「紫鏡外伝1」君がために
第2章

 朝、まだ日が昇る前にレイは目を覚ます。

 そして、朝日が昇り始め段々と白む空の中、近くの小川へ水を汲みに出かける。

 そこで顔を洗い、木桶に水を汲むと、家へ戻り朝食の準備をいそいそと始める。

 暖炉に火をおこし、山羊から搾った乳を温め、木の実や茸でスープを作る。木のテーブルを水拭きし、食器を並べる。

 それが毎日の日課となった。

 別に無理に早起きをしているわけではない。

 戦場に身を置いていたときは、安らかな眠りを求めることはできなかった。故に、グリーンの元へ身を置いて一週間、こんなにぐっすりと毎日安らかに眠ることができて、レイは本当に満足している。

 朝食の準備が終わるころ、目を覚ましたグリーンが自室から現れた。

「グリーン!! おはよう! メシ、できてるよ、さぁ食ってくれ」

 目を輝かせながらレイは元気に声をかけた。

「・・・おはよう」

 静かに朝の挨拶を交わすと、グリーンは席について、朝食を摂り始めた。

 それを確認するとレイも席につき、豪快に朝食を食い荒らし始める。

 グリーンよりも早く朝食を食べ終わらせると、レイはうずうずしながらグリーンが食事を終えるのを待っていた。

「・・・レイ」

「何だ!?」

 グリーンの呼びかけに前のめるように身を乗り出して、レイは即座に返事する。

「君は、いつまでここにいるつもりだ? 私のように、こんな精霊界の片隅で隠居しているような者に師事しても、仕方ないだろう?」

 そう、レイが弟子にしてくれと申し込んでからの一週間、グリーンは弟子をとるつもりなどないと言い続けていた。

 それでもレイは食い下がる。

「だって、グリーンほどの剣士は、あたし、今まで見たことないんだよ。そんな人の弟子になりたいと思って何が悪い? 当然のことだろう?」

「君のご家族は心配していないのか?」

「!!」

 グリーンのそのひとことに、レイは下を向いた。

「あたしに・・・家族なんていないよ。天涯孤独ってヤツ。あたしを拾って育ててくれたフルーラ母さんも、四年前に死んだ」

 レイは顔を上げると、その強い眼差しでグリーンを見据えた。

「フルーラ母さんは、妖魔狩りを仕事にしてた。あたしは母さんが大好きだった。そりゃおっかない人だったケド、でもすごくあったかくって、母さんと一緒にいるだけで、すごく幸せだったんだ・・・なのに、四年前―――母さんは死んだ。妖魔に殺されたんだ。他に身寄りなんかないあたしが食いつないでいくには、傭兵になるしかなかった!」

「・・・そうか」

 グリーンは静かにことばを漏らす。レイの生い立ちを知り、それに答えることばを持ち合わせることのないグリーンが唯一漏らしたことばだった。

「でさ、考えたんだよ。あたしはみなし児だし、誰からも必要とされない存在だ。傭兵って言ってもただの下っ端だし、こうしてあたしひとり消えたって、今ごろになっても誰も気に留めたりなんかしちゃくれない。でも! 母さんみたいに社会に貢献して、人に喜ばれる仕事をしたい!! それが妖魔と戦うことなら、それでもいい。妖魔の侵略による戦争に参加することだって構わない。だけど、今のままのあたしじゃ全然ダメなんだ、弱すぎちゃってさ。あたし、自分の存在価値ってのを見つけたいんだよ!!」

 グリーンは自分の思いを一気にまくし立てるレイのそのことばを聞くと、深い溜め息をひとつついた。

「・・・レイ、君の気持ちはよくわかった。ただ・・・」

「ただ!?」

 言いよどむグリーンに、やはり気持ちを汲んではもらえないのか、と悲痛な表情でレイは訊き返す。

「・・・弟子になるからには、その訓練は厳しいものになるぞ。ついてこられるか?」

「!! うんっ! ありがとう、グリーン!!」

 立ち上がり、神に祈るように、レイはそのありったけの喜びを身体中で表した。

★


 その日から毎日、グリーンによる厳しい修行の日々をレイは送ることになった。

 まず何よりも、非力なレイには基礎体力をつけなければならなかった。

 毎日ゼロの森をヘトヘトになるまでアスレチックをしながら走り回らされた。多くの障害物を乗り越え、飛び越え、よけながら走る。

 更には腕力や握力を鍛えるために、ロッククライミングの真似事までカリキュラムに組み込まれていた。

 女だからといって、グリーンは絶対に妥協を許さない。

 初日の結果は散々で、レイはカリキュラムの半分も消費することなく、途中で倒れたまま、意識を失った。

 二日目も、三日目も、身体中激しい筋肉痛に支配され、四肢を引きちぎられんばかりだというのに、グリーンの訓練に休みはなかった。

「どうした? もう終わりか? これくらいでヘタばっているようでは、社会に貢献するなどという大口をたたく以前に、あっという間に妖魔の餌食だぞ」

「・・・はぁっ、はぁっ、ちょ、ちょっと待って・・・くれ・・・」

 どんなに厳しい訓練で、何度意識を失おうとも、レイは決して弱音を吐くことはなかった。

 それは身寄りもなく、四年間厳しい戦場に身を置いていたからに他ならない。まだ年若い少女のこの姿に、グリーンは少なからず憐れみの感情を抱いていた。だからこそ、その訓練の手を緩めることはできない。レイを思えば、必ず立派な剣士に育て上げなければ、という使命感に似た思いを抱かされるのだ。

「・・・負ける・・・もん、か・・・ぜっ・・・たいに・・・」

 そう言い残し、レイはまた今日も地に倒れ、意識を失った。

 ただ、あきらかに昨日よりも前へ進んでいる。日々前進しているのだ。

「レイ・・・君は本当によくやっているよ。必ず私が立派な剣士にしてみせる。だから、あきらめずに必ず私についてくるんだ、いいね?」

 意識をなくし、聞くことも答えることもできなくなったレイに、グリーンは優しく話しかけた。




 そうしてレイの訓練は続いた。荒天の日であろうとも、お構いなしに。

 その日々の訓練のなか、レイはぐんぐんと力をつけ、意識を失うほどの疲労困憊を起こすこともなくなっていった。その成長は目を見張るほどだった。これもひとえに、決してあきらめないレイの向上心によるものだとグリーンは考えていた。

 今のレイの筋力なら、これまで戦場で握っていた剣よりも、はるかに大きくて重いものまで、軽々と扱うことができるだろう。それだけでも、戦場ではそれなりにやっていけるかもしれない。しかし、グリーンも、もちろんレイも、その位では満足しなかった。更に高みを目指していた。

「筋力、敏捷性、スタミナともに、充分な程の鍛錬をしてきた。次は、剣技だな」

「・・・うん!!」

 ふたりは希望に満ちていた。

 ゼロの森に隠者として生活するようになって、五百余年。こんなにも希望に満ち足りた日々を送ることは、今までのグリーンの生活では考えられなかった。これもすべてレイのおかげだと、感謝のような気持ちでいっぱいだった。

 そして、それはレイにも言えることだった。グリーンに出会わなければ、戦場から離脱してゼロの森で意識を失ったあの時に、その命までもを失っていたかもしれなかった。レイの今があるのは、グリーンのおかげだと思っていた。

 ふたりは今、互いの存在の大きさに段々と気付きはじめていた。互いの存在をなくてはならない大切なものとして捉えはじめているのである。師弟ということばだけでは括れない存在に。

 例え、それがいつか終わりを迎えるものだったとしても―――


次へ

各章へジャンプできます

オリジナル小説「紫鏡」