平成11年9月28日(火)〜

散文の覚書 その3



平成11年9月28日(火)

 『缺けてゆく夜空』が終わりました。

 全四章三十八節の掲載に、一年と十ヶ月です。思っていたよりかかりました。
 本作は、幾度か述べてきましたとおり、当HP掲載前にすでに初稿が(正確には第一稿第二推敲までが)仕上がっていたものです(「作品記録」参照)。しかも、電子文字化も済んでいました。
 縦書きを横書きに直すにともない文字遣いを改めたり(例えば「右の通り」を「上の通り」へなど)、紙の書籍でお読みくださるという想定をモニター上でお読みくださるものとして校正したり(『17 人非人(2)』の終結部など)、ネット上で公表ということで機種依存文字を書き替えたり(『10 八月三日(1)』のトランプのスートなど)、そういう改訂はいたしましたが、文章の質自体には、ほとんどと言っていいほど手を加えていません。
 上の通り相当な期間を費やしたのだからかなりの推敲があったと思われるかもしれませんが、実は逆で、短期にこれのみに集中するというような取り組みをしないかぎり、怖くて手直しができなかった、というのが実相です。
 当HPに掲載時は、主にHTMLや画像の技能的なことで苦労することはあっても、あとは初稿をコピー&ペーストで確実に移し終えればよし、という方針でした。数度読み直して、上のような機械的な手直しを済ませたのみです。
 これを、他の企画の合間に、月に一節か二節、というペースで流してきたわけです。精神的に楽でした。
 つまりはそれだけ、初稿の際の創作密度を、自身で信頼していた、そうそう再現できるような緊張とその持続ではなかったと初めから諦めていた、ということにもなりますか・・

 四百字詰め原稿用紙換算で、五百枚以上ですか。
 これ以上に長い小説を書いたことはありますが、調子の乱高下がなく、私が納得できる最底辺の水準を下回ることの少なかった作品は、初めてではないかと思います。他人にお見せできる長編、ということでしたら、唯一のものでしょう。
 ただし、これは、私が孤作をもっぱらとしていた季節の「総決算」のような作品で、ネットという相互連関が当たり前の世界に生まれ変わってからの私にとっては、もう遠いものとなってしまいました。決して、作品の質が低いとかくだらないとかは思わないのですけれど、今の私の気質ではもう生みだせない種類のもの、という風なのです。
 近頃の私は、短編にいそしみ、手にとって眺め回せるような佳品、できるだけ風通しのよい様々な装いを追っています。

 現実か、現実以上に入り組み、迷宮の色合いも濃く、あるいは汚れ腐り、根気よく歩かないと根元の一周もできないような作品。笑い声、友愛、活発、そういう腕白たちの走り回る広場の隅で、蟻の行列をじっと観察し愉悦に浸る如き遊芸。ご覧のとおり、ネット上に公開がかなったとしても、たぶん読み通してくださる読者は年にお一人がやっとというたぐい。・・それを、いきみ唸りながらも産み落としてしまったあのときの私。・・今となっては、羨ましいような、敬いたいような、そういう感覚が湧いてきます。
 いつかまた、手を染めることができれば、と半ばは懐かしく願うのです。
 そういう残り時間が、巡ってきてくれればなあ、と。







平成12年6月19日(月)

 覚書 その3 、そして、遊戯苑の覚書 その3 のほうでリレーして述べてきました、
◇ MacOS用対処・ファイル名改訂(31文字以下に)
◇ 「全角日本語フォルダ名+絶対パスによるリンク」を「半角英数フォルダ名+相対パスによるリンク」へ
 等々のHP整備ですが、今月上旬よりここ『缺けてゆく夜空』においても着手、本日までに問題なく完遂することができました。
 ここ『缺けてゆく夜空』関連は画像以外の文書で五十ファイル前後というところでしたから、『遊戯苑』の中の『夏文庫』の中の『論評』の中の『平成11年』のファイル数よりもまだ少ないわけですし、さらに、この作業に対する私の経験値もアップしているようで、たいして負担ではなかったです。

 いよいよ、最後の大部屋『生きるってとっても伊勢物語』へと進軍することになりますが、「年内にはなんとか」という目論見はうれしい誤算となって、夏が終わらないうちに大掃除は完了、凱旋となるかもしれません。・・・ううむ。ま、なんにしろ、あとひとふんばり。










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