Ex-Terran

UFO ディスクロージャー プロジェクト(2)

ジョン・メイナード(元アメリカ陸軍軍曹)

Mr. John Maynard Defence Intelligence Agency (Ret.)

私はジョン・メイナードです。陸軍を退役したとき、第一階級軍曹サージェント・ファーストクラスでした。

21年間の任務を通して、最高機密アクセス許可証を保持していました。そのころは細分化されていて、最も高度な機密としてはTティーKケーOMNIオムニCRYPTOクリプト、その他があります。私は非常に重要な文書へのアクセスができました。

私の証言は、基本的に二つあります。私は1980年に、DIA(防衛諜報機関)から引退しましたが、管理者だったとき、事務室のすべてを管理しており、すべての書類にサインしていました。私は、2,000あまりの文書にサインしました。

これらの目録にサインするためには、すべてを読まなければなりません。一語一語ではありませんが、私はそれらの文書がすべて完全であると確かめるために、すべてに目を通しました。あらゆる文書は、私が次の人に私の任務を引き渡すとき、そこにありました。ですから、この文書の内容に関する知識は十分に得ていました。

どうか信じていただきたいのですが、そのなかには、UFOに関して言及した文書がたくさんありました。私は、目標にされた物体が写っているNIPC(連邦写真諜報センター)の写真も持っています。私はオフィスで、SALTソルト1ワンSALTソルト2ツーの分野で働きました。ですから、私たちは核兵器武装解除の証拠とするため、いつも写真を撮っていました。

そのなかには、あるはずのない物体が写っている写真がありました。このことについての第二の隠された意味は、多くの人が「影の政府」に関する陰謀説について話しているということです。

私は議会で、これらの「影の政府」は実際に存在するということを、喜んで証言します。私はもう少しのところで、その一部となりかけました。しかし正気を取り戻して、そこから抜け出しました。私の話はこれだけです。いま、私たちが知っていることを明かさなければなりません。議会や、ほかのどんな組織の前でも、私が目撃したことが真実であると証言します。

カール・ウルフ(元アメリカ空軍)

Sergeant Karl wolf: US Air Force

おはようございます。私はカール・ウルフといいます。アメリカ空軍で最高機密アクセス許可証を保持していた、精密電気写真修理工でした。

バージニア州のラングレー空軍基地に勤務していたときのことです。私は1965年のなかばに、NASAラングレーフィールドの「月の人口惑星プロジェクト」に駆り出されました。カーリー博士がこのプロジェクトを統括していました。ある電気機器が故障していて、写真の製作の障害となっていたので、私が駆り出されたのです。

私がその施設に行くと、建物には世界各国の科学者たちが集まっていました。私は、NASAのプロジェクトに世界中の科学者たちが集まっているのを見て、呆然としました。初め、私にはその意味が分かりませんでした。

私は故障した電気機器がある研究室に連れていかれました。暗い部屋ではその機械を修理することができないので、それを移動させるように頼みました。そのとき、一人の二等飛行士がその暗い部屋にいました。私もそのころは二等飛行士でした。私はどのようにしてすべてのプロジェクトが運用され、どのようにして、データが月の軌道から研究室に入ってきたか、疑問に思いました。私がその若い飛行士に尋ねると、彼は説明してくれました。

30分くらい経ったころ、彼は大変困ったように「ところで、我々は月の裏側に基地を発見した」と言いました。そして彼は、私に写真を見せてくれました。その写真には明らかに、きのこ形状のビル、球状のビル、そして塔の建築物が写っていました。私たちは、閉ざされた防衛分野のなかで働いていたので、そのとき、私はとても心配になりました。彼が安全保障の秘密を洩らしたからです。私はとても怖くなり、それ以上、彼に質問しませんでした。

その後、誰かが部屋に入ってきました。私はさらに3日間そこで仕事をしたあと、馬鹿正直にも、夕方のニュースでそのことを聞くのが待ちきれずに、家に帰ったのを覚えています。そして30年あまり経った今日、今夜こそ、そのニュースを聞くことを願っています。

私は議会で、私が言っていることが真実であると証言します。

ドナ・ヘア(元NASA従業者)

Ms. Donna Hare: NASA Employee

カール、ありがとう。みなさん、おはようございます。私は、ドナ・ヘアといい、1967年から1981年までフィルコ・フォード航空宇宙センターに勤務した、デザイン、イラストレータ、製図工でした。

私はNASA向けに、発射滑走路、着陸滑走路、照尺図板装置、月面地図の製図をしました。私たちは請け負い業者でしたが、たいていNASAの第8ビルで仕事をしました。

宇宙飛行計画の合間のあまり忙しくない時間に、余分の仕事をする機会がありました。私は、事務室から廊下を隔てたところにあったNASAの研究室である、写真実験室に立ち入りました。私は、それほど高い地位にないのですが、機密アクセス許可証を所持していて、機密区域に入るのを許されていました。そして、その写真実験室もその一つでした。

そこで技術員の一人と話しているとき、私は彼が見せてくれた一枚のNASAの写真に目をとめました。その写真には点が写っていたのです。「これは何?」と聞くと、彼は興味深いことを言いました。私が「感光乳剤のしみですか?」と聞くと、彼は、笑顔を見せながら腕を組み、「感光乳剤の丸い点は、地上には丸い影を落とさないよ」と言ったのです。

その写真は、地球の空中写真でした――松の木があったので地球だと思ったのですが。この飛行物体らしきものは、木の影と同じ角度に影を落としていました。私は彼に確認したかったのですが――未確認飛行物体という単語通り、私にはそれがなんなのかわかりませんでしたが――その時点でそれは、機密扱いにされていたことがわかりました。なぜなら、私が尋ねると彼は「それを聞いてどうするんだい?」と言い、「いつも民間用に売る前に、修正用エアブラシで消すんだよ」と言ったからです。これらの写真に写った厄介で小さな物体クリーチャーたちを、彼らは消去したがっていたのです。

そのあとは、そこで働くほかの人たちに質問することにしました。そして私は、彼らに仕事中にではなく、プライベートで質問しなければならないことがわかりました。

警備員の一人は、「写真を一枚も見てはならず、焼き捨てるように言われた」と私に言いました。また、緑色の軍服を着た警備員が見守るなか、それらの写真を焼却した人もいます。彼はどうしても疑惑に駆られ、一枚の写真を見ると、UFOが写っていました。彼の描写はとても詳しかったので、あとで興味のあるかたにはお話しします。

(写真を盗み見たあと)彼はすぐに頭を何かで叩かれ、額に大きな傷を負い、意識を失いました。とても怖がっているので、彼を守る必要があります。

次に、もう一つの事件についてお話しします。私はアポロ宇宙飛行士と検疫所で一緒だった人を知っています。アポロ宇宙飛行士が月に着陸したとき、宇宙船を目撃したと、その人は私に言いました。そして彼もまた怖がっていて、「アポロ宇宙飛行士は、このことについて喋らないように言われていて、彼らはこのことについて話すことを許されていない」と言いました。

知っていただきたいのは、私は長いあいだNASAの請け負い業者として働いていて、このことに偶然、出くわしたということです。ですから、長いあいだ働いていたからといって、すべての人がこのことについて知っているわけではありません。

私の上司は知りませんでしたし、私の隣に座っていた同僚も知りませんでした。これはとても奇妙なことなのですが――どうやって、そうできるのかも知りませんが――彼らは、ある一定の人々にはこのことを知らせ、ほかの人には知らせないようにしているのです。

私は喜んで、議会で私の言ったことが真実であると証言します。ありがとうございました。

ラリー・ウォーレン(元アメリカ空軍)

Mr. Larry Warren: US Air Force, Security Officer

おはようございます、みなさん。そしてプレスのメンバーのかたがた。私はラリー・ウォーレンといいます。

20年前の1980年に、東アングファのサフォークで、安全保障のスペシャリストとして、英国空軍(RAF)ベントウォーターのNATOの空軍基地に勤務していました。

そのころ、そこに保管されていた補強用核兵器を警備していました。その核兵器の存在は、イギリスの人々には知らされていませんでした。

私は、3夜にわたるUFO事件の一部を体験しました。UFOは、私たちのWSA(兵器保管庫敷地内)の上に侵入し、鉛筆ほどの太さの光線を発射し、そしておそらく、その核兵器を作動不能にしました。

UFOは2夜にわたって現れ、エイリアンが目撃された可能性があります。これは、知られざる事実です。

これらの事件は、イギリス政府だけでなく、アメリカ政府にとっても安全保障上、非常に重要な出来事です。これらの事件は、いまだに秘密にされています。これはとても複雑で、大変重要な問題です。単なるUFO問題ではなく、人権問題です。

20年前なら、この会議室は空っぽだったでしょう。私は、歴史の転換を感じています。これは変化のある歴史ですが、不幸にも、安全保障機密の伴う歴史です。

私が何を経験したか、何を見たかを議会の前で誓うのは、名誉なことです。これらの出来事は、数えきれないほどの政府による否定と、SF小説のような副基地司令官チャールズ・ホルト空軍中佐のメモを生み出してきました。そして何年ものち、これらの物体が離れわざを演じ、上空を侵犯した音を、中佐が録音したカセットテープも生まれました。

これらの事件は、安全保障上非常に重要です。私は、この出来事を経験した軍の人たちが法的免除を与えられ、ここにいる私たちに加わることを願っています。ここにいる人たちとステージをともにすることは光栄です。

私は、世界中のすべての子供たちと、私の息子のデニスのために、世界を変えることができると思います。あなたがたも、ここにいる私たちとともに英雄です。

私は議会で、いま言ったことが真実であると証言します。ありがとうございました。

ジョージ・ファイラー三世(元アメリカ空軍少佐)

Maj. George A. Filer, III: US Air Force (Ret.)

私はジョージ・ファイラー3世です。私がここにいる理由は、私の孫のジョージ・ファイラー5世が、金曜に生まれる予定だからです。

私は退役した諜報部員で、5,000時間の飛行経験のあるパイロットでした。1962年にロンドンから「UFOを追跡できるか」という連絡を受けるまで、私はその存在を信じていませんでした。私たちは承諾し、私がいた3万フィートから、UFOが旋回していた1,000フィートまで降下しました。私たちは急降下し、その航空機の赤線を超えました。UFOを追跡するのは危険なことです。

そして私たちは、40マイル先にそのUFOをレーダーに捉え、遠くに光を見ることができました。そして、私たちが近づくとともに、レーダーに何度もそれを捉えました。レーダー上のUFOは独特な動きをしていて、安定していました。そして、それは何らかの金属製の物体だということを示していました。

私たちが1マイルほど先まで近づくと、UFOはきらめいて、空に消えましtあ。それはスペースシャトルが離陸するときによく似ていました。

その後、私は諜報部に勤務し、ベトナムでUFOについてブラウン大将と会見しました。

マクガイア空軍基地の21空軍隊にいたときにはグロー大将と、1976年のイランのテヘラン上空のUFO事件について話をしました。それは、イラン空軍の2機のF-4が離陸し、UFOを攻撃しようとした事件でした。彼らが発射コントロールシステムのスイッチを入れたとき、すぐにF-4の電気システムが遮断され、彼らは基地に戻らなければならなくなりました。これはとくに重要な事件でした。衛星にも捉えられたからです。

1978年の1月18日、私は、いつものように朝に基地に行って参謀グループと会見ブリーフィングしていたとき、滑走路の端にライトが点灯しているのに気づきました。私が指令席に着いたとき、そこを仕切っている下士官が、夜中パンハンドルにUFOが現れたのをレーダーが捉え、管制塔もそれを目撃し、航空機報告も受けたなどなどと告げ、UFOが1機、フォートディックス陸軍基地に着陸もしくは墜落したかもしれない、と言いました。フォートディックス陸軍基地とマクガイア空軍基地は、同じ敷地内にありました。

この事件はロズウェルのようでした。飛行物体からエイリアンが出てきて、軍警官に撃たれたのが目撃されていたのです。その生物は明らかに負傷したようですが、マクガイア空軍基地のほうに向かって歩いていきました。何らかの理由により、エイリアンは陸軍より空軍が好きなようです。たぶん陸軍は彼らに銃を向けたからでしょう。

ともかくその後、警備警官が滑走路の端でエイリアンが死んでいるのを見つけました。彼らは私に、トム・サドラー大将と8時に会見をするように頼みました。私は「大将はユーモアのセンスがないし、自分自身もこの話が信じられないから、会見はしたくない」と言いました。

私はこの事件の詳細をチェックすることにし、438司令部に電話したところ、大概みんなが同じことを言いました。8時に会見する直前、みんなが心配していました。彼らは「会見しなくていいよ。このことはホットすぎる」と言っていました。

これが、おおよその私の話です。私は議会の前で、話をする用意ができています。これは真実です。この事件のおかげで、私はUFOに興味を持ち続けています。

私は東MUFON(相互UFOネットワーク)の理事をしています。ピーター・ダベンポート率いるアメリカ報告センターとMUFONで1週間に平均100件のUFO目撃報告を受けます。アメリカじゅうの人々が、常にUFOを目撃しているのです。

あなたも興味を持ち、注意深く見れば、彼らを目撃することができるでしょう。UFOは低空にいるので、人々はいつでも見ることができます。MUFONに報告してくる人々は大変信頼できる人たちで、主に電子メールによって連絡してきます。

ありがとうございました。

クリフォード・ストーン(元アメリカ陸軍軍曹)

Sgt. Clifford Stone: US Army

おはようございます、みなさん。クリフォード・ストーンです。私はアメリカ陸軍の第一等下士官で、核兵器機密アクセス許可証を持っていました。

特殊オペレーションに呼ばれたとき、ミッションに即応するために、許可証を得ることができたのです。

いま、私が話しているのは墜落したUFOの回収、それから、うまい表現がないのですが、その墜落機から油性物質を取り除くことにも関わっていました。これらの墜落にはそれに関わる異星人の遺体もあり、そのなかには、生きた異星人もいました。

このようなことをしていながら、アメリカ国民には何もないと言っていたのです。

何件かの出来事の概略を、もう少し詳しくお話ししたいと思います。私の話す内容についての質問をいつでも受け付けますので、グリア博士にあとで手はずを整えてもらってください。

問題は、私たちはアメリカ国民に、UFOなんてものは存在しないと言い続けてきたことです。私は、これらの地球外物体の回収に関わってきました。私たちは、それらの物体が地球外から来たことを知っています。

1969年に、バージニア州のフォートリーに駐在しているとき、起こった事件があります。

私たちはペンシルベニアのインディアンタウンの峠に行きました。これが、私がUFOの回収に関わった最初の事件でした。私たちが着いたとき、施設の人々がすでにそこに来ていて、私たちは後方支援チームでした。

この物体には核兵器が搭載されているという前提で、NBC(核兵器、生物兵器、化学兵器)に関わる作業をすることになっていました。のちに、これに関わったほとんどの人が、その物体には何も搭載されておらず、ただ一機の航空機が墜落しただけだと伝えられました。

しかし、私はそれ以上のことを知っていました。私はガイガー計数管(放射能測定器)を持って、表面をチェックするためにその物体に近づいたチームのメンバーだったからです。

私は、異星人の遺体の第一発見者でした。これは、のちに続く12件のうちの最初の事件でした。UFOの墜落は毎日起きるわけではなく、非常にまれなことです。

私は、宇宙には地球人だけが存在するのではないことを知っています。そして、証拠が存在しないことが、存在しないことの証拠ではないことを知っています。そして、その証拠自体がアメリカ国民に否定され続けてきたのです。

議会が私を呼び、「あなたが見たことを詳しく議会で証言してくれますか」と頼むかもしれないときの、私の答えを、あなたがたと全能の神を前にして今、言います。私にはその用意ができています。

政府は理由もなしに、人々に嘘をつくべきではありません。ありがとう。

マーク・マキャンドリッシュ(航空宇宙イラストレーター)

Mr. Mark McCandlish US Air Force

おはようございます。私はマーク・マキャンドリッシュです。この21年間、様々な防衛産業請負業者のために、コンセプトアーティストとして働いてきました。私は、ロックウェル社のX-30プログラム、またHYSTPハイステッププログラムの生産にも携わりました。HYSTPとは、Hyper音速SonicテストTestベッドBedプログラムProgramのことです。

長年のキャリアを通して、2回ほど安全保障機密アクセス許可証を持つ機会がありました。

1967年に、私の父がウェストオーバー空軍基地の第8空軍の空軍戦略司令部に駐在していたとき、私は望遠鏡で、UFOが核兵器の施設の上空を約10分ほど飛行しているのを目撃しました。そのUFOは、ライフルの弾丸のような急速度で飛び去りました。

1988年11月に、大学時代の友人であるブラッド・ソレンソンが、ノートン空軍基地で11月12日に開催された航空ショーの際に、巨大な格納庫でUFOを3機目撃したと私に言いました。

私はその後、その地域の下院議員だった、ジョージ・E・ブラウン・ジュニアの事務所に電話しました。ブラウン議員はそのころ、宇宙科学先進技術部門の下院議員委員長でした。友人、ブラッドが行ったプレゼンテーションは、軍のトップの高官と、議会の議員に向けてのものだったので、私はブラウン議員の事務所が、地域の空軍の公務事務所と協力して行ったものと思ったのです。ブラウン議員の事務所で働く男性スタッフは、そのショーが実際に開催されたことだけでなく、展示物のなかには、3つの円盤があったことを確認してくれました。

これらの円盤は、何の支えもなしに床から浮いていたということです。これらの円盤は「再生エイリアン航空機(AエイリアンRリプロダクションVヴィークル)」とされ、あだ名は「フラックスFluxライナーLiner」と呼ばれていました。とても高電圧の電気を使っていたからです。

ブラッドは円盤を見たあとすぐにスケッチし、その後、より正確になるように描き直しました。グリア博士がいま持っているのが、彼のスケッチをもとにして、私が作ったフラックスライナーの図です。

その後、私は2枚の写真を手に入れました。この写真は1967年に、軍のパイロットであるハーベイ・ウィリアムスが、空軍のC-47機でユタ州プロボの25マイルほど南西の、高度1万2,000フィートを飛行中に撮影したものです。

このUFOは、いわゆるARVと呼ばれる戦闘機に、寸法と細かい形が一致しています。この写真は1967年の6月に撮影されました。

のちの1992年に、エドワーズ空軍基地の航空ショーで、ケント・セレンという人と話す機会がありました。その航空ショーは、B-2爆撃機の最初の一般市民の公開の場でした。

セレン氏は、1973年にエドワーズ空軍基地で実験航空機のプロジェクト主任長だったときに、思いがけなく、ARVという機密扱いの飛行機のある施設を通りかかったことを、私に教えてくれました。彼はARVについて詳しく描写してくれ、さらに、ブラッド・ソレンソンが知らなかった内部形態と動作の方法について、詳しく付け加えました。

その後、ブラッドは有名な航空機設計者であるバート・ラットン氏と会い、彼に、あなたがたが今見ている青写真のコピーを渡しました。ラットン氏はその写真を冗談だと思い、ジョークとしてそれを壁に飾りました。

あとになって第三者から聞いたのですが、エドワーズ空軍基地のレイ・ウォルシュ中佐がラットン氏の家を訪ねたとき、この青写真を見てひどくショックを受け、憤慨したそうです。彼は、ラットン氏がいったいそれをどこで手に入れたのかを知りたがりました。というのも、そのころ1994年か95年にエドワーズ空軍基地の北基地ビルに、そのような航空機が実際に存在したからです。

その後私はこの航空機について調査し、空軍が、早くは1960年から最高速度マッハ20までの、航空機模型試験風洞円盤テストを行ってきたということを示す、多くの機密解除文書を見る機会がありました。

そしてまた、NASAによるよく似た機密解除文書も持っています。これが、その最高時速マッハ20までの、航空機模型試験用風洞円盤テストについて書かれている書類です。

そして、これが様々な球状やレンズ状の形の航空機による、最高速度マッハ6までの、風洞円盤テストが実施されたことについて書かれている機密解除書類です。

ヘラクレス・エアスペースセンターの事務内部メモも、その後手に入れました。これには、ゼロポイントエネルギーやスカラー波といった特別な科学用語が述べられています。ブラッド・ソレンソンによると、これらが反重力推進技術のもととなるということです。

この書類には、ニコラ・テスラによって1900年代の初期に発見された根元的能力付与テクノロジー(Fundamental Enabling Technology)について調査する安全防備諜報庁とロシアの科学学会との6回に及ぶ会合のことが述べられています。

とにかく、あとでより詳細をお話しすることができます。そして、これらの出来事とその真実性についての詳細を、議会で証言する用意ができています。どうもありがとうございました。

ダニエル・シーェン(弁護士)

Mr. daniel Sheehan: Attorney

おはようございます。ダニエル・シーェンです。私は、ディスクロージャー・プロジェクトの顧問弁護士です。

1967年にアメリカ政府と憲法の研究を専攻し、ハーバード大学を卒業しました。その後、法廷弁護士として働き、ペンタゴンペーパー事件での、ニューヨークタイムズ社の共同弁護士の一人でした。

そして、連邦最高裁判所で、ニューヨークタイムズ社が47巻にのぼるペンタゴンペーパーを発行できる許可証を得るための訴訟資料の作成と、法廷論争に関わりました。

その後、F・リー・ベイリーの事務所で特別弁護士をし、ウォーターゲート事件で、法廷弁護士の一人としてジェームス・マッコード氏を弁護し、マッコード氏に当時のホワイトハウスにおけるウォーターゲート事件と「プラマー組合」との関係を証明する手紙をセリカ判事宛てに書かせました。

この事件のあと、私はハーバード大学に戻り、公共政策における、ユダヤ-キリスト教の社会倫理を学ぶために、神学部に入りました。そこで修士号と博士号を取得し、ワシントンD.C.のアメリカ合衆国イエズス会本部の顧問弁護士になり、国家社会聖職者事務所の社会政策事務所に配属されました。

そこで勤務中の1977年に、議会研究所の科学技術部門の所長だったマーシャ・スミス史から連絡を受け、彼女と会いました。彼女の話では、カーター大統領は1977年1月の大統領就任の際、当時CIA長官だった、ジョージ・ブッシュ・シニア(元米大統領)と会見し、アメリカ諜報機関が持っている機密扱いの、UFOとエイリアンの情報について要求したところ、ブッシュ長官はそれを断り、その情報についてアクセスするためには機密許可証が必要で、国家研究所(アメリカ下院議員研究所の科学技術部)と接触し、彼らに、この情報の機密解除手続きをしてもらう必要があると大統領に言ったといいます。

DDirectorC of Central IIntelligenceは、大統領がこの情報をアメリカ国民に公開しようとしていると勘ぐったので、マーシャ・スミス史の管理下にある下院技家研究所の科学技術部は、下院議会の科学学術委員会から、異星人の存在とUFO現象との関係について、大規模な調査をするよう、依頼を受けたのです。

私はスミス史に、アメリカ合衆国イエズス会と国家社会聖職者オフィスの顧問弁護士としての力量でバチカン図書館にアクセスし、バチカンが持っている異星人の存在と、UFO現象についての情報が入手できるかどうか試してほしいと頼まれました。

私は、国家社会聖職者オフィスの理事であるウィリアム・J・デイビス神父の許可を得て、バチカンに許可を願いましたが、アメリカ合衆国イエズス会命令として、バチカン図書館の持っている情報へのアクセスは拒否されました。

私がスミス史にそのことを伝えると、彼女は、私にあるプロジェクトに参加するように頼みました。そのプロジェクトに関しては、あとの質問のコーナーで個人的に詳しく述べるつもりですが、それによって私は国家研究所の国会図書館の特別顧問として、空軍の「ブルーブック・プロジェクト」の機密部分の文書にアクセスすることができました。

1977年の5月だったと思いますが、アメリカ国会図書館のマディソンビルに行く機会があり、そのとき、そこには誰もいませんでした。そのビルはできたばかりの新しい建物で、私は地下のオフィスに案内されました。警備員が二人、ドアのところにいました。3人目の警備員はテーブルのところに座っていて、私の身分証明書をチェックし、私がアメリカ国会図書館の国会研究所の特別コンサルタントとして任命されていることを確認し、やっと部屋に入ることを許されました。

そこで私は、疑う余地のないUFOの写真を何十枚も見つけました。UFOは墜落し、雪で埋まった土地に溝を作り、土手にはまっていました。アメリカ空軍の隊員がこのUFOの近くにいて、写真を撮影している姿もありました。

そのなかには、UFOの側面に何らかの記号が写っている写真がありました。そして私は、この記号のクローズアップが写っている写真を見つけました。

私はメモを取らないように言われていて、鞄と身分証明書を、部屋の外に置いていかなければなりませんでした。しかし私は小さな黄色のメモ帳を忍ばせていました。そこで私はメモ帳を開き、メモ帳の裏表紙の厚紙と同じ大きさにプロジェクターの焦点を合わせ、このUFOの側面の記号をなぞりました。そしてメモ帳を閉じ、マイクロフィルムを箱に戻してふたをし、「行く時間だ」とつぶやきました。

そして、そのメモを持って部屋から出ようとしたら、警備員が私を呼びとめて言いました。「シーェンさん、そこに持っているのは何です?」私はメモ帳を手渡し、彼はページをめくりましたが、私が書き写した絵は見つかりませんでした。

そして私はメモ帳を、アメリカ・イエズス会本部に持ち帰りました。スタッフとウィリアム・J・デイビス神父とでミーティングを開き、彼らにこのことを報告しました。

私はをのころ、アメリカ・イエズス会本部からアメリカ教会会議に報告書を作ることを公認されていたので、私は、国内の54のすべての主要な宗派に、異星人についての研究を引き受けるよう要求しましたが、教会会議はそれを拒否しました。

その後、1977年中に、私はSETIのジェット機推進力研究所の50人の科学者たちに3時間の非公開の講演会をするよう頼まれ、それを引き受けもしました。

私は喜んでアメリカ議会で証言しますし、どんなメディアの人たちとも会見します。そのとき皆さんは、私がカレン・シルクウッド事件の主任弁護士を務め、この件で勝訴したことを思い出されるかもしれません。

私はイラン・コントラ事件でも主任弁護士も務めました。また、私はアメリカ議会で、リチャード・C・コーデンとアルバート・ハッキムの隠された計画の存在について最初に証言した人物です。

私は喜んで、この隠された計画と「影の政府」についての、私の信ずるところの詳しい関係を述べます。彼らが、アメリカ国民にUFOについての情報を、ひた隠しにしているのです。

私はディスクロージャー・プロジェクトの顧問弁護士であることに満足しており、とても誇りに思っています。ありがとうございました。

キャロル・ローゼン(元宇宙ミサイル防衛部門)

Dr. Carol Rosin

おはようございます。私はキャロル・ローゼンといいます。1974年に、小学校6年生担任の教師を務めたあと、アメリカのロケットの父である故ワーナー・フォン・ブラウン氏を紹介されました。

最初に会ったとき、最初の3時間半のうちに彼は私に言いました。「キャロル、君たちは宇宙兵器開発の使用を中止するよ」と。私が「冗談はおやめになって」と言うと、彼は「違うんだ、わかってくれ。今は2月だ。宇宙兵器の使用をやめなきゃいかん。その背後には嘘が隠されているからだ。最初のうわべ上の宇宙兵器使用の目的は悪の帝国ロシアだ。それ以外にも、たくさんの敵がいるんだ。そして、その架空の敵に対して、宇宙に基地を持つ兵器システムを作るんだよ」と言いました。

最初の敵はロシアだ、と彼は言うのです。そして、次の敵はテロリスト、そして、その次は第三世界の国々。現在、私たちが呼ぶところの劣等な国々や、問題を抱える国々。そして次は小惑星。そして、彼は次がら次へと続けました。最後の候補、そしてまた最後の候補。そして最後は、異星人からの脅迫なのだと。

ですが、彼が小惑星とか言ったとき、私はそれをまじめに取りませんでした。というのも、その問題に自分が関わることになるとは思っていなかったからです。そして今まさに、彼らが次の敵を持ち出したことをニュースが伝えています。

言い換えれば、一兆ドルにも上るお金を使い、その莫大なお金を宇宙基地の兵器システムに浪費するには、何らかの理由がなければならないのです。ところが、そんな理由はすべて嘘です。

「これは誰も守ることのない防衛システムなんだ」。フォン・ブラウン博士は言いました。そのころでさえ、彼は宇宙兵器の対象とはならないはずのスーツケース爆弾や化学兵器、生物兵器について話していました。そして彼は私に、もし世界旅行をすれば――彼の没後、1977年に実際に旅行したのですが――100か国以上で友人たちに会うだろうと言いました。

彼らは敵ではありません。彼らは宇宙兵器なんて作りたがっていません。私は宇宙防衛ミサイルコンサルタントになり、世界中の人々と働く機会がありました。私は中国の人々へのアドバイザーになりました。彼らは、宇宙兵器システムを建設したがっていません。そしてフォン・ブラウン博士は、当時からそのように言っていました。

彼は「ロシアに行くんだって?彼らは私たちの敵だと思われている(アメリカ人は、ロシア人を敵だと思い込んでいる)んだよ」。私は一人で飛行機に乗りました。ロシアに着くと、新聞で読んだ人々のリストがありました。当時、チェルネンコ氏が書記長でした。そのリストの中で私が会えなかったのは、チェルネンコ書記長ただ一人です。(ほかの)ロシアの人々は、私を皆に紹介してくれました。

アメリカに帰ってから、「フォン・ブラウン博士が言っていたことは嘘じゃなかったんだ。ロシアからの脅威なんてなかったんだ」と思いました。そして27年間、私は今日のこの日を待っていました。私は混乱が起きるのを待っています。

というのも、フォン・ブラウン博士は軍の戦略家、そしてMXミサイルの研究家として――のちに私も研究家になりました――私に説明したからです。「私たちは、宇宙兵器を使う敵を探す口実を待っているんだ」と彼は言いました。

「今、私たちは口実となる混乱を期待するべきだ。なぜなら、諜報機関の公式はこういうものだからだ。『彼ら(敵)は兵器を所有しているかもしれない。だから私たちは、彼らがこれらの兵器を所持しているというふうに想定しなければならない。彼らが兵器を所有しているので、私たちも、それに対抗する兵器システムを構築しなければならない』」。

この公式は、すべて嘘によって成り立っています。

今日、異星人とその乗り物は地球を訪問していて、それはもはや、未確認飛行物体ではなく、確認されている飛行物体で、生物が乗っていたという証言がなされました。

そして、ここにいる証人たちは、彼らが私たちのミサイルの地下格納室をシャットダウンすることができ、ロケットが宇宙に飛ぶのを止めることができると言いました。私たちは、フォン・ブラウン博士が1974年から1977年にかけて私に言ったことを支持することができる機密扱いの部署で働き、今日ここに来る勇気のあった証人たちがいるのです。

私は「宇宙安全保障協同協会」を設立したとき言ったことを、議会で証言します。

私は、このように巨大で世界中に根を張った複雑な兵器システム、軍事産業を有するこの協会が、グリア博士の述べたような、恩恵を与える宇宙産業に転換させることができるとは思えなかったので、協会を数年前に解散しました。

地球の温暖化についても、私たちはこの問題に終止符を打つことができ、エネルギー危機を防ぐことができ、環境汚染のない技術を作り上げることができるのです。

フォン・ブラウン博士は当時から、私たちは、すでに宙に浮く車を作ることができると言っていました。彼は、その車は光線ビームで動くので、この地球から環境汚染をなくすことができるのだと私に言いました。

人間と動物が抱える、緊急で潜在的な問題と、地球と宇宙における、文明がもたらしたその他の問題を解決することができるのです。フォン・ブラウン博士が私に言ったように、産業を失うことなく、人々から職を奪うことなく、また経済への影響なしに、軍事産業を、世界規模の宇宙産業へと転換トランスフォーミングさせることができるのです。

それが最終的に、どんな戦争や冷戦時よりも、より多くの雇用と利益をこの地球にもたらし、この惑星の抱える問題に、直接的に適用できる製品やサービスを供給するようになるのです。

地球上のすべての文化、民族がこの地球上で平和に暮らすことができ、すべての異星人文化がほかの宇宙の星で平和に暮らすことができるのです。

これらはワーナー・フォン・ブラウン博士が1974年に私に語った言葉で、私は、いま言ったことすべてと、それ以上のことを議会で証言します。ありがとう。

質疑応答

スティーブン・グリア博士

どうもありがとう。証言者のみなさんと、あなたがたの忍耐強さに感謝します。予定を50分ほど遅れていて、申し訳ありません。

強調したいのは、目撃者が見たことをすべて話すには、2時間から5時間ほどかかるということです。今は、そのスナップ写真をお見せしようとしているだけです。私たちのほかに、400人もの目撃者たちがいます。

私はこの重荷を8年間抱えてきましたが、いま、ことを進めていくために、アメリカ国民、そして世界中のみなさんと分かち合っているのです。

それでは、メディアのみなさんからの質問を受け付けたいと思います。あなたがたの判断で、私に対する質問でも、ほかの目撃者に対する質問でも結構です。はい、そこの女性。

ファーマ・メキシコ新聞です。質問が3つあります。
1つ目は、このような秘密を何らかの形で保護する法律がこの国にはあるのでしょうか?
2つ目は、法律を変える必要があるのでしょうか?
そして3つ目は、エネルギー危機の解決策を秘密にすることによって、誰が利益を得ているのですか?

発端は、1940年代のトルーマン政権時代とアイゼンハワー政権時代に、合法的な国家安全保障組織が設置されたことだと思います。現在でも、弁護士をなさっているスティーブン・ラブキン准将が、アイゼンハワー政権時代の終わりに、これらのプロジェクトのコントロールが失われたと証言しました。

主な理由は、軍事産業複合体、諜報部員用語では「産業」の細分化によるということです。SエスAエーIアイCシー社、ロッキード・マーティン社、ノースロップ社など、UFOに関連する、先進的なエネルギー推進力システムを特に扱う企業があります。8年にわたって会見してきたインサイダーたちの話から私が考えられることは、私たちは、憲法の立場からのコントロールを失った、ということです。

軍事諜報機関と企業の設備基盤インフラストラクチャは潤沢な資金を受け、とても複雑な迷宮のようで、閉ざされ、細分化されたなかにまた小さな区分があり、そのまた区分がある、といった状態になっているのです。

そして議会のメンバーで照会を求めた人々――先ほどの証言で、みなさんが聞いた内容の、カーター大統領がアクセスを拒否されたことように――クリントン大統領が紹介を求めたときも、同様にアクセスを拒否されているのです。

ほかの質問についてですが、現状から利益を得ることに関して言えば「石油」です。化石燃料の決定的な転換をよく思わない、地政学的な、そして金融界の勢力が存在します。私は原子力発電所をイオン化する、化石燃料の完全な代替物がすでに存在していることを、公に出てくる準備が整っている科学者たちと協力して証明することができます。

化石燃料はもう必要ないですし、おそらく私が生まれたときはすでに、必要なかったのです。もちろん、これは重要な問題です。

私たちは、何兆ドルもの世界規模の社会基盤の転換について述べているのですから、これは国家安産保障会議の経済分野に警鐘を鳴らすものです。しかし、これよりもっと国家安全保障にとって危険なのは、現状を維持することであり、地球規模の生態系の破壊に突進することなのです。

そして化石燃料不足によって、カリフォルニアだけでなく、世界規模の停電が起きることなのです。私たちはこのことについて何かしなければなりませんし、そのために議会で開かれた公聴会をするように、運動しているのです。

ほかのメディアのかた、お願いします。どうぞ。

国連はこのことに注目していますか?

私は元国連事務総長のブトロス・ブトロス・ガリの奥さんに、個人的に会いました。彼女が言うには、ガリ氏はとても心配していたそうです。1990年代のことでした。

それ以来、国連の何人かの人々が、紹介を求めたのを知っています。問題は、国連はこれに関して命令権がないということです。国連の加盟国から命令権を与えなければならないのです。そして、一般の人々と加盟国が、国連に対してこの問題に関与することを要求する必要があると思います。

これは国際平和と安全保障に関する課題なので、国連常任理事国によって取り上げられる必要があり、もちろん、私たちもそれを勧めています。

どうぞ。

クリフォード・ストーン氏への質問です。あなたは、墜落したUFOに乗っていたエイリアンを見たとおっしゃいましたが、彼らはどのような姿形だったか、描写してもらえますか。

クリフォード・ストーン(元アメリカ陸軍軍曹)

描写はできますが、それにはおそらくかなりの時間が必要になります。なぜかというと、私が1989年に退役したときに、すでの57種類の異星人が目録カタログに載っていたからです。

そのなかのある種は、多少の違いを除けば、道を歩いていても、たぶん私やあなたがたと区別がつかないほど似ています。違いというのは、彼らは真っ暗な部屋を平気で歩くことができ、そして、そのなかで物に触っただけで、その物体の色がわかるということです。嗅覚と視覚と聴覚が非常に優れています。

また、あなたがたがグレイと呼ぶエイリアンにはいろいろなタイプがあります。軍では彼らをグレイとは呼びませんでしたが、少なくとも3種類のグレイが存在します。私たちよりもっと背の高い者もいます。

ここで指摘したいことは、私たちが目録にした異星人の大半はヒューマノイドだということです。研究者たちには、なぜそうなのかを研究する機会ができました。というのも、ほかの惑星で生命が進化するとヒューマノイドや私たちのように二足動物ではなく、ほかの生物の形をとるのではないかと推測しがちだからです。

明らかに、宇宙にはヒューマノイド型の異星人がかなりいるということです。そして、それが科学者にとっての問題(研究テーマ)となります。

スティーブン・グリア博士

(グリア博士:)呼ばれた人は、どこに所属しているのかを言ってください。はい、どうぞ。

ユナイテッドプレス・インターナショナルのジーンです。

航空機ヴィークルを見せてもらえますか?先ほど見せてもらった絵の…。

なぜ航空ショーでこの機が展示されていたのですか?これからとても有益になると、あなたがたが主張する動力の源とは何ですか?そして、この航空機は政府によって独自に開発されたものではないと、どうしてわかるのですか?

エイリアン複製航空機Alien Reproduct Vehicle : ARVという証言があったと思います。正確に言うと、これは非常に高度な反重力Anti-Gravity、ゼロポイント・エネルギーを用いた推進力システムによって作動するということです。

この推進力システムは、ロッキード・マーティン社やノースロップ社、SエスAエーIアイCシー社やほかの複合企業によって開発されたものです。

エイリアン複製航空機は、超光速能力を持っています。つまり光より速い速度で飛ぶことができるということです。マキャンドリッシュ氏や、彼が触れたほかの証人たちが、科学技術に関してより詳しく説明できると思います。私はバージニアの田舎の一医師なので…。

エイリアン複製航空機と呼ばれるのは、異星人宇宙船の研究に基づいて、軍の諜報機関と航空宇宙開発請負企業との協力によって、生産されたものだからです。これはとても重要なことです。なぜなら、私たち人間ホモ・サピエンスはいわゆるゼロポイントフィールド・エネルギーに手を伸ばせることを示しているからです。

ゼロポイントフィールド・エネルギーとは、場全体のエネルギー場のことで、そこに存在するエネルギーが流動的に、化石燃料や環境汚染なしに、この惑星を運営できるすべての動力を発生させることができるものです。

あなたがたには直接的な証拠があるのですか?というのも、あなたがたは、「carnivore」と名付けられた特別プログラムが言及している政府と、同じ政府のことを言っている。

単にそれが、エイリアン複製航空機と呼ばれているからといって、UFOについて長いあいだの歴史と疑問が存在してきたことを考えると、これが実際にその技術に由来するものだということを信じさせる直接的な理由になりますか?

ロケットエンジンを必ずしも、電気に転換する必要はありません。もう少し詳しく説明してもらえますか?

最初の質問については、目撃者の証言があります。何人かはここにおり――ほかの人々は報告書に記載してあり、ここにはいませんが――彼らは特別に回収された、異星人航空機を研究していたのです。

その研究の目覚ましい発見が、エイリアン複製航空機や、ほかの反重力装置の製造に繋がっていったのです。

これは、議会の公開公聴会で証明できます。これが私たちの目的です。私たちはそれを立証することができ、証人たちは、資料と推進力システムについての、特別で詳細な知識を持っています。

これは、ジェット機内部燃料システムではありません。実際には、あるタイプの電源によってスイッチが入りますが、その後は、存在するあらゆる物質とエネルギーを含む、ゼロポイント・エネルギー場にアクセスします。そして、特別な相関関係によって慣性を消滅させ、反重力効果を生み出すのです。

これは非常に複雑で専門的なテーマなので、おそらくこの会見の範囲外になります。しかし、早くも1950年代から反重力効果を研究してきた人々に言及しながら、報告書のなかの資料をお見せすることができます。

ある証人は、彼の家族がランド・コーポレーション社と関係があり、1950年代の半ばから反重力推進システムに、マンハッタン・プロジェクトよりも多くのお金が使われてきたと述べています。

ですから、これらの点を立証することができます。次の質問をお願いします。

ありがとうございます。私はマレー・フィッシャーです。

下の階で、宇宙からの地球の偵察と監視を扱った、「ワシントン遠隔感知レター」という広報紙を発行しています。

1972年以来、LAN Sat1の打ち上げと、現在、商業用の宇宙映像衛星の打ち上げによる記録が残されており、おそらく3,500万枚ぐらいの宇宙から撮影した地球の写真があります。ですが、そのなかにUFOの写っている写真は1枚もありません。

それらはすべて、修正用ブラシで消されてきたというのですか?

私たちが述べているのは、政府が運営する衛星以外の衛星の情報が、一般の人々に渡る以前に、このタイプの証拠を隠滅させる、細分化されたシステムがあるということです。

ここにいる、防衛諜報機関で働いていたメイナード氏、そしてヘア氏や、ほかの人々の証言が、それを実証すると思います。そのような証拠隠滅プロジェクトに関わってきたほかの証人もいます。

完璧な調査をすれば、見落とされて、証拠が隠滅されなかった何枚かの写真が見つかるかもしれません。私たちには、目録に載った何百万枚もの写真のなかから、それらを探し出す調査資金がありませんでしたが、これらの証拠が徹底的に隠滅されてきたことは知っています。

何十億ドルもの私たちの税金が使われる、これらの秘密プログラムが、効果的に隠ぺいされ続けることができるほどに、一般市民は純真ナイーブであってはなりません。これはメディアと一般大衆とのあいだの、一つの神話のたぐいです。

私たちは、そのようなことがあるはずがない社会に住んでいるという、ポリーアンナ(究極の楽観主義者)神話のようなものです。しかし実際、それは行われてきており、私たちは、それが真実だということを証明できます。

証人の審査の過程について知りたいのですが、それについて説明してもらえますか?

私たちは、目撃者たちが本当の善意の持ち主で、真実を語っているということにとても満足しています。400人のうちの…この20倍もの人々と関わっています。

騙されたことがあるかですって?ええ、私は緊急病棟の医師です。つまりこういうことです。

人々は担架の上で痛みにもがきながら緊急病棟に運ばれてきます。たとえば腎臓結石で。なかにはトイレに行って自分の指を切り、尿検査のカップに血を混じらせて尿に血が入っていると見せかけ、麻酔薬の注射を受けようとする人もいます。

緊急病棟医師として騙されたことがあるかって?――いいえ、私には騙されたことがわかるくらいの頭はあります。

ときどきは?――可能性はあります。では、しばしば騙されているでしょうか。――いいえ。大切なのは、1回か2回騙されたからといって、痛みで来るすべての患者に、嘘をついていると決めてかかって、治療しなかったり受け入れなかったりすることはない、ということです。

この分野では、騙しの例はたくさんあります。しかしながら、すべてがそうであることを意味しません。私たちが述べているのは、大量の調査の結果、資料と、最高機密の目撃者たちと、これが真実であると国会で証言する内部関係者たちを見つけたということです。

もう一つ重要な点は、目撃者たちのうちの何人か――シーハン氏と私、そして二人の弁護士は、国から資格を受けた職業についています。つまり、もし私たちが虚偽の行為をしているのが発覚すれば、医師として、また弁護士としての資格を失うのです。

あなたがたの目の前にいる人々は信用のおける人々で、ほかの証人たちも、私たちが信用できると見極めた人々です。確かに私たちはCIAではありませんし、5万ドルものお金をかけてここの身元保証をすることはできません。しかし、私たちはとても慎重に面接をしてきました。

これらの人々はDD214票(安全防備票)や、彼らが、ある一定の時期にある場所で軍に所属していたという証拠になる書類を、私たちに提示ました。私たちは、証言の重みが今日、勝利を得たことに満足しています。これは真実なのです。

ジョン・サイファー 俳優

私は、その質問に関連してあることを申し上げたい。

世界中で、何千ものUFOの目撃事件が起こっています。そのなかで、ただ1件だけが真実であればいいのです。なぜなら、その一件の真実によって、すべての件が真実ではない、という理論が崩壊するからです。

スティーブン・グリア

…署名されたあらゆる契約と、それから派生したものは、すべて法律上無効なのです。つまり、法理論上でいえば、非合法な事業の結果形成された契約は、法律上の地位がないのです。

今日、この会見を聞いている人々は(今日聞いたことを)自由に話をしていいということを、私は申し上げたい。私たちは、この話題に関する国家安全保障上の誓約は、法律上無効であると宣言します。

それらは不法な事業から派生したもので、憲法上、何の地位もありません。

私の母の家族は、アメリカ独立革命でイギリスと戦い、捕虜になりました。彼らは、この国の設立を援助しました。彼らは、このようなごまかしが押し通されるために、この国のために戦って死んだのではありません。ここの人たちは、自由に話すことができます。証言者に対して、法律上の効力は及びません。

私たちには、この説を支持する弁護士がいますし、ほかの憲法学者もいます。今こそ、ゲームを終了させる時なのです。人類にとっての、新しい時代の幕開けなのです。

講演後のインタビュー

スティーブン・グリア

私たちは、このことが起こってきた、ということを事実として知っています。

私は個人的に、クリントン政権時のCIA長官に会って話をしてきました。彼は、UFOが存在するという事実は知っているけれども、これらのプロジェクトには全くアクセスできない、と言いました。

1994年に、それと同じことを上院歳出委員会の調査員長だったニック・ダマト氏が私に言いました。彼は、だいたい年間400億から800億ドルものお金が、機密プロジェクトに使われていると言いました。彼は、トップシークレット許可証を持っていても、この機密プロジェクトの内部にアクセスできませんでした。彼は、これが闇のプロジェクトのなかで発見した最初のことだ、と言いました。

ですから、これはとても重要なことで、そこから問題が生じます。アイゼンハワー大統領が「軍産複合体に注意せよ。彼らは私たちの民主主義の、チェック・アンド・バランスから逃れることができるからだ」と警告した通りの道を私たちが歩んできたのなら――この問題についてはそうであったと私は思いますが――議会は今こそ、この問題に関して人民を代表し、これらのプロジェクトの監視を再主張する必要があります。

最後の質問です。チェック・アンド・バランスを取り戻すとおっしゃいましたが、証言者のかたがたは、どれほど自信をお持ちですか?

証言者たちは、彼らが見たものが何であるか知っています。彼らは空軍、NRO(国家偵察組織)職員、CIAと契約していた人々、トム・ブローカーが「偉大な世代」と呼ぶ、我が国の英雄である、第二次世界大戦のパイロットにまで及びます。

私が言いたいのは、彼らは自分が目撃したものが何であるかを知っているということです。彼らは、自分たちが直接見たもの以外のことは話しません。私たちは、曖昧模糊とした現象について語っているのではなく、実際に、地球外飛行物体を回収した人たちについて述べているのです。

キャロル・ローゼン(元宇宙ミサイル防衛部門)

…彼らは、誰一人として敵意を持っていません。エイリアンたちは、ミサイル格納庫を遮断できることを私たちに示してきました。彼らは何千年ものあいだ、地球を訪れているのです。

いわゆるエイリアン誘拐事件の特別培養プログラムSpecial Breeding Programsについてはどうですか?

私たちは、私たちが知っていることを扱っているのです。私たちが知っているのは、エイリアンには敵意がないということです。

どうやって説明していいかわかりませんが、一つ例外があります。彼らは、彼らの技術で何ができるのかを私たちに示したのです。

想像できますか?技術を通して文字通り、苦難から人々を救うことができるということを。

――ですから、ここで私たちが扱っているのは、具体的な証拠なのです…。

<終>

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