「紫鏡外伝1」君がために
第4章
「驚かせてすまなかったな」

 グリーンの部屋。

 突然倒れたグリーンを見て、レイはグリーンを引きずりながらも、なんとかグリーンの部屋のグリーンのベッドへと横たわらせた。

「ホントにビックリしたじゃない。突然倒れるなんて・・・大丈夫なの?」

「・・・ああ。きっと疲れか何かだろう」

「ならいいんだけど・・・」

 心配そうにレイはグリーンを見つめる。そわそわと落ち着きがないのは、グリーンのことが本当に心配なのだろう。まぁ、それも当然である。元気だと思っていた人間が、目の前で突然倒れれば、誰しも驚き動揺するものだ。

「あ、水でも飲む? 持ってこようか?」

「そうだな。もらおうか」

 それを察して、グリーンも努めて明るく振る舞う。

「うん」

 レイはそそくさと部屋から出て行った。

「・・・」

 そしてグリーンは黙ったまま、自らの両の手の甲を、掌を見つめ、何やら考え込んでいるようだった。




 その後数日の間、グリーンは大事をとってベッドで横になっていることとなった。

 レイはグリーンが元気になるまでに、と先日から始まった気の訓練に熱を入れている。

 上達してグリーンを驚かせたかった。グリーンに誉められたかった。グリーンの体調が心配ではあったが、それでも訓練に集中することで、少しの時間だけでもその心配を払拭することができる。

 そんなこともあり、毎日の訓練は長時間に渡った。

「よし! この調子で頑張らなくっちゃ」

 少しずつ、自分の思うとおりに気を放ち、操ることができるようになってきた。段々とコツを掴み、気をためることにも時間をとられることはない。

「随分と上達したようだな」

 突然のグリーンの声に、レイは驚き振り返る。

 家の入口に寄りかかるようにして、グリーンはそこに立っていた。

「グリーン! 大丈夫なの? 起き上がったりして」

 まだ寝てなくちゃ―――とレイはグリーンに駆け寄る。

 そんなレイを制止するかのように、グリーンは一歩、足を前へと踏み出した。

「ああ、心配をかけてしまったな。それよりも、随分と気の操り方が上達したようじゃないか。驚いたよ」

 グリーンを驚かせたい、そして誉めてもらいたいと思っていたレイにとって、それはまたとないことばだった。しかし、状況が良くない。元気になったグリーンに誉めてもらおうと思っていたのだから。それなのに、まだベッドで寝ているべきときなのに、起き上がって外へ出てくるとは。

「・・・驚いたのはこっちのほう。ダメよ、まだベッドに横になってなくちゃ」

「ははは。まるで母親に叱られるこどもの気分だな。少し外の空気を吸いたい気分だったんだ。すまない、もうベッドに戻るよ」

「そうよ、それがいいわ。しっかり休んできちんと良くなってもらわないと」

 レイはグリーンの手を取り、一緒に家の中へと入っていく。

「レイ。あとは、更に気の力を大きく練り上げる訓練をするんだ。大木一本、あるいは大岩の一個でも軽々と破壊できるほどの、それ以上の力を溜める。わかるか?」

 ゆっくり歩きながら、グリーンはレイに告げた。

「ん、なんとなくわかるようになってきたわ。今度からはその練習をしてみるわね」

 外の空気を吸いたくなった、というのは嘘ではないだろう。しかし、グリーンは恐らくならレイの修行の成果がいかほどかを確認しに来たのだ、それが一番の目的に違いないとレイは思った。そして、適切なアドバイスをしてくれる―――自分の体調が優れない状態だというのに、グリーンはレイのことを考えてくれていたということに、レイは心底喜んだ。

 だが、それで更に病状を悪化させてしまっては本末転倒である。




「さぁ、ベッドに横になって」

 レイはグリーンをベッドへ促した。

「ああ」

 促されるまま、ゆっくりとグリーンはベッドに横たわる。

「・・・!?」

 今まで、ずっとグリーンとベッドにしか目が行ってなかったが、グリーンの机の上に古ぼけた肖像の入った小さな楯があることに気付いた。

 一組の男女。それは幼く、あどけない笑みを浮かべている。

「この男の子・・・グリーン!?」

 そう。年若いが、その少年の容姿は明らかにグリーンのようだ。

「ああ、そうだよ」

「うわぁ、かわいい!!」

 髪は今ほど長くもないが、緑の髪に整った顔立ち、優しそうな微笑は今も昔もかわらないように思えた。

 そしてその隣に並ぶ少女。透き通るような水色の髪、美しい顔、上等な衣服。どんな少女たちでさえも憧憬の念を抱きそうな天使の如き少女。グリーンともとても仲が良さそうだ。

「・・・隣にいるのは・・・妹さん?」

 聞くのは少々躊躇われた。あまりにも似合いのふたりに感じられたからだ。少し、レイの心が痛んだ気がした。

「いや・・・そうだな、妹のようなものかもしれん。幼少の頃はいつも一緒だった。よくいう幼馴染みというやつだよ」

 目を閉じ、薄く笑みを浮かべながら、それでいてどこか寂しげにグリーンは言った。

 その時、レイは悟った。女の勘だ。グリーンは、この絵の少女に恋をしていたに違いない―――いや、恐らく現在も慕っているのだろう。以前に何度か見せていた寂しげな表情も、すべて彼女へ向けられていたものだったのだ―――!!

 レイの胸は激しく締めつけられた。苦しくて痛い。それでも聞かずにはいられない。

「・・・この人は、今はどうしているの?」

 しばしの間。その後グリーンはことばを選びながらゆっくりと答えた。

「彼女―――サイラは、恐らく元気にやっているよ。会うことはないが、ね」

「そう・・・」

 楯を静かに机に戻すと、レイはそのままグリーンの部屋を後にした。

「サイラ・・・」

 グリーンの想い人の名を知り、ショックは隠しきれなかった。このゼロの森でたったふたりきり、何年もの時間を過ごしてきた。それは長い人生ではほんの一握りの時間でしかないかもしれない。それでもまだ若いレイにとってみれば、今がすべてである。自分だけがグリーンを占有している気分になっていたが、実はグリーンはレイだけのものではなかったのだと痛感したのだ。それは、愛する父や母が、突然再婚すると告げられたこどもの気分に似ているように思われた。

 その日、レイの枕は涙に濡れ続けた。

★

 翌朝、泣きすぎで重い頭を抱えながら、レイは朝食の準備をしようと部屋から起きだした。

 すると、すでにグリーンが起きて朝食の席についている。

「ああ、おはよう。レイ」

「グリーン、起きたりして大丈夫なの?」

「今日は随分と体が軽いよ。さぁ、朝食を摂ったら特訓だ」

 ニッコリとグリーンは笑った。

 その姿は、レイにはか弱く儚げに映ったが、まだ全快ではないからだろう、とあまり気に留めないことにした。

 グリーンに例え想い人が存在するのだとしても、今ここにいるのはグリーンと自分だけだ。今この時、少しでも長くグリーンと一緒にいたい。グリーンの側でグリーンを見ていたい、と昨夜の間に泣きながらも考えていたのだった。

 レイは扉を開けて家の外へ出ると、太陽の光を浴びながら、ひとつ大きな伸びをして、表に設えてある水場で顔を洗った。泣きつづけていた気持ちが、すっきりと水に流されたような錯覚を覚える。

「よしっ!!」

 自分に喝を入れるかのような強い声だった。




「いいかい、レイ。これが精霊の剣―――UNITE(ユナイト)だ」

 そういいながら、グリーンはその手から美しい一振りの剣を取り出した。それは、普通の剣とは明らかに違う。薄く、細くそして長い刃。まるで祭祀器のようである。

「その剣って、普段はどこにあるの? どうして突然手から現れるの?」

 レイも驚きを隠せない。

「うーん・・・そうだな」

 グリーンも実は良く解っていないのか、それともレイにわかることばを探しているのか、少々の間考え込む。

「この世ではない、別の世界―――正確には異次元というような場所に存在しているといえばいいかな。それを呼び出し、具現化させているんだ。別に手の中から現れると決まっている訳でもないんだが、剣は握るものだから、その方が便利だろう」

「私も使ってみたい」

 レイはいった。この美しくも不思議な剣を眼前にすれば、剣士なら誰もがそう思うだろう。レイにとってみても、自然と口から衝いて出たことばだ。

「今の君では無理だ」

「どうして!?」

 レイの気持ちを否定するようなグリーンのひとことに、少なからずレイは傷ついた。今まで、そんなことをグリーンが口にしたことなどなかったのに、と。

「この剣は、私の命令にしか従うことができない。別にレイの力量が足りないとか、そういうことではないんだよ。私とUNITEの間に契約を交わしているからなんだ」

「・・・契約?」

 自分の気持ちを否定されたわけではなかった、と安堵したものの、レイには新たに疑問が現れる。

「UNITEは、いわば私の体の一部なんだ。見ててごらん」

 グリーンは、剣を軽く一振りした。すると、剣から細い光の帯が飛び出した。それはまるで生き物のように、滑らかにカーブを描いたり、円を描いたり、はたまたレイの周りをくるりと回った後、近くの木に向かい、やすやすとその木を伐り倒した。

「すごい・・・どうなってるの?」

 レイはただ呆然とするしかなかった。

「私とUNITEは血の盟約を結んでいるんだ。私の思ったとおりに、自在に操ることも容易にできる。威力は見てのとおり。ほんの少しの力でも、何倍にも増幅される。妖剣といってしまえばそれまでだが、素晴らしい剣だよ」

「・・・」

 レイは精霊の剣の凄さに思わず息を呑んだ。そして、グリーンの絶賛するその剣に更に心惹かれた。

「これを、レイ―――君に託そうと思う」

「え!?」

 我が耳を疑うようなグリーンのことば。

「私はすでにこの森で隠者のごとく生活をしている。もう一線に出て戦うこともない。つまり、私にとってすればUNITEは無用の長物なのだ。私の唯一の弟子となったレイ、君が持つに相応しい」

「・・・いいの?」

「ああ」

 信じられなかった。まるで夢を見ているかのような気分にさせられた。嬉しさのあまりに、地に足が付かない感じだ。

「これからUNITEの継承の儀を執り行う。心の準備はいいか」

「はいっ!!」

「はじめるぞ」

 レイは心の底に少しの不安と恐怖を感じながらも、これから起こることへの希望の光をその目に満たし、グリーンと精霊の剣をみつめた。





「さぁ、手を出してごらん。中指を少し切るが我慢するんだ」

 そういってグリーンは呪文らしきものを唱え始めた。音の高低の幅が非常に大きい。レイにしてみれば、初めて耳にする呪文だ。

 グリーンは精霊の剣を天にかざし、それからレイの左手を取ると、剣でレイのその左の中指を傷つけた。澄んだ血液がぷっくりと溢れる。

「あっ―――」

 一瞬の痛みに、レイの顔も歪んだ。しかし、それをぐっとこらえる。

 グリーンはそのレイの中指を、柄にはめ込まれた上質のエメラルドに、円を描くかのようになすりつけた。すると、剣がまるでその血液を飲み干したかのように、レイの血がエメラルドの中に染み込んでいく。エメラルドは怪しく光りだし、そしてその光は急に天へと昇った。

「な、何!? どうしたの!」

 いきなりの出来事に、レイは驚きの声をあげる。

「天に承認してもらったのさ。儀式はこれで終了だ。この剣は、これからは君の・・・もの・・・だ・・・」

 そう言い終わるか終わらないうちに、グリーンはそのまま地に崩れ落ちた。

「グリーン!!」

 驚いて、レイはグリーンに駆け寄る。

「すまない・・・部屋へ・・・運んでくれ・・・」

 か細い声でそういうと、グリーンは意識を失った。

★

「グリーン、グリーン! 大丈夫なの!?」

 なんとかグリーンをベッドへ横たえると、泣きそうな顔でレイは声をかけた。

「・・・すまない。黙っていたが、私はもうダメだ」

「!!」

 いつにない、グリーンの弱気なことば。

「何言ってるの!? こんな時に冗談は止めてよ。また、すぐに良くなるから」

 レイは必死に否定する。

「・・・いや、自分の体のことは、自分が一番良く解っている。レイ・・・君は聞いたことがあるかい? 奇蝕病という病の名を・・・」

「え!! あの・・・原因不明の不治の病・・・?」

「・・・ああ・・・」

 奇蝕病―――それはこの精霊界において、ゆっくりながらも着実に数を増やしている原因不明の病。ほとんど病とは縁の無い精霊たちにとって、恐ろしき病だ。原因不明の為に治療をすることもできず、その病は体を腐らせ死に至らしめる。発病したら、死への秒読み開始だ。進行速度も遅くはない。

 グリーンは、その奇蝕病に冒されているという。

「・・・嘘・・・でしょう?」

 レイにはとても信じられなかった。いや、信じたくなかった。

「これを・・・」

 そういいながら、グリーンは自らの腕を捲り上げ、その衣服の下に隠されていた真実をレイにつきつけた。

 その腕は、ただれ、腐り、やせ衰えていた。

 レイは思わず小さな悲鳴をあげ、目を逸らした。

「余命あとわずか、そう悟ったとき、私の意思は固まった。精霊の剣の継承を行わなければならない・・・とね。継承の儀には、大量のエネルギーを消費する。例え、起き上がることができなくなったとしても、できる間に執り行わなければならなかったのだよ。結果、この有り様だとしても、後悔はない・・・」

 楽な容態ではないはずなのに、グリーンはそれでも淡々と語る。レイはそれが辛かった。

「ねぇ、グリーン。もういいよ。今はゆっくり休んで。もう喋らなくていいから」

「いや・・・今のうちに、話せるうちに言わせておくれ」

 グリーンはレイの手を取り、変わらず優しい、しかし力のなくなった目でレイをみつめた。

「いいか。私が死んだら月花城へ行くんだ。聖女王の城だ。UNITEを見せれば、城で君の道は開けるはずだ。いいかい、君は私のただひとりの弟子だということを忘れてはいけない。私を超える、立派な剣士となるんだ」

「死ぬなんて言わないで・・・」

 涙が溢れ出る。レイのその涙を、グリーンは悲しげに見上げた。

「どうか泣かないでおくれ、レイ。これもまた運命なのだよ」

「グリーン!! いやよ。そんな運命、受け入れたくない!」

 何も言わずグリーンは静かに目を閉じて、苦しそうに呼吸を洩らした。レイはただどうすることもできず、グリーンの手を強く握り締めるだけだった。そしてその頬は、多くの涙が駆け降りていくばかりだった。




 その数日後、グリーンは静かに息を引き取った。奇蝕病で死した屍は、塵となり無惨にも形無く消え去る。グリーンとの忘れ難いたくさんの思い出だけをそこに残して―――
 レイは、グリーンの存在していたはずのベッドに額づき、たくさんの感謝と最期の別れのことばを、嗚咽と共に洩らし続けた。


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