記者の証言拒絶権をめぐって

 ジョン・グリシャムの長編『依頼人』が出た。
 この作家の作品を読んで思うのは、法律の専門家だけに法廷場面の描写が迫力満点であるばかりでなく、作中の弁護士がいつもマスコミの力を意識していることだ。
 例えば、処女長編の『評決のとき』では、主人公の弁護士が新聞の取材などを巧みに利用して自分を売り出そうと考えるし、『ペリカン文書』では、極秘の情報源から見事な取材を続けるワシントン・ポストの記者が登場する。
 『依頼人』もなかなか面白い作品だが、新聞記者はちらりと姿を見せるだけである。
 が、その新聞記者が判事から情報源を明らかにするよう求められ、それを拒否して投獄されるという話が盛り込まれていて興味深い。
 『依頼人』は、マフィアの顧問弁護士が自殺する場面を、たまたま11歳のマークという少年と8歳の弟リッキーが目撃するところから始まる。薬と酒で頭がおかしくなっていたその弁護士は、ヤクザが殺した上院議員の死体を自分の家のガレージのボートの下に埋めたと、死ぬ前にマークに口走っていた。
 一方、警察と検察当局は、議員の死体の隠し場所を弁護士がマークに話したのではないかと執拗に追及する。困ったマークは女流弁護士レジーに弁護を依頼、必死に抵抗する。 この動きと並行して、議員を殺したマフィアの犯人側も、マークを場合によっては消してしまおうと殺し屋を送り込んで来る。
 そんな中で、マークの証言を求める秘密の審問会が開かれ、その中身がメンフィス・プレスの記者、スリック・モーラーによって、極秘の情報源に基づく情報として紙面に掲載される。
 このため、同記者が少年裁判所判事から召喚され、法廷侮辱罪で勾留されるという設定である。
 
 法の保護と実態

 既に指摘したように、この話はいわば脇道の挿話にすぎないが、アメリカで証言を拒否して牢屋に入る記者が今でも少なくないことがこの小説でも伺えて、興味をそそられた。 というのは、ご存じのようにアメリカでは、26州でシールド法といわれる法律が制定され、記者の証言拒絶権が法律によって保護されているからである。
 そういう法律があるのに、なぜ記者が投獄されなければいけないのか、不思議に思われるかも知れないが、H・ユージン・グッドウィンの『ジャーナリズムの倫理を求めて』(第2版、1987年)によると、「1958年以降、多くの記者がニュースソースを秘匿したために投獄されたり、罰金を課せられたのは、シールド法のある州で、裁判所はこの法律を支持しなかったのである。その理由は、通常、記者の<保護>は、公平な裁判を被告が受ける権利を保障した米国憲法修正第6条の下位にあるというものだった」
 実は私は、シールド法などがあれば大抵の場合、記者のニュースソースの秘匿が認められるものと錯覚していたのだが、実際はどうもそうではないようである。
 また、記者が証言を拒否する理由も日本の場合とは比較にならないほど深刻で、ニュースソースが明らかになると、直接その人の命にかかわる被害が及ぶ例も少なくない。
 ボストンのWCVB−TVのスーザン・ワーニック記者は、1985年のドラッグストア強盗事件の唯一の目撃者の名前を明らかにするのを拒否したため、法廷侮辱罪で3ヶ月の禁固を申し渡された。証言拒否の理由は、その事件にマサチューセッツ州レベーレの警察がかかわっているといわれ、名前が明らかになった場合、報復が予想されるので、目撃者にニュースソースの秘匿を約束したというものだった。
 この判決を受けた後、ワーニック記者は控訴したが、この段階で秘匿された情報源である人が、警察を犯罪容疑で調査する大陪審で名乗り出て証言したため、判事は判決を取り消した。

 法制化へ、日本の動き

 こういうことを持ち出したのは他でもない。日本でも記者の証言拒絶権を法制化しようという動きが現実に出ているからである。
 法制審議会民事訴訟法部会は平成2年7月、民事訴訟法手続の見直しを決め、作業に着手。平成3年12月12日「民事訴訟手続に関する検討事項」を発表して、関係団体に意見を求めた。
 同要綱の内容は広範囲にわたり、記者の証言拒否権はその一部に過ぎないが、要綱のすべてに触れる余裕はないので、ここでは要綱の中に挙げられている条項を以下に掲げる。 「証言拒絶権(第281条)新聞、通信、放送その他の報道の事業の取材又は編集の業務に従事する者は、取材源に関する事項で黙秘すべきものについて、証言を拒絶することができる」
 日弁連は、この条項に賛意を表するとともに、「従事した者」も含ませるべきであると、次のように述べている。
 「取材源(それを)明らかにすると取材源が明らかになる蓋然性が高い事項を含む)の秘匿は、それを保護することによって取材の自由を守り、もって報道の自由を確保しようという趣旨から認められるのであるから、報道の事業から退いた者であっても、従事中に生じた事由に関しては、拒絶権を認めるものとすべきである」
 また、日本新聞協会編集委員会は、平成4年6月14日付の「検討事項」に関する意見書の中で、「近年、犯罪報道の再検討や調査報道の重要性がいわれる中で、取材源の保護(秘匿)は、報道関係者にとって重大な問題である。非公式取材などで捜査官から聞き出した情報(犯罪報道の場合)や、内部告発者から入手した情報(調査報道の場合)などについては、例外なく取材源を秘匿し、取材源を保護しなければならないケースである。証言拒絶権の対象にはそれ故、取材源が当然含まれなければならないが、その保障範囲はそれにとどまらない。報道関係者が取材上知り得た事実全般、すなわち取材内容全般に及ぶべきものである」と指摘している。

 「情報源」で見直しの要

 いずれも傾聴すべき意見であり、私も記者の証言拒絶権の法制化にはまったく賛成だが、アメリカの例を見てもわかるように、これをもって記者がどんな場合も証言拒絶を認められると考えるのは早計だろう。
 記者は、たとえこのような権利を法制化されたとしても、常に国民の知る権利にこたえるためには、場合によっては投獄されることも覚悟して取材に当たることが必要なように思われる。
 また、アメリカでは、前澤猛氏が『日本ジャーナリズムの検証』で詳しく述べているように、コーエン事件をきっかけに情報源を明示することを原則とする動きが強まっており、情報源の秘匿は例外とする考え方が支配的になっている。
 そういう意味でいえば、このような「民事訴訟手続に関する改正要綱試案」が出され、この問題についての関心が高まりつつあるのを機会に、ニュースソース扱いそのものについても日本のマスコミ界でもう一度見直しを行い、ガイドラインを整備することが必要だと思われる。
 さて、再び『依頼人』の例に戻ると、あの場合、スリック・モーラー記者がニュースソース秘匿以前に、秘密の審査会の内容を記事にする必要があったかどうかが問われると思う。フィリップ・メイヤーの『倫理的ジャーナリズム』(1987年)によると、大陪審の内容がリークされた時にその情報を新聞に掲載すべきだと考えるのは、裁判の秘密を侵すマイナスよりも情報の重要性が上回る場合という意見が最も多く、発行者の62%、編集者の60%、記者の49%、全体平均が57%となっている。
 『依頼人』の場合、果たしてこれに当たるのかどうか。興味のある方はどうぞ、ご自分で本を読んで考えてください。

新聞調査会報 1994年3月


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