「安珠くん、ちょっと来て」
放課後、香は立ち入り禁止の屋上に安珠を呼び出した。
「どうしたの、香ちゃん。僕、今日ちょっと用事があって忙しいんだけど・・・」
早く家に帰って特訓をしたいのに、と考えていても、香の言うことには素直に従ってしまう。
「ねぇ、安珠くん。この頃あたしに何か隠し事してなぁい?」
「え、いや、別に」
一瞬心臓が止まりそうになった。
「あ、今ウソついたでしょ。あたしにはわかるんだよ」
自信満々に香は言う。
「き、気のせいじゃないの? 変だよ、今日の香ちゃん」
冷や汗が吹き出るのを感じながらも、なるべく冷静を装って安珠は答えた。
「ううん、そんなことない。安珠くん変わっちゃったよ、今までの安珠くんじゃないよ。黒木さんとも、なんだか敵対してるみたいだし・・・」
「えっ、し、知らないよ。そんなこと・・・」
安珠もここまで追求されるともうすっかり、気が動転してしまっている。
「ほらぁっ、またウソついてる〜」
「香ちゃん? ホントどうしちゃったの? 香ちゃんこそおかしいよ」
あまりにも今までの香と様子が違う感じがして、さすがに安珠は不安になった。
「そうかしら・・・やっぱり、違う?」
「え。どういうことなの?」
安珠の頭はすでに、混乱しきっている。
その時。
「フフフ。妖しい匂いがすると思ったら、こんな所でお前を見つけるとはな、セルリア」
ふたりの背後から声がした。
ハッとして振り向くと、そこには梨花、つまりは黒梨がいつの間にか立っていた。
「黒梨!!」
安珠のみならず、香までもがそう叫んだ。
何で香ちゃんが黒梨の名のことを知ってるんだ・・・安珠の中で、香に対する新たな疑問が膨らむ。
「セルリア、今頃覚醒したのか。相変わらずマイペースだな」
「そうよ。悪い?」
「え? どうなってんの?」
黒梨と香がふたりだけの会話をしていることが、ますます安珠の頭を混乱させる。
「昔も一度聞いたが、その後気は変わったか。もう一度だけ尋ねよう。我らと手を取る気はないか?」
黒梨は香の前に手を差し出した。
それをすっと避けながら、香は言う。
「断ったら?」
「殺す」
即座の応えに香は笑みを浮かべている。
「まぁ、怖い。でも、あたしを殺すなんて、ムリね」
「そんなこと、やってみなくてはわからないだろうっ」
「あら、あたしの本体を壊さないかぎり、あたしは死んだりしないわ。紫鏡がそうなようにね」
そのことばを聞いて、黒梨は唸った。
どうして香ちゃんが紫鏡のことを、いやそれより、セルリアってなんなんだ。香ちゃんは一体何者なの・・・ことばに出さないが、ふたりのやり取りを見ながら、ひとつひとつ安珠の中で疑問が増えていく。
「紫鏡はあのアメジストのブローチが本体。お前はなんだ!!」
「そんな横柄な口をきく子には教えてあげない。年下のくせに生意気よぉ」
黒梨が香ちゃんより年下?! 一体何がどうなってんの?! ・・・安珠の頭の中は疑問符が溢れかえっていた。
黒梨のほうも、平静を失っていた。香の挑発的なことばに怒髪天を突く勢いである。
「こしゃくな!! ええいっ、その人間の体(イレモノ)だけでもなんとかしてやる!」
黒梨は香りめがけて飛んでいった。
「香ちゃん、危ない!!」
混乱し、冷静を失ってはいても、咄嗟に安珠は香を抱きしめた。
この場から離れないと・・・安珠がそう思った刹那、安珠と香は屋上から消えた。
「なっ・・・セルリアは瞬間移動できぬはず。となるとアイツが・・・そうか! 瞬間移動なんて能力を持っているのは、あの村では当時二歳の村長の孫息子、アンジェラくらいだろう。なるほどねぇ、それならば心してかからねば・・・」
そうして、黒梨は何やら呪文を唱え始めた。
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安珠は、晶子の前へと現れていた。
「あれ? ここは・・・えっ、紫鏡。いつのまにここへ!?」
「あのねぇ・・・。アンジェラが私の前へと飛んできたのよ」
晶子はすっかり呆れ顔である。
「へ? オレが?」
「あら、紫鏡!!」
今まで放心していた香が突然驚きの声を発した。
「え! あ、もしかしてセルリア? 気配を感じさせないから封印してたんだとは思っていたけれど、覚醒したのね。でも、まさか香さんがセルリアだったなんて」
晶子はうれしそうに微笑んだ。
「あたしもまさかこんな近くに紫鏡がいたなんて、ビックリ! ・・・それより、安珠くんったらいったい何者なの? 瞬間移動するなんて・・・」
思い出したように香は言った。
「この子は、私の愛した村の長の孫息子、アンジェラよ。アンジェラ・シェン」
「えっ! あ、そ、そうだったの。あたしったら、ちっとも知らずに・・・」
香は妙に乾いた笑いを浮かべた。香らしくない。それを、晶子はただならぬものと感じながらも、あえてそのことは口にはしなかった。
「紫鏡・・・」
今までふたりの話を聞きながら、ずっと混乱し続けている安珠がようやく口を開いた。
「香ちゃんはいったい・・・」
「ああっ、忘れてた」
いけないっ!・・・とでも言い出しそうな雰囲気で舌をぺろりと出して慌てて晶子は話し始めた。
「香さんはね、本当はセルリアっていうお名前で、私の同族ってことになるわね」
「同、族・・・?」
「そう。私は紫水晶の精霊だけど、セルリアは」
「あたしは水晶、つまりクリスタルの精霊なの」
香は晶子のことばを奪って続けた。
「ふ、ふうん・・・」
安珠には突拍子もない真実に、信じられないといった面持ちで頷いた。
「ついでに言うと、あたしの髪ってプラチナ・ブロンドなんだよ。見せてあげよっか、ホラ」
そういって髪をかきあげるような仕種をした瞬間、髪の色は美しいプラチナへと変化した。
ふわふわと大きくカールしたロングヘア。プラチナがよく似合っている。ロマンチックで優しい印象を受ける。瞳も、セルリアが本来持っている碧瞳(ヘキトウ)に変わっていた。
「・・・きれい」
安珠は度肝を抜かれたような、そんな表情で言った。
「ありがとう、安珠くん」
香・・・セルリアは素直に喜んで、微笑む。
「でも・・・精霊って紫の瞳だって前に紫鏡が言ってたけど、なんで香ちゃん・・・あ、セルリア・・・さん・・・は僕と同じ瞳なの?」
くすっとセルリアは笑った。
「香でいいよ、安珠くん。それと、あのね、あたしの瞳は碧瞳なの。安珠くんのは緑瞳よ。精霊っていうのは紫瞳、碧瞳、他にも金の瞳、銀の瞳、黄瞳、翠瞳、 桜色瞳、黒瞳のどれかを持つの。安珠くんの緑瞳っていうのは、人間が持っている瞳の色よ。黒梨も、本当は安珠くんと同じ目の色、緑瞳を持っているのよ」
セルリアは丁寧に、わかりやすく安珠に説明した。
「ふたりとも、そんな悠長なことやってられないわよ。黒梨お得意の妖術のお出ましよ」
「え?」
安珠とセルリアが振り向くと、大勢の生徒たちが三人めがけてやって来る。
晶子はスッと紫鏡としての本来の姿、つまりは両眼に紫瞳を持つ姿へと変化した。
「ど、どうしたんだ、いったい・・・」
「黒梨の十八番なの。その地にいる人間を自分の手下として操る妖術」
セルリアは安珠に教えた。
「だから、あたしたちは直接手を出すことができないの。あたしの言ってること、わかるよね?」
「うん。操られてるだけの人たちを傷つけることはできない。でも・・・じゃぁ、この場はどうやって切り抜けるの?」
「それは紫鏡に任せればいいわ」
焦り、不安を感じる安珠とは対照的に、セルリアは落ち着きはらっている。
「紫鏡はね、精霊聖五位という位を持つ高格精霊でね、本当はあたしよりずうっと偉い人なの。 紫鏡はそのため、ありとあらゆる術に精通しているといってもよくてね、なんでも使えるのよ。もちろん妖術もね」
「そうなのかぁ・・・すごいなぁ」
あまり深く意味は飲み込めてはいなかったが、それでもそのすごさだけは、安珠にも伝わった。
紫鏡は呪文をぶつぶつと唱え出す。
すると安珠たちに向かってきていた人たちは、バタバタと地に倒れた。あっけなく勝負はついたようである。
「これでいいわ。目が覚めれば、みんなほぼ元通り」
紫鏡は言う。
「ちなみに、私たちの記憶も抹消しておいたわ」
「えっ? どうして」
安珠は思いもよらぬ紫鏡の発言に、不満の色を濃くする。
「生きてまたここに帰ってこられるか、わからないからよ」
「・・・!」
安珠は黙り込んでしまった。
「ね、黒梨の所へ行こっか」
セルリアは明るい声で言う。
そして三人は気を取り直し、再び黒梨の待つ屋上へと場を移すことにした。
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「ちっ。やはり紫鏡には私の妖術は効かぬか。けれど、なんとしてでもアイツらを倒さないとジゴルゼーヌ様に・・・」
黒梨はするりと脇に差していた剣を抜いた。
そこへ紫鏡、安珠、セルリアが現れた。
「おまたせ、黒梨」
セルリアは少しも物怖じせず、緊張感も感じられない。
「ふざけるなっ。私はお前たちを倒す! 覚悟!!」
黒梨は剣を構えた。
「悲しい人・・・」
ぽつりとセルリアは呟いた。
「なっ、何を!!」
突然のことばに、黒梨はひどく狼狽した。
「あたしにはわかってるんだよ、あなたの気持ち。あなたがジゴルゼーヌを」
そう言い終わるか終わらないうちに、
「言うなぁっ! 私の秘密を知っているものは殺してやる。覚悟!!」
と剣を振りかざし、セルリアめがけて突っ込んでいった。目は完全に本気である。
「よし、僕が」
安珠は剣を呼んだ。
「Unite。来い!」
剣は安珠の手の中に一瞬のうちに納まった。そしてその剣でもって、黒梨の行く手を阻んだ。
「! その剣はもしや、伝説の精霊の剣。しかし・・・お前にそれが使いこなせるというのか」
黒梨はにやりと笑った。緑の目が妖しい光を放っている。
「さぁ、その剣で私を切ってご覧。その剣を使いこなさなければ、私を倒すことなどできない!」
挑発的にせせら笑いながら、黒梨は激しい口調で安珠に向かった。
安珠は途端に頭に血が上り、黒梨を切りつけた。
「やぁっ!!」
ザックリとした手応え。
しかし、黒梨は倒れるどころか悲鳴さえもあげていない。
さすがに初めての実戦で、恐怖に固く目をつぶっていた安珠も、その異様さに目を開けると、そこにはにたりと笑う黒梨の顔があった。
「少しも痛くはないよ。お前にはやはり使いこなすことはできないようだねぇ。坊や、その命、貰った!」
ガッと黒梨は安珠の首を鷲掴みにした。
「うぐっ・・・」
安珠はもがき苦しんでいる。
「アンジェラ!!」
紫鏡とセルリアが助けに飛び出そうとした時、
「来るんじゃないよ!」
と、黒梨が安珠の首を掴む手にますます力を込めた。
「ぐっ・・・うぅっ」
今にも気を失いそうな安珠を目の当たりにしながらも為すすべなく、紫鏡とセルリアはその不甲斐なさに歯噛みした。
「アンジェラ、特訓を、特訓を思い出して! 剣に力を!!」
紫鏡は悲痛な叫びで安珠に訴えた。
「そ、うだ。・・・わ、すれて・・・た」
安珠は精霊の剣をしっかりと握りなおした。
Unite、頼む・・・そんな思いを込めて、気を剣に送り込む。段々と、安珠の体からオーラらしきものが放散を始める。安珠は静かに目を開いた。
「なっ、お前・・・」
黒梨が驚き、ひるんだ瞬間に、安珠は黒梨を突き飛ばした。
黒梨が地に腰を落とす。
「お、まえ。精霊の瞳を・・・」
安珠は気を増幅させたことによって、本来持つ“アンジェラ”としての姿に変化していた
その紫瞳の右目を見て、黒梨は己の敵う相手ではないことを悟った。
アンジェラの存在も生い立ちも、同じ村の住民であったため、ある程度は知っていた。しかし、アンジェラはその瞳のため、村人にもほとんど会うことなく、
いつも暗い部屋に閉じ込められていたのだ。だから、黒梨は知らずにいた。アンジェラが、精霊の力を色濃く受け継いでいたことを。
「そんな・・・」
もしかしたら、ジゴルゼーヌさえも今回はこの三人に・・・そういう不安な思いが心をよぎった。
「覚悟! 黒梨!!」
アンジェラは黒梨に切りかかった。
「ギャァーーー」
黒梨は地に倒れ込む。
「ジ、ジゴルゼーヌ、様・・・」
そう言い残し、がっくりと力尽きるように、黒梨は動かなくなった。
「あ・・・、オレ・・・」
生まれて初めて人を傷つけた。それを実感した時、ゲームなんかでは思ってもみなかった殺人に対する重みを痛切に感じたのだ。
アンジェラは蒼白した面持ちでぺたりと地面に座り込んでしまった。
「オレ、黒梨を殺してしまった・・・」
「そうね。黒梨は死んだわ」
紫鏡はいたって冷静に応えた。
「なんで、なんでそんなに冷静でいられるんだよっ。オレは人殺しなんだぞ!! 人を殺してしまったんだぞ!」
アンジェラは興奮しきっている。今にも泣き出しそうな勢いだ。
その時、大きな音をたてて、紫鏡はアンジェラの頬を思いっきり叩いた。
「落ち着きなさいっ、アンジェラ!」
「・・・!」
アンジェラは頬を押さえ、大きく目を見開いて紫鏡を見た。
「貴方は人殺しなんてしていないわ。見て、黒梨を。血が一滴だって流れてる? 貴方が殺したのは、邪心に捕らわれていた黒梨なのよ。そして、邪心を払われた黒梨は、また新たな人生を送る普通の人間になれるのよ」
「そう。精霊の剣はね、邪悪な心を倒す剣なの。もともと人を傷つけることなんてできないようになってる。安心してね、安珠くん。わかった?」
セルリアはアンジェラに優しく微笑んだ。
夕日を背に受けて微笑むセルリアのその姿は、まるで女神のようだとアンジェラは感じた。
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