法廷写真取材の行方

 前妻のニコルとその男友達を殺した容疑で法廷に立たされた米国のフットボール界の人気黒人選手O・J ・シンプソンが刑事裁判で無罪判決を受けて早いもので、(1997年の時点で)もう2年になる。
 この裁判では、ご存じのとおりテレビ中継、スティール写真取材など法廷写真取材がこれまで以上に活発に行われた。しかし、その過熱ぶりが審理の過程でもさまざまな論議の的になり、報道界内部でも<メディア・サーカス>という言葉がささやかれ、一部には規制論さえ現れたことは本欄でも以前にご紹介したとおりである。
 
 連邦裁判所取材の可能性

 その後は一体どうなっているのだろうか。
 1996年2月に開かれたカリフォルニア州裁判官協会理事会では10対8で法廷内カメラの禁止を退け、裁判官に決定権があるとのガイドラインを満場一致で採択したが、同年9月のシンプソンの民事裁判ではロサンゼルス地裁サンタモニカ支部のヒロシ・フジサキ判事が法廷写真取材を一切認めないとの厳しい方針を打ち出し、報道界にショックを与えた。
 こういう状況を関係者はどう受け止めているのか最近の情報を知りたくて、インターネットで、裁判専門テレビのコート・テレビとニュース写真協会のホームページをのぞいて見たが、結論からいうと、以前とさして大きな変化はないようである。
 もともと、1996年1月の段階でも、米国の47州で地裁での法廷写真取材が認められており、コート・テレビの放送番組予告などを見ても、特段の変化はないようである。 注目されたのはコート・テレビのニュースに掲載されていた「リーガル・タイムズ」1997年6月9日号のロバート・シュミット記者の「写真取材の次の可能性」という記事である。
 ご承知のように、世界で最も法廷写真取材の自由が認められているアメリカでもそれは州レベルの地裁に限られ、連邦裁判所で法廷写真取材は認められていない。その連邦裁判所での法廷写真取材を自由化すべきだという法案が国会で審議される可能性が出てきたというのである。
 4月にはオハイオ州選出のスティーブ・シャボット共和党下院議員が提出した、「ザ・サンシャイン・イン・ザ・コートルーム・アクト」という法案は、連邦最高裁を含めてテレビ中継をも認める内容だが、実際の運用は裁判長の権限にゆだねるという柔軟なもの。 法廷写真取材に逆風が吹いている時期だけに、どれほど実現の可能性があるのか不明だが、裁判の姿を国民の前にできるだけ公開すべきだという思想が依然として大きな力を持っていることがうかがえる動きである。

 オウム報道はイラストだけ

 こういうアメリカの動きに比べると、日本の現状はどうも膠着状態にあるような気がしてならない。
 オウム真理教裁判が本格化する中で、日本の新聞やテレビの裁判報道では、教祖の松本千津夫(麻原彰晃)被告のイラストが毎回のように使われている。
 いうまでもなく、被告人は公正な裁判を受ける権利があり、人権は尊重されなければならない。
 だが、オウム真理教事件はわが国犯罪史上、前例のない事件として大々的に報道されており、また、同被告は宗教の教祖であるばかりでなく、かつては国政選挙にも立候補した公的人物で、日本の国民のだれもがその顔を知っている。
 にもかかわらず、その松本被告の法廷内の姿がイラスト以外にはまったく報道されず、結果的に裁判記録としても残されないのというのは、奇異の感を免れない。
 法廷写真取材については、戦後の一時期は自由だったが、報道側の行き過ぎもあって、昭和24年の刑事訴訟規則215条、同27年の法廷等の秩序維持に関する法律、31年の民事訴訟規則11条などによって厳しく規制されることになった。

 特例撮影認めるべきでは

 現在は昭和62年に報道側と最高裁との間で交わされた試行基準を引き継いだ平成3年の「運用基準」によって、「スチールカメラとビデオカメラ各1台を使い、裁判官全員の着席後開廷宣告前の2分間の撮影を認める」と定められている。
 しかし、これはあくまで被告人が在廷しない状態での撮影が前提である。
 報道界ではかねてから、とくに重大な社会事件については、例外的に、被告人着席後の撮影を認めるよう最高裁に要望してきた。オウム真理教裁判でも、昨年4月の松本被告の公判に際して、東京地裁神垣英郎裁判長に同被告の在廷中の撮影を要望したが容れられず、イラストが新聞、テレビの報道ではんらんすることになったのである。
 確かに、一方ではアメリカとは対照的に英国のように、法廷内だけでなく、その周辺での写真取材、報道を厳しく規制、法廷内のイラストも、報道での利用はもちろん、報道目的でイラストを描くこと自体を禁止している(実際には、黙認されている)国もあり、単純に比較することはできない。
 しかし、日本の場合、英米のような陪審制でなく、専門の裁判官の裁判であること、代表取材制が定着して現場の混乱は避けられることなどを考えると、報道界が主張しているように、「とくに重大な事件」においては、在廷の被告人の撮影を一定のルールの下で認めるべきだと私も考える。
 たとえ、オウム真理教の松本被告の取材でそのようなルールが作られても、これほど重大事件はめったに起こるものではないのだから、そう頻繁に適用されるとも思えないのである。
 
 注目されるドイツの判例

 この意味で、ドイツ連邦憲法裁判所が、ホーネッカー元東独国家評議会議長ら6人のベルリン地裁での刑事裁判のテレビ取材に関連して、1994年7月14日に下した判決は大いに参考になるように思われる。
 同連邦憲法裁判所は、取材を禁止しようとしたベルリン地裁に対して、被告人らは現代史上の人物であり、容姿の撮影を受忍しなければならないとして、被告人の在定時を含めて、公判の開始前、終了後、および公判の休憩中のテレビ代表取材を認める判決を言い渡したのである。
 法廷写真取材は、そのような中途半端なものでなく、アメリカのように自由化すべきだという意見がある一方、仮に自由化しても、調書主義の日本では、陪審制のアメリカと違って、生き生きとした法廷の姿を伝えることにならないという意見などさまざまな考え方があるが、少なくとも、日本における法廷写真取材のあまりに厳しい制約を緩和する第一歩として、こういうドイツの判例は日本の報道界にも当面の一つのよりどころになるのであはないかと思う。

 考えてほしい最高裁

 ドイツ憲法の専門家である宮地基氏によれば、ドイツの裁判所は、日本の裁判所に比べ、法廷内写真取材の面でははるかに開かれており、最もメディアに寛容なのは連邦憲法裁判所だという。
 「裁判所構成法の厳格な制限にも拘わらず、ドイツの裁判所は、日本の裁判所に比べれば、メディアに対してはるかに開かれている。まず、第1に、裁判所構成法は169条が禁止しているのは、直接公表することを目的とした撮影および録音だけである。そのまま放送するのでなければ、記者自身が自分の取材資料として写真撮影、録音を行うことは、この条項によっては禁止されていない。さらに裁判所の実務においては、この禁止はかなり緩やかに適用されている。
 この点で、メディアに対してもっとも寛容だといわれているのが、他ならぬ連邦憲法裁判所である。連邦憲法裁判所では、従来から判決および決定の言い渡しに限って、テレビの撮影と音声の収録を許してきた」(宮地基「ドイツ憲法判例研究 41 法廷におけるテレビ撮影と放送の自由」自治研究第72巻第5号)
 この論文はテレビのことに触れているが、スチール写真もこれに準ずると思われる。日本の最高裁もこのドイツの例にならって、この際、法廷写真取材の自由拡大を考えてもらいたいものである。

(新聞調査会報1997.11月)


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