「紫鏡3」久遠情愛
第3章

 貴子が帰ってからというもの、紫鏡は途端に無口になり、何かを考えている様子をふたりに見せていた。

「さっきから何を考えてんだ、紫鏡?」

 安珠は紫鏡に尋ねてみた。

「え・・・? ああ、あの炭野 貴子さんって人なんだけれど、どこかで会ったことがあるような気がして」

「えっ、紫鏡もなの? 実はあたしもなのよぉ。誰だったかしら・・・」

 紫鏡だけでなく、セルリアまでもがふむ、と考えだしてしまった。

「だれって・・・あの子は炭野 貴子さんだよ」

 安珠はまたしても、何もわかっていない。ついついセルリアも笑ってしまう。

「安珠くん、炭野 貴子って名前で紫鏡が知っている人だったら、きっと安珠くんにとっても知り合いのはずでしょ? ふたりは双子としてずーっと一緒に生活してきたんだし。でも、安珠くんは今までに彼女に会ったことがある? なかったでしょう?」

「うん。今回の件で初めて知り合った」

 安珠は貴子のことば―――セルリアに母を求めているといわれたことなどすっかり忘れて、素直に、それこそまるで年端もいかない子どものように返答している。

「でも、あたしは彼女に会ったことがあるような気がするの。と、いうことは。貴子さんは実は、精霊界の誰かの生まれ変わりか、仮の姿ってことになるんじゃないかなぁ。そうじゃない?」

「あ、そっか。炭野 貴子って名前は本物じゃなくって、紫鏡や香ちゃんの仲間なワケだから、別の名前がきちんとあるんだ」

 いかにも大発見をしたというような顔で、うれしそうに安珠は言った。

「なんかややこしいケド・・・つまりはそういうこと」

 セルリアはにっこりと笑って言うと、また再び思考をめぐらせた。

「へぇー、じゃぁその本当の名前を考えてるってワケだ。でも・・・言っちゃ悪いケド、あんまり綺麗な子じゃないよね、あの子。顔にはそばかすがいっぱいだし、髪は無造作に束ねてるだけだし、あんなマンガみたいなメガネしちゃって、あんまり精霊ってイメージじゃないなぁ。・・・きっとそんなに綺麗な石とかの精霊じゃないんじゃない」

 本人がいないとはいえ、随分な言いぐさである。安珠には悪気は全く無いのだから、余計に厄介なのだ。本人はまったくもって気付いてはいないのだろうけれど。

「わかったわ!!」

 突然紫鏡が叫んだ。

「あの勘のよさ。今の姿は見栄えがしないけれど、あの身のこなしの上品さと、時折見せる根底の輝き。あの方は石の最高点にいらっしゃる方。私のこともいろいろと面倒を見てくださって、しかもセルリアとの仲をとりもってくださった方だわ」

「え!! もしや」

 セルリアも驚いた声をあげた。

 安珠だけがワケがわからない。

「あの方は間違いなく、精霊聖ニ位の最高守護精霊、ダイアナ様よ」

 紫鏡は確信のあるしっかりとした声で言った。

「ねぇ、ダイアナ様って?」

 安珠にとってみれば、ふたりがはるか昔にいた『精霊界』のはなしは、まったくわからない。

「石の頂点、貴石の頂点ダイヤモンド。そのダイヤモンドの精霊があの方、ダイアナ様なのよ」

 安珠への説明の役は決まっていつもセルリアである。

「ダイアナ様の封印を解かなくては・・・」

 ぽつりと紫鏡が言った。

「紫鏡! 強引に封印を解くのには、絶対神術を使わなくっちゃダメなのよ」

「わかっているわ」

 紫鏡は厳しい表情である。

「ダ、ダメだっ!! 紫鏡の体は今すっごく弱ってる。そんなことしたら、紫鏡は死んじゃうよ!!」

 突然大声で安珠は叫んだ。いかにも悲痛な表情である。安珠の感情が表面に溢れ出して見せた、胸を締めつけられるような真剣な表情。

「そうかもしれない。だけど、マルゲリータ・リカーテと名乗るあの女もどうにかしないといけないのよ」

 紫鏡はすべてを悟ったかのような静かな声調でそう言うと、少し笑った。


「紫鏡、今のあなたの生命エネルギーは相当弱っているわ。安珠くんの言うとおり、神術一回でさえも、命を落としかねない」

「そうね」

 セルリアのことばに頷く紫鏡には、すでにその覚悟ができている様子だった。

 それを見て取り、セルリアは少し溜め息をついた。

「紫鏡、あたしはあなたの友人として、あなたのことをよく知っているつもりよ。だからこそ、あなたを止めることはできないの。でもね、友人を黙って危険な目に遭わせるつもりもないの―――安珠くん、あたしに協力してくれる?」

「え?」

 いまいちセルリアの言うことを理解できずに安珠は聞き返した。

「安珠くん、あなたとあたしの生命エネルギーを少しずつ、紫鏡に移してもいいかしらって思って」

「それなら」

 安珠は少し考えるといきなり立ちあがって大声で言った。

「オレの生命エネルギー、取れるだけ全部取って!! 紫鏡が少しでも長生きしてくれるように、そうじゃなかったら・・・紫鏡がいないこの世で生きていたいなんて思えない!!」

 そこまで言いきった後、途端に安珠はハッとして真っ赤になり、再びその場に座りなおすと俯いてしまった。

「くすくす。本当に素直ね、安珠くん。でも、“取れるだけ全部”っていったって、全部取って安珠くんが命を落としてしまっては意味がないでしょう? そんなことは紫鏡だってのぞんでいないハズだよ。もちろん、あたしもね。だから、あたしと安珠くんのふたりで少しずつ、紫鏡に受け取ってもらいましょ、ネ」

「うん、わかったよ」

 納得して安珠はにっこりと微笑んだ。とびきり優しい笑顔である。

「じゃ、いくわね。掌を紫鏡の体に近づけてちょうだい」

「これでいいの? かざすだけ?」

「うん、そうだよ。“手当てする”ってことばがあるでしょう? あれって、すっごい昔から具合の悪いところとかに手を当てて治したりしてたことに由来してるらしいわよ。それくらい、すごいパワーを掌から出すってことね」

「中国でいう“気”みたいなものだね」

「うん、そういうこと」

 そういってから、セルリアは何やら呪文を唱えはじめた。

 それは安珠の耳でもわかるが、絶対神術ではない。絶対神術の呪文は、何を言っているのかはほとんど聞き取れない。人間の聴覚域を極端に飛び出した音声も多くあるからだ。だが、セルリアの唱えている呪文はアラビア語に近い響きを持っていて、人間の聴覚域にあった。

 なんか、体の力が抜けていくみたいだ。気が遠くなる―――セルリアの呪文を聞きながら、安珠は眠るように段々と気を失っていった。

「あっ、アンジェラッ!!」

 紫鏡が安珠に駆け寄ろうとする。

「大丈夫よ。突然、初めて自分の生命エネルギーを抜いて、紫鏡に分けたんだもの。休ませてあげたほうがいいよ」

 セルリアが、そう紫鏡を諌めた。

「そ、そうね」

 セルリアに諌められ、思い止まりはしたものの、紫鏡の心は気を失って倒れた安珠へ向けられた心配の念に支配されていた。

「・・・あげるわ」

「えっ!?」

 セルリアの突然のことばに、ワケがわからず紫鏡は聞き返した。

 少し言いにくそうにひとつ溜め息をついて、セルリアは再び口を開いた。

「安珠くんを紫鏡に譲ってあげるって言ってるのよ」

「ど、どうしてっ!!」

 紫鏡が言うと、セルリアはすらりと白く細い人差し指を紫鏡の形のよい鼻の前に突きつけながら言った。

「決まってるでしょォ。安珠くんは紫鏡のことが好きなのよ。紫鏡の態度だって安珠くんのことが好きなんだってすぐにわかるわ。紫鏡と知り合ってから今まで、こんなに他人に対して取り乱しているなんてトコ、見たことなかったな。ホントにダイアナ様の言うとおりなんだから」

「えっ!! もしかしてセルリア・・・」

「そ。あたし、立ち聞きしちゃったのよね」

 肩をすくめてセルリアは答えた。


「でもね」

 セルリアはことばを続けた。

「ダイアナ様の話を聞く前から、そんなことわかってたの。せっかくふたりは両思いなんだもん。安珠くんを紫鏡に譲るわよ」

「でも・・・」

「いいって言ってるでしょ!! 相思相愛なのよ。それに、あたしと安珠くんは・・・」

「なぁ、そういうのって、本人の意思を尊重すべきじゃないのかなぁ」

 気を失っていたはずの安珠が突然口を開いたかと思うと、むくりと起き上がった。

「あ、安珠くん!! いつから・・・」

「香ちゃんが“決まってるでしょォ”って言い出したトコから」

 セルリアは溜め息をつきながら言った。

「じゃぁ、大抵の内容はすでにわかってるってことね」

「ああ」

 安珠は応える。いつもより、ずっと大人っぽく見えた。紫鏡は少し驚いてそれを見ている。急に男を感じたのだ。

「じゃぁ、さっきの話に戻るケド、安珠くんは“本人の意思を尊重”って言ったでしょ。それなら安珠くんのホントの気持ちを正直に教えてくれない?」

 セルリアは少しだけ笑みを漏らしながら言った。意地悪な質問である。

「うん。わかった」

 その質問に対して素直に安珠は答える。

「オレ、この頃ずっと考えてたんだ。オレの正直な気持ち、いったい誰のことが好きなのかって」

 安珠は頬を少し赤らめながら、静かにゆっくりと話しはじめた。いつのまにか、安珠のセルリアに対しての言葉遣いが変わっている。恐らく、心の中で、はっきりと答えがみつかったのだろう。

「今まで、オレはずっと香ちゃんのことが好きなんだって思ってきたケド、それが本当なのか、ただの思い込みだったりしないかって。本当に気になる子が香ちゃんなのかって、ずっと考えてた」

 静かな夜が訪れていた。太陽はその姿を地平線の彼方へ隠し、空には星が淡くきらめきはじめる。

 安珠の声だけが、しんしんと冷え込んでいく部屋の中にただただ響いていた。

「で、今日、炭野さん―――つまりダイアナ様がオレたちの気持ちを言い当てた時に、ようやく気付いた。答えがみつかったんだ。今まで“姉弟”の枠の中にいたから全然気付かなかったケド、オレの本当に好きな子は、紫鏡だったんだって」

「アンジェラ・・・」

 信じられない―――という面持ちで、しかしうれしそうに紫鏡はぽつりと安珠の名を口にした。

「そんな夢みたいな顔するなって。これは夢なんかじゃないんだから」

「そうよ。これでばっちり両思いじゃないの!」

 セルリアは快く笑っている。

 安珠と紫鏡の胸はちくりと痛んだ。

「ごめんね、香ちゃん。オレって勝手で。オレのこと、罵ってくれてもいいんだよ」

「そうよ、セルリアは・・・セルリアは平気なの? セルリアだってアンジェラのこと、好きなはずでしょう」

「何言ってんのよ」

 セルリアは少し悲しそうに笑った。

 とうとう、この時がやって来たのね―――と。心の中にずっと秘密にしてきたことを打ち明けねばならない苦しさと悲しさ、そして心苦しさから解放される安堵感に、セルリアの感情は大きな渦を巻いていた。

「あたしと安珠くんは、絶対に結ばれてはいけないのよ」

 まるで風のような透明な声で、セルリアは話しはじめた。

「紫鏡は知ってるでしょ? あたしには姉がいたわ」

「ええ。やはりとても綺麗な方だったわ。精霊界にいる間にお会いする機会はなかったけれど、人間界に降りてきてからお会いしたあの方は、碧色の足首まである長いウェーブヘアと、とても澄んだ紫瞳を両の目にお持ちになっていて、そのくせ少し鈍感なところがとても可愛らしくって、そしてとてもお優しい方だったわ」

 紫鏡は答えた。

「うん、そう。あたしの自慢の姉だったわ。今はあたしが継いでるケド、以前は姉様がこの水晶の守護精霊だったの。姉様はあたしにとってすっごく憧れの人だったわ。そして、大好きだった。だから、今でも姉様の手紙を肌身離さず持ってるのよ」

 セルリアはそういうと、右耳のクリスタルのイヤリングに手を触れた。

 途端、金色の羊皮のようなものでできた、手紙らしきものがセルリアの手の中に現れた。それがセルリアの言う姉から貰った手紙のようである。

「姉様も水晶の精霊として人間界に降りてしばらくは、毎日のように一角獣を使って手紙をくれていたの。だけど、しばらくすると、ぱったりと音信が途絶えてしまった。でも、心配はしないようにしてたのよ。“便りがないのは無事な証拠”って言うでしょ。それに、それから何ヶ月かたった頃に、姉様から手紙が届いたの。ここにあるのは、その手紙なのよ。でも、これが姉様から頂いた最期の手紙になったのだけど」


 セルリアは姉から貰ったという手紙を読み始めた。

「――愛するお父様、お母様、セルリア


  長らくのご無沙汰、お許しください。お元気でいらっしゃいますでしょうか。

  こちらの都合で長い間連絡もできず、大変心配をおかけしました。

  実は、連絡もできませんでした理由は、私が人間と暮らしてしまったことにあります。

  人間と夫婦になることは、精霊界の戒律により、厳しく禁止された行為です。

  戒律に背くこと、それはこの身に負った責任を放棄することになります。

  しかしそれでも、私は人間の男性を愛してしまいました。

  そして、その子どもを体内に宿してしまったのです。

  その子は恐らく精霊の能力を色濃く受け継ぐことでしょう。

  なぜなら、私の死期が近づいていることを感じるからです。

  私が死ぬ前に、お父様、お母様、セルリアには本当のことをお伝えしたく、

  こうして筆をとることにいたしました。

  どうか、聞いていただけますか。

  このおなかの子の父親は、香桃 神
(シャンタオ・シェン)といいます――」

「な、何ですって!!」

 途端に紫鏡は立ちあがった。

「話は最後まで聞くものでしょ」

 セルリアはそういって、再び紫鏡をその場に座らせ、手紙の続きを読みはじめる。

「――香桃は、セルリアの親友ともいうべき紫水晶のレイ・シキョウが

  守護しているという  シェン一族の村の村長のひとり息子です。

  彼は正しい心を持ち、心優しく、そして逞しい、精霊のように美しい青年です。

  恐らく私たちの子も、心優しく美しい子に育つと思います。

  そして、私は精霊界の戒律を破ったため、

  人としてこの生命を終わらせることになるでしょう。

  そうすれば、クリスタルの守護精霊の役はセルリアが引き継ぎ、

  人間界に降りることになります。

  その時はどうか私の子を見つけ、そしてそっと見守ってあげてもらいたいのです。

  身勝手な私の、最期のわがままなお願いです。

  それでは皆様、いつまでもお元気で。愛しています、心より。

                               
                                             クレア――」

 だんだんと下がる外気にしんしんと冷え込んだ風がゆっくりと部屋の中に流れ込む。

 セルリアは手紙をまた水晶の中に戻した。

「つまり、それって・・・」

 安珠はゆっくりと口を開いた。

「香ちゃんのお姉さんが、オレの母さんってことだよね」

 安珠の複雑な心情が見て取れるほど、安珠は静かだった。いろいろなことを考え、そして戸惑っていることだろう。

「そうよ。あたしと安珠くんには同じ血が流れてるのよ」

 セルリアの表情は心持ち穏やかだ。今までに秘め続けていたことを打ち明けることができて、ようやく胸のつかえも少しは晴れたのだろう。

「だから、あたしと安珠くんは絶対に結ばれてはいけない関係にあるのよ。だって叔母と甥なのよ。血が近すぎるわよ。それに、安珠くんと血が繋がってるってわかったときから、あたし、安珠くんのこと、恋愛の対象として見れなくなっちゃったし。安珠くんは半分人間の血が混じっている。本来ならタブーとされていた子どもだけど、それは大昔の話でね、現在では精霊界の戒律も改正されてて、人間と精霊のハーフの人権も尊重されるようになったの。つまり、安珠くんも紫鏡も、気兼ねせずにお付き合いして構わないってことよ。折角両思いなんだから」

 セルリアはにっこりと笑った。

 そのセルリアの様子にどう対処していいのかわからずに、紫鏡も安珠も複雑な面持ちでとりあえず頷くしかなかった。




「・・・ところで、日もとっぷり暮れて夜の帳がおりたころよね。そろそろ行動を開始すべき時間じゃぁないかしら?」

 セルリアが言う。

 途端に三人の間に緊張の糸が張り詰めた。

「でもその前に、ダイアナ様の封印を解いて、私たちを手助けしていただいたほうが良策だと思うわ」

 紫鏡はすっかりいつもの調子である。

「そうね。そのほうがいいわ」

 セルリアも頷く。

「よーし!! じゃぁ、行こう!!」

 安珠と紫鏡は部屋を飛び出した。

「あーあ、まるで鉄砲玉だわね、あのふたりは」

 呆れたようにひとつ大きく息を吐くと、セルリアも腰をあげた。

 部屋を出ようとした瞬間、脇にある壁にかけられた大鏡に映る自分に、セルリアはふと気をとられた。

「・・・安珠くん。あたしは、香は安珠くんのことホントに大好きだったんだよ」

 そう呟くセルリアの声は澄みきって美しく、そして哀しげなものだった。



★


 新月の晩ということで、夜空を見まわしても星さえもほとんど見えない闇の世界へと、この町は化していた。家々の明かりはそれを囲む高い垣根や塀に遮られ、ぽつりぽつりと灯る外灯の明かりだけが、闇のなかで小さな抵抗をみせていた。夜になってもこの町は閑静な住宅街という姿を変えることはなく、それがよりいっそう闇を濃いものにしていた。時間の感覚も掴めない、不気味さを漂わせた夜である。

 その空に浮遊する三つの影がある。もちろん、その影は紫鏡、安珠、セルリアである。

 三人は炭野 貴子―――つまりはダイアナの家へと向かっていた。

「あ、あそこだよ」

 安珠が声を発した。

「あら?」

 途端、セルリアが不思議そうな声を出す。

「あれ・・・ダイアナ様じゃない?」

「本当。こんな時間にどうなさったのかしら・・・って、ねぇ!! ダイアナ様の様子、変だわ」

「え!!」

 安珠とセルリアは驚いて貴子を見た。

 確かに、いつもと様子が違う。

「なんかフラついてるよ。夢遊病みたいじゃないか?」

 貴子はまるで誰かに操られるようにしてふらりふらりと何処かに向かって歩いている。目は妙にうつろで、外灯によって道に伸びた影さえも怪しい。

「いけない!! きっとあの女に操られているんだわ」

「なんだって! じゃぁ、すぐに助けないと、紫鏡」

 安珠が言うと、紫鏡はためらいの色を露わにした。

「・・・ここでダイアナ様を助けたとすれば、そのかわりに私たちの存在も敵に知られてしまうわ」

「じゃぁ、どうしろっていうんだよぉ」

「こうしましょ」

 その時、セルリアが聡明そうな瞳を輝かせながら口を開いた。

「ダイアナ様の跡をこうやって上空から尾行するの。それで敵のところまで案内してもらえば一石二鳥でしょ」

「それ、いいわね」

 紫鏡もセルリアの考えに同意した。

 しかし、安珠だけはあまり賛成したくないようである。

「だけどさぁ、炭野さんをそのままにしておいたら危険だよ。いつあのシスターに何をされるか・・・」

 安珠の脳裏にはマルゲリータに貞操を奪われかけた、つい昨日の昼間の出来事が色濃く浮かび上がり、ぶるぶると身震いした。

「ダイアナ様には私が指一本たりとも触れさせはしないわ。絶対守ってみせる―――それでいいでしょう?」

 紫鏡はキリッとその美しい形のよい唇を引き締めた。

 安珠はひとつ溜め息をつく。

「紫鏡にはかなわないな。そこまで言われたら、オレなんて、もうこれ以上何も言えないよ」

 少し心配そうに、安珠は微笑んだ。




 貴子が足を踏み入れた場所、それは三人が想像していた通り、聖マニフィカト女学園であった。

「やっぱりここだったのか。よぉし!」

 安珠が勇んで学園の敷地内に足を踏み入れようとしたとき、サッと紫鏡がそれを白い手で制止した。

「なんで止めるんだよ、紫鏡!!」

「ここからは魔女の敷地内よ。一歩踏み込めば、すぐに存在を勘付かれてしまうわ」

「じゃぁ、どうしろって言うんだよ」

 明らかに不満だという表情で安珠は言う。

 それを紫鏡は呆れ顔で見ていた。

「アンジェラ、あなたの特異な能力はなぁに?」

 溜め息まじりにヒントを与える。

「へ?」

 安珠はしばらく考えた後、答えを見いだした。大きな声で答える。

「そっか、テレポートしろってことか」

「そういうこと。場所は恐らく、理事長室」

「よし!!」

 安珠はやる気満々という具合で、今にもひとりでテレポートしそうな勢いである。

「あのぉ・・・」

 すると、今までただボーッとふたりのやり取りを見ていたセルリアが口を開いた。

「こんなときに、緊張感のないハナシで悪いんだけどね、その・・・ふたりって、一応両思いの恋人さんになったワケでしょ。なのに、今までとちっとも変わらないのね」

「へ!?」

「何よ、それ!!」

 安珠と紫鏡はいきなりの脈絡のないセルリアのことばにア然としてしまった。

「だってぇ、普通はね、恋人同士になったら照れあってモジモジしたり、あるいは見てる人がムカつくほどアツアツのベタベタになったりするじゃない。それなのに、ふたりは全然変わんないんだもん!」

 つまんない―――とでも言いたいのだろうか。ツンと唇を尖らせてセルリアは口をつむいだ。

「アツアツの・・・」

「ベタベタ・・・ねぇ・・・」

 安珠と紫鏡の顔は急に真っ赤になった。頭からは今にもシューッと大きな音をたてて湯気が吹き上がりそうなくらいである。そして互いに顔を見合わせモジモジと落ち着きがなくなった。

「セ、セルリア!!」

 紫鏡は真っ赤な顔でセルリアに向かった。

「折角そのことを気にしないようにしてたのに、どうしてくれるの!? 戦う前に、こ、こんな・・・こんな浮ついた気持ちになっちゃ困るって思ってたのに、それなのに・・・もうっ、セルリアのバカ!!」

「そ、そうだよ、香ちゃん!!」

 安珠も言う。

「あ、あら!? そうだったの? あはは、ごめーん」

 頭をぽりぽりと掻く仕草を見せてセルリアはおどけてみせた。

「・・・もういいわよ。それより、行くわよ。テレポーテーションできないセルリアは、私が連れて行くわ」

「了解」

 安珠とセルリアは頷く。

「行くわよ」

 聖マニフィカト女学園の校門上空に浮かんでいた影は、その瞬間に消え去った。

 そしてそこにはただ漆黒の闇に包まれた世界が静かに広がっていた。



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オリジナル小説「紫鏡」