平成9年12月11日(木)〜


東くだり

.

.

様々のことがもういやになって
遠くに
この身をおけたら

.

男はそんなことも
想うようになりました

.

ひょっとしたら
この色狂いの青年を
このまま都においておいたなら
何をしでかすかわからない
そのように考える
たれかが
いたのかもしれません

.

おあつらえのような
その任務が
特に期限もないものでしたけれど
与えられると

男は都から
おし出されていったのです

伊勢と尾張の
あいだ辺りで
初めて海が見えました

浜辺は風があって
なみがしらが
とても白いのです

こうなってしまうと
捨ててきたはずのあの都が
なつかしくてなりません
うらやましいことに
波は
返っていくことができるんです

東の方に
どこか住み着けるところはないかと
男は
ひとりふたりの友と一緒に
旅をしていきました

信濃の国
浅間の嶽に
噴煙が上がっているのです

信濃の浅間の嶽から
けむりが
のうのうと立ちのぼっています
こんなことがあっていいのですか
どうしてここの人たちは
あわて騒がないのです
平気なのですか

あづまとは
依然
えびすたちの国です

えびすたちは
感化を受けてはいても
まだ
人と言えるのか疑わしい程度ですし

西国から流れ
居着いた人たちは
逆に
えびすたちに馴染んで
人が変わっていくようです

なにか おそろしい

男は
いやされるどころか
冷たく深い谷を
ゆっくりとおちていく
そんな自分を見ているような
胸騒ぎで
狂っていくような

そんな
気持ちだったかもしれません

一行の中に
道をよく知る人もなくて
あちこち迷いながら
ゆきました

三河の国
八橋に至りました

河が蜘蛛手のようにわかれ
橋を八つも渡してあるために
こういう名前なのです

一行は沢に降りて
木陰に座って
乾れ飯(かれいい)を食べました

この沢に
かきつばたが
群れてとても華やかに
さんざめくように
咲いていました

一人がいいます

いかがです
あなたのことを
いろいろ言う人はいましたが
歌に関しては
みやこ随一
ちがいますか

かきつばたの五つ文字を
句の頭において
いますぐお詠みになれますか

男は
しばらくみずもに目をやっていましたが
歌いました

からころもを あでやかに
着て なれ親しんでいた そんな
妻とも言える人が都にいたので
はるばるやって来てしまいました
旅はたのしいものではありませんね

一同が
その技巧に驚き
賞賛の声を上げました
何度も
復唱するものもいました

川音は静かに
風が一帯を渡ります

ふいに
誰かの口から
嗚咽がもれました

もう行かなければという頃
みなの乾れ飯は
すっかり
ふやけていました

ゆきゆきて
駿河の国となりました

ほかに道筋はなく
宇津という山にわけいると
山道は昼なのに暗く細く
つたやかえでは繁るにまかされ
一歩進むごとに衣のどこかが引っかかるようで
物憂い気持ちばかりつのりました

どういう報いで
こんな目に遭うのだろう
これほどのことは思い当たらない

道半ばで
修行者に出会いました

あなた様が
どうしてこんな所を

そう言うのでよく顔を見ますと
都で見知っていた僧でした

しみじみと
旧交を温めたのですが
いよいよ別れるというとき
京の
女性の元へ
文を託したのです

いま駿河の宇津というやまあいです
うつつでも
ゆめでも
あなたは逢ってくれなくなりました
こんな所にいる私など 当然
お忘れなのでしょうね

富士という山は
真夏が近いというのに
雪なのです

季節の風情など
このあづまのお山さんは理解できません
今をいつだと思っているのでしょう
鹿の子の模様のように
雪を降り積もらしています

この山は
京で例えをさがせば
比延のお山を二十ばかりも重ねたほどで
姿は盛り塩といったところですよ

なおゆきゆきて

武蔵の国と下総の国のさかいに
信じられないぐらい
大きな河が
流れていました
角田河(すみだがわ)といいます

なにもかもが
茫漠としていました

いくつもの
浅くひろいだけの川すじが
けぶるほど遠くまで
うちかさなっていました

これは
地の果ての光景です

河のほとりに呆然として
みなで座り込み
限りないほど遥かに
やってきてしまったものですねえ
そんなふうに
嘆きあっていたのですが

何してるだよ
旦那がた
舟にのるだ
ひが暮れっちまう

船頭がいやしい言葉で
せかすものですから
乗り込むことは乗ったのですが

いったいどうなってしまうのか
向こう岸がいったいあるのか
あったとして
どういう魔性が棲んでいるのかと
心細く
残してきた家族や
いとしい人のことを
誰しもおもわないではいられませんでした

白い鳥で
くちばしと脚とが赤い
シギくらいの大きさのが
何羽も
水の上で遊び
魚を食うていました

見たことのない鳥なので
一行の誰も名前を知りません
船頭に尋ねると

これが有名な
みやこどりでさあ

そう言うのです

男は歌いました

どういうわけか
おまえたちは都鳥というらしい
そういう名前を持っているなら
尋ねよう
こたえることができるはずだ
わたしの想い人は
やすらかに暮らしているのか
あの人たちを
哀しませるようなめに
これから
わたしたちは遭うのか

一行は
暮れゆく満天をあおいで
むせび泣くのでした


もどる

つぎへ

原歌(別の窓に)

目次へ

扉へ