星座の起源は古く、紀元前3000年も大昔にさかのぼります。
紀元前3000年前、メソポタミア地方(現在のイラク付近)に住んでいた羊飼いたちは
羊の番をしながら夜空を見上げ、明るい星に名まえをつけたり星の並びを結んで、けものや巨人などの形を描いました。
これが、今の星座のルーツとされています。
そして、星の位置や動きを観測して「暦」をつくり
日食や月食、惑星の動きなどを手がかりとした「星占い」をするようになりました。
今も星占いで使われている「12星座」は、この時代に原型ができたようです。
その後、それらがギリシャに伝わり、神話や伝説と結びついて、現在の星座の原型と星座神話が完成されていきました。
その後、多くの天文学者たちによって様々な星座が作られましtが
紀元前2世紀ごろ、アレキサンドリアの天文学者プトレマイオス(トレミー)によって
48の星座にまとめられました。
これをプトレマイオス(トレミー)の48星座といって、現在使われている星座の大部分がふくまれています。
17世紀に入り大航海時代が訪れると、ヨーロッパでは見られない南天の星空に
南方の生物(ふうちょう座、カメレオン座、かじき座etc・・・)や
航海で使われていた機器(ぼうえんきょう座、はちぶんぎ座、とけい座etc・・・)を形にした星座が30もの星座が
南半球の星空に作られました。
この他に、17世紀〜18世紀にかけて、多くの天文学者によって新しい星座が作られるようになり
星座の境界線が勝手に決められたり、二つに星座にまだがる星などがあったりして混乱を招くような事態になったりしました。
しかし、天文学の進歩とともに、世界共通の星座や星座の境界線を確立しなければならなくなり
1928年に国際天文学連合で、正式に現在使われている88の星座が確定するとともに
星座の境界も赤経・赤緯にそって決められました。
ただ、この時に正式に決められてのは、星座の名前と境界線だけで
星座のつなぎ方や星座絵については現在も正式には決められていません。
このようにして、現在使われている88の星座が決められているのですが
中国や日本にも独自の星座や星の呼び方がありました。
古代の中国では、太陽の通り道である黄道にそって28の『宿』と呼ばれる星座『二十八宿』が作られていました。
これは月が約28日かけて黄道の近くを移動することに由来しています。
つまり、月は1日に1宿ずつ西から東に移動していくわけです。
中国では、この二十八宿をもとにして、月や惑星の運動を研究していました。
中国で今も旧暦(陰歴)の風習があるのはこのためだと思われます。
日本にも各地にそれぞれ味わい深い星座や星の呼び方がありましたが、全国的に共通するような呼び方は少なかったようです。
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