ロバート・キャパ展を見て考える

 報道写真家として世界的に有名なロバート・キャパとコーネル・キャバ兄弟の写真展「CAPA&CAPA」が東京富士美術館で、さきごろ開かれた。
 ロバート・キャパの写真を見るのは、何年ぶりのことだろうか。鮮烈な映像とともに、私の青春時代の強烈なキャパ体験がよみがえってきた。
 とにかく、1954年5月25日、インドシナ戦争取材中に地雷を踏んで亡くなったロバート・キャパは20代のころの私にとって、報道写真の神様のような存在だった。
 自伝の『ちょっとピンぼけ』に描き出されている陽気で、調子が良く、酒が大好きで、美人にもてるキャパは、私にとってあこがれの的だったのである。
 
 神話にもかげりが

 ロバート・キャパが亡くなってから30余年。
 その神話にも多少のかげりが出てきた。その最たるものは、キャバが1936年9月5日前後に撮影したスペイン市民戦争の民兵が敵弾に倒れる瞬間をとらえた『崩れ落ちた兵士』は演出写真であることがほぼ確定的になったことだろう。
 リチャード・ウィーランはキャパの優れた伝記『キャパ その青春』の中で、この写真については、フランスの写真誌VUに発表された当初から演出かどうかの議論があったこと、確かに、そういう批判がなされる余地があることを肯定しながらも、結局次のように結論づけている。
 「議論を重ね、推測を繰り返したあとでも、キャパの『崩れ落ちる兵士』の写真が偉大で力強い映像であり、戦争で死んでいった共和国軍兵士と、勇敢に前進し打倒されてしまった共和国スペインそのものの、忘れがたい象徴であるという事実は変わらない。その写真が実際に弾丸に撃たれた瞬間の人間をとらえているのかどうかにこだわるのは、いささか病的なことであり、枝葉末節のことでもある。なぜなら、その写真の偉大さは、最終的にはその象徴的な合意にあるのであって、特別な人物の死のリポートとしての完璧な正確さにあるのではないからだ」

 「写真は作らない」

 しかし、この有名な写真が演出されたものかどうかを論じるのは、決して「病的でも、枝葉末節」のことでもなく、報道写真の本質にかかわることだと思う。
 この点について、同書を翻訳して沢木耕太郎は、戦争体験のある大岡昇平の意見を援用しながら、演出説にくみする立場を表明しているが、どうもキャパ自身内心気にしていたらしい節がある。『ちょっとピンぼけ』の訳書解説で、井上清一はこんなふうに述べている。
 「斃れるミリチヤを前方からとらえている写真に不審気な顔をした川添君と私に、キャパはやや憤然と、"お前達にはこの民兵が、敵弾に倒れる時、どんな歌をどなっていたか想像出来るかい。"神妙に口を噤んでいた私達に、この民兵達が、銃を構えて歌声高く、クカラッチャ、クカラッチャ…叫びつつ、アンダルシアの丘の岩かげから突進した情景を語ってくれた」
 この点について桑原史成は『報道写真家』の中で、報道写真についての考え方が現代と違っていたと指摘している。
 「仮に、作為的な映像であったとしても、当時の報道写真は、この範囲の創作まで容認される模索の時代であったともいえる」というのである。
 が、もちろん、現代では、この種の演出写真は絶対に許されない。
 このキャパの演出写真の問題が関心を集めたのは、1989年春の朝日新聞社のいわゆるサンゴ損傷事件がきっかけだったように思う。
 朝日は、この苦い経験を踏まえて翌年5月、「新写真ノート」を作成、その巻頭に「新聞写真の基本」という10の項目を掲げた。その第1項は「写真は作らない」で、「事件、事故、スポーツ、科学的な記録、自然や動植物、選挙など、ニュース性、記録性の高い写真では一切『やらせ、演出』をしてはならない」としている。

 時代の証人として

 地方新聞各社も演出・やらせの問題を活発に社内で論議したが、そんな時、ふと出てくるののが、あのキャパの名写真もやらせだったという話だった。キャパを神格化していた私にはキャパの演出写真は大ショックだったが、今また少し冷静になって、かつてのキャパの優れた報道写真の業績を見直すと、改めて偉大さを再認識させられた。
 時代の証人の報道写真家として、戦争の最前線で命を賭けて取材したキャパの現場主義は今なお、強烈な印象を与える。
「崩れ落ちる兵士」を撮影した時、キャパはわずか23歳の若さだった。そして、それが演出写真だったとしても、キャパは以後、まさに死と隣り合わせの世界で、演出することのできない兵士たちの残酷な生と死と、さまざまな哀歓を、40歳で爆死するまで撮り続けたのだった。
 時代の証人として事件の現場に立つという現場主義は、どのように時代が移り変わろうとも、報道写真家の姿勢としては基本的に変わらないに違いない。
 ただ、その現場が戦争の最前線でなければならないかについては、さまざまな考え方が生まれているようである。
 『フォトジャーナリストの眼』の中で、長倉洋海は、自分のフォトジャーナリストの立場をこんなふうに書いている。
 「ロバート・キャパは『戦場キャメラマンはハイエナだ』といったが、私も戦場をさまよう一匹のハイエナだった。自分のストーリーのために戦場の写真を撮ろうとしていた…。
 だが、そうして撮られた写真にメディアが『戦場の残虐さ・悲惨さを表している』と社会正義のラベルを張りつければ、その罪悪感も嫌悪感も、いつの間にか心の闇の中にしまわれてしまう。
 『戦争をなくす』という正義感も、カメラマンを動かす要因の一つかも知れないが、それだけではカメラマンが命を賭けて戦場に向かうことはしないと思う。私の場合、『カメラマンとしての自分を認めてほしい』、『いい写真を撮りたい』という欲望が戦場に向かわせた。
 しかし、現場は、カメラマンを変えていく。フリーになりたての頃は、新聞の一面を飾るような写真を目指していたが、いま私が目指す『すばらしい写真』とは、『人間の心奥深くを揺り動かすような写真』。それは最前線に行かなくても撮れる写真だ。最前線ばかりでなく、その後方でも人々は生きている。それには派手さもなく、一見、われわれと変わらない生活に見えるかもしれない。しかし、だからこそ、その中に見えてくる"戦争"や"人間性"を切りとることができれば、見る人の感性により訴えてくるはずだ。多くの現場を訪れるうちに、そう思うようになっていた」

 新しい感性と批評性

 キャパはかつて冷戦時代のマッカーシズムの赤狩り旋風のとばっちりを受け、共産党員ではないかと疑われて旅券の発行を止められたことがある。青年時代の活動ぶりからして、党員であったとは思わないが、社会主義思想の洗礼を受けていたことはまず間違いないものと思われる。
 だが、ソ連・東欧の社会主義体制は崩壊してしまった。戦争も、同じ国の中で、民族主義、種族主義の対立抗争が多発し、かつての太平洋戦争やベトナム戦争のように、どちらか一方の立場に立って戦争を告発するということが難しいものも出てきているように思う。
 キャパに触発されて、岡村昭彦や沢田教一など、ベトナム戦争では優れた報道写真家が生まれたが、これからはどんな人々が出てくるのか。
 桑原史成、長倉洋海などは、それに続く人々といっていいが、新聞写真の分野ではどうだろうか。新聞界も女性進出で、既に女性の写真記者のいる社もあるとも聞く。職人的技術よりも、新しい感性と批評精神が要求されるようになってきているともいう。
 どんなに時代が変わっても、民衆の立場に立つキャパの姿勢は、きっと新聞写真に受け継がれて行くだろう。展覧会のカタログの写真をめくりながらそんなふうに考えた。

新聞調査会報 1992年7月


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