天空に浮かぶ、美しく巨大な城、月花城。
その姿は夜に浮かぶ月のように白く、城の外側に円を描くように囲う城壁は、見る者を圧倒させる。
その反面、城壁の内側の世界は多くの木々に覆われた緑豊な庭々が点在し、心に安らぎを覚えさせる空間となっていた。建物の白壁や白い柱に絡まる蔦や、周囲との緑の色の調和が美しい。
この精霊界を統べる存在である精霊聖女王――サイラ・フェアリーの居城である月花城へ、師の遺言に基づき訪れたレイは、聖女王サイラの意向により月花城へ迎え入れられることとなった。
月花城へ迎え入れられたその晩、あてがわれた部屋でこれからのことを考えていたレイの元へ、侍従のひとりがやって来た。
「失礼致します。聖女王様がお呼びでございます」
「え!? 私を?」
「はい。ご案内いたします、こちらへどうぞ」
侍従は事務的に告げた。
レイは慌てて部屋を後にすると、侍従について歩く。
奥へ奥へと続いていく廊下。五分ほど歩いて、ようやくひとつの大きな扉の前へたどり着いた。
「こちらは聖女王様の私室でございます。どうぞお入りください」
軽く一礼すると、侍従は一歩後ろへ下がって控えた。
まさか、聖女王の私室へ案内されるとは思いも寄らなかったレイは、驚き、少々躊躇われた。
しかし、深呼吸をすると、その白く大きな、そして細工も細かく、豪奢な彫刻の施された扉をノックした。
「どうぞお入りなさい」
中からサイラの声がする。
覚悟を決めて、レイはおずおずと扉を開いた。
「いらっしゃい、レイ。中までお入りなさい」
扉の隙間から、すぐにサイラの声が滑り出てきた。慌ててレイは扉の内側へ入り込む。サイラのその声が消えてしまわぬ間に扉をくぐらねば、その扉に閉め出されてしまうかもしれない、などと愚かなことを考えてしまったからである。そんなはずなどないというのに。
部屋の中に入ると、目の前にはサイラが立っていた。そして自分の――というより扉の両側に、まるで壁に張り付いているかの如く女性がふたり立っていた。彼女たちは、恐らくはサイラの身の回りの世話をする人物だろう。
「こんな夜に突然呼び立ててしまってすみませんでした」
そういいながら、サイラはレイの側へと歩み寄る。
恐縮のあまり、レイはその場で跪いた。
「とんでもありません!!」
今まで会ったこともなかった聖女王。これまで、別に思うこともなかったというのに、本人を目前にすると、何故か畏れ敬う感情が湧き上がる。これはサイラの持って生まれた高貴さが為す業なのか、レイは不思議な気分だった。
「そんなに畏まらなくて結構ですよ。さぁ、こちらへ。こちらの椅子に腰をかけて」
サイラに手を取られ、導かれるままに部屋の奥に置かれた小ぶりのテーブルを前にした。
「さぁ、お座りになって」
すすめられるままに椅子に腰をかける。
広く、美しい部屋。大理石の美しいマーブル模様が床に広がる。そして、同じく大理石の、しかし色味の違うテーブルは、まるで濡れそぼるかのように光り輝いていた。
このように広く、豪華な部屋に足を踏み入れたことなどないレイにしてみれば、まったく落ち着くことなどもできず、かといって周りを見回す余裕などもない。ただ、下を向いているだけだった。
サイラがゆっくりと向かいの椅子に腰をおろした。
「貴女をここへ呼んだのは、話を少ししたくなったからなのです」
そういいながら、サイラはその透き通りそうなほどに白く細い手をレイの俯く視界の中に滑り込ませた。
あっと驚き顔を上げると、すぐ目の前に優しく微笑むサイラの顔がある。いつの間にか人払いをしたらしく、室内にはレイとサイラのふたりきりのようだった。
「ここでは特に何もしなくてもいいわ。ただ、夜に私の部屋へ訪れて、貴女やグリーンのことを聞かせてもらいたいのです」
「そんな!! そんなことできません!!」
レイは急に立ち上がった。
「私、そんなことできません。多くの人が額に汗している時間に何もしなくていいだなんて!! 私は剣士です。剣士としての仕事をいただきたい!」
一気に語り上げたレイを見上げ、サイラは少し驚いた顔をした。それもそうだろう。普通なら人は楽な人生を望むものだ。それを拒んで敢えて苦労を望むなど、思いも寄らなかった。ただ、その真面目な性格がサイラはいたく気に入ったようだった。そしてそれから、クスクスと小さく笑った。
「・・・申し訳ありませんでした。私が悪かったようですね。そうでした、貴女は剣士ですものね。では、こうしましょう。今、この城の下に位置する大地では多くの戦士たちが妖魔との戦いを控え、演習を行っています。彼らは城を守る強者ばかり。貴女にもその演習に参加してもらいましょう。気性の荒い者ばかりですが、大丈夫かしら?」
「・・・はいっ!! おまかせください」
自分の力を試すチャンスだとレイは思った。グリーンとふたりだけで修行をしていた間は、他者との比較などできるはずもなかったし、城を守る強者ばかりのなかでどれくらい戦えるものなのかを知ることも大切だと思った。
レイのその紫の瞳は、やる気にみなぎるように輝いた。
「そして、夜には私の部屋で話し相手になっていただけるかしら?」
サイラは若々しいエネルギーを感じさせるレイの姿に微笑みながら、訊ねた。
「はい、それでしたら喜んで」
張りのある元気な声で、レイは答えた。
こうして、月花城でのレイの最初の一夜は更けていった。
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