平成10年7月17日(金)〜


塩釜にいつか来にけむ

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在原の一族の中に
親王がお生まれになりました

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御産屋(うぶや)の祝いに
人々が
歌を詠みました

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御祖父方(おほぢがた)の翁が詠みました

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われらが門に
千の両腕を繋げたほどの
竹を植えましたので
夏であろうと冬であろうと
たれであれ
この蔭に
守られないということはありますまい

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これは清和帝の皇子 貞数の親王(さだかずのみこ)
当時の人は
業平中将の子ではと噂したのです
兄の中納言行平の娘あや子(文子)さまがお産みになりました

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勢いのおとろえた家(在原)に
藤の花を植えた人がいました

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弥生(旧暦三月)の終わり近く
雨のそぼ降る日でしたが
この花を折って献上するために
歌を添えました

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濡れながらもあえて
折りました
この年のうちに
春はもう幾日もない
そう思えましたので

(藤原さま
 お察しください
 くだんのこと
 くれぐれもよろしくお願いいたします)

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左大臣 源融(みなもとのとおる)という方が
いらっしゃいました

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賀茂川のほとり
六條あたりに
御邸宅を大変凝った造りにして
お住まいになっていました

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神無月(旧暦十月)の終わり頃
菊の花のうつろひざかり(色衰えた佳い時期)
紅葉の千種(ちぐさ 色とりどり)に見える折のことです

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親王たちをご招待して
夜ひと夜
酒を飲みさまざまに遊びなどするうちに
しらじら明けてゆくのでした

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みわたせるお庭や
この御邸宅にある趣向を
人々が賞賛して
歌詠みをいたしました

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そこにおりました乞食の如き翁が
縁の下に這い出でまして
他の方々がひとわたり詠み終わりましてから
披露いたしました

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塩釜に
いつのまにか来ています
朝なぎに釣する船が
まもなく
この岸辺に寄ることでしょう

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わたしは
みちの国に赴きましたけれど
妖しいまでの絶景と言えるところが
たいへんに多かったのです
わがみかどの六十余国の中でも
塩釜ほどのところはありませんでした
わたしが造ったこの庭を
そういわけで
かの翁は
重ねるようにしてめでて
塩釜にいつのまにか来ています
と詠んでくれたのです

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