「紫鏡5」未来の光明
第1章

 木々が生い茂る森の中。それでも明るい光は梢を縫って地面まで到達する。その光は多くの低草を生かし育み、豊かで清涼な空気を作り出す。恵まれた森。

 その森の最奥、ひと際木々の影が色濃く浮き立つ場所に、巨大な石が存在する。

 人の背丈よりも大きく、岩と呼ぶべきかと感じさせるその石は、大理石に似たマーブル模様を持ち、けれどもっと透明で、オパールのようにたくさんの色を放っている。名を「虹彩門石
(コウサイモンセキ)」といった。

 ふとその虹彩門石の多彩な煌めきが強さを増した。その光はぐんぐんと輝度を上げ正視できないほどの虹の光を作り出す。ただ、その光は長続きしなかった。時間にして刹那。

 そして光の終息とともに、代わりとしてその場に現れたのは4つの人影。アンジェラ、紫鏡、セルリア、ダイアナだった。




「わぁー、懐かしい! この辺はちっとも変わってないのね」

 まず飛び出したセルリアがそううれしそうに声をあげた。

「ここが……精霊界……」

 アンジェラは少々不安な面持ちで、しかし好奇心を隠せない様子だった。

「そうよ。ようこそ精霊界へ」

 紫鏡も何千年ぶりに訪れた故郷に感慨深げだ。アンジェラに向ける表情からそれが読み取れる。そして、その三人の様子を見守るダイアナは降り注ぐ光を見上げた。穏やかなようでいて、何か憂いを感じさせる横顔。たくさんの疑問符を抱いたまま、ダイアナはこの世界へ戻ってきたのだ。しかし、ダイアナの表情に気づく者はいないように感じた。紫鏡を除いては。

 精霊界を取り巻くエンドフォレスト。その中でもリアンの森と呼ばれる区域に静かに存在する虹彩門石は守護精霊がその任を受け、人間界へ降りるときに利用される専用のゲートだ。普段は一方通行でしかないそのゲートをくぐるということがどれだけ特異なことか。今ここでその重大さを知っているのはダイアナと、そして紫鏡のみなのだ。

「さて。ここに長居は無用よ」

 キョロキョロと辺りを見回すアンジェラと、クスクスと笑いつづけるセルリアに、紫鏡はそう告げる。

「まずは精霊界へ戻ったことをご報告しなくてはね」

「安珠くん、聖女王様にお会いできるよ!」

「えぇっ!! それってすごく緊張なんだけど……」

 紫鏡とセルリアの発言にアンジェラは戸惑いを隠せない。

「大丈夫ですよ。聖女王はとても寛大で優しいお方です」

 ダイアナはアンジェラの様子を見てそっと助け舟を出すようにやさしく告げた。


★


 天空に浮かぶ巨大な城、月花城。精霊聖女王の居城である。そこには聖女王、サイラ・フェアリーの城と、そこで働く者たちや、女王が理事を務める大学に通う者たちの居住地区があり、ひとつの巨大な要塞と化している。

 要塞といえども、その姿は美しく、自然豊かな城である。

 女王の城を中心に波紋のように広がる街と緑。

 アンジェラたち四人は月花城の東部に位置する街に到着した。

 ヨーロッパの町並みを思わせるような、赤茶けた薄く丸い瓦。白い壁。こじんまりした家並みの奥には大きな邸宅が見える。

「なんだかこの前行ってたドイツの雰囲気とも、ちょっと似てるね」

 アンジェラは感心しながら町並みを眺めた。

「この地域は『雄緑
(ユウロク)の都』というの」

 セルリアが町の名を告げる。その時。

「なんだい、懐かしい顔ぶれだね」

 アンジェラにとって聞きなれない男の声。そして、この精霊界に来てから初めて聞く自分たち以外の精霊の声。

 アンジェラは驚いて声の方向へ振り返る。

 声の主は紛れもなく男性の姿をしていた。アンジェラは実は男性の精霊を見るのは初めてのことだった。男性も存在することは知っていたが、自分の周りには女性の精霊しかいないので、現実味がなかったのだ。

「久しぶりじゃないか。そして、見知らぬ顔が1名か」

 声の主は歩みを進めて近づいてくる。そして、アンジェラを品定めするかのように眺めた。

 アンジェラも見知らぬ男に少し警戒するかのように、注意深く男を観察した。

 緑色のウェーブがかった長い髪はゆるやかに後ろでまとめられているようだった。白い肌に桜色の薄い唇。瞳の色は碧。セルリアと同じ色である。シルクの白いシャツをふわりと着こなし、ボトムはぴったりとしたキャメルカラーのヌバックレザーでできたスリムパンツ。少し太めの眉が意志の強さをうかがわせるようだった。

「ヴェール!」

 セルリアが叫ぶ。その声は、喜びのそれとは違うようだった。そして、同じように複雑な表情を浮かべる紫鏡。

「相変わらず君たちは仲がいいようだね」

ふたりの様子をまったく意に介さずにヴェールという男は笑顔を向ける。

「久しぶりですね。あなたも聖女王の命で戻ってきたのですか」

 ダイアナが声をかけた。

「はい、ダイアナ様。相変わらずお美しいですね」

「ふふ。お世辞が上手なこと」

 セルリアや紫鏡の様子と異なり、まったく警戒感のないダイアナの様子に、アンジェラは少し安堵する。そして、ダイアナに声をかけることにした。

「ダイアナ様、この人は……?」

 ヴェールという男も、アンジェラの存在は同じく気にかかっているようだった。

 ダイアナはふたりの顔を見回すと、にっこりと笑みを浮かべて紹介をした。

「こちらはヴェール・エメラルダ。エメラルドの守護精霊です」

「そして、セルリアの元婚約者さ」

 ヴェールが自らそう付け加える。

「婚約者?!」

 驚いてアンジェラは声を上げた。

「……元、よ」

 セルリアは明らかに不服そうに語気を強めて訂正をした。

「そして、私の師グリーン・エメラルダの弟」

 紫鏡もさらに付け加える。

「え!?」

 一番驚いたのはそのことばだった。紫鏡の師であるグリーンの弟。紫鏡の初恋の相手であり、Uniteの最初の持ち主。おそらく、弟というこの男も兄に姿がよく似ているのだろう。だから紫鏡はさっきあんなに複雑な表情を浮かべていたんだ。そう思えば、つい小さな嫉妬心も芽生えてしまう。

 ダイアナは少し困った表情を浮かべた。おそらくアンジェラの考えていることが手にとるようにわかるのだろう。だが敢えてそのことには触れなかった。

「こちらはアンジェラ・シェンです」

 ヴェールにアンジェラの名を告げたのみだった。

「精霊界では耳にした事の無い名ですね……」

 ヴェールは片眉を怪訝そうに吊り上げる。

「俺、ずっと人間界にいましたから」

 アンジェラが言う。

「人間界? なぜ? 守護精霊でもない者が?」

 ますます不思議そうなヴェールの様子はその語気が強まったことで聞いて取れる。

「俺、精霊と人間のハーフですから。精霊界へ来るのは今日が初めてなんです」

 嫉妬はしつつも、そこは根の素直なアンジェラ。ついつい丁寧に自己紹介をしてしまう。

「精霊と人間のハーフ!?」

 それは大変な告白だということを、アンジェラは気づいていなかった。今ではあまり聞かれないことだが、本来精霊と人間の間に子を成すことは禁忌とされていた。もちろん、そうして生まれた子が精霊として精霊界へやってくることなどもありえない。ヴェールの驚きは当然のことなのだ。

「アンジェラは……クレア姉さまの息子なの」

 セルリアは複雑な表情で告げた。

「そうして、Uniteの正当なる後継者です」

 紫鏡も言う。

 ただでさえ、禁忌の子としての驚きは隠せないのに、畳み掛けるように次々と思いもしない告白を聞き、ヴェールは気が遠くなる思いだった。

「クレア様の禁忌の子……そして、Uniteの後継者……?!」

 しばらく思考が混乱していたのか、そう呟いた後、はっとして目を見開いた。

「Uniteの後継者!? まさか!!」

 自分の尊敬し、敵うことの無い偉大なる兄の後継者が人間とのハーフなどとは、思いもかけないことだった。絶対神術を駆使し、兄の弟子でもある上位精霊の紫鏡でさえ、正当な後継者にはなり得なかった。Unite自身がそれを認めなかったのだ。なのに、なぜこの人間とのハーフはそれを認められたのか。

 そうしてアンジェラの顔をまじまじと見つめなおした。そこに気づいたのは、人間の色である緑の瞳と、上位精霊の持つ紫の瞳。ハーフであることは、何か力を増す要因となっているのか。

「Uniteを……見せてもらってもいいか?」

 ヴェールはアンジェラに申し出た。

「ああ、構いませんよ」

 アンジェラはすっとその手にUniteを呼び出した。そして、ヴェールに手渡す。

「なんと……」

 確かにそれはUnite。兄の剣だったものだ。まじまじと見つめ、そして違いに気づいて更に驚愕する。兄の力の象徴だった大きなエメラルドは、紅水晶に変わっていたのだ。それは紛れも無く、正当な持ち主が変更したことを告げている。

 ヴェールは二の句を告げるすべを持たなかった。ただ驚き、畏怖した。そうしてUniteをアンジェラに無言でつき返した。

 アンジェラという得体の知れない存在は、ヴェールには到底理解できそうになかった。

「……久しぶりにお会いできてよかったよ。では、他に行くところがあるので失礼する」

 ヴェールは挨拶もそこそこに、4人の前から立ち去った。複雑な思いだけをその場に残して。




 しばらくそこに立ち尽くす4人。

 最初に口を開いたのはアンジェラだった。

「あの人、香ちゃんの婚約者だったんだよね?」

「……そうよ」

「今はどうして違うの?」

「……」

 あまりそのことには触れられたくないようだったが、アンジェラはそういうことには疎い。ついつい口に出してしまってから、セルリアの様子に気づいたようだった。

「あ、ごめん。言いたくなかったら別にいいんだ。変なこと聞いてごめんね」

 セルリアの前では相変わらず、素直で幼い印象に変わる。アンジェラにとっては、やはりセルリアは母親の面影を感じさせるのか。母親の記憶などないというのに。

「いいのよ。安珠くんが気になるのも仕方ないよね」

 素直なアンジェラの瞳に、セルリアも弱い。重かった口をようやく開いた。

「彼――ヴェールの家、エメラルダ家と、我がクライスター家は元々昔から姻戚関係を持ち続けてるのよ。いわゆる親同士が決めた結婚ってヤツ? あたしは生まれたときから彼と結婚することが決まってたの」

「生まれたときから?!」

 現代に育ったアンジェラには考えもつかなかったことだ。そういえば、ドイツでもヴィクトールとマリーがそうだった。いまだに親同士が決めた結婚というものがまかり通るところもある。アンジェラは自分の見識の狭さを痛感した。

「クレア姉さまが生きていれば、恐らくはそのままあたしは彼のお嫁さんになっていたことでしょうね。でも、そうならなかった。あたしは姉さまの跡を継いで水晶の守護精霊になった……」

「守護精霊になると、どうして婚約が解消になるの?」

「守護精霊になれば、その命の尽きるまでを人間界で過ごすのが決まりなのです。精霊界へ戻ることは許されない」

 アンジェラの問いにダイアナが答えた。

「え……?」

 アンジェラは恐らく今やっと気づいたのだろう。こうしてみんなが精霊界へ戻ってきているという特別な事態を。

「そうなの。本来、守護精霊はずっと地上にいるものなのよ。だから、結婚なんてできないわけ。しかも、あたしだけじゃなくって、ヴェールも守護精霊に任命されちゃったしね。元々彼と結婚したいなんて思ってたワケじゃないから、あたしはそれでせいせいしたけど、彼は何かと連絡を取ってきたりしてちょっとうざいのよね」

 セルリアは肩を少しすくめて言った。こうやっておどけてみせるのは、セルリアの癖だが、その奥にはいつもさまざまな感情を伴っていることが多かった。セルリアの様子に、付き合いの長い紫鏡は少しひっかかりを覚えた。

「ま、そういうことよ。この話はこれでおしまい! さ、あたしたちも聖女王様のとこへ行きましょ」

 話を切り上げるようにセルリアが言うと、みんなは少し無口になって歩き出した。それぞれにそれぞれの思いを抱いて。




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Les Rois au pays de Pyjamas

オリジナル小説「紫鏡」