あの世は存在する 東大救命医のインタビュー
人は死なない
東大病院 救急部・集中治療部部長 矢作 直樹医師(57)
「肉体はもちろん滅んでも、我々の本当の体というか、魂はずっと続くので、そういう意味では、人は死なない。」
人は死なない。そう語るのは、東大病院で救急チームを率いる、矢作直樹医師、57歳。
山本晋也
人は、死んだらどこへ行くんですか。
ここ、でしょうね。
なんですか、ここ、って。
山本晋也の人間一滴。現役医師が語る、命の不思議。“人は死なない”。そのメッセージに込められた思いとは。
東京 文京区 東大病院
どうもどうも、山本晋也です。
矢作と申します。
「人は死なない」 |
東大病院、救急部・集中治療部部長、矢作直樹氏。2年前に発表した著書が口コミで広がり、いま、大きな話題となっている。そのタイトルは、「人は死なない」。
山本晋也「人は死なない、と言い切っているわけですよ。どうするんですか。」
矢作直樹医師「肉体は滅んでも、我々の本当の体、魂はずっと続くので。魂として見ると永続するので、そういう意味で“人は死なない”と。」
「人は死なない」から
「――古代から日本人は、人は死ぬとその霊は肉体から離れてあの世へ行くと考えていました。昔の日本人はみな、直感的に『人の死後の存続』を信じていたのだと思います。」
山本晋也「東大という白い巨塔、この巨塔のなかで、反応はどうですか?」
矢作直樹医師「無視する人と、それから『よく言った』という人と、それから、あとは『よく言ったですね』という人と二通り。無視というのは悪い意味じゃなくて、会っても触れないんです。」
山本晋也「私は正直に言うと悪い意味だと思いますよ。」
矢作直樹医師「あはは…」
山本晋也「『よく言ってくれた』という声のなかに、深いものがありますね。」
矢作直樹医師「そうですね。結構、若い人から、私くらいの年齢まで、そういうことを経験している人っているんですよね。医療従事者だと。はい。」
科学に基づいた、最先端医療に携わる医師でありながら、魂や死後の世界の存在を肯定する矢作医師。数多くの死の現場に立ち会うなかで生まれた、独自の死生観に、いま、注目が集まっている。
山本晋也「医療の現場で、“死後の世界はあるんだろうなぁ”とか、魂の存在みたいなことを感じる…っていうようなことは、どんなときに?」
矢作直樹医師「まあ…あの、理屈ではなくてですね、感覚なんですよね。はい。『あ、いるな』っていうような感じで…。
たとえば、もう、がんで、末期です、もう助かりませんていう人が最後亡くなるときですね。あるいは亡くなる直前ぐらいにですね、こう…はっと驚いたような顔をするんですよ。それが、“お迎え現象”って言われてるもの…なんですけども。」
山本晋也「微笑まれるかたもいるんですか?」
矢作直樹医師「顔がゆるむという言い方のほうが、正確かもしれません。いわゆる、それまでこう、苦しそうな顔していたのが、急にこう…きれいなお顔になるっていうか、まだ生きているんですけれども。たぶん、おそらくお迎えに来られた人と、お話しでもされてるんじゃないかと思うんですけどもね。」
東大大学院 医学系研究科 教授 |
2001年に、東大病院の救急部、集中治療部部長に就任した、矢作直樹医師。東大大学院では、教授を務め、救急医療の進歩に情熱を注ぐ。
365日身を置く医療現場
矢作医師の教授室は、本の山で埋め尽くされている。
山本晋也「先生は、ここで過ごされるのは、どのくらい?」
矢作直樹医師「この後ろに寝床がありますので。一応、ずっとです。日々、起きて、仕事ができて、飯が食えて、寝られれば十分です。」
独身の矢作医師は、365日、救急医療の現場に身を置く。人の生死を見つめ続けるなか、日本人の死に対する意識は、年々薄れていると感じている。
矢作直樹医師「最近、昔と違ってだんだん核家族化になって、人の死ってことに立ち会わない人が多くなりましたでしょ。そうすると、病院で身内のかたを亡くされて、昔だったらこんなに嘆き悲しまないのにな、という人が増えてきたような気がするんですね。
いわゆる、“死ぬ”っていうことを、理解してほしいんですけど、病院に入ってくるとですね、“死なない”と思っていらっしゃるご家族が結構いらっしゃるんですよ。」
医療は決して万能ではない。むしろ、不確実なことだらけだという。
山本晋也「日本の医療で、ICUってすごい医療の力を持ったところでしょ?」
矢作直樹医師「もうだから、我々から見たら、わからないことだらけですよね。わかんないわかんないつってると、みんな不安になっちゃうから、わかったような顔をしてやっているだけですもんね。
だから、逆に言うとですね、わからないので、一生懸命やらないといけない、ということなんですよ。我々にしては。」
不思議な体験~医療への思い
人間の力は微々たるもの。矢作医師には、そう思わざるを得ない、不思議な体験があるという。単独での登山に熱中していた大学生のころ、冬の北アルプスで、急斜面から滑落。命からがら、下山したときのことだった。
矢作直樹医師「吹雪だから、こう、ヒューって風の音だけが、聞こえていたんですけれど、そしたらまあ、(山を)こう、眺めていたら頭のなかで突然こう、“もう来るな”、っていうような、大きな音が聞こえてですね。最初それ、こだまかなと思ったんですね。」
山本晋也「“もう来るな”ですか?」
矢作直樹医師「そうですね。はい。あれっ、何をやっていたんだろう自分は、って思って、普段感じている、あるいは見ている世界とは違う世界があるんだなと。他のほうでちゃんとやりなさい、というメッセージなのかなと。」
北アルプスの麓で聞いた、不思議な声。それ以来、医療の仕事に没頭するようになった矢作医師。
山本晋也「医療の役割というのは、何だと思います?」
矢作直樹医師「そうですね…。まあ…、寿命を全うすることをお手伝いするくらいでしょうかね。もちろん、できることには限りがあるのですが、まあ多少…そういうお手伝いをしているのではないかな、という気がします。はい。」
重なり合う形のない世界
医療現場で垣間見る、命の不思議、そして、あの世にはせる思い。医師として、非科学的なことを語ることに、ためらいはないのだろうか。
山本晋也「科学で解明できないことを語る、というのはどうなんですか?」
矢作直樹医師「たぶん科学にはなっていないけれど、科学の入り口ですよね。当然電気とかは目に見えないわけですけれど、科学になったわけですよね。
それと、もう一つはですね、たとえば、『私は誰それが好きです』というときに、科学的に証明できませんよね。嘘ついてるかもしれないし。はい。だから、科学なんてのは、一つの方便でしかないと思うんですよ。
山本晋也「人は死んだら、どこへ行くんですか?」
矢作直樹医師「ここ、でしょうね。」
山本晋也「なんですか、ここって。」
矢作直樹医師「つまり、亡くなっても世界は重なっていて、形のない世界というのは、どこにあってもいいので。距離的な言い方が正確かどうかはわからないけれども、ここにあると。」
山本晋也「そばにいると考えていいわけだ。」
矢作直樹医師「だから昔の人が言ってた“里山で見ていますよ”って調子なんだと思いますけれどね。」
よりよい次の人生
東大病院で、救急チームを率いる矢作直樹医師。24時間、人の生死と魂に向き合う医師に、山本晋也は、こんな質問を投げかけた。
山本晋也「先生にとって、死とはなんですか?」
矢作直樹医師「お疲れさま、という、とりあえずの、この世でのゴールだと思ってますけど。たとえば、マラソンをするとしますよね。ゴールのないマラソンだったら、大変ですよね。」
山本晋也「ゴールがあるから…。」
矢作直樹医師「やっていられる。
普通に生きていれば、ここよりももっといいところに行けるので、必ず、よい人生が送れた後には、より良い次の人生が待っている。そういうふうに、思えます。」
山本晋也「なんか、おばあちゃんの霊と話しているような気がしてきた…。」
矢作直樹医師「はっはは。」