平成10年5月15日(金)〜
伊勢の斎宮
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男がいました 伊勢の国に 朝廷の「狩の使い」として 赴きました .
伊勢の斎宮(いつきのみや)である方の 女親から .
この人は わがいえの縁者です 通常の場合よりも きちんとおもてなしするように .
という連絡がありました (母方の)従姉妹の夫 ということになります .
斎宮は 天皇家の祖神 天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる 伊勢の神宮をつかさどる聖職です 未婚、少女の、皇女(内親王) 女王(皇族女子)のなかから 卜占によってさだめられ 天皇一代のあいだ大神につかえるのでした .
女親の言いつけもありましたので この男を 心をこめて遇しました .
朝は 使命である狩の支度を助けさせ 送り出しました 夕は 帰り着けば 自らの聖所へ招きました .
斎宮の立場としては 精一杯 心砕いて ねぎらいました .
二日目の夜 男が わずかの隙に 二人だけでお逢いしたい とささやいたのです .
女もまた 逢うべきではない とまでは思えませんでした .
しかしながら 人目が多くあって そのように逢うことは できませんでした .
男は正使でしたので 神殿の遠く離れた部屋に 泊まっていたのではありませんでした .
女の寝所に近かったので 女は周囲に仕える者たちが寝静まると 子一つ(ねひとつ 午前零時前後)ごろに 男のもとにやってきました .
男もまた こころ悩ましく 眠ることができませんでしたので 夜の風を入れながら横臥して 外をみていました .
ひそかな月明かりのもと 小さな童を先に立てて その人の影があらわれました .
男は感激し 手をとって引き入れ 子一つから 丑三つ(うしみつ 午前三時前後)までの間 二人だけで過ごしました .
まだ何事も その語らいを深めていないのに わずかでも発覚することは 許されないことでしたので 早めに 女は 帰りました .
男は身が ちぎれるような気持ちになり そのあと 眠れませんでした .
早朝 例に従えば「きぬぎぬ」の歌を 人に持たせるところですが そのようなことのできる場合ではなく また身分としてもこちらから送ることもできず 男は じりじりとつのるものを こらえこらえて待っていました .
夜が明けきってから さらにしばらくして 女のもとより言葉書きはなにもなく 一首だけ .
あなたがいらっしゃったの
わたしがそちらへ行ってしまったの
はっきりしないのです
夢だったのですか うつつでしたか
寝ていたのでしょうか さめていたのでしょうか
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男は安堵して 涙流して詠みました .
目をおおう涙と
このこころの闇が
私をまどわせています
夢かうつつかは
今夜
はっきりと見定めてください
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これを返して その日の狩に出かけました .
野をゆきましたが 気もそぞろで 今宵はかならず周囲を寝しずめて ずっと早い頃合いから 逢えるように そういう算段ばかりしていました .
しかし 帰還すると 神宮の執政も兼ねる国守が 都より狩の使いがあったと聞いて 挨拶に参上しておりました .
そのまま夜一晩中 酒の宴となってしまいましたので もはや 密会はかなわないのでした .
翌朝は尾張へと 出立しなければなりません 饗応を受けながら 顔には出さず 血の涙を流していました .
逢えませんでした .
夜がようやく 明けようとするころ 奥から 大きめの(素焼きの)杯が届けられました .
杯の皿には 歌が書かれているようなのです 手に取りよく見ると .
歩いて渡る人でも
濡れないほどの
浅いえにしでしたので
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とあって下の句はありません 同じ杯の皿に 灯火の松炭で 歌のあとを書きつけました .
だからこそ
また
逢坂の関を越えて
ここへ
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陽は高く昇ってしまい 男は 尾張へと 国ざかいを越えたのでした .
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斎宮は水尾(みのを)の御時(清和帝の代 約二十年間)の方です 文徳天皇の御娘 惟喬(これたか)親王の妹
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