ラファウ・ブレハッチ(Rafal Blechacz、1985〜、ポーランド) | |||||||||||||
ラファウ・ブレハッチはショパンと同じポーランド出身のピアニストで、2005年第15回ショパン国際コンクールで 満場一致で文句なしの優勝を勝ち取った新世代を代表する若手ピアニストです。 ポーランド人の優勝は1975年のクリスティアン・ツィマーマン(ツィメルマン)以来、30年ぶりの快挙で、 地元ポーランドの国民はブレハッチという期待の新星の誕生に沸き返り、興奮のるつぼと化しました。 ブレハッチはポーランドの地方都市で敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ、両親は音楽に携わっていませんでしたが、 クリスチャンであることから4歳頃からオルガンを始め、その流れで5歳からピアノを始めました。 特に裕福な家庭ではなく自宅の楽器はアップライトピアノで、ピアノ演奏では特に目立ったキャリアを築かずに 少年時代を過ごしました。地元の音楽院で後に2015年ショパンコンクール審査員長となったカタジーナ・ポポヴァ・ズィドロン教授に師事し、 2002年ルービンシュタイン記念青少年コンクールで第2位という実績があるくらいでした。 そんなブレハッチが一躍脚光を浴びたのが、2003年浜松国際ピアノコンクールで最高位を受賞した時でした。 この回は第1位なしで、第2位をアレクサンダー・コブリン(2000年ショパン国際ピアノコンクールで第3位)と分け合う形での最高位でした。 この結果だけを見れば、順当に勝ち上がったような印象を持たれるかもしれませんが、実はこの浜松国際ピアノコンクールの 書類審査で、ブレハッチは目立ったキャリアがないという理由で一度落選してしまいました。 その敗者復活戦とも言うべきウィーンでの選考会で何とかコンクール出場を許可されたという、まさに苦難のスタートでした。 最終的にコンクール最高位を受賞するような逸材が、まかり間違えば書類審査で落選しコンクール出場すら許されない事態に なってしまう可能性があったわけですから、これは選考方法に大いに問題があったと言わざるを得ないと思います。 浜松国際ピアノコンクールは海外の国際コンクール入賞経験を持つ実力者が腕試しに実力を競い合うハイレベルなコンクールでもあるため、 キャリアや実績に乏しいブレハッチにとって、スタートの時点で大いに不利ではあったと思いますが、 最終的に最高位を受賞したのはそれだけブレハッチのピアノ演奏が際立っていたこと、そして 審査員たちがその演奏の真価を正しく評価できていたことを物語っていると思います。 またブレハッチは浜松国際ピアノコンクール出場が決まるまで、自宅のアップライトピアノ以外で練習したことがほとんどない ということで、それを知ったワルシャワ市が、市のグランドピアノをブレハッチに貸与するという異例の事態にもなりました。 このようにそれまでのブレハッチのキャリアは非常に地味で、浜松国際ピアノコンクール最高位で一気にその存在が 僕たちに知れ渡るようになり、コンクール入賞者だけを招待して行うモロッコ国際ピアノコンクールで2004年に優勝し経歴に箔を付けました。 しかしブレハッチのキャリアを決定づけたのは、やはり何と言っても2005年第15回ショパン国際ピアノコンクールで 満場一致で文句なしの優勝を勝ち取ったことです。 コンチェルト賞、マズルカ賞、ポロネーズ賞とコンクールの副賞を全て総なめにし、 第2位なしの優勝というとてつもない、誰が見ても文句なし、満場一致の優勝でした。 長い歴史と伝統を誇るショパンコンクールの歴史を振り返っても、これほどの圧倒的な結果を残したのは 後にも先にもブレハッチただ一人だと思います。 2005年のこの回からショパンコンクールがインターネットで全世界に実況中継されるようになりましたが、 通信技術やサーバーの安定性の問題なのか回線が頻繁に落ちてしまい、途切れ途切れでしか聴くことはできませんでした。 そのような状態の中、断片だけでも何とか音を拾うように聴けるだけでも大きな幸せを感じたものでした。 ブレハッチの演奏は本選のピアノ協奏曲(第1番)しか聴くことができませんでしたが、 演奏の質において明らかに他の出場者との歴然とした違いを感じる素晴らしい演奏でした。 他の出場者が音量の大きさやテンポで競い合う白熱の演奏を披露し、コンクールの緊張感が伝わってきてこちらまで身構えてしまうような 演奏が多い中、ブレハッチの演奏は優雅で高貴で軽やかかつ上品で、これがコンクールの場であることを忘れて、 幸せなひとときを過ごせる、そんな演奏でした。ノンレガートでも完璧に粒が揃った癖のなく筋の良い素晴らしいテクニックで ショパンの心のひだを実に繊細かつきめ細やかに僕たちに伝えてくれる、本物のショパン演奏がそこにはありました。 ショパンのピアノ協奏曲第1番を聴いてこんな感動を味わったのは、かつて遠い昔、クリスティアン・ツィマーマンの演奏に出会って以来でした。 「これは優勝しかない・・・これで2位以下になったら猛抗議したい」と思いながら聴いたものでした。 第3楽章のロンドの最後の華やかなユニゾンに突入し最後のホ長調の高速音階を駆け上がりピアノが終わると同時に、 まだオーケストラの締めのトゥッティが残っているのも構わずに、聴衆から爆発的な拍手が湧き起こり悲鳴がこだましました。 僕もこの場にいたら、きっと同じように手が痛くなるほどの拍手をしていたと思います。 ポーランドの聴衆だけでなく全世界のショパンファンが待ちに待った感動的な歴史的瞬間でした。 音量とテクニックで弾く華やかなショパンとは別次元の、本物の感動を与えてくれる優雅で高貴でどこまでも格調高い本物のショパン演奏・・・ こんなショパン弾きが現れるのを待っていた、と感じた人はきっと多かったのではないかと思います。 そして皆の期待通り、ブレハッチは優勝に輝きました。この結果にショパン愛好者は沸き返るとともに、 万一の誤審が起こらなかったことでほっと胸を撫でおろしたのではないかと思います。 実はこのショパンコンクールの第1次予選でブレハッチが演奏し始めると、涙を流し始めた審査員もいたという話も聞きました。 ブレハッチの演奏への大いなる感動と、長年なかなか現れなかった本物のショパン弾きにやっと巡り合えた という感激からではないかと思います。 それほどこの人の演奏は他のピアニストとは違う圧倒的な「質の良さ」があると思います。 このショパンコンクールの圧倒的な栄冠により、ブレハッチは世界中のショパン愛好者に知れ渡る存在となり、 世界各地でのリサイタル活動が始まり、また世界の名門ドイツ・グラモフォンと専属契約し録音も開始しました。 ポーランド人でドイツ・グラモフォンとの専属契約をしたのはツィマーマン以来のことでした。 ブレハッチはこれまでの多くの優勝者と異なり、非常にストイックかつ誠実で、演奏技術をひけらかすようなことはせずに 自分の音楽に向き合ってショパンの音楽の本質に迫る気品に満ちた繊細な演奏を聴かせて、更なる人気を獲得しています。 彼の尊敬するピアニストはパデレフスキとルービンシュタインとのことで、祖国ポーランドの歴史的大ピアニストの足跡をたどって、 21世紀の大ピアニストに向けて成長を続けていくことになると思います。 余談ですが、ブレハッチはショパンその人に容姿が似ているともよく言われます。 確かにドラクロワが描いた有名な力強い画風のショパンの絵とは横顔が特に似ていると思います。 今後、ブレハッチがどのように成長し、どのような演奏を聴かせてくれるピアニストになっていくか、僕自身の楽しみがまた一つ増えました。 今後の活躍を最も期待したいピアニストの一人です。
You Tube動画:
2005年第15回ショパン国際ピアノコンクール本選:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11
第1楽章:ホ短調:アレグロ・マエストーソ
第2楽章:ホ長調:ロマンツェ・ラルゲット
第3楽章:ホ長調:ロンド・ヴィヴァーチェ
ラファウ・ブレハッチ・ディスコグラフィ(所有CD)
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