発音装置としての楽器

文節システムとしての楽器

音の発生の機構は、大概の場合吐く、弾く、叩くという三つのどれかがアコースティック楽器の特徴を説明する。楽器の持つ文節の形式を管楽器を例にして考えてみよう。音の発生は息を管に吹き込むことでなされ、音の高低の変化は息を吹き続けている間に管に開けられている幾つかの穴を指で開閉することでなす。音の高低はつまりその穴の開閉の組み合わせにより決定された離散的なものであるといえる(穴の開閉を半分にしたり三分の一にしたりと微妙な変化を付けることが熟練者には可能で、そのことにより組み合わせは膨大になる)。音の長短はどれだけ息を吹き続けるかに依存し、短く切ることも息の続く限りで長く吹くことも可能だ。音の大小は息の吐く強さに依存し、勢いよく吹けば大きな音が出、弱く吹くと小さな音がでる。音の大きさと音の激しさ(アタック、強勢)は強く関係しているといえる。音色の変化は様々な工夫がなされてきた。一つの楽器でもって表現の様々な可能性を開くことができるからである。それは奏法の変化によるもの、もしくは発音状況そのものを変化させる方法として開発されてきた。吹かれた最後の音を決定する指とその隣の指を交互に開閉することによるトレモロ奏法、吐く息を発音を短く切り破裂させるスタッカート奏法、などが前者であり、トランペットの先にふたをするミュート、ドラムの皮の張り具合を変化させる、ドラムのスティックを違う材質にするなどが後者である。

道具としての楽器のデジタル的もしくはアナログ的側面

このように細かな説明をしてきたが、これは楽器の機構についての具体的なイメージを得る準備が必要であったからである。音が物理的な接触によって可能であるという説明からすると、一つの接触には一つの音が対応する。楽器とはその音の接触を安定した形式として与えたものであると考えることができる。つまり形式を与えることで一定に物理的接触の可能性の縮減を行うわけである。音色のバリエーションは個々の楽器に存在しつつもそれは付加的である。バリエーションをその楽器の本質の音色にしようと考えるなら、それに関わる人間を訓練しそのようにしか演奏してはならないと規則化するか、もしくは楽器の形をそれに見合ったものに変化させる必要がある。楽器は音楽という制作に従属する離散的な存在である。バイオリンなど音の高低の変化が形式として与えられていないものの存在をどう考えるか。発音の可能性は作られる音楽と相互作用により可能となる。バイオリンの音程が無限の点を持っているとしても西洋音楽の体系に慣らされた我々の耳はそれを明確に聞き取り音を出してみることを放棄している。弦楽器を用いる共同体は数多く存在するが、結局数限られた有限の発音数で音楽を組み立てている。それは人間の指が有限のつまり物理的な大きさを持ち、たとえ弦が無限の音の幅を持っているとしても、それを制御することの非効率が無限を排除したことと関係すると考えられる。これは楽器の音量の調節にもいえる。それらは分節された離散的なものではないにも関わらず、離散的なものとしてしか扱い得ない。このような連続性の持つ無限の発音の可能性はアコースティックな楽器にはどのようにもある。我々はそれをシミュレートすることで認識するのである。