平成10年2月1日(日)〜
今の翁
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西院のみかどと呼ばれる 上皇がいらっしゃいました (第五十三代淳和天皇のことです) .
この上皇には 崇子(たかいこ)さまという御子が ございました (二条の后は「高子」さまですので別人です) .
崇子さまは 齢十九歳で 亡くなられました .
御葬儀の夜のことでした .
男は この崇子さまの宮の隣に 住んでいましたが 御葬列をお見送りしようと .
女性用の牛車に 相乗りをさせてもらい 外に出ました .
いかほど待っても 柩の車が牽き出されてはまいりませんでしたので 泣き悔やむなかで あきらめかけていたのです .
そうこうしているとき 天の下の色好みといわれた 源の至(みなもとのいたる)という方が やはりお見送りに来ていたのですけれど 女車であることに 目を付けたのでしょうか 寄ってきまして しきりにそれらしき素振りを 見せ始めたのです .
至が 螢を捕まえて この女車の中に放ちました .
女は 螢のともすのがゆらめく炎のようです 浄闇であるべきなのに 皆さんからもそう見えてしまいます 消した方がいいのでは そう男に頼みました .
男は女の気持ちをくんで こう詠みました .
棺が出ていってしまったなら
この世の最後の別れです
螢も逃して ともしびは消し
お若かったのに
おいたわしいことよ
そう嘆き泣く皆の声だけを聞いていましょう
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至が返しました .
螢はゆらゆら飛んでいきました
どこからか
嘆き泣く声が聞こえます
ともしびは消すことができても
霊魂は消せぬものかもしれませんね
私にはわかりませんけれど
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天の下の色好みの歌にしては 出来はもう少しでしょうか .
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至は 順(したがう)の祖父です 至の叔父の 源の融(みなもとのとおる)のような 親王にもなろうかというふうな野心は 持っていませんでした .
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若い男が 身分は低いけれど 怪しいなどというところのない 女に おもいを寄せました .
さかしらな親がいて あのようなはしために うちの息子が惚れ込んでしまうのはと この女を 他へ逐いやろうかと考えました .
とはいえ まぎれない過ちがあるわけでもなく 逐いやることはできないでいました .
男はまだ 親に養われる身で いざとなっても 女を引き留められるだけの気概はありませんでした .
女も召使いですから この親たちに逆らえるわけもありません .
その間にも 男のおもいは はち切れん程にあふれつのってきてしまい .
気色をよんで これはもういけない にわかに親たちは この女を逐いやることを決めました .
男は血の涙を流して 懇願しましたが とどめることはできませんでした .
女は外に牽き出され 去っていきました .
泣く泣く男は 詠みました .
あの人から出ていったのなら
それは嫌われたというだけで
誰であろうと
これほど別れ難くはなかっただろうに
恋に苦しんだ日々など比べものにならない
この哀しみは
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そして 苦しげなためいきをついていましたが 絶え入ってしまいました .
親たちはあわてました おまえのためをと思ってしたのに こんなことになってしまうなんて .
と思ううちにも 真実 死んでしまいましたので どうすることもできず ただ神ほとけに願いすがりました .
その日の日暮れ時に死亡し 次の日の戌のとき(午後八時頃)になって かろうじて また息をするようになりました .
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むかしの若人は これほどに一途な ものおもいをしたのです .
今は翁となってしまいました このようなことは もう .
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姉と妹がいました .
妹は身分低くしかも貧しい男を 姉は高貴な男を 夫としました .
身分低い男に嫁いだ女が 大晦日というときに 宮中の年賀に夫が身につける礼装を てづから 洗い張りをしました .
心を込めそうしたのですが そのような卑しい技能には慣れていなかったので 礼装の肩の所を引っ張りすぎて 破ってしまいました .
年が明けるのを止めることなど無理で どうしようもなくて ただ泣きただ惑いしていました .
これを その高貴な男が聞きつけ 痛々しい なんとかしてあげなければ でも ものをめぐむような形では 義弟は 心傷つくだろうと 悩みました .
とても清らな 六位の身分を表わす緑色の礼装を 見つけだすと すぐに送りましたけれども これに 歌を添えました .
紫が色こい季節ですと
(妻を慕う気持ちがこのように我を忘れるほどですと)
遙かみわたせる野の草木がどれも
同じ色合いに見えて
見分けがつかなくなるのです
(妻の縁者であるならもう他人には思えないのです)
(一緒でよくわかりません ええ 衣の色も)
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武蔵野の古歌 「 紫のひともと故に武蔵野の 草はみながらあはれとぞ見る 」 あの心に重ねているのでしょう .
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男は 色好みという風評のある女と 愛を交わしていました .
そういうことは十分承知しているつもりでしたから 憎いということはなかったはずです .
間を置かずしばしば行きましたけれど それでもなお信じ切れないような といって 見限るなどはできませんでした .
悩ましいこのような状態では 捨てがたい仲なのにくるしくてならない そんなふうに思っていましたところ 二日三日ばかり障りがあって 女のもとへ通えないということがありました .
これを機に 踏み込んでしまおうと 詠みました .
あなたの所を辞去したとき
踏みしめた土草
とどめた足跡もそのままでしょう
誰の通い路と
今はなっているのですか
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疑心暗鬼が生みおとした歌なのです .
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