「精霊界秘抄II」ルリハコベの園
第1章

 コンッ コンッ

 扉をノックすると、部屋の中から声がする。

「レイですか? お入りなさい」

「失礼します」

 レイは扉を開き、部屋の中へと足を滑らせる。すると目の前に立っていたのは、もちろんサイラである。

 レイは、毎夜サイラの話し相手をすることになったのだ。

「どうでしたか、演習の様子は」

 昨夜と同じようにすすめられた椅子へ腰をおろすと、サイラにそう尋ねられた。

「あ、はい。そのぉ・・・、初日からもめてしまいました」

 バツが悪そうにレイは答える。

「女だてらに剣士だって? などとひやかしや嫌味を言うような嫌な奴らがたくさんいまして・・・つい」

「つい?」

「コテンパンにのしてしまいました」

「まぁ!」

 目を見開き、驚きの声をあげたサイラは、そのあとすぐにクスクスと笑いだした。レイは恥ずかしさに頬を赤らめる。

「それで、その後はどうなったのです?」

「どうも、別に・・・普通です」

 レイは思っていた。

 城を守る強者共のハズなのに、レイが実力の半分ほどの力さえも出さないうちに、どいつもこいつも「参った」と倒れ伏してしまう。気の放出さえすることなく、倒れていく者共を目にして、期待外れも甚だしい、と。

 そして、その事件(?)の顛末は、サイラの耳にも入っていた。演習を行っている隊長から直々に、レイを剣技の師として、指導にあてて頂きたい、との申請書付きだった。流石はグリーンの後継者だ、と密かにサイラは満足していた。

 一方、そんなサイラの気持ちに全く気付くことのないレイは、昨夜の恐ろしいほどの緊張感からようやく少し解放されて、サイラの部屋を見回す余裕が出てきた。

 美しい木製の調度品の数々。それらは華美過ぎず、落ち着いた雰囲気を演出している。

 公務で疲れた心を癒す為、恐らくそのようなものを配置しているのだろう。

 そのなかで、レイは見覚えのあるものをみつけた。

 それは小さな肖像画の入った楯だ。

 そう、グリーンの部屋で見たものと同じ、グリーンとサイラの幼き日の肖像。

「あ、あれは・・・」

 思わず声を発する。

 その声と視線の先にある物が何かに気付いたサイラは席を立ち、肖像を手にすると再びレイの前へと戻ってきた。

「これのことですか? これは私がまだ聖女王の位に就く以前、貴女もよく知っているグリーンと共に描いてもらったものです」

 懐かしそうにサイラは目を細めた。

「知っています。私、グリーンの部屋で同じ物を見ました」

 そして、それはグリーンの死した後、グリーンの墓に共に埋葬したのだ。寂しくないようにと。

 サイラは少し驚いた顔をした。

「・・・そう、ですか。彼も大切にしてくれていたのですね」

 愛しそうに、嬉しそうに肖像を見つめなおすサイラに、グリーンに対する一方ならぬ感情を抱いていることを察して、レイも嬉しくなった。あの、寂しそうなグリーンの笑顔はただの一方通行ではなく、きちんとここに受け止めてくれる人がいるのだ。レイ自身には支えられなかった想いは、ここに流れ着くのだ。そう思うと、レイの気持ちも少しは慰められた気がした。

「グリーンと、どのような日々を送っていたのか、教えてもらえますか?」

「はい!!」

 サイラの願いに応えるべく、レイはグリーンとの日々をすべて話して聞かせることにした。

 普通の人と変わらぬ感情を持つサイラに対し、レイが好意を抱いた瞬間であった。

★


 そして、何日もグリーンとの生活、グリーンから学んだことを話し続けていたある日の晩、サイラはひとつの提案を出した。

「剣技や文字の読み書きについてはひと通り学んだようですが、どうですか、他の物事に対しても学ぶ気持ちはありますか?」

「他のこと、ですか?」

 この時すでに、昼間のレイは多くの兵士たちに剣技を指導する立場となっていた。年も若く、女であるにも関わらず、その剣技に魅了された兵士たちの多くがレイに厚い信頼を寄せていた。

 その信頼を裏切らないようにしたい、とレイも考えるようになっていたのである。

「例えば、この世界の歴史や数学、魔法術・呪術、薬学、生物学、音楽等、ありとあらゆる物を学ぶための学校がここにはあります。そして多くの者が、それらを学んでいるのです」

 レイの気持ちを知ってか知らずか、サイラはレイにそう話す。

「様々なこと・・・学んでみたいです!! 私にはまだ知らないことが多くあります。私に学ぶ機会があるというのなら、是非学ばせてください!!」

 レイは強い口調で語った。そこには、学ぶことを熱望するレイの姿が浮かび上がるようだった。

「わかりました。では、そのように手配いたしましょう」

「ありがとうございます!!」

「ただし、学校へ通う時間を作る為、剣技の指導の時間は減りますよ。よろしいですか?」

「はい!! 皆に納得してもらい、指導のときは今まで以上に濃密な時間で指導することを誓います」

「それから、学ぶからには途中で投げ出さず、勉学に勤しむようになさい。多くの先生が折角教えてくださっている知識や時間を無駄にしてはなりません」

「はい、肝に銘じます」

 グリーンの厳しい教えに耐えぬいたレイなのだから、大丈夫だろうとサイラは思っていた。しかし、国費で賄われている大学故に、女王としての立場から厳しい発言もせねばならない。

 その苦言に対して、レイの揺るぎない返答に、サイラは密かに胸を撫で下ろした。

「では、明日大学の者をよこします。そこで何を学ぶかを選択してください。何を学ぶかは、貴女の自由ですよ」

 サイラのそのことばに、レイは胸弾む気持ちだった。



次へ

各章へジャンプできます
序章へ 第2章へ 第3章へ 第4章へ 終章へ

オリジナル小説「紫鏡」