当店は自家培養自然酵母(天然酵母)パンと手作り料理の店です。無精製糖 粗糖 や天然塩を使いじっくり仕上げました。パンには卵・牛乳は不使用。ケーキには平飼いニワトリの有精卵 自然卵を使ってます。アトピー・アレルギー対応のデコレーションケーキも作ります。もちろん使う素材は厳選された無農薬有機栽培もの。プルーンやいちじくが入った全粒粉パン「ルーブル」も大人気。静岡 浜松 磐田 掛川からもほど近い袋井市にあります。パン・ケーキは全国発送 宅配してます。オススメスイーツもあります
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おいたち
長いので覚悟してね (笑)
佐賀県、学生時代
Cafe&Bakeryげんらくの前身は、店主が高校1年生まで逆登ります。(笑)
高校入学後、初めてのテストで不覚にも赤点を頂戴した私は、両親より

「高校は義務教育ではないから勉強したくなければ辞めなさい」

と、学費を貰う事が出来なくなってしまいました。(涙)
途方に暮れた私はアルバイトを捜すのですが、当時、高校生はどこのお店でもバイトに採用して貰うことができずに、さらにさらに途方に暮れてていました。取り敢えず、近所の家の掃除やら、自転車のパンク修理等でお金を稼ぐのですが、小遣い銭ほどにしかならず(笑)悩みに悩んだ末に、母が、パン、ケーキ、クッキーを焼くのが大変好きで、良く手伝わされていたのを思い出しました。

「ヨシ!これだ」

と、思いついた私は、改めて母に弟子入りを申し込みパン、ケーキ、クッキーの焼き方を一から伝授して貰いました。
仕事としてやるには、それなりの手順と言う物が有り、保健所に相談すると

「家庭の台所で作った物は販売してはダメ」

と、あっさり言われてしまいました。
急遽、親に借金し、知り合いの大工さんにお願いして自宅の裏に、工場を作りました。ここからがパン屋としての第一歩となりました。
朝、早起きして学校へ登校する前にパンを焼き上げ下校してから配達、と言う日々を高校生活の3年間やりとげました。時には学校へ持っていき、友達や、先生にまで営業してパンを売り歩きました。口コミで、少しずつお客様も増えて行き、高校の学費と、借金の返済と、ちょっとした小遣い稼ぎには十分なりました。余談になりますが、そんな私の事を知った、国語の先生が

「青年の主張に応募してみないか。」

とアドバイスしてくれて、見事賞を頂戴する事になりました。この時の人前で話をすると言う経験は、後にも大変役立つ物となりました。

そんなある日、新聞にとても興味深い記事を見つけました。

それが、私と自然酵母パンとの出会いでした。
その年の12月、2学期の終了した日にブルートレインに乗って大阪の吹田市に有る、記事になっていた「パン工房 楽童」さんへ、寝袋持参で修行に向かいました。
ご夫婦ともとても優しい方で、見ず知らずの私を家族と同じように扱って頂き、1週間弟子入りさせて頂く事が出来ました。
ここでも貴重な体験をさせて頂きました。余談になりますが(余談が多いなー)楽童さんの奥様が出版された、「パン工房 楽童 物語」(草子社)の中でブルートレインでやってきた青年とは、私の事です。(^^)v

さて、少し話がそれますが、配達を自転車でしていた私を見かねた親がバイクの免許を取ることを許してくれました。幸い、父もバイクに乗っていて、理解が有ったのですぐに免許を取らせて貰う事が出来ました

私の世界感が一気に広がった瞬間です。

このことは、後に私の人生を大きく左右する出来事となりました。
静岡県、サラリーマン時代
さて本題に戻ります。
高校を卒業した後、どうしてもバイクが諦めきれずに、某バイク雑誌に求人が載っていた静岡県に有る、バイクのアフターパーツ製造販売会社に履歴書を送るのですが普通高校卒業と言うことで、けられてしまいました。どうしても、その会社に就職したかったので私の高校時代のパン屋の話や、青年の主張が学校新聞に掲載された物をコピーして再度履歴書を送った所、面接をしてくれると言う返事が来ました。喜び勇んで出向いて行き、その場で採用の返事を貰う事が出来ました。

ヤッタ〜!!(^^)v

大好きなバイクに囲まれて仕事をして、良き伴侶も得ることが出来、私の人生は順風満帆に行くハズでした。そんなサラリーマン生活も6年目私の中に眠っていた。悪い虫がついに目覚めてしまいました。

「やっぱり、自分は会社の中でうまくやって行ける人間ではない。」

その事に気が付いた自分は、周りの反対も押し切って両親の実家の有る、宮崎県でパン屋を始める事にしたのです。
宮崎県、パン工房 源楽
宮崎にした理由は、初孫である私の事をかわいがってくれた祖父の近くに住みたいと考えたからです。
しかしそんなに蓄えも有るわけでは無いのでここでのお店作りは、

自前でやるしか有りませんでした。(^_^;

借りる事とした場所は、1階が駐車場で2階が事務所となっている1階部分です。周りはコンクリートで囲って有るので、後は、店舗の顔となる表部分と、お店、工場を区切る、間仕切りそれに、水回り、ガスの配管、電気の配線となります。幸い、おじさんが厨房屋を経営しており、いとこも手伝ってくれて4ヶ月ほどでお店をオープンできる様になりました。しかし、パンをふくらます酵母がなかなかうまく出来ずにその後2ヶ月ほど、開店が遅れてしまいました。

どうにかこうにか無事にお店もオープンし、ここで骨を埋めようかと心を決めようと(ホントか?)したとき

結婚後5年も出来なかった子供を授かったのです。\(^O^)/

家内の「どうしても実家で生みたい」と言う希望に添ってなんと、大胆にも(笑)宮崎のお店を閉店させてしまったのです。その後は熊本辺りが希望の場所だったのですが家内の産後の肥立ちが悪く、実家にお世話になっている内にとうとう説得されてしまい。また静岡へもどり、お店を始める決心をしたのです。
静岡県、Cafe&Bakeryげんらく
幸い義母の知り合いの方の土地を譲って頂ける運びとなったのですが何分やはり蓄えもそんなに有るわけでも無いので、

やっぱり、お店は自前になってしまうのです。(笑)

その土地にはすでに2階建てくらいの倉庫が建っており、そこを、改造して自宅とし、店舗は新たに建てる事としたのです。ここでは、サラリーマン時代に覚えた溶接の技術や宮崎時代に経験した店舗の作り方がとても役に立ちました。いろいろな資料を見てみると、素人が家を建てるなら2X4工法が良いだろうと言う結論になりました。

まずは建築の申請からです。

材木の加工などをしてもらう業者さんに依頼して簡単な図面などを作成して頂き、後必要な書類等は自前で揃えていざ役所へ。しかし役所の対応の悪さにはほとほと、愛想がつきました。(なんとかならんもんですかね〜?)結局10回ほど足を運んで許可を頂戴する事が出来ました。

さて、どうにかO.Kも出て、いよいよ建築です。10月の事でした。

さて、やってみると、分からない事ばかりで本を見たり、材木屋さんにアドバイスを貰ったりしながら作業を進めて行きました。しかし、なかなか作業が進まないジレンマと、暑さの為、夏頃は殆ど、作業もせずに昼寝ばかりしていました。(笑)そんな中でも少しずつ形が見え始めて、12月の後半やっと完成の運びとなったのです。

12月に完成したのも、ずるずると予定の開店日がずれ込んでどうしようもなくなっていた時に、2000年の1月1日は大安で有ることに気付き、ごろもイイのでここでオープンだーと一気に最後の力を振り絞ったからに他なりません。(笑)そのままやってたらいつになっていたか自分でも分かりません。(笑)

そんなこんなで、2000年1月1日に無事オープンする事が出来ました。(^^)v

途中、友人知人等、様々な方々の力添えが有ったからこそ、無事にオープン出来た様な物です。特に家内には色々と苦労をかけてしまったと思います。愛想もつかせず、付いて来てくれて本当に感謝です。

感謝 感謝 感謝(笑)


簡単にお話しましたが(笑)ここまでがげんらくストリーです。もっともっと書きたいのですが家内もあきれていたので、この辺にさせて頂きます。(笑)

さて、今後の展開は本人の私にも予測出来ません。いつ又悪い虫が目覚めるか気が気では有りません。(笑)暫くはおとなしく眠っていてくれる事を願うばかりです。しかし、このページのこの下が更新される日を夢見てるのも間違いでは有りません。

では、又、更新される日まで。
おわりに
最後まで、長いーーーい文章(笑)を読んで頂き本当に有り難うございます。

日々の暮らしに疲れている方に、ここを読んで頂いて、少しでも夢と希望を持って頂ければ嬉しいです。

この、文章についてご意見ご感想等がございましたらどしどしメール下さい。また、自分で家を建ててみたいと言う夢を描いていらっしやる方等からのファンレター(笑)などもお待ちしております。少しはお役に立てるかもしれません。お気軽にご来店または、メール下さい。(^-^)
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