「紫鏡3」久遠情愛
第4章

 聖マニフィカト女学園の理事長室には、安珠たちの予想どおり、マルゲリータ・リカーテが黒い装束を身にまとい、椅子に座していた。室内は蝋燭の明かりだけで照らされていて、うすぼんやりとしている。

 そして、マルゲリータの周り―――それは椅子の周りであったり、机の上であったり、マルゲリータの足元であったり―――には、裸体に薄絹をまとっただけの姿の美少女たちがうっとりとした面持ちでマルゲリータをみつめていた。

「おいで」

 マルゲリータが足元の美少女に声をかける。

 その少女は、腰まであるまっすぐな黒髪を持ち、薄絹の上からでも豊満な胸とくびれた腰、やわらかなヒップを感じさせる女らしさに溢れた容姿をしていた。 少女はマルゲリータの言われるがままに、マルゲリータの膝の上に深く腰を下ろす。

 マルゲリータは少女の身体中でその妖しい手を蠢かした。

「あっ、ん」

 少女は体を震わせながら、小さな吐息を漏らす。

 その時、マルガリータは動きをぴたりと止めた。

「来たわね」

 声を発するのと同時に理事長室の重い扉が開く。

 中へとやってきたのは、貴子であった。

「ホホホ。今宵の生贄はお前よ、炭野 貴子。コソコソと何やら嗅ぎ回っていたようじゃないか。残念だったねぇ、それがお前の命を縮めることになったのさ。恨むならば、自分の愚かな好奇心の強さを恨むがいい」

 虚ろな視線で立ち尽くす貴子に歩み寄りながら、マルゲリータは話しかけた。とはいっても、貴子に聞こえるはずもない。貴子は今、マルゲリータに操られているのである。

「さぁ、ルシフェル様の元へと参ろうか」

 マルゲリータがそういうと、貴子も周りを取り巻いていた少女たちも滑るようにマルゲリータの後をついて闇の中へと溶けこんでいった。

 そして、主を失った蝋燭は一斉に明かりを失った。




 安珠たち三人が理事長室に現れたのは、その直後であった。

「うわっ、真っ暗。誰もいないよ」

「ホント」

 安珠とセルリアはきょろきょろと周りを見まわしている。

 蝋燭の消えた匂いが充満しているから、間違いなくここにいたことは理解できる。では、どこへ行ったのか?―――安珠とセルリアは考えていた。

 きょろきょろと辺りを見まわすふたりとは対照的に、紫鏡は一ヵ所を見つめながらじっと考え込んでいた。

「あら、どうしたの、紫鏡?」

 セルリアは不思議に思って紫鏡に尋ねた。

「ええ。この壁がちょっと気にかかるのよ」

 こちらも不思議そうな声で答える。

「その壁がどうかしたの?」

 安珠は紫鏡が見つめている、理事長の机の左側に位置する壁をチラッと見て言った。

「この壁から、妙に邪悪な気配を感じるのよ」

「邪悪な気配?」

 眉間にしわを寄せて、安珠は紫鏡の返答に更に聞き返す。

「ええ」

 不安げな顔をして、紫鏡は答えた。

「じゃぁ、その壁の向こうにシスター・マルゲリータと炭野さんがいることになるんだよね。でも、この部屋は校舎の角にあるし、壁の向こうには部屋なんてないんだよ。いったいどこにいるんだよっ。どうやって炭野さんたちのトコへ行けばいいんだよっ!!」

 安珠はいかにも苛立たしげである。

「アンジェラ、落ち着きなさい。目で見るだけじゃぁ、わからないことだってあるのよ」

「そうよ。紫鏡と安珠くんの心もそうでしょう? 目では見えない、ね」

 折角紫鏡がキリリと真面目に発言した途端、セルリアはそういってケラケラと可愛らしく笑った。

「セルリア!! こんな時にふざけないで」

「ごめーん。えへへ」

 紫鏡に叱られて一応は謝るものの、セルリアに反省の色はない。

 仕様がないなぁ―――そう思いながらも、ふと心が和み気が楽になるのを感じて、これだからセルリアは憎めない、と紫鏡はついつい微笑んでしまう。

 その表情もすぐに元の厳しいものになり、紫鏡は安珠に向かった。

「アンジェラ、月並みなことを言うようだけど、心の目で見るのよ」

「・・・心の目?」

「そう。幻覚に惑わされず、真実の扉をみつけるのよ」

「真実の、扉・・・」

 こういう時、紫鏡は必ずこうして安珠にヒントを与える。急な危機に襲われる時以外はなるべくなら、安珠に教え、学ばせたいという気持ちがあるのだろう。

 つまり、紫鏡はすでに真実の扉をみつけているのである。

 安珠にも、それがわかっているからこそ、紫鏡の言うことばを素直に聞いているのだ。

 安珠は静かに目を閉じる。安珠の脳裏に広い空間が広がった。

 真実の扉―――

 安珠はそのことばだけを心の中で繰り返す。

 するとその中に、その中央に、どす黒い、忌まわしい邪気を放つ扉らしきシルエットが現れた。

「あった!!」

 安珠は両の目を開けると、まっすぐ歩き出した。迷いは少しも感じられない。そして、安珠が壁のある一ヵ所に触れると、今まで壁だけにしか見えなかった部分に、扉が現れた。

 安珠は扉を押し開けた。
ギイッと重い音を立てながら扉が開かるた。

 すると、その先にはすぐ部屋が広がっていた。部屋の奥、ちょうど正面の位置には黒魔術の時に使用する台と、牛のような姿をした魔王の像がある。この部屋も蝋燭だけが明かりの役目をしていて、薄暗い。そして、何やら香を焚いているようである。

「何者!!」

 安珠たちの侵入に気付いたマルゲリータが振り向きざまに叫んだ。

「紫水 安珠ですよ、シスター」

 にっこり笑って安珠は答えた。

 マルゲリータの眉がぴくりと上がる。

「お前・・・男だったのか。まぁ、いい。・・・クックッ、これでルシフェル様への贈り物が増えるというもの」

 マルゲリータはそう、不気味に笑った。しかし、安珠の後にいる紫鏡とセルリアを見た瞬間、その顔はひきつるように歪んだ。

「背後にいる女どもは何者!?」

「へ?」

 安珠のとぼけた声。

「お前の背後の女、ふたりだ。人間ではないな!!」

 マルゲリータの目は恐ろしくつり上がっている。

「へぇ、本当にひとめ見ただけでわかった。紫鏡の言ったとおりじゃん」

「当たり前よ。魔女ならば、それくらいはわからないと」

 紫鏡はそう答えながらも、少し得意げに笑った。こういう所は精霊でありながらも人間くさい。人間界に長くいて、人間と長く関わりを持っていたせいだろうか。

「もしや、お前たち三人がルシフェル様の言われた“光の者”・・・」

 表情をひきつらせながら、マルゲリータはぽつりと呟くように言った。

「光の者? そっか、オレたちって光の者なんだぁ」

「かっこいいじゃない、それ」

 安珠とセルリアはミーハーに浮かれている。

「・・・貴方たちには緊張感ってものがないのかしら?」

 紫鏡はついつい呆れてしまう。

 そんな三人の様子を見て、さすがにマルゲリータも怒髪天を衝いた。

「ええいっ!! ふざけるのもいい加減にしないかっ!! 私を馬鹿にしているのか、お前たちは!」

 安珠たち三人は顔を見合わせた。


「もう我慢ならん! お前たちは今この場で殺してやる!!」

 マルゲリータの体から灰褐色のオーラがあがる。その形相は見るも恐ろしいものへと変化していた。

「人間など、すべて滅んでしまえばいいのだ!!」

「シスターだって人間だったんじゃないのか? それに、以前聞いたことがあるよ。魔女は、最初はいろいろな調合した薬を作って使う人のことを言ったんだって。それが、どうしてこんなことになっちゃうんだよっ!」

 安珠は叫んだ。そう。できるなら、無用な戦いは避けたい。いくら悪いことをした人物だったとしても、だからといって戦いを良しとする理由にはならないだろう。争いは無いにこしたことはないのだ。安珠は素直にそう思っていた。

 しかし、マルゲリータはそこでふんっと鼻を鳴らすとほくそえみながら言った。

「確かに、以前は医者や易者のことを魔女と呼んでいたこともあったよ。しかし、それは何百年も前のはなし。そんなこと私の知ったことではない。それよりも。魔女裁判で処刑された仲間だってたくさんいたけれど、そんなことも含め、人間たちは自分の犯している罪の大きさに気付いていないのさ。権力や富に溺れて神の教えの大切さをちっとも理解などしていない。平和だと勘違いしている平和ボケした日本人はその顕著な例だよ。そのうち、私が何かしなかったとしても禍禍しい運命が待ちうけているに違いないのよ」

「―――それは、もしかして修道士ジロラモ・サヴォナローラの教えかしら」

 紫鏡は呟いた。

「! それがどうかしたというのか?」

 驚いた表情でマルゲリータは言う。図星のようだった。

「サヴォナローラはあまりに過激な説教の為に、15世紀末にローマ教皇から破門されて火あぶりになったんだったわね。その当時、イタリアのフィレンツェにいた彼は市民に熱狂的に支持されていた―――」

 紫鏡は淡々と続ける。

 マルゲリータの表情は複雑だった。

「貴女はイタリア人だったわね。当時、フィレンツェにいて、そしてサヴォナローラの影響を受けたのね」

「えっ! ていうことは、15世紀から生きてるってこと?」

 安珠は驚いて声をあげた。

「そういうことになるわね」

 紫鏡は答える。

「そりゃぁ、やっぱり人間じゃないよ」

 安珠は眉間にしわを寄せる。自分も紀元前から生きているくせに。

「以前にきちんと教えてあげたでしょ? 忘れたの?」

 紫鏡は安珠に突っ込む。そしてひとつ溜め息をついた。

「―――確かに、サヴォナローラに心酔していた。サヴォナローラに恋していたと言っても過言ではなかったかもしれない」

 突然、マルゲリータは話しはじめた。

「当時、私でなくてもフィレンツェの誰もが彼の説教を聞いては熱狂していた。彼が火刑に処された時、この世のすべてが終わったかのような気さえもした。しかし、彼の教えが過ちであったならば、だから処刑されたのだとすれば、恐らく未来は明るいものになるのだろうと一縷の希望を支えに生きていたのだ。それがどうだ! この世の中は少しも変わりはしない。同じ過ちを犯しつづける。金・名声・あらゆる欲に支配されて堕落した人間が社会を動かしている。サヴォナローラが告発したように、彼らには恐ろしい凶運が待ちうけているだろう。しかし、そんなものがやってくるまで悠長に待つ必要はないのよ。私がすべてを滅ぼしてしまえば済むこと! サヴォナローラの教えに耳を傾けなかったことを後悔するがいいわ!」

 マルゲリータは憎々しげにそうことばを吐き捨てると、更にその形相を険しいものにした。

 目はつり上がり充血し、口は耳まで裂けたような、鬼のような顔である。そして、身体中の血管は張り裂けんばかりに隆起した。もう、とても人間と思える様相ではない。

「ひぇーっ、魔女っていうより、そりゃ化け物だよー。おっかねー」


「サヴォナローラの教えが間違いだとは言わないわ。だけど、貴女がやっていることは間違っている! 私たちは貴女を許すことはできない!!」

 紫鏡は厳しい口調ではっきりと言い放った。

「何を偉そうに・・・何様のつもりだ! 覚悟!!」

 けたたましい音を鳴り響かせながら、マルゲリータの指先から閃光が安珠めがけて放たれる。

「うわぁっ」

 安珠は突然のことで驚きはしたものの、それを間一髪で避けた。

「これでもかっ!!」

 再びマルゲリータは指先から光線を放つ。

 それは先程よりも速く、威力も数倍上回ったものだった。

「ぐはーっ!!」

 マルゲリータの攻撃は安珠に命中した。安珠はその力で壁に激突する。

 脳天から生暖かい血が流れる。

「アンジェラ!! 剣を、“精霊の剣”を呼びなさい!!」

 貴子の元へと足を進めていた紫鏡は、安珠の様子が気になって仕方がない。

「つつっ・・・よ、よーし、Unite・・・来い!!」

 安珠は剣を呼び寄せる。瞬時に安珠の手のなかに剣が現れた。そしてその剣に気を込めていく。

「はあっ!!」

 安珠がそう叫ぶと、精霊の剣から気をパワーに変換した光線が楕円を描くように放たれた。

「ギャァァァッ」

 安珠の放った光はマルゲリータの左腕をかすめた。その傷痕はただれたようになっている。

「と、溶けて・・・くそぉっ、もはや生かしてはおかない!」

 そう言って安珠の姿を見て、マルゲリータははっとした。

「お前・・・その瞳は。お前も人間ではなかったのか!」

 安珠は剣に気を送り込む時、本来の姿・アンジェラ・シェンに戻っていたのだ。

 紫瞳と緑瞳を片目ずつに持つその異形の姿は、マルゲリータに更なる衝撃を与えていた。

「しかし、何者だろうと殺すことには変わりない!」

 マルゲリータはそう叫ぶと再びアンジェラに攻撃をしかける。

 アンジェラはすかさず右に大きく飛んだ。

「うわぁっっ!!」

 しかし、マルゲリータの攻撃を避けきれず、左足をかすめた。一気に血が噴き出す。

「ううっ」

 相当痛いのだろう。苦痛に整った顔を歪めている。

「く、くそ。許さないからな。オレ運動神経だけがとりえだったのに」

「お前などにこの私が倒せるものか」

 マルゲリータはせせら笑った。

 その時、異変に気付いてマルゲリータは背後にあった祭壇を振り返る。

「なにっ!?」

「紫鏡!!」

 明るい声でアンジェラは紫鏡の名を呼んだ。

 いつの間にか、紫鏡とセルリアは祭壇に横たえられた貴子の元にいた。そして絶対神術を唱えはじめていた。 紫鏡の体からは紫のオーラがゆらりと沸き上がり、その広い額には紫水晶が浮き上がった。 紫鏡が呪文を唱えていると、突然貴子の体から幾多の光が四方に放たれた。

「ぐわぁっ!!」

 その光が部屋中を包み込むと、マルゲリータは悶え苦しみ、ついには床に倒れこんだ。

「ダイアナ様」

 紫鏡とセルリアは貴子の覚醒した姿であるダイアナの前に跪き、頭を垂れた。



★


「今、この時に私の力を解放してくれたこと、感謝しますよ、紫鏡」

「いえ。とんでもございません。ダイアナ様こそご無事でなによりです」

 紫鏡もセルリアも妙に畏まっている。

「あの・・・ダイアナ様は、ホントにあの炭野 貴子さんなの?」

 アンジェラは不思議に思ってダイアナに尋ねる。

 もちろんそう思うのも不思議はない。あまりにも貴子とダイアナは見た目が違う。透けてしまいそうな白い、キメの細かい肌を持ち、顔に浮き上がっていたそばかすの面影もない。マンガのようだったメガネもすでにその役目を終えている。その下に今まで隠されていた瞳は、なんと銀色がかっている。しかし、切れ長の優しい光を放つ目で、恐怖感を微塵も感じさせない神秘的な美しさだ。

「ええ、私は確かに炭野 貴子でした。本来の名はダイアナ・モーゼといいます」

 無造作に束ねてあった髪をほどきながら、優しく笑ってダイアナは答える。

「はぁーっ、今まではダイアの原石ってことかぁ」

 アンジェラがひとりで納得していたその時。

「死ね――――ッ!!」

 気を失っていたとばかり思っていたマルゲリータが黒ミサ用の短剣を一番近くにいて、しかも好都合にも背中を向けていたアンジェラに投げつけた。

「アンジェラ! 危ないっ!!」

 それを一番に気付いた紫鏡は、とっさにアンジェラを助けようとしてその間に飛び出した。

「きゃあぁぁぁっっ」

「紫鏡!?」

 黒ミサ用の短剣は、見事紫鏡の胸に輝く紫水晶のブローチに命中した。

 紫水晶は粉々に砕け散り、紫鏡は床に倒れこんだ。ほんの一瞬の出来事であった。

 普段の紫鏡ならそんなことはとても考えられなかっただろう。自分の身を呈して人を助けるなどとは。いくらでも超常的な力を使ってその危機を回避できたはずであった。しかし、ようやく目覚めた恋心がその理性を撥ね退けて愛する男の危機に飛び出したのである。


「紫鏡!! 紫鏡!!」

 アンジェラは紫鏡を抱き起こす。

「・・・私ったら、ドジ、踏んじゃった・・・わね。あはは・・・ぐっ」

「紫鏡!! しっかりしてよ、紫鏡、おい!!」

「ア、アンジェラ・・・敵は、まだ敵は倒れていないのよ・・・気を、抜か、ないで」

 苦しそうに悶えながら、紫鏡は言った。

 アンジェラは紫鏡をそっと床に横たえると振り返り、マルゲリータをギッと睨み付け、精霊の剣を握り締めた。

「マルゲリータ!! オレはお前を絶対に許せねぇ!!」

 アンジェラは剣をマルゲリータに向けて振り下ろす。

 その時。

「憎しみで剣を振ってはいけません!」

 アンジェラとマルゲリータとの間にダイアナが割ってはいる。

 今にも振り下ろす寸前のアンジェラの剣を、ダイアナは自らの力で押し止まらせる。

「ダ、ダイアナ様!」

 アンジェラは目の前に飛び出したダイアナの姿と、そのダイアナの手を触れずに剣を押し止めたパワーに驚きを隠せない。

「精霊の剣を憎しみで振ってはいけません。その剣を、紫鏡が大切にしていた剣を汚すつもりですか!?」

 まっすぐな瞳でアンジェラをみつめる。

 アンジェラはたじろいだ。

「あ、で、でも・・・」

「紫鏡を大切に思うなら、憎しみに己を委ねず、正しい心で悪を正しなさい」

 そしてダイアナはちらりとマルゲリータを見た。

「貴女も、もうこんな苦しみから解放してあげますね」

 慈愛に満ちた、本当に優しい微笑み。

 時を知ったマルゲリータはおとなしくその場に佇む。

「さぁ、アンジェラ」

「あ・・・はい」

 ダイアナに諭され、憎しみの感情から解放されたアンジェラは深呼吸をすると、静かに剣を下ろした。

 マルゲリータも静かに目を閉じた。

 長年、苦しみ続けてきた魂が、今解放されるのを感じて、マルゲリータは本当に静かにその場で剣にかけられるのを待っていた。

 恐らく、自分では自分の憎しみやその他のどす黒い感情を抑えることができない、引き下がることのできないところまで来てしまっていたのだろう。その心のどこかには、それを善し悪しとする気持ちの折衝が起きていたのかもしれない。

 一瞬、光に包まれたようになり、マルゲリータの体は徐々に灰と化し、その場に崩れ落ちた。

「んぎゃーっ、んぎゃ・・・」

 灰の中心から、何故か赤子が現れた。

 それはマルゲリータの残していた人間らしい感情が形となったものだった。

 徐々にその赤子の姿も光となり、天に上っていく。

 マルゲリータは再び輪廻転生の輪の中に入ることを許され、もう一度人間として生を迎えていくことだろう。今度は大きな過ちをおかさずにすむように、と祈らずにはいられなかった。




「し、紫鏡―――!!」

 終わった―――と思うが早いか、アンジェラは剣を放り出し、紫鏡の元へと走り寄った。

 紫鏡の周りには、すでにセルリアもダイアナも寄り添うように集まっている。

「紫鏡」

 アンジェラは、今にも消えてしまいそうな弱々しい笑みを浮かべる紫鏡を見て、気が気ではない。

「・・・アンジェラ・・・やったわね。立派よ・・・。ダ、ダイアナ様・・・残された人々の浄化を」

「わかりました」

 ダイアナとセルリアは紫鏡の元を離れ、魔女に関わりを持った人間たちの浄化をする。

 ダイアナは紫鏡よりも位の高い精霊で、当然絶対神術も駆使することができる。彼女に任せておけば紫鏡も安心できた。

「紫鏡・・・」

「残念、ね。せっかく・・・折角、恋人同士になれたのに・・・まだ、デートの一回だって・・・してない、のに、ね・・・」

 蒼白とした顔で無理に笑顔を作りながら、冗談めかして紫鏡は言う。

 本当は笑っていられるほど、楽な状態ではない。しかしそれでも、残されるアンジェラを気遣い、苦しい顔を見せないのだ。

 それを痛いほどに感じとって、アンジェラの目からは涙が溢れた。

「あら・・・いやだわ、アンジェラ・・・泣いてるの? わ、笑って・・・アンジェラ」

「う、うん」

 アンジェラは涙をぬぐい、無理をして紫鏡に微笑んでみせた。

「あ・・・りが、とう・・・私が死んでも、そうやって笑って・・・いてね・・・」

「や、やだよ。そんなこと言うなよ。紫鏡は死んだりなんかしないんだよ!!」

 “死”という避けられない思いが、アンジェラを恐怖させる。

 少し困ったように微笑みながら、苦しい息の合間を縫って紫鏡は言う。

「む、無理、言わないで・・・自分の死期くらい、わかっているわ・・・この胸の紫水晶が割れてしまえば、私は・・・死ぬの・・・」

 胸の壊れたブローチに触れながら、顔を苦痛に歪めた紫鏡は、それでも美しかった。

「紫鏡!!」

「アンジェラ・・・これからも、私・・・の、かわりに・・・人間に・・・深く、干渉する、悪を倒し、て・・・人々を守って・・・」

「うんっうんっ!!」

 アンジェラは首を縦にめくら滅法振って、頷きながら答えた。

「必ず人々を守ってみせるから」

「ありがとう・・・そろそろ、私、休むわ・・・おやすみ・・・アンジェラの顔が、もう見られないのは・・・寂しい、けど・・・」

「紫鏡・・・」

 紫鏡はゆっくりとその手をアンジェラの方へと伸ばした。

 アンジェラは、そのもうすでに力のない、紫鏡の細くか弱い手を己が手でそっと包み込む。

 自然と涙が溢れ、その涙は頬を伝い、ふたりの合わせる手の上で弾けた。

「アンジェラ・・・愛して、いたわ・・・」

 そうして紫鏡は、身体中から溢れるような愛情を初めて表しながら、清しい笑みを浮かべると、ゆっくりと目を閉じた。アンジェラが握り締めていた紫鏡の手は力なく、その重さを如実にアンジェラに伝えている。

 目に溜まっていたのだろう、紫鏡の頬を一筋の涙がきらりと輝きながら流れ落ちた。

「し、紫鏡―――――!!」

 アンジェラの悲痛なその叫びは、天高く響き渡った。




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オリジナル小説「紫鏡」