オルテガの宣誓就任は、ウゴ・チャベスにカラカスから到着する時間を与えるため1時間以上繰り延べられた。式典が進行する中、チャベスはボリビア大統領エボ・モラレス及びエクアドルの大統領当選者ラファエル・コレアと共に入場した。チャベスは、ニカラグア・ベネズエラ間協力の幅の広い構成要素を中南米における明確な反帝国主義の戦略の一部として説明した。
ニカラグア年表 その8
ニカラグア年表 その1 | 〜1890 | ニカラグア征服からサカサの大統領昇格まで |
ニカラグア年表 その2 | 〜1934 | セラヤの政権掌握からサンディーノの暗殺まで |
ニカラグア年表 その3 | 〜1972 | ソモサの政権掌握からクピア・クミ協定まで |
ニカラグア年表 その4 | 〜1979 | マナグア大地震からサンディニスタ革命の勝利まで |
ニカラグア年表 その5 | 〜1982 | オルテガの議長就任からニカラグア民主戦線結成まで |
ニカラグア年表 その6 | 〜1985 | コンタドーラ・グループの創設から「レプンテ85」攻勢まで |
ニカラグア年表 その7 | 〜1989 | セレソ,アリアス大統領の就任からパナマ侵攻まで |
ニカラグア年表 その8 | 〜1998 | チャモロの当選から現在まで |
1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年
1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年
1990年1月
1.01 コントラ、大西洋岸北部のミナ・ロシータで待伏せ攻撃.米国人聖職者ら2人が射殺される.(ロシータ鉱山はロサリオ鉱山会社の所有する金山の一つ)
1.21 オルテガが選挙キャンペーンのためホンジュラス国境地帯のキラリ,サンフアン・デル・リオココを訪問。コントラは800名を動員し襲撃を試みるが撃退される。
1990年2月
2.02 オルテガ大統領,米国に関係正常化交渉の再開を呼びかける.
2.09 政府,コントラら1,190人を釈放.
2.17 レーガン,ロサンゼルス連邦地裁において宣誓供述.イラン・コントラゲートへの関与を否定する.
2.21 マナグアでのFSLN打ち上げ集会に50万人が参加.
2.22 ホワイトハウス、レーガンの宣誓供述を録画したビデオを公表.
2.23 チャモロの顧問アントニオ・ラカヨ,国民和解委員会議長のオバンド枢機卿,コントラのフランクリン司令官とのあいだで会談.4月23日までにコントラ解体を開始することで合意.
アントニオ・ラカヨ・オジャングレン: チャモロ夫人の義息で選挙事務長を務めた。チャモロ政権成立後は大統領府長官となる。
2.25 大統領,国会議員選挙.チャモロが55%を獲得し当選.オルテガは41%にとどまる.国会でもUNOが91議席中51議席を獲得,FSLNは61から39議席に後退するが,単独政党としては依然第1位の座を確保.
2.25 チャモロが勝利宣言。「この選挙には勝者も敗者もない.サンディニスタに投じられた4割の投票も大事にしたい」と声明.エスキプラス合意に沿ってコントラ解体をよびかける.
2.27 オルテガ,敗北を確認.FSLNを前衛政党と位置づけ,「強力でかつ民主主義に忠実な野党として社会的公正に全力を上げる」と声明.
2.27 ホンジュラス政府,コントラに出国を呼掛け.
2.28 UNOとFSLNが,政権交代に向け協議を開始することで合意.オルテガはサンディニスタ革命軍の解体に反対する意向を表明.
2.28 オルテガ大統領,コントラとの即時停戦を命令.
90年3月
3.01 マナグアで政府権力の移動についての会談開始.UNOの代表はラカヨ、FSLN代表はH.オルテガ国防相.カーター元大統領,バエナ・ソアレスOAS事務総長,国連選挙監視団長,エリオット・リチャードソン元米司法長官が同席.
3.02 コントラのスポークスマン,ラミレス,チャモロの即時解体要求を拒否.
3.03 日米首脳会談.ニカラグアへの援助を日本が肩代りすることで合意.
3.04 コントラ,テグシガルパで戦闘停止を宣言.
3.06 オルテガ大統領,報道規制の解除を発表.
3.09 UNOのマヨルガ経済顧問,訪米し4億ドルの融資を要請.
3.13 ブッシュ大統領,経済封鎖を解除すると発表.新政権に対し3億ドルの経済援助を供与する方針を明らかにする.
3.16 オルテガ政権、全政治囚の釈放を完了したと発表.
3.23 ホンジュラスのトンコンタで、UNO新政府代表とコントラ指導者との会談.4月20日までにコントラが武装解除することで合意.
3.27 1日からの政権委譲交渉が完了.議定書が交わされる.米国は当初,援助の凍結をちらつかせたが,のちに黙認.
合意の中身はサンディニスタの主張を大幅に認めるものとなった。「革命後に人民が獲得した利益を尊重し,新憲法の遵守の元に権力の移動を行う」ことが明らかにされ、「サンディニスタ人民軍の正当性を認め,その専門的能力や位階・秩序が維持される」こと,土地改革の実績を尊重することで合意.H.オルテガは国防相として残留することとなる.
3.29 政権交代に伴い、CGは活動を公式に停止.ラテンアメリカの自立の思想を残し、支援グループとあわせた7ヵ国で「リオ・グループ」としての活動を継続することになる.
3.31 コントラ兵士にアメリカへの不満が高まる。テグシカルパ北西20キロのアマラテカで、コントラと思われる武装グループが米軍バスを襲撃.
90年4月
4 政府と議会,政権交代を前に,非逮捕特権法(FSLN幹部の保全),住宅不動産法(革命後に政府が接収,市民に払い下げた土地や家などの保全),市民職務法(公務員の地位保全)など一連の法律をかけこみ制定.
4.02 ラテンアメリカ5ヵ国首脳会議,25日までにコントラを解体するよう要請.
4.06 コントラ関係者ファビオ・エルネスト・カラスコ,NSCと麻薬業者の関係について証言.
4.07 ワシントン連邦地裁陪審,ポインデクスター元米大統領補佐官に対し有罪を宣告.
4.09 コントラ,18日までの解体でチャモロ・ニカラグア次期政権と合意.
4.17 ブッシュ,コントラ解体を支持と表明.
4.18 FSLNとコントラ,翌日正午を期して最終停戦にはいることで合意.
4.19 現政府とコントラ,停戦と漸進的武装解除で合意.コントラは国連中米監視団の管理下に入る.
4.21 サンディニスタ軍,停戦ラインから20キロ以遠への移動を完了.
4.22 国連平和維持軍,マナグア入り.コントラは北部国境地帯の5ヵ所に集結.
4.25 チャモロ新政権発足.徴兵制を廃止,和平実現,経済復興をうたう.UNO内部の反対のため,H.オルテガは国防相ではなく参謀総長として残留し,チャモロが国防相を兼任することとなる.前国防次官ホアキン・クアドラ少将も陸軍司令官として留任.
ホアキン・クァドラ(Joaquín Cuadra Lacayo): クァドラ家はチャモロ家と並び、ニカラグアを代表する名家で数多くの大統領を輩出している。中米大学で解放の神学の影響を受け政治活動に参加。73年にはFSLNの地下活動に入る。クリスマス・パーティー襲撃事件にはオスカル・トゥルシオスとともに参加している。77年には父親を説得し「12人委員会」のメンバーとしている。79年の内戦時にはテルセリスタの幹部として戦闘を率いた。革命後はサンディニスタ人民軍参謀総長となる。
4.25 アンティグア宣言発表.和平努力の方向が,政治的打開から経済的打開へと移行したと宣言.
90年5月
5.1 コントラ代表,マナグア入り.H.オルテガ留任に異議を唱えるが,結局,政府軍の大幅削減とコントラの安全保障を条件に容認.チャモロとのあいだにマナグア共同宣言を結ぶ.
5.04 コントラの解体過程に関する交渉開始.
5.08 コントラ,武器引渡しを開始.
5.10 フランシスコ・マヨルガ中央銀行総裁,「百日でインフレを克服する」と公約.価格統制公共補助を撤廃し,前政権と公務員組合とが交わした「地位保全協定」を一方的に破棄.政府関係職員15万のうち3万〜6万を整理するなど大量首切りに乗り出す.
5.11 チャモロ,農地改革見直し令発表.サンディニスタが接収した土地を旧地主へ返還.「不当に収用された旧地主の権利を回復し,生産拡大をうながす」のが目的.
5.11 公務員労組全国連合(CGTE,4万人)など,大量首切りに反対し雇用保証と200%賃上げを求め48時間ゼネスト突入.スト中止指令後も通信労組などはスト続行.16日に労働者の要求がほぼ認められる形で合意成立.
5.18 コントラ,政府の弱腰を非難.ストによる混乱を口実に,武装解除を無期限延期すると声明.
5.25 ブッシュ米大統領,ニカラグアとパナマに,あわせて7億2,000万ドルの経済援助をおこなうと決定.
5.30 FSLN,UNO,コントラ指導者のあいだで最終停戦協定.1日5百人の武装解除を進めることで合意.コントラは武装闘争を停止.
90年6月
6.10 コントラ兵7千5百が武装解除を完了.残る2千について国連当局は「米国の支援のため武装解除がおくれている」と非難.ヤマタ部隊,南部戦線などコントラ内強硬派は依然武装解除を凍結.
6.15 チャモロ,8月5日までに兵員を8万から4万に半減する軍備削減計画を発表.
6.16 エル・クルセロで3日間にわたりFSLN全国会議開催.国会議員全員,前政府関係者,FNT幹部が出席.「エル・クルセロ決議」を採択..
決議の柱: 敗北を招いた原因として、@農地改革の一部に強制があった,A農民を犠牲にした都市住民優先策をとった,B教会との関係をただしく処理できなかった,C愛国的徴兵制を多数の合意を得ずに強行した,DFSLNが政府活動とまぎらわしい活動をおこなった,などの点について自己批判する。
6.18 FSLN全国会議、来年2月の第1回党大会に向け基礎組織を確立する方針で合意。倫理委員会を設置し,FSLNを民主的に強化するとともに,党員資格を改めて審議することとなる.この集会の意義と「決議」をめぐり,大衆討議が開始される
6.21 ヤマタ,武装解除に応じる.
6.24 国連平和軍,コントラ1万7千を武装解除したと発表.
6.26 コントラ参謀本部のガレアーノ司令官,武装解除を完了と発表.
6.27 労働者全国戦線(FNT)が結成される。サンディニスタ労働者センター(CST)を主体とし、組織人員は40万人を数える。大会は最低賃金の引き上げ,旧資産回復法の執行停止,市民法の復活などを求め10万人の参加するストライキを呼びかける.
構成団体: CSTのほか、農業労働者協会(ATC),国家公務員労組(UNE),保健労働者連合(FETSALUD),ニカラグア教員全国協会(ANDEN),ニカラグア・ジャーナリスト労組(UPN),専門職組織全国総連合(CONAPRO)の7つの組織が結集。
6.27 ブッシュ,開放経済の強制とIDB融資を抱き合せにした新LA政策を発表。
6.30 CIAV-UNが解散。
90年7月
7.02 デクエヤル事務総長,コントラ2万2千の武装解除を完了と発表.
7.02 FNT、大量解雇に反対し,最低賃金2百ドルなど7項目を要求するゼネスト開始.一部は道路にバリケードを作り右翼と対峙.FSLNは,労働者の要求を支持しつつもバリケード戦術を批判.
7.09 学生・労働者が国営ラジオ・テレビ局を占拠.政府は軍に撤去命令.H.オルテガはこれにしたがうが,軍内部には不満.バヤルド・アルセは「党内に敗北主義者がいるが,労働者のたたかいはこれをのりこえるだろう」と発言.
7.10 政府の公約違反に怒る元コントラ兵20名,ルベン司令官(本名オスカル・マヌエル・ソバルバロ・ガルシア)を先頭にマナグアの中央バス・ターミナルを占拠.ストライキ中のサンディニスタ労働者とバリケードをはさんで銃火を交わす.死者6人,負傷者数十名を出す.ホンデュラスの米82空挺師団,スクランブル態勢に入る.元コントラ兵士は国連監視団の説得により撤退.
7.11 オルテガ議長とラカヨ大統領府長官とのあいだで政労合意成立.FNTはスト終結.ゴドイ副大統領ら右派はチャモロとたもとを分かち,COSEP,UNO系労組を糾合し「救国委員会」を設立.合意を公然と非難,米軍派遣要請への動きを見せる.マナグア市長はスト参加者を指名解雇,政府に公然と反抗.
7.19 革命11周年記念集会に5万人が参加.オルテガ議長はCIAの策動を厳しく非難.
7.25 最後まで武装解除に抵抗した南部戦線の武装解除完了.
8.6 ドルと等価値のゴールデン・コルドバ(コルドバ・オロ),流通開始.新政権発足後の物価は,この時点で30倍となる.
8 全国で2カ月にわたるFSLN役員選挙開始.候補者の選挙運動は許されず,200もの地区総会で,「エル・クルセロ決議」に基づき,党の今後についての自由な討論が行われた.その後約600名のFSLN中央執行委員と県委員,地方委員が選出される.党のメンバーは1万8千の活動家(MILITANT),1万7千の同調者(ASPIRANT),6万4千の共感者(AFFILIATE)に分けられ,それそれに投票権が与えられた.シンパの資格をめぐっては一部に異論があり紛糾を呼んだ.
90年9月
9.10 UNAN予算2割削減に反対し,学生ら2千人がデモ.
9.20 政労交渉開始.FNTを含む17の労組と18企業が参加.
9.22 フランコ経済相,公務員1万5千,兵士1万の解雇計画を発表.FNTのヒメネス書記長は「可能なすべての手段を用いてたたかう」と声明.銀行,バス会社,税関労組はスト突入.
9.25 政府,16の接収企業を民間に「返還」.FNTはこれに反対し,グラナダのプレゴ社など5企業で工場占拠など実力行動に出るいっぽう,全国規模のストを提起するが失敗.労組と一般市民とのあいだに溝が広がり,政府の経済政策に抗議するデモも3千の動員にとどまる.
10.26 政府,企業,労組間に6ヵ月のスト停止を決めた「経済再建・社会協調」合意成立.内容は労組の要求を大幅にとりいれたもの.また現実に農民が生産活動に従事している農地は返還の対象にしないことで合意.FNTは「安定と社会的平和」に貢献すること,将来ストライキに訴える前に話合いを尽くすことに合意.COSEPは協約をFSLNよりと批判し,調印を拒否.
10.26 チョンタレスでニカラグアの抵抗(RN,旧コントラ)の一部による暴動.政府に対して約束通り土地およびその他の必要な援助をあたえるよう要求.軍への襲撃により5名が死亡,47名が負傷.マナグア=ブルーフィールズ間の幹線道路にバリケードを築き2週間にわたり遮断.軍事施設やFSLN系農民の襲撃を再開.レコントラと呼ばれる.
10月 オバンド枢機卿,ベガ司教ら、レコントラの武装闘争を公然と支援.退役兵士を中心とする革命派はレコンパを組織.農民防衛と旧地主の進出に対する抵抗運動を開始.
10 全国指導部メンバーで前国会議長のカルロス・ヌニェス・テレス,ハバナで病死.全国指導部員は7人に減少.
11.18 反動派の市長,国会議員らにより「民主主義を救う会」結成.ゴドイが指導.二人の大臣とH.オルテガの辞職を要求.UNOは事実上分裂.
11.21 チャモロ,フイガルパで「民主主義を救う会」と会談.警察権の保持,元コントラへの土地供与などで譲歩.
90年 ニカラグアのインフレ,ふたたび1万%を超える.
2.11 チャモロ大統領,来日.海部首相は民主化を全面的に支持し,90億円の無償援助供与を行うと約束.
2.16 コントラの司令官エンリケ・ベルムデス・バレーラ,インターコンチネンタル・ホテルの駐車場で暗殺される.
2 軍幹部による地対空ミサイルのFMLNへの横流し事件発覚.政府はオデル・オルテガら4人を逮捕し,FMLNに返還を要求.FMLNはメキシコ大使館を通じて返却に応ずる.
3 政府,コルドバの400%引き下げを発表.FNT,賃金三倍化を要求し各地で分散的にストいり.FETSALUDは「生活できる賃金」をかかげ二週間にわたるハンスト.13日にはサンディーノ空港がストのため閉鎖.
4.6 チャモロ政権,ハーグ国際司法裁が米政府に下した「対ニカラグア損害賠償義務」の免罪を主張し,ニカラグア政府が米国に義務の遂行をもとめる義務を負うとする法令92号の撤廃を提案.D.オルテガは,「米国が今後三年間に5億ドルを援助するという約束の条件として,チャモロに圧力をかけた結果」と批判.COSEPは提案を即座に歓迎.
4.17 チャモロ,米国を公式訪問.ブッシュは会見で「苦痛の歴史を閉じた和解の指導者」とビオレータを賞賛.対ニカラグア経済制裁などの罪で国際司法裁判所の有罪判決を受けていたブッシュ政権は,ビオレタに提訴の取り下げを要請.
4.27 チャモロの居合せた,インタコンチネンタル・ホテルにトラックから銃撃.
4 レコントラのディマス司令官(本名トマス・ラグナ・ラヨ),武装集団200人がエステリ周辺の山で活動開始と声明.他にも北部を中心に2千のレコントラが活動を継続.土地の分与と経済的援助,H.オルテガの解任と国軍の再編を求める.
4 新外資法制定.外資への優遇措置開始.同時に国有企業売却方針も決定.国有企業は同年末までに351から231社に減少.
5 政府と全国労働総連合(FNT)とのあいだに協定書.経済社会政策については政府,企業,労組で話し合い,合意のうえで実行することが決まる.
6 党大会に向け18の県で県党会議が開催.選ばれた総数3千名の地区代表が出席し,全国大会代表501名を選出.
7 FSLNの全国指導部メンバー9人の候補が発表される.H.オルテガは軍との関係で指導部を辞退.これに代わり国会議員団長のセルヒオ・ラミレスが,また病死したヌニェスに代わり,弟で全国指導部書記のレネ・ヌニェス・テジェスが推薦されるなど三派の均衡が図られる.
7.19 FSLN第1回大会,マナグアで開催.軍事機構を切り離し政党への再編を決める.中国との接近を図りながら,一方で社会主義インターとも接触をたもつなど,近代政党としての未熟さを残す.
政治変革の路線: 経済危機の打開をはかりつつ,民主主義から長期的には社会主義への展望をうちだす.理論的基礎としての「マルクス・レーニン主義」,組織原則としての民主集中制を宣言.国際的には「国際闘争戦線」の創設とその「第三世界インタナショナル」への発展をめざすと宣言.
7.20 第一回党大会。D.オルテガを党書記長に選出.120名からなるサンディニスタ中央委員会には新たに98人が参加.全国指導部は書記長による提案を一括承認する形をとる.次の大会以降は中央委員,倫理委員,全国指導部員を直接秘密投票で選ぶことを確認.
7 大会後,FSLNは三つの傾向に分裂.H.オルテガらは「労組の無責任な要求や行動は,この国に困難をもたらし,革命の達成を遅らせることになる」と警告.チャモロら「進歩的ブルジョアジー」との協調を説く.セルヒオ・ラミレスら議員を中心とする派は,民主集中制を排し,無条件の党内民主化を要求.D.オルテガはこれまでのサンディニスタの思想を維持する統一派を代表する.
H.オルテガはその後党を離れ、実業家として巨大な財を成しているとの情報もある。ただし2005年には反ソモサ革命を克明に跡付けた大著を出版し、ベストセラーになっている。
7 インドマブレ司令官(本名ホセ・アンヘル・モリス・フローレス)の率いるレコントラ80名がキラリの警察署を襲撃,6時間にわたり銃撃戦を展開.
8 政府とFNT,90年選挙以前の分与地についてはその所有権を認めること,企業民営化にあたっては1/4を労働者のとり分とすることで合意.
8.23 ニカラグア議会,政労合意に反対しUNOの単独賛成で資産法採択.農地改革で接収された土地の所有権を革命前に戻すもの.「報復主義」とするFSLNの抗議を受け政府は拒否権を行使.
8 軍を離れた元兵士がレコンパを結成.サンディニスタ革命の獲得物を確保するため政府と対立.
8 カルロス・ウルタド・カブレラ内相はインドマブレ,ディマス両司令官と会見.レコントラはサンディニスタ協同組合の武装解除,レコントラ活動地域からの軍の撤退,人権侵害を行った警官や軍人の排除などを要求.
9 政府,8月合意をキャンセルし,土地を旧所有者に返還する法律を提案.これに抗議する労組活動家は食肉処理工場と屠殺場を占拠.
10 マナグア市長アレマン,独自の市警察を創設すると発表.サンディニスタは強い警戒感を表明.D.オルテガは市民の武装自衛権を行使してでもソモサ時代への逆戻りは許さないと抗議.チャモロはFSLNが武装蜂起を呼びかけていると非難.(アレマンは,ソモサ政権で若手リーダーとして活躍した人物で、後に大統領となる).
11.7 FNT,FSLN全国指導部と政府のあいだのスト終結に関する合意を拒否.5つの製糖工場と石鹸工場,多くの大農場を占拠.マナグアでは棍棒と火炎瓶で武装した学生と保健労働者が労働省へ押し掛け,警官隊と衝突.さらに一部は暴徒化しラジオ・コルポラシオン,コントラ事務所をロケット砲で攻撃,市会議事堂やゴドイの自宅に放火する.D.オルテガがサンディニスタに秩序を呼びかけたことで暴動は終了.
11.9 フォンセカ死後15周年にあたり,右翼がフォンセカの墓を爆破.オルテガはソモサ主義者と戦う民兵の組織化を示唆.マナグア市内各所で旧コントラとの衝突続く.議会右派はオルテガをテロの容疑で裁判にかけるよう要求.
11.13 ゴドイ,軍と警察幹部の更迭を要求.さらにCPTはチャモロ政権の退陣を要求.
11.15 米連邦高裁,議会での偽証罪などに問われたポインデクスター元大統領補佐官に対し無罪判決.
1.31 ONUCAが業務を終了し解散。
1 政府,レコントラとレコンパの双方に和解案を提示.武器1丁毎に100〜200ドルを支払うこと,土地と家の提供を約束.この後約万丁の武器が提出される.しかしOASの推計によれば未だ3万〜8万の武器が隠匿されているといわれる.
4 レコントラとレコンパの一部が,土地要求で一致.「レブエルトス」を結成.北部を中心に2千の戦闘員を結集.
6月 米国、チャモロ政権へのFSLNの影響が強いことに憂慮し、援助を停止するとの脅し。チャモロは援助再開のためサンディニスタ系の警察幹部12名を更迭。
6月 ニカラグアを大地震が襲う。1万6千人が家を失う。
7 アルフレド・セサル・アギレ国会議長,政府資金の不正流用の疑いでラカヨを攻撃.UNOは,コントラの流れをくむ右派とチャモロ大統領をいただくラカヨ派に分裂.サンディニスタとの協調を説くアントニオ・ラカヨに率いられた中道派は少数派に転落.
7 ブッシュ,農地の旧地主への返還と軍・警察からのサンディニスタの一掃が実現されない限り,1億ドルの援助を中止すると脅迫.
8 ラカヨ派の議員8人がサンディニスタの陣営に加わったため,サンディニスタは議会の多数を獲得.セサルは,議長の権限で国会の乗っ取りを図る.サンディニスタは抗議の退場.議会に立てこもったセサルは,財産法などを単独採決.H.オルテガの排除とチャモロの退陣を要求.
9.05 ニカラグア政府,治安当局の人事を刷新.国家警察長官らFSLNに所属する政府幹部12人を解任する
9 チャモロ,土地の旧地主への返還を約束.現在の領有者に対しては国営農場を分割,譲渡することで妥協をはかる.
9 米議会,ニカラグアの「民主化」状況評価のため調査団を派遣.
11 米大統領選.クリントンが当選し,反動派を支えてきたブッシュが落選.UNO右派はブッシュ落選を機に勢力を減退.
11 チャモロは警察長官レネ・ビバス・ルゴの更迭でサンディニスタの合意をとりつける一方,裁判所に対しセサル派が採択した立法の無効を訴える.
12.22 元コントラ兵多数(レコントラ)が,サンディニスタ兵に安全を脅かされていると主張.チャモロの親サンディニスタ姿勢に抗議し,北部で軍事行動を再開.1ヶ月にわたる政府軍との戦闘で36人が死亡。
12.24 ブッシュ米大統領,偽証罪で起訴されたワインバーガー元国防長官ら6人の恩赦を発表.
12.29 サシントン・ポスト紙,ウォルシュ特別検察官がブッシュ大統領から,コントラゲートについて事情聴取する意向と報道.
12.29 チャモロ,警察の出動により国会議事堂を奪回,セサルを国会議長より解任すると声明.
12.30 警察,議事堂を占拠.文書を押収.政府は新しい体制が選出されるまで自ら議会を管理すると発表.
12 ラカヨ派はUNOを脱退,国民プロジェクトを結成.オルテガは建設的野党としての立場を維持すると表明.
1.09 国会,新体制を選出.UNO14政党のうち10政党が反チャモロ派に回る.チャモロ派の4政党は中道グループ(GC)を結成.FSLNと組んで元共産党のグスタボ・タブラダ・セラヤを新議長に選出.副議長にはFSLNのレイナルド・アントニオ・テフェルが選ばれる.
1 チャモロ,内閣を改造.FSLNから2人を入閣させる.
2.24 レコントラ,軍事行動を停止.最後の部隊が武装解除に応じる.
3.08 コスタリカのニカラグア大使館に武装した元コントラ兵士が侵入.大使らを人質に立てこもる.
3.21 サンホセの大使館乗っ取り犯,身代金25万ドルの支払いを受けて人質を解放.その後ドミニカ共和国やニカラグア国内に逃亡.
5.23 マナグア市内の自動車工場で貯蔵した弾薬が爆発,捜査の結果,地対空ミサイルをふくむFMLNの隠匿武器が大量に発見される.工場の所有者はETA(バスク人テロリストグループ)に所属する人物.FSLNは武装グループとの関係を否定.
6 党の政策・方針をめぐり内外の批判高まる.ティノコ前外務次官,ウンベルト・キャンベル(カリブ地域代表),ラジオ・プリメリシマ局長のウィリアム・グリスビー,レネ・ビバス前警察長官ら「29人グループ」は全国指導部を批判.政府に反対する立場を明確にし,奪われた革命の成果をふたたびかち取るべく闘うよう要求.
93年7月
7.14 ワシントン・ポスト紙,5月23日のマナグア市内の爆弾事件をとらえ「FSLNはテロを支持している」と報道.マッケーン上院議員はニカラグア援助の停止とFSLNにたいする調査を要求.
7.19 革命14周年記念集会に5万人が結集.オルテガは91年の第1回大会以来の路線問題で討論すると発表.情勢変化への対応,現政府の評価などで意思統一するため,94年5月に臨時大会を開くと声明.各地区での総会代議員の選出を呼びかける.
7.21 午後2時,「労働者農民革命軍」(FROC)を名乗るレコントラとレコンパの混成部隊約200名が,除隊兵士への補償や土地分配を求めエステリを攻撃.二つの警察署を襲撃しニカラグアの駐ホンジュラス大使ノエル・リバス・ガステアソロを誘拐.この時幼児一人が死亡.一部はオコタル,コンデガ,トリニダにも攻撃を加える.
レコンパ: 指揮官ビクトル・マヌエル・ガジェゴス・エルナンデスは、戦闘名をペドリート・エル・オンドゥレノと名乗る。元サンディニスタ・ゲリラの生え抜きで,昨年までEPSの少佐として国境警備にあたった人物.
7.21 軍は戦車,攻撃用ヘリ,増援部隊を派遣.FSLNは反乱を断固として拒否する声明を発表.
7.22 昼までに千名の増援部隊が到着.36時間にわたる市街戦ののち,労働者農民革命軍はエステリを撤退.軍当局のスポークスマン,リカルド・ウィーロック中佐によれば,この戦闘でFROCの41人が死亡,45人が負傷,59人が捕虜となる.軍も二人の死亡者と13人の負傷者を出す.ほかに市民2人が死亡,40人が負傷.
93年8月
8.20 「国民(北部?)戦線3・80」,ウンベルト・オルテガとラカヨの解任を求め,キラリで武装闘争を再開.交渉に赴いた国会議員を拘束.この部隊はホセ・アンヘル・タラベラ司令官(通称エル・チャカル)の指揮するレコントラの最大勢力.
8.20 これに対しレコンパのドナルド・メンドサ特攻隊が,UNO本部を占拠.ゴドイ副大統領らを監禁.
8 ハバナで第4回ラテンアメリカ左翼党,左翼運動集会(サンパウロ・フォーラム)開催.出席したオルテガは「経済的民主主義なしに政治的民主主義はあり得ない」とし,政府の経済政策の根本的転換と,「国民統一政府」の樹立を呼びかける.またオルテガはチャモロが国連軍にエステリ出動を要請したことに関連し「青ヘルの国連軍は米国の干渉政策の実行者となっており,もしエステリで武力行使するなら,われわれも軍事的に対抗する用意がある」と発言.
93年9月
9.2 チャモロ,サンディニスタ人民軍創設14年記念集会で演説.来年中にはH.オルテガを更迭しサンディニスタの名称を外すと発表.同時に防衛情報局を軍から大統領府の管轄に移し,局長で前のサンディニスタ秘密警察長官のレニン・セルナ大佐の更迭も発表.軍将校よりなるEPS軍事評議会などが反発.
9.3 H.オルテガ記者会見.チャモロの発言は彼女の個人的希望に過ぎず,正式の決定ではないと述べる.ホアキン・クアドラは軍を代表して「新たな最高司令官を決めるのは30人の軍高官から形成される軍事評議会である」と声明,チャモロ提案を拒否.同時にクーデターを行う意志はなく,法の定めるところに忠実に従うことも強調.
9.20 政府,自動車所有税を新設しガソリン価格引き上げ.オルテガは自動車税に反対するデモにサンディニスタの動員を呼びかける.メンディエタ警察長官は警察官をマナグアに大動員.抗議する労働者に対し弾圧的姿勢で臨む.市民は建物にバリケードを敷き対抗.催涙ガスと機銃で武装した警官がスト参加者を逮捕.
9.21 全土が麻痺状態に.チャモロ大統領はグアテマラに一時「逃亡」.デモ隊と警官隊のあいだに30分にわたる銃撃戦.二人が死亡,5人が負傷.FSLNは全面対決の姿勢を明らかにする.オルテガはチャモロを「殺人者」と呼び激しく抗議.警官に対し「労働者を弾圧せよとの上官の指示には従うな」と呼びかける.また市民には「月80ドルで命をかけている警察権力内の同志たちと連帯せよ」と呼びかける.
9.23 社会民主主義勢力の議員10名が新しい合同会派を形成することで合意.協定にはMDNのロベルト・ウロス,PSNのルイス・サンチェス,革命的行動運動(MAR)のモイセス・アッサン,PSDのアルフレド・セサル(前国会議長)が調印.FSLNから分かれたモイセス・アッサン・モラレスは,大統領選に立候補した特権として,MARの議員として1議席を獲得.
9.24 運輸スト,労働者の勝利に終わる.政府は自動車税を撤回.
9.26 FROC,政府軍の恩赦提案を受け武装解除.武装解除特殊部隊に武器を引き渡す.指導者のペドリートはメキシコに亡命.もう一つのレコンパ左翼懲罰部隊(フランク・イバラ司令官)も降伏.
93年10月
10.1 ニカラグア中間勢力,「民主主義への第三の道」を結成.大統領候補に大リーグの野球選手デニス・マルティネス(91年に完全試合を達成)を推す.
消え行く中間政党: 非UNO反サンディニスタの政党はこの頃までにほぼ消失.クレメンテ・ギド,エドワルド・モリーナ・パラシオス,ラファエル・コルドバ・リバスらが政治の表舞台から消える.キリスト教社会党(PSC)の分派であるPPSCのマウリシオ・ディアス・ダビラ派,エリック・ラミレス・ベネベンテのPCSNも影響力を失う.ロドルフォ・ロベロの率いるPLIの分派PLI国民統合派も消失.
10.3 レコントラは武装解除に同意せず.タラベラの弟エステバン司令官はマイアミで記者会見.「サンディニスタの牛耳る政府軍を打ち破るまで闘う」と表明.一方キラリの部隊はサン・バルトロの土地供与,彼らの国民抵抗党を政権に参加させることを要求.
10.5 H.オルテガ政府軍司令官,レコントラ制圧のため砲兵隊,航空部隊をふくむ千2百名からなる緊急作戦特殊部隊を編成すると発表.「ベンハミン・セレドン部隊」と命名.ホアキン・クアドラ参謀総長も「彼らの横暴ぶりには堪忍袋の緒が切れた」と声明.
10.8 UNOのウィルフレド・ナバロとFSLNのダニエル・オルテガ,新軍事法制定に伴いH.オルテガ司令官が退陣することで合意.軍は最高時の10万から1万5千に縮小.チャモロ,H.オルテガを94年中に解任すると発表.H.オルテガは,軍の再編が完了する97年までは引き続き最高司令官にとどまる意向を表明.
10.9 オルテガ司令官,北部戦線380の戦闘要員は約500人,他に総計500名ほどの武装したハイウエイ強盗が北部に展開中と発表.
1 D.オルテガとオバンド枢機卿,労農革命戦線との和平交渉に成功.
1 FSLN内の親政府派による「29人委員会」の全国会議.「綱領文書」の作成委員会を結成.臨時総会に合わせ自派の綱領策定を開始.
1 石油価格値上げ.FNTは全国ストを呼びかける.マナグアのバス労働者はガソリン代値上げに抗議するストライキ.ラミレス派はストを批判.
1.4 国連人権委員会の経済,社会,文化権協定委員会が調査報告を発表.構造改革政策と国有企業の民営化は,ニカラグア人民に深い傷を与えている.国民の7割が貧困線以下で生活,4割が明らかな蛋白不足に陥っている.これは民族の危機というにふさわしい.
1 CENIDH,「ニカラグアにおける政治暴力の犠牲者に関する報告 '93」を発表.1年で504人が死亡,うち300人が第6地区(マタガルパ,ヒノテガ)での犠牲者.
2.24 オルテガとオバンド,FN3/80との和平にも成功.レコントラの反乱終結.政府とのあいだで武装部隊を警察へ統合させることで合意.
2.04 モニカ・バルトナード(マナグア市会議員),グリスビー,オルランド・ヌニェス(社会学者)など「29人委員会」メンバー,250人の出席する集会を開催.「サンディニスタ民主左翼フォーラム」を形成.全国指導部はこの動きに対し沈黙を守る.
2.15 ラミレスとドラマリア・テジェスを筆頭に500人の連名で,「サンディニスタがふたたび多数派となるために」という綱領的文書をバリカーダ紙に発表.セルヒオ・ラミレスが実際に執筆したことから「セルヒオ文書」と呼ばれる.
セルヒオ文書の骨子: ソ連・東欧崩壊により世界が根本的に変わったこと,自国経済が破滅の危機にあることを理由とし,政治的目標を達成するためのいかなる暴力も否定し,階級闘争至上主義を放棄するよう要求,また,政府の打ち出した国営企業の民有化路線を支持.選挙闘争においてはラカヨとの合同に反対.党員資格を明確にし、たんなる同調者と区別することなどを訴える.
2月 エルネスト・カルデナル,デイジー・サモロらがセルヒオ文書を支持.バリカーダ紙やヌエボ・ディアリオ紙の編集幹部多数が支持に回る.これに対しミゲル・デスコト,ビクトル・ウーゴ・ティノコ(マナグア市党委員会書記長,元外務次官)らは民主左翼支持の論陣を張る.
2 非同盟会議,ニカラグアが辞退したことにより次期大会議長国を選べず混迷を深める.
3 「オマール」司令官に率いられたハラパ地区のレコントラ(旧北部戦線3ー80),サンディニスタ指導者ハビエル・バラオナを殺害.レコントラによる犠牲者は212人に達する.旧コントラ指導者はサンフアン・デル・リオココ,ムラ,ヒカロ,キラリで警察幹部となり,北部戦線の指導者ホセ・アンヘル・タラベラは一帯を実効支配.ホンジュラスとの密貿易で利益を上げる.
3 カリブ海岸自治区での自治体選挙.マナグア市長アーノルド・アレマン率いる立憲自由党(PLC)が36議席を獲得したのに対し,FSLNは32,地方政党が残りの22議席を獲得.サンディニスタの敗北に終わる.
3月 ラミレスは,中間層の結集こそが勝利のカギであると主張,自らがFSLNの候補として96年の大統領選に立起する意向を表明.
4 CENIDH,年次報告を発表.
CENIDH年次報告の要旨: ニカラグアは世界で14位の食糧不足国であり,顕在,潜在をふくめた失業率は60%におよび,収入は最低生活水準の77%にしか到達していない.幼児死亡率は81パーミリ,周産期死亡は10万あたり300に達し,病院にはまったく医薬品がなくなっている.文盲率はふたたび30%に上昇,未就学児童が増加している.小学校での脱落率は18%,中学では15%が登校しなくなった.住宅不足は44万戸にのぼり,毎年新たに3万の家族が住宅を求めている.2〜3月だけで1,194家族が追い立てを食った.犯罪率は18%上がった.15歳以下の児童170万のうち60万が厳しい生活を迫られており,そのうち10万はその日暮らしー物売り,乞食,車洗いの生活を送っている.その「労働時間」は12時間に達する.6千人が浮浪児,2万人が「児童労働者」となっている.
4 FSLN内部に路線をめぐる対立.マナグア市第6区(サンディニスタ派労働者の拠点)での討論会で,同区選出の国会議員カルロス・ガリョはセルヒオ文書を支持するいっぽう,生活困窮者の要求を断固として支持すべきと主張.レコントラの誘拐に対抗してサンディニスタ派活動家が行った,右派幹部の「対抗誘拐」を厳しく批判.
4 ニカラグア政府とIMF/世銀とのあいだに合意成立.マナグア市長アレマン(立憲自由党)はFSLNに妥協的な態度をとり続けるラカヨ大統領府長官を激しく非難.
5 ラミレス派のドリス・ティヘリーノ,臨時大会に向けヘンリ・ルイス全国指導部員を新書記長に推薦.ルイスは両派の対立に対し中立的立場をとっていた.
5.20 3日間の日程でFSLN臨時党大会開催.開会挨拶はボルヘが行い,党の抜本的改革と団結,貧困との闘いを強調.基調報告に立ったD.オルテガは,政府のネオリベラリズムを批判.大会執行部にはボルヘ,ルシオ・ヒメネス(FNT),ドラマリア・テジェス,ベニグナ・メンディオラ(農業労働者),レー・フッカー(カリブ地域)が選出される.
5.20 全国指導部候補のリストが両派から提出される.ウィーロックは総会あてに辞任の意を表明.ハーバードでの研究に専心することとなる.また手紙の中でラミレス支持の態度を明らかにする.
両派の候補リスト:
両派共通の候補は(1)オルテガ(再),(2)ルイス(再),(3)ボルヘ(再),(4)レネ・ヌニェス(再),(5)モニカ・バルトダーノ司令官,(6)レネ・ビバス前警察長官,(7)エドガルド・ガルシア(ATC),(8)ルンベルト・カンベル司令官.
他にルイスのリストには(1)ティヘリーノ,(2)ルイス・エンリケ・フィゲロワ,(3)アルタ・フッカー,(4)セルヒオ・ラミレス(再),(5)ウィリアム・ラミレス,(6)ラファエル・エンリケス,(7)フェルナンド・カルデナル,(8)ルイスカリオン司令官,(9)アレハンドロ・マルティネス,(10)レティシア・エレラ司令官,(11)ハビエル・ピチャルド,(12)ドラマリア・テジェス司令官,(13)ダニエル・ヌニェスが含まれる.
民主左翼のリストは(1)ビクトル・ティノコ前外務次官,(2)ホセ・ゴンサレス,(3)ドロテア・ウィルソン(カリブ海岸地区代表),(4)カルロス・フォンセカ・テラン,(5)エレアノラ・ロチャ,(6)エウヘニオ・コントレーラス,(7)バヤルド・アルセ司令官(再)が挙げられる.5.21 FSLN総会2日目.これまでの政策の総括,社会主義志向の継続,党内民主主義,チャモロ政権の評価,武装闘争への態度,96年選挙に向けての体制確立をめぐり深刻な論争.「民主左翼」派と,ラミレスを先頭とする「多数派への復帰」派が激突.一般討論と別に倫理委員会の設置を決定.幹部の資産公表が義務づけられる.全国指導部を十人から15人に拡大することが決定されるが,名称を全国指導部から全国委員会に代えるというラミレス派の提案は否決される.新たに総裁職をもうけボルヘを就任させる提案は,可否同数となり取り下げられる.
5.22 全国指導部の選挙.中央派+民主左翼からはオルテガ,ルイス,ボルヘ,バルトダノ,ビバス,カンベル,レネ・ヌニェス,ティノコ,ウィルソン,アルセの十名が当選.ボルヘが最高得票を獲得.ラミレス派からはカリオン,テジェス,ベニグナ・メンディオラ(ATC指導者),ミルナ・カニンガム(カリブ自治区代表)が当選.ビクトル・ティラドは両派の推薦リストから外れて当選.全国指導部会議でオルテガが書記長に,ボルヘが副書記長に就任.また135人の中央委員が新たに選出.
5.23 「民主左翼」代表のバルトダーノ,ラミレスの議員団長辞任とバリカーダ紙編集長カルロス・フェルナンド・チャモロの解任を求める.ラミレス派のテジェスはこれまでの戦略を追求し党外の勢力とも連携していく意向を表明.
C.F.Chamorro
5.24 全国指導部から外れたラミレス,記者会見でFSLNに残留すると声明.ただし現在のFSLN議員団長の職は辞任.
9.3 OAS,ワシントンで緊急会議開催.「軍は完全に文民支配のもとにおかれるべきだ」との立場から,チャモロの発言に対し全面的な支持を表明.ホンジュラス,パナマの大統領も支持を声明し,この問題でマナグアで外相会談を開くよう提案.背景にヘルムズ上院議員の圧力.
9.6 OASのソアレス事務総長,マナグアでゴドイ副大統領,H.オルテガとあいついで会談,事態の解決を図る.
9.9 FSLNとUNO,対話再開の用意があることを確認.D.オルテガとゴドイが3時間にわたる秘密会談.
9.10 駐マナグア米大使ジョン・マイスト,ゴドイ,D.オルテガと会談.対話の促進を訴える.
10.25 全国指導部,バリカーダのチャモロ編集長を解任.このあと編集委員全員とスタッフ20名が辞職.エルネスト・カルデナル元文化相,「オルテガが自己の利益のために党を人質にしてしまった」と非難しFSLNを離党.
12 FSLNの党内対立,決定的となる.ラミレス派は「サンディニスモ改革運動」(MRS)を組織.UNO保守派(反ラカヨ)と組み,社会民主主義の方向に動く.サンディニスタ議員団の多数派はオルテガに反旗を翻し,ドラマリア・テジェスを自派の議員団長に指名.
2.21 H.オルテガ,軍最高司令官を辞任.後任にはホアキン・クアドラ.このときまでに国防軍兵力は10万人から1万人余りまで削減.
2 国会,チャモロ政権の反対を押し切り憲法を改正.チャモロ大統領は従来の憲法の有効性を主張.二つの憲法が並立する異例の事態となる.
4.23 アントニオ・ラカヨ,大統領選への出馬の意思を表明.保守派は「大統領の家族が大統領になることを禁止する決議」を挙げ,ラカヨを牽制.
4.26 チャモロ,大統領任期終了後は政界から引退すると声明.
5.08 ニカラグア最高裁,改正憲法を無効と判断.2つの憲法が同時に存在する事態は解消される.
5.21 セルヒオ・ラミレスら,サンディニスタ革新運動(MRS)を結成.ルイス・カリオン,ドラマリア・テリェス,ヘンリ・ルイス,エルネスト・カルデナルらが参加.国会議員31名が行動をともにする.
6.05 レコントラを名乗る380人がチリ大使館を占拠.大使夫人を人質に取るが,まもなくそのまま引き上げる.
7.04 ニカラグア政府と議会の対立が、87年憲法の一部改正により妥結。
12.13 教育予算の増額を訴える大学のデモ隊,国会前で警察と衝突.警察は催涙ガスで応戦するが,一部が群衆に向けライフルを乱射.学生一人,職員一人が死亡,30人が負傷する.
95年 FSLNはオルテガ兄弟,ボルヘ,アルセ,ティラード,ティノコらを中心に党組織の拡大に努め,党員数35万人を数えるに至る.
2 ラカヨ,国家計画党(PRONAL)を結成し大統領選に臨む.最高裁,選挙管理委員会は現大統領の身内の立候補を禁じた法を盾に立候補を認めず.右派は自由同盟(AL)を結成、大統領候補にマナグア市長のアルノルド・アレマン(立憲自由党)、副大統領候補に独立自由党(PLI)のエンリケ・ボラーニョスを立てる。
5.31 元コントラ兵士,ニカラグア北部で教育支援に当たっていたUSAID職員(女性)を誘拐.翌日には無事解放される.
7 エデン・パストラ,大統領選への出馬の意思表示.最高選挙裁判所はパストーラが一時国籍を放棄したことを理由に大統領立候補資格を否認。
8 サンホセ・マーキュリー・ニュースのゲイリ・ウェッブ,公開国防資料に基づき,カリフォルニアのマフィアとコントラとの「黒い関係」(コカイン)を明らかにする.資料によれば当局はドラッグ作戦を承認し,協力し,麻薬業者を保護していたことが明らかになる.
10.20 大統領選および国会議員選挙.自由同盟(AL)のアルノルド・アレマンとD.オルテガの対決となる.
10.20 自由同盟(AL)が93の議席中42を獲得。FSLNは36議席を獲得。
10.23 アレマンが51%の得票で大統領に当選。FSLNは選挙の不正を激しく非難.選挙管理委員会は大統領選挙のやりなおしをいったん発表.
10.31 ワシントン・ポスト紙,90年のファビオ・エルネスト・カラスコ証言を掲載.
カラスコ証言: カラスコはコロンビア・マフィアの一人ジョージ・モラレスの下で飛行機の操縦に携わっていた.証言によれば武器をコスタリカで降ろすと代わりに麻薬が積み込まれ,それを米国内に運んだという.またモラレスが南部戦線の指導者オクタビアノ・セサルとアドルフォ・チャモロに数百万ドルを与えたとも証言.チャモロはCIAが資金受け入れに許可を与えたと語る.
11.26 FSLN,アレマン新大統領との交渉に当たり,14項目の提案を発表.農業への援助,医療の充実,自由な公教育,政府各省庁の自立性尊重,軍の自律の尊重,選挙法の抜本改正などを柱とする.
11.26 任期切れを前にした国会議員の一部は,アレマン就任前に重要案件のかけ込み成立を狙う.アレマンは国会議長を先頭とする幹部に買収攻勢をかけ,法案の成立阻止に動く.
11.28 市内のバス会社,運輸建設省の決定権を無視し一斉に運賃の1.5倍化を発表.
12.03 レコントラのゲリラ「アンドレス・カストロ統一戦線」が政府との和平協定に調印.
12.8 アレマン,閣僚名簿を発表.国民統合を目指しリベラル派,保守派,元コントラからサンディニスタ支持者までふくむ.官房副長官にはサンディニスタ警察の前副長官ミゲル・カンポスが就任.元コントラ司令官カルロス・ガルシア・アグルト(戦闘名チーノ85)が環境・自然資源相に.
12 全国から1万五千の学生が結集,大学予算の増額を要求し国会にデモ.
12 新任米大使リノ・グティエレス,オルテガと会談.オルテガはニカラグアの抱える問題を解決するためには全国民の団結が必要と述べる.
1996年 この時点でインフレ率は12%にまで低下(ラテンアメリカ中最低).しかし失業率は6割を越え,ラテンアメリカ中ハイチにつぐ貧困国に転落.農村住民の86%と都市住民の55%が貧困に苦しむ.一方で最富裕層の10%が全収入の35%をしめる.
1.10 アレマン,大統領就任.国会では議長の選挙をめぐり混乱.
2.05 ヨハネ・パウロ2世、グアテマラ、ニカラグア及びエルサルバドルを訪問。
2 政府と武装グループアンドレス・カストロ連合戦線(FUAC),武装解除を行うことで合意.FUACは土地と生産手段を獲得.その後具体的な交渉で難航.
1 サンディニスタ機関紙「バリカーダ」のトマス・ボルヘ編集長,「財政難から一時発刊を停止する」と発表.サンディニスタ内部の混乱も関係しているといわれる.
3 オルテガの義理の娘ソイラメリカ・ナルバエス,オルテガに性的虐待を受けたと証言.
5.27 ナルバエス,裁判所にオルテガを告発.オルテガは敵の陰謀としてこれを否定.
6.15 オルテガ,ナルバエスへの性的虐待を否定する証言.
8.20 大統領選への出馬を拒否されたエデン・パストーラ(61),公民権の回復を求めてハンガースト開始.
9.04 武装抵抗を続けていたミスキート組織,30日以内の武装解除で政府と合意
9.06 今年に入って児童17人が誘拐され,39人が殺害されるなど児童への暴力事件が激増.オバンド枢機卿は声明を発表し危惧の念を表明.
9.21 パストラのハンスト,31日に及ぶ.アレマン大統領は公民権の回復を約束しハンストを止めるよう呼びかける.
9.22 アレマン大統領,台湾の国連加盟を支持し,提案国となる意向を表明.
10.30 ハリケーン・ミッチがニカラグアとホンジュラスを襲う.ニカラグアでは3千人が死亡,20万人が家を失う.被害総額は百億ドルに達する.
12.20 キューバのロバイナ外相,ニカラグア訪問.キューバの債権を放棄すると発表.これを受けたアレマン大統領は、キューバの医師支援を受け入れると表明.
12.21 オルテガ,ハリケーン救援に入った米軍1,700名を「情報作戦の一環」と非難.
12 次期大統領に関する世論調査.オルテガがアレマンをしのぎ首位を占める.
1999年 1.6 アレマン大統領,今年の経済成長率は7〜8%と予測.外貨準備高は3億ドルを超え,金融機関の資産は25%増大したとする.
2.5 ニカラグア出身の大投手デニス・マルティネス,22年間の大リーグ生活から引退.通算244勝.91年には完全試合を達成.
2.07 オルテガ,政府のネオリベラリズムに抗議,「バリケードを築き火を放て」と呼びかける.同じ記者会見で彼はティノコとの不仲説を否定.選挙法と憲法の改正をめぐり,党内に三派が出現.ひとつはアレマンとの交渉を一切拒否,二つ目は経済政策に焦点をあてて政府との交渉を説く派,三つ目は社会問題に焦点をあて,貧者救済に関する交渉を推進させようと考える派.
2.08 オルテガ,ティノコに代わりサンディニスタ国会議員団長となる.ティノコは副団長としてとどまる.全国指導部は,自由同盟・立憲自由党と対決を鮮明にしつつ国会対策を強化するよう指示.
2.11 ソモサの家族が民族民主党(FDN)を結成し2001年の大統領選挙に臨むと発表.党首にはルイスの義息ハビエル・ソモサ・リバス.キリ民党総裁で前国会議長のグスマンは「ソモサ体制の復活を許さない」と発言.
2.16 ティノコ,アグルティン・ハルキンが汚職をしたとのアレマンによる攻撃を否定.アレマンの態度は反国家的であり,また,この問題は多くの援助を受け入れなければならない現在,単なる党派の問題ではなく,国家としてのイメージに関わるとし,一刻も早くみずからの腐敗疑惑を解くべきだと主張.
2.25 ニカラグア放送専門家協会(APRANIC)所有のサンディニスタ系ラジオ局「ラ・プリメリシマ」,6万ドルの負債を抱え倒産.
99年3月
3.2 ソイラメリカ・ナルバエス,ラ・プレンサ紙と記者会見.FSLNから訴訟を取り下げるよう圧力を受けていると発言.
3.4 オルテガ,トリブーナ紙の質問に答え2001年の大統領選挙に出馬すると表明.
3.21 会計検査院長アグスティン・ハルキン,アレマン大統領の汚職に関する調査を指示.アレマンの資産はマナグア市長就任以来の7年間に9倍に増えたが,その理由は不明である.これに対抗して,政府内検査官アリシア・ドゥアルテはハルキンの不正を調査.
99年4月 反政府闘争の高揚
4.20 大学予算の削減に抗議する学生デモに機動隊が発砲.学生一人が殺害される.ほか70人が逮捕される.ニカラグア人権センターのビルマ・ヌニェスは国家警察長官のフランコ・モンテアレグレを厳しく非難.FSLNのティノコ議員は警察に慎重な行動を求める.
4.21 学生を中心とする葬儀デモが立憲自由党を襲撃,警官隊指揮者をジープから引きずり出し,車に火をつける.警察はAK47の威嚇発射で群衆を解散させる.アレマン大統領はテレビで哀悼の意を表し,徹底調査を約束する.
4.29 全国運輸労連(CNT),燃料の引き下げを要求してスト.市内は4日間にわたり完全麻痺.UCAやUNANの学生,国家予算の6%を高等教育に充てるよう要求して,大学付近の道路を封鎖.死者2人と負傷者1人のほか約100人の逮捕者を出す.
4 共和党のマッカラム下院議員ら,80年代に没収された米国人資産を返却しなければ米国の援助を削減すると脅迫.資産を没収されたと主張する「米国人」のほとんどは,接収当時は旧ソモサ派のニカラグア人で重大な人権侵害の容疑者.
99年5月
5.1 オルテガ,メーデーに参加した1万5千人を前に演説.この国の合憲性を守るためにはふたたび銃をとる可能性も否定できないとする.
5.4 全国運輸労連(CNT),ストに終止符.ジーゼル油1ガロン(約3.8リットル)当たりの価格を16.50コルドバ(約169円)を15コルドバ(約153円)に引き下げることなどで政府と合意.このほかCNTに加盟する逮捕者の釈放,業務用車両や部品輸入の免税措置などでも合意.
6 FSLNとアレマン政権与党の立憲自由党(PLC)が「二千年記念」協定を結ぶ。少数党の制限,司法検察官の権限縮小などが含まれる.
6 マナグア市長ロベルト・セデーノの電力会社汚職が明らかになる.議会の多数派を占めるFSLNは市長の解任を要求.議会で議員同士が金属椅子を持ち出しての乱闘事件に発展.
9 FSLN総会,アレマンとの交渉に関して執行部への不満が噴出.ホセ・チェペ・ゴンサレス代議員は「執行部への白紙委任状を渡すな」と発言.ボルヘはこの発言を非難.
9月 FSLN総会、アレマンとの協定を137対18の大差で承認.反対者の中にはビルマ・ヌニェス,ビクトル・ウーゴ・ティノコ,モニカ・バルトダーノ,カルロス・フォンセカ・テランがふくまれる.
9.30 FUAC(アンドレス・カストロ連合戦線)の25人,カナダ人技師とニカラグア軍人の2人を誘拐.
10.3 人権委員会のヌニェス委員長,FUACとの人質解放交渉のためボナンサ鉱山のエル・テソロ山に向かう.
12.30 ニカラグアとホンジュラス,軍事協定を締結.ニカラグアは,カリブ海岸沿いの係争地についてホンジュラスへの帰属を認める.
2000年 1 アレマン政府で大統領府監督官を勤めるアグスティン・ハルキン・アナヤ(キリスト教統一社会党),アレマンと対立し辞任を迫られる.
8.04 オルテガ,選挙での同盟を求め,キリスト教統一社会党のアグスティン・ハルキン・アナヤ(前大統領府監督官)と会談.同席者はトマス・ボルヘ,前コントラ指導者アスセナ・フェレイ,前グアテマラ大統領ビニシオ・セレソ.
8 アレマン政府,「国際銀行」に対する調査を開始.国際銀行は中小農民に対する最大の融資機関で,FSLN寄りといわれている.
9.07 FSLN支持者数十名が,7時間にわたり国会を占拠.FSLNの提案した中小業者の債務棒引き法案の可決を迫る.元コントラも占拠を支持して国会周辺に結集.アレマン大統領の農場を占拠する作戦を示唆.
9.08 国会前で2千人の抗議集会.手製爆弾を爆発させるなどして気勢をあげるが,議会への突入はせず解散.アレマンは借金棒引きをすれば国の金融システムは破綻するとし,要求を拒否.ただし対象を限定したモラトリアムには応じる構えがあるとする.
10月 ボラニョス副大統領,1年後の大統領選出馬のため辞任.ナバロが副大統領に指名される.
10.29 ヤタマが500人の抗議デモ.与党立憲自由党(PLC)の選挙ポスターや旗を焼く.警察との衝突で負傷者.指導者ブルックリン・リベラは「ヤタマは武器をとる.大量の死亡者が出るかもしれない」と述べる.
10.31 ビルウィルを訪れたナバロ副大統領は,「ヤタマが暴力を欲するなら,事態はそうなるだろう.当局はいかなる秩序破壊も許す気はない」と述べる.
11.03 セラヤ北部を根城とする元コントラ組織「ヤタマ」,地方選挙からの排除に抗議し,投票妨害を示唆.指導者ブルックリン・リベラは「ヤタマなくして投票なし」と声明.選挙管理委員会は立候補締め切りを理由に,ヤタマの選挙参加を拒否.軍部隊2,500と警察をビルウィ(旧プエルトカベサス)に配備し,反対派のデモに備える.
11.04 北セラヤの紛争に対しオバンド枢機卿,ダニエル・オルテガらが調停の構えを示す.
11.05 151の自治体で一斉選挙. 92自治体をPLC,53自治体をFSLNが獲得.FSLNはマタガルパ,ヒノテガ,オコタル,リバスで勝利.ヤタマが排除されたカリブ海岸北部では,棄権率は80%に達する.
11.05 マナグア市長選では,保守派の分裂に乗じ,サンディニスタのエルティ・レウィテスが当選.二位は与党PLCのナバロ,三位は保守党のバエス.「キリスト者の道」候補で元サンディニスタのカルロス・グアダモスは3%の得票にとどまる.
レウィテス(Herty Lewites): ポーランドからのユダヤ人移民の家系。58年以来の活動家で、60年以降ブラジルに亡命。財政と武器密輸に関わっていた。兄弟のイスラエルは77年10月のマサヤ兵営攻撃で死亡。第一次サンディニスタ政権では観光相をつとめた。90年以降、国会議員の傍ら、私立遊園地「Hertylandia」を経営。
94年にはMRSに同調し離党。96年には「太陽党」を結成し、マナグア市長選に立候補するも落選。98年にバヤルド・アルセの指導する「FSLN経営者ブロック」の誘いを受け復党した。11.18 アワス・ティングニに住む先住民スモ族のマヤグナ共同体,米州法廷に提訴.政府が韓国系の木材会社ソルカルサと結んだ契約は,先住民の森林に対する占有権を侵すものと主張.
00年 ニカラグアでは憲法改正案が可決される。大統領当選ラインが有効投票数の 40%以上か、有効投票数 40%未満でも 35%以上獲得し、2位との差が 5%以上の開きがあれば1回の投票で当選できることになった。
2001年 4.19 北大西洋自治区(RAAN)の「鉱業三角形」地域で,「アンドレス・カストロ統一戦線」が農民家族を虐殺.アレマンはこのゲリラ集団がサンディニスタと関係していると宣伝.オルテガは強い調子でこれを否定.
5.26 マナグアのバス組合,料金値上げを通告.アレマン政権が,バスのための燃料助成金を打ち切ったことに伴うもの.ヌニェス運輸相は,値上げは不法であり認めることはできないと声明.
5.28 サンディニスタ系の「地域共同体運動」は,料金値上げに抗議する街頭行動を開始.同じくサンディニスタ系の運輸労連は,賃上げではなく政府に抗議するようにバス組合を説得.
5.29 学生たちがマナグア市内でバス代値上げ反対の抗議行動を開始.道路にバリケードを築き,バスを壊し火をつける.
5.31 学生たちがふたたび街頭行動.メトロ・セントロの商店街を占拠.機動隊が出動し鎮圧.バス組合は運輸省との交渉のあいだ,一時値上げを凍結すると発表.
5 マナグア駐在ガーサ米大使,「我々は民主主義擁護の政策を堅持する.サンディニスタが本物の変化をするまで」と述べる.
6.01 西半球担当国務次官補リノ・グティエレス(ニカラグア前大使),マナグア商工会議所の昼食会で演説.サンディニスタ勝利の危険を警告.
6.04 運輸省でバス組合との交渉開始.学生は運輸省前にデモをかける.警官隊との衝突で三人が負傷.16人が逮捕される.
6.05 バス組合と運輸省との交渉決裂.バス組合は朝のラッシュアワー・ストを決行.
6.06 バス組合,無期限全面ストに突入.組合員の95%がストを支持.運輸労連のほか,政府系の「民主協同」も支持を表明.学生は国会に向けてデモ行進.
6.07 催涙ガス,ゴム銃弾,金属散弾銃で武装した機動隊70名が,マナグア北東部のバス組合本部を襲撃.組合員が武器を所有しているという嫌疑.バス組合員は投石,火炎瓶で応酬し,警察を撃退.この衝突で組合員6人と警察官1人が負傷.
6.07 マナグア西部の街シウダ・サンディーノでもバス組合と警官隊の衝突.エステリ,リバスでは,学生がバリケードでパンアメリカン・ハイウエイを封鎖.レオンではバス組合員と学生が,値上げを1週間凍結することで合意.
6 11月予定のニカラグア大統領選挙.世論調査ではオルテガが優勢.保守勢力は自由立憲党と保守党に分裂.米国大使オリバー・ガーサ,「サンディニスタが選挙に勝って,しかもその考えを変えないなら,我々も考えを変えない」と脅迫.同時に反サンディニスタの立場で保守勢力の統一をよびかける.
6.15 乗り合いバス組合とマナグア市長エルティ・レウィテス(FSLN)との間に合意成立.組合は料金を2コルドバに据え置くことになる.
10月 ニカラグア大統領選を前に,米国務省はオルテガが「テロ組織と深い結びつきがある」と「強い懸念を表明」する.またボラニョスと競合する第三の候補者に圧力をかけるなど,さまざまな選挙干渉工作.
11.04 ニカラグア大統領選.立憲自由党のエンリケ・ボラニョス・ゲイエル前副大統領が56%を獲得。42%のオルテガを破り当選.腐敗の一掃を公約に掲げたことから,アレマンに対する態度が注目される.国会議員選挙では立憲自由党が47議席、FSLNが43議席と拮抗。
11.04 総選挙でMRSは惨敗を喫し政治的影響力を失う。
11.05 バウチャー米国務省報道官、「ニカラグア国民は民主主義への確固とした決意を表明した」と歓迎する声明.
01年 コーヒー豆の国際価格が下落。大干ばつとのダブルパンチで多くの農園が閉鎖され、貧困層は国民の約70%にまで拡大。
01年 西半球最大の対外債務67億ドル余を抱え、経済の再建が課題となる。
2002年
1月 ボラーニョスが大統領に就任。自助努力、雇用、投資促進及び民主主義の強化を強調する。また「汚職との闘い」に重点を置き、アレマンを厳しく追求する。
1月 国会議長に就任したアレマン前大統領,7月19日を国民の祝日からはずすよう主張.
3.16 サンディニスタ第三回全国会議開催.これまでの全国指導部を廃止.党大会により選ばれた15人からなる全国サンディニスタ評議会に変更.評議会はいわゆる「意見を異にするサンディニスタ」との対話形式を確立することを決定.このため,あらたに評議会を非党員活動家へも拡大することとなる.
全国会議での主な議論: ダニエルは「サンディニスタの同志たちとの対話を再開するということは,統一と革命への道をふたたび開始するということだ」と述べる.エミリアノ・マルティネスはこの決議に保留,「あらゆる潮流の参加を歓迎するが,オポチュニストたちの策動への警戒を怠ってはならない.我々は新聞やテレビを通じてではなく,実際の活動を通じて影響力を拡大していかなければならない」とする.
3.18 FSLN全国大会、「全国集中」のボラニョス大統領あてに公開状を送り、アレマン前政府の腐敗への処罰を要求する。
4.04 ニカラグアの検察当局,国営テレビ「カナル6」の不正に絡み,アルノルド・アレマン前大統領を告発.告発状によれば,財務省や空港当局などから支払われた放映料130万ドルが,パナマに設けられたアレマンの秘密口座に送られていた.アレマンは現国会議長として免責特権をもっており,国会でも多数派を占めるため,逮捕は困難と見られる.
8月 アレマン、在職中のマネーロンダリングの罪で告訴される。
12.12 アレマン前大統領,自宅軟禁処分となる.
2003年
1.21 サンディニスタ全国会議決定に基づき、大統領候補を決める全国投票.オルテガが選ばれる。
立候補者の顔ぶれ: オルテガのほかビクトル・ウーゴ・ティノコ,アレハンドロ・マルティネス・クエンカ.マルティネスはかつて革命政府の貿易相を勤め,現在は民間シンクタンクに働くエコノミスト.議員としてアレマン=オルテガ協定に反対したモニカ・バルトダーノ,ホセ・ゴンサレス,アンヘリーナ・リオスは議員候補への登録を認められず.
8月 自宅軟禁中のアレマン前大統領,刑務所に収監される.
9.16 36億3,350万ドルの対外債務が免責される.これは対外債務総額の58%に相当する(ニカラグア中銀の発表).
11.03 パウエル国務長官,ニカラグアを訪問.ソ連製のSAM7地対空ミサイル2000発の完全廃棄をもとめる.このミサイルは対コントラ戦争のあいだにソ連から供与されたもの.ハビエル・カリオン軍司令官は,管理は十分に行われており,テロリストに渡る危険はないとし,ほかの中米諸国が保持しているSAMがなぜニカラグアに限って許されないのか,と反論.
11.23 オルテガ,オルテガはボラノス政権が態度を豹変し,いまや米国の忠実な番兵となったと非難.米国の干渉と闘うためPLCアレマン派とも連携する用意があると述べる.反アレマンから親アレマンへの態度変更は党内に憤激を呼ぶ。
11.26 アレマン前大統領が判決を前にいったん保釈され自宅に戻る.
11.27 ハビエル・カリオン軍司令官,今後1年間でSAM7地対空ミサイル2千発のうち千発を廃棄すると発表.
12.11 世論調査で、「米国がニカラグアの国内問題に干渉している」とする意見が66%に達する。またイラクへの派兵については、83%が駐留継続に「反対」する。
12月 アレマン前大統領の腐敗に関する第一審、資金洗浄、公的資金の横領、詐欺と選挙違反の罪で禁固20年、罰金1700万ドルの判決。
03年 MRSに離党した民主左翼が加わり再編される。
@Lewites(前マナグア市長)とVictor Hugo Tinoco(元外務次官)が離党した。彼らはサンディーノ主義擁護運動 (MpRS) を結成した。
AHenry Ruiz, Victor Tirado, Luis Carrionもこれに加わった。
Bのちに「民主左翼」のモニカ・バルトダーノ とフリオ・ロペスも加わった。
CMpRSはMRSと選挙協定を結んで闘った。この勢力にはニカラグア社会党、市民行動党、ノンセクトの女性解放運動や環境主義者も加わった。彼らの支持基盤は主に中流階級で、マナグア、カラソ、マサヤに強力な基盤を持っていた。議会選挙では5万票を獲得した。03年 ニカラグアをふくむ中米4カ国が米国とのFTA協定に調印。
2004年
1月 世界銀行、債務の80%を帳消しにすると発表。ボラニョス大統領は「25年間で一番よいニュース」と言明。
2月 ニカラグア軍、イラクから撤退。
7月 ロシアとのあいだに協定。ソビエト時代の10億ドルに上る負債を帳消しにすることで合意する。
10.07 会計検査院(CGR)、2002年の大統領選挙キャンペーンで使われた資金の出所について、ボラーニョスが調査に協力せず、調査を妨害したとし、国会に対して罷免を要求。
10.09 会計検査院(CGR)の決定を受け、民主保守党に加え、アレマンの率いる立憲自由党(PLC)の主流派も、ボラーニョス大統領の罷免を要求。
10.15 議会は、会計検査院の申し出が根拠あるものかを審査する特別委員会を設け、委員を指名。
10.16 ニカラグアの議会がボラーニョス大統領弾劾の構えを示す。
10.16 ボラーニョスの要請に応じて、グアテマラのオスカル・ベルヘル、エルサルバドルのアントニオ・サカ、ホンジュラスのリカルド・モドゥーロの各大統領が、マナグアで緊急の会合を持つ。パナマの副大統領サムエル・ルイス、コスタリカとベリーズ外相も参加。米州機構常任理事会の緊急会議を連名で呼びかける。
10.19 立憲自由党(PLC)が多数を握る国会は、ボラーニョス大統領が選挙キャンペーンの資金を不正に隠匿したとして、罷免問題を扱う委員会を設置。
10.20 ボラーニョスは、自分は虚偽の告発に直面していると説明。罷免問題委員会の動きを「反対派の陰謀だ」と反発。オルテガは、ボラーニョス罷免の意図はないが、いまの危機的情勢については責任を追及すると述べる。
10.20 中米諸国の大統領はボラーニョスを支援するようOASに要請。
10.20 バーバラ・ムーア駐ニカラグア大使、PLCによるボラーニョス大統領罷免の動きに対し、「米国がニカラグア援助を続ける上で大きな問題になるだろう」と警告する。米国と中米諸国の要請を受けた米州機構のルイジ・エウナウディ事務局長代行らがマナグア入り。
11.09 ニカラグアの一斉市長選。FSLNが91市を制し、右派の立憲自由党(PLC)が47、エンリケ・ボラーニョス大統領与党の共和国連盟(Apre)が6、もとコントラの抵抗党が2市長を確保。マナグア市長には、レウィテスに代わりFSLNのディオニシオ・マレンコが当選。オルテガ元大統領は勝利宣言。
11.25 ボラーニョス大統領、334基の対空ミサイル「サムー7」廃棄を命令。裁判所はサンディニスタの訴えを認め、廃棄を中止するよう命令。ニカラグア軍隊は、全部で2174基のミサイルのうち、今年約千基を廃棄している。
2005年
1.31 ニカラグアの教員が、給与引き上げを要求してストライキに入る。
2.19 ニカラグアの教員スト、政府が給与引き上げに応じたことから解決。
2.23 チナンデガ県のパン・ブランド農場で、農民の土地占拠行動。警察との衝突で3人が死亡。チナンデガでは土地占拠行動が頻発。土地所有者は、チナンデガのフリオ・ベラスケス市長が占拠を煽っていると非難。
2.24 ニカラグアのホセ・アダン・ゲラ防衛大臣は,旧ソ連製の対空ミサイルSAM-7の20%を戦略的な観点から残したいと、米国からのミッションに対し言明した。
2月 レウィテス、FSLNを除名される。
3.07 ダニエル・オルテガ、次期大統領選への出馬を表明。FSLN党内ではこれに反発する意見も。
3.19 米国、対ニカラグア軍事支援を中止。旧ソ連製地対空ミサイルの全面破棄を求める。
4.05 マナグアの都市バス料金、2.5コルドバから3コルドバに値上げ。学生らの抗議行動が始まる。
4.25 都市バス料金値上げ反対運動がボラニョス退陣をもとめる闘争に変わる。FSLNとLCがこれに同調。152の市のうち96の市長が、大統領の無能力を批判し辞任要求の文書に署名。
4.27 ボラーニョ大統領の退陣を求めるデモが激化。国際空港に通じるパンアメリカン道路は遮断され、マナグア市内は焼いたタイヤの煙と催涙ガスに包まれる。ボラーニョス大統領の息子、バス料金の値上げ反対デモ隊から投石を受けて負傷。
4.30 マナグアの都市バス料金の値上げに反対するストライキ。中央政府とマナグア市は、補助金(総額約180万ドル)を提供することで合意。運賃値上げは3か月間、凍結されることとなり、当面の危機を回避。
5.11 12,000人の公立病院の医師たちは、70%の賃上げを要求してストに入る。政府はIMFとの協定を理由に医師の要求を全面拒否。
ニカラグアの医療事情: 北沢によれば、ニカラグアではIMFの構造調整プログラムの結果、医師の数は1996〜2003年間に人口10,000人当たり、6人から3.8人に減った。同時に、基本的な医薬品や器具の供給、病院の保全、医療補助金など保健医療予算も激減した。医師の給料は月に300ドルで、中米医師の平均賃金の60%しかない。
05.12 IMFは、「多国間債務救済イニシアティブ」の一環として、ニカラグアの債務2億100万ドルを100%帳消しにする。さらにIMFの1億ドルの借款を含む2億3,000万ドルにのぼる国際援助パケージをニカラグアに供与。援助パケージの条件として、公務員の賃上げ抑制をふくむ財政緊縮政策の実施を押し付ける。
6月 自由党とサンディニスタが多数を占める議会、大統領の権限を弱めるための憲法改正を可決。水、エネルギー、テレコミュニケーションなどの公共企業幹部の任命権を大統領から取り上げる。ボラニョスはこれを認めず独自の任免を行うが、最高裁がこの人事を拒否。
9.26 ホセ・リソ・カステジョン副大統領が辞任。次期大統領選に自由党から出馬するためとされる。
9.29 コスタリカとの国境紛争が深刻化。コスタリカは国際司法裁に提訴。ニカラグアはコスタリカ駐在大使を召還し、サンフアン川流域の国境地帯に兵士を移動。
9.30 議会、閣僚ら二人を犯罪の廉で資格剥奪。フリオ・ベガ官房長官らにも疑いがかかる。ベガはワシントンの米州人権委員会(CIDH)を訪問。「スローモーション・クーデター」を抑えるよう訴える。
9月 FSLNとアレマン派が反ボラーニョ大統領の共同行動を進めることで合意。ボラーニョ大統領はこれを「クーデター」行動だと非難。米国はボラーニョ政権を無条件で支持することを明らかにする。
10.04 ゼーリック国務次官、マナグアを訪問。ニカラグアの民主主義は程度が低く、野党は堕落していると非難。堕落行為に係わる人物にはビザを認めないと脅迫する。また混乱が続けば経済援助や自由貿易協定から除外する可能性も示唆。
10.17 米国の仲介によりボラーニョス派とFSLNのあいだに合意が成立する。オルテガ元大統領は「もはや協定が存在すべき理由はない」とし、アレマン前大統領との協定を破棄したと発表。
10月 国会、大統領の権限を縮小する憲法改正を、ボラニョスの任期中は実施しないことで合意。政治危機が一段落する。
10月 外交関係樹立70周年を迎え、常陸宮夫妻がニカラグアを訪問。
12.17 最高裁の口座にあった麻薬による資金が消える。ボラーニョ大統領は検察に対し捜査を命じる。
2006年
1.18 公立病院の医師3,000人が全面ストに入る。公立病院は完全に機能停止。私立のクリニックは週に400ドル、普通の人の給料の6カ月分に相当する。
1月 ニカラグア輸出投資センター(CEI)、昨年の輸出は93%増と発表。しかし、金額ではまだ最下位。
4.17 ポール・トリベリ駐ニカラグア大使、主要な右派政党を集め、サンディニスタ指導者に対抗できる連合の可能性について話し合う。
4.19 ショーン・マコーマック国務省報道官は、オルテガのような過去に信用を落とした人物は、ニカラグア国民に拒絶されるべきだと言明。オルテガ候補に投票しないよう働きかけを始める。
4.26 ベネズエラ、ニカラグア国内に合弁会社Albaを創設。マナグアなど50あまりの市に優遇価格の石油を販売することを目的とする。これらのほとんどの市がサンディニスタの市長の下にある。チャベスは調印式にあたり、オルテガへの支持を繰り返し表明。
4月 米国と中米5カ国のあいだに自由貿易協定(DR-CAFTA)が調印される。
5.16 ボラーニョス大統領、マナグア市長(FSLN)の就任を拒否。FSLNと立憲自由党が中心となる野党勢力は、最高裁判所と最高選挙評議会および議会下院を掌握。法に従い就任を認めるよう求める。ダニエル・オルテガはボラーニョスを、「法廷の判断を守らず、ニカラグアに対する犯罪を犯している」と非難する。
5.31 公共交通の値上げに反対して学生のデモ。学生は逮捕された者の釈放を要求して警察を数時間占拠した。
6.27 米国務省のラテンアメリカ担当高官が、ALNのモンテアレグレ候補、MRSのレウイテス候補と会見。「ニカラグアの民主主義を支援するため」の対策について協議。
7.03 サンディニスタ革新行動(MRS)のエルティ・レウイテス候補が死蔵病で急死。レウイテスはMRSに参加し、FSLN攻撃に加わる。MRSはレウィテスに代わり、副大統領候補エドムンド・ハルキンを候補にすえる。
7月 大統領選に5人が立候補。立憲自由党(PLC)はホセ・リソ前副大統領、米国の支援を受けるニカラグア自由同盟(ALN)がエドゥアルド・モンテアレグレ元外相を擁立し、オルテガと三つ巴の戦いとなる。ほかにサンディニスタ刷新運動(MRS)がエドムンド・ハルキン、元ARDEのエデン・パストラも立候補。
8.27 FSLN、ソモサの与党であった国家自由党(PNL)と連携。大衆の面前で、オルテガとPNLの総裁コンスタンティーノ・ベラスケスが抱擁した。オルテガはハイメ・モラレスを副大統領候補にすえる。モラレスは、アレマン元大統領の親友で保守主義者。80年代にはコントラの指導者だった。
9.27 米州機構の選挙監視団、外国政府がニカラグアの大統領選挙に干渉していると非難。
10.11 マナグアの運送協同組合、ベネズエラから提供された32万リットルのディーゼル油を「量的に不十分」として受け取り拒否。マナグア市長ディオニシオ・マレンコ(FSLN)はこれを国立発電所に提供。
10.13 野党サンディニスタ改革行動(MRS)のエドムンド・ハルキン候補、アメリカとベネズエラの選挙干渉を拒否するよう訴える。
10.24 オリバー・ノースが憲政自由党のホセ・リソ候補と会見。オルテガが政権に戻ることはニカラグアにとって「最悪」であると述べる。リソはノースについて「中央アメリカで非常に存在感の高い人物」と評価する。
10.28 米国国際開発庁(USAID)ラテンアメリカ・カリブ責任者のアドルフォ・フランコ、「自由貿易協定などをめぐる発言には、我々を懸念させるものがある」とし、オルテガが大統領選で勝利すれば、援助を減少させることを明らかにする。
10.31 オルテガ候補、現下のエネルギー問題を解決するために、ベネズエラとブラジルに支援を求めると言明。
10月 右派は虐殺や義理の娘への性的虐待などのオルテガ個人攻撃を強化する。カーター元米大統領、「他の主権国の選挙に影響を与える行為に反対する」と米政府の選挙干渉に抗議。FSLNは米の極右組織がALNとMRSに巨額の資金を提供していると反撃。
11.01 大統領選挙直前の世論調査。オルテガの支持率は30から34%で、ボラーニョス派のモンテアレグレが28%、アレマン派のホセ・リソ20%が続いている。第一回投票で勝利するためには35%の得票が必要。
11.01 オルテガ候補、大統領選に勝利した場合には、現下のエネルギー問題を解決するために、ベネズエラとブラジルに支援を求めると言明。
11.05 大統領選挙。FSLNのダニエル・オルテガが38%を獲得。17年ぶりに大統領に再選される。ニカラグア自由連合(ALN)のエドゥアルド・モンテアレグレは29%に留まる。モンテアレグレ、「国民の投票結果はオルテガを選んでいる。私は祝福する」と述べる。
11.05 議会選挙。FSLNは、92議席のうち38議席を獲得。第一党ではあるが少数与党という条件の下で連立を模索することとなる。一斉市長選挙では153 の市長区のうち 85 市をサンディニスタが占める。
11.08 米国大統領委員会はニカラグア総選挙に疑いがあるとの声明。最高選挙協議会(CSE) はこの声明を非難。米州機構(OEA)も記者会見で選挙が平穏かつ秩序ある形で行われたとする。
11.09 オルテガ次期大統領、自身が80年代とは変わったと述べ、ドラスティックな経済政策は採らないと言明。経営者、政治家に対し、「貧困を撲滅するために団結しよう」と呼びかける。アメリカは、新政権が民主主義を尊重すれば、支援することを明らかにする。
11.18 ボラーニョ大統領、「治療上の」人工中絶を禁止する法律に署名。
11.22 オルテガ次期大統領、「アメリカはイデオロギーの相違にもかかわらず、中国やベトナムと共存することを学んだ。今度は、ラテンアメリカと共存することを学ぶべきだ」と述べる。
11月 MRS党首で元副大統領のセルヒオ・ラミレス、「国家予算の30%を海外支援に頼っているため、新政権は、財政の面では保守的にならざるを得ないだろう」と語る。ニカラグアの年間所得の全国平均は 900 ドル。ラテンアメリカでは下から2番目
12月 新政府の教育相に就任予定のMiguel de Castilla Urbina、1月11日から授業料を廃止すると宣言。それまで授業料の支払い困難のため、全生徒の50%が最初の1年のあいだに落伍していた。
2007年
1.10 ダニエル・オルテガが大統領に復帰。就任式には16人の国家元首が出席した。10万人を前に就任演説。「野蛮な資本主義」とネオリベラリスモを批判し、国民が誇りを持って暮らせるよう新たな道を開くと宣言。義務教育無償を厳格に実施すると表明。公立病院の治療も無料にする。
オルテガの宣誓就任は、ウゴ・チャベスにカラカスから到着する時間を与えるため1時間以上繰り延べられた。式典が進行する中、チャベスはボリビア大統領エボ・モラレス及びエクアドルの大統領当選者ラファエル・コレアと共に入場した。チャベスは、ニカラグア・ベネズエラ間協力の幅の広い構成要素を中南米における明確な反帝国主義の戦略の一部として説明した。
1.11 オルテガ、ALBAへの加盟を発表。いっぽうで中米自由貿易協定の維持についても表明。
1.11 ベネズエラの75人の政府代表団がマナグアにおいて貿易・外交協議。主要な課題はニカラグアのエネルギー危機の解決。首都マナグアの電気需要である60メガワットを供給する臨時の処置として、いくつかの発電所は即座に設備された。ほかに新しい石油精製所の建設、ベネズエラからのガス・パイプライン、アルミニウム精錬所などが計画される。
1.14 イランのアフマディネジャード大統領がニカラグアを訪問。経済、金融、通商、エネルギーの分野での協力協定に署名。水力発電、セメントと自動車工場、一般住宅の建設などへのイランの支援で合意。
1.17 オルテガ大統領、今後保健と、教育サービスを無料化すると言明。現行予算の修正により教育・医療予算を3〜5%増額。また、軍や警察を直接コントロールするため、行政組織に関する法律を改正すると述べる。
1.20 オルテガ大統領、自身の給与を1万ドルから3200ドルに引き下げ。議会でもサンディニスタ党が政府高官の「メガサラリー」を削減する法律を提出。92人の議員、16人の判事、その他検察関係者などの最高給与を月3200ドルにするもの。
1.26 オルテガ、「IMFの命令を熱心に守った結果、ニカラグアはラテンアメリカで最も貧しい国になってしまった。自由市場は公平でも公正でもなく、ジャングルのルールでしかない」と非難する。IMFはオルテガ発言に懸念を表明。 IMFはニカラグアに14億ドルの融資を行っているが、その見返りとして、社会予算に限度を設けるなど厳しい構造調整政策を要求してきた。
1.26 バジャルド・アルセ経済顧問、世界銀行が債務15億3500万ドルの64%カットを決定するのを待つと述べる。
3.05 ニカラグアとホンジュラス間の国境問題について国際司法裁判所の審理が始まる。
3.05 アメリカ政府、ニカラグアに対し地対空ミサイルの廃棄を求める。ニカラグアは、80年代にソ連からミサイル2千基を受け入れた。ボラーニョ政権時に千機を廃棄したが、現在も1051基が残っている。オルテガは廃棄の条件として、ホンジュラスにも同様の措置を求める。
3月 米州開発銀行などとの債務交渉が成立。債務の一部取り消し(約4300万ドル)など。
3月 米国、旧サンディニスタ政府が接収した資産170億ドルについて、補償金を支払うよう求める。オルテガは国際司法裁判所の86年判決を無視している米国に抗議するとともに、補償金の支払いを拒否。
3月 議会、ALBA加盟を批准する。ALBAでの合意に基づき、ベネズエラは格安価格での石油提供を開始。
3月 教育省、翌年から始まる「5カ年計画」策定のため、市民団体との協議を開始する。予想される生徒増に対応するためのインフラ作り、教員養成に着手。
4.17 マナグアでディーゼル発電機32機が稼動を開始する。ベネズエラとキューバの援助によるもの。今後さらに36機の発電機がキューバにより寄贈される見込み。これまでマナグアでは一日10時間にわたる停電が続いていた。
4.18 サントス外相が訪米し、ライス国務長官と会見。ライス長官は両国の信頼関係を願うと述べ、「オルテガ大統領への敬意」を託したとされる。
4.27 オルテガ政権、今年度予算を修正し、教育、医療予算をそれぞれ5%、3.2%増やす。
診察料と医薬品費が無料となる。このための予算は前年度比36%増となる。財源には米州開発銀行などとの交渉で実現した対外債務の帳消し分4300万ドルがあてられる。
4.30 IMFとの定期協議が始まる。14億ドルの融資の条件となっている「経済政策見直し」がテーマとなる。オルテガ大統領は「五年以内にIMFから自由になる」と表明。
4月 ベネズエラから優遇条件によるディーゼル油やガソリン、肥料が到着する。
5月 飢餓ゼロ計画が開始される。最初の5年間に75,000人の農民の食糧援助が行われる予定。またこの計画では、環境保護、森林破壊の防止、生産の多様化、食料・燃料自給率の向上、食糧輸入の減少も目指すことになる。
5月 ロシア外務次官がニカラグアを訪問。
10月 ハーグ国際司法裁判所、ホンジュラスとニカラグアのあいだの国境問題に対し調停案を提示。
2008年
10.11 ニカラグア検察庁、「不法な活動の疑い」で、国際的な資金支援を受けているNGOの「女性自治運動」(MAM)、「コミュニティ研究センター」(Cinco)を捜査。Cincoはかつてバリカーダの編集長を務めたカルロス・フェルナンド・チャモロが運営。
11.05 ニカラグア地方選。146の市長選挙のうち、106市でFSLNが勝利。首都マナグアでも、アレクシス・アルグエジョがモンテアレグレを破り勝利。カリブ海地域でも勝利する。PLCは37市を獲得。ALNは惨敗。
11.10 立憲自由党のマナグア市長候補者モンテアレグレ、不正選挙を叫び抗議集会を開催。サンディニスタ支持者と衝突。
12月 アメリカ、11月地方選挙での不正を理由に経済援助の未実施分6400万ドルを凍結。EU諸国も経済援助を凍結する。
2009年
1月 ニカラグア政府、コントラとの戦争後20年を経て、地雷のほぼ完全な撤去に成功したと宣言。
1月 政府、リーマンショック後の不況に対し、ALBAとの連携強化による乗り切りの方向を打ち出す。
1月 就学率が94%に達する。これはニカラグア史上最高の数字である。
3月 アメリカ、基盤プロジェクトのための6400万ドルの支援を中止する。
3月 ニカラグアの世帯あたり家計費は1ヶ月450ドルと発表される。これに対し農家の平均所得は月あたり70ドルとされる。
4月 米州サミットでオバマと中米首脳との会談が持たれる。チェイニー前副大統領は、オバマのチャベス、オルテガに対する宥和的態度を厳しく批判。
4月 ドール社がニカラグアの農場で禁止農薬ネマゴンを使用していたことが判明。ドール社はニカラグアの労働者が偽証をしたと訴え、勝訴に持ち込む。
5月 中米自由貿易協定により安い米国産豚肉が流入し、多くの国内畜産業者が廃業に追い込まれる。
7月 オルテガ大統領、もう一期の大統領職を可能にするべく憲法改正案を提示する。
10月 最高裁憲法法廷、再選禁止規定を棚上げし大統領の連続再立候補を認める憲法判断。
2010年
11月 コスタリカとの国境を流れるサンフアン川の通行権をめぐり紛争が発生、両国間に緊張が高まる。
12月 ウィキリークス、オルテガ政権が麻薬カルテルから資金を受けているとの米外交電を発表する。
2011年
1月12日、ニカラグア司教会議議長のレオポルド・ブレネス大司教は「大統領選の際に監視を強めなければならない」と語る。
1月13日 最高裁大法廷、憲法法廷での大統領の連続再立候補を認める判断を承認。
1.23 シルビオ・バエス司教、「票と引き換えに国民にパンを差し出すのは、罪である」と発言。大統領の再立候補を認めた最高裁を批判。
1.26 ヌエボ・ディアリオの世論調査。オルテガが36%、アレマンが23%、ガデアが17%となる。
2.22 欧州議会議員団がニカラグアを訪問。選挙監視団への参加をもとめる。
2.22 PLI、ガデアを大統領候補、MRSのハルキンを副大統領候補に指名。
2.26 FSLN党大会、オルテガを大統領候補に指名。オルテガは外国の選挙監視団を歓迎するが、選挙への干渉は許さないと発言。
3.17 モラレス副大統領、次期選挙への立候補を辞退。FSLNは副大統領にオマル・ハレスレーベン前国軍司令長官をたてる。このほかPLCのアレマン、ALNのキニョネス、APREのミゲル・アンヘル・ガルシア、PLIのガデアが立候補。
3.08 国際司法裁判所(ICJ)、サンフアン河浚渫工事を停止するよう求めたコスタリカの主張を却下。
3月2日 クリントン米国務長官、「キューバ、ベネズエラ及びニカラグアは、ラテンアメリカの持続的民主主義及び経済成長の潮流から外れた例外的存在である」と議会で証言。
4.12 各紙世論調査。オルテガの支持率は50%近くに達する。二位にPLI(MRS)のガデアが入る。
5.25 世論調査。オルテガ支持は38%に低下し、ガデア支持が28%に上昇。
5.14 経営困難となったヌエボ・ディアリオ紙、銀行最大手BANPROに買収される。
5.18 マナグアにおいてサンパウロ・フォーラムが開催される。ルーラ前ブラジル大統領らが出席し、ニカラグアの社会改革への支持が表明される。
5.22 マナグアで中米4ヶ国首脳会合が開催される。オルテガ大統領、コロン・グアテマラ大統領、フネス・エルサルバドル大統領、ロボ・ホンジュラス大統領が出席。オブザーバーとしてセラヤ前ホンジュラス大統領も列席する。ホンジュラスの国際機構復帰とニカラグアとの関係正常化で合意。
6.16 ニカラグアと米政府、移民労働者保護に関する協定を締結。
6.30 ノルウェイ大使館が閉鎖。デンマーク、オランダも追随の動き。
7.04 世論調査の結果がばらつく。オルテガは最大56%、最低41%となるが、5月末よりは増大。
9.14 オルテガとオバンド枢機卿が、中米独立190年記念パレードに出席し顔をそろえる。
11.06 混乱なく大統領選挙。投票率は70%を超える。オルテガが63%を獲得し圧勝する。スローガンは「社会主義、キリスト教、自由市場」というもの。PLIのファビオ・ガテア候補(80歳)は32%にとどまる。
11.06 国会議員選挙。FSLNが議席の三分の二を制して圧勝する。第二党は独立自由党30%、以下アレマンの立憲自由党6.3%、ニカラグア自由同盟(PLC)0.8%となる。
11.08 EU選挙監視団、選挙結果の透明性や公平性の欠如を指摘する報告を発表。OAS選挙監視団は、「多くの不規則的事項が見られたが、開票結果は、最高選管の発表と概ね似たものであった」と報告。
11.15 最高選挙管理委員会が最終結果を発表。92議席のうちFSLNが63議席、PLIが2議席を獲得。PLCは2議席に留まる。
2011年 国連、ニカラグア保健省のソニア・カストロにアメリカ賞を授与。母性保護の活動が認められたもの。
2012年
1.10 革命広場で大統領就任式。
2.06 新政権の閣僚メンバーが発表される。ほとんどが留任。
3.27 米国務省のガジェゴ中米課長、PLIのモンテアレグレ、MRSのエンリケ・サエンスと個別に会談。
4.30 トマス・ボルヘ駐ペルー大使が死亡。3日間の国葬を行う。
6.05 オルテガ大統領、ニカラグア運河建設法案を提出。
6.05 オルテガ大統領、ボリビアで行われた第42回OAS総会に出席。米州共同防衛条約からの脱退を宣言(ベネズエラ、エクアドル、ボリビアとの共同)。
7.02 中米司法裁判所はコスタリカがサンファ河沿いで進めてる道路建設について違法との判決を下した。
9月 サンクリストバル火山が噴火する。マナグアの北西部で数千人が避難する。
11.06 地方選挙。FSLNが得票率68%に達する。153の市長のうち134市長選で勝利。首都マナグアでは、現職のダイシ・トレスが8割を上回る得票で圧勝。PLIは21%、PLC8.5%に留まる。大西洋岸の三つの市はYAMATAが獲得。