「紫鏡3」久遠情愛
第2章
 ピンポーン。

 チャイムの音。

「どちらさま? 押し売りだったらいらないよ」

 安珠はふざけてそんなことを言いながら玄関のドアを開けた。

 折角の日曜日なのに、ホント誰だよ―――少なからず、安珠は不機嫌な様子である。

 しかし、ドアの向こう側に立っていたのは貴子である。思いもよらぬ訪問者に、安珠は少々驚いた。

「ど、どうしたの、炭野さん!? よくここがわかったね」

「わぁ、安珠さん、男の人の恰好してるんですね!!」

 貴子は安珠の姿を見ると、突然言った。

 思わずガクッと腰砕けしそうになり、慌てて安珠は姿勢を立て直す。

「当たり前でしょぉ!! オレ、一応きちんと男だよ。それより、よくここがわかったねって言ったんだけど」

「あ、そうですね。すいません。学校の名簿にはまだ載ってなかったので、シスターにお願いして、転入手続きの用紙を見せていただいたんです」

 貴子は明るく笑いながら答えた。

 安珠はやれやれという感じである。

「で? いったい何の用事なの、急に。まさかオレをからかいに来たワケじゃないんでしょう」

「あ」

 貴子は思い出したように口を開いた。

「安珠さんに協力しなくちゃ、と思って学校のことを調べてみたら、すごく変な・・・ただならないことが起きているのがわかって・・・」

「えっ!! ホント、それ!?」

「はい」

 安珠はさっとスリッパを出して貴子にすすめた。

「え、いいんですか?」

 突然お邪魔しちゃったのに、とでも言いたげである。

「いいから。オーイ、し・・・晶子ぉ、香ちゃーん、来客だよぉっ」

 安珠は奥にいたふたりに声をかける。人間の姿になるように、紫鏡を“晶子”という名で呼ぶことによって、合図しているのである。

 晶子と香は慌ててドタバタと玄関へやってきた。

「いらっしゃい」

 ふたりは愛想笑いをしながら声をかける。

「あ、こんにちはっ」

 貴子もぺこりとお辞儀をして顔をあげた。

「えっ!!」

 顔をあげてふたりを見た途端、貴子はまるで幻でも見たような顔をして立ちすくんだ。

「この人たち・・・人間じゃない・・・」


★


 とりあえず、貴子は部屋に通された。シンプルな作りのマンションのリビングには、あまり生活感を感じさせなかった。まだ引っ越してから日が浅いことがそこからも見て取れる。

 部屋の中央辺り、ぽつりと置かれたローテーブルを前に、貴子は座っている。

「この人たち・・・人間じゃないんですよね?」

 貴子は安珠に尋ねた。

 晶子と香は互いの顔を見合わせる。

「何言ってるんだよ、さっきから。そんな、人間じゃないなんて。そんなはずないだろう? なんでそんなこと言うのさ。なんでそんなことがわかるの?」

 安珠は明らかに狼狽している。

 すると貴子はひとつ息を吐くと、静かに話しはじめた。

「なんで・・・と聞かれても知りません、そんなこと。でも、わかるんです。あの日―――鏡の中にいた安珠さんを見たあの日だって、ふと何故か心が惹かれて鏡を見たちょうどその時、安珠さん、あなたが鏡の中に姿を現したんですから」

 貴子の利発そうな形のいい唇が、そう言うとキリリと締まる。

 安珠は貴子の話にただただ呆然とするしかなかった。

「だから、とにかくわかるんです。おふたりのその姿は仮の姿なんでしょう。どうぞ本来の姿に戻ってください。晶子さん、香さん、私変なことを言ってますか?」

 貴子はその到底美人とは言いがたい顔を、それでも愛嬌たっぷりに微笑ませながら、晶子と香に言った。

 ふたりは溜め息をついた。

「そうね」

「仕方ないか」

 ふたりがそう言った途端、眩しい光が部屋に溢れ出し、そして本来あるべきふたりの姿、紫鏡とセルリアに変化した。

「わたしは紫水 晶子こと、レイ・紫鏡。人間界では一応安珠の姉として生活をしているわ。だけど、これが私の本来の姿で、私は紫水晶の精霊なの」

「紫水晶の・・・」

 貴子は妙に感心したように呟いた。恐らくなら、紫鏡の容姿があまりにも紫水晶にぴたりと似合いの雰囲気を持っていたからなのだろう。

 セルリアはそれに頷くと、口を開く。

「そしてあたしが天地 香ことセルリア・クライスターよ。あたしはクリスタル・・・つまり水晶の精霊」

「それでオレ!!」

 突然安珠が貴子の方にぐっと体を乗り出して、大声で言った。

「オレ、紫水 安珠は本名はアンジェラ・シェン。一応、中国人、かな」

 安珠はニッコリ笑って貴子を見た。

 すると貴子はくすくすと笑った。

「本名も女の人の名前みたいですね」

「ちょっ、それを言わないでくれよぉ。オレ、そのことを一番気にしてんだから」

 安珠はオーバーにガックリと床にうなだれるようにして、悲しんで嘆いてみせた。と言っても、誰がどう見ても猿芝居で、逆に笑いを誘う。

 しかし、貴子はクスクスと笑いながらも素直に謝る。

「ごめんなさい」

 そして、その場は一応おさまった。

「ところで・・・」

 安珠はくるりと首を右へ回し、自分の向かいに座る紫鏡を見た。

「紫鏡、客人にお茶」

「何ですって!!」

 紫鏡もいきなりの安珠のそのセリフに、ムッときて語調がきつくなる。元来、紫鏡は気が短いのだ。それを普段は理性で抑えている。

「随分と私に偉そうな口をきくじゃないの。よくそんなことが言えるわねぇ、貴方の村の守り神に対して」

 安珠も反発する。

「それ、いつの時代の話ししてんだよ。そんな大昔のことなんて、知るかっての。今は違うじゃんか」

「な、生意気な。私は年上なのよ。年上の言うことは聞きなさい。年上は敬いなさい」

「やだ」

「アンジェラ!?」

 ふたりとも、すでに手に負えない。今にも飛び掛かりそうな勢いでにらみ合う。

「お茶くらい、あたしがいれてあげるわよ」

 その時、ふたりのやりとりに呆れたセルリアが言った。

「か、香ちゃぁんっ。やっぱり香ちゃんは違うよねー。僕は嬉しいっっ」

 安珠はまるでネコのように、ごろごろとセルリアに甘える。

「はいはい。だからふたりとも、もうケンカなんかしちゃダメよ」

 安珠と紫鏡は互いの顔を見合わせて、それから渋々と頷いた。セルリアにそういわれるとふたりとも弱い。それに、いくらいがみ合って見せようと、結局ふたりは相当仲がいいのだ。

 セルリアもふたりが頷くのを見届けてから、うん、と頷いて部屋から出ていった。


「あの――」

 今まで三人の様子を見ていた貴子が言った。

「アンジェラさんは、どうしてセルリアさんの前だと急に“僕”になるんですか?」

「え?」

 安珠は思いがけない、といった表情だ。

「アンジェラはいつもそうなのよ。私の前ではさっきみたいだし、セルリアの前だとアレなのよ」

 紫鏡は安珠に代わって答えた。

「そっか、そうなんですね、やっぱり」

 そういって、貴子はひとりでクスクスと笑いだした。

「え、何!?」

「何がおかしいの!?」

 紫鏡も安珠も貴子が突然に笑いだしたので、訳もわからずにただただ驚いている。

「アンジェラさんたちのことです」

 しばらくひとりで笑っていた後、少し落ち着いてから貴子は話しはじめた。

「アンジェラさんってば、紫鏡さんのことがお好きなんですね」

「え!! じょ、冗談よせよっ!!」

 安珠の顔は突如赤くなる。

 それを貴子は楽しそうに見ながら、それでもことばを続けた。

「そんなにムキにならないでください。アンジェラさんは、紫鏡さんのことがお好きなんでしょう。アンジェラさんの態度を見ていれば、すぐわかりますよ。もしかして、ご自分では気づいていなかった?」

 貴子は自身満々といった様子である。

「オレのどんな態度がそうなっちゃうって言うんだよ!」

 安珠はそれが墓穴を掘ることになるということにはまったく気付かずに、そんなことを言っている。余程恥ずかしく、気が動転しているらしい。

「まず、人前で自分のことを“オレ”と言うのは、潜在的に相手に自分を強く見せたいと思い始めてからよく見うけられる現象だと思います。あるいは大人だと伝えたいとか。それから、おふたりはよくさっきみたいなケンカをなさるんですよね。ケンカするほど仲がいいって言いますケド、あれは、お互いのことをよく知っていて、気のおけない関係だからこそできることだってことです。ただ、感情の表現の仕方が幼いような気がしますよね。よく男の子が特別な感情を抱いている女の子をいじめたりしますね。それと同じような状態といえるのでは? アンジェラさんは、実はあまり人を好きになったことがなかったんじゃありませんか。誰にでもやさしくて、人当たりがいいぶん、深く付き合えるような対象が周りにいなかったんでしょうね。ちなみに、アンジェラさんはいつから自分のことを“オレ”と言うようになられました?」

「オ、オレは知らないっ」

 安珠はプイとそっぽを向いてしまった。

「えっと、アンジェラが“オレ”って言い始めたのは、確か・・・」

 紫鏡は考えた。

「そうだ!! 私とアンジェラが姉弟ではないと知ってからだわ」

「ほら。姉弟ではないと知ってから。そうですよね――恋愛しても問題はないんですものね、血が繋がっていなければ。本当はきっと、ずっと前から気になる存在ではあったんでしょうけど、それまでは“姉弟”という枠の中で理性がしっかりとガードしていたのでしょう」

 そうして、貴子は上品に笑った。

 安珠はすっかり黙ってしまっている。

「セルリアさんとの関係は、どうも私の考えるところでは、セルリアさんが発している優しく温かい母性的な雰囲気によって、アンジェラさんは母親に甘えるような感じで安らぎを覚えているのではないでしょうか。アンジェラさんのお母様は今?」

「二千年も前に死んじゃったよ」

 安珠はぽつりと呟くように言った。

「そう、二千・・・に、二千年っ!!」

 貴子らしからぬほどの大きな声で、驚いて貴子は叫んだ。それはそうだろう。二千年といえば、まだ紀元前である。お前いったい何歳なんだ――とさえ言いたくなってしまうだろう。

「うん、オレ、紫鏡の術で二千年間ずっと眠りっぱなしだったし、母さんはそれよりも前に死んでしまってたみたいだから」

「そうなんですかでも、まぁとにかく、そのために母親という存在をどこかで求めていらっしゃったんじゃないでしょうか」

「はぁ」

 安珠は再び真っ赤になった顔を下に向けて、短くだけ応えた。

「自分の気持ちって、時として気付かずにいて、他人のほうが先に気付いてしまうということも、あるものなのでしょうね。他の人に言われて気づく恋であったとしても、いいのではないでしょうか。それに・・・」

 今まで安珠を見ながら話をしていた貴子は、今度はくるりと首を反転させて紫鏡の方を向いた。

「紫鏡さんの気持ちも、実はしっかりアンジェラさんに向いているみたいですね。ただそれを恋だと気づいていなかった。恐らく、今までそういう気持ちを恋だと教えてくれる人が周りにいなかったのでしょう。違いますか?」

 貴子の真実を見つめる眼差しは容赦がない。

「・・・確かに」

 紫鏡は頬を赤らめながら、ただひとことだけ頷いた。それが照れと、すべてを見透かされてしまっているような貴子へ対しての羞恥心で理性を失いそうになった、今の紫鏡の精一杯だった。

 その時、ようやくクッキーと紅茶をお盆に乗せてセルリアが帰ってきた。

「お待たせー。もう。お湯を沸かしてなかったから遅くなっちゃった」

 セルリアはそれぞれの前に静かに琥珀色の紅茶と香ばしく焼き色のついたクッキーを置く。紅茶の甘味あるフルーティな芳香が鼻先をくすぐった。



「さ、本題に入りましょ」

 セルリアは三人を促した。

 そこで、安珠と紫鏡はハッと正気に返った。場の空気がぴりりと引き締まる。

「えっと、貴子さんはいったい何を言うためにここへ来たのかしら?」

「そうでした。実は・・・」

 セルリアに促されて貴子は話しはじめる。

「調べてみたところ、私たちの学校の生徒が必ず一ヶ月にひとりづつ退学していることがわかったんです。しかも、常に新月に最も近い日に。それが伝えたくて・・・」

「ふぅん、一ヶ月にひとりねぇ・・・すごくうさんくさいなぁ」

 いつも鈍感な安珠も、もっともらしく眉間にシワを寄せている。

「そうね。退学といっても、本当に退学かどうか。恐らくは、あの女がどうにかしているに違いないわね」

 紫鏡はいかにも憎々しげにそう言った。

「“あの女”って、シスター・マルゲリータのことなんですよね」

 突然貴子は口をはさんだ。

「ええっ!! どうしてわかったの!? オレたち、そのこと教えてないのに!!」

 安珠は驚き、素っ頓狂な声を上げる。

「シスター・マルゲリータは、なんだか暗い感情に支配されているように思えたんです。それに、シスターの周りにいつもいる生徒たちは、なんだか魂が抜けてしまったようで、感情も表に表さないですし、あまりにもシスターしか見ていないようだったので」

 誰に教えられるでもなく、貴子にはそれが感じ取れてしまうのである。

 貴子はそれほどに勘の鋭い少女であった。

「オレなんて、昨日教えてもらってから、ようやくわかったっていうのに・・・」

 安珠はそれほどに勘の鈍い少年であった。はっきりいえば、鈍感なのである。

「ところで、ご存じですか?」

 貴子は再び口を開いた。

「今日が月齢0、新月の晩だということを」

「えっ!! じゃぁ、今夜が・・・」

「そう。生徒がひとりいなくなる日なんです」

 貴子のそのひとことで、途端にその場は水を打ったようになり、更に空気が張り詰める。全員が緊張しているのがわかる。誰もが今宵起こるであろう恐ろしい出来事に、身の毛がよだつ思いだった。



次へ

各章へジャンプできます

オリジナル小説「紫鏡」