変換の可能性について。
年末ほとんど初めてまともにnhk紅白歌合戦を通して観た。こうやってすべて観てみるといろいろと気付いて面白かった。ここではアイドルと演歌歌手の伴奏について書こうと思う。出ていた浜崎あゆみでもモーニング娘。でもケミストリーでもいいわけだけれど、彼等は自分の歌のオケに独自の音源を確保している。浜崎はゴージャスに大人数の弦楽セットと自分のバックバンドを用意していたし、ケミストリーと娘。はおそらくカラオケだった。これに対してサブちゃんなどの往年の演歌歌手はnhkのオーケストラに演奏をしてもらっていた。このことは現在だとなかなかめずらしいもしくは懐かしい光景なんだろう。
オーケストラの存在は昔の音楽番組だと自然なものだったわけで、80年代人気があった若者向けのザ・ベストテンという歌番組では松田聖子や田原俊彦なんかのアイドルの多くも演歌歌手と同様にオーケストラ(もしくはそこに含まれる軽音楽スタイルのセット)をバックに歌っていた。そこに新しい流れとしてロックバンドなんかが自分で演奏して歌うという形を取っていた。それが現在、唯一の存在の歌う主役と取替えのきく演奏する脇役という分業制が崩れてしまっている。これは鳴っている音にも当てはまり、代替される緩やかな複製される音から唯一性を求められる全的に複製される音への移行でもある。これは音楽産業での制作と販売の形態に大きな変化があったことを示している。興行のスタイル、効率化、新たなテクノロジー、音楽受容者の趣味の多様化、等の因子が具体的に大きく変化したことの理由でもある。
僕が興味深かったのは、鳴る音が舞台ごとに違うということで、これは昔なら当たり前のことだったのだろう。たとえばnhkの懐メロ番組でも、この前あったブライアン・ウィルソンのpet soundツアーでもいいわけだけれど、全く同じ音として演奏することはしない、できない。つまり編曲を変えて複製を行っている。けれども現在の音楽番組で鳴っている若者の音が、懐メロとして20年経って再演される時は、どのようになされるのだろう。同じカラオケを使うのだろうか。それともアレンジしなおしスタジオミュージシャンによって代替的に複製されるのだろうか。まあおそらく編曲をしなおして再演されるのだろう。けれどヒップ・ポップなどはどうなんだろう。音響派は?つまり何がオリジナルか?もしくは用いられた音源は?ということでもある。歌がオリジナルだと考えられている音楽については装飾する伴奏の音が変化しようが、歌声が変化していなければ複製できると考えるけれど、音そのものがオリジナルだと考えるならば、音そのものを複製しなければならない。また楽器ならばまだしも代替する音源を持つ楽器を用意すればいいけれど、楽器音を要素としたコンテクストレベルの音としてのサンプル、もしくは音そのものをエディットした周波数音としか定義できない微細な音を、再現・複製するには、カラオケにするか別の方法論を持ちこむしかない。
逆にとてもひかれるのは、かの楽譜による制作とその再現もしくは再解釈という在り方。場によって鳴る音が変わるという魅力はどうだろうと思う。クラシックのような解釈というよりもより大きな変更を意味する編曲・アレンジの存在が経済的時間的な制約によって日々練りなおされていた。これは演劇やジャズの演奏と同じくクラシックの演奏などよりもっと価値ないものとして記憶にさえ残らない忘れ去るものなんだろうけれど、これでなくてはダメという厳密さとは違い、おおらかさ、幅、遊び、揺れがここにはある。ここにも音楽の本質はあるのだと思う。
受容
- 音 [ i nt erst i ces ] therre thaemiltz
- テレビ [ nhk紅白歌合戦 ]