水上勉論──弱者へのレクイエム ミステリー評論(3)

(1)

 水上勉の推理小説に終始一貫して流れているものは孤独な社会的弱者への優しい愛であり、知らず知らず弱者を傷つけ犠牲にして、肥大して行く権力や社会的強者に対する静かな憤りと告発である。
 これらの特徴から一般に氏の推理小説は社会派推理小説といわれる。
 事実、処女長編「霧と影」(昭和34年)には日共の政治資金調達機関“トラック部隊”の詐欺事件、探偵作家クラブ賞を受賞した「海の牙」(35年)には水俣病にからむ廃水排出工場の爆破未遂事件、「耳」では中小企業の労働争議と選挙がらみの陰謀、「死の流域」では北九州の廃鉱寸前のさびれた炭鉱町での坑内出水事件などが描かれており、氏の多くの作品には一般に色濃い社会性が反映しているといえよう。
 けれども、氏の推理小説の独創性は、そういう社会的事件を扱ったことよりも、そのような事件の渦中に生きるさまざまな人間の悲劇性を鋭く凝視し続けた所にある。貧しく、虐げられ、それゆえに生きて行くためにあえて罪を犯さなければならない人間の哀しい宿命に対する優しいまなざしにある。そしてこういう傾向は氏の犯人に対する愛憎半ばした視線に特徴的に現れているといってよいだろう。
「霧と影」、直木賞を受賞した短編「雁の寺」(36年)、長編「飢餓海峡」(37年)など、氏の推理小説の代表的な秀作は、すべて、社会に対する怒りよりも犯人に対するふしぎな愛と哀しみを歌い上げているのである。
「霧と影」について、作者は、「身辺を見廻して、既製服行商時代に見聞したトラック部隊事件を思いだし、それを材料として、殺人をからませてみようと構想した。トラック部隊事件とは、当時の左翼政党の一部の指導者が、製品のストックで喘いでいる鉄、繊維などの中小企業問屋や工場から、販路を手助けしてやるといって、製品をだまし取り、これらを二足三文の値でたたき売って現金化し、問屋には納付せず、政党資金にしたというあくどい詐欺事件である。私は被害をうけた問屋も知っていたし、また、小さいながら、似たような商売をしていた身を省りみて、慄然ともし、『革命』や『思想』をふりかざしている人びとが、大企業ならまだしも、零細な小企業を倒産させて、昂然としている態度に憤りを感じて、その思いを作品にぶっつけてみようとたくらんだのである」と語っている。
 確かに、氏の「霧と影」の執筆動機にはトラック部隊に対する激しい怒りが秘められていたことは否定できない。だが、この作品の魅力は、そういう社会的な告発的なモチーフよりも、むしろ、殺人が行われた美しい自然の背景と、詐欺事件の片棒をかつがされ、ついに殺人すら犯した犯人の悲劇的な肖像にあるのである。
「霧と影」には、繊維業界の詐欺事件ばかりだけでなく、作者の幼いころのさまざまな体験がさまざまな形で結晶しており、そのことが、この作品の安手な事件小説に堕すことから救っているのである。
 この作品で殺人事件の舞台となっているのは、福井県若狭海岸の青峨山の北辺にある猿谷郷という小さな村だが、この村に、水上勉の生まれ故郷である福井県大飯郡本郷村字岡田とが微妙に重なり合っていることはいうまでもない。
 作品の中で重要な役割を果たす宇田甚平は、この村を出るとき、「男子志を立てて猿谷郷を憎み出づ、功もし成らずんば死すとも帰らず」という書を神社に残して行く。わずか12人の住民しか住まず、ラジオも電燈もない貧しく社会から隔離された村。そういう不幸な境遇から何としても抜け出したいというこの人物の決意が、この「憎み出づ」という言葉に端的に表現されている。宇田が「運命を切り抜けるために道を誤ったのだと思います」というある登場人物の言葉には、こういう不幸な宿命を背負って生きなければならなかった犯人への優しい愛が感じられる。
 あえて、いわしむれば、「霧と影」の建築請負業者宇田甚平、「雁の寺」の小僧慈念、「飢餓海峡」の澱粉工場主樽見京一郎などの主人公たちは、いわば、作者の屈折した自画像にほかならないのである。これらの人物は、いずれも、自らの貧しく暗い境遇の重荷を背負いながら、必死に生きようとして罪を犯す。その意味で、貧しく不幸だったくらい水上勉の幼児体験がこれらの人物の中に微妙な影を落としているのである。推理小説という虚構の中に、水上勉は、フローベルのいう「ボヴァリー夫人は私だ」という図式を巧みに生かしたのだ。
 水上勉は大正8年3月8日、福井県大飯郡本郷字岡田に生まれた。大工職人だった父親が生活費を入れなかったので、電燈費も払えず、4歳のときから20数年間電燈なしの状態が続くという貧しさだった。このようなくらい幼年時代については、「わが六道の闇夜」にくわしく書かれているが、これを読むと、「霧と影」や「雁の寺」などのさまざまな描写が、氏の現実体験にいかに強烈に彩られているかがわかるに違いない。
「人は貧すれば、しなくてもよい殺生をやるものだという考えがいまもある」と氏は、この伝記の中で書いている。「孤独だった幼年時に、無数の蜘蛛を殺す快感をまず味わっている」水上勉は女郎蜘蛛が好きで、幼いころ女郎蜘蛛を飼って可愛がっていた趣味は今も残っているというが、「この反対に、他の蜘蛛を見ると、どのような蜘蛛でも憎たらしくみえて、わきに竹竿でもあればそれでひっぱたくか、小さいのが手に届くところにおればつまんで、地べたに捨てて足で踏みにじる」。
 こういう女郎蜘蛛への愛着は、「霧と影」に登場する精神異常者で土蔵に閉じ込められている宇田仁平を通じて描かれているが、幼い心の中に芽生えた激しい愛と憎しみを象徴するものとしてまことに興味深い。
 また、「雁の寺」には、朝寝ぼうさせないように和尚の慈海が小僧の慈念の手首に紐をくくりつけ、自室で必要に応じて引っぱるという話が出て来るが、これも現実に体験した事実なのである。
 推理小説は、一般に人工的に設定した難解な謎を論理的に解明する小説とされている。殺人などを扱うこともあって、虚構が前提とされるのは当然のことだが、水上勉の推理小説においては、とくに作中人物に色濃く現実体験を反映したものが多いのである。佐野洋一は「推理日記」の中で、現実体験や怨念というものを作品創造の原動力とする日本型の作家と、むしろそういうものを別の形で表現する西欧型の作家の二つに分けて論じたことがあるが、水上弁は松本清張、黒岩重吾、森村誠一などとともに前者に属するといってよいように思われる。

(2)

 推理作家というものは概して自分独自の推理小説観というものを語りたがるものであるが、水上勉はこの点、少々変わっている。氏は「文学」の「日本の推理、探偵小説」という昭和36年4月の特集号に「私の立場」という短文を寄せているが、その中で外国ものではポーやルブラン、国産推理小説では江戸川乱歩や松本清張の作品くらいしか推理小説を読んでいないことを正直に告白するとともに、「霧と影」を書いて推理作家の列に加わったが、書いている作品が推理小説かどうか不安だとも述べている。
「推理小説は一行の無駄があってもならない、どんな些細な小道具も、あとで生きてこなければならないのだとするならば落第なのである。」「殺人が起きる。動機は、好みからいって社会性のあるものがいい。しかし、いくら社会性があるからといって、人間がする犯罪だから人間の背景となる社会のつなぎ目が説明されねばならない。そこでそこのところをくどくど書く」、「世の中に起きている犯罪をみてみるに、動機も犯人もわからない第一報当時の死体発見の現場ほど、胸をとどろかせるものはない……つまり読者は空想の余地があって、事件の深遠さを勝手に思って胸をときめかせている。私はこの読者心理に媚び、冒頭を大きくひろげてみせることも忘れない」。
 こういう推理小説の書き方が、「従来の探偵小説から見ると、たんに三面記事をひきのばしたようなもの」に見えるのではないかと水上勉は懸念している。しかし、この言葉はやや自虐的であって、氏の作品は推理小説的な条件を満たしているのである。
 このエッセイで、水上勉は、推理小説のトリックについてはまったく触れていないが、氏の推理小説には、独創的かどうかは別としてさまざまなトリックが使われている。たとえば、「霧と影」の中では、狂人の閉じ込められている土蔵が一つの隠し場所に使われており、「野の墓標」でも、看板塗装業と死体の隠し場所が一つの心理的なトリックになっている。総じて氏の作品には、このような隠し場所のトリックが多いように感じられるが、注目されるのは、死体を事故や災害などによって死んだ死者の中にまぎれ込ませてしまうというG・K・チェスタートン流のトリックが、「死の流域」、「飢餓海峡」で巧みに使われていることである。
 死体の隠し方のトリックには、日本では松本清張に「不法建築」、「鴎外の婢」、「眼の気流」など多くの例があるが、水上勉の例は、規模が作品全体を包み込むような雄大なもので、不自然さが少ないのが特徴である。独創的といえるのは、「巣の絵」(34年)の、犯人一味が墓参りを利用して連絡し合うというトリックで、これも人の隠れ方のトリックの一変種といえるかもしれない。
 もう一つ注目されるのは、異常な犯罪発覚の手掛かりとして、「爪」(35年)の食虫植物のミミカキグサの利用がある。推理小説のトリックの行き詰まりから、犯罪発覚の手掛かりに珍しい動植物を使う傾向が近年強まっている。たとえば、森村誠一の「雪の蛍」や日下圭介の「あじさいは知っている」などはその一例だが、「爪」の例はその先駆的なものといってよいように思われる。
 また「飢餓海峡」では、論理よりも人間的な感情から、犯人が自白するが、こういう行き方は、森村誠一の「人間の証明」にも引き継がれている。
 このように、水上勉の推理小説は、トリック的なものへの関心を決して否定していないのである。
 氏はまた、推理小説における状況設定、とくに自然描写を重視する立場に立っている。
「好みからいって、社会的な事件にまきこまれている一個の人間といったような設定に情熱を感じる。いきおい、その事件の起きた場所や、組織の実態を肉眼で見てきた上で書きたくなる。そこで、南九州に出かけたり、越前海岸に出かけたりするわけである。この目で見てきて、焼きついてはなれない地方の風景や、特殊な事情やについて作者が作品にそれを織り込むくだりは、たいていさわりとなる。純文学では不必要な部分であるが、しかし、推理小説となると、そこらあたりの文章は、ありもしない殺人事件の現実化を深めるのに役立つし、あるいは恐怖感のもりあげにも拍車をかける効果をもつのである」
 そして、こういう氏が最も、多用する自然の風景は、水のある情景とくに海、それも断崖絶壁の上から眺められる海である。「霧と影」で死体の発見される福井県若狭海岸の観音崖、「火の笛」では潜水艦が姿を現わす、同じ県の越前干飯崎の沖、「飢餓海峡」では多くの人命を飲み込んだ津軽海峡、など、水上勉の推理小説の中で海は、男の夢と冒険をかき立てる存在ではなくて、暗く死を誘う象徴的存在である。
 これは、氏の好みの反映でもあるのだろう。「山河巡礼」の中で、氏は、「越後の『親不知』を私は好きである。美しい日本の風土の中で、私はいちばん親不知が好きである」。「親不知は断崖と荒波の海しか見えない。こんなところは見て楽しむという何ものもないのだが、糸魚川を出た列車が青梅を過ぎるころから私は窓に顔を押しつけて、ただ風景だけに見入った」。「好みにもよるけれど、私がもっとも好きなのは、いまは国道の出来ている崖の上から、のぞき込むのさえ恐ろしいような嶮所である」と荒涼たる海をのぞむ断崖の風景に対する好みを告白する。
 こういう海の風景と同時に、「死の流域」や「野の墓標」に見られる川や湖のある場所を加えると、氏の推理小説には、水のある風景が実に多く、しかも、それらが推理小説の中で見事に生かされているのである。この点で、水上勉は松本清張と並ぶ自然描写の名手だと私は思う。

(3)

 水上勉は推理作家として世に出る前に、すでに私小説「フライパンの歌」(昭和23年)の作家として知られていた。このことからもうかがわれるようにもともと純文学を目指した作家である。この意味で、氏はまず詩人として出発した木々高太郎や芥川賞作家として文壇に登場してから推理小説を書き始めた松本清張と共通する所がある。ふと手にした松本清張の「点と線」に刺激を受け、初めて書いた推理小説が「霧と影」で、処女作を発表してから、11年ぶりの作品であった。
 氏が推理小説を書きながら、自分の作品が一体推理小説なのか不安を感じたり、謎解きだけでなく、「事実らしく事件を書きながら、そこに作者の人生観や、社会に対する考えを綯い混ぜにしてしてみたいと願うのである。」といったり、一方で、「推理小説が文学になる可能性について考えないわけでもないが、今のところ、そのような大それた考えを抱いているわけでもない。私に出来ることは、犯罪にかかわった人間とそれを惹起させた社会の犯罪と、独自な人間像の創造が果たされれば文学になると思うのであるが、いまのところ、そのような大犯罪の創造はがらにもないと心得ている。こちこちと歩むしかないのである。」(「私の立場」)と語るのも、氏の強い文学志向を物語るものといえるだろう。
 こういう氏が推理小説の中で、今日われわれの心に強い印象を与える作品が、「霧と影」、「雁の寺」、「飢餓海峡」など、氏の私小説的体験を虚構化したものに多く見出せるということは、やはり、氏の推理小説が謎解きや社会的な告発よりも、氏の内面の劇により多くのものを依存しているということを意味しているのではなかろうか。
「海の牙」の水俣病告発も、「火の笛」の外国情報機関の黒い影も意匠としては面白いが、「霧と影」や「雁の寺」や「飢餓海峡」の犯人たちのあの激しい魂の叫びに比べるといささか迫力を欠いているといわざるを得ないのである。
 注目すべきは、「霧と影」の宇田甚平も、「雁の寺」の慈念も、「飢餓海峡」の樽見高一郎も、ついに権力の手で罰せられることなく終わる点である。かれらは、自らの罪を自ら背負って生きる人間である。かれらは貧しい逆境の下に精一杯生きようとしてついに悪を犯さざるを得なかった人間であり、それゆえに、ユーゴーが「レ・ミゼラブル」で描いたジャン・バルジャンに近い悲劇に見舞われるのである。
「飢餓海峡」の樽見京一郎は、立派に企業家として成功し、形余者更生事業施設に多額の寄付をしたことによって、新聞に報道され、自ら破滅してしまう。世に知られることによって、犯人が墓穴を掘るという設定は、松本清張の「顔」にもあるものであるが、「飢餓海峡」の樽見京一郎は、どうしても寄付をしなければならないという心を抑えることができなかった点において、まったく「顔」と性格を異にする。
「霧と影」や「飢餓海峡」などの作品において、悪を凝視する探偵役の執拗さも指摘しておかなければならないだろう。「飢餓海峡」の函館署の警部補弓坂吉太郎は、犯人を逮捕するとき、すでに現職を離れ、剣道指南をする老人であった。かれは、「あの男の口から、ひとこと悪かったという人間の声がききたい」ばっかりに犯人逮捕の情熱を燃やして来たのだった。捜査官と犯人の対決が、単に権力側による犯人の論理的屈服でなく犯人の人間としての目ざめを求めるというヒューマンな結末になっている所にこの「飢餓海峡」の新しさがあるのである。
 水上勉の文学的な志向を考える上で、氏の母なるものへの憧れについて触れる必要があるかもしれない。「家出することは家を捨てることである。父母を捨てることである。11歳の得度式の際に、私は山盛松庵師からこのように得度の意義を教わったが、父を捨てることはまあ出来たように思うが改札口でペコリと私に向かって、卑屈なお世辞を一つした母へつのる情は、捨てるわけにゆかなかった。左様、私はずぶぬれの手拭と、蓑にくるまって、それから母が、どのような思いで、本郷から岡田部落への雪道を帰っていったかを思うと、捨てられるどころか、いつかこの母を安楽な椅子にすわらせてやりたいと願った。私の出家は、つまり母を抱き直す出発であった」と水上勉は「わが六道の闇夜」で母親への愛しさを語っているが、氏の推理小説とそれ以外の作品に登場する女性の多くは、母性的な存在である。「飢餓海峡」の和尚の情婦桐原里子などがそうである。「越前竹人形」は推理小説ではないが、この中で主人公の喜助は、玉枝という情婦に「うちイきてわいのお母さんになってくれやす、玉枝はん」という。まさに母性への憧れの極致だが、「飢餓海峡」にしても「雁の寺」にしろ、主人公とこれらの母性的な女性との関係は、通常の男と女の肉体関係ではなく、何か暗いものが漂っている。
 どうも水上勉の描く女性には、明るく水々しく陽性の性というものが乏しいように思える。同じように社会の底辺に生きる人々を凝視する黒岩重吾と水上勉とは、この性の扱いにおいて鮮かな対極をなしている。水上勉の小説にはほとんどベッドシーンがなく、性描写は必要最低限に抑制されているのだ。
 このような傾向は、思うに氏の母性的なものへの憧れ、性関係のない男女の愛への渇望と決して無縁でないのであって、「越前竹人形」などの秀作が、男と女が寝ないことを純粋な愛の条件として描いている所にもそれは現れている。
 忍ぶ恋こそ恋の極致とは、山本常朝の「葉隠」の中の考え方だが、このような発想は、九鬼周造の「いきの構造」の中にも見出すことができる。この母性的なるものへの憧れという点で、水上勉の世界はまさに日本的なものへと融合するのである。
 そして、卑俗な性描写のはんらんする安易な風俗小説の中で、水上勉の推理小説やその他の小説が、ふしぎな新鮮さを感じさせるのも、実は寝ることを拒否する反時代的なプラトニズムにあるとも思えるのである。

(4)

 水上勉は推理小説の中で、弱者への愛を語った。それは同時に、弱い者が強く生きなければならない時に直面せざるを得ない悲劇の容認であり、悲劇的な宿命に支配される犯人への愛のレクイエムであり、鎮魂曲でもあった。
「飢餓海峡」について作者は、「冒頭近くで犯人がわかっているような推理小説はない。とすると、その方は落第だし、それでは何小説かといわれれば、作者もこたえようがない」と自らこの小説の推理小説としての特異性を認める発言を行っている。
 しかし、冒頭近くで犯人がわかっている推理小説は決して絶無ではない。たとえば、ジョルジュ・シムノンの「男の首」は天才犯罪者ラディックの肖像を見事に描いた秀作である。推理小説が犯人当て的興味から次第に動機の解明に移るにつれて、犯罪の謎よりも犯罪者の肖像を描き出すことに力点を置く犯罪小説的な傾向が欧米においても次第に強くなって来ているのである。ローレンス・サンダーズの「第一の大罪」には、販売管理をコンピューター化した功績を買われて出版社の重役になった孤独な男が連続殺人を犯す姿を見事に描いているが、こういう傾向をジュリアン・シモンズは探偵小説の犯罪小説化の傾向としてとらえている。
 このような観点に立てば、氏の「飢餓海峡」もまた犯罪小説の秀作として位置づけることはじゅうぶんに可能なはずである。
 デュレンマットは自分の「約束」という作品の副題を「本格推理小説への鎮魂曲」と題したが、水上勉が弱者へのレクイエムを歌い上げた「飢餓海峡」は、同時に氏の推理小説への鎮魂曲であったともいえよう。氏はこの作品を境に推理小説から離れ、より純日本的な世界に弁証法的に回帰することになるのである。「五番町夕霧楼」(37年)、「越後つついし親不知」(同)、「越前竹人形」(38年)などの好短編を経て、異端の禅師一休の肖像を追及し、谷崎潤一郎賞を受賞した長編評伝「一休」にいたる氏の多彩な文学的軌跡は、処女作の「フライパンの歌」(23年)の世界と比べものにならないくらい幅も厚味をも増している。
 いずれにしても、社会派といわれた氏は、どのような社会的事件から作品の着想を得ても、自らの内面の追及から目をそらすことのできない文学派であった。そして、推理小説の形式によってそういう文学的探究が不可能であるとさとったとき、氏はいさぎよく推理小説を放棄した。事件の内幕をつぎはぎして社会派推理小説と銘打つような亜流と松本清張や水上勉などの真の社会派との違いはまさにここにあるのである。
 虐げられた者への共感と権力に対する反感という大きな共通項を持ちながら、水上勉は「点と線」「ゼロの焦点」「時間の習俗」などの本格推理小説を書いた松本清張のように、謎解きの面白さに大きな魅力を感じる人間ではなかった。パズル的興味よりも、むしろ、飼っていた女郎蜘蛛を溺愛する一方、他の蜘蛛は見たら殺してしまうあの孤独な少年に巣食う不条理で残酷な衝動に氏の関心は向けられていたといえよう。
 推理小説は文学たり得るかという問題は、推理小説史においても、甲賀三郎と木々高太郎との間の論争以来、古くして新しい問いであるが、この意味で、水上勉の推理小説はきわめて貴重な実験であった。氏の推理小説は、すべて推理小説という形式を取りながら、いかに文学的な主題に肉薄できるかという問題意識に貫かれているからである。そしてこの実験の極限値こそ、「雁の寺」と「飢餓海峡」にほかならないのである。

初出 「別冊新評『水上勉の世界』」昭和53年7月


[インデックス] > [ミステリー] > [ミステリー評論・作家論(3)]
ミステリー評論・作家論 [] [] [3] [] []