メキシコ年表  (3)

1999.9 この年表は1929年の国民革命党結成から現在までをあつかっています.1876年,ディアスがレフォルマ政権を打倒してから1928年までの事項についてはメキシコ年表 その2をご参照ください.1876年以前に関してはメキシコ年表 その1をご参照ください.

カルデナスの政治  1940年  1960年  1970年  1980年 1990年  

2004年 2005年 2006年 2008年 2009年 2010年

 

カルデナスの政治

1929年

1.10 メキシコ亡命中のキューバ共産党メリャ書記長,マチャドの放った刺客に暗殺される.

3.01 カリェス,革命国民党(PNR)第1回大会を開催.開催地は,17年憲法発祥の地ケレタロ市.ミチョアカン州知事のラサロ・カルデナスが議長に就任.オブレゴンの残された任期を務める大統領選の候補者としてオルティス・ルビオを選出.

3.03 カリェスに反対する旧オブレゴン派軍人,ゴンサロ・エスコバル将軍とヘスス・マリーア・アギーレ将軍を指導者としてベラクルスで反乱.エルモシーリョ計画を発表し「カリェスがシーザーの王位を狙うものである」とし民衆の決起を呼びかける.

3月 クリステーロは,オブレゴン派の反乱を機会に戦線を再構築。グアダラハラへの攻撃を開始.

4.19 クリステーロ,テパティトランの戦いに勝利.この戦いで参謀役のベガ神父が死亡.結局後退を余儀なくされるが,兵力は5万に拡大.

5.04 ヒルはカリェスを軍事相に任命.カリェスは約35,000の政府軍を率い、旧オブレゴン派の反乱部隊を鎮圧。反乱軍は1,000名の犠牲者を出し壊滅。政府軍にも161名の犠牲者。

6.02 クリステーロのゴロスティエタ司令官,連邦軍の待ち伏せにあい戦死.クリステーロの象徴的人物,エル・カトルセが,スパイ容疑で軍法会議にかけられ処刑されるなど内部も混乱.のちに,クリステーロ内に潜入したスパイ,マリオ・バルデスによるでっちあげ事件だったことが明らかになる.

6.22 ゴロスティエタ司令官の死後,非勢に追い込まれたクリステーロは戦闘継続を断念.米国大使ドワイト・モローの調停により,政府と教会の和解成立.

7.02 再選反対党全国大会,オブレゴン時代に文部大臣をつとめたメキシコ教育界の元老ホセ・バスコンセロスを大統領候補に選出.パスカル・オルティス・ルビオとの一騎討ちとなる.

7.18 米政府、メキシコへの軍事援助を再開。

9.20 政府、カトリック教会への攻撃を停止することに同意。クリステーロの反乱が最終的に終結。この反乱で10万人が死亡したといわれる。

11.20 大統領選挙が施行される.ルビオが大統領に選出.投票日だけでメキシコ市内だけで19人が殺され,9人が負傷する。

12月 選挙に敗れたバスコンセロス,米国に亡命.グアイマス計画を発し,反乱を呼びかけるが不発に終わる.

29年 カリェス政権,CROMを政権から排除,共産党を非合法化する.CROM左派グループは,連邦区労働者組合連合を結成.ベラスケスが指導し,政府と対決の構え.共産党影響下の労働者はメキシコ統一労働者連合(CSUM)結成.農民運動でもカリェス派の牛耳るCNCと決別して,メキシコ農民連合(CCM)が結成.

29年 ディエゴ・リベラ,スターリンによる社会民主主義社主敵論に反対し,共産党を除名される.死の直前に復党.

1930年

1.23 メキシコ政府.共産党のデモ運動を理由にソ連との国交を断絶する.

2.05 ルビオが大統領に就任.カリェスの院政時代開始.就任式でバスコンセロス派青年の狙撃によりルビオは負傷,夫人は死亡.

6 カリェス,「基本食料の生産が減少しているのは,農民が土地の有効利用法を知らないからだ」とし,農地改革の失敗を宣言.彼の声明後,多くの州で農地改革はストップ.3年後に最高裁により違憲判決.

7.6 連邦議会選挙.国民革命党が全議席を独占.

10 ポルテス・ヒル,国民革命党党首の職を辞しパリ駐在大使に転出.後任党首にラサロ・カルデナスが選出される.

30年 ヘナロ・エストラーダ外相「外国のすべての事実上の政府に対して,メキシコ政府は外交的承認を与えるべきである」と宣言.他国の政府の正当性を判断するのは,内政干渉にあたるとする.「エストラーダ原則」として定着.キューバ承認に際しても米国との論争における基準となる.

31年 グアダルーペの聖母顕現4百年祭.政府と教会の対立,ふたたび先鋭化.

31年 連邦労働法制定.

1932年

9.2 ルビオ,病気のため任期を残し大統領を辞任.議会は後継大統領としてカリェスの腹心アベラルド・ロドリゲス軍事相を選出.軍事相にはカルデナスが就任.

9 CROM臨時大会.ロンバルド・トレダーノ元教授にひきいられた左派勢力は,CROMを離脱.清新CROMを結成.のちに労農総同盟(CGOC)に発展.

32年 メキシコ市の人口,百万を越える.アーロン・サエンス連邦区長官,「革命は都市にまでおよんでいない.ベシンダの居住環境は監獄にひとしく,まさに死の床である」と表現.

32年 タバスコ州のガリド・カナバル,PRIの準軍事組織として革命青年団(赤シャツ党)を組織.急進社会主義的方針を打ち出す.カリェスやカルデナスもこれを「メキシコ革命の灯台」と呼んで評価.

1933年

3.2 憲法再改正.大統領をいったん勤めた者の爾後の再選(飛び石再選)を禁止する.

5.20 カリェス,農業の大規模化のための法改正を提案.「あらゆる理論,統計,経験にもとづいて具体的な行動計画を作る」ことをもとめる.

5.31 カルデナス軍事相,次期大統領選への出馬を表明.党内対立候補のトレビーニョは結局立候補を辞退.

10 清新CROM,メキシコ労農総連合(CGOCM)へ改組.「革命的サンジカリズム」をうたい,1年後に国内最大の労働組織へ成長.

12 与党の国民革命党,ケレタロで第2回党大会を開催.カルデナスを次期大統領候補に指名.あわせて政治・経済改革のための6カ年計画」を採択.

6カ年計画の柱
1.共有地システムを復活し,大土地所有者とたたかう. 2.近代的・非宗教的学校制度を充実させ,教会の狂信主義者とたたかう. 3.労働者の協同を推進し,資本家の搾取とたたかう.

 

カルデナスの改革

1934年

7.02 大統領選.国民革命党のカルデナス(当時39歳)が2百万票以上を獲得し圧勝.CROMの支持する左翼社会党のアダルベルト・テハダは15千票,共産党のエルナン・ラボルデは2千票足らず.

9月 カトリック教徒3万人が、メキシコシティーの教会資産の国有化に反対してデモ。

11.30 カルデナス,大統領に就任.チャプルテペックの大統領宮殿への居住を拒否,みずから給料を半分にする.軍服を捨て平服で執務.自宅の一部を先住民のための診療所にする.後に自宅のすべてをユネスコの教員養成センターに寄付.中学までの公教育無償化をはじめとする6ヶ年計画開始.当初,共産党はそのファシスト的傾向を批判.

 

1935年

1 石油産業を先頭に労働運動高揚.企業別組合結成あいつぐ.赤シャツ党のガリード・カナバルはカルデナス政権の農務長官に就任し,労働運動組織化の先頭に立つ.PRI内の右翼はメキシコ革命行動を結成.金シャツ党の名のもとに赤シャツ党と対抗,スト破りをくりかえす.

3 金シャツ党,共産党本部を襲撃してレーニンやトロツキーの肖像画を焼捨てる.

5 カルデナス,カリェス旧体制との対決姿勢を強化.労働組合の闘争を積極的に支持する一方,カリェスの仲間が運営する賭博場を閉鎖.反教会政策を停止し,教会勢力の支持を求める.

6 議会で労働派議員とカリェス派議員の対立激化.カリェス派は農業近代化に消極的態度をとるカナバル農務長官を不信任.セディヨ将軍を新長官に指名する.カルデナスはこれに対抗し,カリェスの指名した閣僚やカリェス支持者を連邦政府から追放.

6.11 バディリャ上院議員の訪問を受けたカリェス,「カルデナスの労働者よりの姿勢には反対だが,国民革命党の団結をまもるため自分が身を引くことが適当である」とし国外亡命の意志を表明.

6.19 カリェス,クエルナバカを離れロスアンジェルスに向かう.

12.13 カリェス,国内にもどり反カルデナス闘争を開始.CGOCMはただちにカルデナスを支持してプロレタリア全国防衛委員会(CNDP)を組織.

12 21の石油関連労組が政府の援助の下に合同,一万三千人を組織する全国石油労働連合を結成.

 

1936年

1 ラグナ地方を中心に大規模な農地解放推進.国土の9.1%にあたる1790万ヘクタールの農地が土地をもたない農民に解放される.しかし可耕地の6割は依然として「三百家族」の手に.農民を地主の襲撃から守り農地改革を効率的に推進するため,農民に武器供与.6万人が管区司令官の統率の下に武装自衛体制をとる.

2 CNDPを母体にメキシコ労働者連合(CTM)成立.カルデナスの支持のもとにロンバルド・トレダーノが議長に就任.米国のCIOに範をとり共産党系労組も参加.政府は労組の最賃・労働時間などに関する協約締結運動を支持.労働者のストライキが爆発的に増加.

4.09 カルデナス,「メキシコの治安と革命遂行上の必要」を理由としてカリェス,モロネスら党幹部20人を国外追放.カリェスはふたたび米国に亡命.左翼労働運動の勝利確定.共産党合法化.

7 カルデナス,トレダーノにたいし農民の組織化を中止するよう求める一方,農民統一組織委員会を発足させ,政府による上からの組織化を開始.公務員もCTMから分離させ,政府職員組合連合(FSTSE)に統合.

10 農地改革のモデルケースとして,デュランゴ州とコアウィラ州にまたがるラグナ地方の綿花栽培に乗り出す.

11.23 政府が私有財産を没収できる「新国有化法」(没収法)が公布される.行政指導に従わない企業を接収し,労働者の自己管理に移すというもの.労働協約締結に協力しない企業への強い圧力となる.

11 トレダーノ,CTMを軸にPNR,農民組織,共産党を加えた反ファシズム人民戦線の結成を提唱.

12.07 メキシコ政府,国内政治に干渉しないことを条件にトロツキーの亡命を受け入れ.

12 石油労働者連盟と英米系石油会社が統一団体交渉.労組側は31年の労働法に基づく団体協約の締結を要求.有給休暇,クローズショップ制では合意に達するが,ホワイトカラー層の組合加入問題で決裂.この頃メキシコの油田は海水の流入により枯渇.産出量は4千万バレルまで低下.(1921年の最高時には,世界の石油生産の1/4以上にあたる1億9千万バレルを生産)

36年 カリフォルニア各地で,メキシコ人を主体とする農業労働者のストあいつぐ

36年 ブエノスアイレスで米州会議.カルデナス大統領が提案した「米州諸国は互いの内政・外政に干渉しない」という不干渉原則は,米国の同意を得て採択.

36年 ヘルムート・シュライター,アンヘル・ウルキサを中心に反共センター設立.翌年シナルキスタ国民同盟に改組.反カルデナス・親クリステーロ,私的所有の擁護をスローガンに,官僚的農地改革に反感をもつ農民を組織.中部諸州を中心に最大時50万の動員力を誇る.

 

1937年

1 トロツキー,ノルウェー経由でメキシコ亡命.リベラの庇護にはいる.

5月 タバスコ州でカトリック教徒のデモ。警察との衝突で4人が死亡。

5 石油労働者連盟,英米系企業との交渉が不調に終わったことから,「経済紛争」の発生を政府に通告,調停を求める.

6 連邦裁定委員会,石油産業における統一労働協定に関し,労働者の要求を支持する決定.最高裁も裁定を擁護するが,石油会社はメキシコの司法権を無視する態度にでる.

6 カルデナス,鉄道の大部分を国有化.労働者に経営権をあたえる一方,鉄道ストを厳しく制限.

8 農民組織,2百5十万人からなる全国農民総連合(CNC)に統合.

12 カルデナス,PNRの構成部会として,CTMを中心とする労働部会,CNCを中心とする農民部会,軍部および一般部会の4部会を設ける.

 

1938年

1 カルデナス,腹心のアビラ・カマチョを国防相に据える.

3.18 カルデナス,「石油産業国有化に関する布告」を発表.スタンダード,シェルの抵抗を押しきり,石油関係17社を没収.油田を全面国有化.石油行政審議会(CAP)を設立し収容資産の管理にあたらせる.米国は,メキシコ銀の買い付け拒否でこれに対抗.

3.30 PNR全国大会.メキシコ革命党(PRM)として再編.立党の精神を「労働者の民主主義の党」と規定した.労働,農民,一般,軍の4部会からなる.CTM,CNC,FSTSEを吸収.党員は,成人男子の7割に相当する386万人に達する.コーポラティズム(組合国家主義)にもとづく支配完成.共産党の参加は拒否.

5月 前農相サトゥルニノ・セディーリョ将軍のひきいる軍部ファシスト、反共センターと結びサンルイスポトシで蜂起。米国は反カルデナスの立場からセディーリョに武器援助.

6 国営石油公社ペメックス創設.CAPの業務を引き継ぐ.このあと,国際ボイコットにより石油生産量は大幅に減少し輸出ストップ.カルデナスはこれに対抗し,対独石油輸出をちらつかせる.米国の石油資本は軍事介入を要請するが,ルーズベルトはこれを拒否.

9.05 メキシコ,独伊その他の枢軸国と石油バーター協定調印.これを見たルーズベルト政権は,現金による補償金の支払いを条件として和解を受け入れる.

38 政府,メキシコ市における住民の不法侵入地区の一部を地主より買上げ,軽費で分譲.これにより五つのコロニアス・プロレタリアスが誕生.

38 メキシコ亡命中のトロツキー,第4インターを創立.ニューヨークに支部を置く.

 

1939年

1月 セディージョ将軍らのファシスト蜂起、半年にわたる戦いの末、敗北に終わる.

39.9.6 国民行動党(PAN),カトリック教会や財界,反共小ブルなどを基盤として設立.北部のモンテレーを中心に勢力を伸ばす.米国などの国際石油資本が,物心両面で支援.

1940年

1 PAN,大統領選に備え反共諸党を糾合.国民統一革命党を結成,フアン・アンドレス・アルマサン将軍(Almazan)を擁立する.

2 カルデナス,後継大統領に軍内穏健派のマヌエル・アビラ・カマチョを指名.石油産業接収に伴なう内外の圧力に対する妥協とされる.その後フランシスコ・ムヒカ(農民連盟議長)やトレダーノ(労働総同盟議長)などは政権主流を外れる.

5 スペイン内戦帰りの共産党の行動隊20名,トロツキー邸を襲撃.ボディーガードを誘拐殺害.画家シケイロスが襲撃の指揮をとったといわれる.トロツキーに同情的なメキシコ共産党指導者エルナン・ラホルデも,ソ連の情報機関GPUにより粛清される.

8.20 GPUのスペイン人エージェント,ラモン・メルカデル(変名ジャクソン・モルナール),トロツキーの自宅を襲う.トロツキーはピッケルを頭に打ち込まれ死亡.

12 カマーチョ,最後の軍人出身者として大統領に就任.党から軍部会を廃止,国防に専念させることとなる.また一般部会を強化するため人民組織全国連合(CNOP)を組織.公務員労組連合などの専門職業グループをメンバーとする.こののち大統領候補はこの一般部会から出ることとなる.

40年 佐野磧,ソ連からメキシコにわたり舞台芸術学院を創立.スタニスラフスキー・システムを導入し,演劇界に大きな影響をあたえる.

1941年

4 メキシコ製造工業法成立.自国産業の保護育成を促進.

11 カマチョ,米国とのあいだに一般協定締結.親米政策に切替える.一方,農地改革が骨抜きになるなど,「改革期」の終焉.

41 連邦労働法改正.ストの合法性認定要件や違法ストに対する制裁が法定化される.CTMの政府からの独立を主張したトレダーノ,書記長を罷免される.後任にフィデル・ベラスケス.

1942年

1.02 米国とメキシコの共同防衛委員会が設置される.石油会社接収の賠償金に関する協定が成立.メキシコは1億3千万ドルの賠償金を支払うことになる.

4 全国原住民庁(INI)設立.

5.28 メキシコ,第二次大戦に参戦.「国民団結」の標語の下に連邦制度の強化をはかる.

9.26 独立記念祝典.カマチョ大統領は6人の元大統領を伴い官邸バルコニーに登場.支配層の団結を誇示する.

42 米国・メキシコ間に「ブラセロ計画」協定締結.戦時の労働力不足を緩和するためにメキシコ人農業労働者を受入れ.64年協定の破棄までに約4百万人が米国へ出稼ぎに出る.

42 政府,戦時法にもとづき家賃凍結令を公布.CTMの影響下にある低賃金労働者の分断と与党とりこみをはかる.

1943年

43.1 150のコロニアス・ポブラレス住民のうちの特権部分,CNOPへ編入される.下院議員選では一般部会出身が過半数を占め,三部制は無実化.

43 サパタ軍の生き残りルベン・ハラミジョ,モレロス州で砂糖労働者を組織,ゲリラ闘争を開始.敗北後はモレロス州農民党を結成し党首となる.

44.1 アビラ・カマチョ大統領,中央政庁内でピストルで撃たれるが,防弾チョッキを身につけていたためかすり傷に終わる.一陸軍将校の単独犯行とされる.

1945年

2.21 メキシコ市で米州会議開催.「米州の連帯と相互援助に関する宣言(チャプルテペック憲章)」を採択.

12月 憲法の一部が改定.教育を「社会主義的でなければならない」としていた第三条の規定が除かれ,民主主義/民族主義/ヒューマニズムの強調に変わる.

1946年

1.17 メキシコ市でPRM全国大会が開かれる.CNOPから推薦されたミゲル・アレマン・バルデス内相を大統領に指名.PRMは制度革命党(PRI)に再編され,中間層を代表する一般部会の比重が高まり,労働者・農民の影響力は後退.党のスローガンのうち「労働者の民主政治のために」は「民主政治と社会的正義のため」に変更.

1月 グアナフアト州レオンで反政府派の暴動。政府軍の鎮圧作戦で50人が死亡。

12.01 アレマン,革命後初の文民大統領に就任.

47.2 政府,憲法の一部を改正し,私有農地に対する制限を事実上撤廃.さらに家賃凍結令を解除.カルデナスの改革とは逆コースを歩みはじめる.広範な大衆の反対の前に大幅な修正を余儀なくされる.トレダーノらは労働者統一本部(CUT)を結成.PRI離れの姿勢を鮮明にする.

48.3 トレダーノ,人民党(PP)結成.CUTと,おなじくCTMを離脱した鉄道,石油,鉱山労組のあいだに協定締結.アレマン大統領はこれを「反乱協定」と呼んで激しく非難.鉄道労組幹部をあいついで逮捕.

48 ファシスト・グループの国民シナルキスタ同盟,大衆勢力党と改称して勢力伸張をはかるが,政府は登録を拒否し弾圧.

1949年

3 CUTと石油,鉱山労組との統一実現.UGOCM(メキシコ労働者農民総同盟)結成.政府はあめと鞭の使い分けにより,組織の切り崩しをはかる.

9.05 トレダーノらが中心となり,メキシコで米州平和会議開催.

1951年

4 PRI,206のコロニアからなる「連邦区コロニアス・プロレタリアス連合」を創設.トレダーノの支持基盤切り崩しを強める.

4 共産党中央委員会開催.ディオニシオ・エンシナ書記長が反米平和運動の推進を中心とする報告.

1952年

7.6 アドルフォ・ルイス・コルティネス,大統領に当選.人民党のトレダーノも立候補するが,すでに支持基盤のほとんどを喪失.

9 ウルチェルトゥ,連邦区長官に就任.ブルドーザーと警官隊によりベシンダをあいついで強制撤去.

54.1.27 トレダーノと制度革命党のガブリエル・レイバ・ベラスケス議長が会談.「メキシコ人民の社会的水準改善のための計画に向け,すべての民主的政治・社会機関が協力する」ことで合意.

56.12.02 メキシコを出発したカストロ,キューバ革命闘争を開始.

1958年

7.06 ロペス・マテオスが新大統領に選出される.「メキシコのケネディ」とのキャンペーンを展開.

11 新石油法成立.石油開発に関する国家の独占権を定める.ペメックス社の業務をさらに拡大し,基礎石油化学工業をもペメックスの独占部門とする.

12 ロペス・マテオスの政権成立.外資導入に一定の規制.労働者・農民保護策を打ちだす. 

1959年

2 鉄道,石油,電話,電気などの公団労働者,教員などがゼネスト突入.キューバ革命後高まる労働攻勢に対し,反共強硬策を打ちだしたマテオスは警察軍を出動させ弾圧.

3 セマナサンタを期した鉄道スト,警察軍の催涙ガス攻撃により鎮圧.指導者200名が逮捕.バレンティン・カンパ書記長はその後11年間獄中に.

1960年

8 メキシコ共産党書記長テラサス・ゲレロとシケイロス,デモ中を逮捕.国家保安法違反の罪で8年の懲役刑を受ける.

60 トレダーノの人民党(PP),人民社会党(PPS)と改称.影響力はほぼ消失し,ソ連のメガフォンとなる.

1961年

4 ヒロン湾事件発生.メキシコは米国を非難して,問題をOASから国連へ持ち込む.

5 メキシコ,キューバへの民間航空路を閉鎖.

61 モレロス州農民党党首のルベン・ハラミジョ,共産党に入党.

62.5 モレロス州農民党,5千人を組織し土地占拠闘争を展開.指導者ハラミジョは家族とともに軍隊に虐殺される.

62 ササル・チャベス,カリフォルニア州フレスノでメキシコ系農業労働者を組織,全国農業労働者協会を結成.のちに農業労働者組合(UFW)へ発展.

1964年

3.15 ドゴール首相,メキシコ訪問.

7.05 メキシコ大統領選挙.ディアス・オルダスが当選.内相にはアルバレツ・ルイス・エチェベリアが就任.

7 第9回OAS外相会議.キューバとの国交断絶を決議.メキシコのみが唯一,エストラーダ原則にもとづきキューバとの国交を維持.

7 シケイロス釈放をもとめる国際支援運動が発展.当局は老シケイロスを解放.

12 ディアス・オルダス前内相,大統領に就任.この年GNP成長率は10%に達するが,その一方で貧富の差の拡大が深刻な問題となる.

1965年

65.5 ドミニカ紛争勃発.メキシコは平和維持軍の創設に反対し,米軍の撤退を要求.国連に問題を持ち込む.

65 米国との国境地帯,ティフアナ市近郊にマキラドーラ(保税輸出加工区)建設.米国,日本の電気・通信関係工場が集中.

65 研修医・インターン制が中心となり,労働条件と給与の改善を求めるストライキを決行.

65 チアパスでの農業改革に関する大統領決議.ベヌスティアーノ・カランサ地区で,農耕可能な土地約4000ヘクタールを含む約5万ヘクタールの土地を共有地として認める.地元では決議の実施を目的とした委員会「人民の家(Casa del Pueblo)」が組織される.しかし委員会のリーダーが4人たて続けに暗殺され運動は挫折.

66 PRI政権,労働運動の調整を図るため「労働会議」を創設.CTMとCROMのほか全国労働連盟(CNT)の巻き込みも図る.

1967年

2.14 LAへの核兵器持込み禁止を決めた非核武装条約成立.調印されたメキシコ外務省の地名をとり,トラテロルコ条約とよばれる.キューバは米国の手をしばらない片務制に反対し不参加.

8 OLAS第1回大会.ソ連派のメキシコ共産党は会議をボイコット.キューバ派の民族解放運動(MNL)が参加.

67年 ゲレロ州の農民活動家ルシオ・カバニャス・バリエントス、合法活動を断念し、山間部でゲリラ活動を開始。

 

1968年 オリンピック虐殺事件

7.22 警官の学生殴打事件をきっかけに,学生の抗議行動ひろがる.

7.26 キューバ革命記念日を祝う学生のデモ.警察の発砲により8人の学生が死亡.学生は大学スト委員会を組織し国立自治大学(UNAM),工科大学(IPN)を占拠.バリケードを築く.

8 大学スト委員会のよびかけに応じ,50万人が市内中心部をデモ.メキシコ・シティーの高校の多くがストライキ入りし,学内立てこもり.全国ストライキ評議会(CNH)が結成され,6項目要求を掲げる.

全国ストライキ評議会の6項目要求
@機動隊警察を解散せよ  A五人の極悪警察署長を解任せよ.  B政府幹部から構成される調査委員会を結成し,弾圧の責任を調査・処罰せよ
C殺され負傷した学生に対し補償せよ.  D「破壊活動防止法」を廃止せよ.  E政治的理由による囚人を釈放せよ.

8.28 メキシコ市内に軍隊出動.ソカロ広場での学生デモに無差別発砲,封鎖された高校を制圧.大学を占拠する.一連の実力行使により,学生32人が死亡.数百名が負傷.

1968年9月

9.18 政府軍部隊1万人が,CNH代議員会を開催中のUNAMに導入される.事前に情報を知った代議員はすべて逃亡に成功.

9.19 UNAM総長は抗議の辞任.新聞・テレビの編集長150人が,軍の大学導入に抗議する共同声明.

9.21 警察部隊千名が,トラテロルコの第7高校(Voca)を攻撃.生徒が立てこもる建物に火をつけ,銃弾を浴びせる.催涙ガスが団地一帯に立ち込める.住民は生徒を支持し,モロトフ・カクテルや投石で抵抗.この闘いで生徒少なくとも三人が死亡,巻き添えで赤ん坊一人が犠牲となる.

9.23 12日からのオリンピックを前に学生運動激化.労働者・農民の参加も急増する.首都の主要病院の医師・看護婦らが,負傷した学生をかくまい治療したとして逮捕される.研修医はCNHを支持し無期限ストに入る.教員組合の左派は「革命的教師運動」を結成しストに参加.

9.24 市内精錬所地区のカスコ・デ・サント・トマス高校に軍・警察部隊千5百名が突入.生徒2千名と対決.生徒たちは戦闘体制を確立し,組織的に抵抗.戦闘はトラテロルコを上回る激烈なものとなり,生徒15人が死亡.

9.27 CIAのアレン・ダレス元長官とヘルムズ,ひそかにメキシコ入り.メキシコ支局長スコットと密談.

1968年10月

10.02 トラテロルコ・アパート団地の「三文化広場」で,学生・住民1万人が参加する大規模な抗議集会.主催者は,混乱を避けるため,当初予定していたカスコ・サント・トマス高校へのデモを中止.日没と同時に,300台の戦車,ジープ,装甲車,5千の軍と数百の警察部隊が集会参加者を包囲.

6:10pm 緑の照明弾を打ち上げると同時に,群集に紛れ込んだ挑発者が暴動を開始.上空を舞うヘリが銃撃を開始.
オリンピア大隊が,演説席となっていたチワワ・アパートのバルコニーに突入し,CNHの代表を拘束.一列に並べ銃殺したという.
さらにバルコニーの上から群衆に向け一斉射撃,群集に紛れ込んだ私服警察官も無差別発砲を開始.
この後,戦車がチワワ・ビルディングを砲撃.ボイラーや暖房用パイプが次々に爆発,建物の三階までが火の海となる.
軍部隊が両側から銃剣を突きつけ挟撃.機銃掃射を繰り返す.集中的な銃撃は約1時間続き,その後も早朝まで散発的な銃撃が繰り返される.
警察は現場を封鎖し,救急車の立ち入りを阻止.赤十字病院を閉鎖し,たどり着いた負傷者をそのまま逮捕.救急車の乗務員一人が殺され,負傷者を救出しようとした看護婦が負傷.
広場に面する教会には数百の市民が助けをもとめて押し寄せるが,大司教がデモ参加者の受け容れを禁止したため,門は閉じられたままとなった.
この事件で,推定4百名の死者,数千名の負傷者を出す.警察はこのうち32名についてのみ死亡を認める.検死によれば,大部分の死者は近距離で撃たれるか,銃剣で突かれて死亡.無差別発砲により,軍・警察内にも12人の負傷者と二人の死者.

オリンピア大隊  オリンピック期間中の治安のために特別編成された警察の精鋭部隊.襲撃当日はほかの部隊と識別するため白い手袋をしていたという.

10.03 国際オリンピック委員会,緊急理事会を開催.アベリー・ブランデージ会長の強力な主張により,僅差でオリンピック開催を決定.アフリカ諸国はオリンピックのボイコットを決議.

10.04 世界の都市でトラテロルコに抗議するデモ.パリでは学生400名が逮捕される.

10.12 オリンピック,厳戒体制のなか開幕.

11月末 ストライキ評議会,スト終結を宣言.左派はこれに抗議し学校の占拠行動を続ける.

68 ロンバルト・トレダーノの死をきっかけに,ロンバルド正統派を主張する左派が分裂し,社会主義行動連帯運動(MAUS)結成.カルロス・サンチェスが書記長に.PPSは自主的立場をとる共産党に代りソ連のメガホンとなり,PRI支持路線を堅持.

68 PAN,北部のティフアナ,メヒカリ市で市長を獲得,市議会でも過半数に迫る.PRIは選挙を無効と宣言.

1970年

12.01 内相として学生弾圧を指揮したエチェベリア,大統領に就任.「民主的開放」政策を採用し,メキシコ労働党(PMT)や労働者社会主義党(PST)などの少数野党の存在を公認.メキシコ共産党,「エチェベリアの改良主義路線に対していかなる支持も,いかなる信頼も,いかなる幻想も持つな」と呼びかけ,親ソ・親政府派の社会主義人民党(PPS)に対して厳しく批判.官製の労働・農民運動に対抗して自主的・独立的性格を発展させることを確認.

1971年 血の木曜日事件

3.18 ソ連留学がえりの学生によるゲリラ組織「革命行動運動」(MAR),当局により摘発.政府はソ連参事官を国外追放.

6.10 メキシコ市でモンテレー自治大学の民主化闘争を支持する学生1万人のデモ.軍の別動隊アルコネス(鷹)のトラックがデモ隊に突入.この襲撃により少なくとも42人が殺害される.実際には百人以上の犠牲者といわれる(Halconazo).エチェベリア大統領が関与していた疑い。

8 米国,メキシコがダンピング攻勢をかけていると非難.輸入課徴金を導入.両国関係のいきづまりを解決するため,エチェベリアは積極外交に転換.第3世界外交を展開.

1972年

2 ゲレロ州の「革命全国市民協会」(ACNR)の指導者ヘナロ・バスケス,警官隊により射殺される.ルシオ・カバニャスの農村ゲリラ「貧民軍」(Partido de los Pobres - PLP)が闘いを引き継ぐ。

6.25 貧民軍、アカプルコの近くで10人の政府軍兵士を殺害。

5 南東部のサマリア油田発見.その後レフォルマ油田などあいついで大油田が採油開始.

1973年 農民の土地闘争の高揚

1 元UNAM教授エベルト・カスティーヨら,「打診・組織全国委員会」(CNAO)結成.オクタビオ・パス,カルロス・フェンテスらも参加.

3 モレロス州で農民の土地占拠闘争.「ハラミジョ開拓地」を組織.政府の弾圧により指導者メドラーノ兄弟が暗殺される.

5.04 都市ゲリラ「人民革命武装勢力」(FRAP)が,米グアダラハラ総領事テランス・レオンハーディを誘拐.MARの流れを組む「9月23日共産主義者同盟」,グアダラハラを中心にゲリラ活動を開始.当局の弾圧によりソノラ州へうつり活動継続.

10 チリの軍事政権と断交.亡命者多数を受入れる.

73 エチェベリア政権,資源ナショナリズムの高揚を受け「外国投資を規制し,メキシコの投資を促進する法律(外資法)」制定.

73 地方選挙.メキシコ市連邦区でPRIは苦戦.52%の得票にとどまる.PANがグアダラハラ,プエブラ,レオン,シウダ・ファレス,クエルナバカの首長選で勝利.

73 各地で民衆が市役所を占拠する「自治体の反乱」が高揚.連邦区の自律的な五つのコロニアが結集して,独立民衆戦線(FPI)を結成.

73 モンテレイ財閥の代表人物であるエウヘニオ・ガルサ・サーダ,都市ゲリラにより暗殺.左翼への対応をめぐり,財界と政府との対立深まる.財界はモンテレイ財閥を中心に経団連(CCE)を結成,保守系紙の「エクセルシオール」を拠点とし反政府的立場を強める.

73 メキシコ共産党16回大会開催.現段階での主要な闘争形態は武装闘争ではなく政治的闘争であるとしつつ,「平和的形態を通じて社会主義に向かって進むことは不可能」とする.

1974年

9月 政府軍、ゲレーロ州でゲリラ平定作戦を展開。3ヶ月で800人を虐殺。

9 CNAOが母体となり,メキシコ労働者党(PMT)を結成.

9 38年の国有化以来はじめて石油輸出を再開.年産量は2億バレルに達する.

10 共産党中央委員会,「セクト的態度を脱却」する決議.「革命的・民主的諸組織に対して,共通の諸要求のため,とくに政治的自由に道を開くことを目的とした共同行動」を提起.メキシコ労働者党(PMT),社会主義行動統一運動(MAUS),社会主義同盟などの組織に共同を呼びかける.

12.03 ゲレロ州の農村ゲリラ「貧民党」,弾圧により壊滅.指導者ルシオ・カバニャスは射殺.遺体は、2001年まで身元不明のまま市営墓地に埋葬されていた。

12 エチェベリアの起草した「国家間の経済権利義務憲章」,国連で採択.

74 エクトル・サンチェス,レオポルド・デ・ヒベスら,南部のオアハカ州フチタンを中心にテウアンテペク地峡地帯労農学連合(COCEI)結成.COCEI派のロベルト・ロペス・ロサードをフチタン市長に押し上げるなど,サポテカ族を中心とする農民組織として影響力を拡大.

74 チアパス州サン・クリストーバルの司教区で全国先住民会議.教会や民間の進歩派が中心となって組織.

74 Philippe Schmitter,与党PRIがCNCを組織して農民を取り込む手法をコーポラティズムと名づける.しかし利益誘導と非自発的で強制的かつ序列的な構造が,「コーポラティズム」の名前にふさわしいかどうかは疑問.

1975年

1 米国で「74年通商法」発効.OPEC諸国への一般特恵供与を禁止.対米貿易依存度の高いメキシコのOPEC参加を牽制する目的.

5 CNAOの青年部隊,ラファエル・フェルナンデスらを中心にを離れ社会労働者党(PST)を組織.書記長にタラマンテス.その後MAUSも合流.

7 「10月2日運動」などと独立民衆戦線が中心となり,メキシコ市で「民衆コロニア都市連合(BUCP)」を結成.

10.07 エチェベリア大統領,国連総会で200カイリの排他的経済水域を設定したと発表.国連総会で反シオニズム決議.メキシコは賛成票を投じる.米国のユダヤ系社会から猛反発.米国人観光客の激減に直面し,メキシコは反シオニズムの立場を撤回する.

12 共産党第17回大会.「われわれの戦術の基本的要素は広範な政治的,社会的同盟政策の発展である」ことを強調.76年大統領選にはこれまでの棄権戦術をやめ,バレンティン・カンパを立てて闘うことを決定.カンパは鉄道労働運動の指導者で,58年の大闘争を指導し70年までの11年間獄中にあった.

12 地主の権限を大幅に制限する,憲法修正成立.CCEは「土地が没収され,ソビエトのようになる」と猛烈な反対宣伝.

75年 チアパス州の「人民の家」運動,1000ヘクタールの共有地化を実施する決定を取り付け,農園を占拠するなどの行動.連邦軍によって鎮圧される.

1976年

1 メキシコ市内東部のイスタカルコ区で4千家族からなる「10月2日カンパメント」による土地占拠行動開始.いったんは警察の弾圧や放火をはねのけ勝利するが,国民の支持を得られず急速に衰退.

5.11 政府軍、ベヌスティアノ・カランサで農民運動に対する弾圧。2日間で58人の農民が殺される。

6.04 メキシコシティー近郊で、左翼ゲリラが警察を襲撃。警官6人を殺害。

6.18 警察がCuliacanの近くで左翼ゲリラと衝突。ゲリラ3人、警官1人が死亡。

6 BUCPのイニシアチブで「第1回都市社会運動連絡会議」開催.「10月2日運動」の過激な戦術が,孤立化するなかで失敗に終わる.BUCPそのものもまもなく崩壊.

7.04 大統領選挙.PRIのホセ・ロペス・ポルティーヨが無競争で当選.

8.15 エチュベリア大統領,200カイリ法ですべての外国船を規制すると発表.

8 エチェベリアの積極経済策は人口集中と失業者の増大,国際収支の悪化と対外債務の増大をもたらし,オイルショックの余波を受け,22年ぶりの平価切下げと変動相場制への移行に追込まれる.1ドルが12.5ペソから22ペソになり,これを機にインフレに拍車がかかる.

8 モンテレイで約30の居住区,10万人の住民が参加する「土地と自由人民戦線」結成.「赤い日曜日」の集団労働により学校や保健センターを建設するなど大きな成果.

12.01 ロペス・ポルティーヨ,革命以来最悪の経済危機の中で大統領に就任.石油の積極的開発により,危機の乗りきりをはかる.

76 ソノラ州のヤキ地方で,貧農の土地占拠闘争.エチェベリアは占拠を合法と認め,地主から土地を没収.25万エーカーを共有地として農民に分与.

76 ラファエル・ガルバンの指導する電気労連民主派(TD),経済闘争の中で組合運動の民主化をめざす.TDを中心に人民行動全国戦線(FNAP)を結成するが,闘争敗北のなかで消滅.

1977年

3 ポルティーヨ,政治犯67人を釈放.左翼政党の合法化へ動く.

3月 メキシコ政権,スペイン政権の民主化を受け国交を再開.

9月 日本政府,メキシコ市内に日墨学院を開校.

77 全国先住民庁(INI),サンクリストバルの先住民会議に対抗して全国会議を開催.PRIに結びついた全国インディオ人民会議(CNPI)が組織される.

77 カーター政権,メキシコに対し天然ガス売買契約を一方的に破棄.ポルティーヨはこれをきっかけに米国離れを強め,北米共同市場構想を拒否,GATT加盟も拒否する.石油輸出の諸原則を提示・実行する.@輸出は生産量の半分まで,A米国へは全輸出量の半分まで,B相手国の輸入量に対するシェアーは2割まで.

1978年

5.03 メキシコで共産党の活動が合法化される。

78 石油主導型の景気回復政策が奏効.GDP成長率は7%まで回復.しかし物価上昇率は30%台に上昇し,失業率が9%に達するなど,貧富の差がさらに拡大.

1979年

6 カンペチェ湾の海底油田で240万バレルに及ぶ原油流出事故.石油による財政建て直しを図るポルティーヨ政権に打撃となる.

7 BUCP崩壊を受けて,あらたに個人加盟制の「メキシコ州人民コロニア同盟(UCP−VM)」創設.八つのコロニアを中心に2千名が加盟.労働者革命党と結合しながら政治要求闘争を全面にすえ成果をかちとる.

9月 ポルティーヨ,国連総会で非産油途上国の保護を目的とする国際エネルギー機構の創設を提案.

10 40以上の農民諸組織が結集し,アヤラプラン全国調整委員会(CNPA)結成.ラティフンディオの分配,信用の供与,農民政治犯の釈放,消費組合設立などの要求を掲げる.

79年 下院議員選挙.メキシコ共産党は18議席を獲得し躍進.ほかに労働社会党(PST)11議席,右派のメキシコ民主党(PDM)などが進出.

79 チアパス州シモホーベルで,農業労働者・農民独立センター(Central Independiente de Obreros Agricolas y Campesinos: CIOAC)の指導を受けた農業労働者の土地よこせ運動が高揚.

1980年

3月 冷害と旱魃に対応するため,メキシコ食糧制度(SAM)を導入.石油による外貨収入の半分を農業部門に投資.しかし農村の荒廃と人口流出は止まらず.

9月 メキシコ政府,北朝鮮と国交を樹立.

80 地方選実施.PRI政府の横暴に抗議するオアハカ州のCOCEI活動家がインドとグアテマラの大使館を占拠.やり直し選挙でCOCEI指導者のデヒベスがPSUMから立起しフチタン市長に当選.

80 チアパス州で,ラカンドンの入植者を中心にする3つのエヒード組合と,他の地域の農民組織の連合であるエヒード組合・農民連帯集団組合連合(Union de Uniones Ejidales y Grupos Campesinos Solidarios de Chiapas: UU)が誕生.11の行政区にまたがり1万2千の農民世帯を組織.カランサでは「人民の家」が中心となり,農民連合組織を結成.逮捕された幹部の釈放運動のなかで,首都の人権団体や全国レベルの農民組織との提携が生まれる.

1981年

3.09 メキシコ共産党大会開催.他の左翼政党との合同について討議.

4 ドゥランゴで「第2回都市社会運動連絡会議」開催.都市人民運動全国調整委員会(CONAMUP)結成.13州10万家族を結集,住宅の建設・整備,環境汚染や失業問題についてとりくむ.

7 連邦治安警察(PES),ベネズエラの元ゲリラ指導者ダグラス・ブラボを逮捕,拷問.

10.15 メキシコ共産党,春に続いて続開大会.左翼6政党の合同問題を協議.

10.22 カンクンで第1回南北サミット開催.22ヶ国が参加.

11 ベルリンゲルの訪問を機に,PCMを中心に人民党,労働者党(PMT),行動・社会連合党,革命社会党が大同団結し,メキシコ社会主義統一党(PSUM)を結成.(どれがどの政党なのかは目下不明です.悪しからず)

81年 対外借款により輸入が240億ドルに増加。石油・天然ガスの輸出は138億ドルに増加したが、債務総額は749億ドルに増加。

債務危機下の時代

1982年

2 メキシコ,為替市場を閉鎖.ペソの切り下げを事実上容認.

3 ムニョス蔵相,コルベック中銀総裁を更迭.財政再建に乗り出す.

7.04 大統領選.PRIのミゲル・デラマドリ・ウルタド前企画予算相が当選するが,得票率は68%にとどまる.PAN候補が躍進し16%を獲得.PSUMのマルチネス・ベルドゥーゴは3.65%.トロツキー派の労働者革命党(PRT)はロサリア・イバラ・デ・ピエドラを立起させる.

8.13 メキシコ,外国民間銀行に対し公的債務の支払い猶予を申請.累積対外債務は800億ドルに達する.ラテンアメリカの金融危機一挙に表面化.IMFが45億ドル,国際決済銀行(BIS)が15億ドルを緊急融資.

9.01 ポルティーヨ,最後の大統領教書を発表.ペソ投機に走ったとして民間50銀行の全面国有化を発表.ペソの二重相場制を含む為替統制の実施を発表.ドル預金を撤廃し,ペソへの変更を強制する全面的な為替管理の導入を声明.このあと政治の介入を嫌う外資の逃避により,外貨準備高は18億ドルまで落ち込む.

12.01 デラマドリ,大統領に就任.IMFの「緊急計画」を受け入れる.財界とのパイプ役であるシルバ・ヘルソグ蔵相を留任させる一方,債務危機を「前政権の失政の遺産」と断罪.通貨の53%切下げのほか,政府補助金の4割カット,人件費の2割カットを実施.

82年 チアパス州ベヌスティアーノ・カランサの「人民の家」に,シモホーベルなど3つの地方の農民組織が連合して,エミリアーノ・サパタ農民組織(OCEZ)が結成される.

82年 輸入は144億ドルに急減し貿易収支は黒字となる。しかし債務は減少せず、経常収支の赤字は続く。利払いだけで貿易黒字の2倍に達する。

1983年

1 チアパス州の大土地所有者アブサロン・カステリャノス・ドミンゲス将軍,州知事に就任.エミリアノ・サパタ農民組織(OCEZ)や農業労働者・農民独立センター(CIOAC)の農民活動家をつぎつぎに暗殺.グアテマラからの難民に対しても弾圧を加える.ラカンドンのUUは内部分裂により崩壊.中心となったコーヒー小生産者層は統治機構に組みこまれる.

4月 メキシコ市で第3回米墨閣僚会議開催.メキシコはコンタドーラ会議の合意にもとづき,中米地域から外部勢力(米ソ)が撤退するよう主張.

8月 石油公社元総裁のディアス・セラーノ上院議員,タンカー購入に際し約八千万ドルを着服した容疑で逮捕される.これに関連してポルティーヨ前大統領の責任も問われるなど,大疑獄事件に発展.

83 デラマドリ,軍を出動させフチタンのPSUMデヒベス市政を転覆.

83年 一斉地方選挙.チワワ州では新興ブルジョアに支持されたPANが躍進.

1984年

2 外国投資委員会のアドルフォ・ヘゲウィッシュ委員長,外資に関する基本方針と外資優先受入れ分野を発表.

4.01 政府とIMFの緊縮政策に対する抗議が広がる.首都で労働者・農民が,賃上げ凍結と社会保障切捨てに抗議するデモ.

5 アルトゥーロ・ドゥラソ前メキシコ司法長官の腐敗を暴いた反体制派のコラムニスト,マヌエル・ブエンディア,秘密警察の手にかかり白昼市内で射殺される.その後デラマドリは「道義刷新」を掲げ,秘密警察を廃止.ドゥラソのほかセラーノ元石油公社総裁,石油公社労組幹部バラガンなどを追及.

6 LAの債務問題での団結を目指す,カルタヘナ・グループが結成される.

6月 ドゥラソ前司法長官,タンカー疑獄に関連した巨額汚職容疑で逮捕される.

9 国際民間銀行団5百行とのあいだに対外債務交渉成立.IMF協定を遵守する条件で,多年度一括繰り延べが合意される.利子負担を軽減し,債務をドル建てから各国の通貨建てへ切り換える内容.

11月 首都北部のガスタンク三基が爆発.死者544人を出す.

84年末 外貨準備高は81億ドルまで回復.インフレは60%まで下がる.

84年 グアテマラ・エルサルバドル内戦の激化に伴いオアハカ・チアパスへの難民が激増.メキシコ政府は約80箇所の難民キャンプを設置し,難民46千人を収容.

1985年

2.07 DEAのグアダラハラ駐在係官エンリケ・カマレナ・サラザール,運転手とともに誘拐され,拷問の上殺される.現地麻薬ボスのラファエル・カロ・キンテーロの指示によるもの.この事件のあと、米政府はラテンアメリカ麻薬問題の対策を抜本的に強化する。

3月 メキシコ政府とIMF,対外債務960億ドルのうち486億ドルの返済を繰り延べることで合意.

5月 メキシコ,ニカラグアのサンディニスタ政府とのあいだで32万ドルの石油を供給する協定を締結.

6月 ペソが大暴落.これを機に中央銀行は自由変動相場制への移行を決定.実質切り下げ幅は32%.

7月 政府,輸出振興総合計画を策定.輸出主導型の経済再建を図る.

7月 下院と7州の知事を選ぶ総選挙実施.PANが6議席,メキシコ真正革命党(PARM)が2議席を獲得.

8月 PAN,選挙の不正に抗議しモンテレイで八万人のデモ.一部が州庁に乱入.

9.19 メキシコ市を中心にマグニチュード8.1の大地震.死者は約1万人.被災者25万人,被害総額40億ドル.債務危機にさらに追い打ちをかける.

9月 ギャビン米国大使,「米国に入るヘロインの4割,コカインの三割がメキシコ国内で製造ないし経由・輸入されたもの」と述べる.

85 麻薬密売組織のボス,カロ・キンテーロ逮捕.ハリスコ州の警察官ほぼ全員に賄賂を贈っていたと暴露.モレロス州では州知事が州警察官全員を収賄の罪で解雇.

1986年

8.13 石油価格の急落を背景に,第2回目の債務危機がメキシコを襲う.レーガン米大統領,デラマドリ大統領と会談,メキシコ債務危機打開で米の協力を約束.メキシコは米国の圧力を受けGATTに加盟.市場開放に乗り出す.保護貿易政策は最終的に放棄される.マキラドーラを介する輸出が石油輸出を上回る.

8 ハリスコ州警察,米国麻薬取締局秘密捜査員ビクトル・コルテスを逮捕・拷問.米国の抗議により警官11人が一時停職処分.

9 カルデナス元大統領の息子で,前ミチョアカン州知事のクアウテモク・カルデナス,PRIに対し大統領候補への指名を要請,党内に「民主潮流」派(CD)を形成.

11.17 デラマドリ大統領,87年はプラス成長に転じると声明.経済再建に取り組む強い意欲を表明.

86年 チワワ州知事選でPAN候補が勝利.以後北部諸州であいついでPANが知事を獲得.

86年 米国で新移民法が成立.在米メキシコ人300万人が強制送還される可能性が生じる.

1987年

2.9 メキシコ自治大学で改革案に反対する闘争さかんとなる.全大学人の結集する抗議集会.政府に撤回させる.

5月 米議会でメキシコ移民管理法が成立.82年以前から米国内に居住していることが証明できれば,米国への永住権を与えられることになる.

10.04 PRI代議員大会,大統領選挙候補者にデラマドリ直系のテクノクラート,カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ計画・予算相を指名.カルデナスも指名争いに出馬するが敗れる.

10 カルデナス,PRIを離れ大統領選に立候補すると声明.親PRIのメキシコ真正革命党(PARM)の大統領候補指名を受諾.次いで社会人民党(PPS),メキシコ労働社会党(PST)もあいついでカルデナスを候補に指名.カルデナスは民主潮流(CD)をふくむこれらの政党を「国民民主戦線」(FDN)の下に統一.

10月 PANは,経団連元会長のマヌエル・クルチェを大統領候補に指名.

10月 アメリカでブラック・マンデーとよばれる株価暴落が発生。メキシコでも株価が暴落し、資本が流出してペソ安をもたらす。これによるインフレは年間131・8%に達する。

11 メキシコ社会主義党(PMS)結成.PSUMを母体に,社会主義統一党など6党が合同.科学的社会主義の組織原則はもたない.書記長に共産党出身のリンコンが就任.大統領候補にはエルベルト・カスティーヨを決定.

11月 政府と企業、組合が経済連帯協定を締結。新たな経済調整政策が実施される。(1)法人税引き下げと所得税引き上げ(2)輸入税の約60%引き下げ(3)公企業の民営化などを柱とする。

12 ペソをドルに連動させる政策が開始される.ペソの下落は160%に上るインフレを引き起こす.ドル・ペグの導入により、インフレは鎮静化するが、為替が据え置かれたため貿易収支は60億ドル以上の激減。外貨準備は70億ドル減少。

 

1988年

2月 パナマのノリエガ政権,麻薬取引への関与疑惑が浮かび上がる.メキシコはサンホセ協定に基づくパナマへの石油供給を拒否.

2月 ベイカー構想にもとづき、債務の一部を債券化する「メキシコ方式」が実施される。メキシコ政府は約11億ドルの債務の削減に成功。

4 メキシコ市警察,州警察の副警視長パブロ・エスタニスラオ・アギラールを拷問死させる.

5 メキシコ社会主義党(PMS),カルデナス当選のため,なんらの協約なしに一方的に協力すると声明.エルベルト・カスティリョが候補を辞退.

88年7月

7.03 大統領候補の一人オバンド,射殺される.

7.06 大統領選,サリナスは確定得票率50.36%で辛うじて過半数を確保.カルデナスは31%,PANのクルチェは17%.

7.16 不正選挙に抗議する集会.30万人が参加.

88年8月

8.04 野党3党,政府・与党が選挙不正疑惑を解明しない限り,サリナス当選を認めないと共同声明.

8.31 国会議員選挙結果確定.PRIは上下両院で大幅後退,国民民主戦線(PANを除く野党5党の統一会派)が野党第一党に躍進.

9.10 下院,サリナス当選を賛成多数で認定.サリナスの大統領就任が確定する.サリナスはハーバード,予算企画大臣のセディジョはエール出身の経済テクノクラート.

88年10月

10.20 国民民主戦線(FDN)のよびかけで,野党が合同し新政党の結成へ動く.

10月 国際石油価格が急落.貿易収支の悪化から累積債務問題が再燃.米国が35億ドルの緊急つなぎ融資.

10月 サリナス政権,国民連帯計画(PRONASOL)を開始.カルデナスの支持基盤となった都市貧困層の取り込みを図る.

12月 政府・労組・経営団体が経済連帯協定を締結.賃金抑制政策により,インフレ率は51%にまで低下.しかし10年前に比べ,失業率は6%から12%へ,社会支出はGDPの34%から20%へ,失業率は6%から12%に,最低賃金は50%強に減少.

 

1989年

1月 サリーナス政権が発足。「経済安定・成長協定」として経済連帯協定を継続。農業と牧畜業を除く産業で全額出資の外国企業を認める。

1月 当局,PEMEX労組のホアキン・エルナンデス元書記長ら幹部40名以上を逮捕.武器の不法所持・密輸・脱税の容疑がかけられる.PEMEX労組は半世紀にわたりPEMEXの実質上の支配者として君臨してきた.

5 国民民主戦線を母体に民主革命党(PRD)創立.社会主義の目標,科学的社会主義の立場はない.社会主義党(PMS)も解党しPRDへ合流.

9.05 海部首相,メキシコを訪問.サリナス大統領と会談し累積債務対策として14億ドルの前倒し融資を表明.

10月 サリナス大統領,米国を公式訪問.投資貿易促進,国境地帯の環境問題,対米鉄鋼輸出自主規制,麻薬取締りなどについて協議.中米問題でも共同歩調をとることを確認.

89 カナネア鉱山の民営化計画に反対する労働者のストライキ.政府は軍隊を出動させこれを鎮圧.

89 国営石油会社PEMEXと国営電話会社の独占を廃止.

89 コーヒーの市場価格が暴落.チアパスの農民はコーヒー生産を放棄.

 

1990年

1月 ブレイディ構想にもとづく債権銀行団とメキシコ政府の交渉が決着.これにより対外債務は200億ドル減少する.保障の裏打ちとして、日本の資金協力やIMF・世銀の資金が投入される。

メキシコの累積債務: この時点で総額は480億ドル。うち元本が40%、利息分が60%を占めていた。このうち元本については一律35%削減された。また債務の50%については金利を軽減。返済期間30年の6.25%の固定利率に変更された。残りの10%については新規融資14億ドルで救済することで合意された.銀行側は、元本および18ヶ月分の利子支払いの保証を得る。

3月 サリナス,チリを訪問しエイルウィン新大統領と会見.クーデター以来16年ぶりに国交を回復.

4 米麻薬捜査局,メキシコ人麻薬犯をメキシコ国内で逮捕し米国へ連行.サリナスは主権侵害に強く抗議すると同時に,犯人の引渡しを要求.

5.02 82年以来の銀行の国有化を廃止し,再民営化をすすめる改憲案が国会に提出される.

6.12 ワシントンでブッシュ・サリナス会談.両国間の包括的自由貿易協定の締結で合意.

6月 人権団体アメリカズ・ウォッチ,メキシコ警察により拷問と殺人が繰り返されていると報告.サリナスはただちに政府内に人権委員会を設置すると発表.

6月 憲法の一部改正と銀行法の改正が成立。サリナス政権は、債務危機以来国有化されていた商業銀行を完全に民営化。資本移動の自由化を進める。

10 オクタビオ・パス,ノーベル文学賞を受賞.

10月 湾岸危機により石油価格が高騰.メキシコは増産を重ね,外貨収入を大幅に増やす.

11月 サリナス,議会年次報告で,人権侵害が疑われた297件について,人権委員会が調査を進めていると報告.

90 基礎穀物の輸入が自由化される.農村直接援助計画の資金はPRI系組合にのみ与えられ,州政府の食い物にされる.

90 サリナス大統領,カナネア鉱山を財閥「グルーポ・メヒコ」に売却.新会社はただちに1,200名の労働者をレイオフ.

 

1991年

5.13 「自由貿易協定成立すれば,メキシコは米国の指導下にはいる」とするネグロポンテ駐メキシコ大使の秘密文書,メキシコの週刊誌に暴露される.メキシコ政府は緊急コミュニケを発表,協定が同国の「外交方針を変更することはない」と反発.

6.17 クエルナバカでグアテマラ政府とURNGとの和平対話が再開される.

7月 グアダラハラで第一回イベロアメリカ首脳会議を開催.21ヶ国の元首が参加.

7月 メキシコとコロンビア・ベネズエラ,自由貿易協定に調印.94年末までに自由貿易地帯を形成することで合意.

8.18 メキシコ中間選挙,景気回復の成果をうたうPRIが,300議席中290議席を獲得し圧勝.PANが残る10議席を確保.カルデナスの個人的人気に頼る民主革命党(PRD)は得票率8%,メキシコ市でも議席ゼロなど大敗北,総括をめぐり左翼勢力内で矛盾激化.

10月 メキシコ政府、企業売却代金20兆ペソを対外債務支払いに充てたと発表。しかし累積債務は160兆ペソ強に達しており、焼け石に水。

11月 サリナス,共有農地(エヒード)の売却や私有化を禁じた憲法27条の改正案を議会に提出.

12.05 下院,憲法改正案を承認.約一億ヘクタールのエヒードが解体され,革命以来74年ぶりに農地私有が認められる.

12月 チアパス州の先住民,不正選挙に抗議してチアパス州のパレンケ市役所を占拠.100人が逮捕される

 

1992年

3.07 チアパス先住民300人がメキシコシティーに向けて1100キロメートルの徒歩行進に出発.連邦政府に逮捕者の釈放,土地の分配,先住民の人権,食料の確保を要求する.

4月 グアダラハラで石油公社の工場からガソリンが漏洩.下水道に流れ込んだ後市内各地で爆発.200人以上が死亡.

7月 バンコ・デル・セントロなど,国有化された銀行の民営化が完了.国営企業は10年前の10%にまで減少.対民間信用残高はこのあと急増.景気の過熱を招く.

8.12 北米自由貿易協定(NAFTA)交渉終了.メキシコを含む3億6千万人の市場が形成されることとなる.左翼はNAFTAは貧富の差を拡大し,メキシコの産業を破壊し,それをカバーするだけの雇用を生み出さないと批判.長者番付10億ドル以上の所得者は米独日につぎ13人に達する.

92年10月

10.02 チアパスのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスで,「侵略の500年」を告発する集会.2万人を越す先住民・農民が結集.北米自由貿易協定反対,憲法27条(先住民族に関する条項)改悪,新土地改革法反対を唱えて行進.

10 憲法27条を改定.農業部門の生産性と競争力の向上を計るため、農地改革によって分与された土地(エヒード)の売却や賃貸しを認め,土地所有限度面績も引き上げ.

10月 NAFTA協定が締結される。「職が奪われる」とする米国内労働者の抵抗が強いことから、米議会でのNAFTA批准は難航。

10.12 EZLN,ラカンドン地域出身の先住民を中心に組織.ニカラグアでサンディニスタの影響を受けた元大学教員ラファエル・セバスティン・ギジェン・ビセンテ(通称マルコス副司令官)が指導者となる.サン・クリストーバル・デ・ラス・カサスの征服者ディエゴ・デ・マサリエゴスの銅像を破壊(最初の行動).

12月 国連環境計画,硫黄酸化物・一酸化炭素など4種の汚染物質について,メキシコが世界の大都市で最悪との結果を発表.

92年 メキシコの貿易収支が200億ドルを超える赤字となる。NAFTAを見込んだアメリカからの生産財輸入の急増による。

 

1993年

5.24 フアン・ヘスス・ポサダス・オカンポ枢機卿,グアダラハラ空港の駐車場で死体となって発見される.ポサダスはハリスコ州都グアダラハラのカトリック最高指導者.彼は自分の車の中で,近距離から14発の銃弾を撃ち込まれ死亡していた.

5月 サリナス大統領,「オカンポ枢機卿はギャング同士の銃撃戦に巻き込まれ死亡した」と発表.のちにティファナ・カルテルのアレヤノ・フェリックスにより暗殺されたことが明らかになる.グアダラハラ大司教のフアン・サンドバル・イニゲスは「大きな魚が捜査を妨害している」とし,当局のカルテルとの癒着を批判.

10月 サリナス政府,農村直接支援計画(PROCAMPO)を開始.実質的には多くの農民に離農を促す「近代化」計画.

11.28 PRI党大会,大統領候補にルイス・ドナルド・コロシオ社会開発相を指名.アスペ大蔵大臣,カマチョ前メキシコ市政庁長官・前外務大臣,オルティス与党総裁らは敗れる.

11月 雇用制度や環境規制の整備をメキシコに課す補完協定。米議会はこれを機にNAFTAを批准。  

12.29 チアパス州ラスカサスのサムエル・ルイス司教,メキシコに於ける民主主義の不在や 「新自由主義」 政策の下で悪化する貧困などの問題が取り除かれない限り、「何者かが紛争ないし緊張を引き起こす可能性がある」 と 指摘.

12.31 サパティスタ,ペメックス・プラントからダイナマイトを強奪.

93年 EZLN総司令部,「ラカンドン密林宣言」を発表.「今日,我々は言う,もうたくさんだ(バスタジャン)」と述べ,政府に対する宣戦を布告.チアパス州では,最低賃金の2倍所得以下の人口が約8割.初等教育未修了者が6割、文盲率が3割をしめる.

 

1994年

94年1月

1.01未明 チアパス州でNAFTA発効の日を期して、サパティスタ国民解放軍(略称EZLN)500名が武装蜂起.サン・クリストバル・デ・ラス・カサス、オコシンゴ、アルタミラノ、ラス・マルガリータスの4市町村を占拠.刑務所や陸軍基地を襲撃,カステジャノス元知事を誘拐.

1.01 EZLN,「ラカンドン宣言」を発表.チアパス州における貧困、土地、民主主義の不在及び先住民差別等の問題を列挙.現政府の打倒、代替政府の擁立、真の民主化推進などの要求事項を掲げ、メキシコ政府軍に対し宣戦布告.

1.01夕方 マルコス副司令官が記者団と会見.「今回の反乱は,チアパスの先住民・農民の怒りを代表するものである.先住民・農民に土地、家、食料、治療、教育、公正、権利、平和はなく、これらを求めても反応は全くなく、逆に騙され、また動物の如く追跡・殺されてきた」と述べる.NAFTA発効日を蜂起の日に選んだことについては,「NAFTA協定の議論を通してメキシコ政府が隠してきた非民主性,貧困と先住民に対する差別などを暴露するため」と説明.

「マルコス副司令官」
本名はラファエル・セバスティン・ギジェン・ビセンテ,ニカラグアでサンディニスタの影響を受けた元大学教員.彼は組織者というよりは参謀役・スポークスマンであろう.EZLNは70年代からのチアパス農民運動の伝統につながる組織であり,総勢1万2千,戦闘部隊は千から2千という.

1.02 政府,「今回の事件は,先住民を巻き込んだテロリストによる行為であり、チアパス州が抱える社会問題と混同できない」と主張.軍は1万人を投入し,陸と空から反撃.国際世論はメキシコ政府の強硬態度に一斉に反発.

1.03 サリナス大統領,「話し合いが基本であり暴力は解決を遅らせる」と強調.実際はゲリラをはるかに上回る過剰暴力で対処.

1.04 政府軍が爆撃を開始.報道陣へも襲撃を実行.サパティスタは送電線や橋の破壊などで応える.

1.05 EZLN,政府軍との交戦の後, 地元警察幹部や牧場主ら十数人を人質に,ラカンドン密林地帯に入る.この間の戦闘で100名が死亡.ほかに多数の行方不明者を出す.

1.06 EZLN総司令部・先住民革命地下委員会が「不法なサリナス政権の退陣と,公正な選挙を保障する民主的暫定政権の樹立を要求する」との共同声明を発表.声明の中で,「闘いの基本的目標はチアパス州の惨状をメキシコ国民及び世界に知らしめることにあった」ことを明らかにする.サリナス大統領は国民への年頭挨拶で,「チアパスの事態は内外のゲリラプロによる仕業」と断定.

1.08 メキシコ市及び国内各地で爆弾事件が相次ぐ.

1.10 国内外世論の反発を受けたサリナス大統領,「和解・調停委員会」を設置.マヌエル・カマチョ・ソリス外相を「和平と和解のための特別調整官」に任命し,チアパスに派遣.憲法学者として名声が高く、PRIに属さないカルピソ前連邦検察庁長官を内務大臣に任命.

1.10 コロシオPRI大統領候補の正式キャンペーンが開始される.

1.12 サリナス,一方的停戦を宣言.軍による攻撃の停止を命令.政府発表によれば,この時点でゲリラ61人が死亡、逮捕者121人.政府軍側は死亡9人、負傷者33人となる.

1.13 カマチョ政府代表がサン・クリストバル・デ・ラス・カサスに入る.政府とサパティスタとの関係調整にサムエル・ルイスを指名.ルイスはサンクリストバル司教区の司教で,解放の神学派の神父として知られる人物.

1.17 カマチョ和解・調停委員会政府側代表,マルコス司令官から、和解の話し合いに応ずる旨のメッセージを受けたと発表.

1.18 サパティスタ軍,@政府との話し合いに応じるが、武器は渡さない.A政府との間に「仲介委員会」の設置を求める.B仲介委員として,サン・クリストバル・デ・ラス・カサスのルイス大司教を推薦する.声明の中で「先住民が置かれている極貧の立場への理解,公正と自由・民主主義・主権の尊重」をもとめる.

1.19 サリナス大統領,特別国会を召集.サパティスタを対象とした恩赦法を提出する.武器の引き渡しを条件として法的追及を免除する内容.先住民権利擁護の行政面での改革を促進する「先住民統合発展社会公正委員会」の設立,農民の負債を解決するスキームの整備,土地係争への対処策など、社会問題解決の為の諸策も発表される.

1.21 サリナス,EZLNに対する恩赦法を公布.

1.22 連邦政府の肝いりで開かれたチアパス州先住民・農民集会に,住民組織など310組織が参加.EZLNの武装蜂起には反対しないが,武力闘争ではなく対話路線を進めるということで合意.うち45組織は,EZLNを無条件で支持すると表明.

1.25 サリナス大統領,チアパス州を訪問,和解を求める.

1.27 カルピソ内相,「平和、民主主義及び正義に関する合意」を提示.大統領選・総選挙の投開票管理の公正を保証する.8党代表と各党大統領候補の間で署名される.

94年2月

2.16 EZLN,カマチョとルイス司教の目前で,アブサロン元知事を引き渡し.

2.21 サン・クリストバル・デ・ラス・カサスのカトリック教会内で,サパティスタと政府との交渉が始まる.サパティスタは34項目の要求を提出.

2.23 カマチョ政府特使はEZLNを政治勢力として認め,チアパス州の改革を約束.チアパスのボスで前チアパス州知事,現内相のゴンサレスを更迭.EZLNも全国的課題を要求に入れないことを認める.

3.02 政府とサパティスタ,和平の暫定合意に達する.EZLN側が要求していた34項目について政府側回答が示され,教育や福祉などで先住民のレベル向上を図ることで合意.サパティスタとの交渉に成功したカマチョへの国民的期待が高まる.

3.06 PRI結成65周年記念大会,革命広場前で約3万人を集め開かれる.コロシオ候補は,「新たな政治改革の時代を築きあげたい。過剰な権力は諸悪の根源であり、政策の誤りや権益の独占などを生む.権力の集中を排除し真の三権分立を推進する。また政権党と政府を明確に分離して政府による影響力をなくす」と述べる.

3.14 バナメックス・グループのアルプ会長が誘拐される.

3.22 カマチョ,大統領候補として出馬はしないことを発表.

3.22 臨時国会が始まる.選挙違反に対し,罰金だけでなく禁固刑・公民権停止の実刑を盛り込むなど,刑法の厳格な適用で合意.また連邦選挙機関への市民参加拡大などがはかられる.

3.23 コロシオ与党次期大統領候補(44),遊説先のティファナ市で狙撃される.支持集会の直後,腹部と頭部に銃弾を浴び約2時間半後死亡.現地の労働者アブルトがその場で捕らえられる.

後に明らかになったところでは,カリ・カルテルがラウル・サリナスを通じてコロシオに資金提供を持ちかけた.コロシオがこれを断ったため,カリ・カルテルはガルフ・カルテルに依頼し殺害したとされる.ただしこの話もわかったような分らないような気分.

3.24 連邦検察庁内にコロシオ暗殺事件特別捜査本部が設置される.

3.27 米国新聞社の報道写真や,アマチュア・ビデオなどにより、アブルト容疑者の単独犯行に疑問が持たれる.

3.29午前 コロシオ同党次期大統領候補の後任として,大統領選挙対策本部長エルネスト・セディージョ(前文相)が指名される.オルティス与党総裁は自ら不出馬を表明.後任候補に関する根拠のない憶測を行うことを党員に戒める.

3.29午後 セディージョ候補,党本部で指名受諾演説.「新たな選挙運動を開始するのではなく、コロシオ前候補の選挙運動を継続していく」と強調.財政健全・市場原理・近代化過程下の安定経済、また家庭の福祉向上と貧困の撲滅を図ると述べる.

3月末 これまでにチアパス全州で20近い土地占拠闘争が起き、占拠された土地は四万ヘクタールを越える。

94年4月

4.01 特別捜査本部,コロシオ候補を撃った実行犯アブルト以外に,少なくとも計6人の共犯者がいると発表.そのほとんどがティファナの警察・検察関係者であり,集会の警備担当者として配置されていた.集会の状況を収めた州検察庁のビデオ,民間ビデオ会社の収録ビデオから判定したもの.これらの人物を警備陣として雇ったPRI州代表リバパラシオも起訴される.

4月初め メキシコの政治不安に反応して,30億ドルが海外流出.米国はペソ通貨防衛のため50億ドルを緊急融資.国債金利は一気に3%近く引き上げられる.

4月 PRI党大会,セディジョをコロシオ後継の大統領候補に決定.

4月 メキシコ,米国の支援を受け経済協力開発機構(OECD)への加盟を果たす.

5.12 三候補によるテレビ討論会.議論では,PANのディエゴ・フェルナンデス・デ・セバジョスが優位に立つ.

94年6月

6月初旬 サパティスタ,最終表決の結果,和解案の受け入れを拒否したと表明.民主主義と自由、公正を柱とする,新たな全国的話し合いを国民によびかける.また戦闘休止措置を一方的に延長,8月の選挙妨害はしないと表明.政府側代表のカマチョ,調停役のルイス司教、報道陣などにこれまでの努力を感謝.

6.05 セディージョ大統領候補,「和解の話し合いは失敗に終わった」と表明.カマチョ個人にたいしても政治的批判.

6.16 カマチョ,チアパス和解政府代表を辞任.「みずからの活動に関する批判と中傷が,今後の和解のための努力を困難にしている」とし,セディージョ大統領候補を暗に非難.

6.23 マドラッソ国立人権委委員長がカマチョの後任となる.

6.14 サパティスタ,政府の和平案を拒否.停戦交渉決裂.

6月 モンテス特別捜査官,アブルト容疑者と他の容疑者との共犯関係は,ビデオからだけでは断定できないと発言.

6月 政治不安が続き、第2 四半期だけで外貨準備が130 億ドル減少。またペソ建て国債から ドル連動国債への転換が進む。

94年7月

7.12 モンテス特別捜査官,コロシオ暗殺事件はアブルト容疑者による計画的単独犯行であったと発表.調査を事実上打ち切る.

7.13 PRI,モンテス特別捜査官の発表に疑義を表明.セディージョ候補の提唱で,内部に調査追跡委員会を設置.

7.14 モンテス特別捜査官,捜査の重要な部分が達成されたとし,サリナス大統領に辞表を提出.サリナスは後任の捜査官として現メキシコ市検察庁次官のイスラス女史を任命.モンテス報告見直しグループとして刑法専門家を任命.

94年8月

8.21 大統領選選挙.エルネスト・セディジョが,苦戦の予想を裏切り大差で当選.PANのセバジョス候補は27%の得票を得る.カルデナス候補はブームの終了から17%にとどまる.その後PRDは左翼的野党としての性格を強める.

8 チアパス州知事選挙.腐敗がうわさされるPRIのロブレス候補が,不正操作により勝利.EZLNは退任を要求.民主革命党(PRD)活動家と共闘して町村役場の占拠作戦を展開.

8 サパティスタのよびかけで,チアパスの密林の中で全国民主会議が開催される.この会議には著名知識人をふくむ3千人が集結.

9.28 コロシオに続きPRI幹事長のホセ・フランシスコ・ルイス・マシェも暗殺される.連邦検察庁副長官で実弟のマリオ・ルイス・マシェが調査を担当.

10月 52の外国金融機関に対し支店開設を認可.

10月 ルイス司教を中心とする民間仲介委員会(CONAI)が創設される.

10月末 メキシコ州地裁,アブルトに対し懲役42年の判決を下す.

94年11月

11.23 連邦検察庁のマリオ・ルイス副長官,PRIが捜査を妨害していると非難して辞任.ルイス幹事長暗殺にPRI総裁と現幹事長が関連と声明.

11.23 カリフォルニア州で住民投票.「提案187」が可決される.不法移民への医療補助の廃止,その子弟への公的教育の拒否などを内容とする.セディジョ次期大統領は米国を訪れクリントンと会見.提案187号成立により生じる影響を最小化することで合意.後に,この州法は連邦裁判所に違憲と判断され,無効になる.

11月 米国の公定歩合が0.75% 引き上げ。カントリー・リスクの高いメキシコから、米国国債に資金が環流し始め、NAFTA調印後メキシコに流入した1千億ドルの短期資金が一斉逃避.

94年12月

12.01 セディジョが大統領に就任.サリナスのネオリベラリズム政策を継承しつつ,貧困などの国内問題も重視すると演説.またサパティスタ問題の交渉による解決をうたう.政治腐敗追放のため,PANのアントニオ・ロサノ副幹事長を法相に起用.

12.03 PRI,マリア・デロスアンヘレス・モレノ上院議員を新総裁に選出.党史上初の女性総裁となる.

12.10 外貨準備が激減したことから第一次のペソ切り下げ.外資流入を計って為替を高めに維持したことから輸出が伸び悩む。

12.15 セディージョ新政権,チアパス和解のための仲介役として,新たな与野党委の設定を提案.サパティスタはこれに反発し,民間仲介委員会を認めるよう求める.

12.19 ロブレスがチアパス知事に就任.サパティスタはこれに抗議して,ラカンドン密林近くの村シモジョベル庁舎などいくつかの村を一時占拠,一部街道も封鎖する示威行動.数時間後に撤退.この他チアパス州全土でバリケードを築くなど軍事行動.死者145人を出す.

12.20 セディージョ,軍を派遣してサパティスタ掃討作戦を開始.

12.20 メキシコ通貨当局,貿易赤字の累積と外貨準備の急激な減少に対応し,為替レートの介入上限の15%切り下げ(事実上は為替レートの15%切り下げと同じ意味を持つ)を抜き打ち発表.

第三次メキシコ危機: 290億ドルに達した経常赤字、チアパスなどの政情不安を懸念材料として,外資10億ドルが一気に国外流出.外貨保有高は1年前の260億から64億ドルへ激減する.これを機に投機資本が介入し、危機が深刻化.ペソの切り下げ圧力はさらに強まる。

12.22 政府,通貨切り下げに続き完全変動相場制への移行を発表.

12.25 政府,仲介委員会(CONAI)を正式な仲介役として認知すると発表.

12.28 政府,チアパスの大農園の土地5千ヘクタール買い上げ、農民グループに即時分配すると発表.

12.28 メキシコ政府,IMFと緊急協議を開始.

12.29 新ペソ暴落の責任をとりセラ・プチェ蔵相が辞任.セディージョは経済緊急事態を宣言.ペソは1ドル=5ペソ台へと暴落.資本の流出とペソ売り圧力は収まらず.「テキーラ効果」と呼ばれる国際金融不安に拡大.

 

1995年

95年1月

1.02 ペソは,変動相場制移行以後,さらに40%以上の暴落.メキシコのみならず,新興国市場から一斉に資金が引き揚げられ,ラテンアメリカ全体に「テキーラ効果」が憂慮される.米国は180億ドルの支援策をまとめ各国におしつける.メキシコでインフレに抗議する3万人のデモ.

1.03 セディージョ,新ペソの急落による経済危機を乗り切るため,緊急経済計画を発表.180億ドルの国際支援を前提に,公共支出削減・賃金引き揚げの抑制を柱とする.

1.09 革命民主党(PRD),サリナス前大統領を国家への背信や不法蓄財などの罪で連邦検察庁に告発.これを機にセディージョとサリナスの確執が表面化.

1.11 クリントン米大統領,メキシコの経済危機乗り切りのため,全力を挙げて支援すると声明.

1.15 政府,サパティスタ掃討を断念し交渉路線に転換.サパティスタと政府初の公式会談で停戦合意成立.政府代表にはクテスマ内相が自らあたる.

1.15 メキシコ,債務支払不能の危機に.クリントン,400億ドルの融資を保証すると表明.返済不能を心配する投資家の圧力により,メキシコは石油資源を担保とするよう迫られる.

1.26 IMF,80億ドル融資を決定.

1.30 ニューヨーク外為市場,1ドル=6.30ペソの安値を記録.変動相場制への移行から1ヶ月でペソは65%にまで低下。外貨準備は35 億ドルにまで低下。ドル連動国債(テソボノス)170億ドルの償還が困難となる。

1.31 クリントン,議会に提案していた400億ドルのメキシコ信用保証を断念.日本,ヨーロッパなどに働きかけ,総額528億ドルの国際金融支援をまとめる.メキシコ通貨危機は終焉に向かうが、政府は極めて厳しい財政・金融政策を強いられる.

国際金融支援の内容
米国が大統領権限により200億ドルを信用供与,IMF178億ドル,国際決済銀行(日本とヨーロッパ諸国が出資)100億ドル,日米欧の民間金融機関が合わせて30億ドルなどを債務保証.

1 PRI,PAN,PRDなど与野党が選挙制度改革などに関する「国民政治合意」に調印.

95年2月

2.09 政府,サパティスタとの交渉を打ち切り,マルコス副司令官ら幹部5人の逮捕命令を発し攻勢に出る.

2.09 政府、マルコス副司令官の「本当のアイデンティティ」を暴露。これによれば、本名はラファエル・セバスチャン・ギリェン・ヴィセンテ。年齢は40才未満。実家はタンピコの貿易商。メキシコシティーの国立自治大学で哲学を学び、首都自治大学の教授を勤めたあと、非合法活動に入る。

2.10 政府軍は現地でスポークスマンをつとめるルイス司教を監禁し,サパティスタ支配区に進攻.指名手配の幹部のうち二人を逮捕.

2.11 メキシコ市で政府軍のチアパス侵攻に抗議する10万人のデモ.

2.14 セディージョ大統領はまたもや態度を豹変,平和的解決を提唱.チアパス問題のきっかけとなった悪徳知事ロブレスを解任.

2.26 政府と農・労・資3者との協議.政府提案の需要削減を通じた安定化政策は受け入れられず.

2.28 メキシコ連邦検察庁,サリナスの実兄ラウル・サリーナスを,ルイス・マシェ暗殺に関与した疑いで逮捕.さらに不正蓄財,公文書偽造,偽証などの疑いでも告訴.

2 クリントン構想,議会承認を得られず.IMFによる200億ドル融資に切り換え.

2 メキシコ新経済計画発表.歳出の1割削減.付加価値税を10→15%に,石油代35%アップなど.これにより新たに50万人の失業者発生が見込まれる.

2月 ハリスコ,グアナフアトの州知事選であいついでPRI候補が落選.PAN候補が知事の座を獲得.

95年3月

3.01 カルロス・サリナス前大統領,WTO初代事務局長への立候補を撤回.みずからへの疑惑に対し抗議のハンスト.

3.09 下院,EZLNにたいする特別和平法(特赦)を可決.和平交渉のため,サパティスタ指導者たちに対する逮捕状を停止し逮捕中の幹部二人を解放.

3.09 この日,史上最安値の1ドル=7.45ペソを記録.

3.11 サリナス,米国に出国.事実上の亡命.その後アイルランドに居を構える.

3月 政府,財政・経済再建計画を発表.付加価値税を10から15%に引き上げ.ガソリン35%,電気・ガスの20%値上げなど国民に耐乏を強いるもの.

4.22 政府とEZLNとの交渉再開を声明.

5,15 チアパス州ロス・アルトス県のサン・アンドレス・ララインサル(Larrainzar)で、EZLNとの和平交渉開始.仲介役として国家調停委員会(CONAI)と、協調和平委員会(COCOPA)が参加。CONAIはサムエル・ルイス神父が議長を勤める。COCOPAは超党派の議員団。

95年6月

6.18 PAN,ユカタン州知事選で大がかりな不正があったと批判,今年1月に与野党で調印した選挙制度改革などに関する「国民政治合意」を破棄すると言明.

6.28 メキシコ南西部のゲレロ州アグア・ブランカ村で、農民虐殺事件が発生。平和的なデモに参加する途中の農民17人が、警官により射殺される。

6月末 ララインサルの和平交渉、政府軍がEZLNの支配区から撤退し,軍に代わってゲリラが法と秩序を維持する内容で合意.

6月 アントニオ・ロサノ法相,サリナス前大統領自身も暗殺事件の捜査対象となっていると発表.

7.01 ゲレロ州で農民虐殺に抗議して,市民が町役場に放火.この闘いの中で,人民革命軍(EPR)が創設される。

9月 セディージョ,年次教書を発表.緊急事態を乗り切ったと宣言.しかし対外債務は1527億ドル、GDPの42%に達する。債務の内容も証券投資や短期債務の比重が大きく、資本逃避を生みやすい構造が残る。

9月 サパティスタとの間で先住民の文化と権利・民主主義と正義・福祉と発展などの4部会を設置することで合意.

9月 グリア外相がキューバを訪問.米下院で成立した「キューバ自由民主連帯法」について,「国際法上容認できない」と批判.

10.30 メキシコ大統領と経済界,労働界の代表とのあいだで新経済協定「経済回復のための同盟」に調印.

10.30 労働者は協定に反発し,メキシコ市で1万人の抗議デモ.警官との衝突で150名が逮捕される.

10月 セディジョ大統領,就任後初の訪米.「米国の経済支援で通貨危機を克服した」と謝意を表明.

12月 今年度の実質経済成長率はマイナス6.2%。為替切り下げとあいまってインフレは、昨年の7.1% から52%に上昇。通貨危機は中南米諸国への資本流入の急減をもたらし、「テキーラ効果」と呼ばれる。 

第二次メキシコ危機の決算
貿易収支は74億ドルの黒字となる.財政収支は歳出削減により、94年のマイナス17億ペソから8億ペソの黒字に転じる.94年に297億ドルに達した経常収支赤字も16億ドルまで削減.外貨準備は160億ドルまで回復.
いっぽう,短期国債の金利を年率60%まで引き上げるなどの厳しい緊縮政策により,銀行貸し付け残高の16.5%が焦げ付く.外国投資が300億ドル近く減少し,資本不足から弱小企業が次々と倒産,100万人が失業する.

1996年

1 EZLN,チアパスに全国先住民討論会を召集.これを機に,メキシコ各地でインディオ民衆の組織化が開始.

1 メキシコ最大の麻薬組織ガルフ・カルテルのボス,フアン・ガルシア・アブレゴ(通称エル・ムニェコ),FBIにより逮捕される.アブレゴと緊密な関係にあったラウル・サリナス(サリナス大統領の兄)に捜査の手が伸びる.ガルフ・カルテルに代わり,ファレス・カルテルが最大の麻薬組織に成長.

1月 米国政府,国境地帯の警備強化のため州兵を導入するなどの措置を発表.メキシコ経済危機以後の1年間で,不法越境者は逮捕されたものだけで130万人に達する.

2月 5ヵ月の交渉の後、政府とEZLNは、サンアンドレス協定に調印。先住民文化と権利に関する最初の合意となる。

4.15 政府と主要政党3党が,メキシコ市長の公選制や選挙資金規制などの政治改革で合意.

6.28 ゲレロ州でアグア・ブランカ虐殺事件1周年を記念するPRD主催の集会.人民革命軍(EPR)を名乗る80人の覆面・武装した部隊が割り込む.対外債務のモラトリアム,米国企業の国有化など45項目の要求を掲げる.ゲレーロ,オアハカ両州を中心に、暴力をまじえた反政府活動を開始.

7.27 チアパスで「ネオリベラリズムに反対する大陸間の人道的出会い」と称する集会が開催される.EZLNを中心に全世界から三千人を結集する.

7月 主要4政党,選挙制度の改正で合意.上院を比例代表方式に変更,中央選挙管理委員会を政府から独立した機関とする.首都メキシコ市長も,大統領の任命制から直接公選制となる.

96年8月

8.18 EPR,五つの州で一斉蜂起.政府施設への攻撃.この作戦による死者は16人.その後,銀行強盗や誘拐などテロ活動を続ける.

8.29 サン・アンドレスの和平交渉をサパティスタが停止.全国でサパティスタ活動家の逮捕,チアパスでは兵力増強などの動き.

9 米議会で,「不法移民及び移民者の責任に関する法律」(新移民規制法)成立.国境警備隊の5千人増強,合法的移民に対しても過去十年間の納税記録提示を義務づける.また合法・非合法を問わず、短期滞在者に対しては社会福祉の給付が大幅に制限されるなど,カリフォルニア州の187号法案の内容を引き継ぐ.

9 PRI党大会.保守派の「アトラコムルコ」派の圧力で,大統領候補となる資格を活動暦10年以上と限定.これによりテクノクラートの立候補に枠がはめられる.

9月 EZLN、「プロセスの信憑性のために必要な状況が確認されるまで」交渉を中断すると声明。

96年10月

10.01 チアパスを訪れたエルネスト・セディジョ大統領,サパティスタに和平交渉への復帰を呼びかける.メキシコ内務省,サパティスタのメキシコ市入りは「熟慮のうえでの挑発行為」だとして,断固たる処置をとるというコミュニケを発表.

10.04 全国原住民大会に出席するサパティスタ代表団,チアパスのサン・クリストーバル・デ・ラス・カサスを発ってメキシコ市に向かう.PRD等は,EZLN代表団の旅を守るために100人以上の人々を送って,バスでサパティスタに同行.政府はラ・レアリダへの途を中心に,軽戦車や自走砲を持った軍隊・警察を大量に動員.

10.7 FZLN(サパティスタ民族解放戦線)の代表ハビエル・エロリアーガ,政府軍の検問を突破してラカンドンのサパティスタ地域に入る.与党をも含む議員組織COCOPA(協定・和平委員会)が,行進団の安全保証に関して打ち合わせ.

10.8 メキシコ市で全国原住民大会.56のエスニック集団から,1500名以上の人々が参加.

10.11 ラモナ司令官,空路メキシコ市に到着.原住民大会に参加.閉会の挨拶を行う.

11月 ゲレロ州で革命人民軍に続き人民反乱革命軍(ERIP)も活動を開始.

11月 連邦検察庁,コロシオ暗殺事件に関しサリナス前大統領から事情聴取したと発表.

12月 この年の経済成長は,5.1%のプラス.いっぽう輸出の83%が米国対象となるなど,米国への依存度がさらに強まる.

 

1997年

1月 メキシコ,95年に米国より受けた緊急融資を完済.返済予定を三年半繰り上げたもの.対外債務のために国内経済を犠牲にした措置に不満が拡大.

2.18 対麻薬戦争の責任者ヘスス・グティエレス・レボージョ(Rebollo)将軍が逮捕される。ファレス・カルテルのアマド・カリージョを保護し、分け前を受け取っていた容疑。

3.01 米国で新移民規制法発効.メキシコ政府は「千7百万の在米メキシコ人労働者への人権侵害につながる」と抗議.カリフォルニア州だけで今後半年のあいだに150万人が強制送還される危険があると指摘.

3.14 エル・ボスケ県サンペドロ・ニシュタルクム(Nixtalucum)で、州警察がEZLNの一般人の支持者を小型トラックとヘリコプターから銃撃。4人が死亡、多数が負傷。27人が逮捕される。

97年5月

5.04 拷問に関する国連委員会、メキシコ政府から提出された報告を、「実態からかけ離れている」と厳しく批判。

5.05 AFL=CIO,NAFTAを非難する声明.これにより米国の雇用は42万失われ,メキシコの賃金は36%低下,米国の対メキシコ貿易赤字が400億ドルと大幅に増加.

5.11 メキシコ司法当局,ルイス・サリナスを麻薬取り引きにかかわった疑いで捜査中と報道.

5.24 メキシコ南西部ゲレロ州山岳地帯で革命人民軍(EPR)が軍のパトロール部隊に待ち伏せ攻撃.この戦闘で4人の死者.

5 メキシコ教員スト長期化.教員組合左派の全国教育労働者調整委員会(CNTE)の影響力が拡大.

6.21 メキシコ労働者連合(CTM)書記長フィデル・ベラスケス(97歳)が死去.新しい書記長にロドリゲス・アルカイン就任.ベラスケスは,1938年以来CTMを率い,コーポラティズム体制を形成した.

6月末 チアパス州内の報道各社、司教区と和平に協力するNGOに対し激しい中傷キャンペーンを開始。

97年7月

7.05 メキシコ総選挙(下院議員,四分の一の上院議員,6州の知事選など)実施.20年間で国民所得が1/5に減少,大量の失業者を生み出してきたことへの怒りが集中する.PRIの得票率は39%にしか達せず.創立後初めて議会の過半数を失う.連邦議会(全体で500議席)での議席数は,PRI239,PRD125,PAN121,緑の党8,労働党7.

7.06 初めて直接選挙となったメキシコ市長(連邦区知事)には,カルデナスが50%近くの票を集め当選.市議会選挙ではPRDが40議席中38議席を獲得.PANが残りの2議席.PRIは議席ゼロの惨敗.

7.27 「プロセソ」誌,将軍をふくむ現職軍幹部が麻薬組織から金や車をもらい,摘発作戦などに際して便宜を図ったことを暴露.軍当局も元幹部をふくめ34人が麻薬関連で逮捕されたことを明らかにする.

7 ファレス・カルテルのボス,アマド・カリヨ・フエンテス,対抗するギャングにより暗殺される.

8.07 EZLN第一回大会を開催.民主主義,正義,自由,独立,新しい憲法,新しいタイプの政治勢力の結成の五原則を確認.昨年に引き続きメキシコ市へと行進することを公表.

97年9月

9.08 サパティスタ民族解放軍,ラスカサスでサン・アンドレス合意の達成を求める千名以上の行進団を結成.メキシコ市に向けて行進を開始.

9.10 サパティスタの行進団,オアハカ州南部の町フチタンにはいる.フチタンはサポテカ人人口の多いところで,COCEI(テウアンテペク地峡労働者・農民・学生同盟)の長い闘争の歴史を持っている.

9.11 行進団,オアハカ市にはいる.市民の他,オアハカ地方の先住民6000名と,全国教員組合のメンバー3000名が行進団を歓迎.

9.12 行進団,メキシコ市入り.和平合意の実行を迫る.

9.13 EZLNのフロント組織としてサパティスタ民族解放戦線(FZLN)を設立.EZLNはメキシコの政治・経済のシステムを変換するため、一般社会の人々を組織することが目的と声明。

9.17 チェナーロ県プエブラとロス・チョロスのPRI集団、準軍事組織「平和と正義」(Desarrollo Paz y Justicia)を結成。チアパスのPRIボスの一人サミュエル・サンチェス・サンチェスが指導。「Polho自治区からサパティスタ支持者を駆逐するため」武器購入資金を募る。これに賛同しない60の家族は、地域からの逃亡を余儀なくされる。

9.27 メキシコ市当局,市の大気汚染濃度が人体が許容できる数値の2.7倍に達しているとして非常事態宣言を発表.

9 歴史的敗北のあとを受けPRI総会.マリアノ・パラシオス・アルコセルが新総裁に選出される.

97年10月

10.04 ポーリョの自治評議会、ラエスペランサの住民がロス・チョロスからきた集団に攻撃されたと非難。これによると、数戸の家が焼き払われ、52家族が避難を余儀なくされた。

10.06 「平和と正義」のメンバー、ティラ郡エル・リマルのカトリック教会を占拠。

10.08 バチカンの教皇使節フスト・ムリョール、対麻薬作戦を担当する当局が軍民ともに腐敗していると非難。

10.12 メキシコ・シティーで展開された、「先住民の尊厳のための行進」が終了。3千人の参加者はサン・アンドレス合意の実施を主張することを確認。

10.15 ラ・レアリダの近くに連邦軍基地が新設され、500人の兵士が駐屯。サパティスタの根拠地アグアカリエンテ・デ・グアダルーペ・テペヤクと軍の主要基地であるサン・キンティンをつなぐ橋を建設する目的。サンペドロ・デ・ミチョアカンのサパティスタ系住民500人が抗議行動を展開。

10.15 サバニージャ郡の「平和と正義」が声明を発表。 聖職者あるいはカテキストは、郡内で存在を許されないとする。

10月 チアパス州北部で洪水。死者8人、行方不明11人。

97年11月

11.04 和平交渉の中心的な人物であるサン・クリストーバルのサムエル・ルイス司教,チアパス北部のティラを移動中、「平和と正義」に待ち伏せ襲撃される.同行していた先住民3名が銃撃によって負傷.

11.06 暴徒がサミュエル・ルイスの司教館を襲撃。姉妹のマリア・デ・ラ・ルス・ルイス・ガルシア夫人が、数回にわたりハンマーで頭を殴られる。司教とCONAIは、この襲撃が半年間にわたる一連の暴力キャンペーンの一環であると強調。

11.14 サルト・デ・アグアで、チアパス宗教者評議会が開かれ、州北部の状況について意見交換。議場に「平和と正義」のメンバーおよそ400人が乱入。

11.20 PRI系武装集団40人がアウローラ・チカ村を襲撃。女性2人と子供2人が虐殺される。ほかに二人が負傷。

11.28 チアパス州政府、州北部の状況についてCOCOPAにレポートを提供。これによると暴力は宗教者とEZLNによるとされる。PRIと「平和と正義」との関係についてはいっさい言及なし。

11月末 4,500人以上の先住民が暴力を避けラス・アベハスから避難、チェナーリョ郡に逃げ込む。

97年12月

12.22 チアパス州サンクリストバル・デ・ラスカサスに近い,チェナーロ県アクテアル村で,数十名の武装した準軍事集団が先住民難民45人を虐殺する.ほとんどが女性と子供.事件はEZLN支持者への見せしめとして実行された.

12.23 チアパス大司教区ベラ大司教は,メキシコが内戦の瀬戸際にいると声明.同大司教区のゴンサロ・イトゥアルテ神父は,これまで政府が武装グループの跳梁を黙認してきたことが原因だと非難.

12.24 CONAIと全国先住民会議、政府に対しチアパス準軍事組織の解散とメンバーの逮捕を要求。

12.24 セディジョ大統領「いかなる暴力行為であれ,それを正当化するいかなる大義,いかなる状況もありえない」と事件を非難.「犯罪の責任者たちの同定と処罰のために,いかなる努力も惜しんではならない」と捜査を約束.また「合意を達成し,チアパス州全土に平穏が訪れるための条件を確立し,社会問題や古くからの不正を乗り越えるよう」努力すると声明.

12.26 ローマ教皇,チェナルォでの犠牲者を悼む声明.欧州同盟(EU),国連なども非難の決議.

12月末 メキシコ政府、チアパスに連邦軍兵5千名を増派。このうち2千名がチェナーリョに配備される。連邦警察はアクテアルの虐殺に参加した数十人のメンバーを逮捕。さらに大虐殺の扇動者として州警察の司令官とチェナーリョの市長も逮捕される。チアパス軍管区司令官は,PRIの率いる州政府が,パラミリタリーのために約60万ドルの補助金をひそかに交付したと発表.

 

1998年

98年1月

1.03 政府軍,サパティスタの根拠地アグアカリエンテ・ラ・レアリダ村を占拠.アルタミラーノとチェナーリョ郡内のサパティスタ根拠地に入り武器の捜索。さらに8機の軍用機を使って付近の山岳で捜敵活動.報道陣は政府軍の行動に相次いで疑問を発する。

1.03 連邦検察庁,犯人に武器を渡した疑いで州警察高官を逮捕.さらに州政府とPRIの関与についても調査の手を伸ばす.メキシコ内相,アクテアル事件の責任をとり辞任.

1.06 準軍事組織「平和と正義」の指導者サミュエル・サンチェス・サンチェス、「EZLNが武装解除するなら、我々も武装解除に応じる」と述べる。

1.07 チアパス州知事フリオ・セサール・フェロが辞任。これに代わりロベルト・アルボレス・ギリェンが知事代行となる。ギリェンは国家人権委員会(CNDH)の勧告を受け、アクテアル虐殺に関係した州政府高官15人に辞職を求める。

1.12 メキシコ市で8万人が結集しアクテアルの虐殺に対する抗議集会.

1.12 チアパス州オコシンゴで先住民500人が抗議のデモ.これに対し州治安警察が発砲,女性ひとりが死亡、子供二人が負傷.連邦軍は事件に関係した州警察のメンバー27名を逮捕,30点に及ぶ武器を押収.

1.17 サンクリストバルの司教区、メキシコシティーへの平和巡礼団を組織。

1.22 連邦検事総長(PGR)、チアパス州に12の準軍事組織が存在し、先住民共同体への暴力を推進していることを認める。

1.28 先住民教師ルビセル・ルイス・ガンボアが何者かにより暗殺される。ルイスはチアパス民主人民評議会 (AEDPCH)の指導者だった。

98年2月

2.05 EPR、Actealでの大虐殺は先住民に対する政府の汚い戦争の一部であると非難。これを暴露するためのキャンペーンを開始すると宣言。

2.22 COCOPAとCONAIが共同声明。 対話を続けるための「10の不可欠の条件」を提示する。@サン・アンドレス協定の遵守。A対話における原則の尊重。B軍事プレゼンスの縮小。Cパラミリタリーの武装解除。Dアクテアル大虐殺の関係者処罰など。

2.26 政府、チェナーリョのフランス人司祭ミゲル・シャントーを国外追放。シャントーは32年にわたりメキシコで聖職を続けてきた。追放の理由は、彼がアクテアルでの大虐殺の責任は政府にあると発言したためとされる。

98年3月

3月 政府軍、先住民居住区への攻撃を続ける。空軍は新型爆撃機を投入し居住区を爆撃。アグアカリエンテ上空の軍事飛行は2,3倍に増えたとされる。ラカンドンの密林地帯には重砲が搬入される。

3月 連邦政府、COCOPAとCONAIへの中傷攻撃を強化。COCOPAは交渉にとって不必要であり、CONAIはEZLNを支持しており不公平だとする。

98年4月

4.10 連邦軍、州警察と出入国管理当局、新自治区「リカード・フロレス・マゴン」の中心地タニペルラ村への共同捜査作戦を開始。外国人人権オブザーバー12人が緊急逮捕され、「憲法第33条に則って」ただちに国外追放される。

4.19 作家オクタビオ・パス死去.

4月 連邦軍、準軍事組織MIRAの援助を得て、タニペルラに恒久的軍事基地を建設。

5.10 イタリアの人権監視グループ「Todos somos indios del mundo」、メキシコ政府の許可なしにTaniperlaのコミュニティを訪問したとして、メンバー40人が国外追放される。報告によれば、チアパス州内で2万人近くが、サパティスタあるいはラス・アベハス派とされ、国内難民となる。

98年6月

6.02 テネハパ県ナビル(Nabil, in Tenejapa)で、EZLN支持者の30の家族がパラミリタリーと公安警察により追放される。

6.07 サンクリストバル司教サミュエル・ルイス・ガルシア、CONAI(全国仲介委員会)議長を辞職すると声明.政府は仲裁を続けるために必要なすべての道を閉ざしたと非難。これに続きすべての委員が、残留を拒否したためCONAIは解散に追い込まれる。委員は「政府はチアパスで平和をもとめるのではなく、戦争を引き起こそうと願っている」と非難。

6.10 夜明け前、連邦軍隊、司法警察、州公安部隊など千名が、サン・クリストーバル北方サン・フアン・デ・ラ・リベルタ自治区(旧称エル・ボスケ)の数カ所の村を襲撃。家を焼き、催涙ガスとバズーカ砲で攻撃。攻撃ヘリコプターも作戦に参加。攻撃には軍や白色テロ組織も参加.

6.10 ウニオン・プログレソ村ではサパティスタ守備隊員6名と警官1名が死亡。シャバジェバル(Chavajeval)村ではサパティスタ兵2人が死亡。9人が負傷、57人が逮捕される。残りの住民は家を捨て、徒歩でOventic方面へ避難。

6.10 国連人権高等弁務官メアリ・ロビンスンはサンフアン・デ・ラ・リベルタの殺戮を非難し,メキシコ政府に叛乱側との対話を回復するよう求める声明.

7.19 EZLN、「第5ラカンドン・ジャングル宣言」を発表。平和への変わらぬ意志を確認。国民間の協議を続けると声明。サン・アンドレス協定の実行をもとめる。

98年8月

8.07 米国の格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービス,メキシコの経済先行きを懸念するコメントを発表.このため,メキシコの株と通貨ペソが急落する.

8.25 米政府,DEA捜査官がメキシコ国内で捜査活動を行うのに際し,武器の携帯を認めるよう要請.政府はこの要請を拒否.

8.31 ウニベルサル紙,87年大統領選で,サリーナス前大統領がメデジンカルテルから20万ドルの献金を受けていたと報道.

98年9月

9.3 エネルギー相,石油公社(PEMEX)の設備投資を拡大するため,国家からの分離を提案.分離=民営化ではないと説明.

9.3 中央銀行,上半期の国際収支は,貿易赤字と対外債務支払いで69億6700万ドルの赤字と発表.社会開発省は国民の4人1人(2600万人)が極貧状態にあると報告.

9.9 メキシコ市近郊のポポカテペトル山(5452メートル),噴煙とガスを吹き上げる.

9.15 チアパス州の豪雨被害,さらに拡大.被災地当局は死者413人,行方不明者は650人以上と発表.大統領府は被災地の非常事態宣言を1週間延長.EZLNのマルコス副司令官は州政府の不手際と義援金や救援物資の不正を指摘.

9.17  この日未明,米国境近くエンセナーダ近郊の農場で,少なくとも19人が銃で殺害される.犠牲者には幼児・子供9人も含まれる.当局は麻薬密売グループ同士の戦いと発表

11.03 赤十字国際委員会(ICRC)チアパスで人道支援活動を展開。チアパス州北部では、1年で約5,200人が国内難民となる。

11.11 教員組合活動家が上院の建物を占拠,上院議員6人を人質にする.この事件で指導者5人が逮捕される.

11 カナネア銅山労働者,ふたたびストライキに立ち上がる.ソノラ州議会もストを支持する声明.銅国際価格が落ち込む中で苦戦を強いられる.

 

1999年

99年1月

1.2 主食トルティーヤへの政府補助金が財政削減政策でカットされ,自由価格制に移行.30%以上の値上がりとなる.

1.17 軍部,サパティスタ支配区のアルダマ村でマリファナの木58本を発見して伐採.マルコス副司令官「EZLNシンパの農民はマリファナ裁培や密売をしていない.マリファナを裁培したのは軍と政府の関係者である.今回の出来事は軍が侵攻する口実を作るためだ」と声明.

1.21 サリナス前大統領の実兄のラウル・サリナス,ホセ・フランシスコ・ルイス殺しの首謀者として50年の刑を言い渡される.サリナスはただちに上告.

1.27 ソノラ州と接する米国アリゾナ州の労働者,AFL-CIOなどの主催でカナネア連帯集会を開催.

1月 ゲレーロ州知事選挙.PRDが優位に進める.PRDは創設以来580人が殺されたが,うち207人がゲレーロ州での殺害.ゲレーロの左翼はPRDを第二PRIと呼んで警戒.

2.03 機関銃AK−47で武装した麻薬グループ,連邦検察庁入り口で機関銃を撃ってトラックで逃走.検察庁は翌日に麻薬取り締り強化策を発表する予定だった.

2.24 チアパス州議会,16のパラミリタリーの武装解除および赦免条例を,PRIおよびPANの賛成で可決.

2月 メキシコからの不法入国に関する両国の了解事項が成立。これに基づき01年には国境での「協力行動計画」で合意、越境者が反抗してきた場合に限り、プラスティック弾の使用が認められる。

99年3月

3.14 PRD,党員による党首選挙を実施.党員約65万人が投票に参加.2割以上の投票所で不正が行われたことが発覚して選挙を無効とする.アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドルは党首を辞任.

3.17 パラシオス,大統領選出馬のためPRI総裁を辞任.ホセ・アントニオ・ゴンサレス・フェルナンデス労相が総裁に選ばれる.幹事長にはドゥルセ・マリア・サウリ女史を選出.

3.21 サパティスタ,「国民会議」と称するアンケートを全国で実施.全国1万872か所の投票所と先住民地域4189か所で行われた投票に約250万人が参加.サンアンドレス協定の履行を政府にせまる.

3.29 キンタナ・ルー州知事のマリオ・ビジャヌエバ,任期切れ目前に姿をくらます.かれは州内のリゾート地カンクンの麻薬業者との関係について当局の捜査を受けていた.警察の捜査によれば,ビジャヌエバはスイスの銀行に7千万ドルの預金を持つという.

99年4月

4.10 PRD臨時評議会,パブロ・ゴメス下議を暫定党首に選出.7月25日には党首選挙を行うこととなる.パブロ・ゴメスは,メキシコ・オリンピック直前に起きた学生運動のリーダー.

4.20 メキシコ国立自治大学(UNAM)で授業料値上げに端を発した大学ストが開始.1年近くに及ぶ長期ストとなる.

4.28 モレロス州上級審,全判事の賛成でホルヘ・カリージョ・オレア知事の罷免を決定.カリージョはすでに98年5月,州議会の問責決議を受け,休職中であった.彼は政敵の誘拐,麻薬業者との関係で告訴されていた.

99年6月

6.04 チアパス州ナザレ村を政府軍1千名が夜襲.村人300人が山の中へ避難.

7.16 ルイス・マシェ幹事長暗殺の罪で有罪判決を受け控訴中のラウル・サリナス,控訴審で50年から27年に刑期を減刑される.

11.07 PRIの大統領候補を決める党大会.ラバスティ前内相がバラシオス前総裁に圧勝.

12.01 メキシコ北部で麻薬組織の秘密墓地発見.6人の遺体が見つかる.

12月 99年のGDPは3.7%で,4年連続のプラス成長となる.

 

2000年

00年2月

2.02 メキシコ国立大学で学費値上げ反対ストの学生が学内を占拠.学校奪回目指す学生とのあいだで大規模な衝突.

2.06 警察がメキシコ大学に突入.大学占拠中の学生632人を拘束.

4 EPRの分派FARP(人民革命武装勢力)が,メキシコ連邦区内で初の武装行動.

00年7月

7.02 メキシコ大統領選挙.PANのビセンテ・フォックス・ケサダが43%で当選.PRIのラバスティダは36%で敗北.PRIは71年前(1929年)の結党以来初の敗北.フォックスは北部出身のアイルランド系メキシコ人.コカコーラの社長時代にメキシコを世界一のコカコーラ消費国にした.88年にPANから下院議員に当選.

7.02 上下両院選挙.上院では128 議席中、PRIが75→60 議席でPANは31→46 議席.下院では500 議席中、PAN 209 議席、PRI 245→208 議席と拮抗する.PRDは得票,議席ともに大きく後退.

7.02 首都メキシコ市長選では,ロペス・オブラドールがPRDのポストを守り抜く.市議選では,PANが過半数を獲得.PRI党はわずか5議席となり第三党に転落.

7.06 大統領選挙の結果をめぐり,与野党支持者が乱闘 36人負傷.

7.17 フォックス次期大統領,少数与党による政局運営に備え政権移行チームを編成.PANの党員に加えて他の政党員や民間人も加わる.

7月 メキシコとEUとの自由貿易協定が発効.

00年8月

8.03 パラミリタリー組織「発展,平和,公正」,チアパス州ヤハロン県ティエラ・イ・リベルタを攻撃.30件の家が焼かれる.

8.10 元メキシコ市長オスカル・エスピノサ・ビジャレアル,行方をくらます.エスピノサは,在職時代に4千万ドルを不正使用した容疑で取調べ中だった.

8.21 チアパス州知事選挙.反対派連合(PAN,PRD,PTなど)のパブロ・サラザール・メンディグチアが,PRIのサミ・ダビドを破り当選.サラザールは元PRI選出の上院議員,サパティスタとの交渉を主張する「友好・平和委員会」(COCOPA)のメンバーだった.

8.24 メキシコ警察,民営化された全国車両登録協会(RENAVE)の総支配人リカルド・ミゲール・カバージョを逮捕.カバージョは元アルゼンチンの将校で,軍政下で元国家情報局員として,反体制派の拷問・虐殺を指揮していた.

8.31 マリオ・アルトゥーロ・アコスタ将軍,麻薬密輸に関与した疑いで逮捕される.

8月 フォックス次期大統領,南米諸国を訪問.NAFTA一辺倒の経済政策修正を狙う.

00年9月

9.04 グアナフアト州で中絶全面禁止法が可決される.知事は法案に拒否権発動.

9.06 メキシコ商工業振興局のラウル・ラモス・テルセロ副長官,首をナイフで切り「自殺」.遺体は首都を離れたマルケサ国立公園内で発見される.ラモスは全国車両登録協会(RENAVE)の監督にあたっていた.

9.12 フォックス次期大統領,オアハカとゲレーロを拠点とする左翼ゲリラ革命人民軍(EPR)の活動を根絶すると警告.

10.27 検察当局,チアパス州のパラミリタリー組織「発展,平和,正義」の活動家11人を検挙.

11.12 メキシコ検察局(PGR)の係官400人がチアパス州チェナロ(Chenalho)郡ロスチョロスの右翼パラミリタリーのアジトを捜査.武器隠匿の疑い.住民が投石・棍棒・銃で抵抗し警察官10名が負傷.武器は結局発見されず.

00年12月

12.01 ビセンテ・フォックス・ケサダ,メキシコ大統領に就任.71年間続いたPRIの一党支配が終焉.

12.01 オアハカ州ナサレノで,武装したFARP20名の部隊が示威行進.ディオニシオ司令官が,フォックスのネオリベラリズムを非難する声明.

12.29 チアパス州のパブロ・サラザール知事,サパティスタ政治囚約百人のうち20名を解放すると発表.政治犯の釈放は交渉再開の前提条件であった.

12月 メキシコ市近郊のポポカテペトル火山が噴火.

12月 メキシコ中銀,今年度の経済実績を発表.GDPは6%増の見込み.インフレも10%前後まで収束.経常収支赤字については拡大傾向にあるものの,対GDP比規模では3%の安定的な水準.累積赤字もGDP比20%あまりに減少.特に短期債務の比率が著明に減少した.好調の原因はここ5年間,輸出が20%近い伸び率を保ってきたことにある.その背景には,ペソの下落やNAFTA発効,なによりも輸出の約9割を占める米国の景気拡大が大きい.

 

2001年

2.07 チアパスの刑務所からサパティスタ活動家とシンパ9人が釈放される.サパティスタは74人の関係者が南部三州で拘留中とし,全員の釈放を要求.

2.24 サパティスタ代表,メキシコ・シティーまでの行進を開始.

3.11 マルコス副司令官を含むEZLN幹部24人が,目だし帽を被った様相でメキシコ市入り.

3.28 EZLN代表が連邦議会で先住民の権利保障と憲法修正を求める演説.フォックス大統領は議会に出席せず.マルコス副司令官も議会入りせず.

4.28 メキシコ連邦議会下院,先住民の権利拡大を謳う一連の憲法修正を可決.これらは,96年にサパティスタとの間に交わした協定を法文化したもの.サパティスタは翌日,この修正を拒否.

5.17 米シティ銀行,メキシコ第二の銀行BANAMEX(Banco Nacional De Mexico)を,125億ドルで買収.バナメクスは最大の政府系銀行だったが,サリナス時代に民営化されていた.

6.13 ゲレーロ州の先住民グループ200人が,チルパンシンゴの州議会前で座り込み.改革法案の欺瞞性に抗議.

6.27 メキシコ市を初め14市で「犯罪抗議デモ」。30万人が参加。

10.19 人権派の女性弁護士ディグナ・オチョア・イ・プラシド,事務所で頭を撃たれ死亡.死体のそばに,「活動を続ければ,こうなるぞ」という人権団体あての書き置き.オチョアは、環境保護を唱える農民や政治犯の弁護活動をしてきた。6年前から暗殺の脅しを受け,誘拐され拷問された経歴もある.検察は自殺と断定したが、家族は捜査の再開を要求。

10.28 オチョア暗殺事件,一週間後も犯人の手がかりは皆無.政府への批判が高まる.フォックス,「首都警察の努力は不十分だ」とし,オチョア事件の真相究明が緊急課題という声明を発表.

12.24 アカプルコ南地方960キロ地点で,史上第4位の麻薬9トン、時価2億ドルが押収される.

12月 フォックス政権,2002年度予算案策定にあたって、付加価値税を,食料・医療などを含むすべての品目に賦課する案を提出.議会により拒否される.

01年 NAFTAのもと市場開放を進めてきたメキシコ経済は,米国景気低迷のあおりを受け,深刻な不況を迎える.自動車産業では70%前後に達していた国産化率は半分に減少.不況のもとで治安も悪化.メキシコの家庭の14%が何らかの犯罪被害にあっており、この数字は首都では39%にのぼる.

 

2002年

2月 ティフアナのアレジャーノ・フェリックス一家の5男ラモンが警察部隊に射殺される。3月には次男ベンハミンが逮捕されるなど打撃を受ける。

5月 フォックス政権,議会の同意が得られないことから,政令によってエネルギー産業の一部民営化を試みる.最高裁はこれに対し違憲の判断を下す.

7 ヨハネ・パウロ2世が5度目のメキシコ訪問。聖母グァダルーペのお告げを伝えたフアン・ディエゴの列聖式に参加。フォックス大統領は空港での歓迎式典で、法王の前に跪(ひざまず)いて法王の手の指輪にキスをする。

8月 テキサス州でメキシコ人死刑囚が処刑される.フォックス大統領はテキサス州のブッシュ大統領宅訪問を中止.

9月 銀行の経営危機が相次ぐ.預金保護機構の資本欠損はGDPの11%に上る。金融危機の際に作られたFOBAPROA/IPAB債(不良債権の替わりに債権者に渡した政府証書で、利子つき償還期限10年)の償還問題が深刻化.銀行は本来の貸付業務から撤退.貸し出し残高はNAFTA発足時の1/4まで減少,国債・株式市場での資金運用で稼ぐという変則的な形が常態化.

10月 ロスカボスでアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会談が開催.小泉首相とフォックス大統領が経済連帯強化協定に向けての合意で一致.2003年秋のFTA調印を目指す.

12月 政府、労動法改正案を下院に提出。民主革命党(PRD)はこれに対抗して、労働組合を組織する自由を保障する改正案を提出。

12月 対ドル高値で推移していたペソが,10%以上の下落.ドル建て債務が一気に増大.ペソ危機時に比べるとまだ30%ほど高めとされる.

12月 メキシコでは、北米自由貿易協定のあと20万人の雇用が失われ、最低賃金は25%も下がった。

 

2003年

1.01 NAFTAとりきめに従い,全農業生産の30%に上る40品目(鶏肉、豚肉・豚肉調製品、酪農品、米、小麦、菜種など)が自由化される.北部の農民グループは,エルパソとフアレス市を結ぶ国境の橋を閉鎖し,米国からの農産品搬入を阻止する行動.

メキシコにおける農業問題
メキシコの農業は全GDPの4〜5%を占めるにすぎないが、総人口の4分の1近くにあたる2300万人を抱えている.そのうち800万人は自給自足に近い生活を送っている.5年後に,トウモロコシとフリホーレス豆というメキシコの主要農産品が自由化されたときは,最低限の現金収入の道すら絶たれる恐れが強い.

2月 イラク問題で国連安保理審議.ビセンテ・フォックス大統領,「(米・欧)どちらの側にもくみしない」との姿勢を表明.非常任理事国の一員として,対米自立と平和的解決の姿勢を貫く.メキシコ国民の82%が大統領の決断を評価.

4.11 メキシコ市で、労働者、農民数1,000人が、政府の労働法改定案に反対するデモ。

4.24 経済協力開発機構,メキシコの経済見通しを発表.対米輸出の増大により”緩やかな”経済回復基調とし,成長率を前回の3.3%から2.5%に引き下げ.

4月 リカルド・ミゲル・カバジョ、メキシコ政府からアルゼンチンに引き渡される。カバジョは何千人という軍政時代の人権弾圧のカギとなる人物とされる。

6月 連邦議会下院の中間選挙.国民行動党(PAN)が大きく議席を減らすいっぽう、民主革命党(PRD)が43議席増の躍進.制度的革命党(PRI)も議席を回復.

7 フォルクスワーゲン(VW)の旧型“ビートル”がメキシコでの生産を終了。世界20か国でこれまでに2,150万台以上が生産された。

9月 ミチョアカン州で、キューバ政府が支援する識字プログラムが始まる。ラサロ・カルデナス知事(カルデナスの孫)は、「他の国が植林や農業を教えに来ても誰も何も言わないのに、(キューバからは)字を教えにきただけで皆震え上がる」状況の下で事業を継続。

03年10月

10.15 フォックス大統領が訪日.滞在中の調印を目指したFTA交渉は流産に終わる.

10 日本とメキシコとのFTA(自由貿易協定)交渉が決裂.

03年11月

11.07 PANがさらなる財政改革を提示。PRI内でこれをめぐり対立が激化。電力民営化反対でPRDとの協調を探る動きも表面化する。

11.11 アギラール・シンセル国連大使、イベロアメリカ大学での講演会で「メキシコは米国の裏庭である」との発言。パウエル国務長官はただちに「如何なる場合にも米国はメキシコを裏庭と見なしたことは決して無い」と反論。シンセルは10日後に辞任。

11.27 メキシコ市で、主催者発表で20万人が参加したデモ行進(内務省発表は4.5万人)。食料品、薬品への付加価値税課税、電力民営化、労働法改悪反対などを中心課題とする。グアダラハラ、ハリスコ、プエブラ、モンテレイなど9州でも、数千人規模のデモ。PRDとUNTに加えPRIの一部、農民組織も巻き込む闘いとなる。

11.27 下院のゴルディージョPRI院内総務が解任される。与党よりの態度を取るゴルディージョに対し、マドラソ委員長ら主流派が反発したもの。

03年12月

12.01 世論調査。フォックスの支持率は58%を維持。(メキシコ版小泉)

12.03 政府人権委員会,ゲレロ州でこれまでに532人が「汚い戦争」の犠牲となったと発表.

12.05 ゴルディージョ派の教員組合など21組合(160万人)が、解任に抗議して公務員組合連合(78組合180万人)からの離脱を表明。

12.07 コリマ州知事再選挙。PRI候補がPAN候補に勝利。PRIにPVEM、PTがつき、PANとPRD、ADCが連合するという奇妙な組み合わせ。

12.15 ゴルディージョ前PRI下院総務、60名のPRI下院議員と共に「革新勢力」(Fuerza Renovadora)の結成を発表。PRIはゴルディージョ派の下院議員4名を除名処分。

12.21 政府の提案した食品・医薬品への付加価値税(IVA)導入をふくむ税制改革法案が、下院財政委員会で否決される。

03年 米国内におけるメキシコからの不法滞在者は400万人に達する。送金は380億ドルに上り、観光収入をしのぎ、輸出額の半分に相当する。

 

 

 2004年

04年1月

1.08 フォックス大統領、緊縮財政の一環として公務員5万人の削減を発表。

1.27 連邦検察、麻薬カルテルに対する取り締まり作戦。シナロア・カルテル最高幹部の一人ハビエル・トレス・フェリックス(通称JT)が逮捕される。

1.29 米DEAに逮捕された「フアレス・カルテル」幹部の自宅から、12体の腐乱死体が発見される。事件には、チワワ州検察庁の指揮官クラス以下16名が関与していたとされ、内4名が行方不明となっている。連邦検察庁は、この5年間にカルテル間の抗争により1000名以上が殺害されたと述べる。

1.31 英紙「ファイナンシャル・タイムズ」、マルタ・フォックス大統領夫人が理事長を務める「Vamos Mexico」基金の運営を批判する記事を掲載。

04年2月

2.09 マルタ夫人がテレビ出演。大統領候補となることを拒否はしないと述べる。

2.10 マルタ夫人、ケレタロ州の農村開発プロジェクトを視察。空軍のヘリコプター2機、大統領府参謀本部員60名が動員されたことが問題となる。

2.12 連邦議会、マルタ婦人の行状に関し、会計検査院に監査要請。あわせて、大統領府の公的機能と「Vamos Mexico」基金との関係を制限することをもとめる。フォックス大統領は要請を受け入れると表明。

04年3月

3.01 ポンセ・メキシコ市財務長官が、ラス・ベガスのカジノで遊興しているシーンを撮影したビデオが、テレビ・ニュースで流される。オブラドール市長はただちにポンセを解雇。ポンセは度重なるラス・ベガス訪問、高級車、高級住宅地のマンション所有などもうわさされる。

3.03 ベハラーノ市議会議長、建設業者カルロス・アウマーダより45万ドルの賄賂を受け取る。この場面がテレビ・ニュース番組で放映される。ベハラーノは議員休職届を提出すると共に、PRDを離党。その後PAN議員によるやらせとの疑惑も浮上。

3.10 ロブレス前PRD党首が離党。アウマダとベハラーノらとの仲介役を果たしていたとされる。

3.18 オアハカ市で,ホセ・ムラト州知事(54)が運転する小型トラックが武装集団から銃撃を受ける暗殺未遂事件.ホセ・ムラトは次期大統領選の有力候補者の一人.

3.21 メキシコ連邦検察庁,ホセ・ムラト暗殺未遂事件が自作自演”だったとのマスメディアによる疑惑報道を受けて、特別捜査グループを設置.

3.26 PRD党大会、綱紀粛正を決議。大会席上、カルデナスが党執行部より離脱すると宣言。ゴドイ党首代行に対する不満が背景にあるとされる。

3.30 アウマダ、キューバでインターポールの要請を受けたキューバ警察により逮捕される。メキシコ政府はアウマダの引き渡しを要請。

04年4月

4.06 オブラドール市長、アウマーダとサリーナス元大統領が密会していたと公表。連邦検察庁(PGR)の組織犯罪特捜担当検事は、この発表が捜査秘密の漏洩につながり、司法妨害に該当する可能性もあると非難。

4.11 チアパス州シナカンタン市において、水の分配を巡り、サパティスタ民族解放軍(EZLN)と同市の与党PRDの党員が衝突し、負傷者15名を出した。

4.06 モレロス州警察長官ら幹部がファレス・カルテルによる誘拐・車両強盗などを隠蔽・保護していた容疑で逮捕される。警察官の一人は、エストラーダ・モレロス州知事(PAN)自らが麻薬組織の保護に関与していたと証言。

4.14 連邦捜査局(AFI)、モレロス州副検事長を麻薬組織との関連の疑いで逮捕。

4.15 メキシコ、国連人権委員会における対キューバ非難決議を支持する。

4.20 連邦検察庁は、ロペス・オブラドール市長に対し、司法妨害の疑いで召喚状を発行。

4.21 IMF、メキシコ経済状況に関する報告。@原油安による歳入減への対処が不十分。A公的債務額は高水準にあり、B民間投資への魅力を失い、C中期的な競争力にも疑問が持たれると指摘。

4.25 エル・ウニベルサル紙の世論調査。オブラドール市長は依然33%の支持率を確保。政党支持率は、PRIが28%、PANが22%、PRDが21%と拮抗。

4.26 モレロス州都クエルナバカで、1万2千名が州知事の現職留任を求めてデモ。

4.28 キューバ政府、アウマーダを国外追放。追放に際し、「アウマーダがビデオ・スキャンダルは政治的目的により念入りに計画したものであると認めた」と発表。

4月 アスエラ最高裁長官とフォックス大統領がひそかに会談し、オブラドールへの逮捕権請求について話し合ったことが明らかになる。

04年5月

5.01 カストロ、メーデー演説で国連人権委員会におけるメキシコの態度を強く批判。メキシコは大使級外交関係の見直しを発表。駐キューバ大使を召還し、駐墨キューバ大使に出国命令。

5.10 スペイン外遊中のデルベス外相、メキシコ軍が国連PKOに参加する用意ありと発言。フォックス大統領はデルベス発言を全面的に否定。

5.17 連邦検察庁(PGR)、下院に対し、オブラドール(AMLO)に対する刑事免責特権の停止を要請。PRDは、政府が国家権力を政治目的に利用していると非難。レフォルマ紙世論調査で、「AMLOへの免責特権剥奪要請は政治目的」とする意見が70%をしめる。

5.23 「5月23日モレロス・ハラミジスタ部隊」が、クエルナバカ市郊外の3つの銀行の支店で爆弾テロ。現場に残された犯行声明文はエストラーダ州知事の退陣を要求。

5.25 米DEA、メキシコの麻薬カルテルの力はコロンビアを凌ぐと発表。

5.27 下院予審委員会、AMLOに対する免責特権剥奪審理を開始することを決定。

04年6月

6.03 調査機関クロール社、メキシコはコロンビアに次ぎ、ラ米で2番目に誘拐件数が多いと発表。国内の誘拐件数は01年は245件からほぼ倍増している。

6.08 コロンビア政府とELN、メキシコ政府が和平の仲介役となることを正式に受け入れ。

6.16 連邦議会常任委員会、PRIの要請に応じ国営宝くじ協会(Loteria Nacional、以下Lotenal)の不正疑惑に関する監査を開始。マルタ・フォックス大統領夫人の民間慈善団体「Vamos Mexico」への不正運用が疑われる。

6.23 メキシコの仲介の下、ボゴタ市内で政府とELN代表との最初の会談。ゲリラ側は会談直後に、「ウリベ大統領との和平は無理」と述べるなど、当初より消極的。

6.27 メキシコ市などで、25万〜30万人程が参加する大規模な「反犯罪」デモ。フォックス大統領は、「市民の参加と結束を示すもの」として歓迎。

04年7月

7.12 マルタ・フォックス大統領夫人、大統領選への不出馬を正式に表明。

7.13 メキシコ市を含むメキシコ中央部9州合同の「大治安作戦」(megaoperativo)。成果はなし。

7.16 カンクン市の市職員の給料が未払いとなる。これに抗議する職員が市庁舎を占拠。排除に乗り出した警官隊と衝突。この事件でガルシア・サルビデア市長は罷免され、さらに公務執行妨害などの罪で逮捕。

7.18 デルベス外相がキューバ訪問。外交関係が回復される。

7.23 「過去の社会的・政治的活動に関する特別検察官」(Fiscalia Especial para Movimientos Sociales y Politicos del Pasado:FEMSPP)が、大量虐殺への関与の疑いでエチェベリア元大統領、モヤ元内務相の逮捕状を請求。

7.24 裁判所は、大量虐殺の時効は30年であり、すでに時効が成立しているとして特別検察官の請求を棄却。特別検察官は刑法第149条の「大量虐殺」(genocidio)に時効はありえないとし、さらに控訴裁判所(Tribunal Unitario)に上訴。(71年6月10日の“Halconazo”事件)

7.27 オアハカ州の知事選で、PRI支持者とPAN−PRD連合の支持者が衝突。死者2名、重軽傷者20名を出す

04年8月

8.08 AMLOの免責特権剥奪に反対する「人間の鎖」運動に市民約4万人が参加。市内を縦断するインスルヘンテス通りを埋め尽くす。

8.10 メキシコ市検察庁、公的資金流用の嫌疑で、前メキシコ市マデロ区長フローレスの逮捕状を請求。

8.20 デルベス外相、「(アメリカによる)コショウ弾やプラスチック弾の使用は、移民に対する実弾使用を避けるもの」と容認する発言。

8.29 メキシコ市で大規模なAMLO逮捕反対デモ。全国から30万人を動員。他政党、メキシコ司教会議や知識人においては「司法が解決する問題だ」との意見が主流を占める。

8月 メキシコ中銀,米国内メキシコ人の送金額は415億ドル(約5兆円)に達したと発表.これは石油輸出額530億ドルの78%に相当,また対外債務の利支払い額423億ドルの98%に相当する.メキシコ政府によると、毎年39万人のメキシコ人が、アメリカに出ている.米国に住むメキシコ人は1千20万人、さらにメキシコ系アメリカ人が1千600万人いるとされる.

04年9月

9.01 フォックス大統領,年次教書を発表.貧困、差別、経済の停滞、腐敗、犯罪の放置、安全の欠如などについて,野党から厳しい批判.

9.01 下院最高幹部のマンリオ・ファビオ・ベルトロネス、フォックス教書を批判。考え方の違う人間を尊重すること、党派の利益ではなく国の利益にしたがって政治決定をすること、国会を訴訟手続きの窓口にしようとしないこと、、無能を隠すための口実に民主主義という言葉を使わないこと、を大統領に求める。

9.05 米国境警備隊、この1年で密入国を図ったメキシコ人275人が死亡、9万4千人が逮捕と発表。これは前年に比し5割増。

9.07 連邦最高裁判所、「AMLOの免責特権剥奪を連邦下院で審議するのは違憲」とのメキシコ市議会の訴えを棄却。この直後にフォックス大統領とアスエラ最高裁判所裁判長が、今年4月、AMLOの免責特権剥奪を巡り会談していたことが明らかになる。

9.09 アナン国連事務総長、メキシコを訪問。「越境の問題はきちんと対処しなければならないが、人権は尊重されなければならないし、彼らが罪人のように扱われることがあってはならない。」と述べる。

9.11 クリアカンで麻薬マフィアの抗争。フアレス・カルテルのボス、その愛人、5人のガンマンなどが死ぬ。負傷者の中にはシナロア警察当局も含まれる。

9.15 人口審議会(Conapo),幼児死亡率が10年前の28.5人から19.7人に減少.平均寿命は72.6歳から75.2歳に伸びたと発表.

9.17 小泉首相、メキシコを訪問.フォックス大統領と会談し、農産物を含む本格的な自由貿易協定(FTA)である日本メキシコ経済連携協定(EPA)に調印。05年4月以降、メキシコは対日輸出の95%、日本は対メキシコ輸出の44%が免税扱いとなる.

9月 ロスアンゼルス裁判所、ドキュメント非保有者(主にメキシコ人)が働くスーパーマーケット・チェーンに対して、総額で2200万ドルを支払うよう命じる。雇用者はこれらの労働者に最低賃金を払うことを拒んでいた。

9月 ジョン・P.・ウォルターズDEA局長、メキシコシティーで「不法な麻薬の輸送と売買をする犯罪組織の能力は再び高まっている」と言明。マセード連邦検事総長は、「隣国こそ麻薬の消費を減らすよう努力を集中すべきだ。麻薬を運ぶ人間が好ましくないなら、それを使う人間もいなくなるべきだ」と反論。

9月 タマウリパス州を中心とするメキシコ北部で、カルテル・デ・ゴルフォと、シナロア・カルテルとの闘争が激化。政官界トップを巻き込む紛争となる。

04年10月

10.06 メキシコ市市議会のPRD党議員が、地方予算削減につながる憲法第122条改正に抗議。連邦下院の議場に乱入し議長席周辺を占拠。

10.10 連邦下院、ベハラノ前メキシコ市議会議長の刑事免責特権剥奪を決定。ベハラノは横領、名誉毀損及び選挙法違反で訴追され、逮捕・収監される。

10.13 北部のカルテル戦争にたいし、連邦司法警察(AFI)と連邦予防警察(PFP)が共同作戦を開始。タマウリパス州マタモロス市など4市で集中取り締まり。軍も作戦に協力の姿勢を示す。

10.18 オシエル・カルデナス、テレビ番組内で証言。「連邦検察庁側から、タマウリパス州知事を陥れるよう司法取引を持ちかけられた」と語る。カルデナスは、「カルテル・デ・ゴルフォ」の幹部で現在収監中。PGR副長官バスコンセロスが、「ヤリントン州知事(PRI)及び州検察庁長官の麻薬取引関与を告発すれば送還しない」との司法取引を持ちかけたとする。

10.18 マセドPGR長官は、カルデナス発言は信用出来ないと述べ、バスコンセロス副長官自身も、事実と異なるとして否定。ただしヤリントン知事と麻薬カルテルとの関係について捜査が行われていたことは認める。

10.21 モレロス州検察庁、エストラーダ州知事が殺人を計画したとして告訴。州議会は全員会議を開きエストラーダ知事の罷免を可決。これに前後して、同知事が麻薬絡みの殺人事件に関与したことを示唆する録音テープが公開される。

10.24 カルテル・デ・ゴルフォの拠点ミチョアカン州で、組織ナンバー・ツーが逮捕される。またカルテルの暗殺部隊「ロス・セタス」(Los Zetas)の幹部数人も拘束される。

10.28 タマウリパス州のカバソス前知事、湾岸カルテルの関係者を州政府内に匿っていた容疑で告訴される。

10.29 24日の作戦を逃れた「ロス・セタス」のトップが、マタモロス市内で銃撃戦の末、逮捕される。マセドPGR長官は、カルテル・デ・ゴルフォの構造は劇的に弱体化したと発表。

04年11月

11.04 米アリゾナ州、“Protect Arizona Now”を住民の6割以上の賛成により可決。不法滞在者は図書館や遊園地への入場が禁止されるほか、社会保障が停止され、幼稚園や予防注射といった権利も制限される。メキシコの外務省は、出稼ぎ者が同州の経済・社会にどのように貢献しているかを啓蒙宣伝。

11.20 チアパス州タパチュラ市で、暴力団マラ・サルバトルチャが生徒を攻撃。生徒を攻撃し、武器などを所持していた34人が逮捕される。

11.24 メキシコ市トラウアック区で、連邦予防警察(PFP)の捜査官3名が、住民のリンチにあい二人が死亡、残る1名も重体。

各種報道によれば、三人は麻薬取引の捜査にあたっていたが、誘拐犯に間違えられ住民数百名に捕らえられた。麻薬小売業者といわれる女性に扇動された群衆は、三人に長時間にわたる暴行を加えた末、2人を生きたまま焼いた。この模様は、テレビ局数社により生中継された。
捜査官は、暴行されている間も携帯電話で状況を説明し救援を求めたが、応援部隊は到着せず。3時間後にPFP及びメキシコ市司法警察(PGJDF)が到着したときは、すでに二人は殺害されたあとだった。

11.24 治安担当責任者は「交通渋滞のために到着が遅れた、決して職務怠慢ではない」と釈明。フォックス大統領は、遺憾の意を表明し、すでに連邦警察庁が捜査を開始し、殺害に関与したとされる住民ら33人が逮捕されたと明らかにする。

11.25 議会上院、首都警察庁のエブラルド長官、治安警察のフィゲロア長官らに対し、責任を取って辞任するようもとめる。エブラルドは次期DF長官の有力候補と見られている。

11.25 ミゲル・アウグスティン人権センター、この10年間で、市民自らが別の市民に制裁を加えるリンチ事件が約100件あり、法律や政府機関に対する不信感に原因があると発表。

11.25 統計地理情報局(INEGI)が、家庭内暴力に関する統計結果を公表。被害にあっている女性は47%に上る。

11.26 エブラルドDC警察庁長官、「暴徒化した住民と交渉できる状態ではなく、大部隊が出動できるようになるまで、打つ手がなかった」と釈明。連邦検察が市警察を非難していることについては、「共同責任」だと反論。

11.28 フォックス大統領は、メキシコ市の対応を批判。エブラールDC警察庁長官及びトラウアック区長の解任を要求。AMLOはこれを退ける。

11.30 ユカタン州、キンタナ・ロー州、カンペチェ州の3州で、電力料金値下げを要求する1時間の停電スト。市民の約9割が参加。多くの商店やレストランが早めに店を閉めたり、ロウソクに火を灯して対応。

04年12月

12.04 オブラドール、「政党を超えた」枠組みとして「ドアを一杯に開いて、誰をも排除しない市民ネットワーク」を構築すると発表。自らの選挙組織として「市民ネットワークを推進するための会」を立ち上げる。幹事長のカマチョ・ソリスは元PRI党の幹部。EZLNとの仲介役で苦労した後、PRD党に移った。同時に「尊敬するクァウテモック・カルデナスのように、彼は決定を下し、それを実行するだろう。我々は民主主義のために働いたカルデナスの歴史的役割を認識しているが、もはや待つことは出来ない」とし、PRDからの離脱の可能性も示唆する。

12.05 メキシコ自治大学、先住民の文盲率は、この十年で18から32%に上昇したと発表。またモノリンガル化の顕著な州として、チアパス(36.5%)、ゲレロ(34.1%)をあげる。

12.07 メキシコ大統領府は、デルベス外務大臣をOAS事務総長候補として擁立すると発表。フォックス大統領は、「デルベス外相がOASに存在感を与えるための非常に強いリーダーシップをもっている」と発言。

12.07 バウチャー米報道官、「OAS事務総長には中米の候補を支持する」と述べる。カナダとベリーズはメキシコへの支持を表明。

12.09 国際汚職防止デーにあたり国連が各国汚職度を発表。メキシコは、49ヵ国中40位。汚職で動く金は何百億ペソ、国内総生産の13%にもあたるとされる。

12.16 連邦検察庁が、警官リンチ事件のビデオを公開。「メキシコ市警察庁の警官が事件を傍観していた」と宣伝。オブラドールは事件を「政治化」するのではなく、根底から調査して、本当の責任者を罰するべきだ、と述べる。

12.17 エブラルドDF警察庁長官、警官リンチ事件の不手際を問われて解任される。エブラルドは、国立人権委員会に提訴。

12.18 オブラドールDF長官への信任を問う電話による住民投票。531,771票(95%)と市民95%の圧倒的な信任。

12.22 ベラクルス州南東部で、PEMEXの石油輸送管が破裂し、石油約63万リットルが流出する事故が発生、周辺の川や沿岸などに深刻な被害をもたらす。これを皮切りに、1月末までにベラクルス、タバスコ両州の5カ所で石油流出事故が発生。

12.29 連邦検察庁、エブラルド元DF警察庁長官を警官リンチ殺人事件の重要参考人として喚問。AMLOは、「エブラルドに対する捜査は自分への逮捕権請求と同じ狙いだ」と語る。

12月 エンリケ・サリナス(サリナス元大統領の末弟)が麻薬カルテルにより殺害される。元妻で、資金洗浄容疑でフランスで告訴されているアドリアナ・レガルデは、その後ひそかに出国。

12月 ラ・パルマ刑務所内で、グスマン・デセナの弟アルトゥロ・“ポジョ”・グスマンが射殺される。犯人ラミレス・ビジャヌエバは、麻薬団員ベルトラン・ルゴに指示されて行った、と供述。当局は暗殺事件に関与したとして、刑務所長を含む関係者4名を逮捕。

12月 ビデオによる暴露合戦が激化。@緑の党の幹部ホルヘ・エミリオ・ゴンサレス・マルティネスがカンクンでの建設許可に関し200万ドルの賄賂を交渉している場面。Aメキシコシティー財務長官グスタボ・ポンセ・メレンデスが、ラスベガスで公金と見られる巨額の金を賭ける場面。Bアルゼンチンの企業家カルロス・アウマーダが、PRDの幹部レネ・ベハラーノとカルロス・イマスらを買収している場面。なかにはやらせや謀略の疑いがあるビデオも含まれる。

12月 メキシコ政府、アメリカに不法入国する際の危険や対処法をまとめた小冊子を発行。「メキシコ人移民ガイド」と題する32ページの小冊子。「毎年数百人のメキシコ人が越境中に死亡している現実がある。その死のリスクを少しでも減らすのが狙い」とする。厚手の衣類で川を渡ると重くなって危険、飲み水に塩を混ぜておくと脱水症状が起きにくい、道に迷ったら電線や 鉄道をたどれ、などとカラーのイラスト付きで解説しています。また捕まっても守られるべき権利などが併記される。コミック誌の付録などとして配られ、同国外務省のホームページでも読むことができる。

 

 2005年

05年1月

1.05 ラ・パルマ刑務所の職員150人と警備員30人が、7時間に渡ってストライキ。所内で起きたアルトゥロ・“ポジョ”・グスマン射殺事件の捜査に不満。

1.06 アメリカ国境警備当局、過去3ヶ月で不法越境者の逮捕者数が約20万人と発表。これは前年比13%増。原因は米当局の取り締まり強化とされる。

1.10 ヌエボ・ラレド駐在の米領事、同市で過去4ヵ月間に、米国人が26人行方不明になっていると述べる。同州の検察庁長官は、地元にはそのようなデータがないとして、届け出を行うよう要請。

1.09 エルサルバドル元大統領フローレス、「フォックス大統領は、OAS事務総長選では中米の候補を推すとの約束を破った」との発言。大統領府は約束の存在を否定。

1.11 PRI党のセロン上院議員、フォックス大統領とマルタ夫人が、ミチョアカンの海沿いにあるタマリンディージョの土地265ヘクタールを不正な方法で購入したと非難。内務委員会はこの件に関して情報の提供を求めると声明。

1.12 マルタ大統領夫人、「オブラドール長官は特権が剥奪されるから、今年3月以降は大統領候補として続けられない。だから、大統領選は、現実問題PRIとPANの間で行われる」と発言。

1.12 PRDのカマチョ・ソリス下院議員、AMLOが逮捕されたら、「プランB」として別の候補を立てると述べる。

1.13 マンハッタンの高級レストラン、メキシコ人移民を中心とする従業員23人と和解。16万ドルの賠償金を支払う。このレストランは、従業員を週55時間働かせても40時間分の給金しか払わず、昇格も拒否していた。

1.13 フォックス大統領、チアパスを訪問。「サパティスタは過去のこととなった。住民の要求に応え、先住民との新しい関係も築いた。選挙公約は完了した」と述べる。議会の和平和解委員会(Cocopa)は、「運動を生んだ貧困は解決していない。真の問題解決は遠のくばかりだ」と警告。

1.14 軍・連邦予防警察(PFP)・連邦検察庁(PGR)の合同部隊、「ラ・パルマ」刑務所の捜査を開始。監房内から麻薬や携帯電話多数が発見されるなど、麻薬組織のトップが刑務所内から組織をコントロールしていたことが明らかになる。同刑務所では全職員の適性検査等が実施され、151名中105名が解雇された。

1.20 タマウリパス州マタモロス市で、刑務所の看守6人が殺害される。マタモロス刑務所はラ・パルマ刑務所囚人の移送先だった。フォックス大統領、治安閣議を招集し、組織犯罪への対応策を協議。

1.21 クアウテモック・カルデナスが4度目となる大統領選への出馬を表明。

1.21 麻薬カルテル関係者を収容している複数の監獄で激しい暴動。フォックス大統領は改めて麻薬取引と犯罪組織に対する戦争を宣言。またボスたちがわがもの顔で支配していた監獄を改革し、治安を高めると述べる。

1.23 トニー・ガルサ駐墨米大使、ルイス・エルネスト・デルベス外相とラファエル・メルセド・デ・ラ・コンチャ検事総長に書簡を送る。麻薬カルテルの抗争激化、刑務所員の「処刑」などに言及し、地方警察が秩序維持に関する「能力に欠けている」ことへの懸念を示す。対策として米国の支援強化を求めるよう示唆。メキシコ国内では「プラン・コロンビア」のメキシコ版と受け止められる。

1.23 ペメックスのラミレス・コルソ総裁、相次ぐ事故に対し、「老朽化したパイプラインのメンテナンスに30億ドルは必要だが、年間予算は12億ドル。ペメックスには投資の元手も技術もない」と述べる。ペメックスによると、国内のパイプラインシステムの68%が緊急に整備を必要とし、危険な箇所がさらに29ヵ所ある。

1.26 性的虐待の容疑を受けたマルシアル・マシエル司教(84歳)が引退。ローマ法王の友人という実力者だが、40年代後半から70年代まで、十代の少年たちにいたずらを繰り返したとされる。

1.26 メキシコ外務省はガルサ大使への公文回答で、「麻薬やマネー・ロンダリングのような問題に対しては、供給のみでなく需要にも対処すべきである。さらに、国際協力の基本は、それぞれの国の力を認め合うことをベースに行われるべきである」と述べる。マセド連邦検察庁長官は、「メキシコが米国への麻薬供給ルートになるのは、米国が麻薬の消費大国だからだ」と開き直る。

1.28 アメリカ国務省、「メキシコの犯罪者は驚くほどの装備を持ち、時には警察の装備を使用する。公的な秩序に責任を持つべき当局者が犯罪に関連しているかもしれない」との警告を公表。

1.30 米国政府のデータによると、米軍の兵士のうちヒスパニックは9%。しかしイラクで亡くなった兵士のうち、ヒスパニックは11.3%。03年3月19日から4月30日までの戦闘期間に限ると、死亡したヒスパニック兵士は16.5%(23人)にも上った。

1.31 米FBIは、カリフォルニアで活動するメキシコ人マフィア22人を逮捕した。リーダーは州内の刑務所に服役中のジェシカ・チャベスで、彼女は刑務所内の手下と外にいるメンバーを統率していた。FBIによると、このグループは、米刑務所内で最も大きく、最もよく組織された犯罪組織だという。

1月 公共治安省によると、1月の麻薬関係殺人は平均1日に3.3人だった。2004年には同様の死者は900人を超えた。犠牲者は警官、弁護士、犯罪組織のメンバーなどである。

公共治安省の発表から: 
メキシコは世界二番目のマリファナ、ケシとそれから作られるコカイン生産国であり、また、コロンビア・コカインの最大の消費国アメリカへの主要な流通ルートになっている。アメリカに行くコカインの70%から75%はメキシコを通っている。
メキシコのカルテルのコカインによる年間利益は700億ドル、このうち30%が国内の犯罪組織を動かすために使われる。130以上あるメキシコの犯罪組織は暴力を誘発している。
この4年間に、360トンのマリファナ、11トンのコカイン、444キロのヘロイン、700万以上の向精神薬を押収してきた。これは過去14年間で最大の成果だがカルテルの発展には追いつかない。コカインの消費は5年間で300%増加している。

05年2月

2.01 オブラドール、連邦政府高官、議員、そして特に裁判官らの高月給を見直すべきだと提案。大臣クラスで約3万jの月収は、国の貧困状態に相応しくないとする。

2.01 メキシコ中銀の発表によれば、1020万人のメキシコ人と1600万人のメキシコ系アメリカ人が米国で働いている。メキシコ人の5人に1人が、米国で働いている家族から送金を受けている。2004年の送金額は161憶7800万ドルで前年比24%の増加。国内総生産の2%、石油の輸出額に匹敵する。

2.02 国立成人教育機関(INEA)、先住民の非識字率が高いと警告。ゲレロ州では、州全体の非識字率が21.5%だが、先住民では50.3%。チアパス、ベラクルス、プエブラ州でも先住民の非識字率が高値を示す。いっぽうミチョアカン州では、キューバ政府が支援する識字プログラムにより、非識字率が14%から8.5%に低下。

2.03 麻薬取締局(DEA)と国連、最近3年間でメキシコのケシの栽培は53%増加し、アメリカで消費されたコカインのうち、メキシコを通過したものは70%に達している。

2.06 連邦検事局、大統領府内の「国内外訪問日程調整部」のナウム・アコスタ・ルゴ部長を逮捕。アコスタは2001年以来、大統領の行動に関わるセキュリティの人数、移動ルート、交通手段、詳細な日程などの情報を漏らしていた。

2.07 メキシコ政府、エチェベリア元大統領が71年の大量虐殺に関係したとされる文書を公表。

2.08 PRIの拠点ゲレロ州で左派PRD候補が歴史的勝利。

2.11 AMLO、「特権剥奪反対運動計画」を発表。反対運動への大動員を目指す。

2.11 米下院、移民取締り強化案を可決。不法移民への運転免許証不発行、政治亡命の制限、国境障壁の強化を柱とする。人権保護や環境保護団体は「出稼ぎ移民は米国の治安と全く関係がない」と抗議。

2.11 メキシコ市商工会議所によれば、強盗に遭った商店は、昨年1年間で約5.3万件、第4四半期では、100軒あたりの強盗被害が平均8.6件。被害額は約4.3億ペソに達する。半数以上が武器や暴力を伴った。

2.12 前ゲレーロ市長でPRDのフベンティノ・バレラ・フィゲロアが何者かにより暗殺される。死体は120発の弾丸を浴び、肉の塊と化していた。

2.17 シナロア州において、軍が参加しての大規模な麻薬取締り作戦実施。連邦司法警察(AFI)と米国麻薬捜査局(DEA)、シウダー・フアレスにおいて10トンのマリファナを押収。

2.19 メキシコ市長でPRD左派のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール、大統領選への出馬意欲を表明。

2.21 メキシコから中米にかけて縄張りとする暴力団“Mara Salvatrucha”が勢力を拡大。当局は「過去数ヵ月で1200人以上のメンバーを逮捕したが、1万〜1.5万人程度が米国に逃げた」と発表。

2.23 メキシコ最高裁、学生12人の虐殺事件(1971年6月)の責任問題に関して、「この件は時効が成立している」とする。ジェノサイドに関する国際決めであるジュネーブ協定(02年発効)を遡及して適用することはできず、出訴期限法の基準を超えているとして、特別検察官によるエチェベリア告訴を棄却。ただしこのケースがジェノサイドに当たるかどうかについて聴聞会を開くと付け加える。

2.23 告訴の棄却決定を受けた検察当局は、60年および70年代の他の3件の人権侵害事件ついて、引き続きエチェベリア元大統領らの責任を追及する予定。

2.24 メキシコ・グアテマラ首脳会談。投資貿易の拡大やトラックの相互自由通行などで合意。

2.28 ユニセフ、メキシコはOECD諸国の中で、貧困状況にある児童の割合が最も多い(27.7%)」との調査結果を発表。

2月 ソベラネス国立人権委員会委員長、「個人的見解」として、「裁判所命令の不履行は職権濫用の法的定義に当たらない」と述べる。個人的発言に関する議員らの攻撃を受け、ソベラネスは「市民的自由」を主張。「私は市民であることを辞めた覚えはない。市民であり、弁護士であり、大学の教員(元UNAM司法研究所所長)である。それらを辞めることは出来ない。一体この私にどうしろと言うのか!」

05年3月

3.03 「レフォルマ」紙の世論調査、70%の国民が、「ロペス・オブラドール・メキシコ市長とフォックス大統領の対立は、国を危険な状況に陥れている」と見ているとする。

3.05 PRIとPANがあいついで全国大会。PAN大会では極右のマヌエル・エスピノ・バリエントスが委員長に就任。セバージョス上院議員やアルバレス元党首など党有力者はいっせいに反発。フォックス後継者とされるクリエル内務大臣は大統領選出馬への準備を進める。

3.08 CEPAL、国際婦人デーにあたリメキシコの状況を報告。家庭内暴力被害は48%、労働市場の女性の割合は男性の半分で、給料も少ない。女性議員は2割。高等教育進学率は47%、

3.08 不法移民問題でアメリカからの不規則発言が相次ぐ。国務省はメキシコの「麻薬組織が政府を買収する危険性がある」と述べる。FBIは「アル・カーイダがメキシコから米国に密入国している」と発表。CIAも同様の懸念を表明。

3.10 メキシコの外務省は,ゴルフォ・カルテルのリーダーとされる入獄中のオシエル・カルデナスをアメリカに引き渡すことを決めた。テキサスの法廷が麻薬に関する17の罪で裁判を要求している。

3.14 フォックス大統領、メキシコシティーの高齢者年金計画を批判。「ポピュリズムは一部の国でブームになっており、残念なことにメキシコ市でも同じだ。しかし、年寄りみんなに金を配ってたら、インフラ整備など無理」と述べる。

3.16 ニューヨークタイムズ紙、「オブラドールDF長官が大統領になれば経済は悲惨なことになる」とのクリエル内務大臣の発言を引用。クリエルは、「経済のビジョンが全く違う、と述べただけ」と釈明。

3.16 米下院、軍事予算に国境警備強化を含める関連法を採択。テロリストの国境通過を阻むためとされる。メキシコ政府はこれに反対。

3.17 メキシコ上院、憲法第14条と22条を改正し、死刑を廃止する決議を採択。

3.20 PRD全国大会。レオネル・コタ・モンターニョが新党首に選出される。オアハカ、タマウリパス及びタバスコ州では選挙不正が横行するなど、既存政党とおなじ問題を露呈。

3.22 「エル・ウニベルサル」紙によれば、米国には600万人のメキシコ人不法移民が居住しており、毎年8%ずつ増加。

3.22 水委員会、「世界水の日」を機に、メキシコの水事情を発表。メキシコではいまだに水道のない場所に住む国民が120万人、下水設備のない場所に住む国民が230万人いる。1人が利用できる水の量は50年前の6割減。メキシコ市イスタパラパ区では、現在50万人が水不足に直面している。

3.30 フォックス大統領、3月前半の新規雇用は史上最高と発表。しかし全国労働者連盟によると、正規雇用は半分以下に過ぎず、残りは短期契約やインフォーマル経済での雇用。

3.31 米国土安全保障省、アリゾナ州の米墨国境に534人の国境警備隊を新たに配置すると発表。A-Starヘリコプター16機、UH-60ブラックホーク4機も配備予定。昨年、国境警備隊が摘発した不法移民は110万人。このうち、半数以上がアリゾナ州の国境を超えようとしていたという。

05年4月 アムロの免責特権剥奪

4.01 メキシコ下院予審委員会は1日、3対1で長官の無処罰特権を取り消す判断を可決した。賛成したのは制度的革命党(PRI)からの二名、国家行動党(PAN)の一名で、反対したのはAMLOの属する民主革命党(PRD)の一名である。

4.01 退役軍人らの移民狩り計画「ミニットマン・プロジェクト」が発足。国境地帯における不法移民監視活動を開始する。国境の南では、メキシコ内務省が移民支援活動の訓練を受けた職員たちを待機させる。

4.02 AMLO、支持者に対し、外に出て抗議行動をするよう求める。

4.04 Merrill LynchやJP Morganなどの海外投資機関、AMLO問題が解決するまではメキシコへの投資を避けるよう勧告。

4.05 モンレアル・サカテカス元州知事、「民主主義に対する攻撃が始まった」と述べ、7日のデモへの参加を呼びかける。バス1万台以上が確保され、国内中心部の州から集会参加者が動員される。

4.05 上院、国連人権委員会での「キューバ人権決議」を棄権するよう、行政府に勧告。外務省はこれを拒否する声明。

4.07 議会開催を前に、ソカロ広場でオブラドール市長の支援集会。PRDと市民団体「No nos vamos a dejar」が主催。市民37万人が結集する。オブラドールは逮捕が決まれば自首するが、獄中からでも抗議活動を続けるとし、大統領選挙への出馬を正式に表明。

4.07 連邦議会下院、オブラドール市長が強制執行停止の裁判命令に従わなかったことを職権乱用として、刑事免責特権の剥奪を決議。もし逮捕されれば自動的に市民権を失うこととなる。賛成360、反対127、棄権2。

4.08 メキシコ市議会、下院を憲法違反で訴える。下院も、メキシコ市議会の決定は越権行為として提訴。

4.08 権利剥奪抗議委員会が発足。平和的市民抗議の8ヵ条を発表。市民抗議が自然発生的に拡大。

4.08 刑事裁判所、麻薬組織と内通した証拠が不十分としてアコスタ前部長の釈放を命令。アコスタは、「拷問によって自白を強要された」として、全国人権委員会へバスコンセロス検察庁副長官を提訴。

4.11 米州機構(OAS)事務総長選挙実施。5回の引き分けを経て、5月2日に選挙持ち越し。

4.12 PRD党上院議員が、AMLOの免責特権はく奪に抗議して大統領官邸の前で交代制のハンストを開始。デ・ラ・フエンテUNAM学長は、「AMLOの免責特権はく奪は大きな過ち。短期的、長期的に大きな影響を残すだろう」と警告。

4.14 フォックス大統領のスポークスマン、AMLOの告発に政治的意図はなく,単なる法律問題に過ぎないと考えている。オブラドール連邦首都長官が法的に責任ありと認めれば、大統領の赦免もありうることを示唆。

4.14 メキシコ政府、国連人権委員会での「キューバ決議」に賛成票を投じる。PRI、PRD、労働党の各党、国連人権委員会キューバ案件については棄権するよう議会決議したにもかかわらず、政府が米国と連携して賛成に回ったことを「恥ずべきこと」と非難。

4.14 IMF、メキシコ経済に関する報告を発表。税制改革による非石油産業の収益増の必要性を強調。

4.19 ELN、国連人権委員会でメキシコが米国のキューバ非難決議に賛成したことを批判。「駐コロンビア大使アンドレス・バレンシアの仲介は不可能になった」と声明。メキシコ政府は、「これで役割りは終わった」と発表する。

4.19 ラツィンガーが新法王ベネディクト2世に就任。解放の神学に否定的で、イエズス会、フランシスコ会などを嫌う。

4.20 連邦検察庁(PGR)、AMLOの召喚を裁判所へ請求。裁判所は手続き上の違法性を理由に召喚状の申請を却下。

4.21 シュワルツネッガー加州知事、メキシコとの国境を封鎖すると発言。のちに「強化する」と訂正。「英語が苦手なため不正確な表現になった」と弁解。メキシコ外務省は、国境の安全は大事だが、人権を尊重した対応をするべきだと反発。

4.24 連邦議会から特権剥奪されたロペス・オブラドールを支援する集会。国立人類学博物館からソカロまで「沈黙の行進」と称するデモ。ソカロとそこにつながる街路も人々で一杯になる。メキシコの歴史上最大の政治的集会となる。メキシコ市警察庁によると参加者は120万人。連邦警察の発表では12万人。

4.25 オブラドール長官、職務復帰を宣言。「市長」として登庁。大統領府は「違法かつ挑発的な行為」と非難。

4.26 トラテロルコの外務省で、非核地帯条約を結ぶ世界108ヵ国の会議。核保有国に対して核兵器削減を求めていくことで合意。

4.26 下院、デルベス外相はOAS事務総長選から降りるべきとの勧告を可決。キューバのカストロ議長も、「米国が支持する限り、メキシコの当選の可能性はないため、デルベス外相は出馬を取り下げるべき」とコメント。

4.26 「過去の社会的・政治的運動に関する特別検察局」、「汚れた戦争」(guerra sucia)時代の被害者・家族に対する補償金を、大蔵省に要求。

4.27 フォックス大統領、対話を受け入れ、「法的枠組みの中で出来る限り政治的解決を模索する」との演説を放送。

4.28 フォックス大統領、マセドPGR長官と副長官二人の辞職願いを受理したと発表。

4.29 AMLOとPRDは政府の対応を評価。「市民抵抗運動」を全て中止すると宣言。

4.30 デルベス外相、ライス米国務長官とインスルサ・チリ内相との会談後、米州機構事務総長選への出馬辞退を表明。

05年5月

5.17 ロスアンゼルス市長に、メキシコ移民2世のアントニオ・ビジャライゴサが当選。

5月 フォックス大統領、「アメリカにいるメキシコ人は黒人さえもしたがらない仕事をしている」と発言。黒人団体の抗議を受け陳謝。

05年6月

6.15 メキシコ最高裁、71年の学生デモ弾圧事件で、エチェベリア元大統領の裁判を可能とする判断を下す。

6.19 メキシコ政府、ヌエボ・ラレードの市警察を業務停止。700人を超えるスタッフの麻薬組織との関係を調査する。市内には州警察、連邦警察、軍の兵士が警備にあたる。

6.20 マルコス副司令官、「戦いの新しいステップ」を宣言。政治・軍事的な構造の再構築を行っていることを明らかにする。チアパスの「ラス・カサス人権センター」は、メキシコ軍がEZLN支配区のマリファナ・プランテーションを破壊しようとしていることに対抗した戦略であることを示唆。

6.29 マルコス副司令官、「EZLNは国家的、国際的性格を持つ政治的リーダーシップを目指す」と述べる。そして「支援者の98%がこの新しい方針に賛成している」ことを明らかにする。

05年11月

11.01 メキシコ市選挙機関、2003年選挙でPRDに選挙違反があったとして、230万ペソの罰金を科す。

11.05 米州サミット首脳会合に出席したフォックス大統領、インタビューでキルチネルを批判。キルチネルはこれに痛烈に反論。その後外相会議で両国の友好関係を再確認。

11.05 フジモリ元ペルー大統領、チリへ向かう途中、給油のためティファナ空港立ち寄り。対応が不十分だったことから、移民局関係者6名が懲戒免職処分となる。

11.09 チャベス大統領、フォックス大統領を「帝国の子飼いの犬」と発言。メキシコ外務省は駐メキシコ・ベネズエラ大使を召喚。

11.11 主要各紙、アウマダに絡む新たな「ビデオ・スキャンダル」を報道。PRDは「陰謀」と非難。

11.13 チャベス大統領、再びフォックス大統領を批判。メキシコ外務省はベネズエラ政府からの謝罪を要求。

11.13 PRI党内予備選実施、マドラソ候補が圧勝。党執行部はマドラソをPRI大統領候補と承認。

11.14 ベネズエラ外務省、謝罪を拒否し、駐メキシコ・ベネズエラ大使を即日召還。メキシコ外務省も、駐ベネズエラ・メキシコ大使召還を決定。

11.16 国連の「人権と極貧に関する特別委員会」が報告を発表。米国人口の12.7%が貧困者であり、イスパノ系においては22%におよぶと発表。これは工業先進国における最悪の数字だと指摘。

11.17 ホルナーダ紙、ロサンジェルス市長アントニオ・ビジャライゴサへのインタビュー。

ビジャライゴサの発言要旨: *国境を軍備化するより、労働、保健、雇用の確保のための法を強化するべきだ。そして人間らしい生活のできる給料を提示し、法を犯した雇用者への罰則を強化すべきだ。
*移民者の源がメキシコにあるなら、メキシコに投資をすべきだ。彼らは好んでここに来るのではない。向こうでは食べられないからだ。ヨーロッパがアイルランドやスペインでしたように、移民を送ってくる国に投資をすべきだ。
*アメリカは財を持った人々によって建設されたのではない。希望を持ってやってきて、厳しい仕事に就き、可能性を信じる人々が作り上げてきたのだ。アメリカの未来は、この国を前進させる人々を支援し、この力をまとめ上げることにかかっている。
*ロスには30の国籍があり、120の言語が話されている。こうした多様性をまとめ上げ、東の経済と南の市場を結びつけることで、ロサンジェルスは「21世紀のベニス」になるだろう。

11.18 ゴルディージョ前PRI事務局長、マドラソを名指しで非難。執行部はゴルディージョの党員資格停止。彼は水面下でカルデロンPAN候補と連携をとっていたことが明らかになる。

19日、ベネズエラで大規模な「反フォックス」集会開催。21日、メキシコ外務省、正式謝罪がない限り、ベネズエラとの大使級外交関係回復はないと再度発言。23日、ランヘル・ベネズエラ副大統領、謝罪はしないと強調。24日、連邦上院、ベネズエラとの関係に関し、フォックス大統領支持を表明(PRDを除く)。

11.21 「レフォルマ」紙、カルデロンPAN候補がロペス・オブラドールPRD候補に支持率で肉薄しているとする世論調査結果を掲載。PRDとPRI、数値が操作されていると反発。

11.23 PRDとPT(労働党)、2006年の全ての選挙で連合を組むことで合意。

05年12月

12.05 労働党(PT)、「統一」、民主革命党(PRD)の三党が「全国民の幸福のために」連合を結成。候補者のロペス・オブラドールは、この連携は自身の政権プログラム「もう一つの国家プロジェクト」をベースにしていると説明する。

12.10 メキシコで憲法を改正して死刑を廃止。

12.15 フォックス大統領、ワシントンの政策は、人権と労働権を侵す「恥ずべき、不名誉」な行いだと激しく非難。国境の壁を増強することは、米国の経済にとって利益にならないと批判する。

12.17 アメリカ下院、メキシコからの不法移民に対処するため、国境の壁の強化を含む法案を可決。賛成239,反対182。

12.29 グアテマラのエドゥアルド・ステイン副大統領、米国による国境の壁を非難。「これは、ラテンアメリカ全体に対する真の侮辱である。我々を疫病のように考えている」

12.31 18歳のメキシコ青年ギジェルモ・マルティネス、サンディエゴ近郊の国境の壁を越えようとしてアメリカの国境警備隊に射殺される。

 

 2006年

06年1月

1.01 サパティスタ、大統領選挙に替わるプログラムを推進するため、6ヶ月間にわたり全国32州を巡るキャンペーンをスタート。マルコスは副司令官という軍のタイトルを捨て、デレガード・セロ(delegado cero)と肩書きを変える。トレードマークの眼出し帽とパイプは変わらず。

1.06 EZLNのラモナ司令官(女性)が腎臓ガンのため死去。マルコス副司令官が発表。ラモナはトロツキスト系の先住民活動家で、94年の蜂起に参加。96年、先住民権利を守る会議に出席するためメキシコシティーに出現。

1.06 マイケル・チャートフ国内治安長官、国境パトロールへの攻撃には「容赦なし」で対応すると述べる。

1.14 メキシコ駐在アントニオ・O・ガルサ米国大使、メキシコに対し、領土を守る権利を尊重するように求め、「ベルリンの壁は、人々を閉じこめるために専制政治が作ったものだ。全く対称的に、これは市民を守るためのものである」と述べる。メキシコは壁を「破廉恥」と非難。

1.22 EZLN、エボ・モラレスの大統領就任式出席を断る。

06年2月

2.09 メキシコシティー当局、16人のキューバ人を退去させたマリア・イサベル・シェラトン・ホテルを閉鎖すると発表。ホテルの3千平米が無許可建築であり、国内政策上の判断だとする。政府はこの問題に関与せず。デルベス外相は、「純粋にホテルの責任の問題」とする。

2.08 国務省のショーン・マコーミック報道官、「アメリカの法規(ヘルムズ・バートン法)は、どこであろうと、米企業に適用される」とし、キューバ人のホテルからの強制撤去を正当化。

2.16 フォックス大統領直属の「女性に対する暴力事犯特別捜査局」、「フアレスにおける女性の殺人行方不明事件は、その数が著しく誇張されている」とする報告書を発表。

シウダ・フアレスでは10年前から若い女性を狙う連続殺人事件が続いていた。人権団体はシウダ・フアレスにおける女性の行方不明事件が4,000件に上ると主張していた。報告書は、女性の殺人被害者を過去11年で379人とし、人口10万人当たりの殺人事件数を全国で4位とする。

2.20 コアウイラ州のパスタ・デ・コンチョス鉱山でメタンガスの爆発。65名が死亡。労働側は国営企業グルポ・メヒコの責任をもとめ闘争を強める。

2.27 アメリカのNGO「国家安全アーカイブ」、64年から82年のあいだの「汚い戦争」に関するフォックス政権の調査報告を発表。この報告はイグナシオ・カリージョ・プリエト特別検察官の作成したもので、まだ公式には発表されていない。

文書の概要: 軍は18年の間に被疑者数百人を殺害し、数多くの誘拐・拷問を行った。逮捕されたものは、強制的にガソリンを飲まされ、殴打と電気で拷問された。 数十人の反政府活動家は、アカプルコ基地などから「死のダイビング」を強要され、太平洋に沈んだ。

2月 フランシスコ・サラサール労相、鉱業労働者全国組合(SNTMM)のナポレオン・ゴメス・ウルティア書記長が、汚職行為をしたと告発し解任する。グルポ・メヒコ社がSNTMMに支払った5500万ドルを、ゴメスが横領したとされる。後任にはモラレス・エルナンデスが指名される。

2月 ゴメスは容疑を否定、依然として書記長であると主張。鉱業労働者は政府の干渉に抗議して闘争を開始。

06年3月

3.05 メキシコシティー当局、マリア・イサベル・シェラトンについて15の法律違反があるとして1万5千ドルの罰金を科す。ホテルは、当初閉鎖を命じられたが、その後ホテル側が違反を繰り返さないと誓約したため取り下げられる。

3.06 メキシコ農牧省、食料品の対日輸出は5億6,440万ドルで前年比9.2%増と発表。

3.06 パリで、ラウル・サリーナス・デ・ゴルタリの裁判が始まる。ラウルは、300万ドル以上の資金をスイスに送るためにフランスの銀行を使った。この金はコカインの輸送を守る代価として、コロンビアとメコシコの麻薬カルテルから受け取ったものとされる。サリーナスは、義理の兄弟フランシスコ・ルイス・マシュー殺害で告発され、メキシコで10年服役。2005年に釈放されたばかり。

3.09 米フォーブス誌の世界の長者番付が発表される。電話通信事業などを手がけるメキシコのカルロス・スリムが、ビル・ゲイツとウォレン・ビュフェットに次いで世界第3位に。総資産は300億ドルに達する。

3.10 シカゴで移住者の権利を要求する50万人のデモ。センセンブレナー法など反移民の攻撃に抗議する。この法律はジェイムズ・センセンブレナー上院議員が、不法移住者とそれを助けたアメリカ市民を罰し、さらにメキシコとの国境に壁を作ることをもとめたもの。すでに下院では可決。

3.12 サリーナス元大統領、MITで講演。AMLOが大統領選で勝利すれば、ラテンアメリカの民主主義にとって脅威になると述べる。

3.16 中米11カ国の外相がグアテマラシティーで会議。「移民政策の硬化は問題の総合的解決にはならない」とし、ワシントンに不法移住者の合法化を含んだ「総合的な移民改革」を行うよう要求。

3.27 上院司法委員会、移民法改正案を可決。@国境の管理を強化する、A一時労働ビザの創設、B不法入国者を出国しないことを条件に合法化する、C入国を助けたものの行為を罪としないなどを内容とする。

06年4月

4.02 ミチョアカン州ラサロ・カルデナス港のシカルツァ製鉄工場で、SNTMMの指導するストライキが始まる。ストはナポレオン・ゴメスの復職を要求。

4.03 メキシコ連邦政府、マリア・イサベル・シェラトン・ホテルに約1万5千ドルの罰金を科す。海外法律を国内に適用したことに対する制裁とされる。フォックスは、ホテル自体に責任があるとして、ホワイトハウスに対しては抗議せず。ホテルは数時間閉鎖されたが、メキシコ法を順守すると約束して再開した。

4.06 OECD事務局長でメキシコ出身のグリア、メキシコの税制改正は不可欠と述べる。OECD加盟国の30か国平均の税収入はGDPの30%程度だが、メキシコは11.6%に過ぎない。

4.12 メキシコ当局、カラカス発のアメリカ民間機で運ばれた5.5トンのコカイン(市場価格で1億ドル)を、カンペチェ州シウダド・デル・カルメン空港内で押収。これは旅客用チャーター機で、アメリカに向かう予定だった。

4.20 ミチョアカン州ラサロ・カルデナス港のシカルツァ製鉄工場で、工場を占拠したストライキ参加者と警官とが衝突。死者二名、負傷者数名を出す。メディアは警官が発砲するビデオを放送。ゴメス・ウルティアは、「死ぬまで戦う。後戻りはない」と述べる。

4.21 鉱業労働者の全国スト。数州で数千人の労働者が参加。政府はこのストを違法と判断。大統領の命令で連邦警察が急派される。

4.27 メキシコ大統領選について世論調査。国民行動党(PAN)候補者フェリペ・カルデロンが38%で、AMLO35%を追い抜く。AMLOは自らの政策を明らかにせず、もっぱらフォックス攻撃に的を絞っていたため、世論の支持を失ったとされる。

4.28 メキシコ議会、麻薬の所持を認める法律を賛成53,反対26で可決。マリファナ5グラム、アヘン5グラム、ヘロイン25ミリグラム、コカイン500ミリグラム以下であれば、所持していても犯罪に問われない。LSD、アンフェタミンなどについても同様の扱い。

06年5月

5.01 オアハカの教員組合、給与アップと社会的要求を掲げストライキに入る。州当局は要求を全面拒否。

5.01 EZLNの呼びかけた「もう一つの5月1日」に数千人が参加。メキシコシティーのアメリカ大使館前でマルコス副司令官が演説。「国内のアメリカ製品をボイコットしよう」と呼びかける。

5.10 EZLNのマルコス副指令、Televisaに約1時間生出演。7月の選挙はAMLOが勝つだろうと強調。同時に、「AMLOは世論調査の結果で、言動を左右している」と批判。

5.22 オアハカの教員組合、市の中心広場を占拠。抗議行動を展開。

5.28 米上院、非合法移民者へ市民権を与える法案を可決。同時に国境壁の建設を含む警備の強化も織り込む。

6.14 州警察は750人の警官を動員し、市の中心広場を占拠していた教師を強制排除。4人の死者と数人の負傷者を出す。この事件をきっかけに、教師の闘いを支持するオアハカ住民集会(APPO)が結成され、労働組合、先住民活動組織、女性グループなど350の地元組織が結集。

06年7月

7.02 メキシコ議会選挙。国民行動党(PAN)が500議席中206議席を占め最大与党となる。ついでPRDの125議席、PRIの105議席。

7.04 大統領選の暫定数字が発表され、フェリペ・カルデロンが僅差で勝利。選挙当局は、暫定数字には誤差幅が大きいとして再集計すると発表。最終結果は7日に発表されることとなる。

7.06 エチェベリア元大統領、事件は警察と学生の衝突によって起こったもので、政府の意図したものではないと主張。大量殺害の告発は「馬鹿げている」とのべる。

7.09 大統領選挙の不正に抗議する集会に30万人が結集。AMLOは法廷闘争に入ると宣言。

06年8月

8.18 アメリカ国家安全省移民統計局、不法移民者の推計を発表。総計は1100万人、これに対し正規の移住者は1680万人。うちメキシコが600万人で全体の57%を占める。これに次ぐのが、エル・サルバドル、グアテマラ、インド、中国。

8.29 米州機構(OEA)のホセ・ミゲル・インスルサ事務総長、それぞれの国家の制度は尊重されるべきであり、独自に宣言した「政府」は認められないとする。

8月 アレジャーノ・フェリックス一家の7男フランシスコ・ハビエルが逮捕される。ボス格を次々と失ったティフアナ・カルテルは弱体化し、シナロアの攻撃を受ける。

06年9月

9.06 連邦選挙法廷、プロセスに重要な変則事項があるが投票は有効であると宣言。提出された375件の訴えを却下する。公式得票数は、カルデロン14,916,927票で、ロペス・オブラドール14,683,096票との差は233,831票(0.56%)だった。

9.15 AMLO支持者、独立記念日を前にソカロの占拠行動から自主的に撤収。

9.12 ベネズエラのチャベス大統領、メキシコの新政権を認めないと声明。メキシコ政府はこれを無視。

9.17 数十万人のAMLO支持者がソカロ広場に結集。AMLOを正当な大統領だとし並行政府(gobierno paralelo)の創設を宣言。全国民主主義集会(CDN)にはメキシコ全州から120万人が登録した。

06年10月

10.31 米州人権委員会、オアハカ州の情勢に懸念を示し、最近数日間に逮捕された住民の行方を明らかにするよう、州当局に求めた。

10.29 連邦予防警察、「児童100万人の教育が放置される事態を避ける」ため、市内に出動。オアハカ中心部のソカロ広場を奪回。反対派住民を一斉摘発。

10.31 メキシコ外務省は、グアテマラの前大統領アルフォンソ・ポルティージョの送還を認める決定。ポルティージョは大統領在任中に1560万ドルを違法に国外に持ち出したとされる。

06年11月

11.05 オアハカ住民集会(APPO)、連邦軍の駐留に対し「メガ行進」と呼ぶ抗議デモを展開。全国から支援組織が駆けつける。

11.08 連邦警察、市民戦線の拠点オアハカ大学を占拠。大学に通じるいくつかの場所でデモ隊と激しく衝突。

11.09 オアハカ州のウリセス・ルイス知事、あらためて辞任を否定。メディーナ公共治安長官は「まもなくオアハカ市の治安を回復できるだろう」と述べる。

11.18 ペルー警察の麻薬対策責任者カルロス・オリーボス・バレンスエラ、ペルーの麻薬取引を支配する約30の国際組織の大半がメキシコのカルテルだと述べる。シナロア、ティファナ、フアーレスのカルテルがコカインの65%を買い上げ、そこから米国・欧州などに転送される。

11.20 AMLOが象徴的な「就任」のイベントを開催。ソカロ広場に数万人が集まる。AMLOは「もう一つの政府」の設立を宣言。

11.21 テキサス州ヒューストンの清掃労働者、1か月のストライキの結果、集団契約の権利と労働条件の改善を勝ち取る。またノース・カロライナ州では、世界最大の豚肉加工プラントであるスミスフィールド・パッキング・カンパニーでは、約千人の労働者が自発的なストに立ち上がり、企業側が移民法を理由に行った解雇を撤回させる。

11.23 オアハカ州で教員ストを引き金に市民ゼネストが広がる。市民勢力の連合、APPOはウリセス・ルイス知事の辞任をもとめる。連邦軍は2週間にわたりオアハカを占拠、市民運動を弾圧。

11.25 歌手バレンティン・エリサルデ、コンサート直後に70発の銃弾を撃ち込まれ死亡。エリサルデはシナロア・カルテル寄りの曲を歌い、ガルフ・カルテルの反感を買っていた。

11.28 PRDは国会を占拠しカルデロンの登院阻止を図る。PANもこれに対抗し椅子のバリケードでPRDの侵入を阻止。

11.29 連邦法廷、大量殺人と自由剥奪の疑いで、ルイス・エチェベリア元大統領の自宅逮捕を命じる。

06年12月

12.01 フェリペ・カルデロンがメキシコ大統領に就任。大統領は与野党の怒号の中で宣誓。ロペス・オブラドールは新大統領受け入れを拒否。

12.02 タマウリパス州ミエルで武装集団と軍が衝突。武装集団側の27人が死亡した。

12.04 連邦警察、オアハカ住民集会(APPO)のリーダー、フラビオ・ソサらを誘拐、窃盗、傷害、放火などの容疑で逮捕。APPOは教員の給与引き上げや知事の辞任を要求してきた組織で、約350の住民組織が参加。

12.12 カルデロン大統領の出身地ミチョアカン州で、軍による麻薬摘発作戦。5千人の兵士が参加した合同作戦でゴルフォ・カルテルのアルフォンソ・バラハス、シナロア・カルテルのヘスス・ラウル・ベルトラン・ウリアルテなどの幹部を逮捕。麻薬カルテルに6億ドルの損害を与える。ミチョアカンでは過去6年間に少なくとも5千人が殺害されている。

12.16 ミエルでふたたび武装集団と軍が衝突。2時間の戦闘で武装集団側の22人が死亡、軍兵士1人が負傷した。

 

 2007年

07年1月

1.02 連邦政府、対麻薬組織作戦をティファナ市に拡大。軍を含む3千人を超える連邦治安部隊を派遣。地元警察も捜査対象に。シナロア州や、ゲレロ州も連邦治安部隊増強を要請した。

1.12 軍が数千人の兵士をアカプルコとゲレロ州の他の2市に派遣。麻薬取引業者に対する強力な作戦を展開。

1.22 カルデロン大統領、全国治安評議会(Consejo Nacional de Seguridad Publica)を開催。治安組織の情報共有システムや各警察共通のキャリア制、麻薬小売り対策などの治安対策10指針を発表する。

1月 政府当局、アジトとして使用されていた首都のマンションを急襲して2億ドルに上る不正資産を押収し、麻薬組織側の1000人以上を殺害したと発表。

07年2月

2.06 アカプルコで武装集団が警察署2カ所を襲撃し、計7名を殺害。

2.09 連邦政府、ゲレロ州都チルパンシンゴ駐留のPFP部隊200名をアカプルコに派遣。

2.14 麻薬カルテルの抗争がインターネットに波及。麻薬と暴力を称える唄が流れ、一方が頭に銃弾を撃ち込まれた者のビデオを載せると、他方は首がほとんど胴体から離れている画像をロードするなどエスカレート。

2.18 連邦政府、治安関係者の殺害が頻発するヌエボ・レオン、タマウリーパス両州に、3千人の兵士が派遣される。1月からの死者はすでに200人を超える。

2.21 「エル・ウニベルサル」紙、FARC製造のコカインの55%がメキシコ麻薬組織に流れていると報道。

07年3月

3.15 連邦検察庁(PGR)の組織犯罪捜査専門次官室(SIEDO)、メキシコ市の高級住宅街で「ドラゴン作戦」を発動。現金約2億ドルあまりを押収。史上最高額となる。

3.17 SIEDO、メキシコ州トルーカ市にある製薬会社を家宅捜査。大量の覚せい剤を摘発する。この覚せい剤は、香港から米ロング・ ビーチを経由し、ミチョアカン州ラサロ・カルデナス港に陸揚げされた。

07年5月

5.09 アカプルコ付近の町で警官に変装した犯人によって地元警察幹部が射殺される。

5.11 ヌエボ・ラレドの教会前で、手錠をかけられたまま射殺された2人の遺体が、麻薬組織のメッセージとともに発見される。

5.13 ティファナ郊外で包装紙に包まれた男性の死体が見つかる。麻薬組織特有の拷問を受けていた。

5.14 麻薬取り締まりに関する情報機関長官がメキシコ市で移動中に待ち伏せされ射殺される。

5.16 ソノラ州で麻薬シンジケートと軍、警官隊が衝突、双方で22人が死亡。

5.21 数百人の警官が身辺保護の強化と手当の増額を求めてストライキ。

5.24 ソノラ州の新聞社が極度の治安悪化を理由に休刊。

07年6月

6.02 シナロア州で、麻薬取り締まりにあたっていた軍部隊が、民間車両に発砲し、5人が死亡する。

6.11 AFP、組織側の反撃による犠牲者が1382人に達したと報道。うち134人には拷問された形跡があり、警告のメッセージが遺体に残されるケースも多数あった。

6.16 AP通信によると、メキシコの麻薬組織全体の収入は、約240億ドルと推定され、同国の原油輸出高(05年は283億ドル)にも匹敵する。

6.16 革命民主党(PRD)など野党、「軍を投入しての作戦は逆に被害を拡大させる結果につながっている」と批判、軍の引き揚げを要求する。

6.25 連邦警察高官ら280人以上が組織犯罪との関与などを理由に解雇される。

07年7月

7.04 電話通信事業を運営するカルロス・スリム、ビル・ゲイツを抜いて世界一の富裕者となる。

7月 キルチネル大統領がメキシコを訪問。両国関係を強化していくことを確認。

07年8月

8.04 ルラ大統領、メキシコを訪問。「メルコスルにもっと目を向ける」よう要請。カルデロン大統領は、「メキシコは地理的には北米にあるが、ハートは中南米にある」と応じる。

07年12月

12月 利益の分配をめぐりシナロア・カルテルからフアレス・カルテルが分裂。シウダ・フアレスの争奪戦が開始される。

12月 民間部門経済研究センター(CEESP)、治安対策費が年間1200億ドルに達したと発表。米州開発銀行の試算では、治安悪化のコストはGDPの15%に達する。犯罪の99%が罰せられないまま。

2008年

08年1月

1.17 連邦警察の部隊が、ティフアナ市内の高級住宅地にある、ティフアナ・カルテル暗殺部隊のアジトを襲撃。3時間にわたる銃撃戦を展開。州・市警察官2人を含む犯人4人を逮捕する。アジトからは目や口をテープで塞がれた射殺死体6体を発見する。

1.21 ベルトラン・レイバ兄弟の次兄アルフレドと手下3人、クリアカン市内で国軍に逮捕される。エル・チャポが密告したと見たベルトラン・レイバ兄弟は、組織を離反。ガルフ、セタスと反シナロア同盟を結ぶ。

現地メディアは、メキシコ連邦当局筋の情報として、「2007年半ば頃に、長兄アルトゥロが組織の命令で対立組織の『湾岸カルテル』と抗争沈静化に向けて接触した際、同組織に対して秘密裡に支配地域の分配を持ちかけたことが分裂の発端」と報じており、ベルトラン・レイバ兄弟側の裏切り行為がそもそもの発端であった可能性もある。

1.25 シウダーフアレス南部のラ・クエスタ地区で当局の摘発作戦。アジトとなった民家の裏庭に埋められた36体の遺体を発見。

1月 セタスがメキシコ湾岸地域で活動を強化。モンテレイなどでシナロア・カルテルとの戦闘が激化する。

セタス(Zetaz) もとはガルフ・カルテルの組織内コマンド部隊として形成された。その後ガルフ・カルテルと衝突し分離。残虐で凶悪な手口で本家をしのぐ勢い。高速道路上に高給を謳うメンバー募集の垂れ幕を掲げるなどやりたい放題。

1月 ベルトラン・カルテルの分派ラ・バービー・グループ、アカプルコを拠点とし、モレロス州に進出。

08年3月

3.15 シウダーフアレスの民家裏庭で計33人の遺体が発見される。

3.28 軍2000人以上と約400人の捜査官がシウダ・ファレスに進駐、装甲車両など180台、航空機3機、多数の麻薬探知機を動員しパトロールを開始する。年初以来400人が殺害され、その多くが週末に集中。

3月 米国務省、海外渡航者向けの新たな危険情報を発令し、メキシコ北部への旅行者に警戒を呼び掛ける。北部のティファナやチワワ州、シウダッド・フアレスへの立ち入りを自粛するよう求める。

08年4月

4.17 メキシコ連邦治安当局、タマウリパス州レイノーサ市の警察署長をカルテルの構成員をかくまった容疑で逮捕。

4.26 ティファナ市東部の片道6車線の目抜き通りでカルテル同士の銃撃戦。シナロア・カルテルの襲撃を受けたアレヤーノ・フェリックス・カルテルのメンバー15人が死亡。ティフアナでの死者は年初より200人近くに達する。

4月 アレジャーノ・フェリックス一家の相次ぐ逮捕・殺害によりティフアナ・カルテルは四分五裂となる。資金の枯渇したギャングたちは誘拐・身代金ビジネスに転向。4か月で150件の誘拐事件(もちろん氷山の一角)を起こす。富裕層は国境を越えてサンディエゴに移住。

08年5月

5.08 エル・チャポの息子と甥など3人、クリアカンで暗殺される。

市内のショッピングセンター「シティクラブ」に3人が出かけた。駐車場には対戦車ロケット砲などで重武装したベルトラン・レイバ一派約40人が待ち構えていた。銃撃が始まり、たちまち3人は蜂の巣になった。

5.10 シウダーフアレス市警察No.2のフアン・アントニオ・ロマン・ガルシア作戦課長、帰宅途中に自動小銃で狙撃され死亡。今年になって警官の死亡は17人目。07年度の警官犠牲者は14人。

この年初め、カルテルは警察幹部22人の処刑者リストを明らかにした。このうちガルシアなど7人が殺害され、3人が負傷した。残り12人のうち11人がすでに辞職している。

5.11 ホアキン・グスマンのいとこのアルフォンソ・グティエレス・ロエラ、シナロア州都クリアカンで連邦政府警官との撃ち合いののち逮捕された。16丁の攻撃ライフル、3つの手榴弾、102の弾倉、3,543の弾薬が押収された。

5.18 シウダ・ファレスのギジェルモ・プリエト市警察本部長、自らの携帯電話や警察無線を通じて殺人予告を受けたことを明らかにして辞任する。後任にはロベルト・オルドゥナ・クルス陸軍退役少佐が任命された。

5.23 ドゥランゴ州内の高速道路沿いで、クーラーボックスに収められた男性4人の頭部が発見される。現場には、「チャポ・グスマンの側につく愚かな裏切り者はこうなる」とのメッセージが残される。

5.26 チワワ市内の3か所で州・市警察官21人の氏名が掲載された新たな処刑者リストが発見される。

5.27 シウダ・フアレスで、「シウダーフアレスの歴史上、最も血なまぐさい暴力的な週末になる」と警告する電子メールが住民の間で出回る。市民は外出を控え、店舗やバー、レストランは店を閉める。

5.27 軍・警察がクリアカン市内のシナロア・カルテルのアジトを襲撃。銃撃戦は4時間にわたり、連邦警察(PFP)の警察官計7人が死亡、4人が負傷する。

08年6月

6.01 カルデロン大統領、海軍記念日に演説。「政府の戦略は総合的かつ長期的で適切である」と述べる。

6.01 レフォルマ紙が世論調査。約53%が「麻薬組織が優勢」と回答し、「政府が勝利している」と回答した者は約24%にとどまる。

6.11 メディナ・モラ検事総長、「麻薬組織の暴力はまだピークに達しておらず、今後さらに激化する可能性がある」と述べる。さらに麻薬組織との戦いが数年に渡り長期化するとの見通しを明らかにする。

6.27 「エル・ウニベルサル」紙、今年上半期の全国の麻薬組織による殺人の被害者数は1,833人、昨年の年間被害者数約2,700人を上回るペースと発表。とくにティフアナ、クリアカン、シウダ・フアレスの北部三都市が危険とする。

08年8月

8.28 ユカタン半島の州都メリダ市郊外で12の首なし死体が発見される。遺体は25歳から35歳の男性で、手錠をかけられ暴行を受けていた。

8.30 メキシコ・シティーで暴力に反対する8万人のデモ。

08年9月

9.15 メキシコ中部高原のモレリア市で、ロス・セタス(湾岸カルテル)による手榴弾テロ。8人の死者と100人以上の負傷者を出す。ロス・セタスは麻薬業者に対抗するために訓練された軍のエリート・グループだったが、一部がガルフ・カルテルのために働くようになった。

9.16 首都近郊でギャングの衝突。24人が殺害される。

9.20 首都で重大犯罪に対する厳罰を求める数十万人のデモ。誘拐対策の強化、警察の腐敗、非合法組織とのつながりに対する取り締まりを要求。

08年度前半だけで誘拐事件は650人に達した。しかし人権団体は誘拐事件の3分の2は表面に出ておらず、この数字は事態の深刻さを過少評価しているとする。

9.30 ティフアナで18人の死体が発見される。死体は男性11人、女性1人で,手を縛られ猿ぐつわをされてビ ニールの袋を被されていた。また、そばには彼らのものらしい舌の入った袋が発見された。1月以来の麻薬関係の死者は3千人を超える。

08年10月

10.04 メキシコ州イスタパン・デ・ラ・サル市のベルガラ市長が殺害される。1ヶ月ほど前から「ラ・ファミリア」による脅迫を受けていた

10.04 ティファナとメキシコシティーで10人の死体が発見される。カルテル同士の抗争によるものとされる。

10.07 モンテレイ市トポ・チコ刑務所で暴動が発生。12日にはサカテカスのシエネギージャス刑務所、13日にはクリアカン刑務所で暴動が連続発生。クリアカンでは刑務所内の受刑者のグループ同士が共有スペースで銃撃、受刑者2名が死亡、7名が負傷。どのようにして受刑者が銃器を入手したのか捜査中。

10.20 レイノサ刑務所において刑務所内の覇権を巡り暴動が発生し、囚人21名が死亡(うち16名は焼死)した。

10.23 米国政府、コロラ ド・ゴンサレスSIEDO技術調整官の身柄引き渡しを要求。ゴンサレスは10年以上にわたりシナロア・カルテルに情報を流していた。

10.20 メキシコ市リンダ・ビスタ地区で、ヘスス・レイナルド・「エル・レイ」・サンバダを含む16名が逮捕される。ヘスス・レイナルドはイスマエルの弟でメキシコを中心とするブランチのボスだった。

10.24 モレロス州公共治安庁組織犯罪担当次官、メキシコシティー南方50キロの高速道路で待ち伏せ攻撃を受け、2名のボ ディーガードと共に射殺される。検察庁は犯人逮捕に向け37万ドルの懸賞金をかける。

クエルナバカでは、カルテルがネット上で、市民の行動を指示。「作戦実行中」のため、住民は金、土曜日の夜8時以降は外出しないよう、また関係者以外の人々が犠牲にならないよう、暗い色の衣服や車を使わないよう警告。学校や商店・公共施設は休業に追い込まれる。

10.24 米国との国境近くのノガレスでは、警察との銃撃戦で10名が死亡、ティファナの南、ロサリオでは射殺された9人を警察が発見した。

10.25 ティフアナで大規模な取り締まり作戦。銃撃戦の末、エドゥアルド・アレジャノ・フェリックスを逮捕する。逮捕の際、AK-47、手榴弾などが押収された。現金1万ドル余りも押収されたとされるが、ちょっと少額ではある。

アレジャノ・フェリックス(エル・ドクトル): ティフアナ・カルテルの首領。兄弟二人は逮捕され、一人は2002年に米国内の刑務所で死亡している。米国はフェリックスをコカインとマリファナの取引で告発。500万ドルの懸賞金を付けていた。

10.28 カルデロン大統領、SIEDO幹部から「浄化」を開始すると発表。

10.31 ガライPFP長官、麻薬取引関係者宅において金品を盗んだ容疑で逮捕される。

10月 ヌエボ・レオン州モンテレイで、米領事館に銃弾が 撃ち込まれる。

08年11月

11.07 軍が米国国境沿いのレイノサでセタスのアジトを襲撃。創設メンバーの一人ハイメ・ゴンサレスを逮捕。500丁以上の武器、50万発の銃弾、150個の手投げ弾、ロケット砲などが押収された。

11月 アレジャーノ・ フェリックスの逮捕後、甥のフェルナンド・サンチェス・アレジャーノが跡目を継ぐ。カルテルの幹部テオ ドーロ・ガルシア・シメンタルはこれに異を唱え脱退。シナロア・カルテルの支援を受け支配権争いを開始する。

08年12月

12.05 人気歌手セルヒオ・ゴメス、ミチョアカン州都モレリア近郊で死体となって発見される。麻薬を題材にしたバラード調の歌で有名だった。

12月 08年度の麻薬関連の暴力事件による死亡者は、確認されただけで6千人に達する。(1日当たり17人、したがって二ケタ以上の死亡者が出なければ報道されない)

 

2009年

09年1月

1.27 バハカリフォルニア州で逮捕されたサンティアゴ・メサ・ロペス、テオドロ・ガルシア(通称テオ)の指示を受け、これまでに約300人の遺体を薬液(苛性ソーダ)で処分したと自白。

09年2月

2.10 この日だけで35人以上が殺害された。チワワ州Villa Ahumadaでは9人を誘拐し立てこもった麻薬組織と軍の間で銃撃戦。人質6人をふくむ21人が死亡する。

2.15 南部タバスコ州都ビヤエルモサの近郊で、武装集団が3つの家を襲い子ども6人を含む12人を殺害。これまで南部では無差別集団殺害事件はなかった。

2.17 シウダ・ファレス警察の副署長ら3人が移動中に襲われ死亡。彼は対カルテル作戦の指揮者だった。カルテルは更なる殺害作戦の実行を宣言。

2.20 シウダ・ファレスの警察署長、カルテルの脅迫を受け辞任。

前年秋、レジェス市長は「市警の二割は麻薬組織に買収されている」と述べ、330人を解雇した。警察署長は汚職警官を一掃するため総数約1600人のうち半数を新規雇用に切り替えるなどの改革策を実行中だった。
内通者の排除を恐れたカルテルは「署長が辞任しなければ警官の殺害計画を進める」と脅迫した。

2.25 米司法当局、カリフォルニア州、ミネソタ州、メリーランド州で「エクセラレイター」摘発作戦。シナロア・カルテルの構成員ら755人を逮捕、現金の5900万ドル、麻薬23トン、飛行機、ボートなどを押収。

2.27 カルデロン大統領、麻薬カルテルの掃討を緊急課題と位置づけ、任期終了までに麻薬・暴力鎮圧目指すと声明。

09年3月

3.10 「フォーブス」誌、世界長者番付にシナロア・カルテルのホアキン・グスマンを掲載。コカイン密輸で資産10億ドルを稼ぎ、第701位に入った。グスマンは2001年に脱獄、メキシコで最重要指名手配犯とされ、500万ドルの懸賞金がかけられている。

3.10 カルデロン大統領、フォーブス誌の報道に対し、反メキシコのキャンペーンと思わせると批判。連邦検察庁は「グスマンを有名人のように扱い、犯罪を正当化している」と非難。

3月 シウダフアレスに市警1600人に加え、政府軍五千人と連邦警察二千人が展開。

市警は、それ自体がカルテルの手先であるかのように扱われた。
街の巡回は機関銃で武装する軍人が行う。市警のパトカーは軍や連邦警察に週三回の捜索を受け、交信もすべて軍に傍受される。市警警官は全員、12時間もの「信任テスト」でうそ発見器にかけられ、面談で600問の質問に答えなければならない。

3月 治安当局、第一四半期の殺人事件は前期に比べ26%減少したと発表。シウダ・フアレスでは39%減。

09年4月

4.03 連邦検察庁、メキシコ市内潜伏中のビセンテ・カリージョ・レイバを逮捕。

4.15 南部ゲレロ州の山間部で、パトロール中の軍部隊と武装グループの間で銃撃戦が発生。兵士1人を含む計16人が死亡。部隊はライフル銃19丁、手りゅう弾8発、短銃2丁、弾薬類と車両8台を押収した。

4月 オバマ米大統領、麻薬組織の問題は「メキシコだけの責任ではない」と述べ、米国からの武器流出の取り締まりを強化すると語る。

ブッシュが武器輸出制限を緩和してから、メキシコでは事実上無制限に武器が手に入るようになった。闇市場で50ドルで拳銃が買える。市民も武装し始めたといわれる。

09年5月

5.16 サカテカス州で警察の制服を着た20人の武装集団が刑務所に侵入し、拘束されていた麻薬密輸組織のメンバー53人を脱走させる。脱走に協力したとして、刑務所長や看守ら40人が拘束された。

5.21 メキシコの治安当局、ベルトラン・レイバの最高幹部ロドルフォ・ロペス・イバーラをヌエボレオン州の空港で逮捕。女性5人を含む手下12人、小型飛行機、車2台、大量の麻薬、現金、銃器、手りゅう弾なども押収した。

5.23 「ガルフ・カルテル」の最高幹部アルマンザ・モラレスがモンテレイで逮捕される。モラレスには100万ドルの身代金がかけられていた。

09年6月

6.30 治安当局(SSP:Secretaría de Seguridad Pública)、ラ・ファミリア・ミチョアカーナのミゲル・オルティス(通称タイソン)を逮捕。オルティスは05年にメキシコ国家保安隊(Policía Estatal Preventiva de México)を退職し、ラ・ファミリアに参加した。シタクアロの連邦警察部隊襲撃・殺害事件の主犯とされる。

ファミリアの最高幹部ナサリオ・モレノは福音派キリスト教徒で、メンバーに飲酒や麻薬を禁じる一方、貧困層に金を配るなど義賊を気取っていた。
しかしファミリアが優しい組織であったわけではない。その
縄張りであるミチョアカン州では、過去3年間の間に麻薬取引関連とみられる犯罪(殺人)が2万2千件以上報告されている。

09年7月

7.01 ミチョアカン州の州都モレリアで、州の治安当局副局長の車が武装集団に襲われ殺害される。また高速道路脇に警官12人の遺体を遺棄。

7.01 シウダ・フアレスで、武装集団が薬物リハビリテーションセンターを襲い、患者17人を射殺、6人を負傷させる。武装集団は患者を並ばせて銃を乱射し殺害したという。町の支配権をめぐるシナロア・カルテルとフアレス・カルテルの抗争。

7.04 議会・州知事選挙。景気後退のあおりを受けて与党PANが後退。PRIが躍進し第一党に返り咲く。PRDは低迷。アムロは指導部と対立して他党の支援をおこなう。

7.11 ファミリア・ミチョアカーナ、7月に入って10日あまりで、州内の連邦警官30人以上を殺害。

7.15 捜査当局、選挙立候補者のうち2人について、ファミリア・ミチョアカーナとの癒着の容疑で逮捕の方向を出す。

容疑を受けた議員: 手配されているのは、野党・革命民主党所属で当選した議員(州知事の義兄弟)と、環境保護政党から立候補し落選した政治家(ミチョアカン・カルテルの首領のいとこ)。両党は疑惑が明るみに出た後、2人との絶縁を宣言している。

7月 メキシコ人権委員会(CNDH)、今年前半期だけで1日平均54人の中米人が、米国を目指す途中にセタスなどに誘拐されていると発表。

7月 米司法当局、メキシコの麻薬組織の幹部10人に総額5000万ドルの懸賞金をかけた。

09年8月

8.09 ディマス・ディアス・ラモス、トラックのタイヤに麻薬を隠して国境を超えようとし、北西部クリアカンで逮捕される。ディアスはカルテル・デル・パシフィコのボスで、シナロア・カルテルの最高財務責任者。

8.11 メキシコ連邦警察、ディアスが大統領を殺す計画を企てていたと発表。暗殺計画の詳細については明らかにされず。

8.17 メキシコ空港と国境の税関職員千人以上が退職。腐敗した職員が麻薬犯罪に加担していた。

8.20 メキシコ政府、ヘロイン、マリファナ、コカインといった麻薬の少量所持を合法化。予算や要員を、組織的な薬物犯罪に振り向けたほうがよいとの判断から。

8.20 DEA、シカゴで巨大な麻薬グループ「フロレス」を壊滅に追い込む。フロレスは双子のメキシコ人兄弟マルガリト、ペドロが仕切っていた。毎月1.5ないし2トンのコカインを持ち込み数百万ドルを持ち出していた。商品の大部分はシナロア・カルテルから、時にベルトラン・レイバから買われた。

8.30 連邦当局、ベルトラン・レイバの幹部La Barbie(本名エドガー・バルデス・ビジャレアル)を逮捕。

8.31 シウダ・フアレスの月間死亡者が338人に達する。08年1月以来の通算死者は3千人を越す。

09年9月

9.01 GDPの8%後退、治安の危機、雇用不足にもかかわらず、カルデロン大統領は、60パーセント近い支持率を維持。

9.03 シウダフアレスの麻薬厚生施設2ヶ所が襲撃され、28人が射殺される。

10.18 麻薬組織、敵対する10人の首切り死体を遺棄。

10.23 米司法当局、コロナド計画の一環として全米19州でラ・ファミリア・カルテル(ミチョアカン)関連の一斉摘発を行う。2日間で303人を逮捕、麻薬数トンおよび銃器400点近くを押収。

09年11月

11.11 シウダフアレスの地元企業団体が、国連平和維持部隊の派遣を要請。殺人事件に加え、誘拐や脅迫も多発し、同地の企業約6000社が閉鎖に追い込まれた。40万人が市から出た。

11.16 ニカラグア当局、シナロア・カルテルの武器庫を摘発。AK─47型53丁、M─16 型自動小銃4丁、迫撃砲とロケット弾発射装置などを押収する。

11.18 メキシコシティーで犯罪件数が前年比24.5パーセント増加。被害者の88パーセントは、当局への不信から被害届を出していないといわれる。

09年12月

12.03 米財務省、メキシコの麻薬カルテルと関係ある密輸業者22人、関連会社10社の資産を凍結。

12月 アメリカ国境の町、シウダッド・フアレスが殺人事件の1/3を抱え、最悪の犯罪都市となる。09年の殺人事件は2660件、07年以降の死者は約5千人に達する。シウダ・フアレスは、治安維持のため2月以来8500人規模のメキシコ軍部隊が派遣されているが効果なし。

12.16 アルトゥーロをボスとするベルトラン・レイバ兄弟、クエルナバカで海軍部隊と銃撃戦を展開。全員が射殺される。跡目を狙い内部抗争が激化する。

12.17 警官ら6人の頭部が教会に遺棄されているのが発見される。

12.23 ベルトラン襲撃作戦に参加し死亡した海軍兵士の遺族が襲撃され、母親と妹など3人が死亡。

12月 麻薬関係の死者(発見された死体の数)は09年度7600人、08年度の6500人を上回る。カルデロン就任以来の累積死者数は2万人を超える。保安関係企業が急成長、年間40%の成長でGDPの1%を占める。

 

2010年

10年1月

1.13 バハ・カリフォルニアのボスで逃亡中だったテオドロ・ガルシア(通称エル・テオ)が逮捕される。テオは同じ地域のアレリャノ・フェリクス一派と抗争を続け、少なくとも数百人の殺害を指示。

1.20 北部ドゥランゴ刑務所でゴルフォとシナロアの受刑者同士が衝突し、少なくとも23人が死亡。刑務所は、受刑者1800人を抱え過剰収容状態だった。前年8月にも同様の暴動で20人が死亡している。

1.31 シウダフアレスで、高校生がパーティーをしていた民家に武装グループが車で乗りつけて銃を乱射し、13人が死亡、17人が負傷する。フアレス・カルテルの武装組織ロス・アステカスによる犯行。

1月 ヌエボレオン、タマウリパス両州でガルフ・カルテルとセタスの抗争が激化。シウダ・フアレスでは1か月で230人の死亡が確認される。

10年2月

2.04 シウダーフアレスの警察、郊外で首を切断された3人の遺体を発見。殺人容疑でシナロア・カルテルの10人を逮捕し、銃7丁や車両、弾丸2000発などを押収したと発表。

2.10 高校生集団殺害事件の葬儀にカルデロン大統領が出席。犯罪組織に原因があり、軍と警察の協力以外に対策がないと言明した。被害者の母親、企業家、人権活動家、宗教関係者などが対策の遅れを非難。

2.18 レイノサでジャーナリストが誘拐される。以後半月の間に8人のジャーナリストが誘拐され、1名が死体で発見、2名が解放され5名が消息不明。

10年3月

3.13 シウダ・フアレスで、米国領事館関係者3名が殺害される。米政府はメキシコ勤務職員の家族に帰国勧告。国際機関は、シウダッド・フアレスが世界で最も危険な都市の一つと指摘。

午後2時37分、米領事館勤務員の乗った白いホンダ車が銃撃され、夫が死亡、同乗していた4歳と7歳の子供が負傷。10分後に別の勤務員夫婦のトヨタ車が銃撃され死亡。後部席には生き残った赤ん坊が泣いていた。襲撃は同一犯と見られ、使用した車は炎上している状態で発見された。 

3.14 週末3日間の死者は全国で50人を数え、最悪の記録を更新する。アカプルコだけで27人。

3.18 国境地帯のヌエボレオン、タマウリパス両州で麻薬カルテル構成員と軍兵士の間で銃撃戦があいつぐ。レイノーサではカルテルが軍兵士の進入を阻むため、幹線道路に車、バス、トレーラーでバリケードを築く。

3.29 米司法省の国家麻薬情報センター、09年版の報告書を発表。密輸の麻薬量が増加、メキシコの麻薬カルテルの米国内での活動拡大に起因していると述べる。

報告の要旨: メキシコの国境を通じて流入するヘロイン、マリフアナ、覚せい剤に使われるメタンフェタミンなどの量は最高記録を更新しており、今後もこの傾向は続く。メキシコ内のヘロイン生産は07年の17トンが08年には38トンに激増した
ヘロインの純度が高まりながらも、末端価格が安くなっている。この結果、過剰吸引などが広がり、死亡者も増加している。
麻薬による経済コストは年間、推定約2150億ドル(約20兆円)に達し、米国民のほとんどがその脅威にさら られている

10年4月

4.09 北部のタマウリパス州ヌエボ・ラレードで、米国領事館に爆発物が投げ込まれる。米国はヌエボ・ラレードとピエドラス・ネグラスの領事館を当面閉鎖。

4.13 ホンジュラスの首都テグシガルパの街頭で、武装集団がライフルを乱射。男性7人、女性2人を殺害した。ホンジュラスの09年度麻薬関係の犠牲者は約1,600人に及んでいる。

4.15 エル・サルバドルのフネス大統領、「ロス・セタス」が国内暴力組織パンディジェーロスと結びつきを強めていると警告。パンディジェーロスはメキシコ国内でロス・セタスの軍事訓練を受けているとされる。

4.16 ドゥランゴ州で警察官5人と検察官1人が殺される。頭部が切り落とされ、教会の外にさらされていた。これを含め、週末の死者は60人を越える。

4.19 クエルナバカでカルテルがネットで武力攻撃を予告。金、土曜日の夜8時以降は外出しないよう警告。多くの店舗が閉鎖され、学校や公共施設は通常より早く授業や業務を終える。

4.20 シウダフアレスの警察責任者がカルテルに脅迫され辞職。10年当初からの警官死者は16人。

4.29 上院は、軍を脱走して麻薬取引業者や暴力組織に参加する者に対し、最高60年の刑を課する法案を通過させる。国防相は、「10万人以上の軍人が離脱しカルテルに参入している」と報告。

4月 報道によれば、セキュリティ関連企業は年間40%の成長、GDPの1%に到達する。企業経営者はボディガードや装甲した車を使っている。

10年5月

5.11 ILO、メキシコの児童労働の現状を非難。政府統計では、360万人の児童が農業、漁業、建設業などで働いているが、このうち110万人は5から13才の子供たちである。

5.17 ゲレロ州ラ・ウニオンでカルテルの襲撃を恐れた警察官が大量退職。州警察官20人が臨時に配置される。「辞めなければ殺す」といった脅迫を受けた警官の多くが辞任する事態が発生、地方の治安機能がマヒ状態に陥る。

5.17 麻薬カルテル、警察責任者が辞職しなければ48時間ごとに警察官を暗殺すると予告。副警察署長とそのガードマンを射殺。

5.20 フアレスのオルドナ警察署長が辞任を発表する。年初以降、フアレスでは警察官16人を含む280人が殺害されている。

5.26 カンクンの現職市長グレゴリオ・サンチェスが逮捕される。セタスと組んで麻薬取引に関係した容疑。

5.27 フアレスカルテルのために働く汚職警官の組織「ラ・リネア」のボスが、少なくとも1件の殺人の容疑で逮捕される。この組織は、首や遺体の切断など残虐な手口で知られている。

5.27 モンテレイでカルテル同士の銃撃戦。ベルトラン・レイバの首領ペドロ・ロベルト・ベラスケスが殺害される。同組織の指導権をめぐる内部抗争とされる。この後さらにベルトラン・レイバ兄弟の一人エクトルを押し立てたセルジオ・ビジャレアル・バラガンとラ・バービーが主導権を争う。

5.31 シウダフアレスの月間死亡者が過去最高の240人に達する。

10年6月

6.05 カンクンで6人の遺体が発見される。7日には郊外の洞窟から7人の遺体が発見される。いずれも心臓が切り取られ、腹部に「Z」(セタス)の文字が刻まれていた。

6.08 南部のゲレロ州タスコの廃坑の深さ100メートルの通風口の底で、これまでで最大規模の55人の遺体が確認される。遺体は1〜6か月前に投げ込まれた可能性が高いとされる。

ゲレロ州ではベルトラン・レイバ・カルテルとそれから分裂したラ・バービーが縄張り争いを繰り返しており、どちらかのグループによるものとみられる。一部はミイラ化したり骨格だけになっており、長期間死体捨て場として使われた可能性がある。

6.10 連邦軍、モンテレイのセタス拠点を襲撃。銃撃戦の末、北部セタスの首領エクトル・ラウル・ルナルナ(akaエル・トリ)を逮捕する。

6.11 前夜からチワワなど北部各地でフアレス系武装集団がシナロア系を襲撃。確認された死者は39人。 

6.11 湾岸地方のタマウリパス州マデロで衝突。20人の遺体が確認される。セタスとガルフ・カルテルの抗争とみられる。

6.14 シナロア州マサトラン刑務所で、シナロア構成員がセタス服役者を襲撃。29人が殺害される。巻き添えで刑務所職員13名も死亡。マサトラン刑務所の収監者数は6000人に達し、収容能力の限界を超えていた。

6.14 ラ・ファミリアの拠点ミチョアカン州シタクアロで警官隊のバスが待ち伏せされ、12人が死亡、13人が負傷する。武装集団は死亡した仲間の遺体や負傷者を現場から運び去った。

6.14 チワワ市街で密売人との銃撃戦。警察官3人が死亡

6.17 シタクアロ襲撃事件の犯人が逮捕される。自供によれば当地を支配するラ・ファミリアのボスが犯行を指示した。警察はボス二人に230万ドルの賞金をつけ指名手配する。

6.28 タマウリパス州知事候補のロドルフォ・トレ(PRI) と四名のボディーガードを乗せた2台の自動車が武装組織に襲撃され、全員が射殺された。

10年7月

7.01 ソノラ州でシナロア・カルテルとベルトラン・レイバの抗争が激化。21人が死亡。アリゾナ国境のノガレスでは過去6ヶ月で131人が死亡。

7.04 14州で地方選挙。PRIが前進。

7.06 タマウリパス州知事のボディーガードがカルテルのメンバーであることが判明し逮捕される。新聞社が過去の写真から気がついて発覚した。

7.08 エクトル・ラウル・ルナ・ルナの弟でセタスの幹部エステバン・ルナ・ルナが逮捕される。

7.12 レイノサで警官とカルテルが銃撃戦。3人のカルテル・メンバーが射殺される。

7.12 タマウリパス州ラス・ジェスカスで、車道沿いに放置された男11人女1人の遺体が発見される。いずれも拷問のあと後頭部を撃たれて処刑された。セタスが犯行を宣言。

7.13 モレロス州クエルナバカでラ・バービーのメンバー3人が高速道路の橋げたに吊り下げられる。モレロス州ではラ・バービーとベルトラン・カルテルが抗争を繰り返し,今年に入ってすでに120人が死亡している。

7.15 チワワ州フアレスの繁華街で自動車爆弾が爆発。警察官ら3名が死亡,民間人を含む16名が負傷する。

麻薬カルテルによる車爆弾の使用は初めて。幹部が逮捕されたことへの報復攻撃と見られる。携帯電話を使った遠隔操作によるもので、警官が車から出て爆弾車に近いところに居ることを確認した上での犯行。 

7.16 モンテレー郊外のゴミ捨て場で51人の死体が発見される。

7.18 コアウィラ州トレオンでセタスのパーティー会場がAK47で武装したガルフの集団に襲撃され17人が死亡する。ドゥランゴ州ゴメス・パラシオ刑務所収監者20人による犯行。収監者はその後刑務所に戻る。現場で発見された弾丸が同刑務所の看守の銃4丁と一致した。

7.23 モンテレイ郊外の住宅地で51人の他殺体が見つかる。

7.25 ヌエボレオン州の廃棄物処理場で、少なくとも51遺体を確認した。地面には、遺体を焼 いた跡と思われる焼け焦げや骨の断片が残されていた。

7.26 ドゥランゴ刑務所長が、受刑者数人に武器を提供した上で夜間外出させ、2月以降に35人を殺害させていたことが発覚。検察発表によると刑務所長は受刑者が夜間外出することを許可。移動用の公用車と、看守の所有する武器を貸し与えた。

7.28 メキシコ連邦警察、フアレス・カルテルの殺し屋部隊「ラ・リネア」のロヘリオ・セゴビア・エルナンデス隊長を逮捕する。

7.29 シナロアのナンバー3で、覚せい剤製造密売の元締めイグナシオ・コロネルが軍と交戦の末射殺される。

10年8月

8.09 連邦警察300人が出動し、シウダ・フアレス地元警察の幹部を一斉逮捕。警官の給与は月307ドルが平均、これに対しカルテルが年に9,800万ドルの賄賂を出している。

8.18 モンテレイ近郊サンティアゴ市(人口3万5千)のカバソス市長、ギャングに誘拐・殺害される。昨年から10数人の市警官が殺害され、あるいは行方不明になっている。カバソスは組織犯罪に対する徹底的な取り締まりで知られていた。殺害された自治体の首長は今年5人目。

8.23 国境から160km、タマウリパス州マタモロス近郊のサンフェルナンド農場で大虐殺。米国への密入国に際し麻薬組織への支払いを拒否したためと見られる。唯一逃れたエクアドル人農民が軍に通報。

8.25 海軍部隊が航空機の支援を受けてサンフェルナンド農場への攻撃を展開。ライフル21丁、銃弾約6600発、トラック4台を押収した。廃屋に女性14人を含む少なくとも72人の他殺体を発見。ほとんどが縛られ拷問を受けていた。麻薬組織による大量殺人遺棄の最悪の記録となった。

8.28 集団虐殺犠牲者を収容したレイノサの検視施設に爆弾攻撃。15名が負傷する。

8.29 タマウリパス州イダルゴの市長がセタスの襲撃を受け死亡。同乗の4歳の娘も負傷する。

8.30 メキシコ政府は国家警察の10%に当る3200人を解雇すると公表。うち450人が刑事告発される。

8.31 ラ・バービーことエドガー・バルデス・ビジャレアルが逮捕される。12時間の銃撃戦の末逃げようとした麻薬メンバー6人と政府側兵士1名が死亡。

10年9月

9.09 シウダ・フアレスでラ・リネアがシナロア・カルテルに属する4家族25人を全員虐殺。フアレス市ではすでに今年に入って2100人が殺害されている。

9.10 レイノサの刑務所から85人の受刑者が一斉に脱獄。44人の職員が脱走を補助した疑いで捜査中。タマウリパス州での脱獄者は2010年だけで約200人。

9.13 セルヒオ・ヴィジャレアル・バラガンがプエブラ州の隠れ家を海兵隊部隊に襲われ逮捕される。ヴィジャレアルはベルトラン・レイバの最高幹部で、賞金2億円がかけられていた。

9.27 ミチョアカン州タンシタロの町長グスタボ・サンチェスがカルテルにより暗殺される。サンチェスは汚職警官60人を解雇しており恨みを買っていた。地方自治体の市長、町長が殺されたのはこの年だけで11人目となる。

9.28 チワワ州警察の武器庫をギャング数人が襲撃。武器70丁を強奪する。犯人は誰一人傷つけることなく逃走。

 

2011年

 2011年 メキシコ州知事選でPRIに対抗してPANとPRDが協力。AMLOは「もう座視していることはできない」とかたる。

 

2012年

5月 教育労働者全国協議会(CNTE)、教育制度改革法案に反対して、憲法広場(ソカロ)にテントを張り座り込み開始。拠点となるミチョアカン、オアハカ、メキシコシティー(DF)で戦術を強化する。

7月1日 大統領選挙。PRIのペニャ・ニエトが38.21%を獲得し勝利。2位にはアムロが31.61%で入る。

8月21日 CNTE、議会を「人の鎖」で包囲しピケットを張る。ソカロには2万人が結集。

8月28日 オソリオ教育相、「教育改革はなんぴとも押しとどめることはできない。対話が有効でない場合は、法でもって対処する」と語る。

9月9日 アムロが10万人集会を開き、PRDからの離党を宣言。

9月10日 教育改革法が成立。教育労働者全国協議会 (CNTE)は全国での抗議ストライ キ、デモ行進を指令した。各地でハイウエイを封鎖。

12月1日 エンリケ・ペニャ・ニエトが大統領に就任。12年ぶりにPRI政権が復活。ペニャ・ニエトはPAN、PRDとのあいだに「メキシコの協定」を締結。改革推進で合意。

 

 2013年

8月31日 PRD、メキシコ電力労働組合(SME)、CNTE など独立系労働組合を中心にして数万人が、メキシコ石油公社(PEMEX)への外国資本の導入に反対する抗議デモ。

9月8日 全国再生運動(MORENA)のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラド ルの呼びかけで石油民営化反対のデモ。

9月1日 「わたしは132番目」(#Yo Soy 132)による構造改革反対の抗議行動。CNTEの労働者数千人も合流、大統領官邸へデモ。被逮捕者22人、報道関係も3人逮捕された。

9月1日 「教員職務基本法」(LGSPD)が採決された。PRDは「メキシコの合意」に拘束されるのか、離脱するのかで動揺し、一部は賛成に回る。

2014年 

3月 「国民刷新運動」(MORENAが発足。20州以上の州にまたがる計23万人以上の党員を持つという条件が満たされた。

8月 ゲレロ州での学生襲撃事件。PRDの地方政府関係者が関与したことが明らかになる。

11月 PRD創設者のカルデナス元党首、現党首ら執行部に辞任を求めるが拒否され離党。

2015年

6月 中間選挙。PRDは議席を半減,選挙協力した労働党は得票数を満たせず登録抹消。いっぽう、アムロの率いるモレーナが35議席を獲得。

2018年

2月 各党の大統領選候補者が出揃う。PRIは緑の党、新同盟党と連立。ミード前大蔵大臣を選出。PANはPRD、市民運動と連立。アナヤ前PAN党首を選出。モレーナは労働党、社会結集党(PES)と連立。アムロを選出する。