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September 2003
<9月分日記 21-30>
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21日(日)
雨/東京国立美術館

昨晩から降り続いている雨は、今日一日中降り続くらしい。
秋雨らしく、しとしとと降る雨。
梅雨とは違い、息が詰まるような湿気が無い分、多少はましである。

朝早くに起き、開園合わせて博物館に着く。
自分が着いたときには既に、十数名が入口に並んでいた。
チケット売場の軒下で時間まで雨宿りをする。

開園と同時に、チケットを見せて中に雪崩れ込む。
本日の目的は特別展である「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」がメインで、それと共に、以前回りきれなかった「東京国立博物館」の常設展示を制覇してくることである。

以下、それぞれ長くなるので、<Column「アレキサンダー大王展」「東京国立博物館」>にて紹介。
(概要はお勧めSPOT「東京国立博物館」にて記載。)

東京国立博物館は、改めて思ったがとにかく広かった。
まぁ、それだけ展示数は豊富にあるんだけどね・・・。

博物館行った後、御徒町を巡るか、秋葉原を巡るか、そのまま帰るか、悩む。
晴れているならばどこも自分の散歩には最適なところばかりなのだが、如何せん雨だからな。
おまけに博物館帰りで割と体は消耗している。
そうだよな、やっぱ。
秋葉原へ行こう(オイ)。

目指すは中古PSソフト。
時が経つにつれて安くなっていくから嬉しい。
ときには存在自体が消滅していたり、また逆にプレミアム価格になっている怖れがあったりするが、俺が求めているようなのはいわゆる「大衆用」のものなので、上記のような怖れは殆ど起こらない。
この間煮え湯を飲まされた、「ARC the LAD」の2があればいいなぁ。
とりあえず、2軒回る。
よし、あった。
中古らしく傷ありだが、ソフト自体に支障がなければ問題ない。
買いだ、買い。
・・・ということで、2,3同時購入いたしましたとさ。
並んでいて、手頃な価格だったらついつい手が伸びてしまうよな?


22日(月)
ささやかな喜び

本日は月曜日。
そして明日は9月23日秋分の日で休み。
家に帰ってから、
「明日休みだね」
そう言われて、妙にその事実が嬉しかった。
最近、『月曜祝日化政策(正式名称不明)』の為に、3連休という形は増えていても、週の中休みというのが殆どなかったからかなぁ。


23日(火)
コンサート

オーケストラのコンサートに行ってきました。
例によって例の如く、姉が当てたチケットにて。

サントリーホールで、16時からチケット引き替え、17時開演。
時間つぶしに、その辺に溢れているこじゃれた喫茶店にて一服する。
開演に合わせて会場に入った。
パンフレットを見ながらくつろいでいると、姉が弦の調子合わせをしている人を見て、慌ててもう一度パンフレットの奏者紹介のところをめくり始めた。
「あ、やっぱり。」
大学オケでトレーナーをしてくれていた先生がそこにいたそうだ。
壇上にいるのは白髪のおじ(い)さん。
だが紹介写真に載っている姿は、黒髪。
・・・写真、古すぎないか?
しかし世間は狭いものだねぇ。

17時きっかりに演奏が始まる。
曲目は、
・序曲「ローマの謝肉祭」 H.ベルリオーズ
・交響詩「海」管弦楽による3つの交響的素描 C.ドビュッシー
・交響曲第1番ニ長調「巨人」 G.マーラー
の3つ。
指揮 :アレクサンダー・ブリガー
管弦楽:ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ

ゆったりと聞かせてもらった。
これにアンコール一曲含めて、19時回ったところで終了。
あっさりさっぱりとした雰囲気であった。

ここ最近、ゆっくりと音楽なんて聞いていなかったから染みいったねぇ。


24日(水)
季節の変わり目

淡々と、時間が過ぎていく。
そして、着々と体調が悪化していく。
まぁ、気持ち悪いってやつだ。
恐らく風邪によるものだとは思うのだが。
はよ、寝ななぁ。


25日(木)
古きものの良いところ

表題の通り。
そう言うわけで、Column「電話とメール」追加。
基本的に大抵のものは古いものの方が道具にしろ、手法にしろコストがかからないんだよな。


26日(金)
平日3日

月曜含む週末3連休よりも、中飛び休みの方が気持ちも体も楽かもしれない。
今回非常にそう思った。
確かに、どこかに出掛けようかと思うと、元から長く休みがあった方が、無理に休みを取るよりも良いのかもしれないが。


27日(土)
俺が死んだら・・・

「死んだ後、墓やお骨は要らない」
これは両親共に同じ意見だ。
「ただ、遺灰を小瓶なんかに入れて持って(置いて)いて欲しい(期限無し)」
これが父。
「父と同じ意見だが、気持ちの整理が着くまでと言うことで、一年という期間は義務として置いてて欲しい」
こっちが母。

生前に遺書や遺志をきちんと残している場合には問題にならないが、死んだ後の事をある程度決めておかないと、責任を負わない親戚や、葬儀屋の意見に流されてしまうということが少なくない。
それで、うちの場合、時折家族の中でこういう話が出たりするのである。

「形見分け」については、
「子供達だけで好きに処分してくれ」
とのこと。

そこで、
「流が死んだらどうしておけばいい?」
と聞かれた。
子の方が先に逝くのは親不孝、とは言うものの、実際にそうなることはあるかもしれないしなぁ。
「灰やなんかも残さないでいいし、特に残して欲しいものないなぁ。むしろ残したくないから全部捨てて」
そう言った。
すると親父は激しくショックを受けた模様(笑)。

だって、生きている人で故人のものを残したいと思う人は残せばいいが、それ以外は残しておいたってしょうがないしねぇ。
故人が残したくないものであっても、故人の意思に関係なく残るべきものは残ってしまうのだし。
「生きている証」として残すにしたって、死んでしまった人がそれを確認出来るでもないので、そんなものは「生きている証」を残された人の負担になるだけである。
俺的にはこう考えた上での結論であったのだが。

親父はしばしの絶句の後、こう発した。
「じゃあ、何のために生きているんだ」
と。
「なんのためだろうねぇ」
そう返したのだが、ほんと、一体何のために生きているんだろう。
実際、何のために生きているのか、わからない。
だからといって、それでは死んでるも同然、と言うのとは違うのだが。

ちなみに姉はと言うと、
「各地(日本に限らず)に散灰してきて。それで、一周忌とかに『一周忌追悼ツアー』と称して、撒いたところを巡るの」
だそうだ。


28日(日)
細々か、一気か

どちらも総計すると同じなのだが、気分的な負担はかなり違う。
・・・ええ、まぁ単に携帯電話の請求書が二月分一度に来ただけなんですけどね。


29日(月)
バグ

意味は虫。
そう言えば、その昔「バグズライフ」という蟻の映画を見たなぁ。
そのバグではなく。
ゲームソフトのバグである。

よく、
「このゲームの初期のものにはバグがある」
「このバグを利用したレベル上げ」
「バグにはまってリセットせざるを得なかった」
そう言う情報は色々なソフトで起こっている。
だが、今までにそういうものを自ら体験した事はなかった。

今回アークザラッド2をやっていて、見事にはまった。
このゲームの中には依頼を受けてそれをこなすと、ポイント及びお金が貯まるというミニゲームよろしいものがあるのだが、その中の有名なバグに当たってしまった。

モンスターが出て来るので、その穴をふさぐ、というものだったのだが、ふさぎ終えても
「これでモンスターは出てこなくなった」
というメッセージが出てこない。
そして、付け加えて言えば、そのフロアには、いくつか「踏むとモンスターが穴から出てくる」という箇所がある。
出てこなくなるか確認の為に踏むと、わらわら発生するモンスター達。
奇しくもそこでさくさく上がりゆくレベル。

攻略サイトを見ると、解決方法は一旦その場所(フロア包括)から出て、入り直すこと、とのこと。
だが、「それで確実にバグはなくなる」とは書いていない。
つまり、下手するともう一度(否、何度でも)そのような事態が起こりうるかもしれないということだ。
依頼がこなせないと、お金がもらえない。
これでは貧乏のままだ。
戦々恐々としながら、入り直す。
今回は大丈夫だった。

画面上塞がれている穴からにょろりと出てくるモンスター達。
バグの恐ろしさを感じるよりも、バグにより面白さが一つあった、という感じであった。


30日(火)
起きたら朝だった

しかも、遅刻気味な。
これほどショックな事があるだろうか。
自分の時間が、全く別のものに喰われてしまった感じである。
実際には自分自身で喰いつぶしているだけなのだが。

朝飯も抜いて、走って駅に向かう。
よし、この時間ならなんとか間に合う。
駅改札口の駅員窓口付近が妙に混んでいるなと横目で見ながら、改札をくぐり抜ける。
ホームに辿り着くと、そこには人が溢れていた。

「○○駅で今朝8時○分に人身事故が起きた影響で・・・・現在も運行を停止しています・・・・」
・・・。
俺が走ってきた意味って。
全くなし?
しかも、○○駅ってここだし。

これならば、家でゆっくりと飯食ってから来れば良かった・・・。

人様に迷惑かけるような死に方するんじゃねぇ。


2003.September
めっきり涼しく、9月

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