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ショパンの生涯〜第2章〜

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第2章 我が悲しみ〜パリ遍歴時代

ポーランド貴族の娘、マリア・ヴォジンスカ
Maria Wodzinska

ショパンはその後、パリへの帰途、ドレスデン、ライプツィヒ、ハイデルベルクに立ち寄っている。 ドレスデンでは、彼が幼い頃から家族ぐるみの付き合いだったポーランド貴族のヴォジンスキ一家と 再会した。彼はかつてピアノを教えたこともあるその家の女の子が魅力的な少女に成長しているのを見て、一目で 惚れてしまったという。彼の第2の恋人マリア・ヴォジンスカである。ショパンがヴォジンスカに心を 奪われたのは周囲の人から見ても一目瞭然であったという。

その後、立ち寄ったハイデルベルクで彼は喀血した。彼の健康状態は生来の病弱な体質に加えて、当時 流行っていた流感のため、思わしくない状態だった。これ以後、彼は当時不治の病だった肺結核と闘いながら 生き続けていくことになる。健康すぎる現在の私には本当の意味で彼の心境は理解できないかもしれないが、 彼の繊細な感覚から紡ぎ出される病的なまでに美しいピアノの旋律の数々は、「死」を意識せざるを 得なかった不幸な青年にして、初めて生み出すことができたのかもしれない、考えている。 彼が完全な健康体であったならば、「24のプレリュード」はあんなに美しい作品集ではなかっただろうし 哀愁に満ちた素晴らしいマズルカの名曲の数々も恐らく生まれなかっただろうと考えている。天才作曲家は 珠玉の名曲の数々を生み出し、後の世に残すために、己の幸せを犠牲にする運命を背負って生まれてくるものだ、 ということを痛感し、胸が痛む。

彼は翌年の1836年にもドイツのマリエンバートで、ヴォジンスキ一家と再会し、第2の恋人のマリアと 幸福に満ち足りた一夏を過ごした。彼の彼女に対する気持ちは本物のようで、その夏、彼は彼女に プロポーズしたそうである。マリアはそれを受け入れたが、彼女の両親が間に割って入り、ショパンの パリでの昼夜逆転した乱れた不規則なライフスタイルを直すこと、そして既に彼の体を蝕んでいた肺結核を 悪化させないような生活をすること等を条件にしたと伝えられている。しかし、それは、2人を 近づけさせないための手段に過ぎなかったのではないかと私は考えている。結局は、ショパンとヴォジンスカは平民と貴族という 身分の違いもあり、結ばれることは許されなかったのかもしれないし、結核を患う、どこか影の付きまとう 不幸そうな青年の元には嫁がせたくないという、両親の娘を思う気持ちも相当強かったのではないだろうか。 ただ、私が不思議に思うのは、ヴォジンスカ自身は相当ショパンに惚れこんでいたようで、「あなたが そばにいてくれなくて寂しい」という内容の手紙を何通も書いていることである。それほどまでに相手の ことを思っていたのなら、何故、親の反対を押し切れなかったのか。16歳という年齢のこともあろうが、 これはヴォジンスカ自身の性格の問題かもしれないのである。

感じやすい青年ショパンは、マリアとの交際期間中、既に悪い予感を感じていた。ヴォジンスカとの 破局が現実のものとなったとき、彼は悲嘆にくれ、愛しい恋人から送られた手紙を束ねて包んだ後、その 上に「Moja bieda(わが哀しみ)」(英語では'My sorrow'と書かれているらしい)と記してリボンで包み、生涯大事な宝物として、以後亡くなるまで の13年間、片時も放すことなく持ち歩いていたと伝えられている。

彼はマリアとの交際期間中に、変イ長調の愛らしいワルツを書いて彼女に贈ったが、決して公にせず、 彼女と2人だけの思い出の作品として、生涯大切に胸の中にしまい込んだようだ。この曲は現在、ワルツ 第9番変イ長調Op.69-1「別れのワルツ」として広く親しまれている。彼が短い39年間の 生涯で、最も愛した女性は、間違いなくこの人、マリア・ヴォジンスカだったと私は思う。内向的で ナイーブな青年ショパンは、しとやかで上品な立ち居振舞いと高貴な雰囲気のマリアに、ある種の 幸せな家庭を築く理想の女性像を見ていたに違いない。性格的にも相性は抜群だったと思われるのだ。 ここで、ショパンがマリア・ヴォジンスカと 仮にめでたく結婚できていたとしたら、彼の音楽的な霊感、インスピレーションはどうなっただろうか。 確かに彼は慎ましい日々の幸せを彼女と分かち合ったに違いない。しかし彼の音楽的才能は、その 満ち足りた幸せな毎日の中に溶け込んで霞んでいってしまったようにも思えるのだ。彼の不幸には確かに 同情の念を禁じえないが、天才作曲家にとって本当の幸せは、珠玉の名曲の数々を生み出すことかも しれない。そう考えると、彼女との破局も宿命だったようにも思えてくるのだ。

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