「紫鏡5」未来の光明
第3章

 セルリアの部屋を後にした紫鏡は、中庭に佇むアンジェラを見とめた。

「アンジェラ、あなたここで何をしているの?」

 紫鏡の呼びかけに、一瞬体を硬直させたアンジェラ。突然呼びかけられて驚いたのだろう。一呼吸置いて、それが紫鏡の声とわかるとアンジェラは振り返った。

「どうかしたの?」

 少し様子がおかしいと感じてか、紫鏡はさらに問いかけた。

「紫鏡の部屋にいったら、留守だったから、ここで待ってたんだ。少し……話をしたいんだ。いいかな」

 瞬時、紫鏡はアンジェラが話したい内容について、思い当たった。

「そうね……いいわ。ここじゃなんだから、私の部屋へ行きましょう」

 紫鏡とアンジェラは、少し距離をおいたままで、紫鏡の部屋まで歩いていった。





 部屋に通された後も、アンジェラはなかなか口を開かなかった。

「何か飲む?」

 紫鏡に声をかけられても、首を横に振っただけだった。

「アンジェラ……聖女王からお話を聞いたのね」

 埒があかないと悟ったのか、紫鏡から話を切り出す。アンジェラは、ハッとした様子で紫鏡の顔を見た。

「あ、うん……話を聞いたよ。あれ……本当のことなんだよ、な?」

 まだ自分の中で整理しきれていないようで、いつもの明朗な雰囲気はどこかに隠されてしまったようだった。

「聖女王が仰ったことは、間違いなく事実よ。私も驚いたケド、とても納得したし、苦悩したケド、これが私の進むべき道だと思えたわ」

「そっか。紫鏡は決心したんだね」

 きっぱりと言い切った紫鏡の様子に、アンジェラも覚悟が決まったようだった。

「わかった。じゃぁ俺から言いたいことはひとつだ」

 きりっと引き締まった顔。アンジェラもまだ日々大人へと成長しつづけている過程なのだと、紫鏡は改めて感じた。まぶしく思えるほどに。

「紫鏡、俺はずっと、一緒にいる。俺の命が尽きるまで、俺は紫鏡を守るから」

「えっ、それどういう……」

 紫鏡は、自分のことを聖女王が語ったことはわかっていたが、それ以外どのような話をしていたのかは、もちろん知らない。アンジェラが突然決意を固めたことは、驚き以外の何物でもなかった。

「聖女王様に言われたんだ。『紫鏡と供にいてほしい』と。最初何のことかわからなかった。でもそれは、聖女王の伴侶として紫鏡を傍で支えていて欲しいという願いだとわかった。俺はどうすべきか考えてたんだけど、でも決めたんだ。紫鏡とずっと一緒にいたい。紫鏡をもう失いたくない」

「アンジェラ!」

 それは紛れもなくアンジェラから紫鏡へのプロポーズだった。紫鏡といえども、女としての夢はある。まさか、今ここで一番愛する人間から強い意志の元でプロポーズのことばをもらえるとは、思いもよらなかった。逆に、本当は二人の別れを意識していたのである。聖女王になれば、アンジェラと一緒にいられないだろうと。

「俺、クライスター家の養子になったよ。母さんに似てるって、香ちゃんのお父さんもお母さんも、すごく温かく迎え入れてくれた。俺にとって、祖父母になるんだよね? なんか不思議な感じだった」

「そう、そうなの。よかったわね、アンジェラ。貴方にも家族ができて」

 アンジェラは父も母もとうに――二千年以上昔に失っている。紫鏡が側にいたとしても、それは本当の父親でも母親でもなく、血の繋がりさえなかったのだ。本当に血が繋がる家族が、セルリア以外にまだいることは、アンジェラには驚き以外の何物でもないだろう。しかし、それはうれしい驚きに違いない。

「紫鏡にも、お姉さんがいたんだね」

 ぽつりとアンジェラが言う。

「そうね。姉と知る前から、まるで姉のような存在の人だったわ。いつも、私を見ていてくれた。真実を聞かされたとき、確かにうれしさもあったのよ」

 紫鏡の顔が柔らかに微笑む。アンジェラは、その表情がとても愛しく思えた。

「紫鏡……」

 アンジェラが紫鏡の側へ歩み寄る。

「まだ、紫鏡の意見を聞かせてもらってないよ。再会できたときの喜びは、忘れられないよ。俺は、ずっと紫鏡の傍にいたい。離れたくない。紫鏡は?」

 アンジェラは、紫鏡の顔を覗き込むように顔を近づける。気付けば、アンジェラはまた背が伸びたのか。長身の紫鏡より、確かに背が高くなった。

 紫鏡は途端に恥ずかしくなる。

「ダメ。きちんとこっちを向いて、気持ちを聞かせて」

 顔をそむけようとした紫鏡を、アンジェラは制した。

「あ……」

 紫鏡は自分のことになると、途端に口が重くなる。きっと、いつもしっかり者を演じているせいか、弱みを見せるのが苦手なんだろう。すっかり普段と立場が逆転してしまった。

「ほら。どうなの? 紫鏡は俺と一緒にいたいって思ってくれてるの?」

 紫鏡のそんな姿も、アンジェラには、愛しくて仕方なかった。

「私も、私だって……アンジェラとずっと一緒にいられたらって……」

 頬を赤らめる紫鏡が一瞬アンジェラから目をそらした隙に、アンジェラは紫鏡を抱き寄せた。

「あ……」

 驚いてアンジェラを見返す。ふたりの距離は一気に縮まった。

 アンジェラの目は紫鏡の紫瞳を捕らえたまま、アンジェラの唇は紫鏡の唇に重ねられた。

 紫鏡の瞳がゆっくりと閉じられる。薄く開いた唇からは、互いの熱い想いが迸るようだった。

 アンジェラの両腕に力が込められる。もう紫鏡を放したくないと、全身で語っているようだ。紫鏡も、自分の腕をアンジェラの背にそっと回した。

 長い時間を費やし、唇を重ね合わせていたふたり。ようやく、アンジェラが紫鏡の唇から離れる。

「あ……」

 離れた唇が寂しくて、つい小さな声を漏らした紫鏡は、自分の反応に頬を染める。

「紫鏡、あいしている」

 一語ずつはっきりと語る。紫鏡の瞳は淡く潤んでいた。


★


 アンジェラと紫鏡のふたりは、ようやく心も体も結ばれることができた。

 それは、夢のように愛しい時間だった。

 紫鏡の滑らかで美しい肌を自分だけの物とした。体中に自分の印を刻み付けた。

 これから始まる激しい戦いを前に、ふたりだけで過ごせる時間はこれが最後かもしれない。そう思えばこそ、瞬間瞬間を大切に、悔いの無い時間を過ごしたかったのだ。

 紫鏡から薫る花のような香りをアンジェラはしっかりと鼻腔から記憶に刻み付けた。恥ずかしげに洩らす甘い吐息や声を耳から記憶に刻み付けた。白いもっちりとした肌を、汗で湿る体を重ね合わせた体中から記憶に刻み付けた。

 そして、満たされた悦びの表情を浮かべる紫鏡を両目でしっかりと見つめていた。少し潤んだ瞳と、上気する頬、開かれた唇。絶対に忘れるものかと、アンジェラは強く心に願った。





 そんな夜が過ぎ、ふたりは紫鏡の寝台でまどろんでいた。最後の休息だった。

 その時。

「大変です!」

 けたたましく扉を叩き、返事を待たずに扉が開いた。

 斥候隊との連絡係の聖霊だった。

 ふたりの姿を認め、連絡係は一瞬固まる。

「失礼しました!」

 すぐに踵を返し連絡係が部屋の外へ下がる。

「何事です?!」

 尋常でない連絡係の様子に、紫鏡は恥ずかしさなどすっかり忘れてするりと衣服を纏うと連絡係の側に歩み寄った。

「斥候隊が……いえ、ヴェール様がお一人で魔性の元へ!」

「なんですって?!」

 連絡係の声にアンジェラにも緊張が走る。急いで衣服を身に纏った。

「それと……」

 連絡係は更に言い出しにくそうに、更なる情報を告げる。

「セルリア様がそれを聞いてお一人でエンドフォレストへお向いに……」

「なんですって!!」

「香ちゃん……なんでそんな……」

 アンジェラは二の句が次げずにいた。

「わかりました。すぐに会議を開きます。みんなを招集して」

 紫鏡は厳しい声でそう言った。






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Les Rois au pays de Pyjamas

オリジナル小説「紫鏡」

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