吉崎章人の[ guitar solo 'a' ]という曲のmp3ファイルをgule diskにて聴ける。この曲を聴いたとき、楽器演奏でありながら、受容者に既存の演奏とは違う印象を与えることができている音楽群を想起させられた。それらには、たとえばgastr del solの[ crookt crackt or fly ]やjean-luc guionnetなどを挙げることができるだろうか。僕がそれらを括る共通性とは、要素が明らかに既存の音楽物語の組織化を採っているにも関わらず、総体として既存のそれらの形式とは相対的に異質な物語あるいは響きを持っている、ということになる。コードやメロディを弾く、リズムをとる、というような基本的な形式から、それらを組み合わせることでできあがるある時代時期に特徴的なパターンの断片、もしくは曲全体を通しているパターンなどをこれらは明らかに持っている。けれど、それはそのまま用いられてはいない。かといってderek baileyのような微分化でもなく、音そのものを聴かせようとすることで音数とリズムから離れていこうとするある種のインプロヴィゼーションと言われるものとも違う。
ところで以上のように書いたことは、僕がいかにポップ・ミュージックという前提で音楽を聴いているのかだとか、ジャンルによって音楽を聴いていることを意味するのであって、領域を音楽全体としてみれば彼らの音はすんなりと理解できると思う。彼らはただ単純にそうした形式、ジャンル指向を前提に音を作っていない(もしくはそれほど重要に考えない)のであろうし、またポップ・ミュージックを離れた西洋クラシックや数々の民族音楽に当然属しもしない。そうした視点もしくは視点をも関係ないところで、彼らの音を新しいだとか新鮮という意味以外のものとして受け入れることができるはずだ。
受容
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