デザインの可変性2。
2002/11の日記 に標準ということにひとまずこだわらず、table要素を用いた固定的なものとは違う可変的なレイアウトに関する興味を持っていると書いた。最近見つけた outsider reflex は、そこで書いたウィンドウサイズの変化にある程度対応するより複雑なcssレイアウトを行っているサイト。ただし、そのセンスは若いのになんかバブル時代的だし内容もちょっとついていけない。それらに惑わされずその構造をみれば、かなりよく考えられていると思う。これに対してflashサイトの e factor を挙げてみる。tableによるものを挙げないのは、tableによるレイアウトへの欲求は、最終的にflashの自在さに含まれると思うから。ところでこのサイトは、レイアウトを固定させずウィンドウのサイズによって、全体の比率が変化するという、ちょっとflashサイトの中では異色のもの。まあいずれも一長一短があるけれど野心的な試みは素晴らしい。
dhtmlによる動的なサイトデザインは、flashサイトのデザインや動きの自由度に比べると、その制約は大きいと思う。以前から言っているように、htmlがテキストを主な内容として扱い、flashは描画とそのアニメーションを主なものとして扱うのだから、あくまで用途が違うと考えたほうがいいのだと思う。また僕は以前flashサイトなどのマルチメディア主体のものが、多様な環境をある程度排除することで存在を維持することに肯定的である、と書いた。けれども同時に僕は、標準に準拠せよというような義務的な意味とは違ったアプローチで、上のように動的に変化するデザインに魅力を感じている。標準派がflashでサイト構築することを批判するのは、フレームサイト同様、検索エンジンに引っかからないということだけでなく、情報の制御がhtmlに比べよりアナログに扱わざるをえない本質的な性質を嗅ぎ取っているからだと思う。美的な複雑さよりも制御への効率に美しさを感じる態度かもしれない。flashアニメーションはそれぞれ構成要素をデジタルに読み込ませ、それをインタラクティブに操作できる点ではhtmlと変わることはないけれど、そのカスタマイズ、保守などの点で接する者すべてに固定的な対応を迫るものになっている。これに対し、html、css、javascriptというブラウザに一体化しているウェブテクノロジーは動的に情報を変化させることのできる解像度がこれに勝っている。ただしこれらがよりflashや画像ソフトで可能となる複雑で微細な表現を排除することで成り立っている制約がある。つまり、両者を一体化するようなテクノロジーの登場が最も期待されるわけだけれど、これはちょっと荒唐無稽かもしれない。現実的には一体どちらを選ぶのか、ということになる。たとえばこのウェブはテキストが主な内容となっている意味では、非flashのhtmlテクノロジーを相変わらず使う方が保守には適切だと思うけれど。
受容
- 音/jazz [ selflessness ] compilation
- web/dhtml [ brainjar.com ]
- tv/バラエティ [ 究極笑わせ合い大会/めちゃイケ ]
- 板尾創路の蹴りは目から鱗だった