平成11年10月30日(土)〜

テーマ「流星」


地面の下から




 夜、地下にあるその喫茶店で、だれかしらがたいてい落ち合っていた。
 ミキちゃんは、肌が澄みきっていた。
 黒い服だとさらに妖艶。ただ、姓が三木だからミキちゃん。
 彼女が、友だちから聞いた話。


 女の子二人で海に行ったんです。
 その友だちは、わりとシャンで、男なれしてるって感じです。
 連れの子が、なんて言うか、静かで、見た目で全然そっち方面はないような。
 浜辺でそれなりに泳いだりとか遊んだりしたそうです。でも何もなくて、そのまま夜になって、民宿に泊まりました。
 夜中に、目が醒めたんですけど、隣の子がいないんです。おトイレかと思って待っていても帰ってこなくて。
 まさか、あの子に限って、だれか男の人と、・・
 でも、それならそれでいいか、とも思ったそうですが、別のことに思い当たりました。
 もともとその子を誘ったのは、片想いがだめになって落ち込んでいたのを励ますためでした。
 その頃にはほとんど立ち直っていた様子だったんですけど、急に心配になってきて、捜すことにしました。
 堤防の向こうはすぐ海でした。満ち潮で砂浜は狭かったんですが、明かりが少なくてほとんど真っ暗。
 堤防の上を歩いて、小さな声で呼びました。
 寄せてくずれる波の音だけ。
 深夜で怖いし、考えすぎだろうと引き返そうとしたら、見つけました。
 その子は、波打ち際で一人ぽつんと立っていました。
 よく目を凝らすと、夜の海のほうに向かって、こうして、そっと手招きしていました。
 歌う、ではなくて、和歌を詠むような、そんなふうな調子でその誰かに呼びかけてもいました。
 しばらく様子を伺っていましたが、見てはいけないものという気がしてきて、引き返して、そのまま眠ってしまったそうです。
 朝起きると、連れの子はすやすや寝ていた。
 ・・ということです。


 あとの二人は、唸って、やけに・・、あるんだよねえ・・などと漏らした。
 ミキちゃんと私は、営業内務事務で同じ。文書を発信したり電話をとっていた。
 師匠は、経理が長い。背が高く、眼鏡をかけ、折れそうなほどに細い。


 年度替わりの頃、二時間くらいしか眠れていなかった。
 仕事が忙しいと言うより、わかると思うけど、ごたごたが多すぎて、昼間はまるで進まない。
 夜になってやっと静かに打ち込める。
 それで、慣れて、何時になっても家でも眠れなくてね。
 でも、元気は元気で、朝になればまた動き出せる。ヨガをやるとすっきりするし。
 やっと区切りついたのは、日曜の朝だった。フロアの戸締まりして、外に出た。
 真っ白な陽射しが辺りにいっぱいで、ひどく眼が痛いんだ。涙が出て止まらない。
 駅の階段のぼると、じいさまみたいにぜえぜえ息切れがして、さすがに、早く布団に入りたいって思った。
 電車待ってるうちに、家までたどり着けなくてもいい、電車に座ってそのまま寝ちゃおうと決めた。もう待てない感じがしたし、胸の動悸がおさまらないんだ。
 気がつくともう手遅れ、というようだった。
 ベンチにへたり込んで、胸に手を当てて、それがおかしいということだけははっきりしていた。
 電車は何本も来たけど、ベンチで横になって、目を開けたままだった。
 さようならなのか、ほんとに、って思ったよ。
 たまらなく眠いはずだけど、眠ればもうそれまで。怖くて眠れない。
 それでいて、通りすがりの人が「どうしました」と尋ねてくれても、「いえいえ」なんて手で遠慮してさ。その手のひらも冷たい汗。
 昼過ぎまで、こうしていた。
 もうからだ全部が、ずっきずっきという心臓の奴隷という感じだった。はやく動悸がおさまらないかとぐるぐるそればかり。だからおさまらなかったんだろうね。意識のしすぎだけど、わかっていて抜け出せない。つらくて困っちゃったよ。
 一瞬なのか、一時間くらいなのか、眠ったのかもしれなくて、それでも生きてる。
 でも、相当に顔とかこわばっていたんだろうね、手足も忘れた頃にびくびくって痙攣してたのかもしれない。なにしろ動けないんだから。
 駅員さんが来て、顔を間近にして「救急車呼びましたから」って言われた。
 「そんな、大げさな」と答えたかと思うけど、そしたらなぜか起きあがれた。
 からだが急に、軽くなっていた。
 妙に浮揚感がある。
 へいきへいきって、手を振って、ふあふあ泳ぐように歩いた。
 来た電車に乗って、帰ったから、あれそのままが、今の僕のはずなんだけど。


 ちょっとう、とミキちゃん。ため息加減に、師匠の服地をつまんで揺すった。
 できることがあれば、お手伝いしますから、もう無理はしないでくださいよう。
 怖いっす、早くお嫁さんもらってください、それが一番です、と私も。
 師匠は苦笑。
 順番から言って、私だったので、話した。


 母親は、女子高のころ、山岳部員でした。
 その同窓会があったんです。私は中学一年生でした。誘われて、約束してしまったので、土曜の午後焦って帰宅し、母親と中央線に乗りました。
 当然ながら知らないおばさんとおじいさんばかりで心細く、やはり連れてこられた息子や娘はいても私の年とは離れていました。人見知りでした、ほんと。
 山小屋の食事は美味しいのだけど、ちょっとだけで物足りなかった。
 山の夜明けは清浄で、あんなに心洗われる情景は初めてだったかもしれません。
 朝、つまり、日曜の朝、それでは登ろうということになって、皆が集まりました。
 でも、私の母親が見当たりません。母親の親友で、中学の英語教師をしている女性もいない。
「先に行ったんだな。なになにちゃんたちはそりゃ元気だったから」
 などと、おばさんやおじいさんは動じていないのですが、こちらはたったひとり取り残されたようですし、まさか事故か何かが、と心配にもなったのです。
 山、と言っても、彼らベテランにとっては高原程度のものらしく、てっぺんにお花畑があるんだ、とか和やかに話しながらの登坂でした。
 母親が先に行ったとしても、五分か十分、すぐ追いつく、またはあちらが途中で皆を待っている、それがどちらかと言えば当たり前でしょ。が、影も形も見えないんですよ、ほんと。
 枝分かれで別のほうへ行ってしまったとか、実は先に行ったのではなく後ろにいるのか、とか、いくらでも懸念が浮かびました。
「あかあさーん」
 と、私は遠く呼びました。何回か呼びましたが、応えがありません。
 林の中、少しは見通しのきく山腹の道、行けども行けども二人の後ろ姿が見つかりません。
「あかあさーん」
 私は一行のほぼ先頭を行っていました。息を継ぐたびに、母親を呼びました。
 最初は多少は、恥という気持ちがあって控えめでした。が、そのうち、これはもう何かあったとしか思えないと異常さを感じましたから、必死に精一杯の声を出し続けました。
 母親と女友だちの二人は、頂上で、岩か倒木かに腰掛けて待っていました。
 お花畑は、まだ咲いていなくて、枯れ草のようなものがあるだけでした。
「ああ、やっときたの」
 という感じで、二人は、見晴らしの良い景色を前に風を受けながら、私たちを迎えました。
 ・・・・・
 というだけのことなんですけど、後になって考えると、聞こえていないわけはなかった母親の意地悪さはいいとしても、一帯にいたのは私たちだけではなかったはずです。
 変声期前のボーイソプラノの母を呼ぶ声が、かなりせっぱ詰まったようなそれが峰々にこだましていたことでしょう。遠くでそれを数時間も聴きながら登ったり下ったり別の何かをしていた人たちは、さぞ、気がかりだっただろうなあ、と気づきました。


 とびとびで淋しいネオンの、駅までの道で、ミキちゃんが言う。
 知ってます? 流星群が来るんですよ。夏休みにちょうどなんです。
 星見の旅行がしたい、と言う。
 ・・みんなで行きませんか、ねえ。
 人のよい師匠が、興味を示した。


 ミキちゃんは今は、二児の母。上の子は中学だろうか。
 師匠は、年賀葉書が途切れて、すでに音信不通。
 あの地下の喫茶店も、まだあるかどうか、知らない。
 流星群は、職場の夏休みに四五人で井川郷に行って、でも雲が出てしまった。
 見上げているミキちゃんの、かなしげな様子を覚えている。















(了)



記録日 07/12(月)08:30 (平成11年)
 
 
 
※ 補足 ※
 「中央線」は「中央本線」が正しく、「母親の意地悪さ」は「母親の意地の悪さ」のほうが据わりがよいと思います。
 でも、どちらも書き言葉としてなら。本作品では、ともに前者が適切か、と考えました。




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