平成10年1月6日(火)〜


我ばかり

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男は
辺地に住んでいました

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宮仕えするために
そう言って男は
別れを惜しみながらも
この地を離れてしまいました

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三年
戻ってきませんでした

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女は
待ちわびていたのですが
三年というのは
もう他人となることの許される
年限でした

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ねんごろに言い寄ってくる
別の男がいましたので
あの人が三年
戻ってこなかったら
そう断わっていたのです

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とうとう戻ってきませんでしたので
今夜お逢いしましょうと
約束をしました

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ところが
この三年目の日の夕刻になって
都へ行った男が
帰ってきたのです

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この戸をあけてくれと
叩きますが
女は開けられずに
隙間から歌を差し出しました

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みとせの間
待ちわびていました
いけないのはあなたです
もうまもなく
初夜を迎えます

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男は
衝撃を受けましたが
三年は
さすがに長すぎた
そう思い知らされました
返します

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梓弓 真弓 槻弓
弓にも種類はありますが
どれがいいとは一概には言えないでしょう
こうなってしまっては
私たちがそうであったように
新しい人に
まごころで尽くしてあげてください

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男は
去って行こうとしました

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女は
呼び止めようと
詠みます

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あずさ弓
引こうが引くまいが
昔からずっと
この心は
あなただけの的でいたい
そう願っていますのに

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男は
溜息をついて
去っていってしまいました

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女は
哀しみで
いても立ってもいられなくなり
新枕(にいまくら)の準備など
うちすてて
男を追いかけました

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でも
どうしても追い付くことができずに
清水の湧いているところで
倒れてしまいました

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そこにあった岩に
指についた血で書き付けました

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きれいな泉よ
わたしは
どうしようもなく愚かなんです
ただ一人のひとだった
あの方との愛を枯らしてしまい
この身はいまにも
消え果てるらしいんです

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この歌を残したまま
その場で
息絶えてしまいました

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逢いませんともいわないけれど
それではと迫ると
たくみに逃げられてしまう
そういう女のもとに
男は
詠み送りました

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秋の野に
笹をおしわけて帰り
朝露に濡れたときよりも
あなたに逢えず眠ったあの夜の方が
袖は
濡れそぼっていましたよ

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色好みといわれた
その女の返し

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ミルメという名の
海藻の生えていない入り江
それがわたし
ご存じないのでしょうか
あきらめる様子のない
漁師がひとり
足をむだに疲れさせては
帰ります
やって来ます

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男は業平
みるめなき女は
小野の小町

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古今集ではそうなっているそうです

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東の五条の辺り
あの女性を
失ってしまいました

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そういう泣き言を
聞いてもらった相手に
何年もしてから
突然また送りました

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すっかり忘れていたつもりでも
騒ぎたつ波で
袖がひそかに湿っていました
めったに来訪のない
唐土(もろこし)船のごとく
尊いお姿が
港に寄ったばかりに

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女のもとに
一晩だけ泊まって
男は
通うのをやめてしまいました

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女がある朝
手を洗う
たらいのすのこを
打ち捨てるよう払うと

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たらいの水の奥に
見えましたので
ひとり詠みました

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これほど物思いに迷うのは
わたしばかりでしょう
そう信じていましたのに
あれあれ
水の下にもいました

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たまたま別の(女の)家からの
帰り道
通りかかったその男が
耳にしました

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こう送りました

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水面に映っているのは
私かもしれませんね
ほら
蛙たちでさえ水の下で
もろともに泣いています
いまさらと聞こえるでしょうが
こころ傷めています

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