平成10年9月5日(土)〜
布引の滝
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男は 津の国 菟原(むばら)の郡(こほり) 蘆屋(あしや)の里に 縁深い土地(領地)があり 別宅がありました .
昔の歌に 「 蘆の屋の灘の塩焼きいとまなみ 黄楊の小櫛もささずきにけり 」 (蘆の屋の灘の塩焼きは暇がなくて つげのおぐしも差さずに来ました) と詠むのはこの里のことでした ここをですから蘆屋の灘とも申します .
この男は 無精な宮仕えをしていました .
それをたよりに 衛府佐(ゑふのすけ 衛門府などの次官級)どもが 集まってきました .
この男の兄も衛府督(ゑふのかみ 衛門府の長官級)でした .
その家の前の海辺で 遊びなどするうち .
いざ みなさん この山の上の方にあるという 布引の滝を 見にいきませんか .
ということになって 登って見物したところ その滝は普通のものとは異なっていました .
長さは二十丈(一丈は十尺 二十丈で三十メートル程度) 広さが五丈ばかりもある石のおもては 白絹に岩を包んであるようでした .
その滝の上の方に わらうだ(藁の丸い座布団)の大きさで 突き出ている石がありました その石の上に降りかかる水は 小さな蜜柑や栗ぐらいの粒になって こぼれ落ちていました .
男は客人たちみなに 滝を題に 歌を詠ませました .
兄の衛府督がまず詠みます .
我が世が来るのでは
今日か明日か
などと待つ甲斐もすでにむなしい
この涙の滝と
いずれが高いのでしょう
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あるじである男が次に詠みます .
紐を抜いて
乱れ落とす人もあるらしい
白玉が
絶え間なくも散りかかるのです
この狭い袖に
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こう詠みましたところ 傍らにいた人々は 最初の歌の露骨を笑う様子もあったのですが 次の歌に感心して 自分たちの歌は披露しませんでした .
帰り道は遠くて 亡くなった宮内卿もちよしの家の前で 日が暮れました .
はるか宿所の方を見やると 海人(あま)の漁り火があまた眺められました あるじの男が詠みます .
晴れた夜の星ですか
河辺にさまよう螢かもしれません
私の住まうほうの
あまの焚く火でしょうか
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このようにして帰り着きました .
その夜 南の風が吹いて 浪がとても高かったのです .
早朝 家の女の子たちが浜へでて 浮海松(うきみる)が 浪で寄せられたものを拾って たくさん持ってきました .
女あるじが その海松を高坏(たかつき)にもって 柏(かしは)の葉でおおって 食前に並べました .
その柏にこう書いてありました .
海神(わたつみ)が
髪に飾ると愛で祝う藻も
皆様のためには
惜しまずくだされましたよ
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田舎人の歌ですが 言いすぎでしたか 舌たらずでしたか (なかなかではないでしょうか)
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