平成10年12月24日(木)〜


歌はよまざりけれど

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左兵衛督(さひやうゑのかみ)でありました
在原の行平という人がおりました

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その人の家にはよい酒がある
そういう噂が立ちました

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ある日
高位の左中弁職の藤原の良近(まさちか)という方を
主賓として
宴を催しました

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主人の行平は風雅をしる人で
瓶(かめ)に花を挿しました

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その花の中に
見事というか妖しいほどのというか
藤の花がありました
花は三尺六寸ばかりもあって
しな垂れているのでした

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この花を題に
歌を詠み合いました

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おおかたが読み終える頃に
主人の弟である人が
兄が客人をもてなしていると聞いて
挨拶に参りましたので
そのまま退散はなかろうに
と詠ませました

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「もとより歌のことは知らざりければ」
弟はそう辞退しましたけれど
しいて詠ませましたところ
次の如くでした

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咲く花の下に
隠れる人が多いので
在りしにまさる
藤の影となるのでしょう

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何故このように詠むのです
(在原氏と藤原氏になずらえているのでは)
と問われて

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太政大臣である藤原の良房様は
栄華の盛りにいらっしゃいますので
藤氏がいやましに栄えますようにと願い
詠ませていただきました

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こう応えました

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皆は
言われればその通りでもあり
そしるのはやめました

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男がいました
歌はたいして詠みませんでしたけれど
世の中の恋うる慕うは思い知りました

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尊い女性が尼になり
世の中の恋うる慕うに倦んで
京に住まうこともなく
はるかな山里に
住みました

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もとは男の氏族でしたので
詠んで送りました

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背を向けても
雲に乗るわけでもないのでしょうが
憂き世の妄執からは
離れられるといいますね

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このように伝えました

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斎宮のあの方です

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男がいました
とてもまめで実直で
浮ついたところがありませんでした

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深草の帝(仁明天皇)にお仕えしていたのです

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心がおかしくなってしまったのか
親王たちの愛を賜っていたひとりの女性と
ひめごとを言い交わしました

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そのとき

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ともに寝た夜を
夢かとはかなんでまどろみました
今ではますます
はかなく思えてしようがないのです

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と詠んで送りました

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ああ
汚げな歌でした

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取り立てていうほどの事情もなくて
尼になった人がいました

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身なりは変わりましたけれど
心そそられたのでしょう
賀茂の祭りを見物に
出ていらっしゃいました

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男が見つけて
歌を詠んで送りました

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世を憂いて
尼となった人を目にしました
目くばせをして欲しいが
そう思いましたよ

(海のあまとなった人ですので
 ミルメ刈るのはお手のもの
 芽を食べさせて下されば
 そうお願いいたします)

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これは
斎宮の物見なさっている牛車に
このように贈ったために
中途でお帰りになってしまった
そのときのものだといいます

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