「もう、跳ぶなら跳ぶって言ってくださいよ、ダイアナ様」
屋根裏へと続く階段のてっぺんに姿を現すと、アンジェラは開口一番にそうぼやく。
だが、ダイアナからもセルリアからも、なんの返事も返ってこない。不思議に思ってふたりの視線の先を追い、アンジェラは驚きの声を発した。
「し、紫鏡!!」
そう、同じく屋根裏の扉の前まで紫鏡はやってきていた。
「驚くのも、再会を懐かしむのも後! 行くわよ、アンジェラ!!」
「え・・・あ、うんっ!!」
自分の名を呼ぶ紫鏡の声に、大輪の花を咲かせたような喜びの笑みを満面にたたえ、更に戦いに向かう力強い声で応えると、アンジェラは紫鏡に後続した。
いつ自分のことを思い出してくれたのだろうか、などというつまらないことを気にするよりも、目の前にある事実、紫鏡がアンジェラの名を呼んでくれたということのほうが、彼にとってはかけがえのない現実であった。魔性という巨大な悪の存在を前に、もう恐れるものはない、アンジェラには紫鏡はそれほどに大きな存在なのだ。
「旦那様!!」
紫鏡は部屋の中へ飛び込んだ。
するとそこには、デュークフリートがゆうゆうと待ち構えていた。その後方にマリーに抱かれて眠るように静かなヴィクトールの姿があった。
ただ、景色だけが明らかに違う。間違いなく飛び込んだのはヴィクトールの屋根裏部屋のはずである。がしかし、鏡も調度品も何もない。そればかりか部屋自体が存在していないのである。青白い、氷山の中のような淡くほの明るい世界が果てしなく広がっているなかで、巨大な氷柱のような柱が何本もそびえ立っている。ここは、デュークフリートの作り出した領域の中であった。
「ようこそ諸君。はじめまして」
冷ややかで氷のような声。それが鋭利な刃物のように突き刺さる感じがする。
デュークフリートはゆっくりと来訪者たちを見渡す。
「ふむ。お噂はかねがね拝聴させていただいているよ。赤き炎のジゴルゼーヌを滅したというのは、そちらのふたりだね。お目にかかれて光栄だ」
唇の端を大きく歪めてデュークフリートは笑った。
「旦那様を返しなさい」
デュークフリートのことばをまったく無視して紫鏡は強い口調で言った。
「残念だが、それはできない相談だ。私の花嫁が、どうしてもこの男を欲しいと言ってきかないのだよ。私は妻思いでねぇ」
クックックと声もなく笑いながらデュークフリートはそれでも、ギラリと鋭く光った艶やかな夜の闇を思わせるような瞳で紫鏡を睨み付けた。
普通の人間ならそのひと睨みで恐れおののき、正気を保ってはいられないだろう。
だが、紫鏡もアンジェラたちも、そんなもので怖気づいたりはしない。
「笑止! 戯れ言もいい加減にすることね。お前がマリー姫の意思を奪っているから、マリー姫がお前に逆らわないだけで、マリー姫はお前の花嫁になることも、ヴィクトールの命を奪うことも望んでなんかいないはずよ!!」
「!」
デュークフリートの片眉がぴくりと吊り上がる。明らかに不快な表情を露わにした。
「確かにジゴルゼーヌを滅した力があるにせよ、その態度はいかがなものかな。無闇に敵を作り、みすみすその命を失うような愚かな行為は慎むべきではないかね。諸君が敵う相手ではないということに気付かないとみえる」
「な! そんなこと、やってみなくちゃわかんないだろっ!! 勝手なこと言うなよな」
アンジェラは、強気にデュークフリートを睨み付けた。
「そうよ。こっちは四人、そっちはひとり。あなたのほうが少し分が悪いと思うケドな、あたし」
セルリアもすまして言う。
すると、デュークフリートはうすら笑いを浮かべながらあごに手をかけると、そのあごを少ししゃくりあげながら口を開いた。
「四人といっても、その内訳は高格精霊三人に、人間がひとり。更に絶対神術を操るほどの高格精霊はたったふたり。絶対神術の詠唱時間は早く見積もっても一分はかかる。私はその一分のうちに、詠唱をやめさせる素早さも力も持っているつもりだよ。なんなら試してみるかい? 二分後には四人全員が屍となって地に転がることになるだろう」
「・・・そんな」
アンジェラは、ここで初めて息を飲んだ。
適当に口からでまかせを言っている訳ではないんだと感じたのである。たった二分後には、デュークフリートの言うとおりに、自分たちは死して地に転がる存在になってしまっているのかもしれないと、本当に感じてしまった。今まで幾度となく、いろいろな敵と対峙してきたが、こんなに圧倒的な強さを戦う前から感じたことはなかった。
そう、デュークフリートはジゴルゼーヌとは比べ物にならないほどの力を持つ、魔性のなかでも上位の魔性なのだ。素早さ、力、冷静な判断力を誇り、その他に突出した能力として、デュークフリートは鋭い洞察力を手にしていた。
「少しは頭が働くとは言えるが、往生際が悪いぞ」
そう言った途端、デュークフリートはアンジェラの視界から突如消えた。
行方を探そうと思う間もなく、アンジェラの背後に現れたデュークフリートは、ダイアナの細い首を片手で鷲掴みにしていた。
「人の影に隠れるようにしても、わかるぞ。絶対神術を唱えようとしても無駄だと言ったはずだが」
「くぅっ・・・」
目をつぶり、苦しそうに声を洩らすダイアナ。デュークフリートの手に更に力が込められる。
「Unite、来い!!」
と言うが早いか、アンジェラは手中に現れた精霊の剣を握り締め、すかさずデュークフリートに切りかかった。
しかし。
「遅い!」
「うわぁーっ!!」
デュークフリートを切りつけることもできず、アンジェラは片手で一蹴されると、近くの柱に叩きつけられる。
叩きつけられた柱からは、氷の結晶がきらきらとはがれ落ちて降ってきた。
「そうだわ」
それを見たセルリアは小さく呟くと、片耳のクリスタルをぎゅっと握り締めた。
「さて、高格精霊は体内に宝玉を埋め込んでいるときく。お前の石はどこにある? 私がえぐりだしてやろう」
デュークフリートは一向にダイアナの首を絞めている手を緩めない。
ダイアナは固く目をつぶり、苦しさを耐えている。
「そうか、目か。それはいい。えぐりだすのは簡単だな」
デュークフリートは笑った。
こうなることを予感して、ダイアナは固く目を閉じていた。鋭い洞察力の持ち主であるデュークフリートには、それでも無意味だったようだが。
そう、ダイアナの銀色の瞳は、その目にダイアモンドをはめ込んであったのだ。故に、やわらかい銀の光を放っていた。
「くっくっく。お前の宝玉は、我が妻に贈ることにしよう」
デュークフリートがそのことばを言い終わるか終わらないうちに、スッとダイアナの体が溶けるように、その手の中から消えた。
「!」
デュークフリートが気付くと、他の三人もその場から姿を消している。
「・・・私の氷と近しい波動を持つものがいたようだな」
デュークフリートはにやりと笑った。
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「大丈夫!? 安珠くん!! ちょっと待ってて、今治療するから」
セルリアはアンジェラの体に手をかざす。
「あ・・・ここは・・・?」
「ここの至る所にある柱は氷の結晶でできてるみたいだったから、クリスタル化させて、みんなを一時的に避難させたの」
セルリアのかざした手からあたたかいやさしい波動を感じる。
アンジェラの、柱に叩きつけられた時の体の痛みが段々と薄らいだ。
「・・・ありがとう、香ちゃん。もう大丈夫」
「あたし、戦闘向きじゃなくって、何もできないから、これくらいしかしてあげられなくってゴメンね」
少し寂しげにセルリアは微笑んだ。
「何言ってんだよ、助かったよ。ホントにありがとう。香ちゃんがいなかったら、オレ確実にあの時死んじゃったかもしれないんだからさ―――ところで、ダイアナ様や紫鏡はどうしたの?」
「ふたりにも別々に避難してもらったわよ。でも―――、みつかるのも時間の問題だろうケドね」
「そうだね。アイツのテリトリー内だってコトには変わりないもんね」
ふたりは黙り込んだ。
「さて、隠れ鬼の時間だ。まずは誰を捕まえようか・・・くっくっく。息を殺して潜んでいるのを感じるぞ」
ゆうゆうとデュークフリートは周りを見まわす。
それをアンジェラたちは息を殺して見守っていた。
瞬間、またデュークフリートの姿が消えた。
あまりの早さにアンジェラには目でその動きに追いつくことができない。
セルリアとふたりで一ヵ所にとどまる自分たちは不利だと判断したアンジェラは、決意を固めた。
「香ちゃんは、ここでじっとしてて!」
瞬間移動で柱の中から飛び出し、違う柱の後へと向かう。自分が囮になって飛び出せば、力のないセルリアを守ることはできるはずだと思ったのだ。運が良ければ、そこでなんとか道を開けるかもしれないと。
「・・・みつけたぞ」
しかし、道を開く間もなく、眼前には薄ら笑いのデュークフリートが立ちはだかっていた。
「本当に、人間は愚かな生き物だ。わざわざ自分から見つけてくれと言ってくる。お前ひとりが何をしたとしても、結局この場にいるお前の仲間たちも私に葬られる運命だと言うのに」
「そんなこと、やってみなくちゃわかんねぇよ!!」
アンジェラは強い口調で言うと、精霊の剣を手に、デュークフリートに切りかかった。
しかし。
「無駄だと言っているんだ」
「ぐあっ!!」
デュークフリートの手から軽く放たれた氷のかけらが、アンジェラに強烈なボディーブローを決める。
アンジェラは床に片膝をついた。
「おやおや、もう終わりか? まだまだこれからだろう」
次々とデュークフリートの手から氷のかけらが飛び出していく。
「うわぁっ、ぐはっ」
その悉くがアンジェラに炸裂している。
アンジェラはボロボロになって地に倒れた。
「アンジェラ!!」
紫鏡はたまらず飛び出した。
「急がずとも順番に遊んでさしあげよう。その場を動かず、待っているがいい」
紫鏡の顔のすぐ脇を氷のかけらが飛んでいった。紫鏡の頬からうっすらと血がにじみ出る。
「!!」
紫鏡はその場で立ちすくんだ。
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オレ、もうダメなのかな、このまま死ぬのかな―――
激しい苦痛に身体中を支配され、鼓膜はけたたましく鳴り響く心臓の音に震えつづけている。
そんななか、アンジェラは自分の死の予感を感じていた。対峙する敵は桁外れに強い。
相手にかすり傷ひとつつけることもできないというのに、自分は満身創痍の姿となってしまった。
このまま死んでしまったら―――もう紫鏡に会えなくなるな―――
そう思った途端、アンジェラはハッとした。
紫鏡が生き返るという奇蹟を目の当たりにしたばかりで、まともに紫鏡とことばを交わすこともなく、自らの命を終えてしまうということは―――紫鏡ひとりを置いてさっさと先に死ぬということは―――アンジェラにとって許せない行為だと感じた。
「死んで・・・たまるかよ」
フツフツと闘志がみなぎってくる。
「ほう、驚いたな。まだそんな大口を叩くだけの力が残っていたか。まぁそれでも、お前の命は今ここで泡のように儚く消えるのだ」
デュークフリートがとどめをさそうと動いた瞬間、アンジェラは今までとは明らかに違う目にも止まらぬ素早さで、デュークフリートの脇をすり抜けていった。
「オレ、紫鏡がいなくなったとき、ホントに悲しかったんだ。あんな思い、紫鏡には味合わせるワケにはいかないんだ」
「アンジェラ―――!!」
自分のすぐ脇に立ち、自分をいたわってくれるアンジェラの男らしさに、紫鏡は感動して涙ぐんだ。
ああ、アンジェラ。貴方ならこれからの運命も共に乗り越えてくれるかもしれない。どんなに困難だったとしても―――
先の不安に囚われていた紫鏡に一筋の光明が見えた気がした。
「紫鏡、もう大丈夫だよ。オレは絶対にあきらめない!」
紫鏡を振り返って微笑むアンジェラを見て、紫鏡は驚いた。
「アンジェラ・・・貴方・・・」
「ん? どうしたの?」
「まさか、人間の皮を被った精霊だったとは恐れ入ったよ。よくも私を欺いてくれたものだ」
ゆらりとデュークフリートはアンジェラに向き直る。
「負けない力、強い力を欲したため、今まで眠っていたすべての精霊の血が顕在化したものだと思います」
いつのまにか、ダイアナが紫鏡の脇に現れていた。
「何? なんなの?」
アンジェラは訳がわからない。
「アンジェラ、貴方の両目が紫瞳に変わっているのよ」
「い? いぃーっ!?」
驚きのあまり、両手で両目を触ってみる。触ったからといって、わかることではないのだが。
「私にようやく一矢報いることができたこと、褒めてさしあげよう。だが、次はないぞ」
デュークフリートはそういいながら、自分の左頬に手をやる。
うっすらと血がにじんでいる。先程、デュークフリートが紫鏡につけた所と同じ箇所であった。
アンジェラがデュークフリートの脇をすり抜けたときに精霊の剣でつけたものである。
その時、雷が落ちるかのごとく、光の柱がアンジェラめがけて空より突き刺さった。
「うわぁっ!!」
驚きはしたものの、痛みなどはない。何が起きたのかと思ったが、どうやらその光は精霊の剣に向けられたもののようであった。
「あ!! Uniteが!?」
アンジェラは大きな丸い目を更に皿のように見開いて、精霊の剣の異変を知った。
柄にはめ込まれていたエメラルドが、いつのまにか紅水晶に変わっていた。
「―――真の主と認めたのね」
紫鏡は呟いた。
精霊の剣はただの剣ではない。血によって持ち主を継承していかなくては使うことができない剣である。これは呪術や魔法ではなく、剣の意志によって成るものだった。つまりは、精霊の剣は意思を持つ、生きた剣なのだ。その剣が、継承した持ち主を真の主と認めたとき、その姿を変化させる。柄にはめ込まれたエメラルドは、紫鏡の師であったエメラルドの守護精霊を真の主と認めたときから変わらぬものであったが、今、アンジェラを真の主と認め、水晶の精霊の力と人間の血を合わせたかのような紅水晶へと進化したのである。
「私は、長年Uniteを手にはしていたけれど、真の主と認めてもらうことはできないままだった・・・アンジェラには、Uniteに真の主と認めさせる何かが備わっていたのね」
紫鏡は少し寂しそうな、それでいて嬉しそうな複雑な面持ちでアンジェラを見つめていた。
「力が充実してるのを感じる。今までとはぜんぜん違う。オレ、負けるもんか」
アンジェラは自分に言い聞かせるように強く言い放った。
「面白い。私もお前如きには絶対負けぬぞ」
デュークフリートは不愉快そうに口を歪ませて、吐き捨てるように言った。
両者がにらみ合う。
先にアンジェラが動いた。
すかさずデュークフリートの懐までもぐりこみ、精霊の剣を宙に舞わせる。
デュークフリートは一瞬の差でそれをひらりと葉の舞う如く優雅にかわして、後ろに二歩ほど下がった位置に立った。
「ふふふ。なかなかやるではないか」
デュークフリートが身にまとっている衣のちょうど腹部の辺りに精霊の剣がかすったらしく、一部にぱっくりと切りこみができていた。
「次は私の番だな。うまくよけきれるかな?」
アンジェラが息をつく暇もなく、デュークフリートはまるで姿を消したかのような俊敏さでアンジェラのすぐ脇まで入りこむ。
「!」
デュークフリートの手刀がアンジェラの喉笛を掻き切ろうとした刹那、アンジェラは間一髪でその攻撃をかわした。
「・・・てぇ」
手刀による風圧で、それでもアンジェラの首筋からは血がにじみ出ている。
力の差は、先程までとあまり変化なしといった感じだった。
それでも、アンジェラにはあきらめることはできなかった。紫鏡に悲しい思いはさせたくない、必ず勝ちたいと思っていた。
スピードも攻撃力も、スタミナの点においてもデュークフリートのほうが一枚上手だ。どうしたら活路を見出すことができるのか―――
アンジェラは必死に考えていた。
「考え過ぎで体がおろそかになっているぞ」
突然アンジェラを覗き込むようにデュークフリートが目の前に現れた。
「あっ!」
デュークフリートの腕のひと払いでアンジェラは宙を舞い、左方向に飛ばされた。
ドカッと重く硬い音と共にその体は地に叩きつけられる。
「・・・ぐはっ、ゲホッ」
口中から多量の出血。血の鉄臭い匂いが、軽い脳震盪を起こしたなかで、鼻腔を否応無しに攻めたてる。
「もう終わりだな」
デュークフリートは横たわり、悶えるアンジェラの首を乱暴に掴むと、そのまま持ち上げるようにアンジェラを宙吊りにした。
「・・・ぐっ」
その手を振りほどこうとあがいてみても、首が折れそうなほどに締め付けられて呼吸もままならないため、力が入らない。
みしみしと骨のきしむ音がする。
これでホントに死んじゃうのかな、オレ―――
もう、アンジェラには精霊の剣を呼ぶ力さえも残っていないように思われた。
その時。
「やめてーっ!!」
紫鏡の叫ぶ声。それと同時に凄まじい閃光がデュークフリートめがけて放たれた。
「な、なんと!!」
アンジェラから引き離されるかの如く、強引に後方へと飛ばされたデュークフリートはまるで見えない蜘蛛の巣に捕らわれたかのような姿で宙に叩きつけられた。正確には、宙に浮かぶ光の壁のようなものに、だ。
「・・・げほっ、ごほっ・・・はぁーっ、もうダメかと思った・・・」
アンジェラはデュークフリートから解放されて、咳き込みながらも大きく深呼吸をした。ひやりとした空気が充血した肺や脳に痛みを伴いながら沁み込んでいく。
ひとしきり深呼吸をしてから、デュークフリートを見てアンジェラは驚いた。自分との力の差をあれほど見せつけられた後に、まるで蜘蛛に捕らわれた蝶のように宙にその身を捕らわれて、デュークフリートは逃げ出せずにいる。
何が起きたのか、慌てて今度は紫鏡の方に振り返った。
「・・・どうなってるの、これ!?」
セルリアもダイアナもただ息を飲んでいた。
紫鏡の額に埋め込まれていたはずの紫水晶が、その場を離れ、額から十センチほど離れた空中に浮いている。紫鏡は、その紫水晶に吊り上げられたような形で、顔を上げ直立した状態で宙に浮いていた。瞳は閉じ、両腕を軽く開いた姿。硬直しているようではなかった。紫鏡の体全体を包むかのように、額から逃れた紫水晶が淡い紫色の光を放っていた。
「・・・これほどの力を貴様が・・・」
悶えながらデュークフリートは呟く。
「もう、終わりよ」
そう言って紫鏡は瞳を開く。いや、開いたようだった。その時、紫鏡を取り巻く光が強まり、紫鏡の姿をはっきりと認識することが難しくなっていた。
「アンジェラ、協力してちょうだい。貴方の精霊の剣で、デュークフリートの右肩、左腰と右大腿部を間違いなく通るように切りつけてちょうだい。間違いなくよ」
「!!」
紫鏡がアンジェラに対して出した指示を聞いて、捕らわれのデュークフリートは明らかに顔色を変えた。
「ま、間違いなくって・・・なんで?」
そんなプレッシャーをかけられては、つい二の足を踏んでしまいたくなる。アンジェラは尋ねた。
「この魔性は自分の生命線をジグザグに配すことによって、急所をずらしてわかりにくくしているのよ。さぁ、早く!!」
「あ・・・うん!!」
アンジェラは紫鏡に促されるまま、精霊の剣をその手に呼びこむと、精神を統一して気を剣に流れこませる。
「右肩、左腰、右の太ももね・・・」
確認するように呟くと、デュークフリートが捕らわれている空中へと大きくジャンプした。
「悪いケド、お前のこと絶対許せないよ。人の命をなんだと思ってんだ!!」
「うわ、やめろ!! やめてくれ!!」
デュークフリートの命乞いも虚しく、アンジェラは精霊の剣を左から右、右から左へとジグザグに振り下ろした。
「ていやっ」
「うがぁーっ!!」
ストッと軽い音をたてて、アンジェラは地に降り立つ。
「・・・ぐおぉ・・・ゆ、許さんぞ・・・」
まるで怨霊のように恐ろしい形相と声で、恨みのことばを吐くデュークフリート。
紫鏡はそれを哀れむように見つめながら、そっと何やら呟いた。それは呪文のようだった。絶対神術とは比べ物にならないほど、短い呪文。
「!!」
アンジェラたちが見守るなか、デュークフリートはまるで、氷が溶けてすぐさま蒸発していくように、シュワシュワと音をたてながら消滅していった。
「さようなら。貴方がマリー姫に危害を加えようとする気持ちにならなかったのは、恋という感情だったんだと教えられなかったのが、残念だわ」
紫鏡はそっと呟いた。
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