植草甚一論──前衛的な水先案内人 ミステリー評論(5)
植草甚一は芸術文学におけるしたたかな快楽主義者であり、精神的な世界のぜいたくな美食家であった。だから、いささかストイックで求道的な私小説的伝統に立つ日本の純文学にはほとんど関心を持っていないように思える。また、同じように余りにも芸術的で窮屈なクラシック音楽にも余り食指を動かした気配がない。
散歩と雑学が好きと自ら告白している氏が好奇心を燃やした関心領域は、絵画、漫画、写真、映画、ジャズ、文学、推理小説と恐ろしく幅広いが、あえていえば、楽しませるもの、エンターテインするものをひたすら求め続けたのだといえないこともない。そして、精神的な意味で、あるきは美的な意味で楽しませてくれるものでありさえすれば、氏はあらゆる既成の固定観念を捨ててそこに没入しようとする。
楽しませるもの、エンターテインするものということを日本的にいいかえれば、味のあるものとでもいおうか。芸術文学の世界での美味礼讃、これが植草甚一のすべてである。
その意味で、氏がコラージュやデペイズマンなどシュールレアリズムの影響を受け、自らユニークなイラストや絵画の実験的な試みを行っていることはまことに興味深い。なぜなら超現実主義者のサルバドール・ダリこそ、食欲をそそる絵画的形態、芸術の可食的形態を重視した人間だからである。
しかし、現実の美食家には二つのタイプがあり、丸谷才一の「食通しったかぶり」のようにひたすら一流の料亭、最高のレストランの選び抜かれた献立に舌鼓を打つ人もいれば、壇一雄の「美味放浪記」のように、裏通りの得体の知れない焼鳥屋であろうと、薄汚れたスペインの居酒屋であろうと、そこに飛び込んで、とにかく、自分の舌で新しい味を発見することに喜びを感じる人もいるのだ。
そして、芸術文学の世界における新しい味をひたすら探究し続けた植草甚一は、後者に属する人間なのである。確か壇一雄の「火宅の人」の中には、自分で料理するため壇一雄が魚を買いに行くいきつけの魚屋のかみさんが、日中ぶらぶらしている氏をヤクザと思い込み、外国に行って来たというのを聞いて刑務所に入っていたと勘違いするくだりがあったような気がするが、私はそんな気どらない氏に好感を抱いたものである。その点植草甚一も、現実の料理屋については知らないが、面白い小説、楽しい映画、愉快なジャズということになると、ミシュラン流の権威ある採点などはものともせず、なりふりかまわず、面白そうな店に飛び込んで味わってみる冒険精神にあふれている。
要するに、植草甚一は窮屈なことがきらいなのだ。権威というものを信用していないのだ。植草甚一の評論集「ぼくは散歩と雑学がすき」の冒頭に「5角形のスクエアであふれた大都会」というエッセイが置かれている。
5角形のスクエアとは、氏によればチェスター・ハイムズが「ピンク・トウ」の中で使った言葉で、「ハーレムで使われているスクエアという言葉には、横にされた者、エスコートなしの女、どこにでもいる男、すぐカモられる奴、といった言葉がある。俗にいうバカ、キジルシ、ウスノロ、トンマだ。5角形のスクエアというのは、あまりにスクエアなので4角が5角になった、つまりスクエアのうえをいくスクエアを指す」のである。
つまり、5角形のスクエアとは、俗物中の俗物、野暮天中の野暮天を指すのだが、これくらい植草甚一と対照的なものはない。スクエアの反対はヒップだが、植草甚一はまさにヒップなのだ。昼はスクエア、夜はヒップというような二つの世界を行き来することしかできない。いわゆるスウィンガーの私が少々うらやましくなるくらい、植草甚一はヒップなのだ。
だから、最高の芸術、一流の文学といった権威や通説を無視している。植草甚一の最初の本格的な美的探究が映画の世界であったことは注目して置いてよいだろう。映画は当初高尚な芸術ではなく娯楽であった。そして、氏が後年深い関心を抱くにいたるジャズもまた、そういう差別的な扱いを芸術の世界で受けて来たのだ。
そういう世俗的な意味で権威が確立されていない新しいジャンルに強い興味をかき立てられるのは、氏の反権威、反俗主義の現れであるともいえるが、それらの持つエンタテインメント性に強くひかれる人間でもあるからに違いない。
さて、海外ミステリー紹介者としての植草甚一を論じるはずが、ずいぶん遠回りしてしまったが、エンターテインメントとしての推理小説を取り上げる氏の姿勢もまた、他のジャンルを扱う行き方とまったく同様なのだから、どうしても回り道が必要だったのだ。
氏は、「フラグランテ・デクリト」という、「宝石」に連載したエッセイの冒頭で、次のように述べている。
「これからしばらく、すこし頑張って、イギリスやアメリカやフランスあたりの新しい推理小説を、それもなるべく新人に中心を置きながら、ある一つの目的をもって読んでいこうと考えている。その目的というのは、机のまわりに雑然と積みかさなっている推理小説のなかから、二日三日に1冊は読んでいって、そのなかからもし誰かが訳したら読者がよろこびそうな作品を、まず30冊さがしだしてみようということなのである。
いままで外国の推理小説は、ネーム・ヴァリューがものをいい、いかにセレクトするかは、第二義的になってしまう傾向があった。これはネーム・ヴァリューのない外国の新人を無視する傾向になっていく。けれどもなんといっても面白いのは、名前が知られていない新人の独創性にぶつかったときである。翻訳するほうでも、そうした作家の紹介が本来の義務だとおもうのだが、みまわしたところ、最近はルーティン・ワークにばかり追いまくられ、そうした情熱なんか失ってしまったように見うけられる。もちろん相変わらずよく読んでいるなとおもって感心する研究家もいくにんか友人にいるけれど、むかしのように刺激をあたえられる人がいなくなってしまったのは情けない」。
すなわち植草甚一は、権威の確立した一流レストランの最高の料理などはおいしくて当たり前であり、味覚の新しい冒険などあり得ない、というわけで、人の知らない店をのぞこうと考えるのである。こうなると頼りになるのは自分の鋭敏な味覚と、既成の評価に捉われない情報のアンテナだけである。
未開民族の味覚を探究した西丸震哉の「さらば文明人」によれば、味覚は文明のパロメーターであって、人食い人種はごく単純な味覚しか区別できないという。また、人間の味覚は絶えず訓練していないと退化するし、歳をとると衰えるともいう。
その点、植草甚一は、絶えず好奇心を持ち続け、死ぬまで若者の新鮮な芸術的感受性を持ち得た稀有の人であった。定評のある一流の店の最高の料理をほめるのはだれでもできるスクエアの仕事だが、評価の定まらない新人の優れた献立を発見するとなると、どうしても、永遠の若さを身につけなければならない。ヒップ的でなければならない。
普通、海外推理小説を読む目安になる書評欄といえば、ニューヨーク・タイムズ・ブック・レヴューが最も有名である。この週1回の書評欄も1968年に評論家のアントニー・バウチャーが死んで、ニューゲート・カレンダーというペンネームで書誌学者のアレン・J・ヒュービンに引き継がれてからどうも精彩がなくなって来た。バウチャーは気に入った作品は手放しで礼讃するし、新人発掘の名人でもあった。H・H・ホームズ名義で密室ものを自ら執筆した本格派の作家でもあったが、ロス・マクドナルドなどのハードボイルド派の可能性も早くから認めた人であった。植草甚一も、この欄に注目した一人だが、「週によってイギリスとアメリカの一級作品が二つならぶと、かならずアメリカ作家のほうを高く値ぶみする癖があり、実際に読んでくらべてみると逆ではないかと思うことがよくあるので、ぼくはこの批評家があまりすきでないが、あたらしい試みにたいしては、いつも敏感であって『ウェンセスラスの夜』にたいする短評でも、このスリラーがオフ・ビート・スパイ・スリラーのはしりだから面白いといっているのを読んだときは、そうだ、そのとおりだと同感し、まんざらバウチャーも捨てたもんではないと思った。こう書くと、いかにも生意気ないいかたに聞こえるだろうが、10年くらい、おりにつけ彼の批評に目をとうしていると、気持ちがわるくなるくらいマンネリズムが気になってくるのである」と的確な批評を加えている。
いかにも余りに権威の確立されたものをきらう植草甚一らしい見方だが、そういう視点から氏は、従来の海外推理小説通の江戸川乱歩などとは比較にならないほど広範な情報アンテナを張りめぐらそうとするのである。
気がついたものを挙げて見ると、ガーディアン紙のフランシス。アイルズの担当する書評欄、ニューズウィーク、ヴォーグ、アール、ニューヨーカー、ホリデイ、サタデー・レヴューなど英米仏にわたるまことに多彩な新聞、雑誌の書評欄に目を通していることがよくわかるのである。
戦前の海外推理小説といえば井上良夫、江戸川乱歩がその代表だろうが、いずれも語学力の問題もあって、英米のアングロサクソンの伝統的な推理小説偏重の傾きがあった。つまり、なぞ解きの本格もの重視の傾向である。これに対し、植草甚一は、むしろ推理小説のなぞ解きやサスペンスと同じように、その小説的魅力、個性的な味わいをきわめて重く見る立場に立っている。これは、イヴァン・T・ロスの「女子高生への鎮魂曲」の日本における低い評価に失望した氏が、「このときぼくは日本の読者の推理小説にたいする興味のいだきかたが、外国ものの新刊紹介にあたっている推理小説ファンもひっくるめて、あいかあらずトリックにひっかかっているのではないかと思われてガッカリしたのである。それよりも心配になったのは、こういう読みかたをしていると、これからさきの外国推理小説の動きにたいして、ただしい判断がくだせなくなり、ますます鈍感になってしまうんじゃないか、ということだ」と語っていることからも明らかだろう。
かつて、私は、推理小説のなぞ解きの面白さと同じようにその小説的な魅力を尊重すべきだという主張を「宿命の美学」の中の「推理小説の剰余定理」というまことに舌足らずな評論で述べたことがある。そして、この文章の真意を最もよく理解してくれたのは植草甚一ではなかったかと思う。
そして、こういう氏の傾向は、近年ますます強まったようであって、「ちいさな教室で10回もやった探偵小説の歴史の講義」(1975年)の中で、述べている次のような文章からもその一端をうかがうことができよう。
「推理小説の黄金時代は1920年から1930年までで、それ以降は『推理小説のための推理小説』というふうに回顧してもいいくらい技巧的に行きづまってしまった。その原因は人間性を無視して推理小説が育ってきたからである。いっぽうスパイ小説全盛期となり、それにハイジャック小説が加わり、スリラーがこれから起こりそうな出来事を先取りしなければベストセラーになる可能性はないような状況になってきた。そんなとき推理小説で面白いなと思うのは人間がよく描けている作品になってきた。そういうのをぼくは『解放された推理小説』と呼びたくなったのである」。
この「解放された推理小説」の実例が、J・P・マンシェットの「狼が来た、城へ逃げろ」やジルベール・タニジュの「赤い運河」となると、私としては必ずしも全面的に同意するわけには行かないが、現代推理小説が普通の小説と重なり合う傾向を示していることは、欧米の最近の流れを見れば自ずと明らかである。「推理小説と小説の領域が互いに広がって、今や客観的な相違というより、個人的見解の問題になっている」と、ヒラリー・ウォーは「推理小説と小説」という評論で指摘し、改めて推理小説の特質を列挙しているが、推理小説とは何かを改めて問い直す必要が出て来たこと自体、推理小説と他の小説との境界線があいまいになりつつあることを物語っているともいえよう。
さて、植草甚一は、「絶対にこの3冊」という短文で、「ぼくは推理小説ファンとして、すこし癖がありすぎる、とみんなからいわれ、じぶんでもみとめているのですが、たとえば何がすきだったかといわれると、さっきから考えていたのですが、ウィリアム・モール作『ハマースミスのうじ虫』(クライム・クラブ)とマイケル・ギルバート作『開け胡麻!』(創元推理文庫)とJ・M・スコットの『人魚とビスケット』(大ロマン全集)ということになり、みんなイギリス作家になってきます。アメリカ作家は器用なほど、あとで忘れてしまい、推理小説は読んでいるときが楽しく、あとで忘れてしまうが、娯楽としての目的にそうことにもなるのですが、やっぱりオリジナリティがある作品になると、ふしぎに忘れることができなくなるのです」と語っている。
作品を読めばわかるとおり、いずれも渋い作品で、ちょっと意表をつかれる感があるが、こういう独特の好みがまた植草甚一の魅力でもあるのである。
植草甚一の海外ミステリーの紹介者としての功績の中で忘れてならないのは、このように既成の固定観念にとらわれない新鮮な目で新人を発掘しようと試みたこと、なかでも、従来、空白だったフランスの推理小説の分野で、ボワロー・ナルスジャック、カトリーヌ・アルレー、セバスチャン・ジャブリゾ、ノエル・カレフなど新鮮な個性の漂う作品を次々と紹介したことである。
推理小説はもともとアングロサクソンの文学的伝統の上に開花したジャンルだが、フランスにおいてもエミール・ガボリオ、ガストン・ルルー、モーリス・ルブランなどの手で注目すべき先駆的な試みがなされていたことはよく知られている。ところが、どうしたものか、米国では、フランスの現代推理小説を軽視する傾向が見られる。反対に英国では評価されているのである。米国の悪い例を挙げよう。
たとえば、アメリカ探偵作家クラブ賞を受賞した、クリス・シュタインブルナーとオットー・ペンツラー共著の「ミステリー百科事典」(1976年)には、スウェーデンのおしどり作家マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールーは載っているが、フランスの現代作家の中で最も有名なボワロー・ナルスジャックやセバスチャン・ジャプリゾ、さらにはカトリーヌ・アルレーなどは完全に無視されているのである。
先ごろ来日したエラリー・クイーンにこの点を聞いて見たところ、「あれは不備な本で、百科事典という表題が悪い」という答えが返ってきた。
国民性というか、好みといおうか、それぞれの国の人間の好みに合わない推理小説というのは確かにあるので、日本ではある程度固定ファンのいるF・W・クロフツなどはアメリカではほとんど評価されていないし、江戸川乱歩をはじめ高く評価しているイーデン・フィルポッツの推理小説などは、英国本国では忘れられているらしい。
とにかく、そんなわけで、日本でも現代フランス推理小説は、植草仁甚一が、東京創元社のクライム・クラブや現代推理小説全集という「各国における推理作家の新人発掘」を目指したユニークな全集で、カトリーヌ・アルレーの「藁の女」、ノエル・カレフの「死刑台のエレベーター」、フレッド・カサックの「殺人交叉点」などが紹介されるまでほとんど陽の当たらない分野だったのである。とくにアルレーと、「シンデレラの罠」などの秀作で知られるセバスチャン・ジャプリゾなどを発掘した氏の鋭い鑑賞眼は高く評価されてよいように思われる。
私は、植草甚一が推理小説のなぞ解き的要素と同時にその作家の個性的な味を重視する人だと述べたが、このことは、氏の作品紹介に独特の魅力を漂わせることになった。ここでいう作家の個性味とは、場面転換の巧みさ、文体、人間の描き方にかかわるもので、それ自体は作品を丹念に読まないと味わえないものである。
リンゴの味を科学的に分析して、どういう化学成分からなっているかを知ることは可能だが、その味を本当に知るためにはどうしてリンゴそのものを食べて味あわなくてはならない。けだし、ヘーゲルが「大論理学」の中で述べているように、「分析的認識もまた事物を変えるものであり、そして事物をあるがままにとらえようとする認識はその際自己矛盾におちいってしまう」からである。
その矛盾を解決するため、植草甚一は、作品紹介にあたって、冒頭の文章をそのまま引用したり、かなり長い要約を揚げたり苦心している。フランシス・ディドロの「七人の陪審員」の内容を紹介しながら、「こんな調子でアウトラインを書いていっても、まだ先はながいし、なんとかして要領よく、ディドロという作家の味をつたえなければならないと考え、ぼくはグレゴワールとおなじように窮地においやられるだけである。推理小説の内容紹介は、なんと厄介なことか」と愚痴をこぼす氏の言葉には実感がこもっている。
一般に、解説とか紹介とかいうものは、相手の作品に従属するものだけに、独自の評論より軽視されがちである。けれども、良い解説、優れた紹介をするのは、下手な独善的な評論を書くよりも困難なことなのである。
これまでは紹介について主として触れてきたが、解説についていうと、クライム・クラブや現代推理小説全集の氏の解説はきわめて水準の高いものである。中でも、「パトリック・クェンティンの素晴らしい進歩」という解説は実に優れていると思う。「愚者パズル」というクェンティンの記憶喪失を扱った作品をマージェリイ・アリンガムの「売国奴の財布」、「デイヴィッド・グーディスの「黄昏」などにいたる同じ要素を取り入れた一群の推理小説の先駆的な作品として位置づける博識ぶりもさることながら、クェンティンの作品を実に丹念に読んで的確に評価する氏の目の確かさと良心的な仕事ぶりには脱帽のほかない。
良心的な仕事ぶりといったのはこんなに原書をたくさん買って時間をかけて読んでいたのでは金銭的にはまったく採算が取れないからである。
海外の推理作家の場合、作品についての書誌学的な資料および経歴などにしても、どうしても不明なことがある。のみならず、それがわかったとして今度は本をそろえることがきわめて困難な場合が多いのである。
著作目録、著者の経歴等は、全集を出す場合には出版社から照会しているはずだからある程度の資料を整えることは可能だとしても、それを系統立てて読んで解説することはきわめて時間と根気の要る仕事なのである。
「パトリック・クェンティンの素晴しい進歩」には、そういう難関を乗り越えた見事な達成がある。近ごろちまたにはんらんしている文庫の安易な解説とはまったく質の違う優れた内容であることは、先に触れた、ミステリー百科事典のクェンティンの頃と比較するだけで一目瞭然である。今から23年前に書かれたのちにもっとも古びていないだけでなく内容の質の高さがまるで違うのである。
思うに1950年代の半ばから1960年代の前半にかけて書かれた氏の紹介と解説こそ、氏の最良の資質の結晶したものといってよいように思われる。
とにかく、芸術、文学の快楽主義者である氏は、たかが推理小説などとはいわずに、いやむしろ一夜のエンターテインメントであればこそ、うまいものを必死に探す美食家と同じ情熱をもっと熱心に新しい作家の刺激的な作品を探し求めて歩いたのであった。快楽主義者の常として、思想とう重たい上着はきれいさっぱり投げ捨ててしまっていたが、美的快楽を追求する氏の姿勢には、真のエピキュリアンに感じられるある種の真摯さが秘められている。
確かに氏は、海外ミステリーの優れて前衛的な水先案内人であった。次々とこの分野にも新人が育って来つつあるが、氏を失った空白はここ当分の間埋められそうもない。
初出 『植草甚一スクラップ・ブック 別巻 植草甚一の研究』晶文社、1980年3月 |