平成10年6月20日(土)〜
島好み給ふ
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田村の帝(文徳帝)という天皇が いらっしゃいました .
この帝の女御(にょうご 皇后 中宮に次ぐ地位)に 多賀幾子(たかきこ)さまという方がいらっしゃいました .
この方が亡くなられて 安祥寺にて 法事が営まれました .
人々は ささげものを持ち寄りました .
集まったささげものは 千にもなりました .
これらを木の枝に付け 堂の前に立てましたところ .
山々がわざわざ 堂の前に動いてきたかのように 見えました .
多賀幾子さまの兄で 右大将であられた 藤原の常行さまという方が いらっしゃいました .
経の講が終わりましたころ 歌よむ人々を召し集めて .
今日の法事を題にて 春のこころばえある歌を .
と募りました .
右の馬頭(みぎのうまのかみ 業平の職位)であった翁が それを見間違えたまま 詠みました .
山がみな移って
今日ここに参集したのは
春との惜別を
弔うためなのでしょう
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と詠みましたが しかし 今見直してみると よい出来でもありませんね .
あのときは これ以上のものがあろうか 私も人々も 感じ入ったのです .
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多賀幾子さまという 女御がいらっしゃいました .
亡くなられて 七七日(なななぬか 四十九日)の法事を 安祥寺でいたしました .
右大将 藤原の常行さま という方がいらっしゃいました .
その法事に参列した帰りのことです .
山科の禅師の親王 という方がいらっしゃって その山科の宮には 滝落とし 水走らせなどがあって おもしろく造ってあったのですが .
右大将さまはここにご挨拶に寄られて .
つねひごろ 遠くからお慕いしていたのですけれども おそば近くには お仕えしたことがありませんでした こよいはここに はべらせていただきましょう .
と申し上げました .
親王はたいへん喜ばれて 夜の寝室の準備などさせました .
気をよくしました 右大将さまは 芝居っけたっぷりに .
宮仕えの初めに 手ぶらというのは恥ずかしい かの三條の大行幸(おほみゆき)のおり 清和帝が父良相の邸にお出ましになりましたが このとき 紀の国の千里の浜にあった なんともいえず興趣をそそる石を 父に贈る人がいました 大行幸の後になってやっと それが届きましたものですから それきり ある人の部屋の前の溝に据えてあります 親王は島(庭園)を好まれる方 この石をお贈りしましょう .
とおっしゃられました .
そして 御随身 舎人ら (みずいじん とねり 身の回りの警護の者共)に指図して 取りに行かせました .
いくばくもなく 運ばれてきました .
この石は話に聞くよりも すさまじいものでした .
これを ただお贈りするというのも 心なくつまらないことだ .
と右大将さまはおっしゃられ 人々に 歌を詠ませました .
右の馬頭であった人の作を選んで 石に生える青い苔に刻んで 蒔絵の如くにしたてて たてまつりました .
まだ不満です
この岩にかえて
多少でも
表に華々しくは現わせなかった
私のお慕いしてきた心をお見せできれば
心の内そのままを
お贈りできないのが残念です
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と右大将さまに代わって 詠みました
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