平成9年12月7日(日)〜


たかい子

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東の五条に
皇太后さまのお屋敷がありました

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このお屋敷の西の対に
姪にあたる方が住まわれていました
藤原のたかい子さまです

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色好みの彼は
在原の一族でした
隆盛に向かう藤原の一族のことを
よくは思っていませんでした

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藤原の膨満に合わせる如く
わが一族だけでなく
ときに天皇家の方々までが
冷遇され
傷つけられ
葬られていく
そう思えることが多かったのです

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だからといって
彼は
たかい子さまを
嫌うことなどできませんでした
幾度も
このお屋敷を
訪ねていたのです

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正月の十日ごろでした
通いなれたこのお屋敷にまた
彼はやってきました
得意の歌もいくつか
用意していたかもしれません
でも
姫はすでにほかに移っていました

どちらへ移られましたか

残酷な答えが
返ってきました

そこは
行き通えるような場所ではありませんでした

たかい子さまは
二条の后となられたのです

このお屋敷に
次の年の正月
彼はふたたびやってきました
梅の花がさかりでした

立って見
座っても見
そうしていましたが
もう
姫と語らった頃の
かがやきは
どこにも残っていませんでした

板敷きの縁で
月が傾くまで
嘆息を繰り返し
ふるえる喉を冷気にさらしていました

この月は
あの頃のままの月ではないのですか
春だって
またやってきていますよ
わたしでさえ
なにも変わっていません
たった一人ですが
なにも変わっていません

明け方になり
彼は
泣きはらしながら
このお屋敷をあとにしました

後の世の人たちは
こういう悲恋に
弱いのです

どうしても
お話を付け足さなければ
気が済みませんでした

でも
どこまでがほんとうで
どこからがお話で

のちののちの世の人である
私たちには
もう
知ることはできないのです

東の五条
皇太后さまのお屋敷に
ある姫を慕って
通う男がいました

人に秘して通わなければならない
そういう事情のため

門からではなく
子供たちのあけた土塀の崩れから
お屋敷の中に
忍び込んでいたのです

これがたび重なったため
皇太后さまのお耳に入りました

塀の崩れに
夜毎に
姫の兄たちが
番人として立つようになりました

姫に逢えなくなった男は
こう歌いました

人の知らない
私のこころの通い路の
関守よ
どうか
眠ってはくれないだろうか

受け取った姫は
男がもう来ることができないと知り
こころが
暗く沈み込んでしまいました

若い二人が
あまりに痛々しく

いずれにしろいっときのことだと
皇太后さまは
夜毎の番を
やめさせたといいます

とうてい自分のものにはできそうにない
そういう姫を
男は長い間
想い続けたあげくに

とうとう盗み出してしまったのです

くらやみの中を姫の手を引いて
逃げました

芥川というところを渡りました

あれは なに
ひかっています

あれって
ああ
ただの露ですよ
草にのって揺れているだけ
心配しないで

行く先はまだ遠く
深夜となってしまいました

かみなり
そして豪雨までが
二人の邪魔をします

鬼がいるとも知らないで
姫をそのあばら屋の奥に休ませました

男は戸口で
悪霊を退散させるため
負ってきた弓の弦を鳴らし続けていました

はやく夜よ明けてくれと
男は願っていましたが

このときはもう
鬼は一口で
姫を呑み込んでいました

姫は助けを求めたのですが
雷鳴の轟きで
男には聞こえませんでした

ようやく夜が明けました
しかし
姫は虚しくかき消えていました
男は足ずりをして
泣き叫びました

あれは なに
たましいですか
そうあなたが問うたとき
いっそのこと
わたしも露となって
消えてしまっていればよかった
もう何も残っていない

これは
二条の后が
まだとてもお若い頃

いとこであり
文徳帝の女御でもある
あきらけい子さまの元で
宮中のしきたりなど
修行をなさっていたころのことだったのです

あまりにきわだった美しさのため
なりひらが
背負って盗み出したのですけれども

兄君でいらっしゃる
藤原の基経さま のちの堀河の大臣(おとど)
藤原の国経さま のちの大納言らが
まだ官位低くあって
参内しようとしていたとき
大変におびえて
しゃくり上げる女の子の声を聞きつけたものですから
しかも行ってみると
それが妹のものだったので
驚いて
奪い返したのでした

彼らのことを
お話では
鬼というのです

そう
後の世の人は解説し
このものがたりに
書き加えています


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