平成10年8月18日(火)〜


母なむ宮なりける

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男がいました
高い職位とも言えなかったのですが
母さまは皇女でした
(桓武帝の娘 伊登内親王です)

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母さまは
長岡というところにお住まいでした

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子は京に宮仕えしていましたので
お伺いしようとは思っても
しばしばは伺えませんでした

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母さまのただ一人の子でしたので
尋常とは言えないほど
愛されて
大切に育てられたのでした

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さて
ある年の師走のことです

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急の用ということで
子の元へ文が届きました

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驚いて開くと
歌が書かれていました

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老いてきますと
避けようのない別れが
あるといいます
日増しに感じます
あなたさまにお目にかかりたいのです

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かの子は (わたしは)
耐えられず涙ながして
詠みました

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世の中に
避けようのない別れなど
無ければと思います
千年もと祈る
人の子のために

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男がいました
童のころより仕えてまいりました
貴い方が
髪を下ろされてしまいました

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それでも
正月には必ず
ご挨拶に伺いました

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おおやけごとで宮仕えをしていましたので
つねひごろお伺いするということは
できませんでした

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とはいえ
その方のまつりごとの夢が失われた後も
元の心をなくさずに
お伺いすることができたのです

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むかし仕えた人
まだ俗界にある人
すでに僧となられた人
多くの人が
集いました

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正月は特別ですので
と理由を付けて
大御酒まで振る舞われました

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雪が
天のこぼれるごとく
はなはだしい
降りようで
終日やみませんでした

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人々は酔って
雪にふりこめられたり
という題にて
歌を詠みあいました

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お慕いしますのに
身を二つにしなければ
絶えずお目にかかることはかないませんでした
雪の絶えず積もって
このように降りこめられるとは
わが望みそのままです

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このように詠みましたところ
親王は
それはそれは感激なさって
御衣(おんぞ)をお脱ぎになって
これをくださいました

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とても若い男が
若い女と
あいしあいました

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ともにまだ
親がかりということもあって
気持ちを矯めたらしいのです

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深入りする前に
ふたりの仲は
流れてしまいました

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何年もあと
女の元に
それでもなお 成就をと思ったのでしょう
男が歌を詠んで
贈りました

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今となっても
まだ忘れないという人は
この世にはいないでしょうね
それぞれが様々な
年を経ているのですし

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そして
この歌ひとつだけでまた
ふたりの仲は
終わってしまいました

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男も女も
わたくしごとで離れることの許されない
宮仕えをしていたといいます

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