑が発覚。議会内に三つの審査委員会(票買収疑惑、ビンゴ・パーラー疑惑、郵便局疑惑)が組織される。事件は「大月給疑獄」 ("mensalao")へと発展。

6.16 ジョゼ・ディルセウ(Dirceu)大統領府長官が辞任を表明。下院で票の買収にかかわったとして辞職を迫られる。鉱山動力相のジルマ・ロウセフ女史が後任となる。

6.20 アスンシオンで第28回メルコスール首脳会議。4大統領のほかボリビア、チリ、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、パナマ大統領が参加。米州開発銀行のエンリケ・イグレシアス総裁も出席する。ペルーからコノ・スールに天然ガスを送るガスパイプラインの建設計画が提案される。またメンバー国の経済格差を調整するため、共通基金1億ドルを創設することでも合意。ブラジル70%、アルゼンチン27%の拠出金がウルグアイとパラグアイに与えられる。

6月 ブラジル最大のヴァリグ航空、4000億の累積負債を抱え倒産。会社更生法に基づき資産保全の適用を申請。

05年7月 

7.15 広告業者のマルコス・バレリオ・デ・ソウサ、PTによる贈賄操作に関わったことを認める。バレリオは自らの会社名で銀行から借り入れ、PTのデリオ・ソアレス財務部長に手渡していた。ブラジル議会はバレリオ(Valerio)の拘留を要請。

7.21 PTの下院議員会長パウロ・ロチャ、議員を「一時的」に辞職すると声明。

7.22 PTのシルビオ・ペレイラ書記長、民間会社から、「贈り物」として高級自動車を受け取っていたことを認める。

7.26 パウロ・エンリケ・グエデス・マチャド司祭、リオ・デ・ジャネイロ近くのノバ・イフアスの中心部で暗殺される。グエデスは警官らからなる「絶滅団」によって殺害された29人の住民家族を支援していた。このため「絶滅団」により「処刑」されたものと見られる。

7.27 ルーラ政権、三回目の内閣交代。閣僚10人あまりを入れ替え、政治混乱の収拾と連邦議会での基盤の再構築を図ろうとする。PTの閣僚ポストを減らしてPMDBに割り当てたため、PT所属の閣僚は過半数を割る。

7月 サンパウロ・フォーラムの第十二回会議が開かれる。五カ国の政権与党を含め中南米の左翼・進歩勢力が結集。最終宣言で、「地域統合は、発展と進歩、主権をめざすたたかいの手段であり、“異なるグローバル化”への根本的手段だ」と強調。

8月10日 Datafolhaが世論調査。政権支持率は31%と、発足以来の最悪の結果を記録。

8月中旬 ドゥーダ・メンドンサ、議会調査委員会で証言。「PTの不正資金をバハマなどタックスヘイブンに蓄積し、大統領選の際に使用した」と認める。メンドンサはPT関連の広告代理店の経営者。ルーラ大統領の盟友であり、大統領選では選挙資金を取り扱う参謀を務める。野党の一部から大統領弾劾を求める声も出る。

8.19 パロッシ財務相、リベイロン・プレット市長の時代にゴミ業者からのリベートを受け取ったとの告発を受ける。パロッシ財務相は疑惑を完全否定する。

8.29 労働者党のヘンロ暫定党首(前教育相)、辞任の意向を表明。「過去から脱却することが前提だが、現実にはそうならない」と語る。

05年9月 

9.02 ブラジル保健省、昨年の銃による死者数が約36,000人(毎日100人の計算)と発表。これは前年比8.2%減。

9月 議会調査委員会、三大疑獄事件の中間報告。ジョゼ・ディルセウ大統領府長官を含む議員19人が関与していた疑い。仕掛け人はPTのMarcos Valerio de Souza広報部長とDelio Soares財務部長であったことが明らかになる。

9月 議会調査委員会の報告に基づき、ジョゼ・ジルセウを含む3人の議員資格が剥奪される。またこれとは別に、98年のミナス・ジェライス州選挙の不正に関与したとして、PTのジョゼ・ジェノイーノ委員長とPSDBのEduardo Azeredo委員長が議会を除名される。PTは所属議員の相次ぐ離党により、与党第一党の地位を失う。

9月下旬 あらたにカヴァウカンチ下院議長(Severino Cavalcanti)にたいする疑惑が浮上。カヴァウカンチは進歩党(PP)委員長で連立与党の一員。彼は議長のみならず議員を辞職した。これは議員資格剥奪と公民権停止処分を避け、次の選挙への出馬資格を維持するためとされる。

9月下旬 カヴァウカンチの辞任の後を受けた下院議長選挙。ルーラ政権の支持したレベロ候補(PCdoB)が勝利する。

9.30 ブラジリアで南米統合に向け「南米国家共同体」(Casa)設立会議が開かれる。チャベスは、「ルーラの提案した方式は不十分で、過去において失敗したアンデス共同体と変わりない。これでは統合実現は2200年になってしまう」と批判。Casaでなく南米共和国統合(Unasul)を名乗るよう主張。

9月 財務省、ブラジル初のレアル建てグローバル債(期間10 年、発行利回り12.75%)を発行。15億ドルを調達することに成功。国際金融市場でのブラジルに対する信認回復により、対外ファイナンスは安定する。しかし債務は依然として高水準であり、これが実質金利を高止まりさせ、持続的な成長を阻害する。

05年10月 

10.09 政治的苦境の中でPT党大会。総裁選では主流派のベルゾイーニ候補が僅差で左派のポンテ候補を破る。

10.23 銃と弾薬の売買を原則的に禁止することの是非を問う国民投票。禁止賛成が34%、反対が64%で反対派が圧勝。銃製造業界や保守派の政治家らが「規制は犯罪者を喜ばせるだけ」と危機感をあおる。警察が予算・人員不足などから信頼度が低いことも要因となる。

銃による犯罪: ユネスコによると、暴発事故をふくめた銃によるブラジルの死者は10万人当たり年間21.72人(日本は0.06人)で、ベネズエラに次ぐ第2位。サンパウロなどの大都市では、貧しい人々が暮らすスラムを武装した麻薬密売組織が事実上支配、組織間の銃撃戦や、銃を使った強盗事件が多発している。

10.26 ブラジリアでブッシュ大統領のブラジル訪問に抗議する約6000人のデモ。

10月 世界第1位の牛肉輸出国ブラジルで口蹄疫が発生。56カ国が輸入制限措置をとる。

10月 ムーディーズ、ブラジルの債務削減を評価し、カントリーシーリングを従来のB1からBa3ポジティブへ引き上げる。

05年11月 

11.05 米州首脳会議、FTAA交渉の再開についてブラジルなど5カ国が慎重姿勢を崩さず、両論を併記した首脳宣言を採択し、閉幕。議論は物別れに終わる。

11.05 サンパウロ州検察局、リベイロン・プレット市役所の過去の不正について捜査開始。パロシ財務相が同市市長だったとき、集塵会社との金銭授受があったとされる。ルーラ大統領は「真実に乏しい告発はやめるべき」と批判。

11.06 ブッシュ、米州首脳会議のあとブラジルを公式訪問。ブラジル政府は、FTAA交渉よりWTOドーハラウンドを優先させたい意向をしめす。ガルシア外交問題補佐官は、ブラジルの考えに「ブッシュ大統領が理解を示した」と強調。

11.14 世論調査(CNT)。きょう選挙が行われたばあい、ルーラ大統領に投票しないとの回答が2ヶ月前に比し7%増加。ルーラ大統領の支持率は、9 月の50.5%から、就任以来最低となる46.7%に低下する。

11.14 レアル高不況による景気後退が続く。高金利と財政支出抑制政策を続けるルーラ政権への批判が高まる。汚職疑惑を攻撃されたパロシ財務相は辞意を表明するが、ルーラにより慰留される。

11.27 BBCによれば、サンパウロの人口あたりヘリコプター保有数は世界一。豊かな人間が貧困地域を避けて飛んでいるからである。ブラジルはシエラ・レオネに次ぐ不平等の国となる。

11.30 汚職疑惑のジルセウ下院議員(前官房長官)、下院本会議で議員権停止となる。ジルセウは与党幹部として不正選挙資金網の構築を指揮し、議会ではブラジル労働党(PTB)、自由党(PL)、進歩党(PP)等の有力議員らに裏金(メンサロン)をばらまいた。

05年12月 

12.16 ブラジル財務省、IMFに対するドル建て債務155億ドルを前倒しで返済完了すると発表。対外債務の対GDP 比は21.2%にまで低下する。

12月 ブラジルの貿易黒字が448 億ドルを記録。国内実質金利が13%の高率であるため、海外からの為替投機(FDI)が続く。いっぽう高金利から投資意欲が減退し、経済はマイナス成長に落ち込む。

12.22 大統領府長官ジルマ・ロウセフ、1964年から1985年の軍政時代の秘密文書の公開を開始すると発表。国家資料館が軍情報サービス、総合捜査委員会、国家安全協議会の膨大な資料を受け入れ、閲覧できるようにすることとなる。ロウセフはかつてゲリラ活動に参加し、迫害された経験を持つ。人権団体などは、重要書類が公開対象からはずされていると批判。

12 尼僧ドロシー・スタング殺害の実行犯二人に27年と17年の判決。主犯の農園主と仲介役の裁判に移る。

05年 新PCBの13回大会。ルーラ政権との断絶を宣言。PCdoBとの統合も拒否。イヴァン・マルティネスがPCB書記長に就任。

イヴァン・マルティネス(Ivan Martins Pinheiro): 46年リオの生まれ。ペドロ二世カレッジで学生運動を開始。全学連委員長を務める。軍政時代にはMR-8に加わっていた。グアナバラ国立大学のロースクールを終えた後、76年にブラジル銀行に就職。78年にリオ銀行労組の議長に選出される。82年に旧PCB中央委員となる。

 

 2006年

06年1月 

1.05 ドイツ、インド、ブラジルの3カ国、国連安保理改革に向けた枠組み決議案を再提出。日本の意向は無視される。3カ国筋は「日本との戦略上の違いは明白で、いわばG3+1が現状だ」と解説。

1.17 アモリン伯外相、米国とキューバ、ベネズエラ、ボリビアとの対話にブラジルが仲介をすると提案。米国は直ちに提案を拒否。

1.18 ウルグアイが米国と2国間自由貿易交渉を進める動き。キルチネルが至急ブラジリアを訪れ、ルーラと対応策協議。ウルグアイのバスケス大統領から、交渉を凍結する確約をとる。キルチネルとルーラは、2大国が加入小国への配慮にかけていた点を反省。今後のメルコスール及び南米南米国家共同体(Casa)向け統合の必要性を強調する。

1.20 ブラジル先住民基金(Funai)、アマゾン地域に住むヤノマミ族にマラリアが大流行していると発表。2005年のマラリア発症件数は、約2400件で、昨年より1000件の増加。2000年センサスによるヤノマミ族の人口が1万2千人であり、この2年間に人口の1/3が罹患したことになる。

1.26 あらたにアントニオ・バロッチ蔵相にも疑惑が波及。90年代、サンパウロ州のリベイラオ・プレト市長時代に、「貯蓄銀行疑惑」で不法な資金を得て、政治活動に融資したとされる。また02年大統領選挙でキューバからの資金提供を受けた疑惑もあげられる。ポラッチは上院委員会での証言で疑惑を全面否定。

1.30 ブラジル議会、アルゼンチンの軍人6人のほかスリナム、パラグアイおよびウルグアイの軍関係者を近日中にも調査すると発表。リオデジャネイロとサンパウロの麻薬密売組織に武器を提供した疑惑による。

1月 PCdoBとPPSが、日本共産党第24回大会に代表を派遣。

06年2月 

2.05 議会調査委(CPI)、与党を巻き込む汚職疑惑について本格的調査を開始。

2.06 急進派農民組織ヴィア・カンペジナがシンゲンタ研究所を占拠。

2.23 ブラジル財務省、94年に発行したブレイディ債を買い戻すと発表。買い戻し資金は総額66億ドル以上に及ぶ。

2月 ブラジル地理統計院(IBGE)発表によれば、昨年度の失業率平均は9.8%で、前年の11.5%を下回る。一方、労働者平均所得は前年比2%アップ。

2月 リオのカーニバルで、ベネズエラ石油公社(PDVSA)の資金援助を受けたビラ・イサベル(サンバ学校)が優勝。

06年3月 

3.03 ベネズエラ・ブラジル・アルゼンチンの三国、「南米グラン・パイプライン」構想の実現に向け総額920万ドルの調査費拠出で合意。

3.08 MST、「闘争期間」を宣言。リオ・グランデ・ド・スル州バロ・ド・リベイロでは、アラクルス・セルロサ社の遺伝子プラントを占拠する。3千万ドルの研究プラントのうち、500万ドルに当たる施設が破壊される。襲撃部隊、約2千人のほとんどは女性であった。

3.14 社会民主党(PSDB)、次期大統領候補にサンパウロ州知事ヘラルド・アルクミン(Alckmin)を指名。これまで最も有力な対立候補とみられていたサンパウロ市長のジョゼ・セーハは、サンパウロ州知事候補へ回る。

3.16 IBOPEの世論調査。ルーラ支持が43%、対抗馬のアルクミンは19%。

3.23 ニルダ・ガラー国防相、軍隊の文書とデータベースへのアクセスを完全に自由にすると発表。文書は「記憶の国家文書庫」に置かれ、「軍政時代の極めて深刻な事実に関する情報へのアクセスを無制限に可能にする」と述べる。これにより軍事独裁時代の人権侵害を文書で確認することが可能となる。

3.27 贈収賄疑惑のアントニオ・パロッチ経済相、ルーラ・ダ・シルバ大統領に辞職を伝える。後任にブラジル経済社会開発銀行(BNDES)総裁で、長く大統領の経済顧問を務めるギード・マンテガBNDES総裁が就任。ルイス・グシケン連携戦略運営局長は、閣僚としての地位を失うが、大統領直属の戦略課題委員長として政権内に残留。

3.30 議会委員会、汚職問題に関する9か月間の調査報告を発表。PTが、連合を組む政党の代表に、数百万ドルにおよぶ非合法な金銭を支払ったことを明らかにする。ジョゼ・ジルセウ元官房長官ら2人の元閣僚と19人の現旧議員とを含む100人以上が、汚職の罪に問われる。ルーラの責任に関しては言及せず。

3月 議会、Azeredoの除名を取り消す決議。

3月 郵便局疑惑調査委員会の最終報告。国営企業(郵便局、保険庁、フルナス中央電力会社、ブラジル銀行)などにおいて、少なくとも67人が疑惑に関与したとされる。

06年4月 

4.05 ブラジル警察は、銀行秘密漏洩の疑いで、アントニオ・パロッチ前経済大臣を正式に告発。

4.12 アントニオ・フェルナンド・デ・ソウサ検事総長、PTの汚職捜査は、まだ初期の段階で、さらに摘発が行われるだろうと述べる。

4.26 サンパウロでアルゼンチン、ブラジル、ベネズエラの大統領が会談。ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチンを結ぶ1万2000キロ、総工費200億ドルのガス・パイプライン建設で合意。

4.21 ルーラ・ダ・シルバ大統領、ブラジルが石油の自給を実現したと宣言。大陸棚P-50開発の最大操業時には日量18万バレルの原油を産出することになり、現在の生産量176万バレルと加えて供給量が需要量を上回る予定。

4月 尼僧ドロシー・スタング殺害事件で、仲介役のアマイル・フェイジョリ・ダ・クーニャに懲役18年の判決。ダ・クーニャは、主犯が農園主のレジバルド・ペレイラ・ガルバオとビタルミノ・バストス・デ・モウラであることを証言したため、減刑された。

4月 PTから分裂し結成されたPSOL(社会主義と自由党)、トロツキスト系のPSTU(統一労働者社会主義党)、PCB(ブラジル共産党・非改称派)が、第三の勢力として「左翼戦線」を結成。大統領選挙にエロイザ・エレナを公認する。

06年5月 

5.01 ボリビアのモラーレス大統領、天然ガス及び原油採掘プラントの国有化を宣言。ルーラ大統領も「ボリビアの主権を尊重する」との声明を発表。ペトロブラス(ブラジル石油公社)は既得権益、賠償問題、今後の天然ガスの価格などについて批判。ブラジルにおける天然ガス消費量は約5000万m3といわれ、そのうちの約2600万m3をボリビアからの輸入に依存している。

5.09 ブラジル政府、ベネズエラのラテンアメリカ内での「干渉への不快感」を表明。ベネズエラ外務省は、これに対する「驚き」を明らかにする。

5.11 ウィーンでEU・中南米首脳会議が開催される。モラーレス大統領は「ペトロブラスなど外国企業はボリビア国内で違憲行為を行っており、このような企業との契約書は無効である。したがって天然ガス国有化に際しての賠償には応じられない」と発言。翌日、「報道は過剰である」とのべ、事実上発言を修正。

5.12 サンパウロで一週間にわたる大規模な暴動。警察や公的機関への襲撃や焼き討ち、刑務所内での暴動、市内バスへの放火、銀行や地下鉄の駅などへの襲撃などが相次いで発生。サンパウロ空港にも爆弾が投下されるとの情報が入り、空港が一時閉鎖される。企業や商店、学校などは一時閉鎖し、サンパウロの都市機能はほぼ全面的にストップ。暴動の主犯は、サンパウロ州を根城とする「首都第一コマンド」(PCC:PrimeiroComandodaCapital)と名乗る犯罪集団。

5.22 エスタード紙によると、一連の暴動による死者数は、4名の一般市民をふくめ合計で166人にのぼる。このうち111名が犯罪容疑のまま射殺されたことから、警察側の判断に対する批判が高まる。また刑務所暴動は、劣悪な環境が要因となっており、これまでも国際機関などから告発されてきた。

5月 長期にわたるドル安レアル高により大きな打撃をこうむっている輸出向け農業生産者が、トラクターによる主要幹線道路や鉄道の封鎖などの直接行動を各地で展開。連邦政府は755億レアルにのぼる融資などを含む緊急対策を発表。 

6月 ブレイディ債、パリクラブの債務も全額返還を完了する。

9.13 ブラジルで、世界の経済成長を主導するインド、ブラジル、南アフリカの初の首脳会議(IBSA)が開かれ、三国間の経済関係の強化を確認する。

10.01 大統領選挙。ルーラは米国支配からの自立、国内の社会福祉・貧困対策の成果と継続を訴えるが、得票は48%に止まる。ブラジル社会民主党のアルキミン候補(前サンパウロ州知事)は、米国が進める米州自由貿易圏(FTAA)構想の支持を争点に打ち出し、ルーラに6%差に迫る。財界は、事実上のアルキミン支持を表明。北東部ではルーラが圧倒的な強さを見せたが、大都市部や南部ではアルキミンが上回る。左翼戦線のエロイザ・エレナも7%を獲得。

10.01 同時に実施された連邦議会選挙では与党PTが伸び悩み、下院513議席中83議席、上院81議席中11議席にとどまる。引き続きPMDBや主要野党のPFL、PSDBなどの協力が不可欠となる。

10.01 同時に実施された州知事選挙では、26州と1連邦区を、PMDB 5→7、PSDB7→6、PT3→5などが獲得。

06年 PCB、左翼小政党のP-SOL、PSTUと選挙連合を組む。アマパ州議会に1議席を確保、地方議会に約20名を当選させる。

10.29 大統領選決選投票でルーラが5800万票(61%)を獲得し勝利。アルキミンに大差をつける。ルーラは当選後の記者会見で、経済成長5%以上を実現するとともに「貧困層を最優先する」姿勢を打ち出す。また地域統合に向け、メルコスルを引き続き強化する方向を確認。

 

2007年

1.22 第2期ルーラ政権、PAC(Programa de Aceleração do Crescimento:成長加速プログラム)を発表。5%のGDP成長率を目標とし、インフラ投資、信用と融資の促進、投資環境の改善をめざす。

3月初め ブラジル地理統計院、貧困層への支援金支給プログラム「ボルサ・ファミリア」により1100万の家庭が救済され、06年度に800万人が貧困から脱出、貧困人口率は四分の三に低下したと報告。

3.08 サンパウロで、「ブッシュは出て行け」と書かれた横断幕を掲げる一万人規模の抗議デモ。

3.09 ブッシュ米大統領、サンパウロでルラ同国大統領と会談。バイオ燃料(エタノール)の技術開発や貧困問題などでの協力を表明。会談後の共同会見で、両国は「米州の二大民主主義国家だ」と強調。「われわれの域内の国のことを非常に心配している」と述べ、ベネズエラへの懸念を表明する。これに対しルーラは、「南米の地域統合は民主主義強化にとって最善の道」であり、それは各国の主権と独立の尊重を特徴とすると述べる。

3.30 ルーラ、ワシントンポスト紙に「バイオ燃料のための同盟」という論文を寄稿。バイオ燃料を非難するカストロに反論。「ブラジルはガソリン消費の40%相当をエタノールで代替しているが、飢餓や環境破壊を起こしていない。しかし米国がトウモロコシからエタノールを生産しているためトウモロコシ価格は80%も上昇している」と述べる。

3.31 ルーラ、キャンプ・デービッドを訪問。中南米の元首がキャンプ・デービッドに招かれたのは、1991年のサリーナス大統領(メキシコ)以来。

5月 Petrobrás、ボリビア国内の石油精製所をボリビア政府へ売却することで合意。1200万ドルの損失を計上。

6.30 リオデジャネイロの貧民地区アレマンで大規模な麻薬取締り捜査。暴力団との衝突で死者18人を出す。

7.11 ルーラ大統領、総額7千万ドルに上る原子力潜水艦建造プロジェクトを発表。原発の建設プロジェクトも再開される。

7.17  乗員乗客合わせて186人が搭乗したTAM航空機(エアバス320型)が、サンパウロ空港着陸時に燃料倉庫に衝突し炎上。

07年8月 

8.03 ルーラが原水爆禁止2007年世界大会にメッセージ。核兵器を非核兵器保有国に対して先制的に使用する可能性を持つブッシュの新戦略を非難。危険を根絶する唯一の方法は、核兵器の完全廃絶であると強調。

10.15 ブラジル、綿花栽培への保護政策を不当として米国を提訴。WTOはブラジル側の主張を受け入れる。

10.15  ルーラ大統領、アフリカ諸国を歴訪し、バイオ燃料政策への支援を呼びかける。

10月 総延長約2,600kmにも及ぶ国内7主要幹線道路の管理運営を民営化。スペイン系企業が落札する。過去10年間のスペイン企業によるブラジル投資総額は約US$330億に上る。

12月 失業率が7.4%に低下。平均月額所得も最高水準に達する。

12月 投機資金が大量に入る。ドル安レアル高の影響により、貿易黒字額は過去10年間で初めて前年比マイナスとなる。

 2008年

 

 2009年

4月 ルーラ後継のジルマ大統領候補、甲状腺癌が発見されたと発表。

4月 MR-8が自由祖国党の名で結党大会。11年10月にブラジル29番目の政党として公認される。登録党員は54名。

11月 PCdoBが第12回党大会を開催。レナート・ラベロが議長に選出される。

12月 インフレ目標4.5%とする金利誘導目標(Selic)が初めて一ケタ台に低下。05年までは15〜19%だった。

 

 2010年

 1月 最低賃金、510レアルに引き上げられる。ルーラ政権発足時は240レアル。平均すると年11.4%の改定率となり、ここ数年のインフレ率を大きく上回る。

1月 大統領選挙の世論調査。PSDBのセーラ候補がジルマ候補を上回りトップに立つ。

2月 中銀が強制預託金(預金準備率)の引上げ。資金枯渇状態が一段落したことを受けての引き締め措置。

3.29 鉄鉱石価格はスポット価格に連動することとなる。これにより90%値上げされた。

3月 政府がPAC-2を発表。全国規模のインフラ整備、住宅建設支援、エネルギー開発など主要6部門への投資計画を柱とする。

5.17 大統領選挙世論調査でジルマ候補がセーラと並ぶ。これ以降、形勢が逆転し、ジルマが優勢を強めて行く。

6.10 上院議会で石油改正法案が可決され、プレサル深海油田開発に関する規定が承認される。

10.03 総選挙。大統領選はジルマ候補が有効票の46.91%、セーラが32.61%、マリーナ・シルバが19.33%となり、有力視されたジルマの一次選当選はならず、1031日の決選投票に持ち越された。

10.03 州知事、連邦議会、州議会選挙ではPT及び与党連合が勝利。PTは上院で全議席の66%、下院でも69%を占める。しかしサンパウロ、ミナス、パラナなどの重要州知事は野党(PSDB)が制した。

10.31 大統領選挙の決選投票。ジルマの当選が確定。

ジルマ・ディルセウ: 軍事政権時代(60年代)には非合法左翼ゲリラ組織の武力闘争に参加。国家政治弾圧機関に拘禁された経験も持つ。ルーラ政権の成立に伴い、リオグランデドスル州鉱山・エネルギー・通信長官から転出。大統領府文官長となり、大統領の右腕として辣腕を振るう。特にPAC(経済成長加速計画)の推進役として活躍し、ルーラ大統領自ら「PACの母」と呼んだ

12月 政治世論調査(CNI/Ibope)によると、ルーラ大統領に対する個人的評価(政府ではなく)は、驚異的な87%が「支持する」と答え、史上最高率を記録した。さらにジルマ次期大統領に対しても62%が「最高、良好」の好意的評価

12月 外資の流入が続き外貨準備高は3000億ドルに達する。マンテガ財務大臣は、「レアルは通貨戦争の犠牲者であり、世界で最も通貨高にさらされている」と述べる。

 2011年

 

 2012年

9.01 ブラジルのテレビ局、NSAがジウマ・フセフ大統領とメキシコのエンリケ・ペニャ大統領の電話を盗聴、電子メールを閲覧していたことを暴露。スノーデンから託された資料をもとにしたもの。ブラジルとメキシコはエジプト、インド、イラン、サウジアラビア、トルコ、スーダンらとともに、米国にとって問題になりうる国のリストにあげられている。

9月2日 フセフ大統領、安全保障会議を招集。法相、国防相、通信相、外相 などと協議する。フセフの米国訪問を再検討。

 

2013年

6月 ブラジルで大規模な大衆闘争。教育、医療などの質の向上をもとめる。ルセウ大統領は石油のロイヤリティー(Regalias)を財源として市民生活の改善に着手すると声明。

6月末 ルセウの支持率は57%から30%まで低下する。

8月14日 石油の採掘権料のすべてを教育・医療のための支出に向ける法案が議会で成立する。(教育に75%、医療に25%)

8月19日 ラジオ番組「大統領と一緒にコーヒーを」で、ルセウは「石油からの富は、教育に支出されます。教育はブラジルを偉大な国にし、人民を貧困から解放するための主要な柱の一つです。わたしは大衆行動が、法案成立のための助けとなったと確信しています」と語る。