音楽と制約(oval論)

参照 mp3 (realone playerが必要)
systemische
dok
ovalprocess

用いる方法の在り方に従う形で、作り出される音楽は制約を受けることになる。ovalという音楽は新しい解像度への感覚を拡張したといえるけれども、それは相対的なものでしかない。事物が形式という共通性を持つ限り既存の形態と断絶するような飛躍などというものはありえない。そう見える事態があったとするならば、それは単に観察者にとって成立したものである。

ovalを特徴付けるのは、コンピュータ内で完結する制作工程にある。音の素材の取り込み、加工、リアルタイム的配置、全て一台のパーソナルコンピュータによって完成することができる。ovalの音の素材は既成に流通する音楽cdであるが、ovalはそれを単にサンプリングしたもの使用はせず、ソフトウェアが可能にするカット&ペースト、リバース、ピッチ・シフト、タイムストレッチ、エフェクト、ループ等の様々な効果を施すことで、ほとんど原型を留めないものとなる。この段階でようやくovalの音楽を構成する音が成立する。デスクトップ・ミュージックという括りで、ovalと他のシーケンサーを用いた既存の音楽を制作する者達を一緒にすることはできない。通常の音楽制作にはノイズリダクションという工程もしくは発想は欠かせないが、ovalの方法論はそれに煩わされることがないし、無意味となっている。このことはovalのエフェクトの使用の仕方が、これら他のデスクトップ・ミュージック制作者と違っていることと関係する。ovalにおいてはエフェクトがそもそも効果として機能せず、音色を決定付ける根本的な操作、シンセシスとしての性格を与えられている。エフェクトの使用の工程において、cdから取られてきた音に存在するノイズは飛ばされることになるし、またノイズは楽音(効果音ではない)としても用いられることになる。

cdのスキップ音をサウンドファイルに組み込んでいることがovalのトレードマークともいわれる。cdの盤面にペンで落書きをしたり早送りをすることなどで、鳴るべき音に定常的に「チッ、チッ、〜」などという針飛び音が加わる。これはある程度までは撹乱しようが、形式としてcdの円状に配置された情報を逐次読み取っていく機械の自動的な振る舞いを利用したものだといえる。ただしこのスキップ音は、ドラムの嫌いなマーカス・ポップ(markus popp)が採用した音楽のリズムを担うものであり、音響系として括られる格好の新鮮な音色でもあるということで重要ではあるが、相対的に消費されるような音色の新鮮さでしかない。このスキップ音が重要であるとするなら、それはこの「チッチッキチッチッチ〜〜」というような実際の音のリズムとしての存在ではなく、「チッ」と「チッ」の間で聞こえる、元ネタの全体として均等でありつつ不安定で微細な揺れる音色感にある。このスキップ音の生み出すリズムとは人間の生み出すグルーヴに近い。既存のシーケンサーの解像度では捉えることの出来ない複雑さでありながら、カオスにならない程度のものであり、人間の耳には人力グルーヴに近いものとして心地よく捉えることが出来る揺れを結果的に生み出している。ovalはこの効果をポップストラクチャーに採用することで、電子音楽もしくはフレキシブルなサンプル・プレイバック・ミュージックに複雑性をもたらすことに成功した。

デスクトップ一台でフレキシブルなサンプリング・ミュージックを制作しようと、ソフトウェアの可能性を引き出すこと、またはコンピュータという目的論的でシステマティックなコンポーネントを、逸脱的に使用すること。ovalの音楽は、この命題を徹底した結果にあるとpoppはいう。つまりは、現在流通するpc一台で手軽な音楽制作を完結させたいと考え、テクノなどが陥っているソフトウェアのフォーマットに依存的な音楽を避けようと志向すれば、誰もがovalの音楽に近づく可能性を持つ。popp自身が言うように、彼自身の独創ではない。それは形式的に容易に可能であるという意味(実際言葉どおりovalのサウンドは元々彼だけのアイデアではないはず)でであるが、かといって手品のトリックの種明かしの受け入れられ方同様、容易であるが、それを思いつくのは誰でもはできない。

将来的に少なからずの人間がovalのような音楽を作るようなことになるのか。ovalというシステム、という言い方をpopp自身、また佐々木敦がいうが、実際ある手順を踏んでいきovalという音楽に行きつくとすれば、その方法はシステムとして定義できる。ovalの音楽が一定の有名性を獲得し、その制作の方法が何らかの形で明文化されれば、誰もがovalに近づくことはできる。それを実行するほどリスナーはovalに魅了されているわけではないが、音楽を作り続ける職業音楽人の間でそのシステムは自然に受け入れ定着する可能性はある。ただしそれはいわゆるブレイクビーツ、オーケストラヒット、など時代に特徴的な流行サウンドとして消費される単なる流行として終わるようなものかもしれない。

たとえばovalの音楽をコンピュータ・システムの逸脱的使用によって可能になるサンプリング・プレイバック・ミュージック、と定義づけることができる。ovalprocessというソフトウェアはつまるところ語義矛盾な、もしくはそれを使ってはovalに成ることはできない、ものである。語義矛盾というのは、システムの逸脱的使用によりovalは成立しているからであり、それをソフトウェア化するのは高次の整合的なシステムに移行するという意味において、矛盾している。また成ることができないというのは、私の見るところこのソフトウェアは、単なるリアルタイムプレイバック・シーケンサーにすぎず、それはovalという制作の部分でしかないということである。ovalを決定付けるのに、サウンドファイルの任意の発音、エフェクティングなどが挙げられるが、このソフトウェアはそれらをだけカバーしている。しかしovalには要素となるサウンド・ファイルの制作という作業も重要な部分であり、それをこのソフトウェアでは行うことができない。ovalが一定の評価を受けるのは、その美しい音楽的要素と、目新しい音色の均衡であると私は考えるが、それらはこうしたサウンドファイルの価値にも負うのである。poppは、作曲行為はサウンドファイルの任意の組み合わせの発音に取って変わられた、というように発言するが、サウンドファイルは、生成されるようなものではなく、完全な意図のもとでないにせよ主観的なイメージによって制作されたものである。