阿仁町萱草の伝説

女龍・男龍…七面山の由来

毎月別の民話や伝説を掲載
1999,4,1掲載

10月11月12月1月2月3月掲載
 

 むかし大阪に鴻池という商人がいました。商人は心のやさしい人で、身延山の七面山を深く信仰しており、朝に夕に礼拝、読経を怠ったことはありませんでした。
 ある夜のこと、商人は夢を見ました。夢の中で、谷川のほとりで読経しているとき、ふと見ると輝くように美しい気品に満ちた少女が、近くの大きな岩の上に静かに座って、読経に聞き入っているのでした。
 次の夜もまた次の夜も、商人は同じ夢を見ました。不思議なこともあるものだと、商人はとうとう夢の中で少女に声をかけました。
「お嬢さん、あなたさまはどこのお方で、どうして毎晩私のお経を聞いておられるのですか」
 少女は透き通るような声で、
「あなたの心のこもったお経のありがたさに誘われてきたのです」
 商人は大きな体を小さくして、
「そのお言葉は本当にうれしうございますが、まだまだ修行も信仰も至らないもので、身の縮む思いです」
「なんという清らかなお言葉でしょう。その心の木にはきっと美しい花が咲き、黄金の実がなることでしょう」
 商人は、少女の天から響くような、凛(りん)とした声に驚いて、
「あなたさまはただのお方とは思われませんが、どちらの高貴なお方でしょうか」
「それでは私の正体を見せましょうほどに、一杯の水を持ってきてください」
 商人が水を取りに行こうとあたりを見回すと、そこはいつの間にか自分の寝室になっており、少女は枕元に座っているのでした。商人は夢の中なのか醒(さ)めているのか、わからなくなってしまいました。
 商人が床の間の花瓶から一杯の水を汲んで差し出すと、少女はさっと自分の体に振りかけました。すると少女は見る間に美しい女龍となって、
「あなたの信仰を讃えて私の神体を見せたうえは、生涯私を祀(まつ)り、私に仕えよ。
私を祀り、私に仕えたものは、永久に身も心もすこやかに、七度の苦難を乗り越えるであろう。このことを伝達するあなたは、羽後の国阿仁の庄、萱草の宝を授けるであろう」
 そういうと、女龍は雲とともに身延の七面山の方角へ飛び去って行きました。
 気がつくと、商人は床の上にひれ伏していました。今のは夢だったのだろうか、現(うつつ)だったのだろうか、商人にはわかりませんでした。その日から、夢の中の出来事が気になり、いろいろ迷いましたが、それから七日目に一切を捨てて、見たことも聞いたこともない阿仁の庄へ旅立ったのでした。

 山を越え谷を渡ってようやく萱草にたどり着いた商人は、後悔の念でいっぱいでした。
そこは、宝物はおろかいしころもない草ぼうぼうの山の中でした。
 疲れ切った足を引きずるようにして谷川のほとりに出ると、草鞋(わらじ)を解いて豆だらけの足を水にひたし、冷たい水をすくって飲みました。
その水のなんとおいしいこと、青い空が水に映(うつ)り、川底の小石がまるで瞬(まばた)いているようでした。商人は、一瞬それまでの苦しさが消し飛んでしまいました。
 そのときあたりが急に暗くなり、サラサラという妙な音が聞こえてきました。ふと顔を上げると、商人は腰が抜けるほど驚きました。すぐそばに直径1bはあろうかという大蛇がいるではありませんか。
 商人は無我夢中で山の中へ逃げましたが、走っても走っても、大蛇はすぐ横をサラサラ音を立ててついてくるのです。商人はとうとう大きな岩の前で倒れてしまいました。
「もう助からない」と思った瞬間、気を失ってしまいました。

 どれほどの時間がたったのか、気がつくと商人は洞窟の前に倒れていました。体に傷はありましたが、確かに生きています。それではさっきのは夢だったのかと、体を起こしてあたりを見回してまたびっくりしてしまいました。木の枝という木の枝に、何百匹何千匹という蛇がぶら下がっていました。商人は恐ろしさのために声を失い、山の上へと駆け登って、小さな沼のほとりで再び気を失ってしまいました。
 商人は夢を見ていました。夢の中で頭に滴(しずく)が落ちてくるのであたりを見回すと、そこは深い谷間の岩の下でした。どうしてここにいるのだろうか、どこから来たのだろうかと、草のなかの足跡を探してみると、自分の足跡は辰巳(東南)の方角へ続いていました。
 これで帰ることができそうだと安心すると、急に体中が痛くなりました。落ちてくる滴がひどく重く、痛いような気がするのです。
 立ち上がろうとしても動けないほどなので、どうしたのだろうかと滴の垂れる岩を見ると、その岩は空よりも青く、その奥は龍の眼のように黄金色に輝いていました。思い滴は鉱石の露(つゆ)でした。商人は驚いて立ち上がり、そこで眼が覚めました。

 商人は夢から覚めると、黙って辰巳の方角へ歩き出しました。やがて商人は夢とそっくりの場所にたどり着き、緑青(ろくしょう)の吹いた黄金色の岩を発見しました。こうして萱草鉱山が開かれたということです。

 商人は身延山から七面様を勧請して、大蛇の消えた洞窟の前に神社を建てました。それが萱草七面様で、御神体は女龍です。
 その後萱草と露熊の間を、夜な夜な大きな風雨を伴って山や岩を崩して火炎をまいて通うものがあり、男龍の仕業だという噂が広まりました。
 のちに露熊七面様として男龍を祀ったところ、山は静まり、やがて露熊炭坑が開かれることになりました。

〔メモ〕
 萱草七面山は、身延山の末流として、その名が広く知られている。
 鴻池善右衛門は、寛文12年加賀屋四郎兵衛とともに、佐山鉱山を発見した人。
 緑青は、銅の表面にできる緑色の「さび」のこと。 


   
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