複製技術論

複製技術の本質

端的には模造を作る技術であるが、ある目的の事物の形態を別の事物に定着させること、これを複製ととりあえず呼ぶことにする。形態を全的に定着させることは、そのまま別の事物ではなく目的の事物そのものになるということを意味するが、そうした定着の類似度の問題をここでは論じることはしない。複製技術とは複製を行うために必要な方法である。しかしここでは複製技術を、対象を構成する関係性を別の事物に「自動的直接的に」写し取ることで、模造を形成する技術であるとする。現実の生活において我々が複製をなすには二つの方法が考えられるが、そのひとつがこの複製技術を用いた複製である。ある事物の関係性とは事物の何らかの形態のことであるが、それは写し取りに用いられる事物の形式に規定されたものである。これはいいかえるならある事物のどの性質の形態を写し取るかにより、写し取りに用いられる事物が選択されることを意味する。「直接的自動的に」とはそもそも写し取りの性質であり、下で述べる。

写し取り

写し取りとはある先行する事物の形態と別の事物が接触することで、先行する事物の形態に応じたものとして、別の事物の形態が変化し形成されることをいう。写し取りに用いられる事物は、先行する事物の形態を定着させることが出来る柔軟性を持つ。またこの柔軟性とは、先行する事物のどの性質の形態を写し取るかについてのものである。写し取りとは複製を意味しない。この接触により二つの事物の間には直接的な対応性が生じる。直接的な対応性とは二つの事物が同型性を持つことを意味しない。複製とはいわばこの同型性を二つの事物に付けることであるといえるが、写し取りはそれを持たないのである。写し取りの最も知られているものは型取りであるが、これは多くの複製技術のモデルと見なすことが出来る。先程の「自動的直接的」とはそもそも写し取りの性質である。二つの事物が接触するそのことにより写し取りが為されるが、接触とは直接的であり、また形態の形成は、接触という運動の即時的な状態が直接的に影響するという意味で、ある事物とそれを写し取る柔軟性を持つ別の事物が接触するに応じて、自動的に写し取りが遂行される。

複製の機構

写し取りは複製そのものではないが、複製技術にとり本質的な方法である。複製技術において写し取りは二つの意味の違うものとして連続的に併用される。いいかえると二つの写し取りの工程が複製技術の機構を構成する。先行する写し取りを「取り込み」、その後の写し取りを「復元」と呼ぶことにする。複製する先行する事物を複製対象と呼ぶことにするが、取り込みという写し取りが行うのは、任意の複製対象の形態の定着による保存である。この保存に用いられる事物を複製媒体とする。複製媒体から模造を形成する写し取りが「復元」である。この二つの写し取りの為していることは同じことである。それにも関わらず違う質の仕事をしているように見えるのは、上でいったように写し取りの意味が違っているからである。複製技術は取り込みと復元の機構からなるシステムとして見なすことも出来るが、そのシステムは主観的なものと関係する。というのも複製は我々人間にとり意味があるものであり、ある事物の形態が複製対象にとり複製であるか、単なる写し取りであるかという問題は、写し取られた形態を判断する我々にとってのみ重要なものであって、写し取られたものが複製であるかは当の事物には関係がない。取り込みと復元の工程を経て複製が形成されるが、この一連の工程を形成工程と呼ぶことにする。また復元の工程を自律させ反復的に稼働させることで、複製を量産させることが出来るが、この反復の工程を量産工程と呼ぶことにする。複製技術とは先行する複製対象の模造を形成する工程と、それを量産する工程からなるといえる。

取り込み

「取り込み」により対象は関係性を保持したまま別の形態に写し取られるが、それは対象の規定を意味する。対象の関係性とは対象の固定性のことを指し、これは複製技術の形式によって規定されるものであるとしたが、たとえば鋳造においてはそれに用いられる複製媒体は、石膏などの凝固性を持つ物質であり、この媒体が規定する対象の固定性とは対象の表面の三次元的形態であり、色やその硬さは固定性ではない(鋳型をつくれる程度の硬さならば硬さの程度は問われない)。また写真において固定性とは撮影を可能にする照明を前提とした瞬間における被写体の光線の分布である。固定性に沿って自動的直接的に対象を写し取るとは、複製技術の形式によって規定された対象の関係性を形成することである。鋳造においてある事物が液状の石膏に浸され、石膏が凝固し事物が取り除かれた後には、事物の占めていた空間にはその形態に応じた隙間が生じる。この隙間は対象の固定的な形態の反転した形、つまり鋳型である。写真において光の陰影の分布がレンズを通して、暗闇の箱の中の感光紙に陰影の反転したものとして定着するが、これが対象の関係性を規定しつつ型どったものである。この取り込まれた形態を対象の代理である表示物と呼ぶことにする。この複製媒体を表示物というのは、これを直接的に参照、もしくは走査することで複製対象の形態を表現しているからである。また取り込みという言葉で意味されるのは、この対象の代理である表示物は対象を完全に代理しているわけではなく、部分的な選択が施されたものであるということである。取り込みの機能は任意に選択された対象の表示物を形成することである。そして形成された表示物を用いて対象の複製を行うのは復元(生産)の工程である。

復元

復元では対象の関係性を表示物として別の事物で保持させたものを、再び対象が持つ仕方に復帰させる。しかしそれは我々が理解する仕方に、である。対象の関係性は複製技術の形式に制約されて取り込まれており、その関係性を復帰させたものはもはや元の対象ではなく、対象の部分的関係性を持つ新たな対象である。我々にとり部分的ながら、その模造が先行する複製対象の最も類似度の高い写しである、とその技術の形式内で認めることができる事物に仕上げる。復元と呼ぶのはそうした意味においてである。写し取りは先行対象の形態を直接的な対応性でもって別の事物に定着させるのであり、先行対象の形態を別の形態としてしか写し取ることは出来ない。写し取りが別の形態で為されるとは、先行対象の形態がある変換を施すことで定着されているということである。つまり取り込みが複製対象を写し取った際、複製媒体に定着した形態は複製対象とは同型性を持たない。そこに存在するのは変換によりはじめて同型性を獲得できるような直接的な対応性である。ただし我々はそれは同一のものであると指摘することがままある。それは言葉を厳密に使用していないだけではなく、我々自身がそうした変換を意識上において簡便に為しているからである。この変換が単純なものであることで、我々は容易に両者が同型性を持つといってしまう。この復元という工程は、取り込まれた表示物に変換を加えることで複製対象と同型性を持つ事物を形成する。しかし繰り返し言うならば、対象の関係性は複製技術の形式に制約されて取り込まれており、その関係性を復帰させたものはもはや元の全的な対象ではなく、対象の部分的同型性を持つ新たな事物である。その意味ではこの工程は復元的生成とでもいうことになる。

量産

取り込みにより形成された表示物を利用することで、復元では複製物を完成させる。この一連の工程が複製の形成工程であるとしたが、復元の工程を単独で反復的に稼働させることで複製物を量産することが可能になる。これにより複製対象からの諸複製物間の類似性をある精度で獲得することが可能になる。量産の工程が結局は形成工程の一工程に過ぎずその反復的利用であるというのは、この一工程が単なる写し取りによる事物の形態の直接的対応性の形成でしかないということである。量産が意味を持つのは、複製という視点により獲得された、連続した写し取りという複製の形成を前提にしてのことである。また一つの事物から複製の量産を生産する場合、このように復元の工程のみを用いることでなしに、取り込みからつまり形成工程の最初から行うことででも可能である。しかし実際ではそれをほとんど行うことがないのは、写し取ったものを写し取るというような写し取りの連続は、先行対象の形態を微妙に変化させていくことになるからである。一回の写し取りで済むことであれば、その形態は変換に生じる恣意性を出来る限り縮減することが出来る。

複製技術への形式化

直線を定規で引くことを考えてみる。定規と筆記用具は互いに接触し静止するような相対的な硬さを持っている。接地している場が平面であり筆記用具が痕跡を残し得るような材質であれば、定規という固定的性質に沿って、筆記用具を持つ手が自動的に走査を行うことで直線が生産され、その動作を繰り返すことで直線が量産されていく。つまり定規とは複製技術である。直線とは複製物であるが、するとその複製対象とは何であるのか?と考えるならば、直線そのものであるという結論が浮かぶことになる。私は前に複製技術による複製は複製対象を規定することで可能になるとしたが、この定規に関してはそれが当てはまらないようにみえる。というのも直線は複製対象であり、加えて複製であるのだから。しかし実は直線は複製対象ではなく、複製物である。定規とは直線という複製物を量産するために形成された複製技術である。直線という複製のみを複製する量産の技術が定規であり、それは復元の機構のみを技術として形式化している。そこには取り込みの機構は排除され、いいかえると複製対象が必要でなくなっている。これは複製対象という任意の存在を柔軟に選択する必要がないことを意味する。すると定規の複製対象とは何か?という疑問が生じる。定規とは複製対象を任意に決定できない復元の写し取りの道具である。しかしそういうことで何か問題が解決したわけではない。定規の複製対象は何処に存在するか。これは複製技術そのものの形成の問題であり、複製技術そのものを論ずるこの論から逸脱した問題である。このような復元の技術のみを技術化したものは他にもあるが、これらはその特定の事物の複製を量産することが望まれているところから形式化されたのだといえる。