平成11年1月16日(土)〜
なのはなさんが復帰してくれました。この程度のことで、しぼんでしまう《花》ではありませんでした。4行小説の《贈答》は途切れませんでした。
私はさっそく、お題に答えます。
西山さんが発言します。
そして、CHANCEマスターも事態の幕引きにと登場なさいます。
お題 なのはな様 平成10年5月26日 発言No.135
作成 平成10年5月26日 発言No.136
RE:和香さんへ → 『雨』
西山正一郎様 平成10年5月26日 発言No.137
Re:西山さんへ
CHANCE様 平成10年5月27日 発言No.138
ご無沙汰しちゃってます
和香 平成10年5月27日 発言No.139
RE:Re:西山さんへ → 『雨』について
『雨』
更に続けて、もし西山さんからの反応があればということで、予定稿を書いていました。(三手の読みということでしょうか)。次の通りです。
*****************
11:34 98/05/27
楽屋裏を明かすようで、心苦しいのですが、『雨』の世界は、私の想像で書いたフィクションです。
なのはなさんからお題をいただくまで、私はあの家族のことは何も知りませんでしたし、考えもしていませんでした。
お題が二字でしたので、これを頭韻と脚韻にするという発想を得て、これにかなう語句をいくつか考え出しました。そして、これらを関連づけながら何かしらお話にならないかと取捨選択していくうちに、『雨』の輪郭が浮かび上がったのです。
たぶん新婚家庭であるだろうあの家族は、もちろん、それまで私の心の中に、全くなかったのではないと思います。きっと、普段は気にも留めてはいなくても、心のどこかの隅に、あこがれるような、またはねたましいような、そういう気持ちが棲んでいたのでしょうね。
そのままずっと眠っているはずだった私の、隠れた心を、お題、または制約が、引きずり出して、文字の上に移していった、とお考えいただけないでしょうか。
つまり、直接の経験や感動のみが、お話を創り出すのではなく、時にはこのように、無意味なようなきっかけが、つまりは、制約とか定型というものが、新しいものを汲み出してくれる。ということなのです。
いかがでしょう。こればかりでは、「遊戯」に過ぎるとお考えになると思いますが、一つの方法としてなら、これもまた捨てがたいのではないでしょうか。
*****************
21:00 98/05/27
つまり、内容があって、それに韻や定型を飾りや包装として加えたのでなく、実態は、韻や定型が内容を産み出したのです。これはもう、礼を尽くして韻や定型を残してあげるしかないと思いませんか。また、なのはなさんとの贈答ということを考えた場合でも、こういう遊戯的部分が見えやすい方が、楽しいのでは、と思うのです。
*****************
5:37 98/06/01
# 制約や定型は、それが大きく厳しいほど、責任を代わりに背負ってくれる、という面、あるのでしょうね。「4行小説」やってきて、だいぶ見えてきました。(1998-05-14 23:45 発言番号:123)
結論。定型とは、白昼夢を産み出す装置。
*****************
以上の予定稿は、討論が広がりませんでしたので陽の目を見ませんでした。ここに掲載できてしあわせです。
が、読み直してみると、上の反論は言い訳の色合いが濃いですか。『雨』の出来が、こういう偉そうなことを言うほどには充実していないようです。
> ホンの一言、言葉は、生きているものだと思うから、言葉が生きたがっているように
> させてあげるのが、言葉のためでは?
この西山さんの言葉が、今さらながら、重いです。
次の、頼りになるマスターCHANCEさんの言葉にも、意志と誠意がにじんでいますね。
> 好きだから、続けていきたいから、どんなに未熟と言われても投げ出してしまいたくない。
> 私もやっぱり物語を作っていきたいです。
私は、打たれました。今も、打たれます。
うむ。 ・・・私がずっとこのフォーラムに参加し続けているのは、もちろん、私個人の欲得ということは大きいのですが、CHANCEさんの言うこういう心を大切にしていきたい、という願いも小さくないと思います。
私はすでに、海千山千の薄汚れ疲れた人間となっております。十代の頃からずっと求めていたはずなのに得られなかったもの、手が届かないとあきらめていたもの、私の、または私の文芸の「生きたがっている姿」をついにここに見いだすことができた、そういうことなのかもしれません。
一言でいえば、場所を見つけた。この時のCHANCEさんの発言が裏打ちをして支えてくれた、と感じます。
☆ 注1 ☆
上記#141以降、本日(平成11年1月19日)まで、フォーラム「小説工房談話室」にCHANCEマスターの発言がありません。関心のある話題が当面無かったのかもしれませんし、そのうち、紛糾の起きたときだけ顔を出せばいいかという方針を立てられたのかもしれません。マスターのHP(「極楽鳥くらぶ」 異世界へ リンク集 参照)にときどき様子を伺いにまいりましたが、やはり相当にご多忙のようでした。以後私は、マスターのHPのほうで掲示板でお話しさせてもらったり、テーマ小説に投稿させてもらったり、そういうお付き合いをさせていただいています。
また、西山正一郎さんも、上記#137以降、発言がありませんでした。前章『七色のかたつむり』掲載の際、発言転載依頼のために、半年以上のご無沙汰を詫びてメールでご挨拶をいたしましたところ、変わらず文芸方面でご活躍でした。脚本公演のためにずっと多忙だったとの由です。HP(「YOSHIO TAMURA'S NOVELS WORLD」 異世界へ リンク集 参照)を覗かせていただきましたが、ラジオドラマやミュージカルを手がけていらっしゃるようでした。
お題 平成10年5月26日 発言No.136
作成 なのはな様 平成10年6月9日 発言No.144
虹
お題 なのはな様 平成10年6月9日 発言No.144
作成 平成10年6月9日 発言No.146
RE:『虹』 → 『窓明り』
お題 平成10年6月9日 発言No.146
作成 なのはな様 平成10年6月14日 発言No.147
わすれ草
お題 なのはな様 平成10年6月14日 発言No.147
作成 平成10年6月18日 発言No.148
『ことくにの』 〜 『忘れ草』 〜 『時計盤』
『虹』 なのはなさん作
情熱、挫折、欲望、羨望、絶望、渇望・・
「青春」の諸相でしょうか。若い人たちだけのものではないと思いますけれど、若い人たちのほうが変化が激しいかもしれません。燃えやすく、壊れやすい。答えをすぐにも手にできると思っている年代。
というよりも、すぐにも手にできなければ、たち行かないと焦っている年代かもしれません。しのぎ削る学歴競争、就職のステータス、恋の奪い合い、姿かたちへの妄執などなど、歳月のあとではなぜあれほどまでこだわったのかと不可解ないくつかのことが、波浪となって、この季節をゆく舳先(へさき)を翻弄する。
でも、だからこそ、虹の橋なのでしょう。
はかないものかもしれないのですが、今となっては地面から遥か眺めているしかない、そういうあでやかな浮き橋・・
なのはなさんは渡っている。それは、確かです。
『窓明り』 和香作
和香様式、二連もの。
『虹』の、情熱、達成、挫折という匂いを引き継いで歌っています。
彼のような、格好悪いこと、私も数限りなくしました。両手に花ということはまず無い。何かを得たときには何かは失っている。人はそれを教訓と言うようですが、甘酸っぱく思い返すこともあるでしょうが、渦中の彼は、今、むごく裂かれている。誰も助けてくれません。「窓明り」を見上げ、痛苦に耐えなければならないのです。
「兄」を演じている「男」が、ならば、勝利を謳歌しているかというと、それも違う。主人公の心の中では、魔王ともいえるほどの勝者かもしれませんが、男は男で、別の憂愁に囚われているのではと想像します。
「わるいな、坊や」
男は、昔の自分に向かって、片手をあげている。
ドアが閉まったあと、いそいそと笑顔でもたれかかる女を、もうどこかうっとうしく感じて・・
『わすれ草』 なのはなさん作
「忘れそう」と「忘れよう」と、一音の違いなのですが、意味は反転しています。
最後の「忘れよう」だけで、それまでを全て消してしまうことはほぼ力不足に思え、同じように現実においても、忘れきれないのでしょう。
これはこれで、『窓明り』の女のその後の歌なのかもしれません。
表では述べられていませんが、猛り迫ってくる男に応じて、女のしめやかな姿態のあかあかと燃え上がってゆくときの息遣いが、聞こえます。
深読みのしすぎでしょうが、もしそういうことなら、もう少しあからさまな表現でも作品は崩れはしないという気はします。
『時計盤』 和香作
同じく、和香様式二連もの。
恩をその人に返せずに、時経てから、別の人に返す。これを「バトン」と例えてみました。
だから、あいつに見せたくて「とどけ、今の場面」と心で呼びかける。今どこにいるかしれないあいつへ、というより、過去のあのときへという飛ばし方です。
現実界の返財は時間を無視できないので利息を付けるようです。心の世界では時間はあっても無かったり、なくても有ったりでしょう。伸び縮み程度は当たり前。そんな姿を、この作品には刻めていると思います。
あいつもやはり、他の誰かのバトンを彼女に返しただけなのでしょうか。わからないですけれど、色恋だけでは説明できない何かはあった、そう思いたいです。男と女ではなくて、人と人として見過ごせなかったこと。多少早めに大人になった青年になら、見えていると思いますので。
にしても、出会いと別れというのは、単純ではないです。出会っていても気づかないときもあれば、別れたはずなのにいつまでも話しかけているとか、よくあるようです。
この時期の傾向として、西山さんという衝撃への反作用としてでしょうが、どうも、健全な作品ということを意識しすぎているかもしれません。そういう感触に気づいていました。
> 「人の”負の部分”は誰だって書けるんだ。
> 前向きで力強いことを書くことが1番難しいと思う」
(なのはな様 平成10年5月26日 発言No.135)
前章にある、この、なのはなさんが引用した正論に縛られている、という風です。
平成10年6月18日 発言No.148の終わりにあるとおり、六月下旬から七月上旬にかけて、私の勤務が異様に忙しくなりました。ときたま発言はできますが、これはやっと時間を絞り出してというものです。アクティブな参加者がこの頃、私たち二人しかいなかったために、二人の発言が途切れなく記録されてはいますが、数日から一週間ほどの飛び石状態です。以降特に、日付にご注意下さればと思います。
発言間隔があいたことによって、幸だったのか不幸だったのか、上で述べた自縛ということを自覚することもできたようですし、なのはなさんとなのはなさんの文芸から多少は距離をおくことにもなったのではと思います。
・・・そして、それだけでなく、ある事件が、まもなく生起します。
いや、「事件」ではなく「祝い事」であったはずなのですけれど、今となっては、なのはなさんにとって、(私にとっても少なからず)、波浪となって打ち寄せてきたものだったのです。
あらずもがな、という感慨があります。
虹の橋なのですから、避けようもなかった、そうなのかもしれません。
☆ 注2 ☆
> (お題の難度ということと、文芸ではないのですが、他所で長文発言していました。← うう、調子に乗って、失敗してしまったみたい・・・)
私の、平成10年6月18日 発言No.148にある、「他所」とは、Just Net の会議室「ホームページ作成質問箱」のことです。
『夏文庫 発言 平成10年』 Forum/Internet【ホームページ作成質問箱】
上をご参照下さい。
6月12日頃から、「怪しげなレポート」を発表していました。
☆ 注3 ☆
本章におけるCHANCEマスターの発言のレプリカファイルによる転載については、事後になりましたが、本日(平成11年2月3日)、ご了解をいただきました。
ありがとうございます!
☆
☆
☆