「精霊界秘抄I」君がために
第1章

 パチパチと薪の燃える音。暖かい室内には、スープの香りが充満している。

「・・・う、ん・・・」

「気が付いたか?」

 少女の目を覚ました気配に緑髪の青年は声をかけた。

「!! ここは!? お前は誰だ!!」

 慌てて木のベッドから飛び起きようとする少女を押さえつけ、ベッドに横にしながら緑髪の青年は答えた。

「ここは、エンドフォレスト、ゼロの森にある私の家だ」

「ゼロの森って・・・この精霊界の一番端にある森!?」

「そうだ。私はグリーン・エメラルダ」

「グリーン・エメラルダ!?」

 驚嘆の声をあげて少女は目を見開いた。

「知っているのかい?」

 緑髪の青年―――グリーンはふっと微笑みながら訊き返す。

「知ってるも何も、有名人じゃないか、あんた。剣の達人なんだろ?」

 少女は改めてグリーンをみつめた。

 グリーンは、ドルマンスリーブ風の袖は細いが袖ぐりはゆるやかで、全体的にゆったりとしたシルエットの上着に、ぴったりとしたトレアドールパンツを身にまとっていた。

 視線を上へと上げていくと、くせ毛の緑髪は腰ほどまであり、銀製のリングでゆるやかに後ろでひとつにまとめている。透けるような白い肌に、桜色の唇。まるで女性のような整った顔立ちに唯一、太くてしっかりとした眉が、男であることを証明しているようだった。

 すらりとした細身で長身のその姿は、少女が想像していた剣豪のイメージとは著しくかけ離れている。

「なんか、噂はあてになんないねぇ。あんた、ホントに剣の達人なの?」

「ははは、どうかな」

 グリーンは笑って答えをはぐらかした。

 少女は気付いていなかった。いや、知らなかったというのが正しいだろう。グリーンのその両眼が銀色であることを、左耳に騎士の称号を持つ者のみが身につけることを許されている、青銀のイヤーカフをはめていることを。そのことが何を意味するのかを。

 それは、間違いなく高格精霊である証であった。男性の高格精霊は稀有な存在であるのだ。間違いなく、彼は精霊界唯一の存在である。

「ところで、君は? 何故あんなところに?」

 グリーンが問うと、少女はうつむいて、少々戸惑いがちに口を開いた。

「・・・あたしは・・・レイ。戦場で戦っている傭兵だよ」

「戦場って・・・君が? 妖魔たちと戦っているのか?」

 グリーンは驚いて訊き返した。

「ああ。傭兵になってもう三年になる。あんたとおんなじで一応剣を扱ってるんだけどさ、ドジっちまって戦場から離脱しちまったのさ。そんでさまよっているうちに、腹も減ってきて動けなくなって意識をなくして・・・気が付いたらここにいる」

 バツが悪そうに少女―――レイは笑った。

「そうか、ならこのスープでも飲むといい。大した物は何もないが、これくらいでよければ、腹いっぱい食べさせてやろう」

 グリーンは木の鉢にスープをゆっくりと注ぐと、スプーンと共にレイに手渡した。

「うわぁ、助かるぜ。ホントにハラペコだったんだよ、あたし」

 湯気のたっぷりと上がる熱そうなスープを、それでも一生懸命に冷ましながら、レイは物凄い勢いで腹の中へと納めていく。空腹で動けなくなった、というレイの話は本当のことだと、その食べっぷりが証明していた。

「!」

「うまい、おかわり・・・って、ん? どうかしたのか?」

 外に何者かの気配を感じ取ったグリーンが扉へと目をやった。

 レイもつられるようにして視線を投げるが、別に変わったことは無さそうだった。

「どうしたんだよ、グリーン?」

「・・・何か、来る」

 低く静かな声でグリーンはひとこと呟くと、スッと扉の脇へ身を置いた。


「レイ、君はそこでじっとしていなさい」

 そう言い残し、グリーンはサッと素早く扉の外へ滑り出て行く。

「あ、何だよ、ちょっと待ってくれよ。置いていくな!!」

 あたふたとレイもグリーンの後を追うために、ベッドから這い出し扉へと向かう。

★


 扉を開こうとした瞬間、聞き覚えのある声が耳へと入ってきた。

「・・・ガグゥルゥ・・・オンナ、わタせ」

「!」

 驚き、眩暈がした。しかし恐る恐るも扉を少し開けて、レイは外の様子を覗き見る。

 そこにいたのは間違いなく、レイが戦場で戦っていた相手。中級妖魔であった。全身が毛で覆われた獣人の姿をしており、力だけは滅法強いが、頭脳は低い。ただ、力でごり押しするタイプの相手に、華奢な体つきのレイは苦戦を強いられたのだ。その妖魔の吐き出す獣臭い息が、家の中まで入り込んできてむせ返りそうになる。

 それを懸命に耐えながらグリーンの姿を探す。

 その中級妖魔を真正面に見据え、グリーンはレイのいる家に背を向けた状態で立ちはだかっていた。

「オンナ・・・ワたせ、カクシテもムだダ」

 たどたどしいことばながらも地を這うような低く腹に響く声で、中級妖魔はことばを続けた。

「問答無用」

 グリーンは一言そう言うと、右手を開いて軽く腕を横に挙げた。その掌からは、美しく立派な、今までレイが触ったこともないような剣が音もなく、まるでその手に萌え出づるかの如く現れた。

「あ、あれが噂の・・・精霊の剣!?」

 レイは息を呑んだ。

 その瞬間!

「・・・ヴガ・・・ア?」

 中級妖魔はその体を斜めに分割され、何が起きたのか、という表情のまま、轟音と共に地に倒れた。そして、シュワシュワと音をたてて溶けていく。

 目にも止まらぬ早業で、グリーンは妖魔を一刀両断していた。



「・・・そこで盗み見をしていないで、出てきたらどうだ? もう片付いたぞ」

 グリーンは背後に潜むレイに声をかけた。

「エヘヘ」

 照れ笑いをしながら、レイは家の中からそそくさと外に出る。

「グリーン、あんたホントにスゴイんだね。あたし、マジでビックリしたよ」

「・・・そうでもないさ」

 一瞬グリーンは表情を曇らせた、そのようにレイには見えた。何故なんだろう―――その謎めいた表情に対する好奇心が膨らむ。

 しかし、それは今は尋ねられそうにない気がして、レイは口をつぐんだ。

 沈黙が訪れる。

 その沈黙を破ったのは、レイだった。

「グリーン! あたしをあんたの弟子にしてくれ!!」

 一日の始まりを知らせる輝かしい朝日に照らされた、そのレイの顔には、揺るぎ無い決意が満たされていた。


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オリジナル小説「紫鏡」