死後の世界と魂はあるのか

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死んだらどうなるのか 立花隆

イントロダクション

カナダ サドベリー
立花 隆さん

人類永遠の謎に迫る旅が始まりました。立花隆さん、74歳。哲学、宗教から脳科学まで。さまざまな分野を、自ら取材してきた作家です。

ローレンシャン大学
神経科学研究室

この日、頭に被ったのは、磁気で脳を刺激するヘルメット。人が死ぬ時に見るという風景を、疑似体験しようとしていました。

「どういう感じでしたか?」「悪くありませんでした。」

立花さんが挑んでいる謎。それは、人の心。魂や、意識とも呼ばれてきたものです。私たちの心は、どのようにして生まれるのか。死んだら、どうなるのか。これまで科学者たちは、心のメカニズムについて、脳波から遺伝子に至るまで、さまざまな手法を駆使して探ってきました。しかし、膨大な研究をもってしても、脳と心の詳しい関係について、解明できませんでした。

立花さんが、この謎を解く大きな鍵だと考えているのが、臨死体験です。心停止などで脳が活動しなくなったと思われる人たちが見るという、不思議な現象です。

臨死体験者

「そのとき、私の心は体を抜け出し、手術室の上のほうへと上がっていきました。」

臨死体験者

「私は神秘的な存在に導かれ、宇宙のような空間に行きました。そこで突然、光に包まれたのです。」

心が体を抜け出し、光輝く美しい世界にたどり着くという体験。心は、死んでも存在し続ける特別なものだと、体験をした人の多くが考えています。

しかし、いま、この不思議な現象を脳の働きで解き明かそうという研究が、急速に進んでいます。

「心が体を抜け出すように感じるのは、自分の体を認識する脳内の仕組みが、働かなくなるためかもしれません。実際に宙に体が浮いているのではなく、脳内の記憶や、夢のようなものなのです。」

さらに、いま科学は、心が脳に生まれる仕組みを、明らかにしつつあります。動物や機械にも、心が存在し得るという、最新の研究も現れています。

脳科学者

「将来、心を持ったコンピューターが作れるでしょう。心を作るために、もはや、魔法のようなものは必要ないのです。」

立花 隆

(立花隆)「人間の心の問題っていうのは、かつては、脳科学では扱えない世界だと思われていた。で、それがどんどんどんどん、そこを研究する人たちが増えてきて、心の世界というのは基本的にどういうものなのかという見方が、非常に大きく展開し出した。」

人の心は、死ぬときどうなるのか。臨死体験を解き明かし、人の心の謎に迫ろうとする、立花さん。その思索の記録です。

“死の時 私たちの心に 何が起きるのか”

“心とは何か”

“人間とは何か”

――臨死体験 立花隆 思索ドキュメント
死ぬとき心はどうなるのか――

第1章 臨死体験の謎

(立花隆)「立花隆です。人の心は、どこから生まれるのでしょうか。そして人が死ぬとき、人の心はどうなるのでしょうか。いま、私は74歳です。そう遠くないうちに、死を迎えるに違いありません。私が死ぬとき、自分の心に何が起きるのか。そこを知りたいと思いました。」

私はかつて、臨死体験について、長い取材をしたことがあります。今回、臨死体験がその手掛かりとなるに違いないと思い、改めてその現状を取材することにしました。

国際臨死体験学会 アメリカ シアトル

36年前に結成された、国際臨死体験学会。この日の会議に、研究者や臨死体験をした人などが、各地から集まりました。いま、心停止から蘇生した人の5人に一人は、臨死体験をしているともいわれます。

臨死体験者

「私は自分の体を離れて、浮き上がるのを感じました。そして、天井の隅に行き、ぐったりした自分の体を上から見下ろしたのです。」

臨死体験は、心停止や深刻な昏睡状態で、脳が全く働いていないと思われるときにする体験です。臨死体験者の証言によれば、その内容には、似通った特徴があります。

まず、自らの心が、体を抜け出すのを感じるといいます。体外離脱、と呼ばれる現象で、天井付近から、その場に横たわる自分の体や、医師たちの姿を見たりします。

その後、トンネルのような場所を通って、光り輝く美しい世界へと、導かれます。神秘体験です。親しい家族や友人に会い、人生を全うせよ、と言われます。ここで、全知全能の大いなる存在に出会い、幸福な気持ちに満たされます。

(立花隆)救急医療が発展したからでしょうか。臨死体験の事例がどんどん増えている、ということがわかりました。そうした臨死体験の事例の中に、脳を専門とする脳外科医でありながら、心は魂のようなものであって、体が死んでも生き残る、と主張している人がいる、と聞きました。どのような科学的根拠でそう思うのか。そこを確かめたいと思いました。

――第1章 臨死体験の謎――

(ニュースキャスター)「脳科学者が、これまでの科学に挑戦状を突きつけています。彼は天国へ行ってきた、そのことは証明できる、と言っています。」

「脳画像は当時、彼が意識も思考も記憶も機能していなかったことを示しています。」

エベン・アレキサンダー博士(60) 脳神経外科医

いま全米で最も注目を集めている、臨死体験者がいます。エベン・アレキサンダー博士、60歳。著名な脳神経外科の医師です。6年前、臨死体験をしてからは、自らの体験を伝えようと、講演して回るようになりました。

「今夜、私がお話しすることは、すべて科学に基づいています。それは、この世界の成り立ちについてです。科学では、心、つまり意識は、脳から生み出される、と言っています。そうだと本当に言い切れる人は、ここにどれだけいるのでしょうか?

脳と心に関係があることは認めます。しかし脳が、心、つまり意識を生み出すという考えは、間違いなのです。あなたがたは、天国から愛されています。何も、恐れることはありません。」

アレキサンダー博士が臨死体験をしたのは、脳を細菌に侵され、昏睡状態に陥った時のことです。それまでは、脳が機能しなくなれば、心も消える、と考えてきました。しかし、その考えは、病気から回復し、自分の医療データを洗い直したとき、大きく揺らぎました。

「これは私が昏睡に陥って、3日目の脳画像です。白い部分は、ひどい炎症によるものです。」

このとき、アレキサンダー博士の脳は、炎症による膿で血管が圧迫され、血液が流れなくなっていました。

さらに、生命の維持に欠かせない、脳幹と呼ばれる奥深い部分まで損傷し、脳波は観測されなくなりました。脳の活動は止まり、生還できる確率は、2パーセントと診断されたのです。

そんな状態だった7日のあいだに、臨死体験をしたといいます。無数の蝶が飛び交う景色を見たあと、荘厳な門がそびえたつ世界を訪れ、最後に、神聖な存在がいる場所に導かれました。

脳が働いていないときにこの体験をしたのだから、脳と心は別の存在だ、というのです。

立花隆「その7日間、脳は完全に昏睡状態だったのですか。」

アレキサンダー博士「そうです。脳は全く働いていませんでした。」

立花隆「全く機能していなかったと?」

アレキサンダー博士「そうです。」

立花隆「脳が機能しなかったのに、その間のことをなぜ覚えていられたのですか?」

アレキサンダー博士「現代の脳科学では、私の体験がどのようにして起きたのか、説明することは全くできません。だからこそ、私は長年このテーマと格闘し続けているのです。」

(立花隆)こういった体験は、大人だけでなく、子供にもたくさんあります。最近は、記憶も知識もほとんどないはずの赤ちゃんですら、昏睡状態のなかで、体外離脱し、そのとき見たことを覚えている、という事例まで出てきています。どういう体験だったのか、知りたいと思いました。

アメリカ フィラデルフィア
ジャクソン・バワーズくん(4)

ジャクソン・バワーズ君、4歳。生まれてすぐ、臨死体験をしたという少年です。

生後一か月のジャクソン君です。インフルエンザをこじらせて肺に穴が開き、呼吸ができなくなりました。集中治療室で蘇生装置につながれ、薬で眠らされていました。何度も、命の危険にさらされていました。

4か月後、ジャクソン君は、奇跡的に回復します。蘇生装置に繋がれた跡は残りましたが、両親は、生死の堺をさまよったことは、伝えませんでした。ところが、2歳になったころ、突然、病院での体験を話し始めたのです。

そのころのジャクソン君です。

「僕は死んだんだよ。」

「死んだ?何が起きたの?」

「神様のところに行ったんだよ。きれいだったよ。」

母親がジャクソン君から聞いた臨死体験の内容です。生後一か月、しかも昏睡状態だったジャクソン君。

心臓カテーテルを入れるために、足の手術をしていた時のこと。母親は、ジャクソン君のそばを離れ、外に出て行かなくてはなりませんでした。

このとき、ジャクソン君の心は、体から抜け出し、医師や母親の姿を見ていた、というのです。


ミッシェル バワーズさん

「息子は、救急車に乗った時の話や、夫が付き添ったときの話もしました。2歳になったころから、こうして体験を語り始めましたが、彼の話は何もかも、本当に起きたことばかりです。」

担当医

「薬で眠らされた、生後1、2か月の子が、そのときの出来事を覚えているということは、医学的に説明できないと思います。科学的には、あり得ないことなのです。」

年齢や知識、国籍などにかかわらず、死に瀕したとき、多くの人がするという、共通の体験。立花さんは、20年以上も前から臨死体験に関心を持ち、取材を続けてきました。

第2章 臨死体験を科学は解き明かせるのか?

立花隆事務所 東京 文京区

これまで、さまざまな分野を取材し、常に、事実を徹底的に明らかにしようとしてきた立花さん。発表した著作は、100冊を超えます。

1991年

代表作の一つが、20年前に書いた、「臨死体験」です。立花さんは、この不思議な体験を解き明かそうと考えたのです。世界中を回って取材しましたが、当時は、科学的に確かめる方法がありませんでした。臨死体験とは何か。突き止められないまま、取材を終えたのです。

2007年

しかし再び、このことを知りたいと思うようになりました。7年前、立花さんは、膀胱がんにかかりました。手術でがんを取り除きましたが、転移すれば、完治の方法はないと宣告されました。そして今年、再発と思われる病変が見つかったのです。

今年3月

医師「えー、まあ、初期がん。非浸潤がんの部類に入るだろう、ということで。やはり、一度、膀胱腫瘍が見つかってらっしゃるので、また再発の危険性があるということで、もし何かあれば、早めに取っておく必要がございますので…。」

死が近づいていると感じる、今。死ぬとき、自分の心がどうなるのか。残された時間のなかで、明らかにしたいと思うようになったのです。

「人間、70を過ぎると、70の前と後でね、ものすごい心境が変わるんですね。で、それは何が変わるのかと言えば、自分が死ぬ、どこまで生きるかってのはわからないけれども、少なくともそう遠くない日に、自分が死ぬだろうということをね、すごく確実な理解としてあるわけです。

つまりこの、自分という存在がここにあって、自分がなんか、何かを考えるときに、このいざ考えてる自分が頭のなかを考えると、その考えてる自分はこの頭のなかに、どこにどういうふうにあるんだというね。そこのところは、実はよくわかってないわけですよね。」

――第2章 臨死体験を科学は解き明かせるのか?――

(立花隆)私は臨死体験を、いまの科学で何とか説明できるんではないか、と思ってきました。いま最先端の脳科学は、かつてないほど、進んでいます。脳科学によって、いまどこまで臨死体験が説明できるのか、知りたいと思いました。

ミシガン大学 アメリカ ミシガン
ジモ ボルジギン准教授
ミシガン大学 神経科学

死ぬとき、脳はどうなるのかについて、動物を使って研究している科学者を、立花さんは訪ねました。

ここでは、普通の方法では観測できない微妙な脳活動を、特別な手法で測定しています。ネズミの脳に、直接電極を入れて、実験しました。

ネズミに薬物を投与し、心停止を起こします。そのとき、脳の奥深い部分の脳波を、詳細に調べたのです。世界で初めての試みでした。すると、これまでわからなかった、微細な脳波が見つかったのです。

「このグラフは平らに見えますが、実際には、拡大すると脳波が隠れているのです。」

心停止 4秒後

これは、心停止を起こしたネズミの脳波です。これまで、医学的には、心停止を起こすと、数秒で脳への血流が止まり、脳活動は止まる、とされてきました。ところが、心停止後の平らな部分を拡大すると、微細な脳波が見られたのです。それは、数十秒間、続いていました。

立花隆「とても興味深かったです。」

ジモ ボルジギン准教授
ミシガン大学 神経科学

ジモ ボルジギン准教授「脳波が非常に小さかったので、これまでは、脳はもはや活動していないと考えられていたのです。死ぬとき何が起きているのか、もっと調べなくてはなりません。脳は何らかの役割を果たしているのかもしれないのです。」

(立花隆)数十秒とはいえ、心臓が停止した後も、目に見えない脳活動が続くという事実に、私は驚きました。臨死体験をしている人の脳も、一見活動していないように見えて、実は活動しているのではないか。意識も存続しているのではないか。臨死体験は、脳のどんな活動によって起きるのか、より詳しく調べたい、と思いました。

立花さんが詳しく調べ始めたのは、体外離脱現象です。体から心が離れていくという現象です。すると、これを脳内の現象として説明した論文が見つかりました。

「体外離脱と自己像幻視の
神経学的起源について」

国際的な脳研究の専門紙に発表された論文です。人工的に、体外離脱の感覚を作り出せるというものです。研究は、てんかんの治療のため、脳に電極が埋め込まれた患者に対して行われました。その患者の脳を電気で刺激すると、体外離脱の感覚を得た、というのです。

患者が描いた絵です。刺激を続けると、次第に体が浮遊し、自分を上から見ている感覚を抱いた、といいます。

刺激したのは、脳の角回かくかい、と呼ばれる部分です。角回は、身体の感覚や視覚、聴覚など、さまざまな感覚をつかさどる部分を繋いでいます。ここを刺激することで、脳の各部分が誤った働きを起こし、自分の心と体が分離したかのような感覚が生じた、と指摘しています。

スウェーデン ストックホルム
カロリンスカ研究所
スウェーデン ストックホルム

そのような感覚は、誰にでも起こり得るのか。立花さんが訪ねたのは、カロリンスカ研究所。ノーベル医学賞を選考することで知られている、世界有数の医学研究所です。

ヘンリック エーソン教授
カロリンスカ研究所 神経科学

立花さんはここで、身体の感覚に異常を起こさせる実験に、参加することにしました。まず、目隠しをして実験室に入り、映像が映るゴーグルを着けます。

カメラが映しているのは、人形の足。その映像を、立花さんのゴーグルに映し出します。

立花さんが見ている
人形の足

立花さんには、人形の足が、まるで自分の足のように見えるのです。立花さんの足を棒で刺激しながら、同じタイミングで、人形の足を刺激する映像を、見せます。触られている感覚と、見ている映像が混じり合い、人形を、自分の体だと感じ始めます。

立花さんは、心が自分の肉体を離れ、人形の体に移ったという感覚を抱くようになっていました。

包丁で人形の足を
切りつけられる

「少し怖いかもしれませんが、危険なことはありませんよ。…怖かったですか?」

立花隆「怖くはありませんでしたが、怖くなる気持ちは分かりました。」

「ようこそ現実へ。こちらを見てください。」

立花隆「あれがあなたが触っていた身体ですか。私の体ではなかったんだ。」

イリュージョン(幻覚)

「面白い、すごい面白い。全く今まで判断してたことが、間違いっていうかね。狂ってた、っていうのがわかるよね。これで実は我々、日常の感覚そのものが、実は狂ってんだよね、たぶんね。イリュージョン(幻覚)を、リアルと思っちゃう、ってことだよね。」

ヘンリック エーソン教授
カロリンスカ研究所 神経科学

ヘンリック エーソン教授「体外離脱は、自分の体を認識する、脳内のモデルが崩壊することと、関係があるかもしれません。我々は常に、脳が作り出す世界に生きているようなものです。普段は脳が、体の位置を正確に把握できているだけなのです。もし脳が正常に機能していなければ、体の感覚も、崩壊する可能性があるのです。」

(立花隆)心が体を離れてしまう、という感覚は、脳内の仕組みで説明できる可能性が高いと思いました。しかしまだ、それだけでは、体外離脱の全てを説明できていません。たとえばあの、生後一か月で体外離脱した、ジャクソン君は、そのとき見ていたものの記憶が確かにあり、しかもその内容が、現実と一致していました。私はこの、不可思議な記憶について、解明のヒントをもらおうと、記憶研究の世界的な権威を訪ねることにしました。

マサチューセッツ工科大学 アメリカ ボストン
利根川進センター長
理研MIT神経回路遺伝学センター

立花さんが訪ねたのは、利根川とねがわすすむさん。日本で初めて、ノーベル医学生理学賞を受賞した研究者です。利根川さんは、ノーベル賞受賞後、記憶の仕組みについて研究してきました。

フォールスメモリー
(偽の記憶)

この日紹介してくれたのは、ネズミの記憶に関する実験です。現実には起きていないにせの記憶、フォールスメモリーを、ネズミに植え付けることができた、というのです。

実験ではまず、脳のある部分を刺激すると記憶を思い出す、特殊なネズミを作りました。このネズミを安全な部屋に入れ、部屋の様子を覚えさせました。

次に、ネズミを別の部屋に入れました。ここで、脳を刺激して、前にいた安全な部屋のことを思い出させます。そのとき、同時に電気ショックを与えました。

すると、電気ショックを安全な部屋で受けたというフォールスメモリーができてしまい、ネズミは、安全な部屋を怖がるようになったのです。フォールスメモリーを植え付けられたネズミの映像です(写真右)。この安全な部屋でも、恐怖を感じていました。

理研MIT神経回路遺伝学センター
利根川 進センター長

「ある状況下では、人間のフォールスメモリーというのは、起こるんです。いくら言っても本人はコンビンス(確信)しちゃってるのがフォールスメモリー。確かにフォールスメモリーを持ってる人をMRI(脳の磁気検査装置)で調べると、光るところはリアルメモリー(本物の記憶)を思い出してるときと、同じところが光ってくるのです。MRIでは全く区別がつかない。だからその人は、フォールスメモリーと思ってない。リアルメモリーと思ってる。メカニズムは区別がつかない、いまのところ。」

人にフォールスメモリーを作り出す実験

これは、人に偽の記憶、フォールスメモリーを作り出す実験です。

まず、被験者の子供のころの写真を切り抜き、全く行ったことのない別の写真に合成。気球旅行に行ったという、偽の家族写真を作るのです。

偽の写真

その偽の写真を、本物の写真に混ぜ、いつ行ったのか、どんな旅行だったのかを繰り返し聞いていきます。

1日目

「この写真の出来事を覚えていますか。」

被験者「ほとんど記憶はありません。」

最初は偽の写真について、記憶はないと答えますが、質問を繰り返すうちに、答えは変わっていきます。

7日目

被験者「確か気球にいました。タラップの上を歩きました。」

質問を繰り返すうちに、フォールスメモリーが作られてしまったのです。人間は、フォールスメモリーを作りやすい動物だと、利根川さんは考えています。脳が高度に発達し、創造力を持っているからだといいます。

理研MIT神経回路遺伝学センター
利根川 進センター長

「イマジネーション(創造力)が非常に豊富になると、脳のなかで環境とは関係なく起こってること、記憶を想起しているということは、ここ(脳のなか)で何か起こってる。しょっちゅういろんなことを脳のなかで反芻してると、外からバンと来たことが一緒になっちゃう。非常にイマジナティブ(想像的)な生物になるというのは、そういう危険がある。

つまり人間というのは、動物と違ってサイエンスをやるでしょ、アートをやるでしょ、ミュージックをやるでしょ。これはみんな人間が非常にイマジナティブな(想像力のある)スピーシーズ(種族)だから。文化的行動をして、シビリゼーション(文明)を作っている。人間だけが、こういうクリエイティブなことをやってる。だから人間が人間になってる。それが人間でしょ。」

人間は、誤った記憶や感覚を、本物だと信じてしまう生き物だ。臨死体験者の不思議な記憶は、想像力を働かせるうちに作り上げられた、フォールスメモリーなのではないか。立花さんは、そう考えるようになりました。臨死体験の真実を追い求める立花さんの旅。見えてきたのは、死の間際に、特別な脳の働きが起きるという、人間の不思議さでした。

(立花隆)人間が正常に、物を考え、感じる。その背景の、底の部分を探求していくとですね、実は人間の脳のなかに、そういう、一番大事な、“我が思う”、“我が感覚する”、そういうところに一番間違いが起こりやすい、そういうことが、人間の本性ほんせいとしてあるんだということが、わかってきまして。

つまり、“我感覚する、ゆえに我あり”も、一つの真実ではあるが、“我感覚す、ゆえに我あやまつ”という。人間というのは、基本的にそういう正常にちゃんとしてる部分と、狂っちゃう部分というのが、本当にこう、二重構造的にある、それが人間なんだという、そういう印象を受けました。」

第3章 心はどのように生まれるのか

パリ

人類史上に名を残した偉人の遺骨収集で知られる人類博物館。17世紀の哲学者、デカルトの骨が保存されている。

デカルトが残した“世界で最も有名な”哲学の言葉。「我思う。故に我あり」。心と体は、別々に存在すると考えた。

人間は有史以来、心の謎に挑んできた。紀元前、プラトンは、脳が心を生み出す、とした。その弟子、アリストテレスは、心は霊魂として心臓に宿る、とした。自分の心はいったいどこにあるのか。人間はこの問いの答えを、いまも追い求め続けている。

(立花隆)人間は死の間際、誤れる認識・信念を持ったまま、死んでいくのかもしれない、ということがわかりました。しかし、その死ぬとき、心のほうはどうなるのか。これまでの取材で、答えは出ていません。そこを考える手がかりとして、そもそも人の心とは一体何なのか、そこを知る必要があると考えました。自分という心は、脳のなかでどう生まれ、どう死んでいくのか、知りたいと思ったのです。

すると、こうした問いについて、科学的な議論が始まっている、と聞きました。どこまでわかるのか、知りたいと思いました。

――第3章 心はどのように生まれるのか――

アメリカ ツーソン
意識

いま、心の正体に迫る新しい研究分野が、急速に注目を集めています。それは、心の一部である、意識の研究です。今年20周年を迎えた、国際的な意識学会の会合には、脳科学や哲学、心理学など、分野を超えた研究者が集まっていました。

心の一部である意識は、これまで、科学において、究極の謎といわれてきました。感覚、感情、行動、記憶など、脳内には、さまざまな機能があります。しかし、人の心は、これらの機能だけでは成り立ちません。機能全てを一つに統合するものが必要なのです。これが、意識です。意識はその人らしさを作り出す、いわば、自我です。

なぜ、意識は究極の謎なのか。それは、長年にわたる研究にもかかわらず、意識を生み出す神経細胞が、脳内のどこに存在するか、全く分からなかったからです。

ところがいま、この謎について、科学者たちは、ようやくその糸口をつかみ始めていました。

意識研究者

「脳が意識を生み出すことを証明するのは、極めて困難です。しかし絶望することはありません。私たちの救世主、トノーニ教授です。」

ジュリオ トノーニ教授
ウィスコンシン大学 精神医学

ジュリオ・トノーニ教授。意識研究に革命を起こしたともいわれる、科学者です。トノーニ教授が提示したのは、意識が脳内で生まれる、全く新しいメカニズムです。それが、ほかの研究者によっても、実証されつつあるというのです。どんな理論なのか。立花さんは、トノーニ教授を訪ねました。

人間の意識とは、複雑に絡み合った蜘蛛の巣のようなものだ、というのが、教授の理論です。

「意識は、すべて数学的に表現することができると、私は考えています。それは、蜘蛛の巣の形によく似ています。私は意識、つまり、脳内の情報は、この蜘蛛の巣よりずっと複雑であると考えています。しかし、まずこのような形に表すことが、我々が『意識とは何か』を捉える第一歩なのです。」

起きている時/深い睡眠をしている時

トノーニ教授は、意識が生まれるメカニズムを、どのようにして考え出したのか。きっかけは、睡眠に関する研究でした。深い睡眠をしているときと、起きているとき。神経細胞の繋がりかたはどう違うのか、教授は着目しました。

そこで脳内に微弱な電気を送り込み、その流れを追いました。神経細胞が繋がっていればいるほど、広い範囲に電気が流れることを利用したのです。

これは、その実験結果です(写真左)。左が、起きているときの電気の流れかた。右が、眠っているときの電気の流れかたです。左側、起きているときだけ、電気の流れを示す赤い部分が、広い範囲に広がっていることがわかりました。

起きている時
統合情報理論

神経細胞は、起きているときだけ、蜘蛛の巣のような複雑な繋がりかたをしていたのです。トノーニ教授は、この複雑な繋がりこそが、意識だと考えました。統合情報理論と呼ばれています。それは、わかりやすく表現すれば、次のようなことです。

脳のなかには、熱い、寒いなどの感覚に関する情報や、楽しい、悲しいなどの感情、過去の出来事の記憶など、膨大な情報があります。

“熱い、寒い、楽しい、悲しい、歩く、食べる、旅行に行った、うれしい、おしゃべりする、母の言葉、本を読む、うるさい、友達と遊んだ、恋人とケンカした、腹が立つ、まぶしい…”

教授は、それらの情報が複雑に繋がり、蜘蛛の巣のように一つにまとまったものが、意識だと考えました。つまり、意識は脳内の特定の細胞にあるのではなく、膨大な神経細胞が複雑な繋がりかたをして、一つに統合されたときに生まれる、というのです。

立花隆「あなたの理論はどの程度、完成したと言えるものなのでしょうか。」

ジュリオ トノーニ教授
ウィスコンシン大学 精神医学

「この理論を調べてみると、意識を生み出す方法について、非常に正確なことを言っているのに気づくでしょう。この理論を使うと、脳内での意識について、多くの謎を解明できます。眠れば意識がなくなることや、脳のどの部分が意識を生み出すのかも、その理由も説明できます。いまのところ、すべて説明可能なのです。」

意識の量=神経細胞の数
       つながりの複雑さ

さらにトノーニ教授は、意識の大きさを、世界で初めて数式で表しました。極めて複雑な数式ですが、脳内の神経細胞の数が多く、繋がりが複雑であればあるほど、意識の量が大きくなることを表しています。たとえば、神経細胞のつながりが全くないときには、意識はゼロになります。実際、植物状態と思われていた患者の神経細胞のデータをこの数式に当てはめたところ、意識があることが明らかになった例もありました。

「私たちは、意識の特性を表す数式を作り、それを実際の脳に適用できるようになりました。これによって、脳が実際に科学的に意識を作り出していることがわかったのです。私たちの脳のある部分が、意識を生み出すことは明らかです。脳こそ、まさにいま、あなたの意識を生じさせているものなのです。」

意識研究の最前線とされている、トノーニ教授の理論。これが完全に実証されれば、脳が死ぬと神経細胞の繋がりはなくなり、心は消えることになります。さらに、この理論は、新しい世界観を示しています。

鳥や動物、昆虫でも、脳内には複雑な繋がりがあるので、脳の大きさに応じた意識があることになります。そして、機械でも、複雑な情報の繋がりを持つよう設計すれば、意識が生まれることになります。

ジュリオ トノーニ教授
ウィスコンシン大学 精神医学

「現在存在する機械は、意識を持っていません。しかし我々の理論によれば、今後、意識を持った機械を人工的に作ることは、不可能ではありません。意識は確かに、この宇宙で生み出されたものです。それは、この地球上で私、あなた、人類の全て、そして動物のなかに存在しています。宇宙のほかの場所では、まだ見つけられていないものです。

人間の意識は巨大なものです。意識の世界では、あなたは、宇宙の巨大な星のようなものなのです。」

最終章 臨死体験 人はなぜ“神秘”を感じるのか

(立花隆)トノーニ教授の理論は、長年人間が追い求めてきた、「死ぬとき心はどうなるのか」という問いに対して、「心は消える」という答えを提示しています。しかし、神経細胞の100兆もの繋がりが生み出す意識の世界は、極めて奥が深く、複雑性の極致にあります。

その深みをきわめることは、最新の科学をもってしても、到底できない、大いなる謎にとどまる、と思いました。私はこの、心の世界の不思議さを、さらに知りたい、と思いました。

――最終章 人はなぜ“神秘”を感じるのか――

東京

取材の合間、立花さんは手術を受けました。7年前に切除した膀胱がんの再発が疑われたのです。手術後、立花さんは、奇妙な夢を見ました。

(立花隆)そのとき私は、首が一切動かせない、不自然な体勢で、半日以上過ごしました。その間に私は、夢ともうつつともつかない、奇妙な長い夢を見ていました。それはフォールスメモリーや、脳が作り出した幻覚だったと言われても、決して自分のなかから消すことができない、確かな実感を伴っていました。これは、私の取材してきた、臨死体験者の見たものに似ている、と思いました。

臨死体験者の多くは、最後に神秘的な体験をしたと語っていました。ではなぜ、最後の瞬間、神秘体験をするのか。知りたい、と思いました。

立花さんが強い関心を抱いた、神秘体験。それは、臨死体験者の多くが記憶する、強烈な体験です。光り輝く世界で、全知全能の、大いなる存在に出会います。人生観を変えるほどの幸福に包まれ、これは現実だと確信する、といいます。

臨死体験者「そこには無限の愛と、平和がありました。それまで感じたことがないほどの愛が私を包み、私は自分の欠点を、すべて許すことができました。それは人生を生きる上で、最も大事なことになりました。」

臨死体験者「私は光に向かって進みました。そして、開いているドアを通りなさい、と言われ、そこにたどり着き、別の人生を生きるようになったのです。」

プリンスエドワード島 カナダ
ケビン ネルソン教授
ケンタッキー大学
医学部 脳神経外科

立花さんは、神秘体験の脳内メカニズムについて調べてきた、科学者を訪ねました。ケンタッキー大学のケビン・ネルソン教授です。

立花さんは、人間が神秘を感じるとき、脳がどう働いているのか、問いました。

立花隆「神秘体験のなかで、自分より偉大なものを感じる感覚は、どこから来るのでしょうか。」

ケビン ネルソン教授
ケンタッキー大学
医学部 脳神経外科

「それは、脳の辺縁系へんえんけいによるものだと思います。辺縁系が、どのように働いているのか、詳細には分かりませんが、神秘的な現象は、辺縁系で起こる現象なのです。」

辺縁系へんえんけい

死の間際に、どのようにして神秘体験が起きるのか。ネルソン教授が、関わりが深いと指摘したのは、脳の奥深くにある、辺縁系です。爬虫類にもあるという、脳のもっとも古い部分です。

辺縁系は、長年の研究によって、睡眠や夢という現象の、中心的な役割を担っていることがわかっていました。ネルソン教授は、神秘体験と夢が、似通った現象であることを明らかにし、次のような仮説を立てました。

死の間際、辺縁系は、不思議な働きをします。眠りのスイッチを入れるとともに、覚醒を促すスイッチも入れます。それによって、極めて浅い眠りの状態となり、目覚めながら夢を見る、いわば、白昼夢のような状態になります。

さらに辺縁系は、神経物質を大量に放出し、人を幸福な気持ちで満たします。こうして、人は死の間際、幸福感に満たされ、それを現実だと信じるような、強烈な体験をする、というのです。

ネルソン教授は、神秘体験は、人が、長い進化の過程で獲得した、本能に近い現象ではないかと考えています。

立花隆「死ぬとき人は、死と神秘と夢のあいだをさまようのですね。人の心は、その境界をさまよいながら臨死体験をして、神秘を感じるのですね。」

ネルソン教授「我々の研究でわかったのは、臨死体験をしやすい人は、夢を見やすい脳を持っているということです。興味深いのは、その鍵となる辺縁系が、脳の古い部分だということです。辺縁系は、進化の初期段階で生まれた部分です。ですから、神秘体験をする能力は、人間にもともと備わっていたものなのです。」

立花隆「なぜ神秘体験をする能力が、人間の心に備わっているのですか。」

ネルソン教授「いい質問です。私も知りたいです。神秘体験は、意識と現実のあいだで作り出される、感動的で、根源的な現象です。しかし、その詳細はわかりません。そもそも科学というは、『どのような仕組みなのか』を追究するものです。『なぜそのような仕組みが存在するのか』と問われても、答えられません。

私たち科学者に言えるのは、どのようにして、神秘的な感覚が生じるかだけです。なぜか?という問いへの答えは、それぞれの人の信念に委ねるしかないのです。」



アン ネルソンさん

ホスピスの一室で、ネルソン教授は、妻のアンさんと過ごしていました。

アンさんには、脳全体に悪性の腫瘍があり、余命数カ月という診断を受けていました。信仰深いアンさんは、天国の存在を支えに、生きていました。

アンさん「これからどこに行くのですか。」

ネルソン教授「あなたとここにいますよ。」

妻にキスをする
ネルソン教授

ネルソン教授「妻は病気のために、いまどこにいるか、わからなくなっているのです。」


立花隆「奥さんと、臨死体験など、死の間際のことを話すとき、死後の世界について、どう感じていますか。」

ネルソン教授「妻には、非常に率直に話していますよ。妻は敬虔けいけんなカトリック教徒で、深い信仰があります。神秘的な体験をするときに、脳がどのように働くのか、という科学的事実は、誰の信念も変えるものではありません。脳は必ず、神秘的な体験に参加するように、できているのですから。

しかし、それぞれの人が体験した神秘をどう受け止めるかは、必ずしも、科学で証明する必要はないのです。臨死体験をして、亡きお母さんに出会ったとき、それをお母さんの魂と受け止めるのか、お母さんについての記憶だと受け止めるのか、それは、その人にしか決められない心の問題です。その人の、信念の問題なのです。」

半月後、妻アンさんは亡くなった。


(立花隆)どういう哲学をもってしても、あるいはニューロサイエンス(神経科学)をもってしても、その本当のところがよくわからない部分ってのは、人間にとっては永遠に残る世界に、そういうような在りかたで、人間は生き続けてきたし、これからも生き続けるんじゃないかな、というね。そういう気がして、それはそれで、面白いことだなと思うんですよ。ね。

だから、ある意味で、こう、なんていうの。やっぱり生きるって面白いですよね。わからないから面白いっていうことがあるわけで、やっぱりこう、人間っていう存在はもっと豊かで、そう簡単に、こうだ、って言えないからね。だからそこに面白さがあるんだという。そういう気がします。

人間の、心の謎に迫ろうとしてきた、立花さんの旅。科学の最前線で思索を重ねて、見えてきたことがありました。

人の意識は、脳内の膨大な神経細胞の繋がりによって生まれる、ということ。

死の間際、特別な感覚を持ち、神秘的な体験をするように、脳の仕組みができている、ということ。

立花さんは、臨死体験とは、人間誰もが、死の間際に見る可能性がある、奇跡的な夢なのだと感じています。

(立花隆)私は、旅を終えるにあたって、ある友人に会いたくなりました。臨死体験は夢の一種かもしれないし、確かに、死とともに、自分の心は消えるかもしれない。しかし自分が死ぬとき、どんな思いで死に臨んだらいいのでしょうか。それは科学でも、宗教でも答えの出ない問題だと、思いました。それを友人とともに、語り合ってみたくなったのです。

アラバマ州
レイモンド ムーディ博士

友人とは、私が臨死体験の世界を知るきっかけとなった、レイモンド・ムーディ博士です。臨死体験を世界で初めて報告した一人です。

博士は23年前、私が取材で会ったときは、死後の世界が存在する証拠はない、と語っていました。しかしその後、精神を病み、自殺を図って臨死体験をした、と聞きました。

それ以来、死後の世界を信じるようになった、といいます。いま、自分はどう人生を全うすべきなのか、改めて彼と語り合いたい、と思ったのです。

ムーディ博士「お互い、すっかり姿が変わりましたね。お会いできてうれしいです。お元気でしたか。」

立花隆「そんなに元気ではないのです。私はがんにかかっています。」

ムーディ博士「Oh, my...Oh, my...」

ムーディ博士「ともかく、お会いできて本当にうれしいです。」

死後の世界を信じるようになった、ムーディ博士。死んだら心は消えると考える、立花さん。二人は、語り合いました。

立花隆「なぜ、そこまで見解が変わったのですか。いま、何を考えているのですか。」

レイモンド ムーディ博士
医師 臨死体験研究者

ムーディ博士「私は、自分の心をより見つめるようになったのです。心、意識というものは、素晴らしく、魅力的なものです。当時は、死後の世界を認めず、ほかの説明をこじつけようとしました。しかし、それは、『死後の世界がある』とは明確に言い切れなかったので、認めることから逃げていたのだと思います。

その一方で、いま、自分でも自分の言っていることに驚いています。客観的に考えてみれば、『死後の世界があり、人生の終わりにあの世が続いている』とはっきり言える自分に、矛盾を感じます。なぜそうなったのかは、本当に自分でもわかりません。

でも、そもそも人生は、死ぬまで理解できないものなのです。私たちが死ぬとき何があるのか、私たちの論理や思考が不十分なため、なかなかわからないのだと思います。

ですから、あなたと私は、考え方は違っても、死に臨む者としては、同じなのではないでしょうか。私たちはみな、自分がつむいできた物語、つまり、人生とは何だったのか、その意味を知りたいと思いながら、最後のときを迎えるのです。

そして死ぬときは、臨死体験という冒険が待っているのです。私もあなたも、好奇心を抱きながら、人生を全うしていくのでしょう。」

立花隆「あなたがどこか、落ち着ける永遠の場所を見つけられるよう、祈っています。」

ムーディ博士「ええ。あなたも見つけられることを祈っています。あなたが先に死ぬか、私が先に死ぬかはわかりませんが、きっといつかどこかで、あなたとまた再会できると信じています。」

「ありがとう…。」



(立花隆)人間は、死ぬとき何を体験するんでしょうか。死の向こう側には、いったい何があるんでしょうか。もしかしたら、なんにもないかもしれないけれども、何らかの、死後の世界があるのかもしれません。そういう、人類の永遠の謎を追いかけて、数か月間、世界を旅してきました。

非常に急速に、こういう、その、人類永遠の謎について、多くのことがわかりつつある、そういう時代に入っているという気がします。ケビン・ネルソンさんは、結局、人間の死ということは、死と、神秘と、夢と、その三つが隣り合わせになったような、そういうボーダーランドに入っていくことだ、と言いました。

この取材を終えてですね、私が強く感じていることは、実は20年前に作った、臨死体験という番組を作った時も感じたんですが、死ぬっていうことが、人間が死ぬっていうことが、それほど怖いことじゃないっていうことが、すごくわかったような気がするわけです。しかもですね、前よりも強くそう思います。

強くというのはどういうことかというと、ギリシャの哲学者で、エピクロスという人がいるんですが、その人が、人生の目的というのは結局、アタラクシア、心の平安、ということなんですが、それを得るのが最大の目的だと言ったわけです。

それで、考えてみると、人間の、その心の平安を乱す最大のものっていうのは、自分の死について、想念、頭を巡らせること、なんですね。で、しかし、いまはですね、その心の平安をもって、自分の死を考えられる、そういう気持ちに、なれたという。

いい夢を、見たい、見ようという、そういう気持ちで、人間というのは、死んでいくことができるんじゃないかな、という。そういう気持ちになった、ということです。

――臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか――

<終>

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