制作論

制作の定義

何事かを作り上げる行為を制作と呼ぶことにする。制作を構成する基本的な方法は三つ、把捉、確保と組立である。制作を始める場合、意図が必要となる。この意図により制作の筋道を何らかに決定する。この意図こそイメージである。イメージに従って、ここに述べた確保と組立が複雑な循環した在り方でなされる。確保はイメージに従って組立に必要な材料として事物を準備する。組立は用意された材料を用いイメージに従った事物の形成を行う。

誘発

制作は制作の意図から誘発される。この意図が存在することで、何かした当人が持っている制作の領域への関心・方法によって、制作のための材料を獲得しようと待機することになる。制作の材料は、制作者が制作に利用できると考えたところから選択されるが、それは事後的に確認できるようなもので、想起されるものといえるかもしれない。想起のプロセスとは、ある事物が何らかに過去の制作のパターンを想起させるもの出会ったこと、事物が別の諸事物と接触することで新たなパターンが生じる予感を想起させることなどをあげることが出来る。制作の履歴は制作者にとり微細な差異化の軌跡を描くことになる。新たな制作とは過去の制作の複製である。それはしかし微細なずれを伴った複製である。

把捉

「把捉 - 確保 - 組立」というこの制作の過程は循環的なものである。というのも「把捉」とは既にこの一連の過程が含まれたものだからである。「把捉」とは目的の制作を完成させることなく知ることであるが、その最も典型的なものであり、最基底にあるのが、イメージによる事物の組立である。把捉するには、何らかの代理的組立が必要であり、それに用いられる典型的な材料がイメージだということである。

確保

確保には三つの仕方がある。奪取、生産、複製である。奪取は望みの材料として叶う事物を、それが属しているコンテクストから略奪することを意味する。当然のことながら当のコンテクストは事物が属していた部分に空隙が生じる。そのことによりコンテクスト自体破壊される可能性が生じる。生産とは組立そのものである。存在しないものを存在せしめる。それを要素単位に遡って、もしくはある事物を変形・加工させることでなす。複製とは奪略でない仕方で存在する事物を確保する。目的の事物と何らかに同一性を持つ事物を形成することで確保をなす。それには二つの方法がある。複製技術を用いたものと組立によるものである。生産と複製は既に組立と複製について独自に論じた。

組立

組立については別に論じた。

複製と制作

制作という行為を具体的なレベルで考察してこなかったは、複製という行為が制作に取りどういった重要性を持つのかきちんと考察してこなかったからである。私は制作にとり複製は組立と同様根本的な原理であると、ただそう勝手に見なしてきたのかもしれない。しかし考え直してみると複製とは確かに制作にとり重要であるが、それは二次的に過ぎないのではないかと疑問に思っている。制作に見られる段階とは確保、加工、組立であるととりあえずいえる。その中で複製が関わるのは確保の段階である。そこで「確保」という過程を考察してみる。組立にあたり必要な材料を準備すること、これが確保である。確保には、奪取、生産、複製による確保が考えられる。音楽制作におけるサンプリングとは、いわば複製による材料の確保である。ただしサンプリングは単純に複製とはいえない。レコードからのサンプルとは、レコードからサンプリングされることにより雑音を含む劣化した音の状態を欲する。その意味ではこの確保は、三つのどれにも当てはまらないといえるかもしれない。というのもこれは確保することにより材料の意味は変化を被るのであり、その変化そのものまでサンプルする者は望むからである。だがこのことは単にサンプリングという確保だけに見られることではない。コンテクストから切り放した性質を前提にしてある事物は確保される。その性質とは、確保する際のある事物と確保の仕方の組み合わせの形式的制約に依存することになる。つまり確保はやはり先の三つ、奪取、生産、複製でよい。要はこれらは確保することで確保する事物の性質を変化させるが、その変化を前提とした事物を標的とするということである。複製は制作にとり、確保という基本原理の従属した方法であるという意味で二次的であるかもしれない。だがこれとは別に検討する必要のあるのは、複製が制作の連鎖、人間の制作の営みという長い時間的視点からすると別の意味を担うのではないか、という疑問である。つまり複製とは制作の従属的な概念であるかもしれないが、制作すること自体の目的として複製は位置するといえるかもしれないということである。確保における複製以外の方法、奪取と生産を見る。奪取は望みの材料として叶う事物を、それが属しているコンテクストから略奪することを意味する。当然のことながら当のコンテクストは事物が属していた部分に空隙が生じる。そのことによりコンテクスト自体破壊される可能性が生じる。生産とは組立そのものである。存在しないものを存在せしめる。それを要素単位に遡って、もしくはある事物を変形・加工させることでなす。複製とは奪略でない仕方で存在する事物を確保する。それには二つの方法がある。複製技術を用いたものと組立によるものである。確保における生産と複製の違いは、以前に存在しないものを生産するか、生産するものを生産するかであるといえる。ただし事情は単純ではない。複製において生じる事物とは、複製の対象である事物とある精度での同型性を有しているが、それは複製対象とは違うものになっている。生産においても、完全な無から存在を生じさせるというのではなく、イメージ上の組立により前提されたものである。つまり生産とは範疇の移行化である。この移行化を複製と呼ぶことはしないものの、何らかに複製と関わることになる。