2022年6月9日(木)
 バリトン歌手・豊島雄一君の来旭・・・
 光陽中学校在職時の教え子「豊島雄一君」が、コロナ禍で開催できなかった市内小中学校を主にした「スクールコンサート」を三年振りに実施した。4日からスタートした「旭川ミュージックウィーク」で、5日の駅ピアノコンサート」、6日の「市議会議場コンサート」に出演することに合わせて、8日に新富小学校(午前)、向陵小学校(午後)の二校を訪れて、飛沫防止のパーテーションを設置し、体育館鑑賞は、体育館観賞は4~6年生までに限定…という中での実施となった。▼2002年9月の第一回から関わってきた小生としては、今回のコンサートの再開は、従来のコンサートと比べると大きなハンデを感じながらも、豊島君のライフワークともいうべき取り組み、音楽を通して「生きる力を伝えたい」が復活できたことに、大いなる喜びと感動を以て参加させてもらった次第であった。

※ 議場コンサートの歌唱の中に、小生が初めて聞く豊嶋君のコミカルな歌「電話」がありましたので、スマホ動画で撮影したものを取り上げたいと思います。

2022年6月5日(日)
 護国神社参拝・・・
 昨日、記念すべき第90回の「北海道音楽大行進」を始め、関連イベントを開催する「旭川ミュージックウィーク(AMW)」が12日までの予定でスタートした。コロナ禍で三年振りの実施となったこともあり、小生は観覧はしなかったが、多くの人たちが各種団体の演奏を街頭で楽しんだ…と、今朝の新聞で報じられていた。▼小生にとっては、この音楽行進は、「護国神社祭」と連動していることもあり、生後10か月後に南方出征していた父がマラリアに罹かり旭川陸軍病院(現 旭川医療センター)で戦病死者として亡くなった小生としては、学生時代から始めた護国神社祭(招魂祭)は恒例の年中行事で、今年で63回目を数えるものであった。▼昨年、一昨年はコロナの影響で各種イベントは中止となり、小生の護国神社参詣は静寂感の中でのものとなり、ある意味寂しいものでもあった。しかし、そんな中で、それまでの60回余の参詣では気付かなかった亡父との接点を、初めて訪れた「歩兵第八十九連隊戦没者合同慰霊碑」の後ろに設置の「沖縄戦没者氏名(2681柱)の中に、確認することができたのであった。この年になるまで、そんな場所があることさえ知らなかったことを恥じたが、反面、大きな喜びを感じたのも事実であった。▼そして、今年…。三年振りでのセレモニーや出店・屋台等の実施で、人出の多くなることを予想し、音楽行進などが終了した午後5時過ぎにカミさんと二人で護国神社へと向かった。4日の宵宮には「涙雨が降る・・・・」とのジンクスがあり、小生の過去60回余を振り返ってみても、ジンクスに反した年は片手で数えられる程だった…と記憶している。そんな昨日であったが、青空が広がり、全くジンクスには関係のない「宵の宮」であった。▼例年のように神社に並設のテニスコート側の駐車場に車を止めて、北海道池などがある出入り口から境内に…。過去二年とは異なり、駐車場には多くの車が並び、正面の鳥居前には出店や屋台が並んで、沢山の人たちが列を作っていた。その後は、カミさんと本殿の方に向かい過去2年とは違う60回にわたり体験してきた参詣を済ませて、午後7時過ぎに我が家へ帰った次第であった。
2022年6月1日(水)
 いよいよ水無月・・・
 月が改まって迎えた今日は、昨夜来からの断続的に降る雨の影響もあってか、肌寒さを感じるスタートとなった。天気予報では、この状態は来週初めまでは続きそうに報じられていたので、5月下旬の記録的な暑さはどこへ行ってしまったのだ・・・と思う、寒暖差の激しい日々が続きそうである。▼そんな春から夏への移ろいの中、小生の日常は相変わらずの「無気力」「ダラケ気味」であった。新年を迎えるにあたって「卒寿目指して寅年生きなむ」との決意を詠んで本ページの冒頭にも掲載しているが、お恥ずかしい限りである。ただ、そんな折に小生の「ダラケ心」に警鐘を鳴らしてくれるのが、これまでも記したことがあるが、38年間の教職時代に関わった同僚や「教え子」たちからもらうエネルギーである。最近の小生は、記憶力の減退や身近な人の名前も直ぐに思い出せないようなことが多くなってきた。そんなことが重なるにつれて、認知症と真剣に向き合う必要性なども感じ始めている小生であるが、今では先輩のようにも感じられる「教え子」たちとの結び付きは、貴重な「エネルギー源」となっている。コロナ禍で過ごすことを余儀なくされている昨今、改めて、そのことを強く感じさせられ、大いに感謝している次第である。
2021年 師 走 睦 月 如 月 弥 生 卯 月 五 月
きむせん雑感 2022
水無月 文 月 葉 月 長 月 神無月 霜 月
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